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きょう初めて大阪の「なんばグランド花月」に行って来た。入り口で、おばちゃんが「前売り券あまってもうた。だれかこうて。なんでこんなことせなあかんねん」とひとりでボケてツッこんでいる。劇場スタッフも、このダフ行為に対して知らん顔。心が広い。どこからかタコ焼きの匂いがぷーんとしてくる。この日の演目は新喜劇でスタートし、あとは桂小枝、大木こだま・ひびき、西川のりお・上方よしお、今いくよ・くるよ、笑福亭仁鶴などの漫才てんこもり。ほかにキルギスの雑技があり、たっぷり3時間楽しめて4000円(当日券)だった。内容も笑いも盛りだくさん。ご当地ものとしては一昨年、バンコクでおかまショーを、北京で雑技ショーをそれぞれ見たけれど、大阪のお笑い文化もアジアに冠たり、と思った。私はひとりで行ったのだが、周りは遠方からやってきたおばちゃんの団体がほとんど。自然、お笑いの内容もおばちゃん向けが多く、「いつもここに立つと、きれいなお客さんに目がいって困るけれど、きょうは漫才にしゅ・う・ちゅ・うできるわー」と爆笑を誘っていた。また、若手が登場すると「がんばれよー」という声が客席から自然と飛んでいた。大阪には「自分らが育てたる」という土壌があるんやな。新喜劇の方は、うちの5歳(きょうが誕生日)の息子も大好きで、新喜劇がテレビ放送される水曜日をいつも楽しみにしている。この日の舞台でも、スッテンころりんした後、「あぁあぶない。もう少しで転ぶとこやったわ」などといって笑わせていた。分かっているのに笑ってしまうんやな。そういう文化を築いてきた吉本新喜劇は本当にすごい。また行こうと思った。
January 19, 2004
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9回目の「1・17」がやってきた。けさの全国各紙の震災報道は例年通り、紋切り型だった。私は涙腺が弱くて社会面のお涙ちょうだい記事を読んではつい涙を流してしまう方なのだが、冷静に考えてみると、毎年固有名詞を変えて、最愛の妻を亡くした夫や、子供を亡くして立ち直れない母親を登場させているのはあまりに能がない。新聞記者たちはこういう人を探し出してきて一仕事したような気になっているのだからしょうがない。心のケアの必要性や復興格差の広がり、追い打ちをかける高齢化などどれもとても大切な問題なだけに、こじつけとしか思えないデータで紹介したり、行政批判の材料に利用するのはやめてほしい。一例でいうと、けさの朝日新聞は、復興住宅アンケートの結果として、よく旅行に出かける「元気な人」と繁華街に買い物に出かけない「閉じこもり(?)の人」の二極分化が進んでいることを憂いていたが、どこの公営住宅で聞き取ったって結果はそう違わないのではないか。しらじらしくて読む気がしない。また、復興住宅や当時の緊急融資が財政をひっぱくしていると批判記事が多いが、当時、住宅や融資の必要性を訴えていたのはマスコミの方だった。いまさら手のひらを返して見通しが甘かったと批判するのはあまりにも無責任だ。もう9年をすぎたのだから、マスコミは、少数の困っている人を情緒的に取り上げるのではなく、そうした行政の対応が総じて役立ったのかどうか、これだけの借金を生んでもそれを上回るだけの効果があったのかどうか、などを論議すべき時期に来ているだろう。神戸の市民たちは報道されている以上に、力強く生きている。日本全国の国民はもっと等身大の神戸を知りたがっている。
January 17, 2004
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「すべてカネ、カネ、カネという時代は終わった」。労組幹部の口からこんな言葉がもれるような時代になった。あすから04年春闘が始まる。主要企業の95%が賃上げどころではない。大手企業も、日立が定昇をやめたほか、松下が年齢給を、ソニーが家族・住宅手当をそれぞれ廃止した。労組もいつの間にやら物分かりがよくなり、「会社がつぶれたら元も子もない」というようになった。そしていよいよ、年収300万円時代がやってくるらしい。「年収300万円時代を生き抜く経済学」(森永卓郎著)が昨年ベストセラーになった。それによると、今後日本社会は、年収1億円、300万円、100万円という3つの階級に分かれ、9割は負け組になるという。そして、著者はこんな結論をくだす。「可能性のほとんどない成功をひたすら目指すより、割り切って年収300万円の幸福な人生を目指そう」。ガクッときて、「どこがどう経済学なんだ」と叫びたくなったのは僕だけではあるまい。でも事実、1%の金持ちが牛耳る社会が世界ではスタンダードらしいから、日本も遠からず、そういう社会に向かっていくことだろう。それにしても、ほんの15年前まで、日本企業の強さの秘密といわれた終身雇用や年功序列、1億総中流社会とやらが、いずれもいま否定されているのだからやってられない。というか、これはやっぱり米国の陰謀なのだろうか。政界の護憲勢力みたいに、日本の古き良き伝統を生かす企業もあってほしい。根性取り戻せよ。組合!
January 15, 2004
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ブッシュ米大統領がイラク戦争で掲げた大義のひとつが、民主主義だった。10年ほど前、民主主義の普遍性が明らかになり「歴史は終わった」という言説がはやったが、本当はいちいち多数決をとる民主主義ほど面倒なものはない。だれかひとり哲人がいて、まつりごとをしっかりやってくれれば、議会も選挙もなくてすむわけだから。ぼくらが生まれたときから国会議事堂があったし、国会議員もいたから、当たり前のように思っているけど、本来そんなもんいらんわけだ。変な独裁者が出てきたら困るから、仕方なく国会議員を雇っている。そういう見方をしてみると、払いすぎている税金の使い方についてももう少しシビアになるかもしれない。きょう、漫画家・故青木雄二の「僕が最後に言い残したかったこと」を読み、ふとそんなことを考えた。このいわば「遺書」のなかで青木雄二が最も言いたかったことは、「なにごとも原点に返れ」ということだったのではないかと思う。たとえば教育とはなんぞやと考えたとき、青木雄二は、大自然のなか、ひとりで生き抜かねばならない子どものチーターに狩りの方法を懸命に教える母親のチーターの姿こそその原点であるべきだと語っている。教育改革といって現在の受験や国数理社英をどうしようかと悩んでいてもちっとも前に進まない。ゼニについても、本来物々交換ですむのに貨幣が登場したため、人間たちは欲を出してもうけることに走り始めてしまった。ゼニなんて、なにかモノに変えない限りまったく価値がないし、もっと重要なことは何と交換するかということのはずなのだ。なにごともいま見えているものを当たり前と思わず、原点に立ち返って考えてみれば、もっと違う世界が見えてくるかもしれない。青木雄二さん、お疲れさま。そしてありがとう。ご冥福をお祈りします。
January 14, 2004
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山口県阿東町の採卵養鶏場の鶏から鳥インフルエンザのウイルスが検出されたという。養鶏場の鶏の17%にあたる約6000羽がすでに死に、県は一度出荷した卵約36万個を回収し始めた。ベトナムでは10人以上が感染死している恐ろしい病気だ。人がエイズを広め、牛がBSEに広め、ハクビシンが新型肺炎SARSを広め、コイがコイヘルペスを広め、次は鳥のインフルエンザである。これだけ社会がボーダレス化すると、被害を止めるのが難しい。もし医療が十分進んでいなければ、知らないうちに地球の生態系をおおいに狂わせていただろう。少し前、戦争好きなブッシュ米大統領をこきおろした「アホでマヌケなアメリカ白人」(マイケル・ムーア著)という本があった。そのなかでマイケル・ムーアは、自分の周りでは女の子が急に増えているとし、戦争好きな男どもを減らして平和をもたらすための人類の知恵(本能?)ではないかと述べていた。今回のたて続けの動物の病いも、人類を標的にした自然の「知恵」なのだろうか。
January 13, 2004
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ささいなクレームも処理を誤れば大きなしっぺ返しが待っている。「あんたみたいなのはお客様っていわないのっ」という暴言で有名になった4年前の東芝事件の発端は、ビデオデッキのノイズというごくありふれたクレームだった。機長殺害に至った全日空機のハイジャック事件(99年)だって、「空港ビルの安全性について警告したのに無視された」腹いせだったし、著作権協会のサーバーから個人情報が大量に持ち出された昨年末の被害も、情報の甘さについての忠告を無視したため実力行使に出られた結果だった。メーカーに相談してぶっきらぼうな対応をされることは少なくない。私自身も数年前、トヨタの新車が突然バックし、うち1度は衝突事故まで起こしたというのに、販売店は部品交換に応じただけで原因についていまだ説明してくれないのだ。メーカーの苦情対応はどうなっているのか疑問に思い、新聞広告で苦情処理100戦全勝と宣伝されている「社長を出せ!実録クレームとの死闘」(川田茂雄著)を読んだ。ユーザーが納得できる秘策ありや、と期待して読み進んだが、どう読んでも「ゴネた方が得」という結論しか出てこない。著者は、納得しないユーザーには高額商品でお見舞いし、「どう落とし前つけるんや」と脅されたら遠距離を手みやげを持って駆けつけるというが、結局、事なかれ主義じゃないか。ぼくら気の弱いユーザーは、電話で相談したら、さんざんたらい回しにされた挙げ句、「電池をプラス、マイナス反対に入れていませんか」などの幼稚な質問に答えさせられ、最後はどのみち、高い電車賃と時間を使って工場に持ち込んで高い修理代を支払わされるのがオチだ。おまけに、せっかく勇気を振り絞って相談しても、「初めてのケースですね」と言われ、三菱自動車のように、本来日本中で共有すべき欠陥情報を隠しでもされたらやってられないだろう。最近は、インターネットの普及で、家電製品の購入前にユーザーの意見が聞けるようになった。匿名性が強く、真偽のほどは分からないが、いままで泣き寝入りしていた人たちも発言し始めているようであり、喜ばしいことだ。
January 12, 2004
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1929年から始まった世界恐慌で、ふたつの学説がぶつかりあった。米国の経済学者フィッシャーは「不況は有害であるため、財政金融政策で解消をはからないといけない」と唱え、一方、オーストリアのシュンペーターは「不況は、非効率なものや老朽化したものを市場から追い出す有益なものだ」と反論した。当時はフィッシャー理論の完勝だったといわれる(「日本企業モラルハザード史」有森隆)。だが、バブル崩壊後の不況の処方としては、シュンペーター理論に軍配があがりそうだ。日本は景気対策として補正予算をどんどん組み、93年に一般会計が赤字に転落し、98年度は10兆円を超えた。だが、3年前に政権についた小泉首相は従来のフィッシャー理論と決別し、公共事業を3年連続減らし、03年度はそれまで恒例だった景気対策のための補正予算も6年ぶりに見送った。結果は、非効率なものや老朽化したものを市場から追い出し、日本経済を勝ち組と負け組に分けた。公共事業による下支えがないにもかかわらず、現在、3年前のITバブルを上回る景気回復につながっている。昨年9月の日本企業の中間決算をのぞいてみると、トヨタが5244億円の最高益をあげたのを筆頭に、液晶テレビが好調のシャープも最高益279億円を計上。鉄道の京王や京急、繊維のクラレ、浴室用床材がヒットしたTOTOなど業種を超えて、最高益が広がった。日経新聞によると、04年3月期決算でも上場1510社のうち約2割にあたる322社が最高益を見込んでいるという。負け組が多いため、ビジネス街では「この不況ですから」なんていう時候のあいさつがまだまだ交わされているが、勝ち組たちは確実に頬をゆるめ始めている。
January 8, 2004
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年の瀬、政府が新年度予算案をまとめた。総額82兆1109億円で、うち36兆5900億円を借金でまかなう。そうこうして来年度末には国の借金残高が600兆円を超えるそうだ。こんな大金を今後、どうやって返していけばいいのか。それには「取れるところから取る」という従来の発想を捨てて、「取れないところから取る」姿勢こそ必要ではないか。「日本アングラマネーの全貌」(門倉貴史著)によると、日本の地下経済は20兆円規模で、実にその7割が課税対象になっていないという。おまけに、この世界の住人たちはバブル期の借金11兆円分を踏み倒したままだ。銀行は中小企業のおやじに対しては高姿勢で借金を取り立てるくせに、闇勢力に対しては、銀行幹部が殺された93年以降、すっかり怖じ気づいてしまって手も足も出ない。日本はバブル後の10年で株と土地計1000兆円分を失ったといわれるが、原因はこうした闇勢力の債権回収が遅れたことが大きい。これからは地下経済にきちんと課税し、120兆円に及ぶといわれる隠し資産も洗い出していかねばならない。借金をこれ以上増やさないためにも、ここは国民全体で体を張っていこうじゃないか。
January 7, 2004
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アフガニスタンに新憲法がうまれた。大統領の権限をどこまで認めるか、パシュトゥー語を国語にするか公用語にするかなど、国を挙げて大いに論議された。日本の新聞は、その過程で民族対立が起きたことを取り上げているが、新国家が産声を上げようとしている興奮がとてもうらやましく思えてしまう。日本でも最近、憲法論議が盛んだ。自民党は改正手続きを定めた国民投票法案について、いよいよ議論に入る。民主党も06年までに改正案をまとめる予定だ。先日読んだ「憲法9条国民投票」(今井一著)のなかに印象深いコメントがあった。憲法とは「揺れつつもなお目指すべき方向を一貫して示し続ける」ものだというのだ。もちろん時代とともに齟齬をきたす面もあるが、その不整合を承知のうえで、あえて理想を大きく掲げることこそその役目だとしている。幸いなことに、憲法9条は十分拡大解釈が可能だ。マッカーサーがつくった9条案に「前項の目的を達するため」の一節を加えて幅をもたせたのは芦田均だった。おかげで自衛隊をイラクに派遣できるのだから、その先見の明に感謝しなければならない。さきのアフガンの憲法では、イスラム社会としては珍しく男女平等を掲げた。「イスラム法(シャリーア)に反する」などと男性議員の反発が強く、新聞各紙もその実現性に疑問を投げかけている。が、さきの著書に照らして言えば、その心意気こそ憲法の名にふさわしいと言えるだろう。
January 6, 2004
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あけましておめでとうございます。さて、新年祝賀のなか、小泉首相が元旦、靖国神社を「初詣で」した。中国は当然として、今回は韓国政府もえらく怒っている。米国の顔色をうかがう姿勢と比べれば、隣国への配慮が足りない印象はぬぐえない。小泉首相とて、靖国神社参拝の「公約」がこれほど物議をかもすとは思っていなかっただろう。公約を抽象的にすることにこだわった01年の自民党総裁選で、軍恩遺族会の票を目当てに明言したのが、この靖国参拝だった(「小泉純一郎最後の賭け」大下英治著)。嘘をつかないことが生命線の首相だけに軽率だった。挙げ句が、「口は一つしかないが、幸いにして耳は二つもっている」とはぐらかし、「初詣では伝統」と言い訳してあまりにみっともない。8月15日に参拝し、「どこが悪いのか」とはっきり言ってほしかった。そもそも、靖国参拝のどこが問題なのだろう。先人の犠牲のうえに現在の日本があるのは事実で、靖国神社ほど平和を願うにふさわしい場所はない。きょうNHKのドラマ「聖徳太子」を見た。倭の国が朝鮮半島の争いに巻き込まれそうになる中、「和をもって尊しとなす」を17条憲法の第1条に掲げた経緯が描かれている。一時の狂乱期をのぞき、その「反戦」精神が約1500年後の今日も、日本人の心に生き続けていると信じたい。
January 3, 2004
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