鈴木 セイヤ 0
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ミツオーです。今週の祝日事情をきちんと把握しておりませんでした。さて、またしても動画に出演しました。今回の動画は、こちら。https://www.youtube.com/watch?v=VMZD722VgIohttps://www.youtube.com/watch?v=4zaPJ0lxwUYYou Tube、TCK大井競馬公式チャンネルにて公開された、「競馬場のお仕事」その記念すべき第1回、実況アナウンサー編です。前半10分程度、後半15分弱でしょうか。6月9日、今年(2021年)の東京ダービー当日、大井競馬場の実況室にカメラが入り、いわゆる密着取材されたモノです。競馬という興行を作り上げるのには、実にさまざまな職種・役割のひとびとが競馬場内外で働いています。おそらくこのシリーズの趣旨は、そうした、普段はあまり脚光を浴びることのない、しかし競馬というモノを作り上げるのに不可欠な仕事をする方々の、その仕事っぷり・プロフェッショナルぶりを、世間の皆さまにご紹介するということなのだと推測します。その最初に、実況アナウンサーたる我々が選ばれたことは、光栄この上ないことですが、むしろちょっと申し訳ない感じのすることです。正直、我々実況アナウンサーは、競馬を作り上げる数多くの職種の中では、常に目立つ位置にいる部類だと思いますので。しかし、もっと重要でもっと興味深いお仕事の方々については次回以降をお待ちいただくとして。とにかく、競馬を作る仕事の一環として、実況アナウンサーの仕事ぶりを密着取材、ご紹介いただいたのがこの動画です。ご覧いただけましたでしょうか?わたくし、拝見しました。いや、わたし自身が出てますんで、拝見もなにもないのですが、見た感想は、なんと言っても、編集してくださった方、スゲ〜〜〜!!!でした。コレ、ホントに密着取材だったのですよ。始業直後から終業まで、ほとんどず〜〜〜〜〜〜っっっっっっと、カメラさんが我々を撮影している。正直、そんなに長く撮っちゃって、あとで編集タイヘンなんじゃないの?と心配するほど、とにかくほとんど常に、我々を撮り続けておられたわけですよ。プロの技だなあと思うわけです。自分がそこに出ている。自分が何を喋ったか、その日どう行動したか、ちゃんと覚えている(先月9日のことですからな。その程度の記憶力はわたしにもあります)。なのに、この動画、見ると、純粋に面白いんですよ。なんだったら、ちょっと感動したりする。出てるひと、カッコイイ!とか思っちゃったりする(さすがに自分を見ると、カッコイイとは思わない。年とったなあと思うだけ。あと、後輩に対して偉そうだなあ、ちょっと今後の言動に気をつけようって思った)。コレはですね、ひとえに、編集された方のおかげです。だって、ず〜〜〜〜〜〜っっっっっっと撮影されてるそのほとんどは、我々、実のない会話してたりダラダラしてたり、使えないこと言っちゃったりしてるんですもん。ここだけの話、弊社の、今回の撮影に立ち会わなかった実況アナウンサーからは、「ウチのいつもの会話が反映されてない」「よそ行き過ぎるのでは?」という指摘が出ています。まあねえ、さすがにこういう趣旨で密着しますんで、って言われてるのに、普段どおりの内部の会話を遠慮なくするってことはないですよ。例えば、弊社スタッフが頻繁に出張する石川県金沢市のホテル事情なんてのを(どこそこは安いとか、部屋がどうこうだとか、そういうやつ)、この動画に出演している中に、どうしてそんなに詳しいんだ?と驚くような知識を持ったアナウンサーもいないではないですが、残念ながら(?)その手の会話は、公開されたりはしないのです(っつか、さすがに当日、その手の会話はひかえた)。動画に登場しない弊社アナウンサーの中には、自分が出演できなかったことをひどく残念がるあまり、出演したメンバーがそうした普段の会話を披露していないことを非難する者もおりますが、まあそういうヤツには言わせておくのです。とにかく、世間さまに公表できないような会話は、編集さんがうまくカットしてくれています(っつか、使えるところを極めて上手につないでいくと、あんなカッコイイ動画になるわけです)。一体、映像素材は何時間に及んだことでしょう?わたくし、ほんの数十分の子どもの動画を編集するのにもタイヘン苦労して、最初は頑張って編集した動画をジジババにプレゼントしたものの、そのあと全く続かなかった覚えがあります。ので…ホント、この度の作品を編集した方を心底尊敬します(…お仕事なんでしょう。でもスゴい)。個人的に、つい先日、編集を担当された方にお会いした際、心からのお礼を申し上げておきました。本当に、この動画が好評なのも面白いのも、出ている連中がカッコよく見えるのも、撮影・編集した方々のお力によるものです。…我々の手柄ではありません、全然。ちなみに、この動画がいかに好評かと言うと、JDD当日に大井競馬場実況席へわざわざご挨拶にみえた同業他社のアナウンサーさんからも、「面白かったです。特にメガネのくだりがとても興味深かった」とお褒めいただいたほどです。その他、何人もの方に、「動画見ましたよ」と言っていただきました。皆さん、面白かったと言ってくださいました。ありがたいことです。どうして社でコレに類するモノを作っておかなかったかな。ホント、丸ごと社のプロモーション映像みたいですよ。というわけで、まだご覧いただいていない方は、ぜひともご覧ください。そして、シリーズの次回作以降を楽しみにお待ちください。いや、次回以降は、わたしもホントに楽しみにしています。…撮影・編集の方々、頑張ってください!カッコイイ動画の話はさておき。この中間、わたくしは、富山県で高校野球県予選を、関東にもどってジャパンダートダービーを実況担当し、なかなか忙しい、充実した日々を送らせていただきました。高校野球富山県大会の模様は、今年からネットでも中継されるようになりましたので、県外の方でもご覧いただいた方があるかもしれません。(晴れてるように見えますが、ほとんどこの瞬間だけ青空が見えたのでした)(野球実況直前)お天気・空模様の不安定な中、わたしの担当した試合は予定通りおこなわれました。ありがたいことです。ジャパンダートダービーは、皆さまご存知のとおり、キャッスルトップが逃げ切って大金星。勝ち時計からしてフロック勝ちとも思えません。(JDD実況直前)騎乗した仲野光馬騎手にお祝いのDMをしたところ、「直線半ばまで、飲み込まれること前提の実況じゃなかったですか?」と、「笑」マーク付きの返信をもらってしまい、平謝りに謝ることになってしまいましたが、実力にふさわしい人気に推されないのが競馬の面白いところでして、その人気にある程度はしばられてしまうのが実況というモノなのですよ、いや、それじゃイカンけど、と自分に言い訳してみたり。個人的に、今年だけで地方馬のG1優勝レースを2つも実況担当できたことは、実に嬉しいことです。ありがたい。カッコイイ動画を見て、普段と異なる競技の実況をして、大レースの地方馬優勝を実況して、自分なりに「実況アナウンサとしての自分」「自分の実況」について考える機会を多くいただいた、この数日間ではありました。
2021年07月19日
ミツオーです。冷えていないビールを買ってきて、氷の上でグルグル回して冷やすのが、けっこう好き。さて、わたくし競馬のレース実況をなりわいとしております。競馬実況アナウンサーのイメージってどんなふうですか?わたし自身、ときどき言われることですが、「よくあんなに早口でまくし立てられますね?」という、おそらくコレは褒めているつもりなんだろうなあと思うお言葉。実はコレ、競馬実況アナウンサーが言われると、残念に思うことの一つなのです。…よね?と同業のひとに語りかけてみる。少なくともわたし自身は、早口だと思われてるんだとしたら、ダメな仕事したなあと反省します。聞くひとが早口だと感じないように、でも十分な情報を限られた時間に詰め込んでちゃんと聞き取れないとイカン。早口に聞こえないのにたくさんしゃべってる!というのが理想です。むろん、たくさんしゃべらなくても十分に状況をお伝えできる表現があるなら、そのほうがもっといいですけど。次に、上の言葉とセットで言われることが多い、「舌かみそうな馬の名前ちゃんと言えてスゴいわあ」というやつ。ええ、あの、すみません、ちゃんと言えないこともけっこうあります。ちゃんと言えなきゃダメに決まってるんですが、どうも「競馬実況アナウンサーに挑戦!」みたいな、一体誰が得するんだか判然としない使命感を持った馬主さんや命名者さんが、世の中には少なくないものと見えて、明らかに言いにくい名前をつけました!という馬が、いっぱいいるんですな。最近話題になったあの馬とか。命名者さんがあえて狙っていなくても、結果として言いにくい名前、「噛みそうな」名前になってしまった馬は枚挙に暇がありません。われわれ実況アナウンサーは、そうした「難読馬名」に負けないよう、日々練習・鍛錬に明け暮れているのです。という努力を認め、その成果を世の人々に知らしめよう!という意図なのか、それとも単純に、困る姿を見て面白がろうと思ったのか(説明では前者と聞いている)、ちょっと変わった企画が持ち上がり、わたくしその企画に乗っかって動画出演しました。ご覧いただいた方、ありがとうございました。知ってるけど見てないという方、ぜひご覧ください。見たいと思わないという方、そんなことおっしゃらずご覧いただきたく。地方競馬盛り上げ隊「ファストテイク」https://www.youtube.com/watch?v=DwW7S6Ztsikというのがそれです。地方競馬実況アナウンサーに、実在の難読馬名をもつ馬ばかりを集めた架空のレース実況をさせて、その様子を動画撮影、公開するというモノ。ルールとして、レースは台本(バーチャルとかで走らせてそれを実況するわけじゃないということ)。出走馬も台本(レース展開その他)も、全くの初見。動画撮影は一発勝負。撮り直しなし。NG的になってもそのまま放映。「ファーストテイク」のパク…じゃない、オマージュにもなってるんですな。難読馬名初見架空レース実況動画に出演したのは、三宅きみひとアナウンサー(兵庫)西田茂弘アナウンサー(元福山 ホッカイドウ、笠松)石堂響アナ…じゃない、騎手(兵庫 実況が特技)と、わたくしミツオーです。難読と言われる馬ばかり16頭のレース。しかも台本を読み上げるカタチ(多少のアドリブはオーケー)。それを初見で。苦戦しないほうがどうかしています。実際わたしも、きわめてスムーズに全く詰まることなく、とは行きませんでした。途中でアタフタした。ですが、こと「難読馬名」という面だけを見れば、おおむねきちんと言うことができました。いや、自慢じゃないんですけども(「自慢じゃない」というときには、大体において自慢的要素が入っているものなのですよ、ふふふ)。呼ぶのが難しいハズの馬名なのに、どうして(そこそこ)ちゃんと言えたのか。すみません、コレ、わたしちょっとズルかったです。いや、もちろんホントに初見でやりましたし、撮り直しもしてません。一発勝負だったのは他の出演者さんと同じ。なのですが。まず、事前に「難読馬名の候補があったら教えてくださいね」という、制作からの呼びかけを、わたくし無視しました。だって、自分が上手く言えない馬名なんか教えたくないもん。採用されたら苦戦するの目に見えてるし。おかげで、あの馬とかあの馬とかあの馬とか…、苦手な、何度練習しても上手く言えない名前の馬は、出走していませんでした。ふふふ。選から漏れたんだな。ふふふ。次に、ここに登場した馬、ほとんど知ってました。名前そのものを初めて見た!という馬は、ほんの何頭か。しかも、わたくしこの内のかなりの馬を、実際のレースで担当したことがあったのですよ。おそらく中で特に手強いんじゃないかと思われる、アンドロメダザダゾカルビアブリカルビカポデテュティカピスモモモモモモモモは、担当済み(一度、上の名前を声に出して呼んでみてくださいよ)。他にも実戦で担当した馬が何頭も。でもって、シンカタタタキキパピプペポパピーは、対戦したことのない馬でしたが有名ですし、出てくると予想して、事前に散々練習してました。練習の甲斐あって上手く言えた。ふふふ。正直ね、わたしが鋭意取り組み中だったフォルデュランを、台本中、連呼させられたら、絶対ひどいことになったと思うのですよ(なぜこの名前を今、公表しているかというと、先日、帝王賞デー最終レースにフォルデュランが出走、これまでになく上手く言えたんですよ。しかも何度でも。どうやら攻略したらしく。ふふふ)。自分が絶対上手く言えないフォルデュランは、だから制作には教えなかったわけです(他に何頭も、教えなかった馬がありますが、これは内緒)。だから、ホントに他の出演者の方々には申し訳ないんですが、わたくしだいぶんアドバンテージもらってました。それであんなもんですから、ハッキリ言って、大したことないです。わはは(笑っている場合ではないかもしれません)。と、ここまで読んでくださった方、件の動画をもう一度、いかにミツオーがズルかったかを踏まえてご覧くださると、他の出演者の方々の偉さをおわかりいただけると思います。三宅氏は、もう一度やらせてほしいとおっしゃっています。リベンジしたいんだそうです。いや、十分スゴかったと思うがなあ。っつか、物好きやな、アンタ。そして、わたくし自身は、二度目は絶対出ませんが、上に書いたように、他にも難読馬名を隠しているという自負がありますので…次があるなら台本作成者として使っていただきたいと心底思っているのでした。実際この企画に出た「プロの競馬実況アナウンサー」として、ホント、ストレートに、他の同業者の皆さんが傍観者でいるのがガマンできん(いや、先輩諸氏もあるので、あんま強硬なこと言えませんが)。日本に生息する競馬実況アナウンサー全員が、等しくこういう目に合ってくれるのが、わたしの願いです。いや、この企画、けっこうプレッシャーだったんですよ。終わってみたら面白かったですけどね。てなわけで、繰り返しになりますが、ぜひ「難読馬名架空実況に苦戦する喋り手動画」をご覧ください。そして、「面白いから二度目をやれ」とリアクションしていただきたく。
2021年07月05日
ミツオーです。プチ禁酒中です。さて、先週火曜日(6月15日)、金沢競馬上半期の総決算・百万石賞がおこなわれました。金沢競馬の古馬重賞戦線で「四大重賞」は、何度もご紹介してきたとおり、百万石賞白山大賞典北國王冠中日杯で、冬季休催期間があり春は3月後半から始まる金沢競馬では、夏前の上半期が短いこともあり、4つのうち百万石賞だけが前半(6月)に、残る3重賞は下半期・秋以降におこなわれます。が、それは例年の話。今年の金沢はJBCイヤー。JBCに備えて、年間の重賞実施日程や条件に、手が加えられています。というわけで、今年の四大重賞は、百万石賞(6月15日)北國王冠(7月25日)白山大賞典(9月22日)と、ここまでがJBC前におこなわれ、年末の総決算・中日杯が12月12日となっています。今年の百万石賞は、金沢の女帝・ハクサンアマゾネスにライバルたちが挑むという図式。昨年、3歳4月にデビューして以来、連戦連勝で石川ダービーを制覇したあとも、冬季は南関東へ短期移籍して走るなど、休みらしい休みを入れることなく走り続けてきたハクサンアマゾネスは、「去年からずっと走り続けてきてね、…さすがに疲れがきてる」と主戦の吉原寛人騎手がその状態を気遣う状態。管理する加藤和義調教師も、「(状態が)上がってこない。戻らない」などと弱気な発言。はたして女帝が本来のパフォーマンスを見せられるのかどうか、心配されました。結果は、逃げたファストフラッシュをピッタリ2番手でマークしたハクサンアマゾネスが、4角から直線に向くや先頭、食い下がるファストフラッシュを振り切って優勝。3着以下は7馬身離れました。4歳馬による百万石賞制覇は2010年ジャングルスマイル以来。牝馬の優勝は、2003年トゥインチアズ以来の快挙でした。吉原騎手は、ハクサンアマゾネスについて、「レース毎に全力で走ってしまう馬で、レース終わって上がってくると、脚が震えていることがある。徽軫賞を、本来ならラクに勝って追い切りがわりのようにするハズが、思いの外相手が強くて負けてしまった、それがそのあとの利家盃にも響いて、さらに今回にも影響してる」と語り、その性質からも連戦の疲れが蓄積していることを懸念していたのですが、結果的にはその不安を払拭してみせた馬の走りでした。以前、他の実績馬の重賞勝利について吉原騎手と話した際に、「この馬の強さは見せたけど、本来のという意味で、力は見せてない、という表現でいい?」と尋ね、「まさにそのとおり」と言われたことを思い出し、今回も、もし勝てるとしたらそういう状況?と聞いてみると、「そうですね…。とにかく状態は決してよくないので、馬にかわいそうなことにならないように。あんまり強気な乗り方はできないでしょうね。慎重に乗ってくることになる」とにかくレース前は終始厳しい表情をくずすことのなかった吉原騎手でした。無事優勝し、勝利騎手インタビューに臨んだ吉原騎手は、気のせいか、目元を少しうるませた様子で、インタビュー中にも言葉をふるわせるシーンがありました。吉原寛人騎手 百万石賞優勝インタビュー「ホッとしました…はい。ホントに…ありがとう。いやあ、ホントにね、苦しい日程でなかなか状態も上がってこなくてね、ボクもちょっと弱音を吐く感じでレースに挑んじゃったんでね、こんだけ頑張ってくれたアマゾネスにちょっと失礼感じになっちゃったんですけど。ホントに結果出せてよかったです。他の有力馬たちも万全の仕上げでね、挑んできてるのがわかるくらいの迫力のある馬たちがいっぱいいたのでね、ちょっとホントに不安になりましたけど、最後はアマゾネスの地力に頼って祈るような気持ちで追ってました。レース前のプランとしては、ファストフラッシュだけを目標にというボクのイメージだったんですが、ホントにスムーズにピッタリマークできたので他の馬に負けるなら仕方ないくらいの気持ちで乗ってましたけど、その判断が正しかったようで、後ろを離していたのでね、しっかり倒せてよかったと思います。馬の呼吸と相手の馬のリズムと、タイミングはしっかりとはかりながらでしたけど、最後また盛り返してきてたので、ホントに苦しかったです。逃げ馬よりね、外一頭ぶん長く走ってますから、すごい脚で差してくれたと思います。ついに、百万石賞獲りました!ここまでくるのにホントに大変な日程で、馬に大変な思いをさせたんですけど、しっかり結果を出してファンの皆さまの声援にこたえることができたので、これからもぜひ応援よろしくお願いします」逃げたファストフラッシュをピッタリ二番手でマークできたことについて、加藤師は、「逃げ馬との間に何かに入られるのがイヤだったから、スタートからアクセル踏んで行ったんだよ」と話し、吉原騎手は、「3〜4角で、いつものアマゾネスだったらもっと馬なりで並んで抜いていけるんだけど、ファストフラッシュもいつも以上に手応えよく逃げてたから、こっちもグイグイ追っていかないと並んでいけなかった」ライバルの好走にも言及しつつ、苦戦をものにした喜びを語りました。(逃げて2着のファストフラッシュ。距離面で不安をささやかれましたが、見事な走りでした)この春、新星のごとく現れた同じ4歳牝馬・ネオアマゾネスにこそ遅れをとったものの、他のレースでは牡馬相手にも完勝を続けたハクサンアマゾネス。金沢の女帝、その走りに陰りなし。強さは見せた。今度は本来の力を、より強い相手に見せてほしい。そう思わせた、百万石賞でのハクサンアマゾネスのパフォーマンスでした。(徽軫賞時のハクサンアマゾネス)(今回の百万石賞のハクサンアマゾネス)なお、今シーズン初め、吉原騎手はハクサンアマゾネスについて、「JBCレディスクラシックに出たいのでね…夏の読売レディス杯がちょうど1500メートルですから、そこでいい走りを見せて秋に向かいたい」と話していましたが、はたしてこのあとのローテーションはどうなるでしょうか?まずはゆっくりと、たまった疲れを癒やして、次は元気いっぱいな姿を見せてほしいと思います。
2021年06月21日
ミツオーです。4カード目にしてとうとう負け越してしまった(プロ野球交流戦の中日の話)。さて、昨日、子ども(小学5年生)の野球の試合を観に行きまして、お手伝いとしてスコアラーをつとめました。皆さんは、野球のスコアというモノを見たことがありますか?そこである競技がおこなわれている。その試合の様子を、あとから振り返ることができるように記録する。その記録方法はイロイロですが、例えば野球の場合は、こんなふう。チーム名や個人名を消してありますが、とある公式戦のスコア本物です。スコアラーも、わたしのようなナンチャッテではなく、本物です。読み方をご存知の方は、コレでけっこうこの試合がどんなふうに進み、途中何が起きて最終的にどうなったかというのが、だいたいわかります。この試合の場合ですと、試合序盤はけっこうな投手戦だったものが、突如片方の打線が火を吹き、守備側の乱れもあって大量得点、一気に試合が決まってしまったのだなあ、と、読むひとが読めばわかるわけです。野球のスコアブックというのは、かなり事細かに記録されているものだと、自分で書きながら、またこういうモノを見直してみて、感心します。ちなみに、わたしは知りませんでしたが調べてみると、サッカーやバスケットボールにもこの手のスコア(記録)というものは存在します。サッカーのスコア(例)。わりとビジュアルに訴える感じでしょうか。バスケットボールのスコア(例)。解説もついているモノをお借りしましたので、カンのいい方ならコレだけでスコアをつけられるようになるかも。そうして、競馬はというと。競馬のスコア、という言い方はおかしいですが、競技としての競馬を記録しているモノとしては、こうした成績標示は皆さんおなじみではないかと思います。レースに何が出走し、誰が騎乗し、道中どういう順で走って最終的に着順はどうだった、ということがわかります。タイムや着差もわかります。もちろん競馬というモノの性質上、ここに各賭式の投票数がくっついてきますし、払戻金もついてきて、ようやく競馬のレースの記録ということになるわけですが、馬券的なことを考慮せず、レース単体をどう記録しているかというと、この画像のように記録しているわけです。ところでこの競馬のレース記録、記録として見てみて、どうでしょうか?スタートからゴールまで、何が起きたかどんなレースだったか、十全にわかる記録になっているでしょうか?なかなかそうとも言えないと思いませんか?このレースを実際に見たことがあり、かつ覚えている方には、コレで十分かもしれません。また、忘れてしまっていても、コレを見ることで思い出すきっかけになるかもしれません。が、このレースを見たことのないひとにとっては、どうでしょうか?ふ〜ん、そういうレースだったのか!と十分に納得できるでしょうか?競馬よりずっと細かく、一球ごとに記入されている野球のスコア(記録)を見ても、同じことが言えます。この試合、こんなふうだったんだな、と思えるのは、やはり試合をちゃんと見たひとだけ。試合を覚えているひとにとっては、そうそうそう!このときこうなったんだよな!というのがわかる。忘れてしまっていても、記録を見ることで、おお!そうだった!この打球は確かさ…という具合に思い出せる。けどそうでないひとにとっては、例えば上の試合の一回の裏、外野フライ3本で三者凡退なのですが、その外野フライがどんな当たりだったかはわからない。ライナーでなくフライとしてあるからには、ものすごく鋭い当たりではなかったかもしれないが、ホームラン性の当たりを外野手がもぎ取ったのか、平凡な定位置へのフライだったのかまでは、読み取れない。つまり、それなりに精密に、あるいは競技によっては比較的アッサリと、後々に残すためにつけられた記録やスコアというモノは、試合やレースそのものがどんなものだったかを、十分には伝えてくれない。それが当たり前なんですよ。上の野球の試合だと、途中まで投手戦だったように記録されてるけど、けっこう初回から先攻チームの投手はフラフラしてていい当たり連発だったのを、野手が好プレイ連発でしのいでいたのかもしれないのです。でもそこまでは読み取れない。上にあげた競馬のレース。2018年の石川ダービーです。この記録だけ見ると、8番サノノツルギが逃げて、人気のノブイチは後方から、勝ったアルファーティハは真ん中より後ろにいたのが早めに動いて正面スタンド前で先頭にかわり、そのまま半分逃げ切りみたいなカタチになったのだな、という具合に読むわけです。が、どうしてどうして。このレースはそんなカンタンな話じゃありませんでした。実はこの2018年の金沢競馬場の馬場は非常に特殊でして、内ラチ沿いだけが高速馬場、内から2頭目3頭目は論外なくらい重たい。もっと外もかなり深くて厳しい。どうしても誰でも、どうにかして内ラチ沿いを走りたい、内ラチ沿いを逃げられたらその時点でほぼ勝ち決定!みたいな状況だったのです。その状況で2番枠を引いた実績馬ノブイチ、もうコレはこの馬が逃げて、あとの馬はノブイチが逃げる内ラチ沿いをくっついてくるしかない、外から抜こうにも体力を消耗するだけだろう、というのでノブイチ断然人気。それがゲートを出てみると、ノブイチが行けない。鞍上に岡部誠騎手を配したサノノツルギが絶好の逃げとなり、他の各馬もみ〜んな内ラチ沿い、逃げ馬について走るようなカタチになった、ペースが落ちた…ところで、外枠からどうにも内に入れられずにいたアルファーティハが一気の仕掛けで各馬を抜き去っていきなり先頭の内ラチ沿いを奪うという豪快な「奇襲」に出て、それが見事に成功した。「すごいな〜!そこで勝負に出るか〜!」という感想を、直に見たひとは皆さん抱いた、そういうレースでした。というのが、このレースをごく乱暴にまとめたものになります。が、これだけの情報も、上の記録だけでは伝わらないですね?記録を残す。そのレースが、試合が、どのような順で展開したのか、何が起きたのかを記号や数字で書き留める。後で見て思い出せるように。見なかったひとにも様子が知れるように。客観の作業だと言えます。しかし、それだけでは足りない。では、何がそれを補うか、というと。記事、なんでしょうね。観戦した誰かが、その試合を、そのレースを描写する。文章で表現する。それがあって初めて、試合やレースを生きたものとして振り返ることができるようになるのです。ところがですね。数多くの試合やレースを全部が全部、観戦記事として残すのは大変です。ほとんど無理と言っていい。観戦記事を書くのって、ものすごくエネルギーが必要なのですよ。それに。正直、観戦記事というのは書き手のスキルによって大きくクオリティが変わってきます。主観の作業だからです。上の2018年石川ダービーを乱暴にまとめた観戦記事(というか、思い出し記事)などは、極めて質の低いモノです。もっと格調高く、いや、格調も文学性もなくてもいいけれども、もっと事の本質を鋭く観察し、正しく描写できる記者=記事を書くひとがいるでしょう。が、それは記者の主観をもとにした記述になるのです。その記事が格調高ければ高いほど、面白ければ面白いほど、読者が真実と思い込むということはあるでしょうけども、それは記者の主観であって客観的事実を述べていないかもしれない。記事とは記録ほどの客観性を期待してはならないものだということを、読者は心得ておくべきかもしれません。そして記事を書く立場にあるひとは(…わたしもその端くれにあるのですが)、そのことを自覚しなくてはならないのだと思います。てなことを、子どもの野球(…大敗でした)を見ながら、スコアラーをつとめながら考えておりました。いや、あんまり一方的な展開になったもんだから、ちょっと現実逃避したんですな。ホント、勝負事ってのは勝てないと気持ちが萎えるもので。
2021年06月07日
ミツオーです。首筋日焼けしました。さて、あらかじめ申し上げておきますと、わたくしは笠松競馬を応援する立場です。いろいろ書きますが、そしていくらか恨みがましい言い方はするかもしれませんが、笠松の再開を待つ気持ちがあってこそだとお許しください。今日は5月24日。予定では、わたくし今週水曜日から3日間、笠松競馬の実況を担当するハズでした。が、笠松競馬場は現在、開催自粛中。レースはおこなわれません。このように、「笠松担当のハズだったんだけど…予定変更になっちゃった」というのも何度目になることか。笠松競馬で起きた事象を振り返ってみます。事の起こりは…と言うより、ことが明るみに出たのは昨年6月。19日まで開催されていた笠松競馬、開催最終日翌日の20日、現役調教師・騎手が警察の家宅捜索を受け、一部でいち早く、現役騎手らが捜査対象になっているという非公式な情報が流れました。・2020年 6月20日 警察による家宅捜索このとき、笠松競馬は馬場改修のため、次の開催が8月10日からと、2ヶ月ちかく開催間隔があくというタイミングでした。このためか、前々から競馬法違反を疑っていた主催者が被害届を出したとか内部告発をしたとか、そうした噂も同時に流れました。わたしが聞いた話によると、このときの警察による捜査について、岐阜県地方競馬組合(=主催者)も寝耳に水で情報をあわてて収集したということでしたから、主催者からの被害届云々は単なる憶測だったようです。昨年6月に捜査対象となった調教師・騎手合計4名は、免許を更新せず引退。免許を更新しなかったのか、できなかったのか、そこは不明です。とにかく、8月10日に初日を迎えた次の開催時には、すでに引退扱いとなっていました。・2020年 8月1日 捜査対象となった4名免許更新せず引退自分が騎乗するレースの馬券を買っていたという競馬法違反事例が判明したことを受け、主催者は当時捜査対象となっていなかった全関係者から、同様の違反をしていないか・目にしたり聞いたりしたことはないか、聞き取り調査を秋までに実施。聞き取りに応じた全員が、関与を否定したとのこと。…身も蓋もない言い方をすれば、そりゃ「やってない!」って言うでしょうな。証拠つきつけられてるわけじゃなし。・2020年 〜秋 組合による聞き取り調査 全員関与否定この間、笠松競馬は予定通り開催してきました。コロナ禍で無観客だったり入場制限がかかったりしましたが、不祥事による開催変更に至ることはなかった。年明け、1月19日、笠松競馬厩舎関係者が名古屋国税局から所得税申告漏れを指摘された旨の報道があり、この報道を受け、急遽この日からの笠松競馬開催が取りやめ(自粛)となりました。・2021年 1月19日 不祥事報道を受けて開催自粛(以後開催自粛が続く)笠松競馬の今回の不祥事について、騎手や調教師が馬券を買っていた、しかも自分が騎乗するレースの馬券を買っていたという件を、許せないとお思いの方は大勢あると思います。わたし自身もそれは同じです。以前この日替わりライターブログで、廃止直前の栃木県競馬騎手が家計を維持するためにアルバイトをしていた、という話をご紹介しました。そして、栃木よりさらに厳しい賞金・手当事情になっていた笠松競馬について、栃木の元騎手の、「それは無理だよ、絶対そこの騎手はアルバイトしてる」という言葉もご紹介しました。公表された調査・捜査結果が事実ならば、笠松競馬の当該の騎手や調教師は、とんだアルバイトをしていたことになります。何やってるんだよ。生活が厳しいのならホテルの清掃でも寿司チェーン店員でもアルバイトをすればいい。実際、それをやってた騎手が存在するんだよ。命をかけた騎手という職業に見合う報酬が得られないというのなら、その旨を声を大にして訴えるなり交渉なりすればよかった。どうしてそんなことになってしまったんだか、残念としか言いようがありません。ですが、わたしが残念に思うのはそれだけではありません。笠松競馬が「報道を受けて」開催自粛に踏み切ったという点も、非常に残念。報道を見ていきなり自粛するというのは短絡的に過ぎやしませんか?事実関係を自ら確認したというのならともかく、「新聞に書かれた!自粛する!」という反応は、軽率と言って悪ければ、脊髄反射的。そして何より、組合自らその不祥事を摘発することができなかったことが極めて残念。昨夏の不祥事発覚を受けて実施した「聞き取り調査」とやらがまるで機能していなかったということですよ。どういうやり方したのか知りませんが、外部から指摘されるまで、「もう違法行為をした者はいない」と信じ込んでいたわけでしょう?お粗末ですよ。自分の力で徹底調査はできなかったのでしょうか?このあと、不適切事案検討委員会(いわゆる第三者委員会)による調査がおこなわれました。これは短期間で終わるものではなく、中間報告のようなものの一切出ないまま、・2021年 1月21日 2月1〜5日の開催自粛決定・2021年 2月2日 2月15〜19日の開催自粛決定・2021年 2月16日 3月1〜5日の開催自粛決定・2021年 2月26日 3月16〜19日の開催自粛決定・2021年 3月12日 4月いっぱい開催自粛決定という具合に、逐次的に、小出しに、「次の開催おこないません」と公式に発表される、という状況が続きました(そしてそれは今でも続いています)。年度があらたまり、ようやく待ちに待った報告書が出ました。・2021年 4月1日 笠松競馬不適切事案検討委員会報告書公開内容はかなり衝撃的…でした。いろんな意味で。次いで、報告書を受けて関係者の処分発表されました。これまた衝撃的でした。・2021年 4月21日 不適切事案処分発表(会見)報告書も処分内容も、皆さまご覧になったことと思います。4月1日以降、競馬法第1章第1条の2に明記されている、総務大臣による「競馬を行うことができる市町村」の指定がはずれた状態となり、現在、笠松競馬は開催する資格を有していません。あらためて指定してもらえるよう働きかけているのだろうと思うのですが、年度替わり以降も小出しに「次開催は自粛します」という発表がなされ、1月から現段階までに取りやめとなった開催は、41日。これは今日現在「6月11日まで自粛」と、主催者から発表されたものの合計です。が、先日おこなわれた岐阜県知事の会見では、「スムーズにいったシナリオで、再開は7月からということになるだろう」との見解がしめされており、6月末の今年度第4回開催4日間もこれにプラスされるだろうと思われます。ということは、45日間。笠松競馬の予定年間開催日数は、95日間です。すでに半分、開催できなかったことになります。昨年夏以降、笠松競馬の件が報道されるたび、話題に上がるごとに、「こんな競馬場は廃止すべき」「たとえ再開してもここの馬券は買わない」というご意見を目にします。わたしは笠松競馬に立ち直ってほしい、健全なかたちで再開してほしいと願っている者ですから、こうしたご意見を見るのは本当に辛いのです。見なければいいのでしょうが、ついつい「みんなのコメント」欄を見てしまうのですよ。そして、予想はしていても、「廃止」「買わない」と主張するひとがあると、胸が痛み、胃が痛む。ですが、「こんな競馬場の馬券は買わない」と主張するひとの気持ちは、よくわかります。笠松競馬関係者(厩舎関係者ではない)の中にも、「自分ならこの競馬場の馬券は買わないからな…。再開してもかなり厳しいだろう」と言うひともあるんです。自分なら…と考えてみれば、確かにそうかもしれない。他にも競馬場はたくさんあるし、なにも「競馬関与禁止4名 関与停止8名」などという競馬場を選んで買わなくてもいいような気がします。しかし、わたしは笠松競馬を応援したい。それはわたしが笠松競馬にたずさわっている者の一人だからですし、廃止になった競馬場にいた人間として、もう競馬場の廃止を見たくないと願っている者だからでもあります。廃止になるにしたって、こんなことでなくなるのは酷すぎる。笠松競馬の開催再開がいつになるのか、まだわかりません。知事の見解を頼りにすれば、夏のうちには、それが7月なのか8月なのかわかりませんが、再開の運びとなるのかもしれません。笠松競馬が再出発したとして。そのときには、全国の競馬ファンの皆さんには、笠松競馬を厳しい目で見ていただきたいのです。その上で、「これなら応援してやってもよい」と思えるようになったら。ぜひ笠松競馬の馬券を買っていただきたいのです。買ってください、と、頭を下げるしかできません。お願いします、と頭を下げたいと思います。無条件で買ってくださいとは言いません。繰り返しますが、まずは厳しく見てください。どうか、見るのもイヤ、とおっしゃらずに。監視してやる!くらいの気持ちで、ぜひご覧いただきたいのです。そうして、許せるようになったら、買ってください。先だって、今年のヤングジョッキーズシリーズ出場騎手と参戦ステージが発表されました。その一覧表には、笠松競馬所属騎手の名前はありませんでした。トライアルラウンドの開催場としても笠松の名前はありませんでした。悲しいことに、事情の説明もありませんでした。笠松競馬所属騎手は、現役として残った騎手も9人が戒告の処分を受けました。が、ルーキーの長江慶悟騎手は処分対象となっていません。デビューしたてで、不祥事・不正に気づく暇もなかったということなのでしょう。長江騎手とそのご家族はどんな思いなんでしょうか。長江騎手は潔白な関係者として、最も大きな被害を受けている一人でしょう。他にもたくさんの笠松競馬にたずさわってきた人々が、苦しい日々を過ごしています。彼らの苦しみに終止符を打つには、笠松競馬が再開し、ファンの皆さまに許され、認められる日が訪れるしかないのです。一日も早く、笠松競馬が再開し、健全な競馬場として再生したところを多くの皆さんに認められ、関係者が胸を張って「笠松競馬で仕事をしています」と言える日が来ますように。それが、現在のわたしの願いです。
2021年05月24日
ミツオーです。大量にクリーニング店へ持っていかなくては。さて、ゴールデンウィーク、皆さまいかがお過ごしでしたでしょうか?いろいろ難しいことが多く、お家で全国の競馬観戦に終始した、という方もあったのでは?わたくしはこのゴールデンウィークは、5日まで金沢競馬実況担当でした。今年の金沢ゴールデンウィーク開催は、2日(日曜日)〜5日(水曜日)まで休日ばかり4日間連続開催でおこなわれました。牝馬重賞が2つ実施され、2日の3歳金沢デビュー馬限定・ノトキリシマ賞はサブノタマヒメが圧倒的な支持にこたえて圧勝、4日の4歳以上・徽軫賞は人気2頭の一騎打ちの末、ネオアマゾネスが、それぞれ勝利をおさめました。手綱をとったのは、いずれも栗原大河騎手。(第3回徽軫賞ゴール 今回レース写真はクシマデザインさまにご提供いただきました)(「3日間で2つ重賞を勝つなんて、想像もしてませんでしたよ」という栗原大河騎手)このゴールデンウィーク開催は、栗原騎手がひときわ鮮やかな活躍を見せた金沢競馬でした。2週前、この日替わりライターブログで、金沢競馬で近々「アマゾネス対決」が見られるかも?という話をご紹介しました。https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/202104260000/『アマゾネス1強!からダブルアマゾネスへ?』金沢で無敵と言っていいほどの強さを見せてきたハクサンアマゾネスに、この春、高知からの移籍緒戦を圧勝し注目を集めるネオアマゾネスが挑戦状を叩きつけた格好で…というようなことを書きました。その「アマゾネス対決」が、4日の徽軫賞で実現したのです。人気は、1番人気がハクサンアマゾネス、2番人気にネオアマゾネス。3番人気以降はかなり離れ、皆さん「ダブルアマゾネス」の対決への期待が大きかったようです。(パドックのハクサンアマゾネス)(同じくネオアマゾネス)レースは、前走も「逃げてこその馬だと思うので」と先手を主張して逃げ切った(とはいえ圧勝でしたが)ネオアマゾネスが、この日も好ダッシュを見せてハナ。ハクサンアマゾネスは中団やや後ろから徐々にポジションを上げ、向こう正面では好位。ここから前を追い上げるレース運びとなりました。残り600メートルを切ったあたりからハクサンアマゾネスが一気に先頭にせまり、直線では3番手以下を大きく突き放し、逃げるネオアマゾネス・追ってくるハクサンアマゾネスの一騎打ちムード。外へ切り替えたハクサンアマゾネスが一旦はネオアマゾネスに迫るか?というシーンもありましたが、逃げ足鈍らずゴール前でまた突き放すスタミナもあったネオアマゾネスが、ハクサンアマゾネスに3馬身差をつけ、自身初めての重賞を制覇しました。(第3回徽軫賞直線 ネオアマゾネスがハクサンアマゾネスをゴール前でまた突き放す)第3回徽軫賞 優勝ネオアマゾネス 栗原大河騎手「(ネオアマゾネス、強かった)そうですね、ホントに素晴らしい走りを見せてくれました。(期待通りでしたか?)ハクサンアマゾネスにどれだけ立ち向かえるのか、ちょっと疑問だったんですけど、これでハクサンアマゾネスを負かしたので、スゴい自信になります。(JBCイヤー金沢に新星。意識しますね?)そうですね、ホントに…そうですね、はい。そうですね、はい。(逃げるのは決めていた?)そうですね。それ一択しかありませんでした。(ハクサンアマゾネスは中団後ろ。道中わかってましたか?)詳しい位置はわかってなかったんですけど、来たら動こうというふうには考えていました。(ハクサンアマゾネスが追ってきた)そうですね、最後まで頑張ってくれという気持ちで追っていました。ホントによく頑張ってくれたと思います。(ネオアマゾネスのいいところ)走っているときの重心がスゴい低くて、走る姿勢もスゴいかっこよくて、ホントに走る馬だなって乗っててわかります。JBC出場目指して、大切に大切に乗って行きますので、応援よろしくお願いします」(ネオアマゾネス オーナーさんと関係者の皆さんの大きな歓声にこたえて重賞制覇)2着ハクサンアマゾネス 吉原寛人騎手「(直線外に出した)脚使ったときに内に、こう、入りきりたかったんやけど、そこは行けなかった。そこの一瞬に勝負賭けたかったんやけど、結局入りきれんかったから。(スタート)出れば行きたいと思ってたんだけど、そんなにアテにできる馬じゃないんで、出なかったらゆっくり構えて行こうと思っていて、ああいう競馬もしたかったんで。想定の範囲ですね。結果的に(相手)強かったというのと、ああいう競馬できたのが何よりよかったかなと。ちょっとこのあと距離が長くなるんで、折り合いもついたし、今後にはつながるかなと思います。今回ちょっとね、しっかりと作らなかったんで。これから連戦になってくるので。ホントはアレいなかったらラクに勝ってたんだけど、追いきり代わりって感じで使いたかったんだけど、逆に今回、あの馬に負けたくないって言ってビッチリ作っちゃうと、今後にどんどん影響いっちゃうんで、まあまあ自然体のカタチで流れで行こうってことで。あんまり馬はピリッとしなかったです、正直。それでもナントカなるかなと思ったんですけど、ちょっと想像以上に一枚上だったなというところです。向こうはメイチの仕上げで叩き2戦目でちょうどいい感じでしたけど、こっちは冬の連戦の疲れもあって攻められなかったんで、そういうこともあったんで、負けはしましたけど、どこかでまたリベンジしたいなと、いい勝負できたなと思ってます。いいと思いますよ。(役者もそろってきて)そうそうそう。ダブルアマゾネスで。負けて悔しいですけど、悲観はしてないです」栗原騎手は、ネオアマゾネスについて、「今回は調教でも乗ってるほうがしんどいくらいの行きっぷりで、追切もスゴくよかった。レースに行くと、かかってしまうところが全くなくて、スッとハミ抜けて、直線またハミ噛んでくれて気持ちよさそうに走るんです。操縦性がよくて、スピードだけでなくスタミナも兼ね備えてる馬だと思いますよ」とベタ褒め。もう少し距離が伸びても強い走りができるだろうと話していました。陣営としては、距離900メートルの日本海スプリントに行くかも?というプランも持っているようです。しかし、ネオアマゾネスの持ち味を活かすにはワンターンより1周競馬のほうがいいようにも思いますが、どうでしょうか。とにかく、「ダブルアマゾネス」「アマゾネス対決」として注目を集めた、女帝ハクサンアマゾネスVS新星ネオアマゾネスの第1ラウンドは、新星に軍配が上がりました。これで、金沢競馬の勢力図は大きな見直しが必要となったわけですが、吉原騎手の言葉にもあったように、馬のデキや臨戦過程と今後を勘案すれば、ハクサンアマゾネスが王座を追われることになったとまでは言い切れません。一方、女帝ハクサンアマゾネスに土をつけた新星ネオアマゾネスが、金沢競馬トップクラスの力量を有することを証明し、金沢ファン・関係者の期待を大いに集める存在となったことは間違いない。女帝ハクサンアマゾネスが新星に敗れた第3回徽軫賞は、金沢競馬的には一つの「事件」でした。それもかなりいい意味で。両者の力が十分に発揮できる舞台であらためて対決し、その時はたしてどのような内容・結果となるか。「ダブルアマゾネス」の次なる対戦が楽しみでなりません。金沢競馬に新しく「ダブルアマゾネス時代」が到来したのかどうか。これからもぜひご注目ください。(前回使った写真と同じようですが、今回は白山がくっきり見えています。パトロールタワー右奥に見える真っ白な山です)
2021年05月10日
ミツオーです。今年も大型連休が大型連休らしくないってことになるわけですか?さて、今年のJBCは金沢競馬場と門別競馬場でおこなわれます。昨年に続いての2場開催となるJBC2021は11月3日(祝・水)、金沢競馬場にて、JBCレディスクラシックJBCスプリントJBCクラシック門別競馬場にて、JBC2歳優駿が、それぞれ実施されます。金沢競馬場にとっては、2013年(平成25年)以来8年ぶりとなるJBC開催です。(金沢競馬場 正門入ってすぐ)(美しい山々の姿も)全国各地の競馬場で実施されてきた(そしてこれからも実施されていく)JBC競走。せっかくダート競馬の祭典を開催するのですから、地元の馬にもがんばってもらいたい。できることなら地元の馬が勝ってほしい、というのは、各主催・各地の関係者の願いでしょう。いや、ここに地元ファンのみなさんも加えたっていい。地元の馬に好走してほしい。そう思うのが人情ってもんです。が、ことはG1(Jpn I)ですからな。そうカンタンじゃない。だいたい、過去20回におよぶJBCの歴史上、地方所属馬の優勝は、フジノウェーブ(07年スプリント)ブルドッグボス(19年スプリント)サブノジュニア(20年スプリント)ララベル(17年レディスクラシック)ラッキードリーム(20年2歳優駿)以上5頭、G1に限れば4頭だけ。非常に高いハードルであり分厚い壁であるJBC、そうやすやすと「地元馬の優勝を…」とは言えないモノであるのは承知しています。交流重賞で勝ち負けできそうな実力馬が所属し、無事に秋をむかえ、当のJBCに挑戦してくれなくては、「地元馬がんばれ」も何もないわけです。昨年の大井、一昨年の浦和では、見事その期待に応える馬が出ました。では今年の金沢ではどうでしょうか?正直、金沢の場合、ダートグレードで好戦するには、地元重賞で圧倒的な強さを見せていることが条件です。それがG1となれば余計にそうでしょう。そういう馬が今の金沢にいるかというと…。現段階で大きな期待を集めているのはこの馬。(ハクサンアマゾネスの写真はクシマデザインさまにご提供いただきました)ハクサンアマゾネス 牝4歳昨春、3歳でデビューし無敗のまま4戦目にして石川ダービー制覇。冬のあいだ南関東に短期移籍し、浦和のA2下2着、エンプレス杯7着のあと金沢にもどり、前走1400メートルの重賞を圧勝、重賞6勝目をあげています。自身、2000メートル以上の重賞も制していますが、陣営によると距離適性は「マイルくらいまででは?」とのことで、浦和の2000メートル戦で勝ち負けできたのは、能力の高さあってこそではないかと。南関東では長い距離のレースを使われましたが(その前に金沢で暮れの大一番・中日杯=距離2000メートルを勝っている。石川ダービーだって2000メートルですよ)、今後、強い相手と戦うには、やや距離を短くとっていくことになりそうです。そのハクサンアマゾネスについて、主戦の吉原寛人騎手のコメントがこちら。「南関東で2000メートル以上のレースを2回使ってきたので、あえて1400メートルのレースを使いました。JBCレディスクラシックが1500メートルということを意識しました。せっかく地元金沢でおこなわれることですし、なんとか地元代表としていい形で出られるようにという思いはあります。今回、1400メートル戦を使ってみるまではどんなものかと思っていましたが、走ってみたら思った以上にいい走りを見せてくれたので、読売レディス杯を勝って、いい形でJBCに臨めればいいなと思います」金沢にもどって緒戦となった「JBCイヤー記念」を好時計で圧勝したハクサンアマゾネス。吉原騎手のコメントにあった「読売レディス杯」は、8月10日、距離1500メートルでおこなわれます。…となると、その前にもちろんいくつかレースを使うことになるでしょう。(JBCイヤー記念では後続を寄せつけず、好時計で圧勝)現在のところ、最も早くハクサンアマゾネスが登場する可能性が高いのが、5月4日におこなわれる重賞「徽軫賞」(ことじしょう=4歳上牝馬 1500メートル)です。ここでも圧勝劇が見られるのかどうか、ぜひ注目を…というところなのですが、先日、このハクサンアマゾネス陣営が少なからず意識する馬が、金沢への移籍緒戦で派手なパフォーマンスを見せました。ネオアマゾネス。(ネオアマゾネスの写真はMakiさまにご提供いただきました)こちらも4歳牝馬。JRA3戦未勝利で高知に移籍し、下級条件ですが6勝をあげました。3連勝中の身で金沢へ移籍したため、戦績だけで目をひいた馬ではあったのですが、移籍緒戦を見てさらに注目が集まりました。4月18日のA級2組、1400メートル戦。押して先手を主張したネオアマゾネスは、後続に2秒2差をつけて圧勝。2着のサクラエンパイアも金沢ではオープン級の活躍馬でしたから、この大差勝ちは衝撃的でした。時計こそ、4月11日にハクサンアマゾネスの出した1分27秒0に対して1分28秒1ですが、砂を補充するなどの馬場差があったことなどを考慮すれば、1秒以上の実力差があるとは決めつけないほうがよさそうです。少なくとも、JBCイヤー記念2着のファストフラッシュの時計とは0秒3差。ファストフラッシュは昨日(4月25日)の重賞を勝っていますから、ネオアマゾネスは金沢重賞クラスの実力を持っていると言っていいでしょう。問題は、ネオアマゾネスがハクサンアマゾネスと互角またはそれ以上の力を有するのかどうか、ということなのですが…。当然のことながら、ネオアマゾネスとハクサンアマゾネスの直接対決が見られれば、それに越したことはないわけです。…どうでもよろしいが、ハクサンアマゾネスとネオアマゾネスと何度も書いていると、あるいは言っていると、ワケわからなくなる。アマゾネスが2頭。金沢代表馬は奇しくも2頭とも…と言うためには、ネオアマゾネスがハクサンアマゾネスと並んで活躍することが条件になるわけですが。というわけで、ネオアマゾネス陣営のコメントもご紹介します。管理する菅原欣也調教師「高知には牝馬のいいレースがないというので、金沢に来たんだよ。連勝してると言っても高知のC級でのものだったから、はたしてどのくらい金沢のA級で走れるかと思って見てたけど、強かったな。金沢にはハクサンアマゾネスがいるからなあ。同じアマゾネスで2頭で金沢を盛り上げられればいいけど、アレは相当強いから。でも向こう(ハクサンアマゾネス陣営)もこっちのレースを見て、すごいのが来たって言ってたらしいよ。レースを使ってからも馬は変わりなく元気。このあとは5月4日の徽軫賞(ことじしょう)で重賞に挑戦する予定です」騎乗した栗原大河騎手「牝馬重賞をねらいに連れてきてもらったということで、ホントに楽しみな馬ですね。ボクは高知のレベルが高いの知ってますし、レースを見る限りいい走りしてましたから、サクラエンパイアが強いのはわかってたのでアレとの兼ね合いだなと思っていました。(実際走ってみて)めちゃくちゃ強かったですね〜。追い切りも、コレ大丈夫だなって思ったんですけど、あらためてスゴいなと。たぶん逃げてこその馬なので。一応、番手でも勝ってはいるんですけど、無理くりでも行かせて、それでしっかり勝てたのでよかったと思っています。ハクサンアマゾネスさまがいらっしゃるんでね。どこまで食らいつけるかですね。馬主さんからは、『金沢所属馬としてJBC出られるようにがんばります』って言いな!って言われてるんで、言っておきます。絶対王者がいるので、どこまで食らいついていけるか、がんばります。ダブルアマゾネスで出られたらいいですけどね」なるほど、ダブルアマゾネスですか。(栗原騎手もガッツポーズのネオアマゾネスの圧勝)確認しておきますが、現段階で金沢競馬は「ハクサンアマゾネス1強」です。栗原騎手も「ハクサンアマゾネスさま」とまで言うほどの、強烈な強さを見せつけています。わたくしなどは職業柄、馬の名前を省略して書いたり言ったりはしないのですが、「アマゾネス」と言えばそれは「ハクサンアマゾネス」のことです。今は。(アマゾネスと言えば、ハクサンアマゾネス)金沢競馬がこのまま「アマゾネス1強」で行くのか「ダブルアマゾネス」となるのか、直接対決があるのならばぜひともご注目いただきたいのです。絶対王者、「さま」とまでライバル陣営に呼ばしめる強さをほこるハクサンアマゾネスに、直接対決となれば、真正面から挑戦状を叩きつける形になるネオアマゾネス。徽軫賞にハクサンアマゾネスが出走してくれば、その対決が実現する可能性大なのです。 アマゾネス対決があるかもしれない第3回徽軫賞(くどいようですが、「ことじしょう」と読みます)は、5月4日です。この徽軫賞のおこなわれる第3回金沢競馬は5月2日〜5日までの4日間連続開催。2日には3歳牝馬重賞のノトキリシマ賞もおこなわれます。ぜひたくさんご参加ください。(素晴らしい眺めですが、くっきり見える雪山は白山ではありません。写真では薄ぼんやりと写っている、奥の方にある山がそうなんですが…見えますでしょうか?)
2021年04月26日
ミツオーです。ネットで買ったモノの送り先を、間違って実家にしてしまいました。よかった、他所様じゃなくて。さて、新年度、みなさま順調にお過ごしでしょうか。春本番、競馬界も大いに盛り上がっています。まあ年度がわりというのはイロイロと変更・変化があるものでして、かく言うわたくしも、なんと今年度、「地方競馬アンバサダー」というものに就任いたしました。…全国で50人ほどいるうちの一人なんですけども。「一緒に、次の感動へ。」https://www.keiba.go.jp/special-2021/アンバサダーっつったらアナタ、大使ですよ、大使。マグマ大使もよく知らないわたしとしては、この地位(というか称号というか)をどう受け止めていいのやら戸惑うばかりですが、何、やるべきことは決まっておりまして、要するに地方競馬の宣伝を、主にSNSでする役です。自分にできることには限りがありますが、せいぜい頑張りたいと思います。冬の休催期間を終えてシーズンインした金沢競馬も、今週が今年3回目の開催です。1月から3月半ばまで冬季休催期間となる金沢競馬では、年間リーディング争いや年度代表馬の選定などを、すべて「年度」でおこなってきました。金沢でジョッキーに、12月の最終開催時に「リーディング、トップですね?」などと話しても、「まだ3月が残ってるし」と返ってくることが常でした。それが今年度から、正確には今春から、「暦年」で区切りとすることに変更されました。というわけで、昨年(度)の金沢リーディングは、4月〜12月の勝ち星で決められたという、移行時期ならではの変則事象が起きています。しかし、特に冬休みのある金沢競馬では、毎年3月の開催を迎えるときにこそ「待ちに待った開幕!」という思いが強いのです。それはファンの皆さんも、われわれ関係者も同じ。冬休み明け緒戦が「年度内」=去年の続きで、数週間後の4月が「開幕」と言われても、今ひとつ同意しづらいというか、違和感があるというか。ですから、今回の変更は、大いに歓迎です。心情的に非常にしっくりくる。県の直営たる金沢競馬でこの「年度区切り」→「暦年区切り」への変更、きっと思い切りを要したことと思います。変更を決定した担当の方に、拍手をおくりたいと思います。その金沢競馬所属の甲賀弘隆騎手に、お話を聞きました。ちなみに、昨年春からのコロナ禍によって、弊社では騎手や調教師など、厩舎関係者に接近しての取材を基本的に自粛してきました。金沢競馬においても、普段は検量室付近で諸々の話を聞いているのですが、これをほぼ断念。特殊な状況をのぞいては、騎手の話を聞くことも取りやめていました。今年、シーズン開始にともない、石川県競馬事業局(金沢競馬主催者)の許可を得て、接近しての取材を再開したところです。もちろん、マスク着用で、無駄な接近はせず距離を保っての取材です。(撮影のときだけマスクをはずしました、という証拠写真=左手にマスク)甲賀騎手は、1995年生まれ。2014年デビュー。初めは船橋競馬所属でした。この春、4人目として征吾騎手がデビューする塚本4兄弟の長男です。もちろん甲賀騎手自身も塚本姓でしたが、ご親戚の家を継ぐという事情があったとかで、昨年から甲賀姓での騎乗となっています。その甲賀弘隆騎手、デビュー8年目に入ったところですが、これまでの7年間は、思うように勝ち星が伸びず、昨年まで通算63勝。この春、金沢競馬が開幕するとポンポンと勝ち星をかさね、今年ここまで6勝をあげています。好調ですね?と聞いてみると、「そうですね。ここまでは。実は乗り方変えてみたんですよね」具体的に話せますか?「はい。重心の位置を変えてみました。ボク、これまでは他のひとより重心が後ろにあったんですよ。レース映像なんかを見て、たくさん勝ってる…たとえば吉原さんの乗り方を研究したら、重心の位置がボクより前にあるんですね。それでマネしたというか、試しに前に重心かけてみたということです。木馬で練習して、攻め馬でだんだん慣らして、レースの乗り方もそっちに切り替えました」そうして乗り方を変えてすぐに結果が出ているのは、自信になるのでは?「そうですね。やっぱり競馬って頭使わなきゃいけないな、研究って大事だなって思いましたね」そしてさらに、「フィジカル面も変えていこうと思ってますよ。特に足腰ですけど、トレーニングして強化中です。競馬ってフィジカルトレーニングも大切だなって思いますね」とも。実際には冬休み中からの改良ではあるのでしょうが、この春、その成果が早速出ていることで、いかにも開幕からの変身のように見えている、甲賀騎手の騎乗ぶり。「あんまり言ってこのあと勝てなくなると、偉そうなこと言って…とか言われちゃうかな?でも自信にはなっています」(騎乗馬に飛び上がる甲賀騎手。珍しい瞬間が撮れたので採用)そして、塚本4兄弟での直接対決がかなうといいですね、と振ってみると、「はい!でもなかなか難しいと思うのでね。ヤングジョッキーを金沢でしてもらって全員来てくれるか、ボクがどこかへ乗りに行くか、う〜ん、それでも全員は難しいですかね。でもいつか一緒に乗れるといいですね」そうですねえ。確かに現状、岩手・金沢・名古屋・高知にそれぞれ所属している4兄弟が全員どこかに集結して騎乗するシチュエーションというのは…交流重賞で遠征した場合くらいしか思いつきませんが、だからこそ、ぜひとも実現してもらいたいですし、見てみたい。とにかく自身好調ということもあって、いつも以上に笑顔が明るい甲賀弘隆騎手でした。春は新しく何かを始める季節。何かを変える季節。わたしは…とりあえず年単位でサボっていたピアノの練習を再開しました。弾けるようになるのは、だいぶん先のような気がしますけども。頑張って続けなくては。皆さんも、春、新年度で始めた何かが、長く続きますように。
2021年04月12日
ミツオーです。開幕シリーズ1勝1敗1分けならよくやったと喜ぶべきなんだろうか。さて、すっかり春本番となりました。…というよりも、今日(3月29日)は初夏の陽気。最高気温は25度との予報もあり、朝から少し汗ばむほど気温が上がっています。例年よりかなり早かった今年の桜は…(ウチの近所=さいたま市)(ウチの近所)(南浦和駅付近の公園)(上とは別の公園)まさに満開。ただしコレが、日曜日の雨と強風、さらに今日の暖かさで、すでに散り始めています。今週、水曜日(31日)には桜花賞がおこなわれる浦和競馬場の桜も、その桜花賞当日までもつかどうか、ちょっと微妙な感じです。(浦和競馬場の桜)(同じ桜 別角度)(浦和競馬場正門付近の桜)南関東牝馬三冠(四冠)戦線の緒戦となる桜花賞、すでに枠順が出ています。グランダムジャパン2021対象競走でもある桜花賞、愛知からニジイロが参戦。このニジイロとスマイルミュ以外の9頭は、前哨戦のユングフラウ賞出走馬たちがそろいました。この中で、ユングフラウ賞で接戦を演じた上位3頭、ウワサノシブコ(ユングフラウ賞1着)・グロリオーソ(同3着)・ケラススヴィア(同2着)は内枠、1番から順に入りました。ユングフラウ賞の再戦のようなレースになるのかどうか、3歳牝馬の第一冠目・桜花賞は、あさって31日(水曜日)、16時35分発走です。その31日、最終レース終了後、浦和所属の繁田健一騎手の引退式がおこなわれます。浦和競馬場内には、このように繁田騎手引退を知らせるのぼりが。(風にあおられるのぼりを撮影するのに苦戦していたら、通りがかりの職員さんが持ってくださいました。ありがとうございました)繁田騎手は1998年デビュー。3月29日開始時点で地方競馬通算1498勝(中央2勝)としており、大きな区切りの1500勝まであと2つとせまっています。残り3日間の騎乗で区切り到達なるかどうか、ぜひご注目ください。なお、繁田騎手の引退式の模様は、収録の上、公開することになっています。桜花散りゆくなかおこなわれる今回の浦和競馬は、週半ばで年度の切り替わりがあり、水曜日までの3日間と新年度第1回開催として木曜・金曜の2日間、合計5日間連続のシリーズです。感染症流行の状況はなかなか好転せず、今しばらくは大勢で集まることなどは控えなくてはならないでしょう。しかし皆さんに競馬場でお会いできる日が近づいていると信じて、毎日元気出していこうと思います。 (昨年4月にここで使った写真を今一度。奈良津堤=笠松競馬場至近の桜。今年はこの桜を見ることもできませんでした。こちらもいい知らせが近く聞かれるものと信じて)
2021年03月29日
ミツオーです。冷えてないビールを買いましたが、存外イケることが判明しました。さて、2021年の金沢競馬が開幕しました!JBCイヤーとなる今年の金沢競馬、冬季休催中にリニューアルされた箇所がいくつかあり、今回その新しくなった部分を見るのを楽しみにして、開幕シリーズに臨みました。まずは、内馬場にある大型映像装置です。この写真にある瓦屋根の構造物のうち、向かって右側がその大型映像装置(いわゆるビジョン。愛称はまだない)。比較できる古い写真が手元にないのですが、新しくなったビジョンは先代のモノよりいくらか幅が広くなったそうで、ご覧のとおり、左端にレース着順が表示されるタイプとなりました。これにともない、写真左側の瓦屋根構造物=これまで使われてきた着順表示板はその役目を終え、まもなく取り壊されるとのこと。新ビジョンはもちろんクリアな画質がうれしいのですが、このように写真に撮っても、その画面の様子がキッチリ写るんですな。アレですよ、ナントカいうアレ、アレになったからですよ。走査線がどうとかでこうとかで、っていうアレ(すみません、バカで)。続いてひと目で変貌ぶりがわかるのが、パドックです。(新しくなったパドック)(更新前のパドック)このようにラバーをはり替えましたが、特に変わったのが中心部分。パドックで馬が歩く周回コースの内側です。以前は芝生でしたが、新装なったパドックでは騎手の言葉によると人工芝だそうで、新しいだけあって見た目にも緑色が鮮やかです。そして、何と言っても大きな、そして興味のある更新は、馬場です。本馬場の砂を全面的に入れ替えました。↑変更前↓変更後…。ええと、これじゃ何がどう変わったかワカランですな。では、この写真ではどうでしょうか。外側がレースで使用する本コース、内側が調教で使用するコース。今回砂を入れ替えたのは本コースのみです。今回の開幕シリーズ初日(14日)が不良馬場→重馬場。2日目(15日)が稍重というコンディションで、多少、水分を含んだ状態なのですが、砂が新しくなった本コースのほうが白く見えますし、湿って色が濃くなった部分を見ると、古い砂(調教コース)は黒っぽく、新しい砂では茶色っぽくなっているのがおわかりいただけると思います。この砂の入れ替えについては、騎手に話を聞くと、「痛くなくなった」という声がとにかく多い。金沢競馬場の砂は旧来、特に雨で湿ったりするとかたまりのようになり、レース中に前の馬に蹴り上げられて飛んで顔や身体に当たり、それが非常に痛かったのだそうです。「板ゴーグルを前は4枚使ってましたけど、今は2枚でよくなりました」「前は弾丸でしたからね」など、とにかく「痛くなくなった」ことを歓迎する声が誰からも聞かれました。肝心の、レースや馬の走りにどのような影響が出るかですが、これは答える騎手によって様々。基本的に、乾いた状態ではクッション性が良くなったことは間違いないようですが、湿ったときの締まり具合がどうなのか、内外の良し悪しはどうなのか、まだまだ手探りの状態のようです。レースを見ての印象としては、好時計、差し馬が届きにくい、という感じですがこれもまた変わってくるかもしれません。いずれにせよ、今回の砂の入れ替えにより、金沢競馬の馬場は昨年までとは大きく変わると思っていいと思います。乗る側も、馬券を買う側も、時間をかけて攻略していくことになります。開幕にあたって、金沢競馬所属騎手数人に話を聞くことができましたので、ご紹介しておきます。藤田弘治騎手(昨年の金沢リーディング。年間98勝は)ちょっと少ないなと思っていて、リーディングとれたのはよかったですけど、いつでも去年の自分に勝ちたいっていう考えがあるので、その面で足りないなと思っています。120くらい勝ったことがあったので、今年はそれを超えられたらなあと思いますね。大きいところも、ボクそういうのとるの少ないので、もっととっていかなきゃなと思っています。コロナの関係で、お客さんの入場制限もまだ少ししているんですけど、JBCまでにたくさんの人に入ってもらえるようになってくれればと思います。そうなったら、ぜひみなさん足を運んでいただいて、金沢競馬で楽しんでいただけたらと思います。応援よろしくお願いします。平瀬城久騎手(ケガから復帰)身体の反応はね、まだ今ひとつですけど、これから徐々にギアをあげていければなと。そのへんは馬の力を借りて、挽回していきますよ。田知弘久騎手(田知騎手と堀場裕充騎手)軽いねえ、馬場。(初日の後半レースで)急に時計出過ぎじゃない?それまでは普通といえば普通の時計だったんだけど、急にじゃない?内・外は、最初差があるかなと思ったけど、そうでもないかも。内々か、少し外目がいいかな?栗原大河騎手(2日目第10レースでサブノタマヒメに騎乗)すごく乗りやすい馬だと思います。強い馬特有の雰囲気を持っていて、おとなしいというか、ドッシリかまえているなと思います。冬の間、攻め馬に乗っていたので今年の初めだけ任せてもらいました。しっかり自分の役割を果たして、畑中騎手にバトンタッチできれば。一年間ケガなく乗れればなと。JBCイヤーですごく注目されると思いますし、そこで全国のファンのみなさんにアピールできたらなと思います。(重賞2勝馬サブノタマヒメと春初戦を見事勝利に導いた栗原騎手)柴田勇真騎手南関東での期間限定騎乗については、今年は(前回と違い)ケガなく期間を全うできたのと一つ勝てたことが良かったと思います。多頭数のレース、金沢にはない16頭というレースも経験して、馬をコントロールすることの大切さを改めて認識しました。金沢開幕ですが、まずはPCR検査の結果がしっかり陰性とわかるまでは乗れませんので、開幕シリーズは騎乗しません。その間に、昨年のケガで手術したときに入れたボルトを抜いてもらいます。抜いてすぐ乗っていいと言われています。昨年は重賞も勝たせてもらって成績もキャリアハイ。一年だけだったなと言われないように、今年もいい成績があげられるよう、JBCでも騎乗できるように、JBCイヤーを盛り上げられるようにがんばります!金沢競馬では、昨年実施した入場制限を続行しています。金沢競馬「ハッピーポイントカード」の会員の方のみ入場できます。入場の際はカードの提示が必要ですので、かならずお持ちください。また、場内の滞留人数は1300人までとなっています。2013年以来8年ぶり2回目となる金沢競馬場でのJBC。そのJBCに向け、重賞レースの実施時期や条件にも変更があり、4月に入ると注目レースが目白押しとなってきます。開幕したばかりですが、春シーズンから夏、そして秋のJBCまで、あっという間に進んでいきそうな今年の金沢競馬、どうぞご注目ください!
2021年03月15日
ミツオーです。評判の「こんばんは、徳川家康です」というのを3回目にして初めて見ました。さて、3月に入りました。コロナ禍で競馬場が入場制限をおこなうようになって、まる1年が過ぎたわけです。昨年2月末、正確には2月27日から、いわゆる無観客開催がおこなわれた競馬界。場によって無観客開始時期は異なりましたし、入場再開の早い遅いもありました。また、昨年暮れ以降も感染拡大の影響をほとんど受けず、お客さまの入場を維持している競馬場もあります。が、南関東では無観客開催続行中ですし、全国の各競馬場で感染症対策を講じながらの開催が続いています。この事態、まる一年間、続いているのですよ。どうでしょう?この1年、長かった?短かった?早かった、という意見と、長かった、という感想と、どちらにもうなずけるのですが、わたしはどちらかというと、そうか1年もたってしまったか、という思いのほうが強いです。もちろん経験したことのない事態でしたから、そのときそのときは長く感じてきたのも事実ですが。1年前、競馬場からお客さまの姿が消えたとき、その前後、自分がどんなことを感じていたか、当時のブログを読み返してみますと、無観客開催開始という事態を受けて、『世間の動向を見ていて、薄々は、こうなるのでは?と思ってはおりました。が、実際にコレが現実のものとなると聞かされると、ちょっと想像していた以上に、何というか、心にダメージを受けました。正直なところ、売上面だけ思えば、公営競技は無観客でもそう困らないだろうと思っていましたし、開催そのものがあれば実況アナウンサーは仕事があるので影響なし、くらいに軽く考えていたのです。けども。昨日、「明日あさって、無観客です」と聞かされたとたん、何だか胸の奥のほうに重たいシコリのようなモノができました』と書いておりました。昨年2月27日の日記です。競馬場に無観客開催という事態が訪れる前から、諸々の興行が、多数の観客を集めること自体で非難をあびるようになり、各団体が無観客での開催や興行そのものの中止を余儀なくされていった昨年2月から3月。わたしは、仮に競馬場が無観客となっても、売上そのものはそんなに落ちることはないだろう、と予想していたわけですが、これはその通り、というより、逆の意味で予想がハズれました。昨年(令和2年)4月から今年(令和3年)1月までの地方競馬の売上を見てみますと、1年前の同じ期間の売上を、全ての主催者で上回っています(一日平均。以下の数字はすべて一日平均です)。最も上昇率の低いのが浦和競馬で、前年対比104パーセント余り。前年にJBC開催があっての数字ですから、決して低調ということではありません。むしろ大盛況だったJBCでの売上を上回っているのが素晴らしい。南関東地区全体で、前年比114パーセント余り。全国の地方競馬中、最も上昇率の大きかった佐賀で、160パーセント超!ばんえい帯広・門別・姫路・高知でそれぞれ150パーセント超!全国平均で129.8パーセントです。約1.3倍ですよ。これはもう、『売上面でそう困らない』どころの話ではなく、『売上に多大な影響を与えた』というべきでしょう。皮肉なことに、いい意味で。皆さんはどう予想されていましたか?コロナ禍で外出自粛を要請され、各イベントが中止となり、下手に外食すると非難され、プロ野球の開幕が大きく遅れるという前代未聞の状況で、競馬の売上が上昇する、それもこれほどの規模で増加すると、想像されていましたか?…わたしは、ここまでとは思っていませんでした。もちろん、この売上増加という事態が、コロナ禍の影響によるものだと言い切れるものではないとは思います。けどまあ、一年前と大きく違うことと言えばそれしかないわけですよ。その影響は大きいと言っていいのでしょう。地方競馬はこの数年売上好調で、前年比何パーセント増!売上レコード更新!というニュースを続々発信してきました。その勢いが、コロナ禍において大いに加速したのです。でも、喜べない。少なくとも素直には、喜べない。競馬は、競馬場に足を運んでくれた大勢のファンの皆さんの声援の中でおこなわれるのが、正常な姿だからです。競馬は、大勢のファンの皆さんと共にレースを楽しみ、熱くなるものだからです。上の翌日の日記に、無観客の競馬場での実況について、わたしはこう書いています。『特に違和感をいだくのは、ゴール直後です。わたしにとっては、「ゴールイン!」と言った直後。つまり皆さんにとってはレースがゴールを迎えた瞬間。普通、場内にはどよめきと言うか、もしかするとお客さんの吐息の集まったようなものが流れるのです。…ということに、昨日、気づきました。レースがゴールしたところで、例え声を上げていなくても、それまで息を詰めていた大勢のお客さんが一斉に、「ふうー」とか、「はあー」とか、息をつく。中には、あるいは多くの方が、「おおおおお」とでも声を出していれば、それらが集まってどよめきと化し、その場の空気を掻き回す。競馬場とはそういう場所であったのだ、ということに気づいたのです。…それが全くないという事態を迎えて初めて。ハッキリ言って、コレはこたえました。レース実況をしていても、何だか手応えがないのです』この『手応えのない』状態での実況にも、慣れてしまいました。悲しいことです。こんなことに慣れたくは、ありません。お客さんのいない競馬場は、やはり寂しい。事態は、いい方に向かっているんでしょうか?よくわかりません。とにかく、早く、正常な競馬場の姿を、正常な世間のありようを、取り戻したいと願うばかりです。ところで。わたくし、ラジオに出演します。FM GUNMA(エフエム群馬)で毎週土曜日午前9時から放送中のBAOO高崎プレゼンツ 赤見千尋のジョッキー魂!https://www.fmgunma.com/fmg863/jockey-akami/という番組に、ゲスト出演するのですよ。今週土曜日=3月6日来週土曜日=3月13日それぞれ午前9時から、番組は30分ほど、ゲストコーナーは番組後半です。ぜひお聴きください!土曜日の朝9時に群馬県にいられない、けど聞きたい、という方は、ぜひラジコをご利用ください。放送後1週間、ラジコではいつでも番組をお聴きいただけます(多少制約があります。ご注意ください)。競馬実況アナウンサーとしてのアレコレを、赤見さんと楽しくお話しすることになっています。午前9時でなくても、群馬県でなくても、もちろん群馬県で午前9時にも。BAOO高崎プレゼンツ 赤見千尋のジョッキー魂!です!よろしくお願いします!
2021年03月01日
ミツオーです。桃風味のポテトチップスというモノを食べました。おいしい。さて、今回も古い話をご紹介します。例によって栃木県の足利競馬・宇都宮競馬の廃止にまつわる話なのですが、あらかじめお断りしておきますと、ここでご紹介する証言自体が、今となっては古いものです。だいたい今から5~6年前に語られた証言です。また、今回は金銭に関係する話で、収入額とそれについての感想などが含まれます。端的に言って、「そんなにもらってるのに少ない少ないって文句言うわけ?」という反感を抱く方もあるかもしれません。しかしこれは、好景気から一気に売り上げ不振におちいり、廃止に追い込まれた競馬場で、その波に翻弄された関係者の言葉です。そのあたりを飲み込んだ上で、お読みいただければ幸いです。栃木県競馬の経営が厳しくなり、いわゆる存廃問題が取りざたされるようになった2000年ごろ。足利競馬・宇都宮競馬の最下級のレースは、1着賞金が30万円ほどでした。このあとさらに賞金・手当は下降していき、宇都宮競馬廃止の2004年度には、これが17万円に。こうした状況にあって、所属騎手の生活は厳しいものとなっていきました。足利競馬廃止が2003年3月。このころになると、リーディング下位の若手騎手たちの中から、引退する騎手が出始めました。足利廃止後、宇都宮競馬の末期になると、競馬の花形である騎手がアルバイトをするという例が珍しくなくなったそうです。後に他地区へ移籍したA騎手の場合は、未明からの調教のあと工場へ働きに行く。午後6時まで働くと帰宅して寝る。翌日はまた調教、そして工場での勤務。開催があればレースにも騎乗する。という生活で、「ホントに食っていくのが大変で。みんな辞めていく中で、必死に騎手という仕事にしがみついているみたいな感じでしたからね」と当時を振り返ります。また、宇都宮廃止と同時に引退したB騎手によると、「オレもアルバイトしてましたよ。寿司屋チェーンの店員とか。あとホテルの清掃やってる騎手もいましたね。競馬開催ない日って、騎手は朝調教したら、午後はお休みじゃないですか。パチンコしたりゴルフするよりは、家族に喜ばれることしたほうがいいのかなって思って、ないときはアルバイトしてました。他にもけっこうバイトしてたひといたね」当時、栃木の騎手は所属厩舎から月5万円ほど(厩舎により変動あり)を給与として受け取っていた他は、日々の調教騎乗料とレース騎乗料、そして賞金で生活を組み立て、例えばこの騎手の場合は、「いいときで、正直、月70~80万あったんです。最高、1開催で70万くらい稼いだこともあったんですけど、それで最後のころは、1開催17~8くらいあったのかな、それが月に2開催あったでしょ?だから20万を2回くらいもらってたかなって感じ。でも家建てて2年目くらいで、月50万くらいは欲しいと思ってたから」これが厩務員の場合では、担当1頭につきいくらと担当料が決められており、「1ヶ月、走っても走らなくても、固定給ってのは必ずあるんですよね、サラリーマンと一緒で。それプラス、走って出走手当てと1着とったら1着賞金の5%入ってくるじゃないですか、それは自分の小遣いとして使う。だから良かったころは、3頭4頭やってるひとだったら、そこそこにはもらえてた」という話ですが、しかし宇都宮廃止間際に他地区へ移籍したC厩務員によると、「廃止近くなってきて馬もへってくる。ベテランのひとたちは力持ってるから馬を手放さないようにするし、廃止になれば補償金が出るって思ってるから辞めないし、馬をかかえこむ。とばっちりくうのは若い子じゃないですか。オレも結局、担当1頭になっちゃって」月10万円に届かない収入となり、廃止を待たずに移籍の道を選んだそうです。廃止にともない引退したD騎手は、「ボクは終わる前からアルバイトしてたんですよ、現役時代から。運送会社のトラックドライバーを。競馬のほうは調教は一切乗らないっていうことで、あのころは収入もなかったし大変だったんですが、運送会社勤めて給料25~7万もらってたんですけど、そっちのほうが実入りよかった、競馬よりも。廃止決まったころは賞金も一気に下がってレースも少なくなって日数も減ったから、開催中も1日2~3頭騎乗で、あのころ1開催4日か5日になってたのかな。収入的にはね、開催で5~6万から8万。ひと月に2開催あって15万くらい。厩舎から給料もらっても20万いくかいかないくらい。合計でね。給料も3万か5万ですもん。トータルで20万いかない月もあったくらい」各自の事情もあったでしょうが、調教やレースに数多く騎乗していない騎手となると、このような状況だったというのです。この騎手は、重賞を複数勝つような馬の主戦もつとめましたが、その馬に乗っていた当時と廃止直前をくらべ、「収入は、間違いなく平均して半分以下にはなったと思います。終わる半年か1年前くらいは3分の1くらいですかね。ボクは大きいところをたくさん勝つようになる前と後とで、そう収入は変わらないんですよ。前はたくさん乗ってましたけど、重賞勝てる馬に乗ってからはそっち重点で騎乗しぼりましたから。年収でいくと500万くらいで変わらない。それが最終年度はケガもあって調教にも乗れなくて、200万くらいに。ボクだけじゃなくて、ほかのひとたちも、リーディング上位のひとであればあるほど収入は半分以下、もっと、になってるでしょうねえ。ボクだけがアルバイトしてたわけじゃなくて、何人かアルバイトしてたひとたちいました。家のローン払えないとかね。そうですね、ボクんちは家のローンが払ってあったけど子供が小さかったですからね」2005年当時、廃止になった宇都宮競馬だけでなく、全国の地方競馬が売り上げ不振にあえいでいました。廃止後他地区に移籍したE騎手は移籍先での経済状況を、「あまりにもホント、稼げなくて。調教師から、10万円、たしかもらえるんですよ。所属の厩舎によりだと思うんですけど。プラスアルファ、攻め馬賃みたいのがなくて。だからもう、それだけですよね、確実にもらえるお金は10万円。プラス、レース騎乗手当てが3000円とかそんなもんで。まして移籍のときに兄弟子がいる厩舎を紹介してもらって、自厩舎の馬も半分乗せてもらえるかもらえないかっていうところあったんで。まったく稼げなくて。会費だのなんだのって引かれて、十何万しか月に稼げないんですよ。別に家賃とかは、競馬場に住んでてかからなかったんですけど、さすがに十何万じゃ赤字」と話していましたし、のちに廃止当時の宇都宮よりさらに賞金の下がった競馬場について、その額を提示すると、「それは無理だよ。それじゃ、そこの騎手はきっとアルバイトしてる。競馬だけで食えてるとは思えない。廃止になったけど、宇都宮は、じゃあまだマシだったんだな」と断言する元騎手もいました。ある元騎手は廃止後、ゴルフ用品店に就職し、店長やエリアマネージャーにまで昇進し活躍しました。「収入は、全然、乗り役のほうがよかったです。でも、普通のひとってこんなもんかって思えば、ちゃんと生活できますよね。世間を知ったというか」また別の元騎手は競馬界から離れ、「引退して収入は変わりましたね。オレなんかは5分の1ってことはないですけど、半分、良かったときの3分の1くらい。生活レベル変えないと、やっていけなかったです。でも、嫁さんは、昔はホントに朝っぱらの電話なんかかかってくるとドキっとしたって言ってます。命の危険はね、今では、車は運転するからそこ気をつけるくらいになりましたしね」廃止直前こそかなり苦しい状況になったとは言え、騎手としての収入は、引退後・競馬界を離れてからと比較すれば、高い水準であったことがわかります。しかし上にもご紹介した言葉にもありますが、「命かかった仕事してるんだもん、我々と同じくらいの収入規模や同じくらいの金銭感覚じゃ、厳しいでしょ」と某専門紙記者さんに言われたことがあります。お言葉、ごもっとも。宇都宮競馬廃止から10年ほどたったころ、足利競馬・宇都宮競馬の元関係者に話を聞いて集めました。その証言は大変貴重で、必ず発表する、できれば書籍にする、とお話しした上でいただいた証言の数々なのですが、ごくごく一部を先年、ネット上で発表させていただいただけで今にいたっています。貴重なお話を聞かせてくださった皆さまには、本当に申し訳ないことです。せっかくの証言を死蔵しているわけにもいかないと思い、こうしてまた少しだけ公表させてもらいました。まだ抱え込んだままのお話が、わんさか。いつか機会を見つけて、ご紹介したいと思っています。
2021年02月15日
ミツオーです。キャンプイン!これから日ごとに期待値が落ちていくんだろうな。さて、競馬界、特に地方競馬は売り上げ好調です。中でも好調な高知競馬から、今年に入って、一日の売り上げレコード更新というお知らせが連続で出されました。先週水曜日にあたる1月27日、13億8487万100円の売り上げを記録し、それまでのレコードを更新したのですが、その塗り替えられる前のレコードもわずか一週前の1月20日に記録した12億円余りという数字で、今年に入って高いレベルでのレコード更新を連発したのです。この他にも、一日の売り上げが10億円を超える日が幾日もあり、個人的に、開催日ごとに高知競馬の売り上げを見るのが楽しみになっています。SNS上では、かつて売り上げが全くふるわず、非常に厳しい状況にあった時期から懸命に高知競馬を応援し支援し続けてきた方々が、この好況を驚きつつも喜ぶ書き込みが見られ、それらを見るにつけ、本当によかった、めでたいことだと嬉しくなります。が、一方で、この好況を、少し苦い気持ちで眺める自分がいるのにも、気づかずにはいられないのです。わたしが競馬実況の仕事をはじめたのは、1997年。北関東・栃木県の宇都宮競馬場と足利競馬場においてでした。ちょうど地方競馬の売り上げが年々下がり続けた時期で、宇都宮や足利では賞金・手当の減額が相次ぎました。(足利競馬場ゴール板)(宇都宮競馬場ゴール板)97年当時、宇都宮競馬で一日の売り上げが1億円を下回ることはなかったと記憶していますが、売り上げ減少には歯止めがかからず、数年後には大台を割り込む日が出るようになり、やがて一日7000万円台、6000万円台ということも珍しくなくなると、存廃問題が公に議論されるようになります。そして、2003年3月、足利競馬廃止。2005年3月、宇都宮競馬廃止。これに前後して全国でいくつもの地方競馬場が廃止となりました。いずれも売り上げ不振によるものでした。売り上げがふるわない・収益が上がらないことを理由に廃止された競馬場を、中からも外からも見てきたわたしは、これ以上、売り上げ不振で廃止になる競馬場を見たくないと本当に心の底から思っています。ですから、高知をはじめ、多くの競馬場で売り上げが好調なのを見て、悪い気持ちになることは全くないハズなのです。なのに、この苦い気持ちは何なのか。宇都宮競馬の晩年、この売り上げ低下をなんとか食い止められないか、間違っても廃止などということにならないよう、何かできないか、というので、ファン中心の有志会議というものを開いたことがあります。競馬場や競馬を主催する栃木県に「なんとかしてくれ、何かしてくれ」と言うだけではなく、自分たちにも何かできないか、自分たちも何かするべきだろう、という想いを持った方々が集まってくれました。何かできることはないか?話し合った結果、宇都宮競馬は情報が足りない、情報誌を作ろう、ということになりました。ええとですね、情報があれば馬券が売れるのか、ということを精査してはいないのです。もうこれは、あくまで感覚というか、そんな気がするというレベルの話で。当時はインターネット環境も今ほど華やかというか、あって当たり前という状況ではなく、まあそりゃそうで、まだスマホ前の世の中でしたし、そもそも馬券のネット投票システムも黎明期とまでは言いませんが草創期で、在宅投票システムといえば「電投」だったのですよ。ご存知ですか?「電投」という言葉を。「電話投票」のことですよ。そしてもちろんこの「電話」はスマホじゃありません。この有志会議の呼びかけはネットを通しておこなわれたわけで、集まった方々はネット環境にあったんですけども、でも情報誌は紙にしよう!ということに、話し合いの結果、落ち着きました。というより、紙じゃなきゃダメだ!ということになった。宇都宮競馬場に来るおじちゃんたちが、おウチでインターネットやってるとは思えない。紙だな、紙!紙で作って手渡しだな!と。(「ファンがつくるうつのみや競馬を応援する情報誌 U駿」)下は当時20歳前の学生くんから、上は競馬場のベテラン職員さんまで、全くのファンからライターとして活動する方から、実況アナウンサやら何やら寄せ集めの集団は、競馬場事務所と交渉し相談し、存在そのものを競馬場公認のものとしてもらい、印刷機と紙とインクを競馬場に提供してもらうことにも成功しました。試作品を主催者に提出し、発行許可を得て第1号は2004年春。以下、月刊のペースで作り続けた情報誌は、しかしたった1年で廃刊となってしまいました。競馬場がなくなってしまったからです。(04年の大晦日は大雪だった)(仕切り直しのとちぎ大賞典、情報誌の最終号ということもあり、予想印も打ったりした)(ジョッキーインタビュー。廃止直前の段階で現役だった騎手には全員話を聞いた)製作メンバーの一人いわく「実用一辺倒」という紙面は、競馬週刊誌やスポーツ紙の模倣と言ってよく、主なレースのレース記事と調教師・騎手コメント、ジョッキーインタビューなどで構成されています。それだけだと無愛想なので、腕に覚えのあるメンバーがマンガを描いたりもしました。編集部の活動は、情報誌の製作・配布にとどまらず、主催者の理解を得てイベントをおこなったこともありました。が、そうした活動は、結果的に全く、競馬場の存続に寄与することはなかったわけです。廃止になる競馬場、廃止がささやかれる競馬場、廃止の危機に瀕する競馬場を見るたびに、わたしはこの無駄になった情報誌作りを思い出し、どうすれば、何をすれば、宇都宮競馬は廃止をまぬかれることができたのか、あるいは何をしても無理な話であったのか、という不毛なことを考えてきました。そしてここ数年は決まって、あと何年、赤字覚悟で存続していれば浮上できたのか、ということも考えずにはいられないのです。現在、売り上げ快進撃を続ける地方競馬を見るにつけ、嬉しいのと同時に、少し、ほんの少しではあるのですが苦い思いを抱くのは、「自分たちの活動は無駄だった」という無念さと、「あとほんの何年かの辛抱だったんじゃないか」という、解答を見てから問題を見直すのに似たバカバカしさとを感じてしまうからなのでしょう。我々の競馬場を潰させない!という意思を持ち続け、実際的に活動してきた方々の想いと努力が報われ、売り上げ好調に沸く競馬場を見ると、ほんの少し苦い思いを抱くとともに、そうした方々が苦い思いを味わうことなく今を喜ぶことができて、本当によかったと思うのです。(在りし日の宇都宮競馬 今回使用した写真の一部は、原山実子さま、M.N.さまご提供のものです)まあコレを言っては何ですが、危機感を持って作ることにした情報誌でしたが、一旦作り出してしまうと、編集会議と称して集まって飲み食いしたり、取材のために厩舎地区へ出入りして関係者の話を聞き集めるのは、楽しい経験でした。わたし以外の編集部のメンバーも、純粋に楽しんだと思います。うん、アレは確かに面白かったな。サークル活動みたいなもんだもんな。
2021年02月01日
ミツオーです。足の上に缶ビールを落として負傷しました。さて、皆さま、船橋競馬の「ハートビートVR」というモノをご存じでしょうか?https://www.youtube.com/channel/UCzo43ELm685yflR3hNbsROw↑こちらがその公式チャンネルです。あらためてご紹介しますと、船橋競馬所属の現役競走馬に船橋競馬所属の現役騎手がVR専用カメラを装着して騎乗し、模擬レースの様子を撮影。競馬のレースを騎手目線で体験できるバーチャルリアリティー作品に仕上げたモノです。スターティングゲートに入るところからゴール過ぎまで、まるで本当にレースに「騎乗」しているような体験ができるのが、この「ハートビートVR」なのです。https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201907080000/↑2019年7月、わたくし、このVR作品に実況をあてまして、その時の様子をこの日替わりライターブログに書きました。覚えていらっしゃる方もあるかと思います。上の公式チャンネルでは、その作品を実況つきでお楽しみいただけます。模擬レース出走馬それぞれの騎手として「騎乗」できますので、いろいろお試しください。You Tubeアプリを使って御覧になると、スマホなどでも画面を360度回転させて、前後左右上下あらゆる方向を見ることができます。また、公式チャンネルには実際の重賞競走の誘導馬にも「騎乗」できます。このほど、この「ハートビートVR」の新作が出来上がり、わたくしまたしても実況を担当させていただきました。今回の「ハートビートVR」は、7頭立て。騎乗したジョッキーは、山中悠希騎手田中力騎手臼井健太郎騎手岡村健司騎手張田昂騎手川島正太郎騎手笠野雄大騎手以上のメンバー。前回作品では激しい雨が通り過ぎた直後、曇り空のもとレースがおこなわれていましたが、今回は快晴!わたくし実況を担当するのに何度も「騎乗」し、あらゆる角度を見てみましたが、空を見上げると本当に爽快でした。それから、前回作はわたくし一人で実況担当しましたが、今回は2名体制。弊社・百瀬和己アナウンサーと半分ずつ分担しました。(百瀬アナウンサー、はじめは上着とマスク着用でしたが…)「ハートビートVR」の実況は、まず普通の実況。…というのはつまり、普段お聴きになっているタイプの実況です。レースを描写している。それとは別に、「完全主観実況」とでも言いましょうか、各騎手の騎乗にあわせた実況をあてています。普段とは違った条件での実況は、非常に難しいものです。とは言えわたし自身は2度目でしたので、どういったモノか覚悟(?)はできた上で録音に臨んだのですが、今回初担当の百瀬アナウンサーは、かなり戸惑った様子でした。(苦戦続きのためか、やがて上着を脱ぎすて腕まくり。そして腕組みして何か考えこむ)当たり前の話ですが、いつも見ている競馬は、そこにはありません。われわれ実況アナウンサが見る競馬は(そして、ファンの皆さまがご覧になる競馬も)、スタンドから見る競馬です。いわばレースを客観視しているものです。…何だか、書けば書くほど当たり前ですな。ところがVRは、騎手目線。いざレースを実況しようと思っても、いつものように「先頭が誰々で2番手が誰々、その差がどのくらい」とは、カンタンにいかないのです。もっとも、本当は騎手目線「以上」ということになります。カメラは全方向を映していますから、人間には見られないハズの部分も、見ようと思えば見られる。真後ろとかね。そこを利用しながら、VRならではの実況を組み立てていきます。なんとかかんとか、第2回の「ハートビートVR」に実況をあてることができたのは、機材操作などを手伝ってくださった、THE NUGGETSのお二方(工藤わたるさん、大牟田徹さん THE NUGGETSは、船橋競馬のテーマ曲を担当されている大人気バンドなのです)とスタッフのおかげです。ありがとうございました!(左が大牟田さん、右が工藤さん)完成した第2回ハートビートVRは、船橋競馬重賞実施日を中心に、船橋場内にてVRギアを装着・木馬に騎乗していただいてお楽しみいただく予定…だったのですが、感染症拡大の情勢から、公開の段取りや手段が変更となりそうです。平面用にマルチ画面で編集されたものが、船橋市役所で一足はやく公開されたそうです(船橋市の松戸市長がたいへん気に入ってくださっているとのこと)が、せっかくのVR、やはりギアを装着して体験していただきたいモノです。しばらくはお預けになってしまうかもしれませんが、船橋競馬場入場再開の暁には、ぜひとも体験にご来場ください。また、第3回も「絶対やりますよ!」(スタッフ)とのことでしたので、次回以降もぜひお楽しみにお待ちください!
2021年01月18日
大川ミツオーです。明けましておめでとうございます。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。さて、競馬界に年末も年始もなく、競馬開催は大晦日も元日も続いています。わたくし年末4日間は、笠松競馬の実況を担当しました。(オグリキャップ像前で自撮り)年末の笠松競馬、例年は場内イベントも盛んにおこなわれ、重賞競走が複数おこなわれることから入場者も多数。年間で最も場内がにぎわう開催です。が、この年末は感染症対策として、場内イベントはなし。入場制限を実施、事前抽選の上、上限1000名さままでの入場となりました。…この1000名さままでの入場制限ですが、結果的にはうまく機能しませんでした。12月28日からの4日間のうち、初日の28日は希望者が1000人に届かず。また、29日以降も実際の入場者数は1000名に遠く及びませんでした。当選者以外のファンから、入場できないか問い合わせの電話があったそうですが、事前抽選実施の事情により、希望者を新たに入場させることはできなかったとのこと。管理者の古田聖人笠松町長が、この入場者数と方法について、「もう少し知恵を絞るべきだったと、反省しています」とツイートしています。確かに、入場希望のファンがせっかくの年末開催に入場できない一方で、場内が定員に達していない(しかも、遠く及ばない)という事態は、誰にとっても残念なことでした。場内の売店や場立ち予想の方々は、年末の書き入れ時!と期待されていたところを、かなり苦しい営業となってしまったそうです。わたしのような人種も含め、すべての関係者がこの事態を残念に思っているわけですが、このように管理者みずから反省の弁をおおやけに、しかも極めてすみやかに出してくれるのは、われわれとしては正直ありがたいところです。うかつに「この方策はまずかった」などと書けば、批判したとして主催者の機嫌をそこねるかも…と、往々にしてこの手の話題を書くときには気をつかうものです。が、ここは管理者みずから「反省しています」と書いてくれたわけで、尻馬に乗るわけではありませんが、こちらとしても「うんうん、残念でしたよ」と言いやすい。古田町長は笠松競馬関連のツイートがたいへん多く、競馬場を気にかけてくれていることがよくわかる方です。全国の管理者の中でも、珍しい存在ではないでしょうか。ありがたいことだと普段から思っていましたが、今回のことで、さらにその想いが強くなりました。ちなみに、古田町長は同じく年末のツイートで、「今年は本当にいろんな事がありました。ファンの皆さんに多大なご迷惑とご心配をお掛けしたことを関係者を代表してお詫び申し上げます」とも書いています。もちろん夏に発覚した、騎手・調教師による馬券購入の件をも念頭においてのことで、これも管理者みずからが「お詫び」を、手軽に扱えるツイッターというカタチで発信していることは、少なくともわたしはその姿勢を良いものとして受け止めたいと思っています。同時に、吉井友彦騎手会長のコメントをご紹介しておきます。吉井騎手はこの件について、騎手会長としてファンのみなさまへの年末挨拶に代えて、わたしに以下のように語ってくれました。「ボクが会長のときにああいうことが起こったというのは悲しかったです。本当はあのときにボク、会長辞めようかと思ったんですけど、でも辞めて解決するわけじゃないし、ボクと調騎会の会長が二人辞めたら世間が見てくれる目が変わるのかって言ったら、そんなことはないでしょう。とりあえず今はできることを頑張るしかないなって。ひとレースひとレースみんなが真剣に乗って面白いレースを提供することが、売り上げにもつながることですし、ファンのみなさまへのお詫びというか。頑張っていくという姿勢を見せることが信頼にこたえるということだと思います」こちらも、この件に関して逃げることなくシッカリとした口調で話していました。(吉井友彦騎手会長)吉井騎手は自身の通算1000勝目前にせまっています(年明け時点で997勝)。1000勝について、「500のときはけっこう意識してたんですね(岩手所属時の師匠が騎手時代に500勝に及ばなかったということで、この数字を達成できれば師匠に恩返しできると思った、とかつて語ってくれました)。そのあと6、7、8、900のときとは今回は意識も違うし、各段にうれしくなると思います。1000勝できたら、ちょっと人にも自慢にはなるかなと思いますし。人生で1000勝つことって、そうないですもんね。ホントに今の師匠(=森山英雄調教師)のおかげです。リーディングもとらせてもらったし」年明け早々にも1000勝達成が期待されます。昨年の笠松リーディングジョッキーは、筒井勇介騎手。2年連続のリーディング、勝ち星も一昨年より伸ばしましたが、「もっと勝てたと思うんです。取りこぼしが多かった。それが2着の数に現れてると思うんですよね…」と言いつつも、明るい表情でした(マスク着用でしたけども)。ところでこの年末、寒波に見舞われた笠松競馬場、大晦日にはかなりの降雪がありました。(降り始め…)(一旦やんだものが次は強く降るようになり…)(積もり…)(視界も最悪に)しかし、このあと馬場の整備を懸命におこなっている10分程度のうちに雪はやみ、最終レースまで実施することができました。ホント、一時はどうなることかと思いましたが。年末、30日・31日と、笠松競馬では重賞2連発。30日は2歳重賞の第24回ライデンリーダー記念、31日は3歳以上の第49回東海ゴールドカップが、それぞれおこなわれました。ライデンリーダー記念は2012年から牝馬限定となっていましたが、今年ふたたび牡馬・セン馬にも開放。北陸東海チャンピオンシップ2020の一角としておこなわれました。勝ったのは、フーククリスタル。好スタート好ダッシュから先手を取りきり、直線では追い込んできたマナバレンシアを振り切って優勝。(フーククリスタル号 写真提供:谷口浩カメラマン)騎乗した高木健騎手は、実に12年ぶりの重賞制覇。前回の重賞勝ちは、08年のくろゆり賞、ロードバクシンでした。第24回ライデンリーダー記念 優勝フーククリスタル号高木健騎手「優勝できてたいへん光栄に思っています。気性的に、馬をこわがるところがあるので、今のところは逃げたほうが持ち味を発揮するのではないかと。2番手あたりからだと馬をこわがって、外に張ったり、真剣に走らないところがあるので。前回負けたときに悔しかったし、厩務員さんにも申し訳ない思いをしました。スタッフの方がしっかり仕上げてくれてるのに負けて悔しい思いをしたので。今日は恩を返せたと思います。直線はとにかく粘ってくれ、頑張ってくれと。今たいへんな時期ですけども、笠松競馬も頑張っていますのでみなさん応援お願いします」井上孝彦調教師「これからは2・3番手からの競馬も教えていこうと思っていますが、とりあえず今日は勝ちに行く競馬をして。前回の競馬を見ていたら、(人気の)ニジイロよりはうちの馬のほうが速いと思っていて、あっちはハナに行かせたら強いかもしれないが、行けなければモロいと思っていたので。フーククリスタルは入れ込むところがあるので、遠征は今のところ難しいかもしれません。今後についてはこれから考えます」東海ゴールドカップは5番人気のウインハイラントが優勝。早め先頭から、直線では追って並びかけてきた昨年勝ち馬・ニューホープを振り切りました。(ウインハイラント号 写真提供:谷口浩カメラマン)第49回東海ゴールドカップ 優勝ウインハイラント号加藤聡一騎手「スッと折り合いついてそのまま前が流れて、向こう正面からは、いつ後ろが来ても、という感じでした。前の馬より後ろの馬だったので。後ろから来たタイミングで仕かけて行こうと。坂の下りで行きかけて、迷ったんですけど、そこで引っ張り殺してしまってはよくないと思って行きました。ちょうど前も止まらない馬場でしたし。しまいは、一瞬ちょっとあやしいかなと思ったんですけど、2着の馬が来てくれたことでまたシッカリ走ってくれて、最後は馬に助けられたと思います。2着馬が来るぶんだけ、一馬身抜けてまた息ついて、また並びかけられて前に出るという感じで、そこは馬に感謝です。スタートも出て好きな位置とれるし、早いペースにも対応できるし、ハナ行ってもいいし、後ろから行ってもいい脚使ってくれるし、どんなレースでもできるというのが持ち味かなと思います。東海菊花賞では挑戦という意味もあったんですが、初めて56キロ背負ったということやメンバー的なこと、ペース的なことも初めてで戸惑ったところがあったみたいなんですが、今回巻き返して勝つことができてよかったです。馬のデキも、涼しくなってきてから良くなって、今回は前回以上だったと思います。寒くなってからのほうが走りはいいですね」笠松競馬、新年の開催は今週水曜日・6日から。新たな年も笠松競馬にご声援ください。
2021年01月04日
ミツオーです。クリスマス、チキンのかわりに唐揚げ!…となると、普段どおりのメニューになるなあ。さて、もうすぐクリスマス。今年も残りわずかになってきました。(今日から開催、浦和競馬場内のツリー)ここへきて強い寒波が襲来し、たいへんな大雪のニュースも。その寒波到来と時を同じくして、わたくし先週は金沢競馬の実況を担当しました。先週の金沢競馬開催は、月曜日火曜日・木曜日という変則3日間。強い寒気が流れ込むという報道は前週から、かなり強い口調で流れており、このタイミングで金沢へ行く身としては、平静ではいられなかったのですが…。寒気がきます。雪が降ります。北陸では積もりますよ。と言われると、もちろんこれは金沢競馬の開催が予定通りにおこなわれるのだろうか?と心配になるわけです。金沢市は北陸地方にあります。これはもう誰が何と言おうとそうなので、金沢競馬の専門紙にも「ホクリク」というのがあるくらいです。ちなみに辞書的な解釈で言えば、【北陸地方】全般気象情報などに用いる地域名(台風情報を除く)に関する用語。新潟県、富山県、石川県、福井県。(Weblio辞書)となります。石川県金沢市は北陸地方にあります(…上の、「台風情報を除く」ってのがわからないですけども。なぜそこでは除外するのか。しかしそこは論点ではありません)。で、新潟県で車が立ち往生するほどの大雪が降り積もったとなると、同じ北陸地方の金沢市もさぞかし雪が降ったであろう・降るであろう、と思うのが人情ですね?そうでもない?ですけども。北陸地方ったってけっこう広いのですよ。というか、長いという感じがしますわね。地図見てくださいよ。福井の西端から新潟の東端(北端?)まで、いったいどれほどの距離がありますことやら。ということで、一口に北陸と言っても広うございまして、新潟県内ではたいへんな大雪被害が出ましたけども、金沢競馬場は先週は積雪なしでした。と言うのはカンタンなのですが、少し不思議なことをつけ加えます。実は先週、特に火曜日から木曜日にかけて、北陸地方は寒波に襲われ(襲われたのは北陸だけじゃないですけども)、雪に見舞われ、報道にあった新潟県内はもちろん、富山県でも福井県でも、石川県内でも能登地方などでは、しっかり積雪があったのです。山の方だけでしょ?と思われるかもしれませんが、そんなことはない、富山市なんかけっこう積もったようで、帰りの列車からは雪化粧した街並みを見ることができました。福井も富山も雪なのに、金沢はそうでもない。ということが、けっこうあります。理由は知りませんが、どうしてだか、特に冬の悪天候の度合いが、周囲に比べて金沢市あたりだけ緩いという事態に、これまで何度も何度も遭遇しました。昔のひとは偉かったなあと思うのですよ。おそらくこの事実に気づいていたのでしょう。この近辺では、金沢あたりだけお天気がわりと穏やか、ということに。それでこの場所に金沢という大きな都市をつくったんだろうなあ、と考えると、ちょっと不思議な気持ちに…なったりしませんか?しない?おかしいなあ。ええと、金沢市がどうして金沢市の場所にあって古くから大都市として栄えているのか、その本当の理由やらここに街ができた詳しいいきさつやらを、わたくし、知りません。勝手に、上に書いたお天気の穏やかさ、周辺では暮らしやすいという事情が、その理由としてあったに違いない、と思っているだけです。難しい事情は、そのうちちゃんと勉強しようと思います。はい。とにかく、前週からかなり気象情報でおどされていたにも関わらず、そして周辺地域ではそれなり(以上)に積雪があったにも関わらず、先週の金沢競馬は雪の影響を受けることなく、予定通り、開催できました。ありがたいことです。しかし月曜日午後以降は、雪まじりの雨・あられ・雪に見舞われること、その回数は数えられないほど。(よくわからない写真ですが、白く散らばっているのは、雪ではなくアラレ?のようなモノ。降るとカラカラ音を立てる)この、回数を数えるというところがミソというか、この時期の北陸のお天気らしいところでして、降ったりやんだりを繰り返すのです。(画面では大雪のようですが、積もるには至らず)(この空模様。雪雲・雨雲が波状に上空を通り過ぎます。降らなくてもずっと曇ってるかというとそうでもなく、青空も見えたりする)畑中信司騎手は、「降ったりやんだりやから大丈夫やな。これが降ったり降ったり降ったり…ってなるとマズいけどな」と、雪もこの程度であれば開催・騎乗に支障ないと笑っていました。(畑中信司騎手が着用しているのは、勝負服ではなくジャンパー。韓国で騎乗した際に着用していたものだそうで、寒さ対策のため、金沢競馬でもこうしたものを導入しては?と提案すべく主催者さんに見せに行ったところです)しかし寒かった。わたしなどは暖房のきいた実況席にいるだけですから、寒いと言ってはいけないでしょうけども、それでも先週の金沢競馬は寒かった。強い風、雪、雨、あられ、そして泥をかぶりながらレースをしていた騎手・馬、屋外でお仕事をされていたすべての方々に、お疲れ様でしたと申し上げます。くれぐれも体調を崩さないよう、休めるときはゆっくり暖かくしてお休みください。先週金沢の初日(14日 月曜日)、メインの準重賞・デイリースポーツ杯能登波の花賞をブルベアジネンジョで制した吉原寛人騎手は、この勝利で地方競馬通算2500勝を達成しました。吉原寛人騎手2500勝達成インタビュー「ちょっと前から意識はしていたんですけど、しっかり年内に、金沢競馬のあるうちに達成できて勝ててよかったなと思います。今年入ってから、年内に2500勝達成したいなと思っていたので、ちょっと遠征も少なくなってたので乗り鞍的にどうかなというところだったんですけど、ギリギリ間に合いました。遠征が少なかったぶん、金沢での調教も、ハクサンアマゾネスとかね、しっかりできてこっちの重賞もたくさん勝たせていただいたので、そのぶん良かったですね。しっかりここを通過点として、関係者のみなさん、ファンのみなさんの期待に応えられるように、次の3000勝にむけてがんばっていきたいと思います」吉原騎手は、1月1日から川崎所属として南関東で期間限定騎乗をおこなうことになっています。現在の感染症拡大の状況を考え、2週間ほど早く川崎入りし、自主的に経過観察期間を設けることにしているとのこと。したがって、先週の金沢競馬での騎乗が年内最終騎乗。さらに言うと、上にも書いたとおり、先週は火曜日以降のお天気が非常に心配されており、吉原騎手が2500勝を達成した時点では、翌日以降の開催があるかどうか不安な状態でした。吉原騎手は、「ここでブルベアジネンジョで勝たなかったら、年内もう騎乗ないと思って、気合入ったよ」と笑いながら話していました。結果的に翌日以降も予定通り開催はおこなわれ、吉原騎手の勝ち星はさらに伸びていますが、年頭から「年内に達成したい」と念願した数字を、最後の最後、もしかしたらここがラストチャンスかも!?というレースでキッチリ達成してみせるところは、さすがの一言です。金沢競馬は、年内残すところ一開催3日間。今週の火曜日水曜日・金曜日です。そしていろいろな点で普通とは言い難かった2020年も、残り10日。年末は大晦日まで、明ければ元日から、競馬は全国どこかでおこなわれます。引き続き、たくさんご参加・ご声援ください。
2020年12月21日
ミツオーです。14年ぶり?…そんなになりますかねえ(福留選手が中日に復帰するかも、という話です)。さて、わたくし先週は笠松競馬の実況を担当しました。先週は笠松グランプリシリーズでした。(昨年はケイマの快速ぶりに沸いた笠松グランプリ)諸々の都合により、というかめぐり合わせの問題ですが、わたくしが笠松競馬の実況を担当するのは、西日本ダービーの週以来。9月半ばから2カ月も間があいてしまいました。その間に笠松競馬では、コロナ禍による無観客開催を終え、制限つきながらお客さまの入場を再開。再開当初は116名だった入場者数上限が段階的に緩和され、現在は1000名まで入場できるようになりました。(スタンドにはこのようなシートの使用制限が)場内での開放エリア(お客さまが入れる場所)も、はじめは特別観覧席のみだったものが、現在では場内すべてとなり、レースの合間に場内を歩いてみると、コロナ禍前と同じような様子に見受けられます。先週(11月30日~12月4日)の笠松競馬場入場人員は600人台~で、笠松グランプリ当日が最も多く、911人でした。昨年同時期の開催を見てみると、12月2~6日に実施された昨年度第15回開催では、一日の入場者数はおおむね700人台半ば。昨年の笠松グランプリ当日(11月21日)が1082名でしたから、一日の入場者数・重賞日の入場者数ともに、「戻りきっていない」というイメージでしょうか。ただ、全く話にならないほど減ってしまっている、という感じでないのはおわかりいただけると思います。戻りつつあるが、まだまだ。ちなみに売上のほうは、無観客開催中からの好調さが一段落してしまったかな?という印象はありますが、それでも昨年同時期の売上と比較すれば、明らかに増えています(昨年笠松グランプリ当日は3億8千万円ほどで、今年は4億7千万円)。場内の売店は、入場者数上限を1000人に緩和したあたりから営業を再開。正門脇のお店がシャッターを下ろしてひっそりとしていた日々は、本当に寂しい思いをしましたが、元気に営業再開してくれて本当にホッとしました。そして当然ながらわたくしも、唐揚げ串や煮込み串を楽しませていただくわけです。…おいしかったなあ、久々の唐揚げも土手煮も。(大きな揚げたて唐揚げが2つないし3つささった唐揚げ串、グツグツ煮込んだやわらかい土手煮や味噌おでんも、串にささってどれも100円です!)さらに、この方々も営業を再開しました。いわゆる場立ちの予想屋さんたちです(写真はトップ社・丹羽さん)。お話をうかがうと、無観客開催中は完全休業。ひたすら全国の競馬中継をネットで見る毎日だったんだとか。入場再開とは言え、まだ完全復活とはいかず、一開催あたり2日ほどの営業にとどまっているそうです。笠松競馬場ではここまで、入場者数制限をおこないながらも、入場については先着順。他場のような事前抽選などは実施してきませんでした。しかし、岐阜県競馬組合から以下のようなお知らせが出されました。年末開催(12月28日~31日)は、事前抽選の上、各日1000名さままでの入場となります。年末開催入場にかかるお知らせ昨年の年末開催では、各日1000名を超える入場があり、場内でイベントもおこなわれた29日には4000名を超えました。今年はさすがにこの開催で先着順とするわけにもいかないということでしょう。場内の売店も予想屋さんも、例年ならば年末の書き入れ時となる開催が、引き続き1000人までの入場制限ということで、まだまだコロナ禍の影響は残ります。開催メインの第16回笠松グランプリは、大激戦を制して兵庫のエイシンエンジョイが優勝しました。後続に目標とされながらも果敢に逃げ、外と内から早めに並びかけられる苦しい展開から、最後は盛り返しての勝利は、心底、偉い馬だと感動させられました。エイシンエンジョイはこれで笠松重賞3勝目。見事なコース相性、見事な勝負根性でした。(写真提供:谷口浩カメラマン)笠松競馬はこのあと年内は、12月14~18日12月28~31日の2開催がおこなわれます。大変難しい年となった2020年もラストスパート。引き続き、ネット観戦・ネットでの購入が主になりますが、笠松競馬にご声援ください。
2020年12月07日
ミツオーです。セとパの野球の違い…なのか?本当に。さて、どうにも難しい状況が続いています。続くという表現はもしかしたら適切ではないかもしれません。いや、続いていることには違いありませんが、より一層、難しくなったと言うべきでしょうか。もちろん、新型コロナウイルス感染症に関する話です。ちょっと振り返りますと、国内でこの感染症が取沙汰されるようになったのは、今年初頭。最初は、「アレ、ちょっとヤバいらしいよ」という程度の、言わば対岸の火事、火の粉が飛んできてるみたいだけど、もらい火事にまではならないでしょ?てな認識の方が多かったのではないでしょうか。少なくともわたしはそうでした。2月に入り、クルーズ船での集団感染が起きて初めて、「コレってもしかして国内にも大々的に入ってくるのか?」と認識を改めざるを得なくなり、2月も半ばになるといよいよ気をつけないとアカンらしいぞ、こんなふうに大勢集まって宴会とかしてちゃマズいのでは?と多くのひとが語るようになりました。今にして思えば、国内でのこの感染症流行の、それはほんの始まりの時期で、感染症から身を守る・感染拡大を防止するためにどうすればいいのか、一市民としてはどうするべきなのかを、ほとんどのひとが知らない状況でした。2月末、政府から、大勢のひとを集めてのイベントごとを自粛するよう要請がなされ、2週間程度の辛抱だから外出もできるだけ控えるようにという話になると、地方・中央ともに競馬場はファンの入場を停止。いわゆる無観客開催がスタートしました。わたし自身、2月中旬に開かれたNARグランプリ2019表彰式と祝賀会には出席した一方で、その数日後に予定されていた、社の「飲食をともなう」会合は取りやめとなるなど、情勢の急変を直に体験することになってからの、無観客開催。お客さまの誰一人いない競馬場でおこなわれるレースを見て、実況することは、事前に想像していた以上に張り合いが感じられず、当時、かなり気分的にダメージを受けました。イベントや外出・移動の自粛は、2週間では済みませんでした。結局春休み期間中に開かれるハズだった多くのイベントやスポーツの大会・開催が中止に追い込まれ、この段階からでしょうか、世の中全体が陰鬱な雰囲気になってきたのは。大相撲春場所が中止になる。センバツ高校野球が中止になる。プロ野球が開幕しない。Jリーグが中断する。学校は早く春休みにしちゃう。卒業式はおこなわない。アレがなくなる。コレもなくなる。何だ?これは。まさか自分がこういう事態を経験することになるとは…。4月上旬から半ばには、政府による緊急事態宣言というものが出され、本当に世の中のありとあらゆる物事が、感染拡大防止のためという名目で中止・取りやめに。実際どのくらいの割合の方がそうされたのか知りませんが、おウチで仕事になる業種の方は出社しない、おウチでは仕事にならないけれども出勤しない、そもそも会社やお店が営業しない、ということが本当に起きてしまいました。こうした国難(…世界中がそうなんだから、国だけの難ではないでしょうけども)とも言えるひどい状況下に、競馬の売り上げは実に好調に推移したというこの皮肉。わたしも毎日、以前と変わることなく競馬場に出勤し実況放送業務を担当してきました。えらいもので、初めあれほど張り合いがなく違和感を感じた、ファンのいない場内での実況にも慣れてしまいました。金沢や笠松に出張もして、行き帰りの列車内や宿泊施設のあまりにも閑散とした様子にも慣れてしまいました。人間とはおそろしい。アレに慣れることができるのか。大勢が困っていると頭ではわかっていても、すいている新幹線車内は快適だ。そのうち、この状況も悪くない…などと感じるようになる。人間とはおそろしい。その後、長くながく続いた、「頭を低くして禍をやり過ごす」という風潮は、「一体いつまでガマンしてりゃいいんだよ!」という鬱屈に転じ、夏から秋以降実施されたGoToキャンペーンなどをキッカケに、今や大きな反動をむかえている様子です。どうなるんでしょう?どうするんでしょう?感染拡大の勢いは止められそうにない。春から初夏くらいに大勢が協力して、辛抱して辛抱して一度は抑え込んだ、あの頃のような振る舞いに戻せば、あるいはこの事態を軽減できるかもしれません。が、もう辛抱たまらん!という今の反動の勢いも止められそうにない。地方競馬は今年、数字上の売り上げが非常に好調で、例えば笠松競馬では一日6億円を超える売り上げを、金沢競馬では9億円を超える売り上げを、それぞれマークしたりしました。繰り返しますが、実況アナウンサたるわたしなどは、事態前と変わらず出勤し、仕事をさせてもらっています。一方で、競馬場で仕事をしてきた方々の中には、お客さんが入らないのでは売り上げが得られないという業種も多くある。同じ競馬をつくる立場の仲間として、この差はあんまりです。それに、主催者さんだって馬券売り上げの全てがネット投票となれば、手数料がかさむばかりで、大して実入りは増えてないとおっしゃるかもしれない。本場開催日以外の場外発売所としての売り上げがゼロというのも困ったことでしょう。こと競馬場、競馬開催という立場だけでも、お客さんは戻ってほしい。大勢、できれば無制限で入場させたい。が、感染者数は増大している。またいつ春のような要請や宣言が出るか、わからない。本当に、本当に難しい状況が続いています。競馬実況の話を一つだけ。タガノゴールド号のことです。だいぶん時間がたってしまいましたが、11月8日に金沢競馬場でおこなわれた第68回北國王冠で2着となった兵庫・タガノゴールドは、入線後すぐ、第1コーナーに差しかかるあたりで倒れ、ふたたび立ち上がることなくこの世を去りました。わたくし、このレースの実況を担当していました。このレース、直線は勝ったスギノグローアップとタガノゴールドの見ごたえある追い比べ。ゴールした瞬間、その差はわずかでしたがスギノグローアップが先着したように見え、ゴールを過ぎたあとはそうした状況をお伝えしていたのですが。ふとゴールした馬たちが走り去った方角を見ると、タガノゴールドが倒れている。迷いました。この状況に言及すべきかどうか。レースは終わっています。入線後の馬のアクシデントです。例えば入線後に落馬、という事態が起きた場合、それに気づいてもあえて触れずに終えることは多いのです。が、このときタガノゴールドの様子は明らかに緊急性の高いものでした。下原騎手が、横倒しになった馬に懸命にマッサージをほどこす姿が見えている。そして、山中寛アナウンサーが、「タガノゴールド…」と、注意をうながしてくれた。そうだ。この馬は、タガノゴールドだ。倒れている。状況は予断を許さない。それだけでも触れておこう。そう考えて、あのような言い方をしました。後になって、山中アナウンサーも触れたように、ネットのレース中継映像には馬が倒れるシーンも倒れている様子も映らず、わたしが何も言わなければ、中継をご覧になった方々にその事態が伝わらなかったという事情を知りました。迷って、それでも口にしたことが正解だったのかどうか、わたしにはわかりません。しかし後悔はしていません。ただタガノゴールドが再び立ち上がることができなかったことが、残念です。(第68回北國王冠パドックのタガノゴールド)
2020年11月23日
ミツオーです。先週だけで体重が3キロ近く減りました(増えてたんですよ)。さて、もう一週間がたってしまいますが、先週火曜日(11月3日)は、節目となる20回目のJBCデーでした。今年はクラシック・スプリント・レディスクラシックの3競走が大井競馬場で、そして新しく2歳カテゴリのJBC2歳優駿が門別競馬場でおこなわれ、JBC史上初の2場開催となりました。(スタッフの方々着用のブルゾン背中には、「大井・門別」のロゴが)今世紀最初の年に大井競馬場で第一回がおこなわれたJBCは、盛岡・名古屋・川崎・園田・船橋・金沢・JRA京都・浦和と開催経験場を増やし、今回ついにホッカイドウ門別競馬場に上陸したのです。個人的には、やはりJBCは全てのレースを同一場で一日のうちに実施されてこそ、との思いはありますが、開催経験場が10場の大台に乗ったことは素直にめでたいことだと思っています(…もっとも、このあと国内全ての場で実施したとしても、最大24までしか伸びない数字なんですが。競馬場が新設されない限り)。コロナ禍で場内にお客さまの戻りきらない、というより、ようやくほんの少しずつ戻りはじめたばかりの大井競馬場では、せっかくのJBCデーにイベントはナシ。山中寛アナウンサーも書いたとおり、場内装飾も特別なモノはナシ。そういう意味では、かつてないほどに寂しいJBCでしたが、レースそのものの盛り上がりはそれとは別の話。また、売上面も極めて好調で、そこも話は別。ちなみに今回のJBC売上は次のとおり。クラシック1,812,368,300円(2017大井)→2,991,791,200円スプリント1,626,144,900円(2019浦和)→2,047,129,900円レディスクラシック1,131,146,900円(2019浦和)→1,296,549,200円2歳優駿974,898,000円大井でおこなわれた3つのカテゴリ全てで売上レコードを更新。また、2歳優駿も、前身の北海道2歳優駿の売上成績と比較すると、ほぼ3倍という大レコードとなりました。大井競馬場の入場人員は、主催者発表で777人。昨年の浦和が29,191人、2017年大井は28,147人、また2015年の大井が34,153人であったことと今年を比較することには全く意味がありませんが、とにかく場内が閑散としていたことは間違いありません。それでもこの数週間より入場数を緩和した大井競馬場では、いわゆる密をさけるため、立ち入り可能エリアを少し広げて対応しました。(前日までは写真の赤い線より手前のみ開放されていたのが、当日は青い線までお客さまが滞留できるようになりました)この日、大井競馬場内ではイベントはおこなわれませんでしたが、JBC競走を前に、競馬界初の快挙を報告する式が実施されました。大井所属の的場文男騎手が、騎手として、中央・地方を通じて初めて、黄綬褒章を受章したのです。黄綬褒章とは、業務に精励し、他の人の模範となる者に授与される褒章で、綬(リボン)は黄色。的場文男騎手は、みなさまご存じの騎手としての大活躍・偉大な実績に加え、後進の指導・育成に尽力していることや、東京都騎手会の役員として騎手の地位向上に資する活動を行うなど、その事績が顕著であり、これらが競馬の発展に大いに貢献し、もって畜産振興に寄与したことが評価されての、このたびの黄綬褒章受章となりました。(褒章を受けたレジェンド的場文男騎手。「もう64歳で大変なこともあるが、お客さんが競馬場に戻るまで頑張りたい」と)なお、的場騎手の黄綬褒章受章を祝して、12月9日(水曜日)に祝賀イベントをおこなう予定とのことです。ファンの皆さまからのお祝いメッセージの募集・記念グッズプレゼントなどが予定されています。ぜひ大井競馬公式サイトなどでの発表をお待ちください。JBC4競走については、みなさまご覧になったことと思いますので、くどくど言いません。それぞれに、いいレースでしたし、胸の熱くなるシーンがたくさんありました。業務の合間に、なんとかかんとか撮影した写真を少しだけ。(レディスクラシック覇者のファッショニスタ)(頭差2着のマドラスチェック。追い比べは見ごたえありました)(1番人気のマルシュロレーヌは3着でした)(地方最先着の4着、ダノンレジーナ)(スプリントの覇者、サブノジュニア!)(出遅れながらも3着に追い込んだブルドッグボス…写真がひどくてすみません。業務の合間であわてて撮っているのと機材と腕の問題で…。マテラスカイの写真は撮れませんでした。ごめんなさい)。(ファンファーレ生演奏は東京トゥインクルファンファーレのみなさん。この日は特別編成)(クラシック覇者、クリソベリル。圧巻の強さでした)(2着オメガパフューム)(3着チュウワウィザード)大井競馬場では最終レース後、JBCフラッグ引き継ぎ式がおこなわれました。(JBCフラッグ近影)来年、21回目となるJBCは、金沢競馬場でおこなわれます。フラッグが大井競馬の斉藤弘開催執務委員長から、金沢競馬の新谷和幸競馬事業局長に引き継がれました。金沢競馬場でのJBC開催は2013年以来、8年ぶり2回目です。2013年の金沢JBC、みなさま覚えていらっしゃいますか?前日まで、開催当日の天気は雨!と、気象情報が自信をもって(?)言い続けたのが、いざその日になってみると、午前中に少し雨が通り過ぎたあとは青空が広がり、JBCというレースのお天気運の良さを心の底から思い知ることになりました。第3回にしてJpn Iに格付けされたレディスクラシックはメーデイアが、スプリントはエスポワールシチーが、そしてクラシックはホッコータルマエが制した、2013年の金沢JBC。8年ぶりに、金沢競馬場でJBCがおこなわれます。2021年のJBCは、11月3日(水曜日)です。金沢の吉原寛人騎手は、この春、2021年JBCの開催場が金沢に決定した際、「人類がコロナウイルスに勝利した証としての開催に」と話しました。正直、これを聞いた当時は、ずいぶん大げさなことを言う…と思ったものですが、これはわたしの方が認識が甘かった。吉原騎手の言うとおり、苦しい時期を乗り越えた証として、心配のない状況でおこなわれればどんなに晴れやかでしょう。そうあれかしと、心の底から願わずにはいられません。
2020年11月09日
ミツオーです。せっかく好調になっても今年は2位には意味がない(セントラル・リーグのお話)。さて、わたくし金沢市内に滞在中です。昨日(10月25日)の金沢競馬メインレースは、新設重賞・第1回お松の方賞(3歳以上牝馬、距離1900メートル)でした。今年の金沢競馬は、重賞競走が3つも新設されました。各場にそれぞれの、しかも時期や時代によっての都合があり、一気に多数の重賞が新設された例はこれまでにもありましたが、年間3つの重賞新設というのは、なかなかお目にかかれる事態ではないと思います。重賞競走が新設される理由としては、路線の整備や充実ということが考えられますが、馬主など関係者からの要請にこたえるカタチということもあるのかもしれませんし、まあ色々でしょう。が、理由はどうあれ、高額賞金レースを増やすということは、不景気な状況ではやすやすとできることではなく、そういった意味では重賞が3つも増えたこと自体は、良好な経営状態を示すものであると思っていいのかもしれません。3つの重賞が新設された金沢は、今年第2回を迎える重賞、第3回・第4回・第5回をかぞえる重賞がそれぞれ1つずつあり、つまり重賞の新設は5年連続ということに。…そうか、このところ新設が続いてると思ってたけど、もう5年も連続なのか。というわけで、好景気・売り上げ好調を反映しているのかどうなのか、毎年重賞が新設され続け、今年は3つもの重賞が新設された金沢競馬なのです。ちなみにこの第1回お松の方賞は、「北陸・東海チャンピオンシップ2020」の一環としておこなわれました。この「北陸・東海チャンピオンシップ」というのも新設です。昨年度まで、中級条件(B級)の北陸・東海交流戦としておこなわれてきた「A・G・I競走」(愛知・岐阜・石川)に代わって、3歳以上・3歳以上牝馬・2歳の各カテゴリーの重賞レースを、名古屋・金沢・笠松の各ラウンドとして実施するものです。正直これは、各レースに関連性はなく、異なるカテゴリのレースをひとつのシリーズのようにくくることにどんなメリットがあるのか疑問ですが、北陸と東海の交流を継続するという意思の表明という意味はあるのかもしれません。せっかくシリーズめいた名称までつけているのですから、今後、それぞれの路線(カテゴリ)のレースを3場すべてで実施してシリーズチャンピオンを決める!くらいのところまで発展してもらいたいと思うのですが、どうでしょうか。第1回お松の方賞は、発走時刻が15時35分。コントレイルの三冠がかかった菊花賞が15時40分発走でしたから、全国の競馬ファンのうちどのくらいの方が注目してくれたか、ちょっと不安なしとは言えません。せっかくの新設重賞、そのあたりにも配慮というか工夫があってもよかったのではないかと思うのでした。とは言え、金沢競馬場ではJRA菊花賞の発売は14時まで。レースの模様も放映されないとあって、金沢本場にご来場のお客さまは、目の前のレースを注視し、お楽しみくださったものと思います。(場内には14時までというお知らせが)とにかく、第1回お松の方賞がおこなわれました。勝ったのは、今年の石川ダービー馬・ハクサンアマゾネスでした。(パドックのハクサンアマゾネス)好スタートから単騎逃げ、そのまま逃げ切りました。直線では名古屋のジェネラルエリアとシーアフェアリーが懸命に追ってきましたが、結局この2頭は2着あらそいまで。これを突き放して、見事な勝ちっぷりを見せたハクサンアマゾネスでした。(2着ジェネラルエリア)(3着シーアフェアリー)(笠松から参戦のシオジスターは、金沢デビューで2歳重賞・金沢プリンセスカップの勝ち馬。今回はしんがり負けでしたが、久々の金沢でファンのみなさんも当時を懐かしく思い出したかも)第1回お松の方賞 優勝 ハクサンアマゾネス号 吉原寛人騎手「新設された重賞ということで、記念すべき第1回を勝ててホントにうれしいですね。最近、スタートが良すぎるというか、ホントに行き脚ついちゃうので、ここは逆らわずに長距離でハミ噛んだまま走らせるのもどうかと思ったので、出たら思い切って行ってしまおうと思っていて、大畑くんの馬も行きたい馬だったと思うんですけど、そこらへんの兼ね合いはありましたね。逃げた方がまだ、ハミも抜けて距離ももつと思うので。いい方にむいてくれたなと思います。前回の競馬での疲れが抜けきれなくて調整に苦労して、万全というカタチでは出られなかったので、ホントに馬の地力で勝てたという感じですね。ホントにいつもいつもレースで一生懸命、力尽きるまで走ってくれる馬なので、最後一杯一杯になってしまいましたけど抜かされずに最後まで頑張ってくれました。デビューが今年の春と遅くても、もう重賞4勝してくれてすごい馬だなと思いますし、まだまだこれから成長してくれる馬だと思いますし、これから馬体のケアをして大きなところを勝てるように頑張りたいなと思います」(聞き手:百瀬和己アナウンサー)実は吉原騎手、レース前に少しだけお話をうかがったところ、お松の方賞に臨むハクサンアマゾネスについて、「ちょっといいイメージじゃない」という表現をしていました。前走の敗戦について、スタートから前に行けてしまったことがアダとなり、抜け出したところで「苦しくなったところを他の馬にやられてしまってる」と話し、不安をいだきながらの昨日のレースだったようです。しかし同じ牝馬同士とはいえ、東海地区からの遠征馬をも相手にまわしての勝利でしたから、この馬の力量には確かなものがあると、再確認した格好でしょうか。ところで現在、金沢競馬場ではお客さまの入場再開から続けて、入場者数の制限を実施しています。その上限は、1300名、となっているのですが。昨日の金沢競馬場、入場者数は、2477名。??と思われるでしょう?実は、金沢競馬場の入場者数1300名というのは、「場内滞留者数」の上限です。昨日の場合、13時現在の「入場者数」が2052名。この時点での「滞留者数」は1196名でした。したがってこのタイミングで来場された方も、入場門で止められることなく、すんなり入場できます。(メインレースのパドックにもファンのみなさんが)ちなみに14時時点での「滞留者数」が1143名で、15時ではこれが953名。メインのお松の方賞発走直前の15時半時点では871名。如実に、菊花賞の馬券を買いにきたが、場内ではレースの放映がないから帰った、という方が多かったことがわかります。この、早くにお帰りになったお客さまがみんな、お松の方賞の馬券も仕込んでからのご帰宅であればいいのですが、さてどんなものでしょうか。諸々、制限のある中ですが、この制限がすっかりなくなり元通り!という日がいつになるか、そもそも元通りになる日がくるのかどうか、見通しは立ちません。きめ細やかな工夫が求められるように思います。
2020年10月26日
ミツオーです。最近、満腹になるまで食べる機会が増えています(昨日も満腹)。さて、10月も半ば。徐々に秋も深まり、競馬もどんどん盛り上がってくるシーズンです。今年はコロナ禍で、その盛り上がり方にも例年とは違ったものがありますが、それでもビッグレースが近づき、実施され、名勝負・好レースが展開されるのを見ると、気持ちが高ぶります。先週、大井競馬場ではRoad to JBCに位置づけられるレースが2つおこなわれました。水曜日(7日)には1200メートルの東京盃、そして木曜日(8日)には牝馬のレディスプレリュード、いずれもJpn II。JBCに直結する注目レースでした。遠く台風の影響か、水曜日から雨に見舞われた東京地方。東京盃は、雨・良馬場。レディスプレリュードは、雨・不良馬場のコンディションでおこなわれました。(雨の中、2日連続の重賞がおこなわれました)(木曜日のレディスプレリュードはご覧の不良馬場)レースのほうはご覧いただいたことと思いますし、まだの方はリプレイを見ていただくこととして。東京盃は、ジャスティンが好位追走からいち早く先頭に立つと、追ってきた昨年JBC1・2着馬のブルドッグボスとコパノキッキングを振り切り優勝。春の東京スプリントに次いでこの大井1200メートル重賞を制覇しました。レディスプレリュードは、前走初ダートを快勝して圧倒的人気に押されたマルシュロレーヌが期待に応えて圧勝。直線でも手ごたえにかなり余裕を感じさせる勝利で、新ダート女王候補筆頭に躍り出ました。下にご紹介する、優勝騎手のコメントにもあるとおり、ジャスティンは大井1200メートルとの相性の良さを、そしてマルシュロレーヌはダート適性の高さを、鞍上も見た我々も確認した、という2つのレースになりました。東京盃優勝ジャスティン号 戸崎圭太騎手「砂をかぶらない位置には行きたいと思っていたんですけど、先に行く馬がたくさんいそうだったので、どういう展開になるかなと思っていましたが、一番いいかたちでレースを進められたかなと思います。馬場は水分も含んでいますし、前残りは多いと思いますけど、一番走りやすいのかなと感じていました。着差はそんなにないですけど、先頭にたってからも遊んでいるようなところも見せて、後ろから馬がくれば反応してくれるところもありました。話を聞いたところでは、とても元気な馬とのことで、まず返し馬など落ちないように気をつけていたんですけど、いい馬で、走るなあと感じていました。(東京スプリントに続いて)重賞を大井競馬場で2勝ということで、相性もいいのかなと思います。ボクは復帰してファンのみなさんの前で乗せていただいたのは初めてだったんですけど、競馬場にたくさんのファンがいらっしゃいますと気持ちも入りますし、頑張りたいなという気持ちになります。まだまだたくさんの方という感じにはならないですけど、ぜひ競馬場にお越しいただいて楽しんでいただけたらなと思います」(ジャスティンの手綱をとり、優勝に導いた戸崎圭太騎手)(東京盃を制したジャスティン。雨の夜ということで、この程度にしかピントがあいません。機材=ケイタイと腕の問題も大ですが)(勝馬にせまった2着。ブルドッグボスは昨年、浦和JBCの優勝馬)(3着コパノキッキング。昨年JBC2着馬。外をまわった分か、勝馬には届かなかったものの、直線の伸びは目立ちました)レディスプレリュード優勝マルシュロレーヌ号 川田将雅騎手「無事に勝つことができて何よりです。初めての地方競馬場で初めてのナイター競走で、というところを心配していたんですけど、パドックでの雰囲気も全く問題なさそうでしたし、返し馬の雰囲気もレース直前も問題なく過ごすことができたんじゃないかなと思います。この馬のリズムで競馬をして、この地方の馬場でどれだけ走れるのかというところでした。とてもいいリズムで走ることができていたので、何ら問題なく大丈夫だなというのを実感しながら、道中乗ることができました。(3~4角でも)いい雰囲気のまま、継続していい雰囲気で走ることができたと思います。前回が初ダートということで、素晴らしい勝ち方してくれたんですけど、これが本当にダートが合うのかというのも心配なところではあったんですけど、今日のこの馬場でもしっかりと自分の脚を使うことができましたし、直線は、やはりダートが合うんだなということを確認しながらのレースになりました。半信半疑でどれほどやれるのかというところで今回のレディスプレリュードだったんですけど、今回の結果が物語るように、高い素質を示してくれましたし、このまま無事に次のJBCに向けていい時間を過ごせればと思いますので、本番も楽しみにしてくれたらと思います」(マルシュロレーヌ。相手関係が強化するであろうJBCでも、きわめて有力、と思わせる勝ちっぷり)(2着マドラスチェック。前に行って粘ったものの…。勝馬との差を、本番で詰められるかどうか)(実績は出走メンバー中断然だったものの、3着のプリンシアコメータ)(地方最先着5着でグランダムジャパン古馬シーズン優勝を決めたサラーブ)先週半ばからあいにくの雨となりましたが、そんな悪条件でも、注目レースのパドックにはたくさんのファンの方が集まり、熱い視線を出走馬に送っていました。大井競馬場、先週も入場制限をし、本来の入場者数からすればほんの一部にしか相当しない400名ほどのお客さま。それでもこうして競馬場に駆けつけ、出走馬・騎手に気持ちのこもった声援を(遠慮がちに…ではありますが)おくってくださる姿を見て、我々も非常に元気づけられます。JRAでもいよいよ入場再開となり、各競馬場でファンの姿が見られるようになってくると、本当に本当に当たり前のことを痛感せずにはいられません。ファンのみなさんあっての競馬なのだ、ということを。ファンのみなさんと一緒に、秋シーズンの競馬を楽しんでいきたいと思います。
2020年10月12日
ミツオーです。この数日、急に蚊が増えたような気がします。さて、船橋競馬場では、スタンドの建て替え工事がおこなわれています。昨年春に発表された計画によると、この工事は観覧スタンドの全面的建て替え・入場口新設などの大規模なもので、工期は今年度~2023年度末となっています。すでに工事が進行中です!とは言え、現在は旧スタンドの取り壊しがおこなわれている段階。まだまだ、本当にまだまだ、新たなスタンドが姿をあらわすのは先の話です。今日(2020年9月28日)の様子は…。ご覧のように、最も1コーナー寄りにあったスタンドがすっかり取り壊されました。…何、わからないって?そうですわねえ。「無い」ものを写すのは難しいのです。街中でも、以前あった建物が取り壊されて更地になっているのに遭遇すると、「ここって前、何があったんだっけ?」となりますもんね。…何?ならない?そんなことないでしょう?まあいいや。そこに何かがあったのに、今はありませんよ、というのを示すには、あったときの画と比べればいいわけです。そんなことはわかってる。けど、そう都合よく、古いスタンドの写真がない。いや、取り壊されることがわかってるんだから撮っておけばいいようなもんですが、いざ使おうと思って探すと出てこない。むう。いや、正直なところ、撮ったんですよ。けどちゃんと保存してなかったんです。ケータイに撮りためておいたのが、…データが壊れたらしく。というわけで、在りし日のスタンドが写っている写真は…こちら。(黄色矢印が仮設実況席の場所、赤矢印が旧スタンドの実況席の場所)仮設業務棟が建ってるんですから、かなり新しい写真です。もっと古い写真はないのか、っつうツッコミごもっとも。今日の様子と比べてみましょう。なくなりましたね?空が広い。もう一丁。(黄色矢印が仮設実況席の場所、赤矢印が旧スタンドの実況席の場所。桃色の囲みは仮設カメラさんの場所)…。ほとんど同じ角度で撮ったハズなんですが、空模様と時間帯があまりに異なるため、違う場所にしか見えない。おかしいなあ。比較して、ホラ、スタンドがなくなっちゃったでしょ?って一目瞭然になるハズだったのに。パドック側から見ると、こんな感じ。本来スタンドが建っていて、本馬場方面を見通すことなどできなかったのに、現在はご覧のとおり、内馬場にたつ大型ビジョンまで見えています。…何?わからない?(黄色矢印が仮設業務棟。実況席がある。白矢印の先にビジョンが見えてますね?)風通しがいいですねえ。スタンドが建っていれば、この角度から向こう側の空が見えるわけはないのですが。ということで、スタンドの一部取り壊しが進み、すっかり見通しと風通しがよくなっている現在の船橋競馬場なのでした。今のうちに、現存スタンドを撮っておかねば。この向かって右手の夜空の広がるあたりに、取り壊されたスタンドは建っていたのです。そしてこのスタンドも、やがて取り壊され、建て替えられることになっています。繰り返しますが、船橋競馬場のスタンド建て替え工事が全て終わるのは、23年度末とのこと。3年以上先です。工事の進捗状況は、これから折に触れてお伝えしていくことになるでしょう。
2020年09月28日
ミツオーです。国内のラッコが6頭になってしまいました…。さて、わたくし先週水曜日から金曜日まで、笠松競馬の実況を担当しました。今回の笠松競馬、メインレースは、木曜日(10日)におこなわれた、第5回西日本ダービーでした。西日本ダービーは、第1回から、園田→佐賀→金沢→高知の順でおこなわれ、今回が笠松。来年の名古屋で実施場が一巡します。それぞれの競馬場の所属でデビューし、移籍せずに3歳秋をむかえた馬=いわゆる生え抜きの馬だけが出走できるという条件は、東海・北陸・近畿・四国・九州の関係者の「おらが馬」を強くしたいという思いにこたえるものです。とは言え、実際に運用するとなるとこの条件はかなり厳しく、前にも触れましたが、笠松デビューで名古屋に移籍した経歴のあるカツゲキキトキトには、出走資格がありませんでした。厳しい条件のレースですから、出走メンバーの力差が大きくなることもありますし、各場の最強馬が出走するわけではない、「格落ちの出るレースでしょ?」という目で見られがちではあります。そうした側面もある西日本ダービーですが、第5回をむかえ、関係者の間にもファンのみなさまにも、かなり定着してきた感があり、また、今回は各場の3歳上位で大活躍してきた馬たちが出走してメンバーもハイレベルとなり、非常に興味深い一戦となりました。(第5回西日本ダービーパドック)笠松競馬場でも長く無観客開催が続いてきました。この西日本ダービー当日も、場内に一般のお客さまは入場できず。したがってこのイベント性の高いレース当日にも、場内でファンのみなさま向けにイベントをおこなうことはできませんでした。が、この注目の一戦を少しでも盛り上げようと、場内特設スタジオから、西日本ダービー予想会番組をネット配信。ご当地アイドルのやながせゆっこさんを中心に、楽しいトークを皆さまにお届けしました。(場内特設スタジオからナマ配信。お楽しみいただけましたでしょうか?)わたしは実況席のパソコンで視聴しておりましたが、非常に面白い予想会で、放送予定の1時間が終わりに近づくと、「もう終わっちゃうの?」というファンの方からの名残を惜しむコメントも見られ、これは今後お客さま入場再開後も、類似の番組を次々に提供していいんじゃないかと思いました。話は前後しますが、笠松競馬場でもついに入場再開の日をむかえました。笠松の入場再開は、本日、9月14日。人数制限があり、しばらくは特別観覧席のみの使用となりますが、まず今日からはは場外発売所として、そして本場開催としては22日が初日の次回開催から、お客さまをお迎えしての開催が戻ってきます。(入場は正門からのみに制限されます。そして入場すると、特別観覧席に入っていただくよう、誘導されます)(青丸が正門。赤丸が特別観覧席入り口。青のラインが規制線です)笠松競馬場の入場再開について、くわしくは公式サイトでご確認ください。また、わたくし今回笠松競馬場には久々、3カ月以上ぶりにお邪魔しました。その間に大がかりな馬場改修がおこなわれ、それにともない、あちこちに新しくなった箇所が見受けられました。(装鞍所からパドックへむかう馬道が新しく。道脇の灌木が伐採されて馬が見えやすくなりました)(ラチも新しく)馬場については、見てわかるようなものではありませんが、馬道はラチは一目でおわかりいただけます。久々ご来場の際は、そうした箇所にも目をとめてみてください。第5回西日本ダービー、レースのほうは、かたまった先行集団を前に置いた中団グループから、残り800メートルあたりで2番人気に推されたミスカゴシマが動こうとしますが、コレが思うように加速しない。この動きに刺激されたようにフジヤマブシが早めに外から進出開始、これをマークするように一緒にエアーポケットも上がっていきます。これらの馬より前に位置していたイチライジンも、ほぼ同じタイミングで鞍上がゴーサインを出しているようでしたが、こちらも思いのほか動けず、一旦はフジヤマブシとエアーポケットが前に出て最後の直線へ。エアーポケットが抜け出そうというところ、内でフジヤマブシもしぶとさを見せ、2頭の追い比べ…というところへようやくエンジンのかかったイチライジンが襲いかかり、直線は3頭の追い比べ。最後はエアーポケットにイチライジンが並びかけたところがゴール!…でしたが、アタマ差、エアーポケットがしのぎました。向こう正面からゴールにかけて、非常に見ごたえのある攻防でした。(第5回西日本ダービー覇者・エアーポケット)勝ったエアーポケットは、佐賀勢として初の西日本ダービー制覇。手綱をとったのは金沢の吉原寛人騎手で、吉原騎手はこの勝利が地方競馬の重賞100勝目となりました。エアーポケット 真島調教師補佐のコメント「前走の大井から帰ってきて少し疲れがあったんですが、軽めの調整で回復につとめ、万全の状態で臨むことができました。距離がのびたらこの馬は長くいい脚を使えるので、もうちょっと距離が長くてもいいのかな?と思っていました。今日は騎手がうまく乗ってくれました」吉原寛人騎手コメント「馬のリズムで行けるところまでついていって、いい脚使えればな、と思っていました。フジヤマブシの強さはイヤというほど知っていますので、なんとかその馬についていって、やっつけたいなという思いはありましたので、そういう作戦(フジヤマブシマーク)でいきました。最後までがんばってくれたので、最後は祈るような気持ちで。積極的に遠征にいった結果が実ったのかなと思います。今年はホントにコロナ禍でたいへんですけども、徐々にですが、ファンのみなさんの入場再開ということで、ボクたちもファンのみなさんの声援がやる気につながりますので、ぜひご来場いただいて、活気のある競馬場を取り戻させてもらいたいと思います」エアーポケットは、高知→盛岡→大井に続いて今回の笠松で4連続遠征。この積極的な遠征で馬がたくましくなってきたように感じます。そして騎乗した吉原騎手は、読売レディス杯(アークヴィグラス)加賀友禅賞(ハクサンアマゾネス)イヌワシ賞(リンノレジェンド)サラブレッド大賞典(カガノホマレ)に次いで5重賞連続制覇で、上にも書いたとおり、地方競馬重賞100勝達成。「強い馬にたくさん乗せていただいて感謝です」と謙虚に語りますが、本当に手がつけられないほどの活躍ぶりで、まさに無双状態。ますます磨きのかかった名手の手綱さばきから目が離せません。(一人で100を作ろうとすると、こうなる。人差し指で「1」、口と左手で「00」)実に半年以上ぶりに、笠松競馬場も入場再開。佐賀競馬場からも入場再開のニュースが届きました。いい知らせにも有頂天にならず、かと言ってなかなか好転しない状況にもへこたれず、地道に着実に、日常を取り戻せるよう頑張っていきましょう。(笠松競馬場正門脇のオグリキャップさんも、みなさまをお待ちしています)
2020年09月14日
ミツオーです。ちょっと良くなってきたと思ったらひどく悪くなる(=プロ野球ドラゴンズの話です)。さて、非常に衝撃的でした。…いや、そうでしょうか?ホントのところ、いつかこういうことになるんじゃないかと想像はしていたし、漠然とした覚悟みたいなものも心の内にあったかもしれません。ですからビックリはしないものの、しかし実際そうなってみると、やはり精神的に打撃は受けました。皆さんはどう受け止められましたでしょうか?(夏空の川崎競馬場…ですが、ビジョンには残念なお知らせが表示されています)(光って見えにくいですが…)先週、月曜日から金曜日まで連続5日間でおこなわれる予定だった川崎競馬の開催は、船橋競馬所属騎手から新型コロナウイルス陽性者が出たことを受け、初日(月曜日)から3日目(水曜日)まで取りやめとなりました。事態の推移は皆さまご存知のとおり。月曜日昼までに船橋所属騎手1名の陽性が判明し、当日の川崎開催取りやめ。続いて南関東4場所属騎手全員の、いわゆるPCR検査をおこなうことが決められ、2日目・3日目も開催取りやめ。船橋所属騎手からは合計6名が陽性であると判明。次週(今日=8月31日から)の船橋競馬開催を行わないことが発表される。取りやめとなった川崎開催初日~3日目の代替開催として、31日からの3日間、出走投票をやり直して川崎開催が行われることに。(大量の騎手変更と競走除外が出た4日目。変更情報一覧も大変な分量に)最初に川崎初日の開催取りやめの報を聞いたときには、正直、わたし自身はちょっと顔から血が引いたような感じを覚えました。その後は、4場所属騎手の検査結果が出るのを待つ間(具体的には水曜日午後。浦和騎手の検査結果がこの日夕方に出ると言われていました。浦和の検査結果が芳しくないと、さらに開催取りやめが拡大することになるだろうと思われたので)は、本当にヤキモキしました。船橋開催が丸ごと5日間、おこなわれないという発表を目にしたときにも、胃のあたりがモヤモヤしくしくしたように思います。が、確かにダメージはありましたが(わたしにではないですよ)、南関東地方競馬全体としては、その打撃はかなり小規模で済んだ(…済みつつある、という方が適当か)と言えるのではないでしょうか。4場すべての騎手を検査して、陽性者が、内1場の6名のみ。調べないから知らないだけで、調べてみたら大勢かかってるんじゃないの?という予想や想像がないではなかったところを、実際に検査してみてもそんなことは全くなかったというのは、むしろ見事とさえ、わたしは思います。競馬関係者が、それは南関東だけでなく、全国の、地方も中央もなく全国の競馬関係者全員が、厳しく厳しく対策をしてきたのは、競馬の開催そのものを維持することが競馬界にとって何より大切なことだからです。そしてその対策はここまで見事に機能してきた。たまたま今回、騎手という、競馬開催の中心であり直接レースを作る立場の人たちから感染者が出た。それを受けて開催取りやめ、これは現在のこの新型コロナウイルス感染症の扱いからいけば当然の措置でした。開催できなくなる、開催しないという状況にいたってしまったことは本当に残念ですが、ここまでよく切り抜けてきたということ、そして今回の検査結果を見てもよくコンパクトに事をおさめたということを、競馬関係者は誇っていいのではないでしょうか。船橋競馬所属、千葉県騎手会副会長の森泰斗騎手からコメントをいただきましたので、ご紹介します。非常に丁寧に書いてくれた以下の文章は、森騎手からいただいたものそのままです。読みやすくするために、句読点と改行の追加、…わたしが手を入れたのはそれだけです。きわめて整然とした、非の打ちどころのない森騎手からの文章をお読みください(先週金曜日にいただいたものです)。(以下、森泰斗騎手からのメッセージ)こんにちは。僕は元気です!かなり慎重に対策していたつもりですが、会員から6名も陽性者が出てしまい対コロナは難しいものだと身を持って知りました。しかし他3場はでていないわけですし、注意喚起などしてきたつもりですがもっと騎手会副会長としてやるべきことがあったんじゃないかと思い自責の念にかられています。なにより陽性になってしまった6名にはしっかり治してもらいまた一緒にレースに乗れる日が早く来てほしいです。川崎が取り止めになった事は、やはり申し訳ない気持ちが強いです。多方面に迷惑をかけてしまうことになりますし…結果的に来週に振替開催ということでホッとする部分もありますし、しかし日程がずれた馬たちが調整の面できちんと自分の力を出せるか?騎乗できる騎手の人数が少ないですし、その人たちにも負担をかけてるなとか考え事、心配事ばかりしています。僕の現状は、陰性とはいえ濃厚接触者なので9月2日までは自宅待機しています。とはいえ身体は元気なので、家で筋トレとストレッチやゲームとかやってます。期間が終わったらとりあえず外で走りたいですし、すぐに調教に乗りたい。ケガ以外でこんなに馬に乗らないことがないので戸惑ってます。今年はキャリアハイの年間400勝ペースでしたし全国リーディングの事もありますので、先日の浦和の雷雨での開催中止に続いて今回の件で騎乗機会が大幅に無くなってしまい、残念ですし悔しいです。しかし自分の事を考えている場合ではないので、千葉県騎手会として良い方向に向かえるように、意見交換しながらきっちりやっていきたいと思います。ファンの皆様にもご迷惑をおかけしておりますが、誰もが経験した事のない状況のなか、僕達も前に進もうと足掻いています。早く通常の日程で開催できますように、早くみなさんが安心して遊びにこれる競馬場が戻ってきますように。ファンの皆様のお力も貸してください!船橋競馬を南関競馬をよろしくお願いいたします。
2020年08月31日
ミツオーです。赤見千尋さんについての質問、とっさにうまいこと答えられませんでした。さて、感染症対策で競馬場からお客さんの姿が消えて間もなく半年です。ようやく、少しずつですが各競馬場で入場再開や入場再開への準備が進んできました。今日まで開催の浦和競馬では、最大331名さまが入場できることになりました。何しろ人数がかなりしぼられていますから、入場再開とは言え、パドックを見る方の姿もホントにちらほら。それでもこうしてファンの方々が競馬場に戻ってきてくださったことは、本当にうれしいことです。お客さまが戻ってくると、当然、場内売店も営業再開。これまた限定的なのですが。というわけで、わたしも待ちに待った浦和揚げ物(浦和競馬場といえば揚げ物なのです。少なくともわたしは)を購入。待ってましたよ、ホントに。そして、無観客開催中は発行されていなかった南関東地区の専門紙…ええと、紙の専門紙(ヘンな言い方だ)が作られるようになり、実況席にも届けられました。無観客期間中はネット新聞を印刷したモノをいただいていたのですが、やはりこうして本来のカタチの新聞を手にすると、これこれ!と無性にうれしくなります。慣れ親しんだカタチって大切ですね、ホント。(無観客開催中、実況席に届けられてきたプリント版)(これはこれで非常にありがたかったのですが)南関東地区では、このあと24日には川崎競馬で入場再開へむけてのプレオープン(200名さま)が実施されます。大井でプレオープンがおこなわれているのは、すでに触れました。川崎競馬場内に掲示された「キープディスタンス」を呼びかけるポスター。(一馬身って言われても…実感として一馬身のわかるひとって少ないんじゃないかと)(コバトンとウラワールのソーシャルディスタンス)こうした呼びかけやお願いの掲示にも、それぞれ工夫がこらされていて、なかなか面白いものです。(船橋競馬場は現段階で入場再開やプレオープンについて発表されていませんが)(こうして場内掲示物はしっかり準備されているのです)また、床や地面(というか、アスファルトだったりするわけですが)には、こういうの、フロアマーカーと言うんだそうですが、これまたそれぞれデザインが面白く。(金沢競馬場スタンド内のマーカー)金沢競馬場は、現段階では入場再開の発表はありませんが、場内では準備が進んでいます。↑何とも無視しにくい、というか、ほぼ無視できない座席の使用制限。なんか迫力ある。お客さまの入場再開によろこぶ先週の浦和競馬は…開催初日(水曜日)と2日目(木曜日)、なんと連日、豪雨とその影響によりレース取りやめになりました。(いいお天気。だったのに)二日とも朝からよく晴れて気温がグングン上がっていたのですが、午後になって雷雲の直撃を受け、設備が水に浸かったり馬場の砂が大量に流出したりして、レースを続けることができませんでした。(大雨で視界不良になり、激しい落雷も)(雨はあがっても馬場状態が悪く…)せっかく久しぶりに入場してくださったファンの方々には、本当に申し訳ないことでしたけども天災ですのでいたしかたありません。雨上がりには虹がかかりました。(あの建物から虹が吐き出されているようです)ついでにこちらは先週、金沢競馬場にかかった虹。金沢でも朝からいいお天気だったのが、午後急変、短時間に激しい雨が通り過ぎました。(こんなにきれいな青空でも、数時間後には大雨)(雨も通り過ぎれば…パトロールタワーから吐き出される虹)(その虹の反対側)人数制限なく大々的に入場再開!というのがいつ頃になるのか、今はまだわかりません。おそらく主催者の方々も相当な緊張感をもってプレオープンや限定的な入場再開に踏み切っている、実施していることでしょう。はたしてこのまま順調に入場数を増やしていけるのか、それともそう簡単にはいかないものなのか。とにかくようやく、本当にやっとのことでここまで漕ぎつけたのですから、この動きが後戻りすることのないよう祈るばかりです。
2020年08月17日
ミツオーです。庭のトマトが一段落しました。たくさん食べた。さて、ようやく梅雨が明けました。長かったですねえ、今年の梅雨は。しかもホントに毎日毎日、雨が降りました。だいたい梅雨の期間中でも、ちっとも降らない日が続いたり、なんだかんだで晴れ間があるもんですが、今年はず~っと雨降りでした。やれやれ。その長かった梅雨の間に、わたくし、高校野球の実況を担当させていただきました。(この曇り空。雨にもだいぶん降られました)ご存知の通り(そして以前ここにも書いたとおり)、今年の高校野球は春センバツに続き夏の選手権もおこなわれません。いわゆる甲子園大会がない(センバツ出場校への救済措置として交流戦がおこなわれますが)。ということで、地区予選もない。素直な感想として、そりゃあんまりだ、と思うわけです。そこで、各都道府県の高野連などが色々と調整して、独自大会や試合がおこなわれています(遅いところはまだ開幕していない)。その独自大会も多くは無観客試合とのことで、地元のケーブル局などが例年どおりか場合によってはそれ以上に中継に力を入れているのです。わたくしはその中継の実況として呼ばれました。ええとですね。自分の担当試合中にもその話題になりましたが、こういうことを見聞きすると、野球ばっかり特別なのかよ!というご意見というか、イチャモンをつける方が必ずある。ので念のため申し上げておきますと、例えばわたしが呼ばれたのは富山県大会でしたが、富山県では野球の独自大会が、(球場周辺に装飾らしきものはこれだけ。のぼりも横断幕もナシ。寂しい)「TOYAMA2020高等学校野球大会」との名称でおこなわれており、他の競技についても、同じく「TOYAMA2020高等学校スポーツ交流大会競技大会」として交流戦・大会が開催されています。もちろん競技によっては開催されないものもあるにはあります。が、多くの競技で野球と同じく、独自大会がおこなわれ、高校3年生たちが最後の夏の大会を戦っています。梅雨の真っただ中ということで、グラウンド状況も頻繁に悪化。(グラウンドコンディションは『不良』)(懸命の整備作業)しかし、感染症拡大防止のため、試合間隔を広く設定(前後の試合に出場する選手などが接触しないように)されていたことが結果的に功を奏し、雨のあがっている間にグラウンド整備。このグラウンド整備なども、例年ですと、県内の野球部員たちが協力して各球場に配置されるのですが、今年はそれもナシ。大会運営のお手伝いにも高校生は参加せず、グラウンドは試合をおこなうチームのメンバーが整備する姿が見られました。球場をおとずれるのは、試合をおこなうチームの選手たちと3年生部員の保護者(人数制限あり)のみ。スタンドには、(座っちゃダメ!じゃなく、ここに座って!というステッカー。間違えそう)このような距離をとって席を使用するようにすすめるステッカーが。われわれ中継にたずさわる者も、人数を減らし、距離をとって感染症対策。実況席は、この距離。写真左のほうに写っていらっしゃるのが解説の伊東与二さん(高岡商業監督として6回甲子園出場)。赤矢印が実況=わたくしの席ですから、3メートル以上離れてます。そして、解説者さんも実況もフェイスシールド着用。(妙にうれしそう。慣れないことをすると、ちょっとテンションが高くなるんですな)こちらは解説の中島大悟さん(星稜高校出身。伏木海陸運送野球部監督として都市対抗野球にも出場)。…こういった場では感染症が広まることはないんじゃないかな?と思う一方で、こうして気をつけられるだけ気をつけても、感染するときはするだろうとも思うのです。なんとも兼ね合いの難しいことで。どうでもよろしいが、せっかく訪れたので富山県高岡市で撮った写真をいくつか。(路面電車「万葉線」)(同じく。新しい車両。2両編成です)みなさん電車がお好きなようで、こういう写真を使うと反応がいいのですよ。あとお約束のドラえもんね。(高岡駅前にくると、どうしてもコレの写真を撮りたくなってしまう)ちなみに試合会場となったボールパーク高岡は線路際にあり、球場真横を列車が通ります。みなさん電車がお好きなようで(以下略)。(最近、電気機関車やディーゼル機関車のカッコよさに目覚めた)人が集まることを避けて5カ月。様々な場面でその規制や自粛が緩和されてきました。競馬場にもお客さまが戻ってきました。ばんえい帯広と岩手に続き、浦和競馬でも、8月12日からの開催でお客さまの入場を再開します。もちろん条件つき・制限つきではありますが。そして、大井競馬場では、9月からの入場再開=正式オープンを目指して、8月中にテスト入場=プレオープンを実施することになりました。先週土曜日(1日)には、TCKの有料会員を対象とした「招待制」で、少数のお客さまが入場しました。一般席にはこのように、距離をとって座ってもらえるよう、シートに目印が。…上にも似たような写真がありましたが、逆というところが面白いというか、大井競馬場の場合は、使用しないでくださいという座席にはホントに座りにくい。それだけ対策を厳しくしていくということなのだと思うのです。使用中止座席の目張りが枠色で並んでいるところが競馬場らしい。梅雨が明け、真夏到来。青空が広がり陽をあびると、ひとつ気持ちが明るくなります。これから競馬場への入場再開が手探りで進められていくわけですが、こうした流れ・動きが逆行することのないよう、祈らずにはいられません。
2020年08月03日
ミツオーです。暑いです。けどそろそろ梅雨明けしてほしい。さて、今回もまた、大きな区切り勝利を迎えた騎手についてです。船橋競馬所属の森泰斗騎手が、地方競馬通算3000勝を達成しました。先週月曜日からの川崎開催を、3000勝まであと2つと迫って迎えた森騎手は、初日(13日・月曜日)は2鞍騎乗で1勝。翌14日(火曜日)、第10レースをアブソルートクイン号で制し、地方競馬通算3000勝を達成しました。(ツイッターで「私設タイトメーター3000」というのをやってみました。たくさんの方に「いいね」いただきました。ありがとうございました)森泰斗騎手は、1981年生まれ。1998年4月、足利競馬所属で騎手デビュー(初騎乗は宇都宮)。4月20日、ユウエーワース号で初勝利をあげました(9戦目)。デビューした2005年度(3月までの1年間)で28勝をあげ、順調なスタートを切ったように思われましたが、2年目途中、免許を返上。全国リーディングにして3000勝ジョッキーとなった森泰斗騎手の戦績に、2000年の欄はありません。(私設タイトメーターの2994勝目で使った写真。提供:森泰斗騎手。全日本新人王争覇出場時の雑誌に掲載された写真のようです。かなり反響が大きかった写真です)この、騎手として空白の1年間は、森泰斗騎手のその後に大きな意味を持つようです。「あのとき辞めてなかったら、北関東が廃止になったときに、騎手を辞めていたかもしれない」と、森騎手は語ります。「ヤメていた1年間、他の仕事をしてみたけれどうまくいかず、やっぱり騎手としてやっていくしかないと思い知ったんですよ。だから、廃止のときも、騎手を辞めることは全く考えなかった」また、後輩の騎手たちへのメッセージとして、「騎手という仕事を一生懸命にやっていくこと。それが、あなたたちの人生がうまくいく、一番の方法です」とも語ったことがあります。03年3月の足利、05年3月の宇都宮廃止を経て、船橋競馬へ移籍した森泰斗騎手。南関東での騎手人生も、滑り出しは比較的順調に見えましたが、07年は年間16勝。勝ち星が思うように伸びない時期を経験しました。その後、浦和所属馬に数多く騎乗することで勝ち星も徐々に増やし、さらに大井・小林分場の馬で大井での勝ち鞍も増やしました。「この人に寄り添うと上手くいくっていう人がいると思うんですよ。ボクにとっては、それが三坂盛雄先生でした」浦和や三坂厩舎をはじめ、所属の船橋以外の馬に数多く騎乗するようになった森騎手は勝ち星を量産、いよいよ波に乗ってきました。2010年には自身初めて年間100勝以上(113勝)。ここから南関東リーディングあらそい上位に定着。「リーディング3位くらいにいるときが一番よかったですね。上に立つと…追いかける立場だったときは、自分は絶対そうは思わないだろうと考えてたんですけど、実際上に立ってみると、不思議なもので落ちたくないって思うしね。追われる立場は苦しいです」2014年、自身初の南関東リーディング。2015年、自身初の全国リーディング。2016年、自身初の年間300勝以上。(同じく2995勝時使用写真。提供:森泰斗騎手)今年1月には通算2800勝に到達し、いよいよ今年のうちには3000勝!との期待が高まりました。「2800勝のとき、全然ニュースにならなくてね。コレは2900でもきっと話題にならないぞ、3000勝しないと…って思いましたね」3000勝は実に偉大な数字だと思います。が、例えば1000勝や2000勝を達成したときとは違った思い入れを、森騎手はこの3000という数字に持っています。「3000勝してるひとって、…飛びぬけたひとばかりじゃないですか。だからぜひとも3000勝はしてみたいんですよ」そして、3000勝以上の騎手が誰々なのかを教えてほしいということでしたので、ツイッターのDMに表を送ってあげると、「やっぱりスゴい方々ばかりですね」自身がそこに仲間入りすることに感慨深げでした。~地方競馬3000勝以上騎手一覧~的場文男(大井) 7306勝を筆頭に、佐々木竹見(川崎)引退 7151石崎隆之(船橋)引退 6269…と続き、川原正一(兵庫)鮫島克也(佐賀)桑島孝春(船橋)引退山口勲(佐賀藤本匠(ばんえい)有馬澄男(兵庫)引退菅原勲(岩手)引退田中学(兵庫)高橋三郎(大井)引退岡部誠(愛知)赤岡修次(高知)小林俊彦(岩手)引退木村健(兵庫)引退内田利雄(浦和)向山牧(笠松)小牧太(兵庫)移籍大河原和雄(ばんえい)引退高砂哲二(中津)引退村上忍(岩手)安藤勝己(笠松)引退金山明彦(ばんえい)引退藤野俊一(ばんえい)田中道夫(兵庫)引退内田博幸(大井)移籍岡崎準(福山)引退西川敏弘(高知)安部幸夫(愛知)引退以上、30名(太字が現役。現役15名)。ここに今回、森騎手が史上31人目として加わりました。今のところ、森騎手からあえて次の目標を聞くことはしていません。が、勝手に一つ設定するならば、「南関東所属となって3000勝」でしょうか。森騎手が北関東時代にあげた勝利数は、「250くらい…ですか?」との自己申告でしたが、調べたところ、265勝でした。森騎手の今年ここまでの勝利数は、215(7月19日現在)。昨年は年間360勝、今年はそれ以上のペースで勝っています。ということは、順調ならば来年の早い段階で、『南関東所属として3000勝』も達成しそう。なのですが、森騎手自身は、「それまで乗ってるかどうかわかんないしね」と笑います。しかしケガなどのアクシデントさえなければ、これはほぼ確実。ただ、こうした言い方は、森騎手には歓迎されないかもしれません。というのも、「ボクがそれを言うと、『年間200も300も勝つひとがそれを言う?』って思われちゃうんでしょうけど、…競馬で一つ勝つのって、ホントに大変だからね」そう言う森泰斗騎手の表情も口調も、コレ以上ないというくらい真剣なのでした。3000という膨大な勝ち星を積み重ね、さらにその節目もあっという間に通過し、さらに勝利を重ねる森泰斗騎手。その森騎手だからこそ、「一つ勝つのは大変だ」と痛感するのかもしれません。「栄養学とか、インターネットで調べて勉強したりするのが好きなんですよ」という真面目な森泰斗騎手。「夏休みをとる騎手もいますけど、ボクはそれをすると騎乗馬がいなくなるような気がして休めない」度が過ぎるのではないかと思えるほど勤勉な森泰斗騎手。「ボク、乗った馬は全部覚えてます」これはかなり前ですが、そう話してくれたことがあります。ホントに?と少し(ほんの少しですよ)疑ったこともありますが、内田利雄騎手いわく、「初めて乗る馬がどんな馬かは、泰斗に聞くのが一番。全部覚えてるから」…そうなんだ。いや、信じてましたよ、ええ、信じてましたとも。しかし森騎手、真面目だな。森泰斗騎手、3000勝達成、おめでとうございます!いつも丁寧に話してくれて、ありがとうございます。(いつ会いに行っても笑顔で迎えてくれる森泰斗騎手。表彰式などでのインタビューの受け答えの丁寧さは競馬界随一です)現在の状況では、表彰式も祝賀会もお預けですが、落ち着いたらぜひ盛大に。インタビューでどんなことを話してくれるか、どんな言葉が聞けるか、楽しみにしています!
2020年07月20日
ミツオーです。もう7月だという実感が全然ないのは、…やっぱりこの異常な状況が続いたせいでしょうか。さて、前回の担当(2週前)では、金沢競馬所属の畑中信司騎手通算1000勝達成について取り上げました。今回も1000勝達成の話題を。浦和競馬所属の加藤和博騎手が、6月29日(先週の浦和開催初日)第10レースで勝ち、地方競馬通算1000勝を達成しました。加藤和博騎手は、1994年4月、足利競馬所属で騎手デビュー(初騎乗は宇都宮競馬場)。足利競馬の廃止後、2003年秋には浦和競馬に移籍。翌2004年の1月から浦和所属として騎乗を再開しました。現役生活は26年を数えます。栃木時代の加藤騎手というと…。1998年、栃木リーディング4位。1999年には栃木リーディング3位と大活躍。当時の宇都宮・足利には、常にリーディング上位に定着する2000勝ジョッキーが5人も存在していましたので(内田利雄騎手、早川順一騎手、鈴木正騎手、平澤則雄騎手、山口竜一騎手)、このリーディング3・4位というのはカンタンなことではありませんでした。例えば森泰斗騎手は2004年に栃木5位という成績を残していますが、それについて、「一角を崩しました!」と表現しています。加藤騎手は2年連続で「一角崩し」の活躍を見せたほか、栃木アラブ系レース晩年の名馬・イーシーキングの主戦騎手としての姿も、記憶に色濃く残っています。2000年のとちぎアラブ大賞典を制したイーシーキングは、園田の楠賞勝ちなど全国的にも知られたホマレスターライツのライバルとして記憶されている方も多いかと思います。イーシーキングとホマレスターライツ。または、ホマレスターライツとイーシーキング。この2頭のライバル物語は、当時の栃木県競馬をご存知の方にとっては、忘れられない名勝負の数々だろうと思うのです。1999年~2000年に、6度、直接対決した2頭の対戦成績は、キッチリ五分の3対3。はじめホマレスターライツが、のちにイーシーキングが、それぞれ3連勝ずつするのですが、アラブ系レースが廃止となる直前に演じられたハイレベルな競り合い。イーシーキングが勝ったとちぎアラブ大賞典を最後に、栃木県からアラブ系重賞レースはなくなりました。ホマレスターライツはアラブ系レースを求めて福山へ移籍し、イーシーキングは栃木に残ることに。残ったイーシーキングは引き続き加藤騎手を背に、サラブレッド系重賞の天馬杯や織姫賞をも制覇。当時の栃木県競馬では「アラブの」という但し書きなしに強豪として鳴らした名馬でした。…加藤騎手だけでなく、栃木の思い出になってしまいました。わたくし先週火曜日(6月30日)、浦和競馬場ウイナーズサークルでおこなわれた、1000勝達成インタビューの聞き手をつとめました。加藤和博騎手 1000勝達成記念インタビュー「1000勝まで残り1つというところで地元開催をむかえて、自分の気持ちとしては、今開催中に達成できればなという気持ちはあって、それが初日に達成できてホッとしているところです。1000勝という記録自体は大記録というわけではないですけど、自分が騎手人生で26年やってきた証ですので、うれしく思います。(これまでの騎手人生では)移籍というのは一番大きいと思いますけど、26年、10550回乗せてくださった関係者・馬主さん、みなさんに感謝したいと思います。栃木時代、イーシーキングのアラブ大賞典とか、思い出に残るレースは数々ありますけど、一つ一つ大事に乗ってきたことに変わりないので、そのことに関してはうれしく思います。あとどのくらい乗れるかわからないですけど、この何年か、ケガが続いたりして復帰するまで時間がかかったりしましたので、まずは1年間乗れることを前提にがんばりたいと思います。この報告もレースも、ファンのみなさんの前でお見せできないですが、またファンのみなさんが遊びにきてくださって、ナマで見ていただける日が一日も早くくることを、関係者・騎手全員、願っております。また浦和競馬場に足を運んでご声援ください。今日はありがとうございました!」加藤和博騎手、国内通算1000勝達成、おめでとうございます!(マカオで2勝をあげています)インタビューではベテランらしく、落ち着いた口調で丁寧に話してくれて、加藤騎手らしい姿を久々に間近で見られてうれしく思いました。インタビューの前後、マイクオフでも色々と話すことができましたが、「次は重賞の表彰台でインタビューしてもらわないとね」という力強い言葉が印象的でした。ご自身の言葉にもあったように、ケガなどでの戦線離脱なく、長く活躍を続けてくれることを期待しています。
2020年07月06日
ミツオーです。日食、見そびれました。見たかったなあ。さて、なるほど場内が静かだと、普段は聞こえない音や声が聞こえるのですね。もちろん自分では、例えば競馬場であれば、騎手の声やステッキの音がよく聞こえるとは思っていましたし、それ以外にも普段意識しない音に気づくこともありました。が、自分たちの声ということになると、気にしていませんでした。これはちょっとウカツでしたね。実況そのものが大きく感じられるという話は聞いたことがありましたし、そうだろうと思ってきましたが、口慣らしや練習の声まで響き渡っていたとは…。野球と違って、競馬の場合はそもそも実況音声が場内に大きく流れていますから、それがプレーヤーに聞こえることで何か不具合が発生することはないでしょうし、そこは安心(?)してよさそうですが。というわけで、話題になった中日ドラゴンズを含め、待ちに待ったプロ野球が開幕しました。わたくしの応援する中日ドラゴンズは、開幕3連戦を2勝1敗。期待を持たせるスタートです。個人的に、今年のドラゴンズは優勝できる(…「する」ではなく「できる」)と思っておりまして、このくらいのスタートは期待値どおり。ではあるのですが、やっぱりスタートがいいとワクワクする。まあ応援するチームが勝つに越したことはないのですが、仮に、仮にそうでなくても(そうでないなんてことがないように、今後もお願いしますよ)、この世に野球があるってことは嬉しいことです。野球と言うとですね。もうすぐ7月。本来ならば、夏の全国高校野球選手権の予選が始まる時期なのです。(青い空に白い雲。甲子園を目指す戦いは、いつでも見る者を感動させてくれるのですが…)が。みなさまご存知のとおり、今年は春センバツに続き、夏の選手権も開催なし。よって、各都道府県予選もおこなわれません。子どものころから野球に力を注ぎ、甲子園を夢見てきた球児たちの無念を思うと、軽々しいことは言えません。もちろん、実際に甲子園を意識できる選手は、ほんの一握りでしかないのですが、それでも自分の参加する大会があの甲子園に続いていると思うのとそうでないのとでは、高揚感や充足感がまるで違うであろうことは想像にかたくない。各都道府県で、甲子園予選にかわる独自の大会が実施されることになっていますが、その大会に臨む選手たちの心の内は、…う~ん、わたしにはちょっと想像できません。さぞかし複雑だろうと思うばかりです。(今年の夏は、第102回大会になる予定でした。写真は一昨年のもの)この数年間、県大会の中継で実況をさせていただいてきたわたくしですが、今年はその代替大会の実況をすることになるのかどうなのか。仮にさせていただくことになったとして、どのようなスタンス、どのようなテンションで臨めばいいのか、非常に難しいところです。しかし、とにかく。この世に野球があるってことは嬉しいことです。その想いを込めて、一球一球を、追いかけてみようと思っています。…いや、まだ実況できると決まったわけじゃないんですが。わたくし現在、金沢市内に滞在中です。昨日・明日と、金沢競馬の実況を担当するためです。昨日の第3レースで、金沢の畑中信司騎手が国内通算1000勝を達成しました。インタビュー準備が整うまでの間、実に久しぶりに、畑中騎手とアレコレと話すことができました。この2カ月以上、接触を避け、騎手など関係者とは直接会わないようにしていたのです。「全然金沢に来んかったやないの。コロナに感染するんがこわくて自分より地位の低いもんばっかり来させてたんやろ?」久々に話した畑中騎手は、相変わらずの様子。元気なのは何よりですが、調子がいいのも相変わらず。会わなかっただけで、金沢にもちゃんと来てたから。第一、地位が低いって何よ?「1000勝なんだってな?勝って『写真撮らせて』って言われたから、新馬戦じゃないし何やろな?って思ったわ」(1000勝達成はサブノタマヒメ号。直線だけで大差の圧勝、これで2戦2勝。「強いな。アレは強い」と畑中騎手も絶賛)インタビューするからね、と言うと、「インタビュー?何こたえたらええの?どう言うたらええの?」今の調子でしゃべってくれれば…「うまいこと書いといてくれるんやろ?」いや、映像撮るんだよ。「ええ?どんなふうに喋ればいい?」そうねえ、例えば、デビューしたころは1000勝もするとは思ってもいませんでした、とか、騎手になるって言ったらお父さんお母さんに反対されたとか、でも今は応援してくれてますとか。あと、印象に残る勝利とか馬とか聞くよ。「ああ、でもそれ、何かこたえると他の馬主さんが『オレの馬はダメなんかい』とか怒るやろ」そりゃアレよ、全部が印象に残っていますって先に言っとくのよ。んで、中では、ファンのみなさんと同じでナムラダイキチですね、とか言えばいいんじゃない?ファンのひとたちは、ここ!って思ってるところを言ってくれると喜ぶもんだし。とか何とか、笑っているところへ、インタビュー準備できました、とのお知らせ。地方競馬通算1000勝を達成した畑中信司騎手です。おめでとうございます!「ありがとうございます」今のお気持ちを。「いやあホント、嬉しいです」1000勝というと、大変おおきな区切りですが。「そうですね。デビューした当初はそんなに勝つとは思っていなかったので、嬉しいです」伺ったところによりますと、騎手を目指そうと思ったときにはご両親にたいそう反対されたというお話も聞いていますが。「そうですね。デビュー当初はだいぶん反対されましたけど、今じゃ応援してくれていて、両親も喜んでくれてると思います」1000積み重ねた勝利、振り返って印象に残っている勝利がありましたら教えてください。「そうですね。どれも全部、印象に残ってるんですけど、やっぱりナムラダイキチが一番強かったなって、ボクの中で印象に残っています」画面を通してたくさんの方が応援してくださったと思います。皆さんにメッセージお願いします。「応援、本当にありがとうございます。これからも一勝一勝、頑張ってやっていくので応援よろしくお願いします」マイクオフ、カメラストップと同時に、「さっき話したそのままやないか!」とツッコんだことは言うまでもありません。畑中騎手は、インタビュー中の神妙な表情から一転、してやったりの笑顔に。「全部考えて教えてくれたからラクやったわ!」この~!ライター料よこせ!ファンの皆さまの前でおこなうにしても、カメラにのみ向けておこなうにしても、この手のインタビューの際、事前にインタビュー対象とアレコレ言葉をかわすことは、よくあります。打合せをするというわけではありませんが、少し会話しておくことで、本番がうまくいくということはあるのです。が、これまでにここまでの例はありませんでした。さすが畑中信司。人を食った言動は一流です。…今まであまり世間さまに知られてこなかったかもしれませんが、このひと、こういうひとです。しかしまあ、畑中騎手が取材(や雑談)に気安く応じてくれる、協力的な騎手の一人であることは間違いありません。こちらとしては、非常にありがたい存在です。何と言ってもナムラダイキチとのコンビが印象的な畑中騎手ですが、そのナムラダイキチに騎乗することになったいきさつや、ナムラダイキチに対する思いなど、これまでにいい話をたくさん語ってくれました。(ナムラダイキチの引退式での様子。二度制した百万石賞の肩掛けをつけて。明日はその百万石賞。畑中騎手はティモシーブルーに騎乗します)「1000勝するのに20年かかってしまったけどな」と言いつつも、いつも以上に笑顔が嬉しそうに見えたのは、久々に会ったからだけではないと思います。畑中信司騎手、1000勝達成、おめでとうございます!今後も笑わせてくれることを…じゃなくて(いや、それも)、いい騎乗を期待しています!
2020年06月22日
ミツオーです。大河ドラマ、終わっちゃった…(終わってない)。さて、ダービーシリーズ真っただ中なのです。ここまで、九州ダービー栄城賞石川ダービー東京ダービー東北優駿と、地方競馬では4つのダービーが終わり、今年のダービーシリーズは折り返しを迎えています。わたくし先週は水曜日から金曜日まで、笠松競馬の実況を担当しました。3歳馬の頂点を決めるダービーが各地でおこなわれているこの時期に、笠松競馬場でも先週木曜日に3歳重賞が実施されました。第3回ぎふ清流カップがそのレースです。格は東海地区重賞の最高格のSP1。距離は今年、1600メートルから1400メートルに改められました。ええとですね。現在、全国の地方競馬でこの時期に「ダービーシリーズのダービー」がおこなわれているのは、門別盛岡大井金沢名古屋園田高知佐賀の8場。計8ダービー。例えば南関東では、大井以外の3場所属馬にとってもダービーとは東京ダービーのことですし、笠松の馬にとってダービーとは東海ダービーです。(2006年の東京ダービー馬・ビービートルネード。写真は2016年。こんなに立派に飛越をこなせるように)ちょっと前まで(4年前まで)、金沢所属馬にとってもダービーとは東海ダービーでした。しかしこれは、普段から名古屋=笠松間ほど、東海地区との馬の交流が頻繁でない金沢所属馬にとっては、気軽に(?)チャレンジできるレースではありません。距離的にも(←競馬場間の距離という意味)。(2016年の東海ダービー馬・カツゲキキトキト。写真は同年の10月、白山大賞典で)2014年にケージーキンカメが東海ダービーを制して、金沢の関係者・ファンを大いに喜ばせましたが、これはかなり特殊な例。地元にダービーという名のレースがないということは、長い間、金沢の馬・関係者・ファンにとって残念なことだったのです。現在では金沢所属馬にとってのダービーとは、もちろん石川ダービー(今年第4回)です。(2017年、第1回石川ダービー馬・ヴィーナスアロー)2004年度をもって廃止となった北関東地区でダービーとは、宇都宮競馬場で実施されていた北関東ダービーでした。北関東地区とは、宇都宮競馬場・足利競馬場(栃木県)、高崎競馬場(群馬県)の3場をさし、その晩年(…悲しい表現だ)は、3場間でレース体系を統一していく方向の動きが活発化、北関東グレード制を導入、3歳三冠レースなども路線整備が進んでいました。1999年までおこなわれていた高崎ダービー(栃木の馬も出走できた)は北関東ダービーに統一するかたちで廃止。コレは当時の高崎競馬にとって、どんなふうに受け止められたんでしょうか?地元のダービーがなくなっちゃった!…と、恨めしく思われたりはしなかったのでしょうか?まあ代わりに(?)宇都宮のしもつけ菊花賞が高崎の北関東菊花賞に統一されるかたちで終了。栃木の馬にとっては、地元の菊花賞(要するに三冠目)がなくなっちゃった!状態ではあったわけですが。でもそこはどちらかというと好意的に受け止められたように記憶しています。そんなふうに3場での連携を強くしていく過程で廃止の波にのまれてしまった、北関東地区でした。とにかく、高崎の馬にとっても、ダービーとは北関東ダービーだったわけです。今も昔も、ダービーという名のレースは特別です。競走馬に携わる全てのひとが、ダービーにかける熱い思いを持っていることでしょう。地元にとってのダービーが厳然としてあるところに、ほぼ同時期に実施される、3歳の最高格付けの重賞なのです。ぎふ清流カップというレースは。その特殊性をおわかりいただけますでしょうか?(今年のぎふ清流カップ優勝馬・コスモピオニール)地元の記者さんのご意見では、このぎふ清流カップというレースが第1・2回の1600メートルから今回1400メートルに改められたのは、非常にいいと(この方は創設から、そうあるべきだと意見してきたそうです)。路線を明確にすることで、同時期実施であっても使い分ける陣営が出てくるでしょうし、レースの存在意義もハッキリする。あえてこの時期に実施するからには、そうした明確なメッセージが必要だというお話でした。そういうことなら、ダービーシリーズの各レースがジャパンダートダービーへ続くのと同様に、例えば大井の優駿スプリントにつながるレースとして認定されるようなカタチにすれば認知度も意味合いも大きくなると思うのですが、どうでしょうか。もっともそこまでくると、主催者の枠を超えての判断が必要になり、大げさな話ですけども。個人的には、ダービーの時期に3歳重賞を実施するのは、挑戦的というか野心的な感じを受けます。これから回を重ねていくにあたり、ダービーのシーズンにあえてダービーとは違った意義あるレースとして注目を大いに集めてくれる、そんなレースになっていってほしいと思うのでした。
2020年06月08日
ミツオーです。荷物がやたらに重たい。さて、ようやく、やっと、ついに、緊急事態宣言が全国的に解除のはこびとなりました。まずは、よくここまで頑張った。しかも、あえてセンセーショナルに紹介されているのじゃないかと思われる(いや、割引なしにホントの姿なのかもしれませんが)各国の状況や数字と比較して、ずいぶんと大人しく収めた、収めつつある、と思うのです。もちろん、ここで気を抜いてはいけません。いけないのでしょう。ですけども。苦労や辛抱は無駄ではなかったと、お互いをたたえていいのじゃないかと。そうして、このあとのぶり返しだか第2波だか何だかを軽くすませられるよう、締めるべきは締め、気を緩めずと言いつつも、徐々に諸々のことを取り戻していけたら。というわけで、取り戻したい日常、いつかはまた味わいたい喧噪やらなにやらを、ちょっと思い出してみましょうか。(藤田菜七子騎手デビュー当日の川崎競馬場パドック 2016年3月)競馬は2月27日から無観客開催が続いています。このような光景は、ながく見られていません。緊急事態宣言解除とは言え、即、このようにファンのみなさまを大々的にお迎えすることはできないかもしれません。が、近いうちに。いつかきっと。(同じ日の会見の様子)現在はお客さまだけでなく、報道陣の入場も規制されています。記者さん・カメラマンさんの中にも、厳しい状況におかれた方もあることでしょう。か、近いうちに、きっと。報道関係だけでなく、競馬場内の売店や場立ち予想の方々、ほかにもたくさんの、お仕事をできない状況にあるみなさん、もうすぐです、きっと。帰ってこられるのをお待ちしています!(ファン感謝デーでの一コマ。2018年)各所でイベント関連が休止・中止となっている状況で、はたして今年の秋、各競馬場のファン感謝イベントが例年通りおこなわれるかどうか、現段階ではわかりません。けども、お迎えする側としては、ご覧のような笑顔でお待ちしています。今年どうなるか不明というイベントも、来年にはきっと。(坂井英光現調教師の騎手引退セレモニー。2018年)お客さまの入場がないまま3カ月。このような騎手引退式などのイベントも、ほとんどおこなわれない状態が続いています。騎手など関係者同士の密着・接触も可能な限り避けるという方針でもあり、このような胴上げも見られないまま。ですが、それも間もなく緩和され、こうした姿もいずれきっと。(近い!近いよ!田知弘久騎手と畑中信司騎手。お互いも近いし、カメラにも近い)現在、弊社では騎手・調教師など関係者との接触を可能な限り減らすという方針により、検量室付近などへの出入りをおこなっていません。そのため、このような騎手近影も撮影できず、騎手のみなさんのコメントも直接聞くことはありません。が、近いうちに、徐々にその制約も緩和されることでしょう。こうした笑顔の写真も、間もなく、きっと。(せまい!せまいよ!)笠松競馬場での安藤勝己さん参加によるパドック解説風景です。狭い。密着。窓しめれば密閉。もちろんこうした環境は作らないよう、現在はゲストの方をお呼びすることもなく。ですが、これももうすぐ。きっと。(大物ゲストを呼んでの表彰式。2017年)ゲストのみなさんはもちろん、現状では馬主さんやその関係者のみなさんも、厩舎関係者との接触を避けておられます。が、ご覧のような表彰式も、もうすぐ、きっと。(金沢市、秋におこなわれるお酒のイベント)(東京ドーム、1月におこなわれるお祭りのイベント)競馬以外でも、ほんの少し前までは、こうした賑わいが当たり前だったのですよ。ここしばらくこうした様子を見ていませんが、でももうすぐ。各地に賑わいが戻るのも、きっと間もなく。(甲斐拓也選手)(ライナ)開幕が待たれるプロ野球も、きっともうすぐ。ちなみにこの写真にお客さんがあまり写っていないのは、試合開始のうんと前の時間帯だからです。ほぼ開場直後。(吉原寛人騎手)この3月、吉原寛人騎手に、来年・2021年のJBCが金沢競馬場で開催されることが決定した件について聞いたところ、「人類がウイルスに勝利したという証としての開催に…」と。これを聞いたときには、ずいぶん大げさなことを言うと思ったものですが、どうしてどうして。吉原騎手認識のほうがずっと正しかったということが、今はわかります。(タッチデュール。2016年)たくさんのお客さまに囲まれたパドックで、(ノンコノユメ。2016年)たくさんの馬たちが、騎手たちが、気合の入った表情で周回する。そうした場面も、きっともうすぐ。(宇宙戦隊キュウレンジャーショー。2017年)戦隊ものなどヒーローショーに、たくさんの子供たちが集まる日も、いつかきっと。(川崎競馬場内馬場広場。2016年)(川崎競馬場。 2016年)競馬場で、たくさんのお客さまにお会いできる日も、きっともうすぐ。いつかきっと、競馬場がファンのみなさまで賑わう日が。色んなことが、徐々に。そしてもうすぐ。きっといつかは。
2020年05月25日
ミツオーです。右足親指の爪がはがれかけてます。痛みは今のところない。さて、わたくし先週は船橋競馬と笠松競馬の実況を担当しました。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、全国に緊急事態宣言が出され、外出自粛が呼びかけられ、われわれ一人ひとりの協力と努力が、日常を取り戻すために不可欠だということで、我慢・辛抱の日々が続いています。多くの業種で休業を余儀なくされる方がある中、競馬の開催は休むことなく続けられています。競馬関係者の端くれとして、本当に心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。たくさんの方々のご理解とご協力あってこそ、こうして競馬開催を維持できています。本当に、本当にありがたいことです。競馬場でも多くの感染症対策がとられています。それはじつに、「できることは何でもする」という感じで、その範囲や種類を徐々に広げ、増やしてきました。例えば笠松競馬場では、競馬開催にかかわる業務で競馬場に出入りする者は、入場する際に氏名・住所を明記し、非接触型体温計で検温してもらい、体温と体調をノートに書きこまなくてはなりません。マスク着用は必須(入手できなければ主催者が提供してくれるそうです)。また、船橋競馬場では大レース当日も含め、多くの報道関係者の入場を規制し、レース写真や優勝馬関係者のコメントを主催者から提供するカタチをとりました(SNS上で見かけるからそんな感じしないですが、実はもう長いこと、あの人にもこの人にもお会いできていません。みなさん競馬場にいらしていないのです)。(かしわ記念ゴール 千葉県競馬組合提供)(ワイドファラオ口取り 千葉県競馬組合提供このように、希望者には主催者が写真を提供してくれることになりました)プレゼンター出席の表彰式も実施せず、勝利騎手インタビューもご覧のように距離をとっての形態でおこなわれます。(インタビュアーは手前、カメラさんの左側に立ち、騎手とは距離をとります。騎手は自分でマイクを持ち、話すカタチ)できることは何でもする。それで競馬開催を維持できるのならば。ありがたいことに(…本当に、ありがたいことばかりなのですよ)、地方競馬の売り上げは、この情勢下でのびている、というか、好調なのです。船橋競馬は先週の開催(5日間)、ちょうど一年前の開催で記録したひと開催の売り上げ記録を更新しました。それも大幅に(約75億円→約94億円)。笠松競馬でも、オグリキャップ記念当日の売り上げが、昨年5億5千万円→今年8億円超と大幅アップ。重賞競走などのない平日開催となった今回4日目・5日目(先週木・金曜日)も、昨年のほぼ同一日程でおこなわれた開催日の倍、それぞれ6億円超。皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。わたくし笠松競馬実況担当時は、岐阜市に宿泊しています。この土日も岐阜市滞在。さすがに宿から一歩も出ないというのは息苦しく、思い立って岐阜城(…のふもと)まで歩いてみました。今年のNHK大河ドラマは岐阜が舞台(これまでは。明智光秀の生涯をやるのに4か月もかけて斎藤道三が死ぬってのは遅すぎると思う。いや、かっこよかったからいいけど)ということもあり、大河ドラマ館でも特別展示をしてくれているハズなのですが…休館中。金華山(稲葉山。このお山の上に岐阜城がある)をお城まで登るにはロープウェイを使うのですが、そのロープウェイも休止中。なので、登城というか登山は断念(歩いて登れないことはない。けどお天気崩れそうだったのでヤメ)。(「若き日の織田信長」像 岐阜城間近にある)若き日の織田信長という像をおがみ(馬のアゴの下に見えているのが岐阜城)、長良川河畔へおりてみると、長良川鵜飼は開幕延期とのことで、鵜飼舟がさみしく繋留されているのでした(どうでもいいけど、ホントに何にでも信長公の名前をつけちゃうんだな。ちなみにこの近所に信長公の名前をもつ、もつ焼き屋さんまであります。名店だそうです。今年の大河をきっかけに、道三や光秀の名前も使われるようになるといい。個人の感想ですが)。(長良川名物の鵜飼は開幕延期。鵜飼舟も開幕を待ちます。一番手前が「信長丸」という名前らしい)不要不急の外出ではありましたが、とにかく誰とも接触せず会話せず、ただブラブラとお散歩ペースで3時間強、特別生産的なことも考えず、つまりはボーッと歩いてみたのでした。ところで。各競馬場に、入場せずともコースの一部を垣間見ることのできるスポットというのがあるようで、そうした場所に、入場できる日を待ちわびるファンの方々の姿を見ることがあります。(笠松競馬場だと、向こう正面の木曽川土手にお客さまが)まあ屋外ですし、密集するというほど混み合ってもいません。お散歩がてらのお出かけでしょうから、目くじら立てることでもないでしょう。むしろ競馬関係者としては、本当にありがたいことです。これほどまでに競馬観戦を楽しみにしてくださる方々があるのだということを、われわれは肝に銘じなくては。競馬界は、きっとご恩返しをしなくてはいけませんね。本当に。(岐阜駅前の金の信長公。マスク着用)岐阜駅前の金の信長公に、一日も早い事態の終息をお願いしておきました。わたしにできることは、このくらいなので…(ひとが少ないとは言え、これに手を合わせて拝むのはけっこう恥ずかしい)。やっぱ織田信長って強そうでしょ?
2020年05月11日
ミツオーです。老母手作りの布マスクを愛用しています(ウチには使い捨てのマスクがわんさかあるのですが)。さて、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、たくさんのことが、自粛・自粛。今は辛抱・我慢の時期。みなさん引き続き頑張りましょう!報道を見ると、毎日毎日、判明した感染者数というのを知らせてくれて、その数字に一喜一憂することは無駄だとわかっていても、やはり多いより少ないほうがいくらかホッとするというのが人情というもので。でもって、昨日の、あるいは今日の数字というのは、「2週間前のみなさんの、わたしたちの行動のあらわれなのです」と言われるわけです。となると、「2週間前ってえと…ふむ、〇日か。自分はどこで何したんだったかな?」と考えてしまうのも、これまた人情というものです。まあこのウイルスの潜伏期間がキッチリ14日と決まったわけでもないですから、厳密には、「2週間前~数日前までの行動のあらわれ」、とすべきなんでしょう。それに、昨日や今日の感染者数ってのも、じつはとっくに感染してたけどそれが検査で判明したのが昨日だか今日だかという話であって、もしかしたらそのひとは3週間以上前にもらってたのかもしれん。ですけども、そこはそれ、わたしなんぞはやっぱ、2週間前って何してたっけ?と思うわけですよ、小市民だから(違うか?)。2週間前のわたくしはですね…あ、このブログ書いてましたね。金沢競馬実況担当で金沢市内に滞在しておりました。そして、往復ともに北陸新幹線がめちゃくちゃ空いていて、少なくとも車内での感染リスクは極めて低そうだと思ったりしておりました。(金沢からの帰りの新幹線車内。ガラガラなのに、どうしてだか弊社・山中寛アナウンサーと席が前後)みなさんは2週間前、どこで何をしていましたか?…というのはですね、ツマランわけですよ。もういいよ、コロナは。と、思うわけですよ、わたくしなどは。小市民だから。いや、辛抱の時期とはわかってますけどね。そこで。みなさんに、もっと前のことをお聞きします。坂田さんは書きました。https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/202004220000/この記事にある16歳馬・ヒカルアヤノヒメですが、最近、東海地方の一般紙でも話題の馬として取り上げられたそうです。あらためてヒカルアヤノヒメさんについて(…いや、大ベテランなんで、つい「さん」づけで)おさらいしますと、ヒカルアヤノヒメ父:メイショウオウドウ母:ゴールデンタッソー2004年4月10日生まれ 現在、16歳!ちなみにこの世代(04年生まれ)の日本ダービー馬は、ウオッカです。古い話よ。(ヒカルアヤノヒメ 写真は昨年のもの。つまり15歳時のアヤノさん 写真提供=専門紙エースさま)このウオッカと同い年たるヒカルアヤノヒメさんが生まれた2004年4月。今から16年前です。…みなさん、どこで何をされていましたか?じつはこの、高齢馬の生まれ年に何してましたか?というネタは、だいぶん前に弊社ツイッターでやってみたことがあります。そのときは12歳馬にかこつけてだったのですが、今回はさらに前、16年前についてお聞きします。っつか、16年前のことなんて、みなさん覚えてます?2004年というと、日本の総理大臣は小泉純一郎氏で北朝鮮を訪問したり自衛隊をイラクの戦闘地域に派遣したりして、アテネオリンピックがあって、暮れにはスマトラで大津波で大きな被害が出た、という年だそうですが、何と言っても中日ドラゴンズの監督に落合博満氏が就任し、開幕投手に川崎憲次郎投手を指名したりして話題を集めた末にリーグ優勝し、ドラゴンズ黄金期のスタートになった年であるわけです(前半は調べないと覚えてなかった。後半は確認だけした)。わたしはこの年、宇都宮市に住んでおりました。2004年度は、宇都宮競馬・高崎競馬の最後の年なのですよ。…アヤノさん、すごいな。(先日デビューした浦和・北島希望騎手。16年前は、2歳です)アヤノさんの生まれた4月10日は…宇都宮競馬は開催してませんね。高崎の開催日だったようです。16年前の今日・4月27日は…この日も宇都宮競馬は非開催日。むう。2日後に笠松でおこなわれたオグリキャップ記念はG IIとして実施され、ミツアキタービンが東川公則騎手を背に優勝しています。オグリキャップ記念は現在は地方全国交流(今年は30日に実施)。東川公則騎手は先ごろ引退、現在は調教師となっています。…アヤノさん、すごいな。とにかく、わたしは宇都宮競馬の実況を担当し、廃止がささやかれる宇都宮競馬をなんとか元気にしたいと無料情報紙を作ってみたりして、栃木県内をあっちこっち駆けずり回っていた、それが2004年の4月でした。ヒカルアヤノヒメさんは、生まれた2年後、2006年11月にJRAでデビュー。翌6月までに6戦して3着1回という成績で名古屋・井上哲厩舎へ移籍。07年暮れ~09年6月まで大井で走り、3勝。南関東で騎乗したのは、内田博幸騎手、吉田稔騎手、石崎隆之騎手、戸崎圭太騎手、山田信大騎手、左海誠二騎手、和田譲治騎手。…すごいな、アヤノさん。この間、大井競馬のイメージキャラクターに鷲巣あやのさんが就任したりして、小市民のわたくしは、「鷲巣さんにヒカルアヤノヒメの馬券をプレゼントしたい…」とか思ったりしたとかしないとか。のち、09年8月からまた名古屋で走ることになったヒカルアヤノヒメさんは、倦まず弛まず走り続け、先日・20年4月21日まで合計260戦14勝。重賞にも2度、出走しました(今はC級)。ヒカルアヤノヒメさんのデビューした2006年は、第一次安倍晋三内閣が発足した年だそうで、他にも諸々あったようですが、中日ドラゴンズの山本昌投手が史上最年長ノーヒットノーランを達成した年であり、もちろんこの年も中日はリーグ優勝を果たした、そういう年です。…黄金時代って素晴らしいなあ。ちょくちょく優勝するんだもんな。いや、それを黄金時代と呼ぶのだが。アヤノさんのデビューした06年11月には、わたしは既に現在所属する社で、南関東・金沢の実況を担当しておりました。そして、この楽天競馬のブログを始めたのがまさにこの年で、当時の日記を見ると、ちょうどこの11月には川崎の藤江渉騎手の結婚披露宴に司会として参加しておりました。当時、楽天競馬ブログは執筆者がそれぞれページを持つカタチ(今でも持ってますが)で、この日替わりライターブログが始まったのは、06年12月のこと。つまり、ここ「日替わりライターブログ」よりヒカルアヤノヒメさんは(数日ほど)現役生活が長いということです。…アヤノさん、すごいな。みなさんは06年11月ないし12月、どこで何をされていましたか?ヒカルアヤノヒメについて、昨年2月に、管理する井上哲調教師にお話を聞きました。あらためてご紹介しますと、「尾崎章生騎手が気に入ってくれて、一生懸命調教つけてくれてる。15歳(当時)なんて自分も初めてだから。未知の世界、未知の領域に入ってるから全然わからないし、40年も調教師やってるけど自分でそれを手掛けるなんてね。脚は若い馬と比べても悪い脚じゃないし、ホントに丈夫ですよ。ファンがけっこういて、差し入れくれたりする。応援してくれるひとがいるうちは頑張りたいですね。なんとかして勝つところを見せたいですね」ニコニコ笑顔で語ってくれた井上師でした。(写真古くてすみません。同じく昨年のヒカルアヤノヒメ)あらためてお聞きします。みなさんは16年前、あるいは14年前、どこで何をされていましたか?
2020年04月27日
ミツオーです。しばらく世話をサボったら、金魚の水槽がえらいことになっていました。さて、わたくし金沢競馬実況担当のため、金沢市内に滞在中です。金沢競馬も引き続き、無観客開催。思えばもう、一カ月以上もお客さまのいない競馬場に出勤しています。そしてどうやらこの状況は、まだまだ続きそうです。テレビをつければ新型コロナウイルス関係のニュースばかり。ネットを見ても同じ。誰かに会って話をしても、話題の多くは感染症関連。さすがにしんどくなってきましたが、事態は悪い方向へ進行中とのことで、石川県と金沢市は本日、独自に緊急事態宣言を発出しました。…石川県内、ニュースはコレで持ち切りです。何とも不穏な情勢が続いています。わたくし競馬のレース実況をなりわいとしています。そしてわたくし、花粉症です。…話題に断絶がないか?と思ったかもしれませんが、そんなことないのです。ちゃんと意味ある展開です。しゃべりを仕事としている人間にとって、ノドの不調は非常におそろしいモノです。そして、これは同業の方々がみなさんそうなのか、それともわたし個人の事情なのかわかりませんが、実はノドの不調というのはけっこう頻繁にあるものです。いやむしろ、自分が満足いくほどの好状態であることのほうが少ない。「お!今日、調子いいかも!」と感じることがあっても、だいたいは長続きしません。翌日はなんだかイガイガしてたり微妙に痛みがあったり、声がスンナリ出てこない感じがしたりします。ヘタすれば好調を感じた何分かあとに不調を感じたりする。この季節はなおさらです。鼻水が出たり鼻づまりになれば当然しゃべりにくいし、鼻の不調はすぐノドの不調につながります。もうね、この仕事について以降(つく前のことは覚えていない。っつか、意識してなかった)、春先のノド(と鼻)が好調だった試しなんかないと言っていいくらいです。なのに。どうした具合でしょう?わたくしこの2月後半から、というのはつまり、この感染症騒ぎが大きくなってきてから今日にいたるまで、ほぼず~っと、ノドの調子がいいのです。いや、そりゃ花粉シーズンでしたから、多少の波はありました。が、それも非常に小さく、おおむね好調。今年はスギ花粉飛散量が少なかったとか、3年続けた舌下免疫療法が効いてきたとか、理由はありそうですが、そこは論点ではなく。とにかくノドの好調が続いた。しかも長く。コレ、本人が一番驚いているのです。なんだなんだ?どうしてこう調子がいいんだろう?で、ですね。調子がいいってことは、いずれ悪くなるわけですよ。経験上、上に書いたように、わりと短いスパンで好不調は入れ替わるハズですし。これ以上、都合よく、こんな好調が続くわけがない。不安です。わたくし現在、非常に不安です。今ですよ、今このタイミングでノドに不調をきたしたら、どういうことになります?「あ~、いつものちょっと具合わるいやつだ」とアッサリ思えるでしょうか?「なんかちょっとノド痛いな~。声出にくいな~。ノド飴なめとこうっと」で済ませられるでしょうか?いや、自分自身はそれで済ませられるとしても、周囲は…。「あ、ちょっと調子よくないんだな」と思ってくれるでしょうか?…。……。ダメな気がする。いきなり出勤停止になったり、競馬場出入り禁止になったりはしないまでも、周りのみなさんから白眼視されるんじゃないだろうか。怖いです。わたくし今、本当に怖いです。それはともかく。無観客開催が続いています。競馬場にはお客さまがいません。ですが、本当にありがたいことに、たくさんのファンの皆さまが、テレビやインターネットを通してレースをご覧になり、投票もしてくださっています。SNSなどで大いに盛り上げてくださっています。場内の様子、周辺の様子、とにかく本来なら来場された方々が肌で感じることや直接見聞きできる風景や音を、皆さまにお伝えしたい。(笠松競馬場近く、桜の名所・奈良津堤。花の色は華やかですが、これを愛でる人影もなく)(この桜に彩られた階段の向こうに笠松競馬場があります)そうしたモノを、どうしたらモニタ越しの皆さまに的確にお伝えできるか。ということを考えていて、ああコレは実況というものの本質だなと気づかされました。そしてそれは、本当に難しいことだと思い知らされました。しかしそこを頑張って追究すべきだと考えました。別に特別、格調高く表現する必要はないけれども、わかりやすく端的に、目に映る・耳に届く・肌で感じる事どもをなるべく多く、お伝えしていきたい。世間はますます不穏な情勢です。が、この状況だからこそ気づくことというのがあるのだと、意外な思いをしている今日この頃です。(今は我慢の時期なんです。競馬が開催できていることは本当にありがたい。この状態を維持するために、できることをしなくては。と語る佐藤友則騎手)(今日の金沢は雨。この降り続く雨をどう表現するか)(金沢競馬場内の馬頭観音さま。感染症が一日も早く治まるよう、お願いしてきました)
2020年04月13日
ミツオーです。電車が寒い。換気してるからだな。さて、週末の関東平野は、えらく暖かい日から一転、季節はずれの雪。お天気も何がなにやらワカランようになってしまったのではないかと心配してしまうような、忙しい変わりようでした。先週の南関東地区は、浦和開催。3日目の25日(水曜日)には、第66回桜花賞がおこなわれました。この桜花賞にあわせたように、浦和競馬場周辺の桜(ソメイヨシノ)は見ごろを迎えました。記憶が定かでないのですが、3月末におこなわれるようになった浦和の桜花賞当日に、桜がこれほど爛漫と咲き誇ったのは、非常に珍しいことです。幾年か前、桜花賞開催中にいきなり最高気温が25度近くなり、その日のうちに1分咲きから満開にまで咲き進んだことがありましたが、それ以来ではないでしょうか。というわけで、先週の浦和の桜。ご覧のように本当にキレイに咲きそろいました。この満開の桜のもと行われた第66回桜花賞、勝ったのは3番人気のアクアリーブルでした。わたくし実況を担当しましたが、そういう表現を許されるかどうか…と、少し迷いながらも、「母と子で牝馬三冠達成」と表現しました。アクアリーブルの母・アスカリーブルは、2011年デビュー。園田4戦全勝で園田プリンセスカップを制したのち、南関東へ移籍。桜花賞トライアルのユングフラウ賞を制すると、桜花賞ではなく京浜盃へむかい4着。続いて東京プリンセス賞・関東オークス・黒潮盃・戸塚記念まで重賞4連勝をはたすなど、重賞通算7勝をあげた名牝でした。現在、南関東3歳牝馬重賞戦線は、桜花賞東京プリンセス賞関東オークスロジータ記念と4つのS1競走があり、いわば四冠となっていますが、当時はロジータ記念をのぞく三冠。さらに言えば、四冠というカタチや表現よりも三冠のほうが馴染みがあるわけで、やはりここは三つのタイトルを獲得したことを偉業とすべきだと判断しました。聞くと(…というか調べると)、アスカリーブルはアクアリーブルを産んだ直後に死亡。残した子はアクアリーブルただ1頭だそうで、したがってこの母子による三冠達成という偉業は、唯一のチャンスでしとめたものであったのです。アクアリーブルの桜花賞、アスカリーブルは空から見てくれていたでしょうか?せっかくのこうしたドラマも、引き続きの無観客開催で、ファンのみなさまにはナマで見ていただくことはできず。見ごろの桜と並んで、これを本場でご覧いただけなかったことは本当に残念なことではありました。しかし競馬は続いていきます。関係者はみなさんを迎えられる日を、心待ちにしています。まだしばらくは続きそうな無観客開催ですが、どうかみなさま、その間も全国の競馬にご注目・ご参加ください。ところで。こんな情勢で、なんでも「花見は来年でもできるから、今年は自粛して」てな話だそうですから、お花見を断念された方もあるかもしれません。わたしなどの(しかもケータイ端末で撮ったような)写真では、お酒もお団子も進まないかもしれませんが、バーチャルお花見をどうぞ。(桜花賞当日の浦和競馬場)(南浦和周辺)(浦和競馬場)(南浦和駅近くの公園)(南浦和駅近くの公園)たしかに、お花見は来年でもできます。来年の桜は思い切り楽しめますように。
2020年03月30日
ミツオーです。気まぐれに買った珍味系おつまみがめちゃくちゃ美味!久々のヒットだわ。さて、今年の金沢競馬が開幕しました!2020年金沢競馬は、昨日、3月15日開幕。この開幕シリーズは、15・16・17日の連続3日間開催です。年度内第21回開催としておこなわれます。冬季休催期間を経て、約2カ月半ぶりの金沢競馬本場開催。残念ながらこの開催も無観客開催となりましたが、待ちに待った金沢競馬開幕です。開幕にあたって、関係者にお話をうかがいました。(左から吉原寛人騎手、米倉知騎手、畑中信司騎手)1月からトルコでの騎乗を敢行した米倉知騎手は、「15日しかいられなかったんですよ。ビザなしで15日しか乗れないということで。滞在中にビザが下りるという話だったんですが、よくよく聞いたら2カ月くらいかかるというので、帰ってきました。3頭しか乗れなかった。競馬は楽しいよ!馬いいし。全然汚れないし。でも体重がしんどい。落としたり増やしたり。上は63キロとかよ。道具あるわけないやん。下は50キロやった」開幕にあたってのコメントとしては、「世の中暗いニュースばかりですけど、無事に開催できてありがたいです」冬季は高知競馬で騎乗、16勝をあげた畑中信司騎手。「去年は2勝だけやったからな。今年は多く勝ててよかった」そして、「騎手もテレワークしよう。コンピュータの馬でビジョンで。ダビスタみたいに。…無事、開幕できてよかったです」「今年も開幕ということで、白熱したレースをして。声援がないからねえ。寂しいけど」(吉原騎手)(堀場裕充騎手)「がんばるぞ~!!…無観客って忘れてた」(田知弘久騎手、柴田勇真騎手)「能力検査といっしょなんじゃないかな?丸きり同じだと思う。お客さんいなくてもね、レースすることは同じだから」南関東での期間限定騎乗初日に事故で大ケガを負った柴田騎手は、「無理矢理開幕に合わせました。間に合ってよかったです。痛くはありません。南関東の初日でケガして…さすがに萎えましたけど。開幕ですから、あらためて頑張ります!」(松戸政也騎手)「ホントは目の前でお客さんには見てもらいたいですけど。見てもらったほうが、ボクらも張り合いあっていいですけど、こういう時なのでね。ネットもあるので、これをキッカケに登録してもらえれば。金沢競馬は今日が開幕ですけど、ファンのみなさんに来てもらえる、ホントの開幕を楽しみに、それまで元気で過ごしていただけたらなと思います」開幕日の第4レースで、地方通算1200勝を達成した藤田弘治騎手「区切りの勝利って全然知らなかったんですよ。上がってきたら、『区切りだから写真撮ります』って言われて、区切り?先生の?馬のかな?とか思ったらボクだった。レース中は集中しているので、お客さんがいないことは気にはならないですけど、パドックが寂しいですね。こんな状態ですけど、おさまったらぜひ来てください!」調教師さんたちは、「お客さんが来られないのは残念だけど、開催があるのはありがたいですよ、我々は。開催そのものがなくなれば、生活できないからね。今年もがんばっていいレースをお見せしますよ!」「無事に開幕を迎えられたのは、ありがたいと思います。お客さんが本場にこられないけど…今はインターネットで売ってるから、売り上げにはそう響かないのかな?スタンドが使える日が早く戻るといいね」それぞれに、開幕を迎えた喜びと、お客さまを迎えられなかったことの残念さを語ってくれました。開幕日の金沢競馬は朝から昼過ぎまではお天気にも恵まれ、絶好の競馬日和(…のち、強風・強い雨と荒れ模様に)。入場門付近へ様子を見に行くと、いわゆる早朝前売り窓口(入場門脇の外向け発売所)を目当てにやってきたファンの姿がありました。「やっぱりココもやってないの?」…う~ん、やっぱりダメなんじゃないでしょうか。ウロウロしていると、係の方が出てきて説明してくださいました。「今週は無観客開催です。この窓口も開きません。払い戻しはしていただけます」とのこと。無観客開催ということはご存知でも、金沢競馬開幕を楽しみにしてくださった方なのでしょう。わざわざ足を運んでくださって、本当にありがとうございます。残念ながら、やはり発売は、電話・インターネット投票のみということになります。「そうか。やっぱりネットだけか」名残惜しそうに競馬場をあとにする方の姿を見て、何とも言えない気持ちになりました。先が見えないのがおそろしい、と関係者の一人が話していましたが、いずれ必ず事態は好転するはずです。ファンのみなさんと競馬場でお会いできる日を、心からお待ちしています。
2020年03月16日
ミツオーです。家族そろって花粉症の我が家、マスクの買い置きだけは豊富です。さて、えらい事態になってきました。みなさんが書いてくださったとおり、感染症対策のため、国内の競馬は本場・場外発売所ともにお客さまを入場させず、いわゆる無観客開催でおこなわれています。(無観客になる前日のフジノウェーブ記念パドックの様子。たくさんのお客さまが出走馬をご覧になっていました)(無観客開催初日のパドック。画面に映ると「無観客のハズなのに人がうつってる!」と誤解を招くかもしれないから前に出ないように、と注意されました)わたしの携わっている範囲では、先週の大井競馬が木曜日から無観客。今週川崎は5日間、無観客。今週水曜日からの笠松が3日間、無観客。そしてこれにともない、各場外発売所も無観客(というより、こちらは閉鎖)。という措置がとられています。先週の大井競馬では、月曜日(24日)から場内イベントや騎手などによるファンサービスが中止されたり内容を変更して実施するなど、感染症対策がなされてきました。が、みなさまご承知のとおり、諸々の通達や要請を受け、木曜日(27日)から無観客開催とすることが水曜日に発表されると、国内の競馬開催が次々と無観客開催となってしまったのでした。わたし自身はもちろん、関係者の誰もが初めて経験する無観客開催。レースに騎乗する騎手はどう感じているのか、数人に話を聞いたところ、「無観客、燃えるね!(…と、あえて笑わせておいて)さみしいよね。やることは一緒だけど」「異様ですよ。ゴーストタウンみたい。失礼な言い方かもしれないけど(…その失礼にあたるひとがいないんですよ)、気持ち悪い」などと、やはり少し落ち着かない様子。全国リーディング・森泰斗騎手は、「寂しいですね、乗ってるほうとしては。お客さんの声援がないと張り合いもないけど、ご時世だから仕方ないです。ネットやテレビ通して応援していただけたらと思います。何か能力試験みたいだよね。(ちょっと違和感ある?)ちょっとじゃない、けっこう違和感、感じています。こんな状況、初めてと言っていいでしょう?ジョッキーも一人一人気をつけていますよ。一人感染者出たら、開催できなくなるかもしれない立場なので。わかんないですよ?明日になったら感染してるかもしれないし。自身は基本的なことばかりですが、手洗いうがい、食事もしっかりして睡眠もちゃんととって体力落とさないようにして。普段はマスクも絶対してます。ウチ、マスクだけは買い置きがたくさんあるんでね」と語り、調整ルームなどの環境への心配も口にしていました。華代子さんが書いてくださっていますが、お客さまのいないスタンド・場内には、レース実況や本場馬入場時の放送がいつも以上に大きく響くようです。(今日から川崎開催。パドックは無人)(ロジータホールも無人)弊社スタッフも、「お客さんがいないと音が吸い込まれないのか、反響が大きく聞こえます」と話しています。また、普段は場内のお客さまへの案内や告知など、多くの放送を次々に入れているところが、無観客となりその手の放送はゼロ。「調子くるいます。ソワソワしちゃいます」実況アナウンサーとしては、例えば弊社の新人・鈴木努アナウンサーは、「理屈では、ネット中継など画面の向こう側にたくさんのお客さんがいるとわかっていましたけど、実際にお客さんのいない競馬場で実況してみて、これまで自分は本場にいるお客さんに向けてしゃべっていたんだなということを知りました」と言い、やはり無観客となった場での実況に違和感があるようです(わたし自身の感想はこちらhttps://plaza.rakuten.co.jp/keiba003/diary/202002280000/)。弊社の実況席には主催者の方から、「いつも1レース前に『ご来場ありがとうございます』って言ってくれてるけど、それ、言わないでね」との要請がありました。ご来場のお客さまがいないのですからねえ。そして、レースごとに言っている、「お買い求めの勝ち馬投票券は確定までお捨てになりませんよう…」という文言を言うべきなのか?どうなのか?っつか、紙の勝ち馬投票券は存在しているのか?という議論になりました(主催者に問い合わせたところ、例えば先週の大井には馬主さんはご来場になっており、いくらかの紙の勝ち馬投票券が発売されたそうです。…レア馬券ですなあ)。一応、弊社実況席では、「勝ち馬投票券は…」というセリフは控え、「第○レース、着順・払戻金確定までしばらくお待ちください」的な言い方にしようかね、と相談がまとまりました(それでもうっかり言ってしまうことがある。習慣ってのは恐ろしいもんだ)。竹之上さんも書いてくださったとおり、そうは言っても競馬の開催そのものは続いており、われわれ実況アナウンサーは仕事をさせていただけています。ありがたいことです。ひるがえって場内を見れば、お客さんが入らなければ商売にならない業種・お仕事がわんさかあるわけです。売店はもちろん、(川崎競馬名物のコロッケもお休みです。再開したらたくさん食べようと心に決めました)いわゆる場立ちの予想屋さんはかなり厳しいでしょう(南関東の予想士さんたちは、ネットでも予想を販売されています。ぜひご活用ください!https://batachi.horse/)。(ブースは無人)専門紙売り場もシャッターが下りています(こちらもコンビニプリントやe新聞など、この機会にぜひ試してみましょう)。一日も早く事態が収束し、騒ぎが終息することを祈ります。(早くたくさんのお客さまで賑わう日が戻りますように)それにしても。以下、個人の感想ですが。ちょっと大げさすぎやしませんか?いや、競馬場がどうこういう話じゃなく、もっと広い範囲のことなんですが。たしかに感染拡大をおさえるためには大切な時期なのでしょうし、人が集まらないことが肝要なのでしょう。それはわかる。けども。もう少し鷹揚に、できんもんですかね?なんでもかんでも中止にすりゃいいってもんじゃないと思うんですが。具体的に何がどう、って書くのはヤメておきますけども。ああ、とりあえずトイレットペーパーやティッシュペーパーを買い占めるのだけはヤメてもらいたい。何か意味があるんですか?トイレットペーパーなんて、洗浄機つきトイレだったらなくてもいいじゃん。洗って乾かすか、いらない布をウチで集めといて洗ったら拭けば?
2020年03月02日
ミツオーです。バタバタしています。さて、本日、『NARグランプリ2019』表彰式と祝賀会が都内にておこなわれました。(ファンのみなさまも招かれた会場には、こんな撮影スポットが)その年に最も活躍した人馬が表彰される『NARグランプリ』は、地方競馬関係者にとって、最も華やかな場所とも言える舞台のひとつです。今年も、昨年(2019年)顕著な活躍をおさめた地方競馬の人馬たちが表彰され、祝福されました。会場では受賞者の記者会見もおこなわれ、喜びの声やこれからの抱負などを語りました。以下、速報的に、会見での言葉をご紹介します。*優秀新人騎手賞 岩本怜騎手(緊張の面持ちで、しかし言葉は力強く)「このような賞をいただけて、大変うれしく思っております。昨年は、減量がとれるまではリズムよく勝てたが、減量がとれはじめてから勝てなくなった時期もあった。周りのサポートがあり、年間で87勝することができた。1年目よりラクに、気持ちを落ち着けて乗れるようになったと思う。早池峰スーパースプリントでは、普段から自分が調教をつけている馬で初重賞を勝てたのがうれしい。ヤングジョッキーズシリーズ優勝については、子どものころから行っていた競馬場で、まさか自分が勝てるとはと。今年ケガをしたものの、だいぶん良くなり、3月競馬からは騎乗します。今年は昨年以上勝てるようにがんばります」*最優秀勝利回数調教師 打越勇児調教師(笑みを浮かべ)「まさかこの賞をとれるとは思っていなかったので、うれしいです。一昨年がマグレじゃないのが証明されたと思う。年間202勝という数字は、200勝を目標にしていたのでうれしい。年末、名古屋の角田輝也調教師と競り合いになったが、よく勝つなあ、と。でも本当によく勝たれる調教師さんなので、勝つことができてうれしい。毎年、正月、一つ勝つまでは、今年勝てるのかなあと不安に思うものです。今年も高知でリーディングを目指します。全国はそのあとついてくると思います」*特別賞 西川敏弘騎手(ニコやかに、飄々と)「受賞を知らされたときは、ホントに自分なの?とビックリしたが、ありがたいことでうれしい。目標が3000勝だった。その前にケガして時間がかかってしまったが、区切りに到達できてうれしい。2000勝したときに、3000こえたら辞めてもいいかなと思い、絶対3000は勝ちたかったので本当にうれしい。これから年とともに体力も落ちてくると思うが、お客さんの声援にこたえられるように乗れたらと思います。3000の中では、1個1個全部大事なので、どれが印象に残るというのは今は思いつかないです。年齢なりの乗り方をしたら、と発想の転換をしてからは上手く乗れているのかなと思います。(黒潮マイルチャンピオンシップなど勝ちの)ウォーターマーズは乗っていて力のいる馬なので、年とってからの試練かなと思って乗ってます。高知競馬は手当も賞金も上がり、良い状況にあり、今はみんな顔が明るい。やるべきことを全国発信できているということなのかなと」*最優秀勝率騎手 山口勲騎手(淡々と)「毎回のことですけどうれしいです。成績は関係者のみなさんの応援のおかげだと思っているので、一つ一つ大事に乗るだけ。昨年は重賞もよかったし、流れもよかった。勝ったレースは一つ一つどれも印象に残っています。気をつけるのは、制裁ナシでと思っているんですけど、昨年はもらってしまったので。体力が落ちない程度に身体を動かしています。5000勝は、意識は多少はありますけど、まずは次の1勝。今年も一回も休まずに乗ること、制裁ナシを目標に頑張りたい」*最優秀勝率調教師賞 川西毅調教師(マイペースで会場を笑わせる余裕)「今年もとれてよかったという思いと、反省が多くて…毎年ここにきて反省ばかり言っていて、自分は成長しないなと思っています。もう少しこうしたら・どうしたら、と何年も同じ思いがあり、それを治せたらと。毎回同じ失敗をしているので、治したい。まだ足らないですね。新しいことにもチャレンジしたい。今年は出走回数と勝ち鞍をのばしたい。できれば500回くらい出走したい。名古屋は開催日数も多いので、500はそれほど多いほうでもないでしょう。今年はオリンピックの年ですから、目標は金メダル!…違うか。ワンチームということで、厩舎一丸となって、だけにしておきます。数字の目標などあげるといいことないので。重賞の金メダルも、ですね。2番じゃダメなんです!って」*殊勲調教師賞 高月賢一調教師(普段通りのペースと思いきや、汗を額にうかべ)「このような素晴らしい賞をいただいて、オーナーや騎手、関係者に感謝です。祖父・父から学びながらやってきました。師匠でもある父に受賞を伝えたいです。昨年はできすぎた一年でした。年間100勝は初めてです。意識していませんでしたが、あと1つ・2つとせまってからは意識が出て、最後のレースで勝てて幸せです。わたしは何もしていません。スタッフが一生懸命してくれていることに感謝です。ヴァケーションとグリーンロードは大井の重賞に、インペリシャブルは短い路線へ転向しようと思っています」*殊勲騎手賞 御神本訓史騎手(真面目な表情で)「受賞はビックリしています。たくさん重賞を勝たせてもらいましたけど、みなさんに認めてもらえるにはマダマダかなと思っていたので。昨年はたくさん重賞を勝たせていただいて、これ以上ないかなと思うくらい思い出深い年になりました。JBCは地方馬にはなかなか勝つチャンスがないが、みんな一矢報いるためにがんばっている。(昨年後半エンジンかかった?)いつもエンジンふかしているんですけどね。騎乗機会が少ないので。少ないチャンスをものにしていけるよう、がんばりたい。昨年は充実した年だったが、それにおごることなく、地方競馬に貢献したい」*年度代表馬ブルドッグボスについて 小久保智調教師・御神本訓史騎手小久保「光栄です。うれしい」御神本「ブルドッグボスが一生懸命走ってくれたおかげ」小久保「(長期休み明け)ボスを信じるしかなかった。休み明け一回目のレースではとにかく無事に戻ってきてくれと。北海道・岩手のレースを見て、元のボスに戻ってきてくれたと思ったし、実際帰ってきたボスに会って、これならと。調教だけに頼らず、ローテーションも、御神本騎手に話を聞きながら丁寧に仕上げた」御神本「大きい馬ですし、短い直線のレースは合わないとは思いましたが、ボスが走りやすいレースをしようと心がけた。地元のJBCで勝つのだから、小久保先生もボスも、持ってるなと」*最優秀賞金収得調教師賞・殊勲調教師賞 小久保智調教師(落ち着いて)「自分の力は小さくて、みなさんに助けられたなと。賞金については、それがないとオーナーもうまみがないので。地元のJBCについては、直前までは必死すぎて意識しなかったが、直前になってなんとかしなくてはという気持ちになった。せっかく勝ったJBCですから、また中央の馬にとられないように、というのと、数字的には昨年を下回ることのないように、というのが目標」*殊勲騎手賞 吉原寛人騎手(いつも通り)「またこうしてこの賞をとれてうれしい。全国から依頼をいただき、感謝しています。そこで結果を出すことの難しさはあります。重賞は、残すところ佐賀と姫路なので、なんとか全場制覇を達成したいですね。全国への移動は、はじめは行くまでの段取りで精神的にも身体的にも疲労が大きかったが、繰り返すうちにラクになってきた。今年はみなさんの期待を裏切らないようにしたい」*最優秀勝利回数騎手賞・最優秀賞金収得騎手賞・ベストフェアプレー賞 森泰斗騎手(いつも通り真面目に)「昨年は想像以上に数字が伸びた。5年ぶりくらいに一度も骨折しなかったんですが、それが結果につながったかなと。ベストフェアプレー賞は、中では強いて言えば一番うれしい賞。ひとの邪魔をしないのは常々心がけているが、一頭で走るわけではないので不可抗力で制裁をもらうこともあるが、そういうのもなかったというのは、いつも心がけていることができたということでよかった。いい意味で、あまりスレスレのことをしなくなったということもあるでしょう。気を付けていることはたくさんありますが、食事から身体づくりから、ひととのつきあいもそうですし。慣れもあるかと思います。最初に年間千何百も乗ったころは、身体も疲れたし気持ちもきつくなったりしたが、今はわりと平然と乗り切れるようになった。今年は、与えられた仕事に前向きに取り組むだけだが、3000勝に今年中に到達したいと思います」*優秀女性騎手賞 木之前葵騎手(ニコニコと)「やっぱりうれしかったです。ホントは自分の一番勝ったのが年間69勝なので、それを上回りたかったが、こえられそうでこえられなかったので、またがんばりたい。自分の中では、年間100勝したいと思っています。(女性騎手増えた)レースを見ていても、自分のデビュー当時と同じようなレースをしていて、すごく応援しています。成長が楽しみですね。レディースビクトリーラウンドでは、ミシェルも一緒なので、吸収できることもあるかと思いながら騎乗しています。新人も多く、予想しにくいレースになるかと思いますが、経験を生かして乗りたいなと。いずれはオールレディースで乗りたいと思います」会場では祝賀パーティーもおこなわれ、たくさんの関係者と招かれたファン代表の方々で大いににぎわいました。この華々しい舞台に立てる関係者はほんの一握り。表彰された方々が口をそろえて、「またここに戻ってきたい」というのは、切実な願いであるのではないでしょうか。(表彰式から祝賀会まで、進行役はこのお二方。お疲れさまでした!)
2020年02月17日
ミツオーです。豆まき用の豆を買わなくては。(文末に追記があります 2020.02.04)さて、皆さんは「ナントカおじさん」という言葉をご存知でしょうか?わたくし先々週、笠松競馬の実況を担当したのですが、その初日、競馬場職員さんにご挨拶した際に、初めてこの言葉を聞きました。「大川さんも関本玲花おじさんになるんですね?」??何のこっちゃ??と思ったのは一瞬で、えらいものでニュアンスだけで、だいたいそれがどういうことを指しているのか、わかるものなんですな。けど、きちんとその言葉の説明を受けたわけでもなく、キッチリわかったわけでもない。別にどうでもいいとは思いましたが、そのつもりでネット(主にツイッター)を見てみると、そこには「関本玲花おじさん」という言葉がシッカリ存在し、多くの方々に使われているのでした。(関本玲花騎手 関本騎手騎乗の写真は、谷口浩カメラマンにご提供いただきました)ええと、この言葉を今知った、という方に、ちゃんと説明することがわたしにできるかどうか、ちょっと不安なしとしないのですが、この稿はそこを論点としておりますので、試みてみますと…。「関本玲花おじさん」とは…岩手(現在は笠松競馬で期間限定騎乗中)所属、昨年秋デビューの新人・関本玲花騎手のファンで、ネット上(主にSNSということになるんだろうと思うのですが)にその写真などを多くアップし、関本騎手を応援しているひとたちのことです。たぶん。特徴として、多くは自称として使われます。そういうのって、ファンとか追っかけっていうんじゃないの?とは思うものの、ほら、言葉ってそういうもんじゃないじゃないですか。次から次へと登場しては、独特な空気感というか雰囲気をまとって使われ、もてはやされたりする。既存の言葉では言い表せないものが、そこにはある。「ナントカおじさん」という言葉(言い方)はそういう、まさに現在、生まれて育ち、広まりつつある段階にある言葉…らしいのですよ。(関本騎手期間限定騎乗の歓迎セレモニーには、吉井友彦騎手会長と水野翔騎手もかけつけました)ところで当然のことながら、「コレって女の子を追っかける、それなりの年齢の男性をさす言葉なんだな」と思いますわね?そうではありません。なんとこの言葉、応援する対象は女性に限りません。それどころか人間じゃなくてもいい(カレーでもいいらしい=後述)。さらに言うと、応援している主体(つまり「おじさん」であるところの本人)は、女性でもいいのです。年齢も若くてもいい。ということを教えてくれたのは、国内唯一(本日時点)、令和デビューの競馬実況アナウンサー、弊社新人の鈴木努なのでした。…ヘンなことに詳しいな、キミ。(レース実況直前の鈴木努アナウンサー 右下)まあいいや。とにかく、鈴木努アナウンサーの解説によりますと、この「ナントカおじさん」という言葉、元々は、やはり「関本玲花おじさん」として生まれたモノなのだそうです。昨年秋、デビューを控えた関本騎手のインタビュー記事などをご覧になった、とあるファンの方が、「関本玲花騎手、いい!オレ、応援することにした!」とネット上で宣言し、かつ、ご自分で「関本玲花おじさん」と名乗ったのがこの言葉の誕生。さらにこの方、ネット上で「関本玲花騎手を応援するひと、みんな『関本玲花おじさん』って名乗っていいよ」と、使用を推奨。徐々に「関本玲花おじさん」を名乗る方や書き込みが増えてきた。と。ここでさらにこの言葉を広めるのに一役買ったのが、この方。(笠松・佐藤友則騎手。写真は昨年、南関東での期間限定騎乗中のもの)1月から関本騎手が笠松所属で期間限定騎乗をおこなうにあたり、佐藤友則騎手が関本騎手の様子を積極的にSNSで紹介し、都度、「関本玲花おじさん」のハッシュタグをつけていったところ、爆発的に(?)言葉が広まったのでした。先週、南関東地区は川崎開催でした。この初日から、川崎・山崎裕也厩舎所属で騎乗している、ミカエル・ミシェル騎手。大注目を集めるミシェル騎手に向けられるカメラの数ときたら、それは大変なものです。ミシェル騎手を応援する方々が全員、「ミシェルおじさん」かどうかわかりませんが、けっこうな数の「おじさん」がいらっしゃるようです。(ミカエル・ミシェル騎手によるファンサービスイベントには、「おじさん」殺到。もちろん「おじさん」じゃない方々も大勢、声援を送ってくださいました)(川崎では2勝をあげたミシェル騎手。写真提供:山崎裕也厩舎)もともと関本玲花騎手の追っかけを表すものとして生まれた言葉が、ちょうどいい具合に新たな対象を見つけ、「ミカエル・ミシェルおじさん」が大量発生。言葉の使用条件が汎用性を増し、対象を限定しないことで、使用者が増え、言葉の使用頻度も高くなった、ということなんですな。「関本玲花おじさん」を広めた佐藤友則騎手は、「まさかこんなに広まるとは」とコメントしつつ、ご自身は「太陽カレーおじさん」と名乗り、さらに言葉の普及を促進(?)しています。と、今回、この「ナントカおじさん」という言葉の登場から拡散・変化やそれにまつわる諸々のことなどを、端的に解説してくれた鈴木努アナウンサーの交通整理能力に感心しつつ、どんなことにでも、いい解説員がいるってありがたいことだなあと思ったのでした。そして、何にでもその発端があり、諸々の経緯があり、ちょっとした歴史みたいになるのが面白いもんだと、純粋に楽しませてもらいました。関本玲花騎手は、デビュー4ヶ月。先日お話をうかがったときには、「デビュー前に思っていたのとは違いました。もっと乗れると思っていたのですが…」昨年のこの時期、休催中の岩手から笠松へ競馬場実習に出張ってきていたときより、やや元気をなくしている様子で、「それ、みんなに言われます。デビュー前のほうが元気だったって」いわゆるプロの洗礼を浴び、カベを感じているようでした。しかし先週は名古屋開催で一つ勝ち、明日は高知でレディスヴィクトリーラウンド参戦。関本騎手らしい元気な姿を全国の「おじさん」たちに見せ、さらにステップアップのきっかけをつかんでもらいたいと思います。(「デビュー前に見ていた先輩たちと、レースで見る先輩たちは違いますね」という関本騎手)関本騎手・ミシェル騎手ともに参戦のレディスヴィクトリーラウンド高知は、明日(2月4日)。高知競馬、第6・8レースにおこなわれます。全国の「おじさん」のみなさん、もちろん「おじさん」以外のみなさんも、ぜひご注目ください。(追記)この稿をアップしたところ、「ナントカおじさん」という言葉について、「使い始めは自分だと思います」という主旨のご指摘をいただきました。この文章は不十分な認識で書かれたものであることを明記し、お詫びします。やや詳しくは、個人ブログ「ミツオーのセカンドボイス」に書いておきます。
2020年02月03日
ミツオーです。大寒なのに暖かくて助かります。さて、昨年の全国リーディングジョッキー・森泰斗騎手にお話をうかがいました(1月11日=森騎手のお誕生日)。お誕生日おめでとう!と声をかけると、「もう祝われる年でもないけどね」と照れ笑い。どうでもよろしいが、コレ、たしかに年を経るにしたがって、自分については全く同じことを思うんですが、他人様については全然そう思わないのって、どうしてなんでしょうかね?わたしもこの年になると(今年の誕生日で50歳ですよ)、祝われる年でもなし…と感じるのですが、知人友人や家族の誕生日はめでたく感じるのです。不思議なもんですなあ。それはともかく。昨年、自身のキャリアハイを大きく更新する360勝をあげた森泰斗騎手。年のはじめには、「勝ち数にはあまりこだわらず、ぼちぼちマイペースで」と話していたのですが、序盤からハイペースで勝ち星をのばしました。そのことに触れると、「そう思ってたんだけど、予想以上にのびましたね。ビックリした。そんなうまく行かないだろうと思ってたけど、ケガして休んでるひとたちが多かったりとか、いろんな流れも向いたなっていうのもありますよね。あと今、南関のジョッキーって自分で休み作ってやってるジョッキーも多い中で、一人でバカみたいにガツガツしたっていう(笑)」以前もご紹介しましたが、全国リーディングにまで上り詰めた森泰斗騎手が、「休むと干されるような恐怖感がある」と、見ている者としては「そんなことないでしょう?」と言いたくなることを話したことがあり、さまざまな苦境を経験してきた森騎手としては、常に走り続ける状態こそが安定した状態であるようなのです。しかし一年中、ほとんど休みらしい休みもなく仕事仕事の毎日では、それも騎手という過酷な職業では、心身ともにきびしいのでは?「それが当たり前だと思ってるし。ボクはね。そんなのみんなに言うと、考え方違うっていうひともいると思うけど。嫌われちゃっても困るんでね、そんなんで。そうしろとは言わないけど、ボクはこうということで。それが南関の騎手は昔から当たり前だと思ってるんで。やれるうちにしっかりやって、あとはパッとやめちゃおうと思って。ははは」根が怠け者のわたくしは、耳が痛いです。それにしても360勝という数字はすごかった。「なかなかいかないね、あそこまでは。的場さんにお話うかがったときに、的場さんが一番勝った年で363って言ってたから、ちょっと及ばなかったですけど、それに近い数字を一年間で出せたということは、誇らしい気持ちになりますね。的場さんの全盛期にそれくらいだったんだなと思いますから、よかったなと」以前、初めて南関東リーディングを獲得したとき、そして全国リーディングに初めて輝いたとき、それぞれについて森騎手は、「しんどかった」「たいへんだった」と振り返りました。昨年は?しんどかった?「そうでもなかったですね。若いころだったら去年一年間ってすごく苦しかったと思うんですね、忙しかったし。絶対勝てない時期ってのはあるし、そういうときに悩んだりとか歯車おかしくなったりとか。そういう経験も(これまでに)いっぱいしてるんだけど、そんなに動じなくなった。いい意味で。悪い意味でかな?よくわかんないけど。勝てないからって、もちろん落ち込むし悩むんだけど、その落ち込み具合が、精神的な振れ幅が小さくなって、一年、わりと同じような精神状態でいられたっていうのがあります。それは若いときと、一番変わりましたね。きつかった数年前は、そういう経験もしたことなかったから。やっぱりちょっとダメなときがあると、自分のことすごい否定したりとか。全然、去年はマイペースで」毎年、全国のトップで戦い続けてきた経験が、森騎手をさらに成長させているようです。その森泰斗騎手は、今年はじめに地方通算2800勝に到達。今年はいよいよ3000勝!ということになるわけですが…「3000行くかな?行かないかもしれない。全然ダメだもん、年明けてから(笑)。でも競馬でね、一つ勝つのってホント大変だなって思います。ボクがそれ言うとね、なんだ年間何百も勝ってて!って言われるんだけど、ホント大変だと思う。若いころって勝てば、うれしいやった~って勢いだけで行けちゃうところがあるんだけど、今になって、ホントに思うよね。競馬で一つ勝つのってホント大変だって。3000ね、普通なら行くって周りは思うでしょうけど、一年で200勝つのってけっこう大変ですよ。今年中にいけばいいけど。こないださ、誰か1400勝とかしてて、netkeibaとかで結構ニュースになってたりとかしてるんだけど、オレなんかこないだ2800勝したときに何のニュースにもなってなくて、なんか嫌われてるのかな?とか思ったりして(笑)。これは3000行かなきゃニュースにならないぞって思っちゃって。これは2900でもニュースにならないぞって。ちょっと、ニュースにしてくださいって書いといてください。ははは。冗談ですけど」そして少し真剣な顔つきにもどり、「南関で3000って行ったひとって数えるほどだと思うんですよ。ずば抜けてるひとは別ですけど。石崎さん、的場さん、桑島さん、竹見さん。3000までは頑張っていきたいなと思ってるんですけど。なんとかそこまでは」通算3000勝達成への思いを語ってくれました。ちなみに過去、地方競馬の騎手で3000勝以上を達成している騎手は全国で31名(1973年~2020年1月13日のデータ。ばんえい含む)。(地方競馬全国協会提供)森騎手も意識している「南関東地区の騎手で3000勝以上」となると、的場文男騎手佐々木竹見騎手石崎隆之騎手桑島孝春騎手高橋三郎騎手内田博幸騎手以上の6名となります。内田利雄騎手は現在浦和所属ですが、3000勝達成は宇都宮所属時。森騎手も栃木デビュー。ですが、キャリアのほとんどは南関東で過ごしているわけで、このまま3000勝達成となると、南関東所属騎手として7人目の3000勝ジョッキー誕生と言って差し支えないでしょう。順調なら今年中にも3000勝を達成する森泰斗騎手。はたしてその達成がいつごろになるのか。楽しみに見守りたいと思います。
2020年01月20日
大川ミツオーです。明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。さて、本年最初の担当ですが、昨年末のお話を。わたくし年末は、笠松競馬の実況を担当しました。笠松競馬、年末特別シリーズは、12月27日・29~31日の合計4日間。30日・31日には、それぞれライデンリーダー記念・東海ゴールドカップがおこなわれ、年末開催らしくイベントも多数、たくさんのお客さまにご来場いただき、にぎやかな開催となりました。30日におこなわれた2歳牝馬の重賞・ライデンリーダー記念(SP1)は、1番人気のニュータウンガールが圧勝。門別フレッシュ勝ちで、笠松移籍後はジュニアクラウン・ジュニアキングと準重賞(P)2勝の実績を誇るニュータウンガール。東海の牝馬同士となるここでは、正直、力が抜けていました。管理する井上孝彦調教師が、「時計が速すぎる!壊れてまうで」と、足元の心配をするほどの、破格の時計(1分39秒8)での勝利でした。過去22回、ただの一頭も1分41秒を切ったことのないライデンリーダー記念で、レースレコードを一気に1秒9も更新したことになります。馬場差などもありますが、好時計と言われ、その後も活躍した18年の勝ち馬エムエスクイーンのタイムが1分42秒0ですから、この時計が驚くべきものであることがおわかりいただけると思います。ニュータウンガールの今後には大きな期待がかかります。31日の東海ゴールドカップは、たいへんな大混戦ムードとなりました。登録のあったチャイヤプーン(笠松・花本正三厩舎に移籍してきたのです)やストーミーワンダー(19年だけで重賞5勝)が回避。10歳ながら笠松コースを大の得意とするメモリージルバが出走取消。かなり難解なメンバー構成となる中、徐々に、名古屋移籍後6戦全勝の3歳馬・リーガルマインドが人気を集めるカタチになりました。人気面では、同じく3歳馬のニューホープが追って2番人気。こちらも当日早い段階では単勝1番人気という時間帯も。結果、中団から早め先行集団にとりついたニューホープが抜け出したところへ、レース序盤は後方を進み道中で前を追ったリーガルマインドが迫り、最後は半馬身差、ニューホープが押し切りました。3~4角で先頭から後方まで一団となった中から上位馬が抜け出して接戦を演じるという、実に見ごたえのあるレースでした。そして、3歳馬2頭に3着も4歳馬(ドリームスイーブル)と、若い馬たちがいいパフォーマンスを見せてくれたのは、明けて今年の笠松・東海にとって、明るい材料だと言えるのではないでしょうか。2019年の笠松競馬リーディングジョッキーは、筒井勇介騎手でした。自身、初のリーディング獲得。年末開催を迎えた時点で、2位以下に大差をつけており、リーディング確定。声をかけると、普段どおりの穏やかな雰囲気でこたえてくれました。「素直にうれしいです、はい。18年よりはリラックスして乗れてたんじゃないかな。10月ぐらいが一番ひやひやしてましたけどね。18年は佐藤友則騎手がいない時期が緊張すごかったんで。勝たなきゃいかん、勝たなきゃいかんって。まあ今年はうまいこといったということで。トップにたって…まだまだだなあと思います。だって、笠松でトップとってもよそにはすごいひとがたくさんいるんでね。ひとつの節目になったとは思いますけどね。恥ずかしくないレースはしたいなとは思います。(1位の筒井騎手と2位の渡邊竜也騎手)(年間120勝を超えた)去年よりは勝ちたいと思っていたので、そこはよかったかなと。去年より勝ち鞍少なくなってはいけないと思ったので、年始には去年以上勝つということは思っていて、そこに結果がついてくればいいかなあと思っていたので。今は、馬の上でもっと身体が動かせればいいかなと思って乗っています。栗東のセミナーに4~5年かな、行ってるんですけど、なかなかまだうまくいかないところがあるんです。今年はそれなりに、やっとちょっと動かせるようになってきたかなというところもあって、でもまだまだ課題が多いので進めていければなと。角居先生のところでやってる、動作解析とかしてくれる、馬上での身体の動かし方とか。騎手も厩務員さんもやってんですが、攻め馬からそういう動きをすれば馬もよくなってくるという考え方で。自分らで見てても、ちゃんと動かせてるかどうかわからないんですが、見てくれたりするんでありがたいなと思ってます。他のひとのを見ててもすごく勉強になるので。期待を裏切ることもありましたけど、みなさんの声援のおかげでここまでくることができました。来年も応援よろしくお願いします」名古屋のリーディングジョッキーは、超絶な強さを見せた岡部誠騎手。こちらもいつも通りのニコニコ顔で話してくれました。名古屋グランプリをデルマルーヴルで制したことについて、「3コーナー手前くらいでちょっと一杯になったんですけど、前回の浦和の競馬見てても、しまいは割りとシュッときてたんで、おんなじように伸びてくれた感じですね。最後も思い切って一番外まで出して、たぶん真ん中より外くらいが一番伸びると思ってたので、そのへんもうまいことハマりましたね。まあ、マーフィーにはないモノを、名古屋競馬場ならオレのほうが持ってるってことだよね。マーフィーにはマーフィーでいろいろ持ってるけど、名古屋ならオレのほうが持ってることもあるってことですね。でもそういうことだと思いますよ。馬場のどこがいいなんてことも。マーフィーも世界的な若き天才だろうけど、やっぱり地元である以上、いろんなこと知り尽くしてて自信もあったし、それがいい結果に結びついたんでね」と、してやったりの表情。19年を振り返って、「いろいろ全国で勝たせてもらいましたし、そういう時代なんでね。今までやってきたことが実になってきたかなあと思いますね。最初は全てがうまくいくわけじゃないですけど、心が折れそうになることもありますけど、結果が出ないとね。でもそうやって人脈なりスキルなりを重ねてきて、カタチになってきたなっていうのはありますね。技術云々じゃなくて、上手く乗りたいっていう気持ちは、自分はそこらへんの若いやつよりは強いつもりですし、自分でもわかります。いつも競馬のことばっかり考えてますし、いろんな競馬場のレース見てるし、常に頭の中に競馬のことしかないから。世界中、調べて調べて、世界のどこで誰がどんな乗り方してるのかとか、それが日本国内でもいいですし、そういう意味でもっと競馬に熱い若い子が出てくるべきじゃないのかなと、競馬に対する熱さっていうのはまだ全然負ける気がしないです。勝ちたいとかじゃなくて、普通にたぶん負けてないな~って。勝つとか負けるとかじゃなくて、だいたいまだレベルが違うな~って思いますよ」最後は聞いているこちらも身の引き締まるような、ありがたいお話で締めくくっていただきました。ちなみにこの岡部誠騎手を、名古屋リーディング2位と大活躍した村上弘樹騎手は、「分厚い壁って言いますけど、この壁、分厚すぎますよ。バスの幅くらいありますもん」と苦笑しつつ表現し、「途中、リーディングも意識した瞬間があったんですが、全く歯が立たなかった」力の差を痛感したようですが、まだまだ若い村上騎手には、今年をさらに飛躍の年としてもらいたいところです。(今年は遠征にも積極的に…という村上騎手)年末開催、大井競馬場では恒例となったラーメンフェスがおこなわれ、たくさんの美味しそうなラーメンの画像がネット上にあふれていましたが、笠松競馬場でもラーメンフェスタが開催され、この年末は、大井競馬場にいる方々をうらやむことなく過ごすことができました。和田屋さんのみそラーメン。Booboo King Foodさんのまぜそば。大好評だったことですし(…だろうと勝手に推測)、笠松でも恒例イベントにしてくれるといいのになあと思うのでした。笠松の年末恒例と言えば、こちら。愛馬会さん制作の、蹄鉄をあしらったお飾り。今年の干支、ねずみが可愛らしい。年末開催の笠松競馬を振り返りましたが、今年最初の笠松競馬は明日から開催です!たくさんご参加ください!ということで、あらためて、本年もよろしくお願いいたします。
2020年01月06日
ミツオーです。また近所のコンビニが閉店…。不便。さて、引き続き『令和最初の…』という言葉が盛んに使われていますが、そこへ『今年最後の…』もよく聞くようになった今日このごろ。わたくし、今回が今年最後の日替わりライターブログ担当です。今年もご覧いただき、ありがとうございました。自分の興味の向くままに書いてきましたが、諸々の勝手を許してくださった読者のみなさま・運営の方々に、改めてお礼を申し上げます。今回は、先日よそにも書いた話題なのですが、少しだけ角度を変えて。金沢競馬所属のエトワールドロゼが、17日のレースを最後に引退しました。エトワールドロゼは、2011年4月27日生まれ。父:アドマイヤマックス、母:ドリームヘイロー、8歳牝馬。馬主は太田珠々子さん、金沢・金田一昌厩舎所属。(最後のレース パドックでのエトワールドロゼ)競走成績は、56戦して16勝、2着11回、3着9回。2014年、第1回加賀友禅賞(3歳牝馬1300メートル)、2015年、第33回読売レディス杯(グランダムジャパン、地方全国交流、1500メートル)と、2つの重賞を制しました。2歳のデビューから7シーズンにわたり、毎年勝ち星をあげ、最後までA級で走り続けました。このエトワールドロゼは、いわゆる金沢『生え抜き』の馬です。金沢競馬所属でデビューし、他地区への移籍を経験することなく、ラストランまで走り切りました。(ラストラン 本場馬入場)現在の地方競馬において、ある競馬場でデビューし、移籍することなく競走キャリアを終えることが、どのような意味を持つのか。みなさんは、どう感じますか?移籍経験なく『生え抜き馬』として引退まで走り続けるのは、確かなデータがあって言うわけではありませんが、かなり珍しいことのように思えます。もちろん、賞金の高い地区ほどその存在は珍しくなくなり、例えば南関東では、当地でデビュー、重賞戦線で活躍し、移籍歴なくキャリアを終える馬も多数見られます。これが、比較的賞金が安い地区、あるいは冬季休催期間のある地区では、その存在がグッと希少になると思うのです。まして重賞を複数勝つような成績をあげる馬は、より賞金の高い地区へ移籍する例も多いでしょうし、中・下級条件馬でも、少しでも活躍できる条件を求めて移籍することは、ごく当たり前に見られることです。生え抜き馬を希少なものと感じ、ついつい応援したくなるのは(…この、ついつい云々というのがすでにそうなんですが)、あくまで感情的な問題なのでしょう。が、例えば西日本ダービーの出走条件を見れば、『生え抜き馬』を増やしたいという動きがそこにあることは事実であり、『生え抜き馬』の存在を好ましいものとして意識していることは間違いありません。まあ、感情的なものを考慮に入れずに競馬を興行として発展させようというのは、無茶な話ですけども。そんな中、エトワールドロゼは、金沢でデビューし、重賞タイトルを複数獲得し、最後までいわゆる上鞍(うわくら)で活躍した馬だったのです。金沢競馬に深い思い入れを持ち、所属馬・所属騎手を熱心に応援するファンのみなさんにとっては、地元デビューで一度もよそへ移籍することなく、交流重賞も勝ち、遠征先の重賞でも好走してきたこの馬は、好き嫌い・相性の良しあしを別に、気にしないではいられない存在だったハズです。ファンのみなさんにとって特別な存在なら、陣営もラストランをむかえて感慨深いものがありました。全56戦中55戦で手綱をとった田知弘久騎手は、朝、挨拶をすると、「今日、ロゼ、ラストランだよ」と、こちらが何かを尋ねる前に教えてくれました。(エトワールドロゼの主戦騎手 田知弘久騎手)この馬のデビュー前から手塩にかけたエトワールドロゼの引退に、胸の内がどのようなものだったか、この時にはアッサリ、「最初から乗ってきたからね。思い入れはあるけどね。このあとはお母さんになるんだと思うよ」とだけ話した田知騎手でしたが、翌日聞くと、「このレースで引退するってわかってて乗るのは、初めてだったからね。とにかくスタート失敗しないように、前にスタートですべっちゃったことがあったから、それだけないようにと思って緊張して乗った。だから、(うまく出られて)一周目ゴール前くらいで、ホッとしたよね。この馬らしい逃げだったけど、正直力も落ちてるしね、最後抜かれるのは仕方ないかな。身体の弱い馬だったけど、気性が悪いわけじゃなかったから、スタッフは手がかからなかったんじゃないかな」そして、馬にむけては、「ありがとう!」と感謝の言葉を口にしました。この馬の子どもが金沢に来たら…と聞くと、「ロゼの子どもか…。乗りたい、乗りたいかな?うん、乗りたいな」少し噛みしめるようにというか、何か具体的に想像したのでしょう、ちょっと遠い目をしたのが印象的でした。管理する金田一昌調教師は、ラストラン直後に声をかけると、「今はしゃべったら泣いちゃうから」というので、こちらも翌日、お話をうかがいました。「大事に使ってきましたね。身体の弱い馬だったんですけど、ここ生え抜きの馬で、読売レディス杯勝って名古屋の秋桜賞でも2着きて、よく走ってくれましたね。生え抜きの馬だというのは、やっぱり一番かな。ウチの厩舎、生え抜き馬、多いんですよ(石川ダービー馬・ロンギングルックなど)。多いんですけど、その中でもこの馬は、スタッフの力やオーナーの度量っていうんですか、身体が悪かったら休ませてくれたり、可愛がってくれて、大事に使わせてもらえたんですね。全てはオーナーに感謝します。ボクが見つけてきてオーナーにすすめて買っていただいたんですけど、そういう意味で、自分で見つけて発掘してきてこれだけ走ってくれて、調教師冥利に尽きますね。北海道の牧場さんと交渉して、繁殖牝馬にすることになるんですけど、弱い子どもは出ないと思うんですよ。アドマイヤマックスの子で、オーナーの持っている種馬にもあうと思うのでそれをつけてみて…また子どもが金沢で、ウチの所属で走ってくれる、それを一番望みます。馬にはもちろん、ありがとう、ご苦労様っていうのが当たり前なんですけど、この馬には、この仕事は素晴らしいなということ、調教師という仕事、いい仕事を自分は選んでいるなということをあらためて教えられました。ちょっと他にないでしょう、ラストランのときなんかジーンときちゃいますけど、ああいう感動は味わえないですよ。大変な仕事ですけど、それだけ感動が大きいなと。初心にかえらされましたね」先生にとって、特別な馬ですか?と聞くと、「全部の馬が特別です!」と即答したあと、あらためて、「その中でも、可愛かったですね」笑顔で話してくれました。(ラストランは2着でしたが、記念撮影。騎乗経験のない吉原寛人騎手の姿も)現在、全国のどこで走っている馬も、リアルタイムに応援することができ、走る姿を見ることができます。地元の競馬場で応援していた馬を、移籍を重ねても追い続けられます。環境が変わっても変わっても走り続ける馬に、深い思い入れを持つこともあるでしょう。移籍を重ねる馬の活躍・ドラマを見守ることが容易になった今、生え抜き馬ならではのドラマもまた、感動を呼ぶものであることは間違いありません。そんなことを考えさせられた、エトワールドロゼの引退でした。
2019年12月23日
ミツオーです。なんだか知らないですが、背中がものすごく痛いんですけど。さて、わたくし10月28日に、こんなことを書きました(https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201910280000/)。金沢競馬のオープン馬事情について、ややオーバーというか、図式優先のような書き方をしています。この数年、群雄割拠状態で推移した金沢競馬のオープン馬たちの中に、混戦を断つような存在が現れる/現れた、んじゃないか?という内容なのですが。そして、二頭の名前をあげ、『両雄時代到来!?』と書きました。では、その後、どうなったかというと。金沢競馬で東西横綱のような存在になっていくんじゃないかとあげた二頭は、ティモシーブルー(上半期グランプリ的レース・百万石賞勝ち)タンクティーエー(3歳重賞勝ちのちダービーグランプリ2着)です。この二頭が、11月の北國王冠(地方全国交流重賞・2600メートル)から12月の中日杯(金沢のグランプリ・2000メートル)で対決するのが楽しみ…と期待したのでした。けども。まず、上の日記更新の段階で、すでにタンクティーエーが北國王冠に出走せず東海菊花賞へ向かうことが判明しており、両雄の直接対決は中日杯までお預けなんですね~と書いています。で。北國王冠に出走したティモシーブルーは、全国の強豪相手に3番人気に支持されるも、兵庫・タガノゴールドから2秒半も離されての8着と大敗。東海菊花賞へ向かったタンクティーエーは、佐賀・グレイトパールから4秒以上も離されて11着大敗。…。……。むう。こんなハズじゃなかったんだけどな…。二頭とも、あまりにも大きく敗れてしまったため、見ていて残念なのはもちろん、ややあおり気味に書いた身としては、おいおいおい、そんなんじゃ困るんだけど!と言いたくなるのでした。この二頭の力量がこんなものであるハズはない!と思いつつも、不安もぬぐい切れず、それでも中日杯での直接対決を見るまでは…と思っていたところ。なんと、タンクティーエーは、中日杯に出走できず。高橋俊之師は、「申し込んだんだけど、12頭に入れなかったんだよ。重賞も勝ってるし、岩手でも2着に来たんだけどね…」何とも残念な表情。同じ開催のA1クラスの特別戦に出走させることにするよ、ということで、またしても両雄(?)、東西横綱候補は別々のレースに出走となったのでした。金沢競馬、年末の大一番、グランプリ的レース、中日杯は、昨日(12月8日)おこなわれました。主戦の畑中信司騎手が、「この馬、何考えてるかよくわからん」と首をかしげるティモシーブルーですが、中日杯では好位追走から抜け出すと、「一人になるとフラフラする」という畑中騎手の言葉とは裏腹に、極めて力強い脚で2着に5馬身差の圧勝。見事に上半期・下半期のグランプリ的レースを二つながらに制しました。一方、いわばオープン特別(本日午後3時30分発走)に出走したタンクティーエーは…。逃げてマークを受けるカタチでかなり厳しい展開となり、4着。う~む。大幅馬体重増が影響したかどうかまでは不明ですが、とりあえず今日のところは展開負け。ということで、両雄候補、明暗をわけた昨日・今日のレースとなりました。今後、この二頭がどういった成長・変化を見せるかを見守りたいところですが、まずはティモシーブルーがグランプリ2勝で、ほぼ金沢の一人横綱という感触になったことは間違いありません。金沢競馬は12月でシーズンを終了し、3月半ばまで冬休みですが、みなさまにはぜひこの二頭の今後に注目していただきたいと思います。ところで、わたくし今週の金沢担当ではなく、これらのレースを現地で観戦しておりません。わたくしが金沢の実況を担当したのは、先週でした。その、先週の金沢で、わたくし体調を崩し、あろうことか、まともにノドにダメージを受けてしまいました。日曜日のレース実況までは乗り切ったのですが、火曜日はまともに声を出すことができず。パドック解説の進行役だけは勤めましたが、きわめてお聞き苦しいことになりました。申し訳ありませんでした。それにしても、競馬場職員さんも、騎手・調教師さんも、非常に多くの方が、始終ノドを気にしておられるようでした。ノドにくる風邪が流行っているのか、暖房などの影響で乾燥がきついのか、しゃべる仕事をしている身には恐ろしい季節です。繰り返さぬよう、重々気をつけなくてはと、心に誓った次第です。面目ありません。この季節、北陸地方はお天気が安定せず、冷たい雨かと思えば青空が急に広がったり、空を見れば西と東でまるで天気が違ったりと、忙しい空模様です。おかげで、こうした目の保養もできるわけですが。先週火曜日は、一日のうちに何度も虹がかかりました。今年も残りわずか。クリスマス装飾もきらびやかに、気分を盛り上げてくれます。…北陸新幹線も開通5年を迎えるんですな。
2019年12月09日
ミツオーです。気がつくと今年もあと1ヶ月ちょっと…。さて、わたくし先週は笠松競馬の実況を担当しました。先週の笠松競馬、開催メインは21日(木曜日)におこなわれた地方全国交流重賞の第15回笠松グランプリ(SP I)。笠松競馬ではこの夏以降、フルゲート頭数を最大12頭に拡張しましたが(実施する距離に制限あり)、ここまでは下級条件戦のみで12頭立てレースが施行されてきました。今回の笠松グランプリは、重賞競走では初めての12頭立てとしておこなわれたのでした。長く、フルゲート10頭立てでおこなわれてきた笠松競馬、2頭とはいえ、頭数を増やしてレースを実施するにあたり、不安のないよう万全の体制をとってきたことと思います。実際に騎乗した騎手に話を聞くと、「別に危ないことはないよ」という声が多かったものの、「ただここまでは下級条件だけだったから、重賞となるとどうかな?やってみないとわからないね」乗る立場としても興味津々といった様子でした。また、比較的、内ラチぞいをあける傾向のある笠松コースですが、それでも大きく外側を通るのが不利であることは間違いなく、「12番枠からだと内に入れるのが、遠い」という感想を聞かせてくれた騎手もありました。地方全国交流のスプリント戦、1着賞金1000万円は笠松で最高の賞金ということもあり、ハイレベルな戦いに毎年注目が集まる笠松グランプリ。今年はこの、12頭立てとして初の実施、という意味でも注目されました。そして。その12番枠に入ったのが、高知移籍後6連勝・重賞4連勝中と快進撃のケイマ。これまた注目を集める要因となったのではないでしょうか。ここまで逃げて勝ってきたケイマですが、スタートが極めて速いというタイプではなく、また、他にハナの速い馬が何頭も参戦。わたし個人としては、前に行きたい馬が多くいる中、ケイマが大外枠からハナに立てるのか、二番手・三番手となってもこれまでどおりの強さを発揮できるのか、先行馬が飛ばした場合には差し馬が台頭するのではないか、などという事前予想をしていたのですが…。結果はみなさまご覧になったとおり。ケイマは強かった。(強さを見せ、笠松グランプリを制したケイマ。写真:岐阜県地方競馬組合提供 以下同じ)この日、いつも以上にいいスタート&ダッシュを見せたケイマは、大外枠からスムーズに二番手につけます。逃げたのは、今年、金沢と盛岡の芝で短距離重賞を制している、名古屋のエイシンテキサス。ケイマはこれをピッタリマーク。兵庫のナチュラリーは四番手あたりから、一歩前に同じ兵庫のエイシンエンジョイという、やや予想(…誰の予想かというと、わたしの予想なんですが)とは違う並びとなりました。笠松のストーミーワンダーは好位内追走。ホッカイドウ・ソイカウボーイと川崎・ストロングハートは中団で1コーナーに入って行きますが、ストロングハートはコーナーリングが悪く位置を下げます。さらに後方にかまえたのが名古屋・アドマイヤムテキ、笠松・ウインハピネスという展開。逃げ馬を3コーナー手前で早々にとらえて先頭にかわったケイマを追って、好位のストーミーワンダーやナチュラリーは鞍上がさかんに手を動かして馬をうながしますが、なかなか差は詰まらず、後方からストロングハート・ソイカウボーイも上がってくるものの、これも前には迫れず、むしろさらに後ろにいたアドマイヤムテキとウインハピネスが台頭して最後の直線。ケイマは圧巻の脚色で、一気に後続を突き放しました。まさに危なげのない勝ちっぷりで、7連勝・重賞は5連勝としました。最後3頭となった2着あらそいは、アドマイヤムテキ、ウインハピネス、ストーミーワンダーの順。名古屋移籍後3戦3勝でここへ挑んだアドマイヤムテキが2着、笠松移籍後10戦10連対で前走・重賞を快勝したウインハピネスが3着と、勝ったケイマともども、移籍後の快進撃が継続するいう結果でした。わたくしの予想では、2着あらそいは、ストーミーワンダー、ソイカウボーイ、ストロングハートだったのですが…。第15回笠松グランプリ 優勝 ケイマ号永森大智騎手コメント「前回の名古屋でも強い競馬をしてくれたように、今日もさらにメンバー揃った中で、これぐらいの競馬をしてくれて、本当に馬に感謝しています。思った以上にいい位置につけられたので、先生ともレース前は、外をまわらされるぐらいなら行く馬の後ろっていう想定もあったんですけど、今日は(枠が)大外ということもあったんでしょうけど、普段以上の速さでいい位置がとれたので。強かったです。(12頭立ての12番枠 不安は)正直ないかと言えば、ないこともなかったんですけど、この馬の能力でそこはカバーしてくれると信じていたので、頑張ってくれたケイマに感謝したいです。これでさらに全国区の馬になったと思うので、これからも乗せていただけるのなら、楽しみです。(距離は)マイルぐらいがベストじゃないですかね。高知では中距離もこなしてくれてるんですけど、県外で一流の馬と戦うとなると、マイルぐらいが、はい。今日は高知代表として来させていただいたんですけど、地方競馬、みんな一生懸命頑張ってるので、応援またよろしくお願いします」(永森大智騎手 笑顔でスムーズにこたえてくれました)別府真司調教師コメント「色々な方に聞くと、やっぱり大外はちょっと不利なんじゃないかと言われていたんですけど、この馬が前回よりパワーアップしてると信じていましたので、気にはなっていませんでした。逃げにはこだわらないつもりだったので、悪ければ三番手の外でもいいからという指示はしていました。園田のナチュラリーですか、あの馬が外につけていたんですけど、手が動いてたのでこれはもう振り切れるなという気持ちはありました。だんだん夏負けもとれて、夏負けしてるときでもあれぐらい走っていたので、ようやく夏負けもとれたので、まだこの馬は走ってくれると思います。まだ良くなってくると思います。永森騎手も言ったように、マイル、1600くらいがいっぱいじゃないかと思うんですけど、まあ1900も勝ってますけどね、地元であのときも一杯いっぱいになっていたので、まあマイルくらいがいっぱいかなと思っています。このあとはまたオーナーと相談して、次のレースどこへ行くか、考えていきたいと思っています。(ダートグレード)園田に行って頑張りたいという気持ちはあるんですけど、オーナーと相談しないとダメなことなので。選択肢にはもちろん入っています。斤量も軽めでいけるということを聞いていますので、そこへ行っても面白いパフォーマンスが見せられるんじゃないかと期待はしています」先行あらそいが激しくなりつつも、前に行った中ではケイマが強さを発揮し、2着あらそいは差し・追い込み勢、という展開予想(…わたしの予想です)はそれほど的を外してもいませんでしたが、どうも「キッチリ的中!」とはいきませんでした。と、今回、何度もわたしの事前予想をからめているのは、何を隠そう(隠しません)、この日、笠松場内にて一風変わったトークショーがおこなわれ、そこにわたくし自身も出演、久々に予想を披露したからなのでした。そのトークショーとは、笠松競馬場レース実況アナウンサー勢ぞろいの『しゃべウマ4』トークショー&予想会というモノ。なんじゃいそれは?と思われる方、ごもっとも。お話をいただいたときに、わたし自身が「なんじゃいそれは?」と思いましたから。カンタンに言いますと、2019年現在、笠松競馬場のレース実況を担当しているアナウンサー3名(西田茂弘・百瀬和己・大川充夫)に、パドック解説進行担当にして元笠松競馬実況アナウンサーの長谷川満を加え、笠松競馬の喋り手4名が一堂に会して、笠松競馬やレース実況などをテーマにしたトークと笠松グランプリの予想を繰り広げるという、竹之上さん風に言わせていただければ、「誰が興味あんねん?」と不安にならざるを得ないイベントなのでした。(長谷川満さん)(西田茂弘アナウンサー)(百瀬和己アナウンサー)(…と、わたくしミツオー)企画を聞いた長谷川満さんとわたくしの、事前の共通見解は、「それ、ステージ上4名、お客さん3名とかいうことになるぞ」というものでしたが…。ありがたいことに、というか、世の中に物好きの種は尽きないと言いますか、当日、ステージ前には大勢のお客さまが!おおお!なんだか知らないが、たくさんお客さんが集まってくれてる!!(事前にジョッキーのみなさんから、ファンのみなさまへのプレゼントをせしめる面々)(「ファンのみなさんのためなら…」と快く提供してくれた騎手のみなさん、ありがとうございました)(ステージ)(予想披露中。西田アナウンサーとわたくしは本命ケイマ!だったのですが…)安心して、そしてうれしくなってテンションの上がった4名、諸々のトークと、笠松グランプリ架空実況というカタチで予想を披露し、…感触としては、ご覧いただいたお客さまにはたいへん喜んでいただけたのではないかと思います。ご覧くださった方々、ありがとうございました。そして企画してくださった方々、実施を許してくださった主催者の方々、ありがとうございました。疑ってゴメンなさい。大盛況でした。というわけで、われわれ『しゃべウマ4』は、全国津々浦々、どこの競馬場へも参りますので、ぜひご招待ください!(調子に乗りすぎ)
2019年11月25日
ミツオーです。で、秋山選手はどこへ移籍しますの?さて、JBC2019浦和開催が終了して一週間がたちました。(JBC終了後もスタンドに飾られた大フラッグ)華代子さんも「祭りの後」と表現されていますが、大いに盛り上がったJBCが終わったあとの、先週火曜日以降、今回の浦和競馬開催2日目~5日目は、まさに祭りの余韻を噛みしめつつ、日常に戻っていく過程を実感する日々でした。というわけで、一部の方に、日常に戻りつつ祭りを振り返ってもらいました。華代子さんも書いていますが、浦和競馬名物の揚げ物群は、どれもお昼を前に売り切れ続出だったのだそうで、売店の方は、「あんなに並んでもらうなんてめったにないことだから、人を見るのも楽しかったわよ」と当日を振り返ります。弊社・新人の鈴木努アナウンサーの取材によると、名物「まぐろカツ」は、12時前に売り切れた後、3時20分ころ復活したそうです。(写真はチキンカツ。JBC翌々日のもの。コレも当日はアッサリ売り切れたそうで)いつも場内の美味しい揚げ物群を楽しみにしているわたくし(揚げ物好き)も、さすがにJBC当日は買いに行くこともできず。繁田健一騎手会長は、「無事に終わったということが一番…でも戸崎(圭太騎手)がケガしちゃったからさ…。そこだけがちょっと。全体的には、まあまあうまくは行った方じゃないかなと。あんなにお客さんが入ることって、もうそうそうないでしょうからね。乗っている者としては、ありがたいですよね。(また浦和で開催することもあるのでは?)成功してますからね。色々な問題点も、駐車場にしても車の通行にしても、パスできたから。地域住民の方々とうまく協力・連携してやれたから、なんだかんだうまくいったんじゃないかなと思いますよ」と、諸々の課題をクリアできたことにホッとしたという表情でした。JBCスプリントでノボバカラに騎乗し、4着に入った藤本現暉騎手。(先週、22歳のお誕生日をむかえました)「JBCというレースは、大きな刺激になりました。自分の糧になったと思うし、またJpn Iという大きなレースに乗せてもらえるよう、がんばりたいですね」JBC翌日の開催2日目に騎手デビューをはたし、自身の3戦目で初勝利をあげた中島良美騎手。(「テレビの中で見た馬ばかりで、あこがれの舞台です!」)「JBC当日までにデビューしていたかった、当日に乗りたかったとも思うんですけど、あの大観衆の中では、もっとテンパったと思うので、今日、落ち着いた中で乗れる方が自分のデビュー戦としては、よかったかもしれません。いつかはああいう舞台で乗りたいですね」JBC当日、1勝をあげた福原杏騎手。(すでに50勝を超え、南関東地区デビューの新人騎手としては、デビュー年の勝ち星新記録を更新中)「大観衆の中で勝たせていただいて、また、自厩舎の馬で勝てたのでありがたかったです。ゼッケンが名前入りだったんですけど、それ見ただけでテンション上がりました(笑)。JBCに乗りたいな、というのはすごく思いましたね。次、浦和でまたあるとしたら楽しみですけど、自分にできることはあまりないので、とにかく浦和を知ってもらえるように努力したいですね」そして。大盛況・大成功のうちに幕となった浦和JBCについて、現場の最高責任者・高山次郎副管理者(開催執務委員長)に総括していただきました。「JBCロスなんですよ。力抜けちゃったかな。そういうことではいけないんですけど。力を入れて準備してきたつもりでも、なかなか思うように準備が進まなくてね、ホントに大丈夫だろうかという気持ちがありながら、スタッフみんながそれぞれ一生懸命がんばってくれたおかげで、それなりの結果を出すことができたかなと、正直、安堵しています。あれで満足していいのか、とお叱りになる方もあるかもしれませんが、ウチの実力からすれば、満点に近い感じでできたのかなと。3万人近いひとが入ってくれたし、目標の60億円に匹敵するような58億3千万円という売上を記録して、よかったとホッとしています。平成30年3月にプレゼンテーションをしたときに、みんなに協力してもらって努力すれば、3万人・60億円は可能だと説明したんですけど、聞いた方は、意気込みは買うけど…と、ホントにそれに近い数字が出ると信じた人はそんなに多くなかったんじゃないかと思ってるんですよ。ただ私はね、前年に京都で開催した流れの中で全国のみなさんに上手に発信することができれば、全国の競馬サークルのみんなが力を与えてくれれば、実現不可能な数字じゃないと信じていて、それを達成することで、浦和が新しいスタートを切るキッカケになる、そう強く信じていましたね。だから、浦和にJBC開催が決まったときから、『JBC浦和、始まる』っていうのをかかげて、JBCは今年の11月4日だけじゃなくて招致のときから準備のときから全部が浦和のJBCなんだって言い続けてきたんですよ。ですから、みんなに良かったねと言ってもらえるカタチで終えられたのは、安堵。入場人員(2万9191名)については、3万5千人くらい入っても、ビクともしないと私はいつも言ってきました。ただ、事故や危険なことがあってはいけないというのもありますし、安心感というものもありますので、3万人以上入ることのないような対策をとりました。自家用車をよせつけない、混雑しますよというアナウンスをたくさんする、ネットも活用してください、浦和駅前にファンゾーンを設けてパブリックビューイングだと座って一日楽しめますよ、などということもあわせて、入場に抑制的なこともしたんですね。それがうまく機能した。もう少し入ったかもしれないですけど、ちょうどいいところだったのだと思います。売上のうち、本場で5億円の目標が2億円台だったことについては、本場で現金で買わないで、ネットで買ってくださいということも案内したでしょ?そういう部分は大きかったと思います。ただ、5億円の現金目標を達成しようと思って本格的に対策したとすると、現在の170台の発売機では足りないのかもしれないし、本場でもネットで買ってくださいというのは、本場現金で買ってもらうことがプライオリティの一番じゃなかったということで、わたしはそこについては目標達成できなくて残念という思いは全然ありません。逆に、本場でそのくらいの売上だったけれど、総額で58億の売上を達成できたということ、そのための展開を色々してその結果が出たということ、これがよかったと思っています。私は2002年のワールドカップサッカー、埼玉スタジアムでの試合の雑踏管理・輸送や救護の部門の責任者だったんです。そのときに、たくさんの人を集めるときにどんな対策をしなくちゃいけないというのは、ずいぶん勉強しました。そのとき教えてもらった言葉が、『大きくかまえて小さくおさめる』と。(当日の第1レースパドック。すでにこれほどの人が)人をコントロールできるのは人しかいなくて、スタッフがふさわしい場所に配置されて、その人たち一人ひとりが機能すると、みんな言うこと聞いてくれるんですよ。不自由はガマンするけど不公平には不満が爆発するんですね。自分がお客となって並んだときに、インフォメーションがみんなに伝わらないと、必ず怒りだします。割り込みだとか不公平な扱いを誰かがしているところを見ると、怒りだします。そこでJBC浦和では、緑色のジャンパーを着たJBC当日だけの若いスタッフが、前日遅くまで研修してくれて、当日は声を出して体を動かして、その場その場で最もふさわしいやり方でインフォメーションして誘導して、困ることをする人がいたら『おやめください』と遠慮なく言うというのを周りの人が見ていたので、悪い感じがしなかったんだと思いますよ。(レディスクラシックのパドック中。パドック周回中にもかかわらず、馬場側にこれほどの方々が)3万人近く入るとどれだけ苦情がくるだろうかと思いましたけど、ほとんど来ませんでした。マニュアル作りの段階から、そういう仕掛けを作るのだということはスタッフにハッキリ伝えてありました。例えば徒歩誘導では、どこに行けば競馬場にたどりつくんだということが、目に見えるようにしなくてはならない。フラッグを立てて、それを目印に歩けばたどりつくとかですね、明らかにJBC浦和のスタッフだとわかる人が、要所要所に立っていて、聞けば正しく情報を伝えられたりだとか。バス停にしても、かなりの人数が誘導に行ったんですけど、しっかり整列してもらって、しっかりウォッチして正しく流したので、苦情はありませんでした。ビッグゲームのお客さんは、マナーがいいんですね。(場内装飾もキレイでしたが、こうしたデコレーションでも新スタンドでもなく、全体を見て「浦和競馬場ってキレイだね!」と言ってくれた方が多くいらしたそうで、高山副管理者はそれが何よりうれしかったとのこと)最も力を入れたのは、このアクセス対策・場内誘導なんです。昔、3万5千人、4万4千人入ったときの浦和競馬場は、身動きとれなかった、駅から競馬場までの通りが混乱して地域に迷惑をかけた、そういうことが経験としてあります。有馬記念で2万2千人入ったときには、付近が車でいっぱいになってしまって、地域の人が身動きできなくなってしまったということもありました。そこで、近隣にマイカー駐車場はないのだということを知らせ、パークアンドバスライドの駐車場を用意して、そちらを利用すればちょっと不便だけども必ず来られますよ、と。また、徒歩誘導にインセンティブ与えるために、狭山茶のペットボトルをプレゼントする。ところが想定以上のお客さまが歩いてくれたので、このペットボトルが途中でなくなってしまった。そしたら、現場のスタッフが気をきかせて、お土産用のおせんべいを配ったというんですね、これは私はご来場になった方から教えられて、非常にうれしかった。アクセスについては、いいメンバーといい対策をたてて、いい仕事ができたと思います。JBC浦和、こんなコンパクトなところでできるのか?という不安視・心配の中で、あれ?スムーズじゃないか、確かに見たことのない浦和だね、って言ってもらえた。みんなが環境を作る、レース・コース・スタンド・待機馬房・ウイナーズサークル、それらをつくるみんなが心を一つにしてがんばれた。それをほめてもらえた、それはうれしかった。ただ、浦和は浦和でがんばったつもりでいるけれども、成績がある程度カタチになったのは、競馬に関係するサークル全て、地方だけじゃなくJRAも含めてみんなが、浦和ががんばるって言ってるから協力しようじゃないかと、一緒に盛り上げようとしてくれた、それがカタチになって結果として出たんだと思います。チームウラワだったね、って、そのときは思ったけれど、実は競馬好きな、競馬をなりわいにしている人たちが集まって助けてくれた結果がこれだったのかなと、今は思います。チームウラワじゃなくて、競馬ファン競馬関係者がワンチームになって盛り上げてくれたんです。それが私はとてもうれしいです。(非常に丁寧にわかりやすく、総括してくださいました)浦和競馬の特徴としては、地域の中で地域の皆さんに支持されないと、一日も競馬ができないんです。理解をしてもらいながら、浦和競馬はおれたちの誇りだと言ってもらいながら続けていくためには、この成功体験を、よかったね、だけじゃなく、これができるのなら次もまた同じようなことをするなら何が足りないか、どうすればいいのか、関係のみんなが想いを新たにすることが重要なんだと思いますよ。今回のJBCは、浦和競馬にとってのスタートです。リスタートと言えばいいのかな。今まで型の浦和競馬に加えて新たな魅力って何だろうとみなで考えて、今回、大成功だね大盛況だね、運営が上手かったよと言ってくれているので幸い、なぜそうなったのかということを、少し辛口で振り返りをしてもらって、これまでの浦和競馬に足りなかったものは何なのか、現実問題としてこの場所でやっていかなくてはならないとすれば、次は何が必要かという話をこれからしていくんですよ。心配していたことで大きなことは起きなかった。みんながんばった。ですが、普段のスタッフでそれができたのかというと、そうではなく、JBCのためだけに来てくれた大量のスタッフのおかげで無事に安全にできちゃったという面があるんです。職員さんがそれを認識できているかということを、確認しなくてはいけないんです」大盛況に終わったJBC浦和。続く他場でのJBC開催、もしかしたら数年後にはまためぐってくるかもしれない浦和JBCへ、そして浦和競馬・地方競馬・競馬界全体のさらなる盛り上がりを得るためにも、この成功を生かしてほしいと切に願います。
2019年11月11日
ミツオーです。全盛期より球速が10キロ以上も落ちていることが判明しました(当たり前。もうええ年すし)。さて、わたくし先週・今週と連続で、金沢競馬の実況を担当しています。金沢競馬は、数年前までの『ジャングルスマイル・ナムラダイキチ東西横綱時代』が終焉したあと、圧倒的な強さを誇る馬がなかなか現れず、もちろんその時その時で期待され、重賞を複数ものにする活躍馬はあったものの、いわば、『群雄乱立時代』が続いてきました。多くの馬にチャンスがあるとも言えますが、その間、地方交流競走では地元勢の苦戦が続き、他地区からの遠征馬にタイトルをさらわれることが非常に多くなりました。古馬の地方交流重賞は、イヌワシ賞と、一昨年から地方全国交流となった北國王冠、そして牝馬の読売レディス杯、短距離の日本海スプリントがあげられますが、この3年間にこれらの競走を勝った金沢所属馬は、日本海スプリントのジッテ(このレースは昨年創設)とグルームアイランドのみという状況です。交流重賞の数が少ないので、これをもって一概に「最近の金沢オープン馬は…」と嘆くのもどうかとは思いますが、ここに3歳重賞のMRO金賞を加えても、3年前にムーンファーストが勝ったあとは遠征勢連勝、その前はナムラダイキチまでさかのぼらないと地元勢の優勝はないのです。と、金沢競馬関係者・金沢競馬ファンにとっては苦しい・くやしい時期が続いてきたのですが、ここへきて、事情が変わるのではないかな?と思える兆候が出てきました。ようするに、この状況を救ってくれそうな馬たちが現れた、ということなのですが。金沢競馬の救世主となりそうな馬たちとは、先日、よこてんさんも紹介してくださった、ダービーグランプリ2着のタンクティーエー(もちろん3歳馬)と、白山大賞典地方最先着の5着としたティモシーブルー(5歳)です。ティモシーブルーは、JRA1勝でこの春、金沢に移籍。(ティモシーブルー イヌワシ賞のパドック 写真:耳目社、以下同じ)初戦・2戦目と敗れましたが、その後は3連勝で金沢・春の大一番、百万石賞を制覇し、一気に金沢のトップと目されるようになりました。秋は、上にも触れた全国交流のイヌワシ賞で、カツゲキキトキトをマークする競馬を展開し、見事先着。後方からタガノゴールドに差されこそしましたが、2着に入りました。続く白山大賞典でも5着と健闘し、ますます金沢の期待を集めています。タンクティーエーも、JRA1勝で、3歳の身でこの夏前に金沢へ移籍。(タンクティーエー サラブレッド大賞典のパドック)連勝で臨んだ3戦目、MRO金賞では兵庫・笠松勢に先着を許し、4着と敗れたものの、地元勢との対戦となったサラブレッド大賞典では2着に7馬身差をつける圧勝で、ダービーグランプリは2着。こちらも期待を集める存在となりました。(タンクティーエー サラブレッド大賞典口取)金沢競馬の中・長距離戦線は、このあと、地方全国交流の北國王冠(2600メートル)から中日杯(2000メートル)という、金沢における『四大競走』のうちの二つが控えており、そこで、上の2頭が対決すると、はたしてどんなレースになるのか…と、ワクワク・ドキドキな状態となっているのです。ティモシーブルーの手綱をとる畑中信司騎手は、この馬について、「白山大賞典は、この馬にとってはペースが速かったね。もうちょっとついて行ければよかったんだけど。もうちょっと走るような気がするんやけどね。白山では3着とか4着くらい行けるんちゃうかなあと思ってたんやけどな。その力はあるんじゃないかと思ってた。最後の3ハロンの動きがあんまり良くなかったな。4コーナーで前と差のないところにいたし、あそこからもうちょっとついて行けそうな感じもしたんやけどね。次は地方全国交流になるけど、何か1頭くらい強いのがいてくれたほうが競馬がしやすいよね。抜けると遊ぶところがあるから、できることなら強いのにずっと横にいてもらって追い比べになってくれたら楽なんやけど。それなら負けないと思うよ、両方手綱はずしても(笑)。勝手に走る(笑)。初めて乗ったときから比べたら、だいぶん良くなってきたよ。元気になった感じ。悪さするようになってきたしね(笑)。ナムラダイキチが引退してしばらくたったけど、またこうして金沢のトップクラスの馬に乗れて、嬉しいし、楽しみ。北國王冠も中日杯も、相手が強くても、勝ってやるぞという気ではおるけどね。まだ上積みありそうな気がしてるし。期待にこたえられるように頑張ります!…教科書どおりの受け答えやな(笑)」と語り、かなり手ごたえを感じている様子でした。一方、タンクティーエーに騎乗する藤田弘治騎手は、「乗っていて、手ごたえがないんですよ、この馬は。でも、攻め馬でもレースでも、手ごたえないな~と思って乗ってて後ろ見ると、離してる。時計も出てる。強い馬って上下動ないこと多いし、そういうことかな?とも思うんですけど、何ていうか、ガッとハミとって行くような、『おお!これ強いぞ!!』みたいなところがないし、な~んか反応ないな~、と思って乗ってるのに強い、みたいな」と話し、重賞・サラブレッド大賞典を勝った際も、「いつもどおり、手ごたえなかったんですけど(笑)」と言いながらも圧巻の勝利に満面の笑みでした。さあ、この2頭が対決するとどうなるか!?…かなり楽しみにしていたのですが、タンクティーエーを管理する高橋俊之調教師にうかがうと、「タンクティーエーは、東海菊花賞へ向かいます」とのこと。北國王冠は使わないのだそうです。あら~。(通算1100勝を達成した高橋俊之調教師)「ウチはグルームアイランドがいますので。グルームアイランドは夏場休んで、今週復帰戦、すぐ北國王冠ということになります。本当はもうひと開催早く復帰させたかったんですが、距離不適合ということで、今週の1900メートル戦を待ったんですね。タンクティーエーは、グルームアイランドとかち合うのを避けて、東海菊花賞へ。対戦を見たいという方も多くいらっしゃいますが、それは次回のお楽しみということで、中日杯で。タンクティーエーという馬は、金沢の代表馬になれるんじゃないかと思っています。競馬が上手なんですね。力と技を兼ね備えている若馬、という感じです。来年のオグリキャップ記念を見据えて、今回の北國王冠で2600メートルを走ってみるというプランもあったんですけど、次の機会ということにします。結果いかんによっては、報知オールスターカップ遠征と、グルームアイランドがかつて行った道を追いかけようかなとも思っています」高橋師は、「中日杯では新旧交代の対決というのも…」とも話し、現状、グルームアイランドよりもタンクティーエーの実力を上か、少なくとも互角くらいにはとらえておられるようです。(グルームアイランド 2016年オグリキャップ記念制覇時。南関東再移籍を経て今春、金沢に戻りました。金沢では現在もトップと目される存在)思い返すと、ジャングルスマイル・ナムラダイキチの両馬が君臨していた時代は、その対決もさることながら、それぞれが白山大賞典で2着という成績を残し、遠征先でも人気上位に推されるなど、金沢競馬ファン・関係者の胸を熱くさせてくれたものでした。今、時を経て、両雄時代が再来するかどうか。もちろん他のオープン馬たちも黙って見ているわけもなく、とにかく熱い時代がやってきそうな予感のする、現在の金沢競馬オープン馬事情です。
2019年10月28日
ミツオーです。猛威を振るった台風19号。被害にあわれた方々に、心からお見舞いを申し上げます。一日も早く、たくさんのことが元通りになりますように。さて、わたくし先週は笠松競馬実況を担当しました。笠松では、久しぶりに水野翔騎手にお会いしました。(水野翔騎手)水野騎手は、このブログでもご紹介したとおり(5月27日 https://plaza.rakuten.co.jp/dailykeiba/diary/201905270000/)、6月から8月末まで、マカオのタイパ競馬場へ遠征していたのでした。久々に会って、やはり話題はこのマカオ遠征について。ということで、少し詳しくお話をうかがいましたので、ご紹介します。わたくし勉強不足で、マカオの競馬事情をまるきり知らず、まずはそこから教えてもらいました。マカオでは、基本的に週1~2日の開催。「土日開催だったり、金土開催だったりバラバラですけど、ボクが行ってしばらくたった7月からは、2日開催でした。1日に6レースしかないんですよ。フルゲートは14頭ですけど、これも多かったり少なかったりバラバラですね」シーズンの終了が8月末とのことで、要するにこれは、年度の切り替えが9月ということを反映しているのだと思いますが、「シーズン最終日が8月25日で、シーズン終了で帰国するというのが、ウチの調教師(笹野博司師)との約束だったので」今回のマカオ遠征を終了しました。2カ月半を振り返って、「すごく濃厚な時間を過ごさせてもらいました。私生活から、レースや攻め馬まで、すごい濃い、密度が高い生活を送らせてもらいました」「MCタンという調教師さんが、このひとは新人騎手とか海外から来たばかりの騎手を、一度は乗せてみるというひとなんですが、このひとにかわいがってもらって、調教もレースも、たくさん乗せてもらいました」とは言え、最初から順調だったわけではなく、初め、マカオに到着した直後の週は、調教にもレースにも騎乗できたものが、第2週には、両方ともゼロに。「その間、競馬場に顔を出すだけで、『調教、乗り手足りないことないですか?』って聞いてまわっても、『大丈夫』って言われて全然乗せてもらえなくなっちゃったんです」かなり深刻な状況におちいりました。ここで、「このひとが声をかけてくれたから、マカオに行く決心がついた」という、元船橋の中野省吾騎手が、タン調教師に「乗せてやってほしい」と話してくれたのだそうです。(マカオ遠征を振り返って話す水野騎手)「それでタンさんのところの馬に乗せてもらって2週目だと思うんですが、FASUBAに乗せてもらったんですね。6月の最終週でした」このFASUBAという馬は、「1000メートルの馬で、乗ったレースは1400メートルだったんですが、これは長いっていうのはわかっていました。タン調教師は、とにかく逃げて、あとは自分のペースで運んでくれよ、みたいなことを」このレースで、水野騎手は見事に「1000メートルの馬を1400メートルもたせて」勝利。これがマカオでの初勝利となりました。「ハナ行って、そんなに他がつついてこなかったのでいいペースで行けて、ゴールでは『勝っちゃった』と。『おお、これ、勝てる?勝て…勝っちゃったよ!』みたいな。とにかく一つ勝てたことがうれしくて、ゴールでガッツポーズも出ました。ボクたぶんガッツポーズは初めてですよ。お世話になってるタン調教師の馬で勝てたのもうれしかった」ところが、トップでゴールを駆け抜け、大喜びで上がってくると、周囲の騎手や関係者がかなり派手に祝福してくれます。「背中をバンバン!ってたたかれて、『お前、やるな!』みたいに。で、馬に肩掛けがかけられて、見たら『G2』って書いてあって。ボク、これが重賞だって知らなかったんですよ。冊子とか見れば書いてあったんでしょうけど、正直よく読めないので見てなかったんですよ。そしたら重賞だったんですね。『重賞だなんて知らなかったよ』って言ったら、また周囲が『オイオイオイ!やってくれるな!』バンバンバン!って」水野翔騎手は、自身初の海外遠征での初勝利を、なんと自身知らずに重賞(サマートロフィー G2)で成し遂げてしまったのでした。タン調教師の信頼を勝ち取り、非常にかわいがられたという水野騎手。「熱血な指導を受けました。一緒に攻め馬に行ってくれたりとか。乗りながら、自分も馬に乗ってついてきてくれて、指導してくれました。『お前はもっとトレーニングしろ』って言われました。『お前はトレーニングすれば、絶対ナンバーワンになれるから』『木馬もランニングも筋トレも、全部やれよ』って言われて。もちろん続けてやってます、やってます。教えは守ってます」水野騎手は予定どおり、2カ月半の遠征を終えて帰国。「調教師から他の騎手から厩務員から、みんな、『なんで帰るの?』って言ってくれました。『絶対、こっちにいたほうが勉強にもなるし、稼ぎもいいし』って。日本の賞金のこと言ってあったので。それで、みんなに『ジョークでしょ?』って言われてたんで。笠松の賞金のこと言ったら。(なぜ帰る?と言われて)確かに、とは思ったんですけど、それは約束なので、調教師との。帰らなきゃいけないので。また機会があれば行きたいですし。別の場所も行きたいですし、考えてます。向こうのリーディング調教師さん、サンリーチュンさんっていうんですけど、そのひともイギリス行くなら紹介するよって言ってくれたので」と、さらなる飛躍も視野に入れています。海外遠征を終えて、人脈がひろがっただけでなく、世界観も大きく変わったそうで、「騎手としてだけでなく、一人の大人として人間として、考え方が変わりました」という水野騎手の横合いから、名古屋の村上弘樹騎手が、「ボクもしゃべっていいですか?」と。(水野翔騎手と村上弘樹騎手)村上騎手「いきなりワケわからんこと言い出すんですよ。これまでバカだったのに、いきなり、日本を変えなきゃいけない、若者が投票に行かなきゃいけない!とか言い出すんです!」いやいやいや、選挙に行くのは国民の義務ですよ?大人として当たり前なんじゃ?水野騎手「以前は、ボクその当たり前(投票)を当たり前って思っていなかったんです。そのことに全然関心がないじゃないですか。関心もなければ、どうせ投票したって何も変わらないって思ってましたし。でもいろいろ学んで考えてみたら、いや、ダメでしょ、しなきゃ、って。同級生とか後輩とか、競馬関係でもない友達とかに、200人以上にライン送ってますもん、この件で。投票しようって」村上騎手「投票に行くのはおじいちゃん・おばあちゃんばっかりで、そうすると政策もおじいちゃん・おばあちゃんのための政策ばっかりになる。若いひとが投票に行くことで、そこから変えていかなくちゃいけないんだって。…ちゃんと言われたこと覚えてるだろ?」騎手学校にあたる地方競馬教養センターで同期であるばかりか、ルームメイトだったという水野騎手と村上騎手は、今でも非常に仲が良く、並んで話を聞いていると息もピッタリ合い、非常に面白いコンビです。「最初の師匠はこいつですよ」と、村上騎手をリスペクトする水野騎手。「最初の技能検査、ボク、落ちちゃったんですよ。居残り組になって。コイツ、ケガしてしばらく乗ってなかったのに、一ヶ月ぶりとかで馬に乗ったのに、一番だったんです。馬を交換したんですけど、ボクが全然乗れなかった馬に、こいつは平気で乗るんですよ。なんで乗れるの?って」懐かしいね!と笑いながら当時を語る姿は、現在は東海地区、笠松・名古屋でともにリーディング上位の騎手となった二人の若かりしころ(…今でも若いですが)を想像させ、何とも微笑ましいのでした。(示し合わせたように表情をあわせてくる二人。「ボクら、ハッピーセットなので」「お前、あれはおもちゃが本体なんだぞ」「じゃあボクがおもちゃで」…漫才か!)少しマカオ遠征からは話がそれましたが、とにかく、水野翔騎手は海外遠征をへてまた一回りも二回りも大きく成長しました。笠松のトップジョッキーに、東海のトップジョッキーに、あるいはさらに…と、活躍が期待されます。数年後、そういえば若いころにマカオ遠征したころから成長したんだよな、と思い起こす日がくるかもしれません。水野翔騎手の活躍に、今後も注目していきたいと思います。
2019年10月14日
ミツオーです。CS逃しました(中日)。仕方がないので、今年もライオンズを応援することにします。さて、わたくし先週は、月曜日一日だけでしたが、笠松競馬の実況を担当しました。この日は、3カ月間、高知競馬で期間限定騎乗をおこなっていた東川公則騎手が、笠松へ戻ってきての騎乗初日でした。東川騎手には、高知へ行く前にお話をうかがい、ここでもご紹介しました(5月27日更新分)。3カ月の期間を終えた東川公則騎手に、今一度、お話をうかがいました。高知での期間限定騎乗を、「決して納得いく結果ではなかったけど、いい経験になったかなと思います」と振り返って、「高知コースを攻略し切ったかと言われたら、あまりそんな感触はないけど、でもこういう競馬もあるんだなという感じですね。高知は基本的に内をあけて走るけど、それでも内からかわして勝つやつもおるし、力のある馬が勝つということなんでしょうけどね。印や人気は別として」そして、「アレは独特な馬場やね。名古屋が一時期、内が深くて使えないことがあったけれど、そういうのとまた違うんだよなあ。だからって大外まわって勝つかって言うとそういうことない感じだし、何やろね、よくわからんとこあるね。それでもね、内からかわして勝つ馬場状態のときがあるんですよ。そういうときはみんなやっぱり内突くし、じゃあハナ行ってるもんが内まわるかっていうとまわらんしね。意外に内あけて走るし。だからわかりづらいと言えばわかりづらい。最初はね、戸惑いましたね。だからハナへ行っても、どれぐらい内あけて走ったらいいの?みたいなこと思ったりしましたね」大ベテランの東川騎手をして、戸惑い、わからないと言わしめる高知コース。やはりそれぞれのコースに独特の性質があり、慣れない場所には難しさがあるということなのでしょう。高知競馬について他には、「馬にとって条件はいいかな。入ってくる条件は。上のクラスの馬でも、2年間賞金かせいでなかったら一番下から入るとか。そういうのがあるので、南関東のオープンが高知のC級に入ることもあるし、中央の一千万クラスの馬が高知のC級にいたりするから、馬によってはすごくいい条件になる馬もいるわねえ。そういうのは全然、ぶっちぎるもん。あとは馬場が合うかどうかということはあるけど。笠松よりは全体的に砂が深いよね。時計かかるもんね」とも話してくださいました。(写真をお願いすると、勝負服を整えてくださり…)(ポーズを決めてくれました。「新人騎手みたいだね」と言いつつ)高知へ行っている間には、地元で様々なこと、それも心配なことが多く起きてしまいました。「3カ月の間、いろいろあってこっちにも戻ってきたよ。息子(慎騎手)がケガして間もなく、親父が亡くなって、それでいっぺん帰ってきたし。それでちょうど息子のところに面会にも行けたしね」高知へ行く理由の一つとして、冗談とも本気ともつかない口調で、「子離れしようと思って」と語っていた東川騎手ですが、今年デビューの息子・慎騎手は、お父さんが高知へ移った直後、7月3日のレース中の落馬事故で骨折。現在も療養中です。「子離れしようというのは、ちょっと思惑と違ってしまったかねえ。まあでも競馬でやったケガだからしょうがないよね。一生懸命乗ってたまたまそうなっちゃったやつだから、しょうがないと思う。ケガはつきもんだし。ビックリしたねえ。ちょうどインターネットで見てたんで、たまたま。あ!と思ってすぐ電話したらてんやわんやで。ちょうどウチの嫁さんも競馬場にいたみたいで、何がなにやらわからんみたいになってたけど。ケガは、まあ遅いか早いかだったかもしれないし。なきゃないほうがいいんだけど」現在の慎騎手の様子は、「順調に回復してきて、退院はしたんだけど、まだ骨がしっかり固まっていないもんだから、まあ10月いっぱいは無理かなという感じですかね。ヒジのプレートがあるんですけど、それも取らなくちゃいけないんで。イメージでは、うまくいけば11月くらいには乗れるのかなあ?という感じですけどね。早く復帰できるといいけどね。ケガ以外は元気、元気。むしろ乗りたくても乗れないことで、ストレスたまってるんじゃないかな」どうやら秋のうちには、慎騎手にも、お帰りなさいと声をかけられそうです。他にも、笠松を離れて間もなく、開催自粛という出来事もありました。「ちょうど高知で、みなさんが歓迎会してくださって、同期が4人いたので同期会をしていただいて居酒屋でご飯食べてたら、『おい、テレビで笠松競馬やってるぞ』って言うんで見たら、その放馬っていうんで。放馬はともかくとして、まさかそのあと開催中止になるなんて思ってもみなかったから、何と言っていいか複雑でしたけど」遠く高知から、笠松競馬の様子を心配して見ていたそうです。高知での騎乗を終え、笠松での騎乗を再開した東川公則騎手騎手。「久々でも全然かわらんよ。別に休養してかえってきたわけじゃないし。同じ競馬してきただけなんで。高知の経験もいい刺激になったし、またこっちで今以上に頑張れるんじゃないかと思います。息子ともどもよろしくお願いします」と、明るく話してくださいました。…子離れという点については、まだこれからの課題ということになりそうですが。東川公則騎手は、先週の開催では早速1勝をあげました。やはりこの方の勝負服が見られると、笠松競馬が笠松競馬らしく感じられます。(レース中の東川公則騎手。写真提供:競馬エースさま)頼りになるベテランが戻って、地元ファンのみなさんも喜んでいらっしゃるのではないでしょうか。なおこの日、佐藤友則騎手の地方競馬通算1600勝達成記念セレモニーが場内でおこなわれました。ここで佐藤騎手は、「このあと来週、名古屋と園田の重賞に騎乗して、それから大井に期間限定騎乗で行きます。来開催から笠松にはいないのですが、応援よろしくお願いします」と話していたのですが、25日のレースで1着入線したあとに落馬・骨折してしまいました。スケジュール変更を余儀なくされそうです。(セレモニー直後。予定では金曜日に期間限定騎乗壮行会がおこなわれるハズでしたが、中止に)早い復帰をお祈りします。
2019年09月30日
ミツオーです。だから、ナゼ中日ファンのわたしが埼玉西武ライオンズの試合結果を気にしなくちゃならんのか。さて、先日、大井競馬場の実況席へ、原山実子さんがおみえになり、弊社実況隊の話をアレコレ聞いてくださいました。原山さんは、週刊競馬ブックに『難読馬名に挑む実況アナウンサーたち』をテーマにコラムを執筆されるため、弊社実況隊に取材にみえたのでした。わたくし(ども、弊社実況隊の面々)、競馬の実況をなりわいにしております。こうした仕事をしていると、「よくあんなに口がまわりますね」「早口言葉みたいな馬名をよく呼べますね」など、感心したりほめていただいたりすることがあります。そうして中には、「どういう名前が言いにくいですか?」「どういう名前が苦手?」という質問もいただきます。…。……。どういうつもりで質問してるんですか?この質問、一般のファンの方からいただいた際には、諸々のネタをふくめて正直にお話しするのですが、質問者が馬主さんだったりすると、ちょっと警戒しなくてはなりません。もしかして、苦手なの聞いておいて、命名しようとしてます?…てな意味で。まあ、苦手な音がある、うまく発音できない馬名がある、というのは本来はプロとして失格でして、「苦手な名前?そんなものはありません!!」と胸を張れなくてはならないのですが、そこはそれ、人間だもの、そういうわけにもいかないのです。というわけで、馬名(など)で、実況アナウンサが苦戦する(こともある。もちろんひとによる)モノをいくつかご紹介(自らの首をしめることにならなければいいのですが)。*シ・ス・ツの羅列わたくし自身が苦手な音の羅列は、「シ、ス」と「ツ」などの組み合わせでして、「新設診察室視察」という早口言葉(?)は、ほとんど常に口の中で転がして訓練しているほどです(大げさ)。さあ声に出して言ってみましょう。新設診察室視察、新設診察室視察、しんせつしんさつしつしさつ…。そんなわたくしが、苦戦していた実在の馬が、『シツジツゴウケン』です。ハッキリ言って、何度発音してみても「ヨシ!ちゃんと言えた!」と思えない。無理矢理言い切ってみて、録音されたモノを聞き直し、なんとかかんとかセーフだろう、というのを繰り返していました。そのシツジツゴウケン号が競馬場から姿を消し、引退したらしい、と聞いたときには、本当に申し訳ないことながら、正直ホッとしたのでした。シツジツゴウケン、攻略する前にいなくなっちゃったなあ、と残念がりつつも胸をなでおろしていたある日、地方競馬教養センターでの模擬レースを実況する機会が。出走馬を見ると、そこに『シツジツゴウケン』の名前。おお、こんなところで再会するとは!…っつか、またこの馬名と戦わなくてはならないとは、トホ~。と情けなく思いつつ騎手候補生たちの模擬レースを実況していたのは、内緒です。*それ何語ですか?わたくし、外国語ができません。日本語以外にできるのは、なんとか中学校卒業程度の英語(高校以降何をやっていた?という疑問、ごもっとも)、中国語は自己紹介できるだけ、ロシア語は「これは本です」と言えるだけ、あとはナゴヤ語と関西弁をほぼ完ぺきに、栃木弁と金沢弁をちょっと、というところです。となると、最近の、馬名多言語化の流れには対応できません。馴染みのない音の羅列ってのは、発音しにくいこともあるものです。ずいぶん前になりますが、友人たちと一緒に競馬を楽しもうと東京競馬場へ足を運ぶと、待ち受けていたらしい友人が、「コレ、読んで!」と新聞を差し出す。見ると、その日デビューしたという馬、『カポデテュティカピ』いや~、初見でこのカタカナの羅列を読むのは厳しいわ~。いや、カタカナの羅列を読むのが仕事ですけどね。でも無理。だって、どこで切るんだか、見当もつかないもん。「Capo di Tutti Capi」で、イタリア語の「ボスの中のボス」っていう意味じゃないか、学がないヤツだな!と言ってくださるのはご自由ですが、仕方ない、ワカランもん。こういうのは、全く言えないということはありませんが、どうにも口に馴染まないということがあります。『ティンスクヴィル』別に言いにくいことはありません。けど、いきなり初見で迷いなく言えますか?音の並びに馴染みがない。ワインの名前になってるらしいので、そっちに詳しい方にとっては何てことないんでしょうけども、聞くとコレ、エトルリア語らしく(神への捧げものという意味)、そんな言語知らん!と言っても許してもらえるんじゃないかと思うのですが。こういう、音の並びが英語的でないモノは、思い込みで間違って読んでしまったり覚えてしまったりするので、要注意。ウチの子どもがいつまでたってもモイネロ選手を「モネイロ、モネイロ」と言っているのを笑えないことになりかねません。*「ロレる」業界用語なんだろうと思うのですが、ラ行の音と「ダ・デ・ド」の組み合わせをハッキリ発音できないことを、「ロレる」と言います。エメラルド、シンデレラ、メロディーなどが「ロレり」系の単語です。これが苦手な方は少なくないと思います。わたし自身は、エメラルドもシンデレラもメロディーも、それほど不得意ではありません。が、一度、川崎のレースで、『ファイナルレザルト』が粘るところへ『ラビーエメラルド』が追い込んで並んでゴールしたときには、我ながら頑張ったと思ったものです。はい、言ってみましょう。「ファイナルレザルト、ラビーエメラルド、並んでゴールイン!」*引っ張られる主に拗音に起こる現象だと思うのですが。何てことないんです。何てことないハズの音の組み合わせなのに、お隣の音に誘われるように、つけちゃいけないところに拗音をくっつけてしまうことがある。『チャンスザチャンス』涼しい顔して言えますか?わたしは言えなかったんです。練習で何度言っても、「チャンスジャ、チャンスジャ、…チャンスジャチャンス、ちが~う!」となってしまい、さすがに本番でコレはまずいというので、ややゆっくりと、「チャンス ザ チャンス」いや、ここまで間をあけることはしませんが、そのくらいの気持ちで呼びました。こうした現象は「ナントカ ザ ナントカ」によく起きるようですが、それに限りません。目下、わたくし自身の攻略対象として最上位にあるのが、『フォルデュラン』練習では言えるのに、レースになると「フォリュデュリャン」になってしまったり…。むう。次は涼しい顔で「フォルデュラン!」って言ってやる!(プロとして当たり前)そして引っ張られるという分類でいいのかどうか、有名な、『カルビアブリカルビ』ですが。わたくし自身はコレに苦戦したことはないのですが、もちろん細心の注意をもって扱っています。気を抜くと、「カブリ」と、初手から間違うことになります。*何とか座有名な、『アンドロメダザダゾ』ですが、わたしはモノを知らないので、そもそもアンドロメダ座という星座があることを知りませんでした。…というのはこの際関係ありませんが、それを「だぞ」と断定されても困るわけです。ここでこの「アンドロメダザダゾ」をうまく言う方法を伝授しますと、ちょっとアンニュイな気分になり、首をわずかに右に傾け、右斜め前2メートルあたりの床にむけて、放物線を描いて落っことすように、口をあまり開けずに、「アンドロメダザダゾ」と言うと、まあまあ上手に言えます。ただしこの方法で実況するわけにはいきませんので、もちろん仕事ではハッキリと発声しています。練習の量がモノを言います。ちなみに原山さんもコラムで触れていらっしゃいますが、赤見千尋さんの騎手としての最後のレースがうつのみや競馬の「ぎょしゃ座特別」というレースでした。わたしはモノを知らないので、そもそもぎょしゃ座という星座があることを知りませんでした。…というのはこの際関係ありませんが、いきなりそれをレース名にされても困るわけです。散々練習して本番に臨み、首尾よく「ぎょしゃ座特別」と発声することができたわたくし、帰宅しようと競馬場事務所付近を通りかかると、番組担当職員さんが、えも言われぬ笑顔で、「大川さん、言えましたね~、ぎょしゃじゃ特別」確信犯か!しかも言えてへんやないかい!先日、赤見さんが、原山さんのコラムをお読みになったのでしょう、わたしを見つけると笑顔で近づいてきて、「初めて知りましたよ~、わたしの最後のレースがぎょしゃじゃ特別って」知らんかったんか!しかも言えてへんやないかい!なんだかだんだん怖くなってきました。こういう難しい音やその組み合わせを研究されて命名されると、ちょっと困るのです。しかし、実況アナウンサたるもの、「難しい?そうですか?」「言いにくい?そうですか?」と、涼しい顔してハッキリ・きっぱりと、全部の馬の名前(と、それ以外のすべての言葉)を発声しなくてはなりません。練習に練習を重ねて、なんとかかんとか毎日を乗り切るのです。(馬名がわんさか書かれている、出走表)(そこに色をつけて、レース実況用資料の出来上がり)
2019年09月16日
ミツオーです。2週間前にできたキズが、まだ治りません。さて、あらかじめ断っておきますと、今回は、競馬の話ではありません。馬も騎手も調教師も、出てきません。かろうじて、競馬場は出てきます。というより、むしろ競馬場の話、競馬場を舞台とした話ではあるのですが。今回の主役は…セミです。セミ、ご存知ですね?漢字で書くと、蝉。昆虫の、セミです。セミってのは分類上は、カメムシの仲間なんだそうですな、どうでもよろしいが。今回の話、論旨をカンタンに言うと、「金沢競馬場には、全国でここにしかいない、珍しいセミがいる!!」です。…それ、競馬場じゃなくて、「石川県には」でしょ?と思われるかもしれません。けど。本当に、日本国内では、金沢競馬場(と、その周辺ごく狭い範囲)にしかいないのですよ、そのセミは。石川県内や金沢市内の各所に生息しているわけではなく、競馬場にしかいない。(金沢競馬場正門入ってすぐの、ケヤキの木立。ここにそのセミがいるのです)名前を「スジアカクマゼミ」というこのセミ、朝鮮半島から中国・台湾、東南アジア北部まで広く分布しており、済州島にも生息しているのに、済州島に近い対馬・壱岐・五島を含め、日本国内には全くいないのだそうです。…金沢競馬場を除いては。この、楽天競馬日替わりライターブログに、わたしが以下のようなことを書いたのを覚えている方はあるでしょうか?「金沢競馬場でさかんに鳴いているセミ、アレって何ていうセミですか?ご存知の方、いますか?」2011年8月11日に更新された記事の、冒頭に書いています。ここでわたしは、このセミについて、なかなか詳しく説明しています。いわく、「かなり大きい」「一匹鳴くと他も鳴きはじめて合唱になる」「調べた範囲では、鳴き声はアカエゾゼミに似ている」「北関東でも関東でも東海でも関西でも聞いたことがない」わたしがこのセミの存在に気づいたのは、おそらくコレを書く数年前、たぶん、2007~09年頃でしょう。このセミ、何?地元・金沢の方々はじめ、数人に尋ねたところ、「アブラゼミでしょ?」とか、「クマゼミね」などという、全く論外な答しかもらえず、世間のひとってセミの声に無頓着なんだな、と思い知るだけで、肝心のセミの正体についてはまるで手がかりナシ、であったのでした。(アブラゼミ。珍しくもなんともない。撮影もカンタン)(一方で、問題のセミは、高い位置にとまることなどから、姿を見るのも難しい。けど、撮影に成功!)(ワカラン?赤丸の中に、その姿が写ってますでしょ?)以来、ず~~っっっと、一人で、コレ、何ゼミなのかな~?と思いつづけてきたわたくし。時折思い出しては、「北陸のセミ」「石川県 セミ」で検索してみたりしましたが、収穫ゼロ。ところが近年になり、どうやらコレは、広く北陸地方に分布するモノではなく、それどころかその版図は石川県全体にも金沢市レベルにも、遠く及ばないことに気づきました。カンタンに言うと、このセミの声、金沢競馬場でしか聞かない。わたし自身が、北陸では金沢競馬場に最も長く滞在するため、いかにも北陸地方や石川県全体にそれがいるように錯覚していただけだったのです。そこで、ネットでの検索ワードを、「石川県 セミ」から、「金沢競馬場 セミ」に変えてみたところ…。ヒットしました!金沢競馬場とその周辺ごく狭い地域に、外来種のセミが大量発生している、という記述が出てきたのです(中には、大量に捕まえて、食べたという記事も)。名前も「スジアカクマゼミ」だとわかりました。嬉しい、やっと判明した。…っつか、コレ、ホントに国内でこの競馬場にしかいなかったんだ!詳しく知りたい!というので、わたくし先日、石川県ふれあい昆虫館という施設へ行き、詳しいお話をうかがってきました。(白山市にある、石川県ふれあい昆虫館)(金属製の巨大なクワガタが迎えてくれます)おずおずと、「金沢競馬場にしかいないセミについて、お聞きしたいのですが…」と言うと、お忙しい中、学芸員の福富宏和さんが、たくさんの詳しいことを教えてくださった上、石川むしの会会報「とっくりばち」に掲載された調査報告のコピーまでくださったのでした。福富さん、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました!この調査報告・研究発表小論文(『日本初記録のスジアカクマゼミ、金沢市八田地区に発生』徳本洋・大串龍一・松井正人・富沢章)によると、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、2001年夏、発見されました。この年、競馬場周辺にエゾゼミがいるとの情報がよせられ(やっぱりエゾゼミに似てるんだな!)、石川県ふれあい昆虫館職員さんが現地で採集したところ、エゾゼミではなく、クマゼミによく似たセミだったと。この標本が専門家によって同定され、日本にいないハズのスジアカクマゼミであると判明したのだそうです。この年の調査で、このセミの生息域・幼虫発生場所・セミと樹木との関係などがある程度明らかになりました。初めにエゾゼミがいるとの話を寄せた方は、石川県ふれあい昆虫館の元職員さんで、つまり素人ではありません。この方がこのセミの存在に気づいたのは、この時より8年ほども前のことだそうで、その他の証言などからも、このセミが金沢競馬場周辺に現れたのは、少なくとも90年代前半か初頭までさかのぼるらしいこともわかりました。(ふれあい昆虫館では、こんなキレイなチョウとたわむれることもできます)(間近で見られますし、いかにもカンタンに触れそうですが、触ってはいけません。念のため)一方で、このセミが外来種だとすると、その侵入経路が問題になるわけですが、これが全くわからない。福富さんのお話によると、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、DNA検査によって、台湾方面のものではなく朝鮮半島方面のものだと判明していますが、競馬場に朝鮮半島から植物を大掛かりに輸入した記録はないそうです。経路がわからない以上、たまたま気づかれなかっただけで、古来、ここに生息していたという可能性は否定できず、そういう意味で外来種だと特定することはできないのだそうですが、福富さんいわく、「セミって鳴きますからね。その性質上、気づかれずに古くから…というのは、ないでしょう」とのことで、まあコレは、外来種だと思っていいらしいのです。(ふれあい昆虫館にある、侵入昆虫の展示。ここにスジアカクマゼミも紹介されているのでした)スジアカクマゼミは、生木に産卵します。クマゼミなんかは、枯木に産卵するんだそうですが。ということで、たまたま産卵された植木か何かが持ち込まれたか、幼虫が鉢植えに潜んでいたか、風に乗って来たということも考えられるそうです。けど、発見されてから18年、わたしが気づいてからでも10年以上、認識されてからだと30年近くたっているにも関わらず、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、その生息域を、ほとんど広げていません。いや、徐々に広がっているらしいのですが、羽を持ち、自由に飛び回れる生き物にしては、広がり方がめちゃくちゃ鈍い。そんな生き物が、風に乗ったとは言え、日本海を越えて来るというのは、ちょっと考えにくい…と思うんですが、どうでしょうか。それに、実はこのセミが産卵した木は、その部分が枯れるのです。植木を輸入するのに、不自然に枯れた部分があったら、取り除きませんかね、普通?(競馬場のケヤキにも、このように不自然に枯れた部分が。まさしくスジアカクマゼミ産卵の証拠)それから、みなさんセミってどういう生態だと思ってます?聞いたことありませんか?幼虫として土の中に7年、成虫として一週間、とか。さすがに成虫として一週間ということはなく、けっこう長いこと成虫の状態で生きるそうですが、幼虫として何年も土の中というのは本当だそうで。卵が成虫として地上で鳴くまでには、数年間が必要なのです。一年では大人にならない。…それが毎年出ている。ですが、コレも、福富さんのお話では、「7年ということはなく、3~4年じゃないかと言われてます。17年ゼミというのもいますけどね。この長さは、幼虫時代の栄養状態によって、1年くらいは前後します。17年ゼミも前後の年に、全く出ないということはないらしいですよ」というのです。つまりですね、ある年、どうやってか金沢競馬場へやってきたスジアカクマゼミは、この地で繁殖し、数年後、3年後か4年後か7年後か17年後か、とにかくこのセミ固有のサイクルにしたがって、子供たちが地上へ出てきた。さらに繁殖し、数年後に子供たちが…というのを繰り返すうち、栄養状態などの条件により、サイクルから外れる者がある程度以上現れ、それがまた繁殖し、そうこうするうちに、毎年、相当数のスジアカクマゼミが競馬場で鳴くようになった、ということなのです。福富さんは、「実際、金沢競馬場のスジアカクマゼミも多い年と比較的少ない年があります。が、現在、毎年セミが現れている以上、そういうズレが定着するだけの年数、たぶん何年・何十年、このセミは競馬場に生息しているわけで、見つかったのは近年でも、侵入はかなり昔のことじゃないかと考えられます」とおっしゃっています。そんな昔に(きっと昭和だ)、誰かが意思をもって連れてきたわけでもない虫が、どうやって侵入したのかなんて…まあ同定できませんな。(スジアカクマゼミを紹介するパネル)(コレがスジアカクマゼミだ!)(腹がわ。クマゼミとはだいぶん違いますね!…なに?知らないって?)(抜け殻も展示されています)(競馬場のケヤキで見つけた抜け殻。お腹がわを見ないと、区別できません)現状、金沢競馬場のスジアカクマゼミは、積極的に駆逐の対象になっているわけではありません。が、積極的に広めたいとも思われていない。また、厳密に、国内の他の場所には全然いないのかどうかについても、今のところ確認されていない、という言い方になるそうです。とにかく国内では金沢競馬場(とその周辺のごく狭い地域)にしか生息しない、非常に珍しいこのセミが、生息範囲を広げつつあるのか、そうでもないのか、広がるとするとどのあたりまで広がっているのか、「地元の方や、よくここを訪れるひとに関心をもってもらって、どんな具合なのか見守ってもらいたい」と、福富さんはおっしゃっていました。金沢競馬場には、国内では他のどこにもいない、スジアカクマゼミというセミがいます。毎年夏になると、その鳴き声を響かせます。説明などには、「ジー」と鳴くと書かれていることが多いのですが、わたしとしては、「イ」に濁点をつけた感じの音に独特のビブラートをくわえ、単調に長く、「イ(濁点)ーーーーーーーーーーー」または、「ジュヴァーーーーーーーーーー」と鳴いているように聞こえます。一匹が鳴きはじめると周囲も合唱する、「つれ鳴き」が特徴的です。毎年、9月上旬くらいまで、競馬場正門からスタンドまでの間にあるケヤキの林立する広場を中心に、他のセミを圧倒する音量で鳴き続けるスジアカクマゼミ。今週末くらいまでは、なんとかその声を聞くことができるのではないかと思います。金沢競馬場へ夏にお越しの際は、ぜひその、国内の他の場所では聞くことのできない声に関心をもってみてください。このセミの声、けっこう迫力ありますよ。それに。全国でここでしか聞かれないと思うと、なんとなく不思議な感慨を味わうこともできますし。(この木立に、わんさかスジアカクマゼミがいるハズなのです。姿を見ることは難しいですが)金沢競馬場の名物として、定着しないもんでしょうかねえ。んで、「国内でここだけ!スジアカクマゼミ賞」というレースをやってみるとか。
2019年09月02日
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