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お義母さんの弟アルフレードにお願いして、再び移民局窓口へ 先週行ったときに必要と言われた書類と上申書(こういう理由ですぐに滞在許可書が必要ですという理由を書いた書類)を持って。 ここはフィレンツェのように大勢の外国人が押しかけるところではないので、来た順に通し番号と名前を(誰かが持ってきた)紙に書いて待つ 仕組み。 地理的にアフリカに近いからか、アフリカ人の多いこと。イタリア人の世話係()に付き添われて、団体で申請に来ています。 さて、待つこと1時間半。窓口にたどり着くと、「平日は忙しいから、土曜に来て。土曜なら申請者がいないからスグに出せるし。じゃぁ、今度の土曜、午前9時ね。」 仕事を休んで来た主人は、また出直しになって、かなりがっかりした様子。私は、「おいおい、閉庁日にアナタ仕事に来るんですか」と疑惑がモクモク。 人の良い主人は、「今度の土曜の9時に来ればすぐに出してくれるって言っていたのを聞いたろうだから窓口は開いているよ」 あぁ、私の滞在許可書はホントに出るのでしょうか~
2008年01月29日
“移民局” というところは、普通のイタリア人には用のないところ。だから、主人の家族親戚一同、 “どこにあるか” どころか、 “存在自体” 知らなかった代物。 だから、お義理母さんの弟の運転でシラクーサのクエストゥーラ(県警本部)にやっとたどり着いたものの、入口で 「滞在許可はオルティージャ島の移民局です。」 と言われ、またまた移動(ヴェネトでも体験済み)。 シラクーサの移民局は、 オルティージャ島の東海岸にあるcommissariato(交番)の建物の中。窓口は平日の11時まで開いているけれど、 滞在許可の申請は火・木のみ。 2つしかない窓口で事情を説明すると、 “2月に一時帰国する場合の再入国”がやはり問題になるとのこと。私のビザが2月19日で切れてしまうため。 結局、出発までに間に合うように、電子許可書ではなく、旧式の紙の許可書を出してもらえることに。ただし、 イタリア~日本の往復航空券のコピー を提出するのが条件。 イタリア→日本は 問題は日本→イタリア。先日ネットで予約した航空券の発券は2月下旬の予定。代金支払い後直ちに発券してもらえるように交渉しないと
2008年01月23日
に、 就学滞在許可のための召集&(イタリア人と結婚したので)滞在許可変更のための手続き をしに行ってきました。 普通は、一緒に手続きってないと思います。でも、 留学期間が4ヶ月と短期間 で、 その間に結婚 してしまったので、 就学滞在許可が出る前(というか召集が済む前)に変更申請 と相成ったわけです。 しかも、 フィレンツェからシチリアへ住所も変更 するため、状況は複雑。更に、 滞在許可が出るであろう前に日本へ帰国&イタリア再入国 となるので、更に更に・・・ さて、主人と一緒に7時半に移民局前に到着すると、すでに入場待ちの列。前回同様、待つこと約1時間。 「就学の滞在許可を申請したけれど、イタリア人と先月結婚した」と入口で言うと、2種類の番号札が 呼び出し順の早かった家族目的滞在許可窓口へ行くと、「シチリアに住むならウチじゃなくてシチリアの移民局へ行って。」就学目的滞在許可関係の提出(すべき)書類の処遇を訊くと、「インフォメーション窓口で訊いて。」 インフォメーション窓口よりも就学目的滞在許可窓口の方が早く順が来たので質問すると、「イタリア人と結婚した段階で家族目的滞在許可になるから、必要ない。でも、シチリアの移民局で説明するときにあったほうがいいから持っているように。」 前回同様、半日費やして、ほとんど進歩ありませんでした まぁ、イタリアですからこんなものでしょう。
2008年01月21日
日本への一時帰国は2月。イタリアへ戻るのは3月上旬の予定。 帰国には、日本で買った往復航空券の残りを使うとして、問題はイタリア行きの航空券。 片道航空券は割高らしいので、往復の安いものを買って復路破棄を検討。(往復航空券の復路破棄は、 事前に航空会社にその旨を連絡 しておけば、後日追加料金を請求されることもないようです。) そこで、ネットで検索してみると、往復も片道もあまり変わらない価格。超短い一時帰国期間中は、なるべく手間は省きたいところ。片道に決定。 一番安いのは、 中国の国営会社。燃油サーチャージ、保険、各種税を合わせても 7万円台。 乗ったことのある人の話では、 特に問題はない らしい。ただし、 予約したはず なのにできていなかったり、 予約の変更 に手間取ったり、そういうトラブルはあるみたい。 結局、オーストリア航空の片道チケットを 各種料金込10万円弱 で予約。クルマが売れれば、多分カバーできるでしょうから我慢です
2008年01月18日
早朝のこと。ちょっとしたことがきっかけで「なに怒っているんだよ」「怒ってなんかいないけど」の押し問答が勃発し、それが“今後どうするか”の長~い話し合いに発展。 主人は、例の青年との初仕事をキャンセルし、私たちは数時間に渡り延々と議論。 フィレンツェとメリッリに住む場合のそれぞれの問題点を挙げて行き、どちらがふたりにとって最良か決めることに。 出た結論は、やっぱりメリッリ。 フィレンツェは主人も気に入っているし、シチリアよりも仕事がある。でも、家賃を払うにはふたりで働かないといけない。第一、今の私たちには家賃と敷金を払うお金がもうありません。 メリッリは、主人の兄が同じ仕事をしているのですぐに働けるし、家賃もずっと安い(お姑さんと同居すればタダ)。問題は、お姑さんとの完全同居とシチリア弁。 お姑さんはいい人だけれど、完全同居となればお互いに気を遣うこともあるし、少しずつギャップが出てくると思う。家は、寝室と居間兼キッチンだけなので、専業主婦となれば足の悪いお姑さんと一日中居間で過ごすことに。それから、義理の妹の子供たち(可愛くて良い子たちだけど、手に負えない)の相手も。 一人っ子(→婿取り)として育ち、大家族の中に嫁として入って行くことを想像だにしていなかったものだから、この環境に慣れるには時間と覚悟が。 そしてシチリア弁。私と話をするときはイタリア語を使ってくれる彼らも、仲間内で話すときはシチリア弁。このシチリア弁、イタリア人でも分からないという人がいるくらいで、外国人の私には別の外国語に聞こえます。食事時の会話はもちろんシチリア弁なので、一人だけ取り残される状態。 自分でどんどん話題を提供して会話をリードして行けば、イタリア語率が高くなると思うけど、そこまでのイタリア語力&地元情報を手にするには、まだまだ時間が。 しかも、メリッリには日本人どころか中国人さえいないのよ~ で、主人の提案。どこかに家を借りる、2~300ユーロくらいで。家でインターネットができるようにしてくれる。それから、学校の先生をしている誰かにお願いして、シチリア弁をタダでレクチャーしてもらう。 まぁ、こんなところでしょうか。人生いろいろです。 イタリア人と結婚してイタリア在住を希望するみなさん、住みたい町に生活の本拠がある方とお付き合いすることをオススメします
2008年01月16日
週明けから、イエローページを頼りに建設会社に電話をかけまくっている主人。面接のために、バスに乗って慣れない街を行ったり来たり。 でも、返ってくる返事は「仕事はあるんだけれど、この天気だからあと1週間は無理だね。」ばかり。 少年の頃からお父さんと仕事をしていて、夏とクリスマスの休暇以外は働いていた主人にとって、何もしない(できない)で家にいなければいけないというのはかなりの苦痛みたい。 しかも、21日以降の家がないので、一家の大黒柱としては家賃確保のためにも早く働きたいし、妻のヒモみたいな生活は格好悪いと感じている模様。(イタリア男はプライド高いですからね~) すったもんだの挙句、ちょっと危なっかしい言動をする青年の会社で1日働いてみることに決定。話が合えば、そこで働いて、そのうちもっと良いところを探す腹づもりらしい。 そして、家。フランコつての家はチェントロにあって便利。私たちの事情を知って、敷金は家賃1月分でいいと言ってくれています。でも、無収入&貯金極少のふたりにとって、700ユーロは高嶺の花。 郊外で誰かとシェアするタイプの家を探してみることに。というわけで、また、告知サイトに投稿する予定。変な人に当たらないといいけれど・・・
2008年01月15日
今日で研修は終了。本当は2月9日までの予定だったのが、結婚してシチリアへ行くことになったという理由で1月下旬までの予定に変更になり、更に、主人が失業してシチリアへ帰るのが早まったという理由で再度短縮して今日まで。 最終日だけれど、特に感慨深いものはナシ。早く終了したくて仕方なかったのが本音だし、従業員も皆さっぱりしていたから。 そして何よりも、「やっぱりフィレンツェで働く」と考えを(いつの間にか)変えた主人の仕事探しの行方が気になって。 Nencioniで10月から研修したけれど、ピッツァとパニーニとサラティーニばかり。研修時間の残り2時間くらいは菓子職人がいる作業場に行けたけれど、そこではクロワッサン作り。 オーナーのシニョーラはヒステリー症で、激高すると手近にあるものを投げるし、とにかく私を含めた外国人女性は皆、シニョーラが機嫌を損ねて怒鳴りださないか、びくびくしながら(顔色を伺いながら)仕事をしている感じ。 イタリア語がペラペラでなく、製菓学校を出ていないから手際が良くない、そんな私がいけないんですが・・・。 いつか機会があればパスティッチェリーアで働きたいけれど、多分、ピッツァとパニーニとサラティーニ担当になるんだろうな~。この経験しかないし
2008年01月14日
主人に助言を求められて困り切った末に、アレッサンドラ宅近くに住む例の国際カップルにSOS B&Bを経営しているから、ムラトーレの情報を持っている可能性もあるし、フィレンツェで苦労しながら頑張っているという点では何がしかのアドバイスがもらえるかもと期待して。 フランコはちょっと強引なところがあるけれど、南の出身で気前が良い人。何人かの知り合いに電話してくれたり、一緒にアパートを見に行ってくれたり(彼曰く、「住まないことには仕事は見つからない。数日で見つかるなんて考えが甘い」)、更に更に、いろいろと親身にアドバイスしてくれました。 二人とも苦労人なので、うちの主人に喝を入れてくれたかっこう。イタリア人にしては気弱な主人、二人の目には「大丈夫かいな」と映ったようです。 この後、先週泊まっていたホテルのシニョーラのところへも。 残念ながら情報はなかったけれど、「ユーロになってからは景気が悪くて困っている。」という認識では主人と話が合って、意気投合 彼らの会話で、どうして主人の仕事が急になくなったか、詳しい理由が判明。会社が設備投資をし過ぎて、しかも今月から銀行の貸出金利がアップして、資金繰りが悪くなってしまったのでした。 ともかく、ちょっとずつ、知り合いを増やしつつ、小まめに情報を集めて、頑張るしかありません。
2008年01月13日
帰宅して部屋の整理を済ませ、ふう~と一息ついているところに主人から電話。 「いまどこにいると思うフィレンツェなんだよぉ」 ヴェネトを引き払ってシチリアに戻る途中、私に会いに来ることにはなっていたけれど、それは明日の予定だったはず・・・。 アパートの大家さんは別のところに住んでいるし、同居のスイス人の女の子は「私のスイスの彼も週末に泊まっているから平気よ。」と言っているので、とりあえず私のアパートに内緒で滞在。 驚いたことに、「フィレンツェで仕事を探すことにしたよ。でも、この数日で見つからなかったら、あきらめてシチリアに帰るけどね。」と発言。シチリアに二人で帰ることに決まっていたはずなのに・・・(帰りづらい何かがある様子) 主人は突然の失業(しかもお金が必要なときに)にかなり動揺していて、「どうしたらいいか分からない。何か助言してくれないか。」と。 日本だったら、「ハローワークに行きなよ。」と言えるけど、ここでは外国人の私、情けないことに、どうしたらいいか私も分かりません。かな~り少ない“ツテ”を頼りに、頑張るしかありません そんなわけで、“フィレンツェ自由時間”は、主人の仕事探しの手伝いに消えることになりました。あぁ~
2008年01月11日
Mさんの家に荷物を取りに行っているとき、主人からかな~り暗い声の電話が。 なんと、 今月いっぱい仕事がない のだとか。 主人は、ヴェネト州でmuratore(左官屋)をしています。いちおう某会社に雇われているのですが、給料は 時給制。だから、天気が悪くて仕事が休みになってしまうと収入減に。 この時期のヴェネトは寒さによる凍結や降雪で仕事が少ない時期。でも、まさか1ヶ月も仕事がないなんて想定外 結婚でお金が出て行ってしまった私たちは経済的に厳しく、なんとか主人に頑張ってもらうしかないのですが・・・(私は無給ですし)。 「収入ナシ、生活費要」は耐えられず、仕方なく、主人は一足先にシチリアに帰ることに。 新婚早々に別居なうえに、収入ゼロって、アンラッキー 私の星回りの悪さが主人に伝染してしまったのかしら
2008年01月09日
語学学校に頼み込んで、どうにかNencioni近くのアパートが見つかりました。 大家さんは、40代後半くらいのシニョーラ。ちょっと若作りな、感じの良い人。もう一人の入居者の女の子には会えなかったけど、スイス人なので真面目な人でしょう。 部屋は思った以上に広くてキレイ。13泊光熱費込みで310ユーロはか・な・り割高だけど、我慢です いま泊まっているホテルのシニョーラは、ご主人を亡くしてからひとりでホテルを切り盛りしています。 イタリア語がペラペラでない私相手に、いろいろと(ほどほどに)語ってくれました。 最近は、ネット予約の波がイタリアにも押し寄せて飛び込みの宿泊客が激減し、さらにアグリツーリズモやB&Bが増えて客を取られてと、なかなか大変なよう。 安宿だけに、変な(お行儀の悪い)宿泊客も多いみたい。酔っ払ってイギリス人墓地を掘り返して、カラビニエーリと一緒に帰ってきたアメリカ人とか シニョーラには息子さんが二人いて、一人はプラートで不動産会社勤務。もう一人は、フィレンツェ市内で浄水器(待合室とかにある“ご自由にお飲みください”という水)の営業マン。 営業マンの方の息子さんは、お昼を食べに来たついでにお手伝い。でも、仕事をやめてまで手伝う覚悟はまだないみたい。 生活して行くって、どこの国でも大変なんだな~と思います。
2008年01月08日
やっとフィレンツェに戻りました 重い荷物を持って、予約した経済的ホテルにチェックイン。経営者のシニョーラは、60代半ばのフィレンツェ人。とってもいい人。 荷物を預かってもらっているKさんに連絡を取ると、なんと 全ての荷物を持って家を出た後。作業着だけ取って、後はアパートが決まってからと思っていたので大焦り 重い荷物を持って戻ってもらうのは悪いので、別の日本人友人Mさんに電話して預かってもらうことに。イタリアでは迷惑かけっぱなしの私です さてさて、フィレンツェに戻って改めて、 フィレンツェの快適さ を感じています。 公共交通機関が発達 しているし、 お店(特にインターネットとか)がいっぱい あるし、なんといっても 自力で行動できる メリッリは、主人曰く “家族に守られて安心” ではあるけれど、 いろんな“ツール” を持ち合わせていないので、独力ではしたいこともなかなかできない。 例えば、インターネットをしたいなと思ったら、隣町まで行かないといけないけど、クルマでないと無理。だから、誰かに「乗せて行って」とお願いしないといけないのです。仮に行けても、日本語読み書きは不可能だし、価格も割高(フィレンツェの物価は高いけど、競争があるので割安) あ~、トスカーナ、トスカーナに住みたい
2008年01月06日
私の滞在許可変更の手続きについては、年末にフィレンツェのクエストゥーラで確認済み。 それでも、主人が自分の耳で確認したがって(あわよくば全ての処理をここで済ませようと目論んで)、しがない村のある県庁所在地ロヴィーゴのクエストゥーラへ。 フィレンツェの移民局の窓口が18あるのに対して、こちらの窓口はたった3つ。しかも、来た順に適当に並んでOK。フィレンツェって都会だったんだなぁと再認識。 主人が窓口の担当官に質問すると、彼女は 「あら、違法滞在者」。どうやら私を中国人と間違えた模様。こちらの人たちには東洋人を見分けるのがとても難しいですからね。 いくつかの書類を提示して事情を説明したところ、フィレンツェで指示されたのと同じ回答が返ってきました。 まず、 フィレンツェで手続きをしてから、シチリアのクエストゥーラへ行く ことになります。 帰り道、インターネットポイントでフィレンツェのホテルを予約。日曜から3泊で計90ユーロ。その後は、語学学校に頼んで部屋を斡旋してもらう予定。出費が痛いけれどしかたありません。 幸い、研修先のオーナーは、「来れる日が決まったら連絡しなさい。」という感じ。えらく怒りっぽいけれど、太っ腹なおばさまです。そういう意味では助かった
2008年01月04日
フォルリ行きの飛行機は、朝の6:40 に出発する予定。家族皆で早起きして5時半に家を出て空港に着くと、案の定30分の遅れ。 そのうち、出発ゲートも変更になり、結局出発したのは 9時少し前。定刻ならフォルリに着いている時間です。 待つことには慣れていると言われているイタリア人が、いらいらして怒鳴っているのですから、イタリアでも普通ではないのでしょう。 そんなわけで、ヴェネトのしがない村に着いたのは 午後2時半すぎ。その間に 雪が降り出し、小雪が舞うなか主人のアパートに戻りました。 それにしても、私たちは “悪天候をもたらすカップル” のようです。シチリアに着いてからはずっと雨だし、ヴェネトに戻ってからは雪ですからね~。
2008年01月03日
シチリアに来てから悪天候が続いていたのが、今日はやっと晴れてくれました。 そして、オルネッラ夫婦と一緒にやっとやっとシラクーサへ ポルト・グランデ近くにクルマをとめてドゥオーモ広場へ。そぞろ歩きしながら、Nさんのお店La Cambusaのある通りへ。 ・・・が、なんと 閉店 しているではありませんか 「カブール通りにそのうち移転します」 という張り紙があるものの・・・ どうりで、お店に電話しても別の一般家庭の家にかかってしまったわけです。でも、ケータイはつながってもいいはずですがねぇ・・・ それにしても、フィレンツェで最後に彼女のブログにアクセスしたときは、移転する様子全然なかったのに、一体どうしたのでしょう もしや、マフィアに誘拐された・・・
2008年01月01日
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