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仕事に疲れたな~と思うときこそ、工具の手入れを行います。ひとつひとつが必要に応じ手に入れてきた愛着のある工具ばかりですので、自分の身体の一部でもあるかもしれません。安物でない、また過剰に高いブランド物でない、手や作業対象にビシビシ吸い付いてガンガン使える工具って最高だな~と感じています。工具の手入れがキチンと出来ていないときって、仕事のクオリティも落ちているのでしょうね。
2006.11.30
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・自分が成長すること・お客様の役に立つこと・報酬をいただくことこの3つが欠けることなく、螺旋を描くこと。そう心がけたいものです。
2006.11.25
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田舎のゲリラマーケッターこと、島瀬武彦氏は極めて哲学的な人であります。柔らかく、それでいてウラとオモテの両面揃った言葉が次々に飛び出すのはまさに圧巻。思考に行き止まりがないように感じるのは、それが円を描いているからなのかもしれません。「仕事ってなんだろう?」そんなシンプルな質問に明確に答えられる、希少な存在であると感じています。尚、哲学的と表現しましたが、極めて実践的な人でもあります。念のため。
2006.11.24
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日曜日は、子どもの通っている小学校で学習発表会なるものがありました。4~5人程度のグループに分かれて、見学に来た親相手に教室のそれぞれの場所で、研究内容を発表するというものです。発表というものは、発表者と観衆との間で行われるものだと思っているのですが、発表を聞くというよりもビデオカメラで撮るのに熱心な親御さんが多く、驚きであります。発表の中でクイズを出されても、ビデオ撮るのにに夢中でそれどころではない人が多かったのが悲しいですね。自分自身としては積極的に答えたりして、楽しく場が盛り上がるように心がけました。あとでビデオを見るのも楽しいかもしれませんが、その場を楽しく共有できる関係の方が良いな~と思っているのです。
2006.11.20
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例えば無線LANや地中化電線のように、技術が進めばその存在は見えにくくなります。それがあって当たり前、でもどうやって《ある》のか判らない。しかも無くなったら猛烈に困ってしまう。まさしくユビキタス的。「神は遍在する」と言われても、見えない人には何のことやらサッパリ判りません…といった感じであります。例えば動物の肉を食べることについて。例えば汚水が処理されていることについて。例えば軍備で護られていることについて。イロイロなものが見えにくくなってしまって、それらへの畏怖と感謝の念を忘れがちになってしまっています。見えにくいこの時代だからこそ、しっかりとした考えを持って生きたいものですね。間違っても「煩悩を嫌って陰茎を切り取る如き愚かさ」にはなりたくないものです。
2006.11.17
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無線LANもネットワークケーブルもいらないLANのインフラとして期待される、PLC(電力線搬送通信)が実用化されるそうですね。どうも日頃から、電気の品質について高調波などのノイズに対応しているせいか、正弦波を乱すPLCについてはつい「大丈夫なの?」と思ってしまいます。あと勘違いしている人が多そうなのが、「電気会社からの電線に既にネットの信号が入っている」でしょう。実はその家の入口で混入させているだけだったりするのですが。きちんとした正弦波をとり出すには、全てのコンセントにPLCモデムが必要になるって事なのかなぁ。そして同じ系統の他の家への悪影響って、無いのでしょうか。無線LANの方が手軽でコストも安いと思うのですが…どうなんでしょう?
2006.11.15
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自殺の連鎖が止まらないようです。マスメディアにより悲劇の主人公として扱われる自殺者に、共感共鳴を覚える人が出ているのかもしれません。つまり自殺者は被害者としての側面を持ちながらも、周囲に多大なる絶望を与える加害者でもあるということなのでしょう。深淵をのぞくとき、深淵からものぞかれていることを忘れてはならないようです。もしそのような状況の人に「生きていてなにが楽しいの?」と問われたときに、口先だけでないゴリゴリとした図太い答えを出せる生き方を積み重ねておきたいものですね。自分や、自分の大切な人も含めて、いつ《そのような状況の人》になるやもしれないのですから。
2006.11.13
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ポジティブとネガティブの総量は、ゼロに近いのではないかと考えています。ここで「近い」としておいたのは、地球上に重力があるように無意識無行動であれば下に引っ張られる=ネガティブに傾くと想定してのことです。こんな風に考えていますので、一面的にポジティブであったり、明るく良いことばかり言われてたり、いわゆるその《影》の部分が伺えない人や物事って、実はかなりコワいな~と思ってしまうのです。自分自身、ネガティブだなと思っていることが多々ありますので、そのバランスをとるためにポジティブになっているところもあります。ポジティブなところで人に接しても楽しいですし、お互いに元気になれますので。一方ネガティブなところは、ある程度判りあえる大切な人にしか見せたくないな~とは思っています。それでもこぼれ落ちてしまうものでしょうけど。ポジティブとネガティブ、希望と欲望、勤勉と怠惰、そんなものを一切合切ひっくるめて、自分はどうしようもないほどに自分であるんでしょうね。
2006.11.12
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私が現在36歳で、上の子どもが9歳であります。このあいだ生まれたばかりと思っていたのですが、既に私の四分の一の年数を生きているということが驚きです。ここで9年を一つの区切りとして考えると、 0歳から 9歳 9歳から18歳18歳から27歳27歳から36歳となりますが、それぞれ9年後の世界はかなりの変化があったことが思い起こされます。3年後のことはなんとなく予想できても、9年後のことは…となると明確な意識をしない限り、予想することは難しいですよね。今と同じ9年後ってのも面白くなさそうですし、やっぱり9年後は楽しい変化がある方が良いと感じます。ちょうど上の子が巣立つかもしれない時期ですし。今迄はあまり先を意識することはなかったのですが、9年後の45歳という区切りを意識してイロイロやってみたいものですね。
2006.11.11
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失敗した時や、叱咤を受けた時、思うようにいかない時にヘコんでしまうことがあります。劣等感をバネにしてやっていることが多い割には、打たれ弱かったりするのです。こんな風だと「魔太郎」っぽい感じでイヤなので、ちょっと真剣に考えてみました。そこで気付いたのは、『カワイソウな俺様』という感情。自己憐憫と意識していた時には分かりにくかったのですが、この『カワイソウな俺様』のイメージだとハッキリと認識出来ます。『困ったワタクシ』『弱っているおいら』『死に物狂いの僕』なんかとは上手く付き合えそうですが、『カワイソウな俺様』だけは不要というか自分自身でも滑稽で笑えます。別にカワイソウでもなんでもないですしね。ピンチの時にこそ笑えるように、さよなら『カワイソウな俺様』なのです。
2006.11.08
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どうにもこうにも、情報整理がうまくいっておりません。そこで情報については、整理を破棄して「一冊のノートになんでもかんでも書いておく」を試みています。情報により整理したりとか、パソコンによる情報整理なんかも試しましたが、ことごとく失敗となっており、尚且つアタマの中にインデックスが作成されていない状況でした。よって、恥ずかしながら別個のファイルに記載していたことも「どこにいった?」というのが日常茶飯事だったのです。このような状況を改善すべく、「手で書くこと」「一冊のノートに書くこと」で続ける予定です。皆さんは、情報整理や仕事の手順を残す方法をどうやっていますか?よかったら是非教えてください!
2006.11.07
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「人は感情の生き物である」と認識できてからは、少しは人付き合いが楽になったような気がします。実は二十代の中盤までは、けっこう屁理屈で押し通すことも多かったのです。それでも認識していることと、自分が感情に捕われないということは大違いであり、また他人の感情にあてられないということはそれ以上に大変ですよね。では感情的になる時とそうでない時の境目ってどこにあるんでしょう?他人が感情的になっているのはたいへん判りやすいのですが、自分がそうなっていないか認識するのは結構難しいものです。コントロールまでいかなくても、その感情のシグナルをつかめるようになりたいものです。無感情ではなく、楽しく情熱的に感情をまき散らせれば良いですよね。
2006.11.01
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