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1916年4月24日、"アイルランド義勇軍"(Irish Republica Brotherhood=IRB)が、大英帝国からの独立を求めてダブリンで「イースター蜂起」決行した。(ジェイムズ・コノリー、パトリック・ピアース等参加)
アイルランドは700年の間イギリスの植民地だった。しかしイギリス軍の圧倒的な軍事力には降伏せざるをえなかった。処刑を免れた指導者はイーモン・デ・ヴァラ(アラン・リックマン)ただ一人。マイケル(リーアム・ニーソン)らも、投獄されてしまう。次々と指導者らが銃殺される中、イーモンはマイケルに言う。「こらえろ、マイケル。今はまだ」
やがて釈放されたマイケルは、自ら得意とする"破壊工作"で親友ハリー(エイダン・クイン)と共に“アイルランド義勇軍”を率いて、独立運動に身を投じる。奇襲攻撃で数々の勝利をおさめ、イーモンを脱獄させる。その後、天才的なゲリラ戦法によって休戦を勝ち取りアイルランドの自由への希望をもたらした。
だが、それは今まで彼を支えた親友ハリーと、 アイルランド自由国初代首相となる イーモンとの対立の始まりだった。大英帝国と言う最大の敵の存在が無くなり、北アイルランド六県の分離を巡って、「全島独立派」(イーモン・デ・ヴァラ派)と「現状維持派」(マイケル・コリンズ派)の二つに分かれて対立。かくして内戦となり、親友ハリーとも敵対。やがてハリーは死亡する。
*シン・フェイン党とは「われら自身」という意味の秘密結社。1905年組織された。
<歴史>
アイルランドは古代ケルト人の国である。
ケルト人はフランス(ガリア)、ドイツ、北イタリア、スペイン、ポルトガル、バルカン諸国にまで勢力を広げていた。やがてローマに征服されてアイルランドやスコットランドに定住し始めた。(シ-ザーの「ガリア戦記」が有名)
しかし、12世紀になるとアイルランドは隣の島国イギリスから征服され始め、1801年、ついにイギリスに併合された。アイルランド人は土地を失い、小作人となってイギリス人地主の元で働かなければならなくなった。
1829年のカトリック教徒の解放で、アイルランド人がはじめて議員となった。しかし、人種・宗教が異なり、小作人が多いアイルランドの要求は議会で無視された。そこで、オコンネル、パーネルを中心に独立運動が行われ、アイルランド土地同盟が結成された。自由党のグランドストンは1886年と1893年に自治法案を提出したが議会を通過せず、土地法案のみ通過。その解決は第一次大戦後に持ち越される。
<イギリスからの独立>
1905年、アイルランド独立運動が盛り上がり、シン・フェイン党が設立。
1916.4.24.mon.
イースター蜂起(アイルランド独立運動)。シン・フェイン党員ら約1600人が中央郵便局を占拠。
1919年、シン・フェイン党の軍事部門として、IRA(アイルランド共和国軍)が発足。独立戦争勃発、国民議会樹立(アイルランド)。
1920年、アイルランド統治法制定。北アイルランド成立。
1921年、ついにアイルランドは独立を勝ち取ったが、プロテスタント教徒が多数を占める北アイルランド6州は(「シックス・カウンティ」)イギリス領として残り、南アイルランド20州は「アイルランド自由国」となったものの、イギリス連邦に属していた。
このため、内戦が起こる。
イギリスとの条約締結の任にあたった与党派のマイケル・コリンズが糾弾に倒れる。
1922年、アイルランド自由国成立(イギリス連邦自治領)。政府はアイルランド語(ゲール語)を第一公用語と定める(英語との併用)。
ジェイムズ・ジョイス「ユリシーズ」を発表。
1949年、「アイルランド自由国」は、イギリス連邦から完全に独立し、「アイルランド共和国」となった。
<イギリスとの対立>
イギリス政府は「アイルランド法」によって北アイルランドをイギリス領とし、北アイルランドに軍の駐留部隊を置いた。
アイルランドはアイルランド島全体(当然北アイルランドを含む)を自国の領土としたアイルランド共和国憲法を制定した。
肝心の北アイルランド自治政府はというと、カトリック教徒をイギリスから植民してきたプロテスタント教徒が支配し、選挙権、就職、住宅などを差別している状態だった。
1968年、プロテスタント勢力のカトリック教徒への襲撃・放火事件が起き、それが武力闘争のきっかけになった。ベルファストを中心にIRAのテロ活動が始まり、プロテスタントの過激派も武装組織を作ってテロで対抗していった。