顕正会脱会のススメ!

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2009.03.11
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【塔婆と草木成仏】

法華経の一念三千の法門では、有情(うじょう)の成仏と非情(ひじょう)の成仏という二種類の成仏が説かれています。
『草木成仏口決』に、
「妙法とは有情の成仏なり、蓮華とは非情の成仏なり。有情は生の成仏、非情は死の成仏、生死(しょうじ)の成仏と云ふが有情・非情の成仏の事なり」(新522)
と説かれているごとくです。有情とはいきとし生けるもの、こころを持った一切の生類(しょうるい)のことで、衆生ともいいます。そして非情とは、草木山川国土(そうもくさんせんこくど)という、有情を取り巻く環境世界にある万物をいいます。その有情・非情ともに成仏があると説かれているのが法華経の教えなのです。
さて、生死という点から考えてみますと、我々の「生(しょう)」、生きている状態とは、地水火風空の五大が仮に和合して、そこに魂(たましい)が具わったのが「生」です。しかし「死」を迎えれば、五大が仮(かり)の和合は離れ、それぞれが宇宙法界に溶け込んでしまうのです。しかし、故人の今生(こんじょう)における業(ごう)は消えてなくなるわけではなく、法界に冥伏(みょうぶく)したまま次生(じしょう)以後へも受け継がれていくのです。そこに、私たち今生に生きる者の、故人に対する追善回向の必要な理由があります。
私たちの存在を有情・非情に分ければ、生きている間は「有情」ですが、死して後は我々衆生といえども「非情」の部類に入ります。そして『上野殿後家尼御返事』に、
「いきてをはし時は生(しょう)の仏、今は死の仏、生死ともに仏なり」(新336)
と、生死のいずれ(すなわち有情・非情)にあっても、それぞれに成仏の境界があると確かに仰せられています。そこで、有情の成仏のことを「即身成仏」といい、非情の成仏のことを「草木成仏」といいます。このことを『四条金吾釈迦仏供養事』には次のように説かれています。

ここに仰せられた草木成仏こそは、塔婆供養にてつながる御法門ですので、とりわけ留意いただきたいところです。
大聖人様が紙木に顕わされる十界互具の曼陀羅についても、材質の上からすれば、草木から取り出された紙墨や木材をもって、曼陀羅として顕わされます。しかしそこに仏としての魂が込められるのは、法華経の題目による開眼供養があって、貴い仏の命が具わるのであり、これを草木成仏と仰せられたのです。
さらには、先に述べた五輪の塔婆や墓石としての五輪塔も、やはり題目による開眼供養によって、死の成仏すなわち草木成仏が叶えられる意義を、上掲の御書から推(お)して拝せます。ゆえに『草木成仏口決』に、
「我等生死する時塔婆を立て開眼供養するは、死の成仏にして草木成仏なり」(新522)
と仰せられたのです。すなわち妙法蓮華経がしたためられた塔婆に、故人の戒名(かいみょう)乃至俗名(ぞくみょう)等が記され、生きている私たちが妙法受持の信心をもってお題目を唱えるところ、その功徳は正しく精霊に回向され、故人の成仏が叶えられるのです。またその功徳は「回向」の意義からして、当然塔婆供養の願主へもかえってくるのですから、私たちは真心をもって塔婆建立を志していきたいものです。

【塔婆供養に際しての心得】
日有上人『化儀(けぎ)抄』には、「卒塔婆を建立する場合、まず三師塔で読経唱題を済ませた後に、故人の墓前で読経唱題するのが、事の一念三千をあらわす化儀である」(趣意・37条)と御指南されています。墓地に三師塔がない場合でも、寺院の御本尊様の前で回向することによって、この化儀にのっとることができます。
末寺で、信徒が墓参のために塔婆を願い出られた場合、本堂の御本尊様の前で住職による回向を待たずに、塔婆だけ持ち帰ろうする人が時に見受けられます。先の日有上人の御教示からもこれは望ましいことではなく、寺院の読経・回向に連座できるよう、十分時間の余裕をもって参詣したいものです。また塔婆は、寺院として書写のための時間も必要ですので、あらかじめ願い出を済ませておくようにいたしましょう。
法事などで故人の塔婆を建立する場合、地域差もありますが、願主並びに家族親族それぞれ願い出る場合と、願主が代表で建立する場合があります。有縁の人がそれぞれに塔婆を願い出ることは、参列者各位の、故人への気持ちがそのまま塔婆として表わされますので、望ましい追善供養となりましょう。他宗の信仰をする親族でも、法事の場合に限り、願主とともに願い出るのであれば、塔婆供養は正宗寺院で受け付けられることになっています。これは、願主が能開(のうかい)、親族が所開(しょかい)の義になるからです。


今回のお話は、妙教の平成9年10月号



塔婆供養は、寺院の金儲けだの言うが、塔婆供養一つとっても、先祖を供養する事、その気持ちは大切な事だと思います。





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Last updated  2009.03.11 16:54:53


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