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恥ずかしい訳ではないがちょっとだけ恥ずかしいことに、中学1年生の4月から9月まで、鉄道にはまっていた。大阪駅どころか、東京や上野まで出掛けたものである。勿論、夜行鈍行でである。 ふと、気がつくと、世の中、いろんな趣味があるものだが、なかなか鉄道ファンの女性というのは見かけない。パチパチカメラを撮って電車を追いかけていた頃、女性や女の子の姿を見たことはなかった。列車にゆっくり揺られて旅をするのは好きな女性はいても、その列車自体に興味のある人はなかなかいないように感じる。どうもおたくっぽいイメージだ、鉄道好きは。 車は違う。車好きの女性はワンサといる。飛行機はどうだろう。それを仕事にしたり、飛行機に乗って遠くに行くのが好きというのは、女性の方が多いような気がするが・・・ 車は、自分のパワーの延長であり、外に向かって開かれている。しかし、列車は、乗らされるだけで、ひたすらうちに向かっているからであろうか。 最近では、女性乗務員や女性駅員を見ることも多くなったが、そういえば、中国では男女平等なので、大型バスを運転する150センチにも満たない女性を見て、ひやひやした覚えがある。 車掌も女性であり、運転席の後ろの乗客の席に座っており、乗客は彼女の所までいって切符を買う。彼女は、つまらなさそうに、また客がきやがってという顔をして、ヒマワリの種を飛ばしながら、「ァアー、また乗ってきやがったのか」と多分思いながら、自分では切符を取りに行くこともせず、はよ切符買いにこんかいやとガンを飛ばす。 何だか、今となっては懐かしいことである。 りんご泥棒で毎年莫大な被害。
2005.10.31
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インドのニューデリー駅前でもテロが起きた。駅前のパハルガンジといえば、安宿も密集しており、かつては、私も宿投していた。夜中に着いて、泊った宿の主が包み隠さないオカマで、いろいろ触ってくるのでうっとうしいなあ、ということを思い出した。 インドやアラブでは男同士手をつないで歩く習慣がみられるが、あれだけ女性が隠される地域では、相当数、性の方向を転向してしまった男達がいるのではないかと推測される。 それにしても、関係ないが、インドのケネディ家といえば、ガンジー家である。マハトマ、インディラ、ラジブと3人の首相(マハトマは首相じゃないけど)が半ばで暗殺されている物騒な国でもある。 歩いていると、あしながおじさん募金が街頭で行われていた。最近、本当にそれが、募金されているのか、分からないので、街頭募金はしないが、よく考えたら、街頭では1度もしたことがなかった。 学生の頃、原理研がカンボジア難民募集の箱を持ってよく信号の近くに立っていた。すごくみすぼらしい顔つきをして。私は「カンボジアに行ったことがあるのか」と聞いてみると「ある」というどこに行ったか聞けば、プノンペンだという。3,4人に聞いてみたが、同じ返事であった。当時、カンボジアに入国することはできなかったのに、嘘つく野郎達だと思ったものであった。 そういうワタシも、ボーイスカウトで赤い羽根募金をしたことがあり、かなりの金額を集めたつもりで、喜んで母に報告をしたが、母は馬鹿にするように「寄付してもらったお金より羽代のほうが高かった」と言った。 さらに歩いていくと、3人連続で、障害者とすれ違った。日本では、まだまだ障害者が隠されている社会であろう。そういえば、ベトナムのどくちゃんべとちゃんがアメリカではなく日本(神戸市西区の)病院に来たのは、相当数日本にそういった人たちが多いからだという。 さらに、歩いていると、先日の日記で織田信長に黒人の家来がいたと書いたけれども、考えれば、当時は男色はアタリマエ、殿の横にいた刀持ちの少年は、将軍の玩具であったというほどであるから、もしかして、織田信長も珍しい人種で遊んだのではないだろうかとフト思った。そういえば、フランシスコザビエルが日本に来て、いろいろワンダフルを連発したが(あ、彼はバスク人だった・・英語の筈ないか・・・)、まず、布教にあたって、男色が多すぎる光景を見て、ソレをやめましょうと説いて回ったんだよなあ、と思い出した。 歩いて、そのまま生協に行く。灘生協は、全国で最も規模の大きい生協(コープ)であり、私の住む所が本拠地であり、無茶苦茶繁盛している。決して安くはないのだが、神戸大阪両方面2駅ぐらいからも買い物に来る。非常に特徴のある品揃えである。野菜には生産者名と農薬使用回数が明記してあるので安心して購入できるという按配にはなっているようであるが、その分、割高なのだ。その他の食品も、安全に気を配ったものが多いので、添加物などに気を使う人がを利用しているようだ。ただし、農協の出荷状況に大きく依存するので、ほしい野菜が手に入らないこともある。 しかし、高くても、生協ブランドには相当の実力がある。東京あたりでは生協は不振のようだが、発祥の地神戸の神戸・灘生協だけで、百万人以上の会員がいるらしい。したがって、生協ブランドの製品は、量産効果からかブランド品としては意外に安いのかもしれない。私は、近いという最大の理由から利用しているに過ぎないのだが。まあ、生協というのは、共産党のようなものだ。実際、規模第2位の札幌生協は、共産党との関係が非常に強いと聞く。しかし、私は、そういうこと関係無しに、野沢菜と、惣菜と、チーズを購入した。 このビルの3階にはいや、4階には本屋ジュンク堂も入っており、また意味なく本を7冊買ってしまったが、多分半分は頑張って読むであろう。何とか処分もしつつであるが、年間100冊以上の本が溜まっていく現象を、私は、黙って見ているに過ぎないのである。「アビエーター」を借りてきて見た。ハワードヒューズは大西洋を初横断したリンドバーグが設立したTWAを買収し、その後売却しているが、このトランスワールド航空、この伝統ある航空会社、今はもうない。2001年、アメリカン航空に買収された。そうだよなパンナムもないんだよなあ。これも1985年、ユナイテッド航空に身売りされている。ニューヨークの有名なパンナムビルは今は、保険会社メットライフのビルになっている。91年か2年頃に行った時には、まだパンナム看板かかってたんだけどなあ。このビルの床面積はペンタゴンについで世界2番目だというが、いまはどうだか。 1986年、韓国のソウルで暇だったので、映画を見に行った。チャックノリスの「デルタフォース」を見に行った。アメリカは世界一だぜという映画で、無事人質の乗客が乗っている飛行機がTWAで、無事を祝って皆で乾杯しているビールがバドワイザーであった。それにしても、映画が始まる前に国家掲揚で、全員起立しなければならないところが少々鬱陶しかった。 チャックノリスをみながら、どこかでみたことがある俳優だなと思っていたら、ブルースリーの『ドラゴンへの道』(1972)でローマのコロッセウムで、最終的には無残な敗北を喫したものの、最初は優勢のうちにブルース・リーをダウンさせた俳優であり、胸がもじゃもじゃ男であり、悲しいことに、ブルースに胸毛を抜かれ、それを吹き捨てられるという世界でただ1人の幸運な男であったのであった。かっくいい~。
2005.10.31
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一晩中、砂漠の一本道を鉄道は走り、朝にジョードプルに着いた。 駅には、極菜色のサリー姿が幻想的である。服の輪郭が、朝焼けに照らされてぼやけている。手や首に巻きついたリングが美しい。インドでは、どこでだって、朝は掘っ立て小屋で1杯のチャイから始まり、朝の営みを眺めることから始まる。 どこまでいっても、時間はのんびり流れる。砂漠の灼熱の時間まであと、数分、今は肌寒いぐらいだ。次のデリー行きまでの列車まで、12時間待ち。 泊りではないが、100円程度の部屋を1室とった。3階のバルコニーから人通りを見ていると、結婚式の行列が始まった。国際結婚華やかであるが、ヒンドゥー教徒と他の宗教の者と結婚することはまずないし、まだまだ、自由恋愛はなく、結婚式当日初めて二人が顔合わせということが多いようだ。国際的な仕事をしているビジネスエリートだって例外ではない。 踊りながら、道行く行列の人々が、面白がって写真を撮っている私を見つけ、こっち来いこっち来いと手招きし、私は降りていく。そして、写真班のカメラと、私のニコンの一眼レフを見比べて、オマエもこの写真班の横についてバンバン写真を撮ってくれと、何故か俄か写真班に組み込まれ、一番いい席を確保したのであった。 その後、まだ時間があったので、冷房を楽しむ為、映画館に行った。映画は長く、途中休憩があり、例によってインド人に囲まれ「インド映画は最高だ」を大声で主張された。インドは世界一映画を量産している映画大国であり、一本の映画にアクション、ラブ、コメディなどが網羅されており、すべてが凝縮されていなければインド人も満足しない。そして、辛い現実を忘れられる貴重な夢の時間帯なのである。
2005.10.30
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映画「ブラックレイン」の工場シーンがあったが、こういう写真の感じであった。実際はあれは、大阪市大正区での撮影であったが、これは堺は浜寺近くの画像であり、高速道路で空港に行く途中で見られ、見ると、いつもワクワクしてしまうのは、近未来のイメージがあるからなのだろうか。 海外旅行といえば、先日、私は、大変親孝行でしかないので、母親に、ハワイ旅行などをプレゼントしてやるといった清水の舞台から飛び降りる覚悟で提案したのだが、「ハワイは興味ないわ」と言われ、計画は敢え無く挫折したどころか、イギリスに住む妹経由で伝えてもらったので(インターネット、メールってすごいね)、俄然、妹が悪の触手を伸ばし、私が代わりに行くわと意味不明魑魅魍魎叱咤激励罵詈雑言言語道断の言葉を発している。 さすが、女同士、私と親はたかだか20キロ程度しか離れていないのにほとんど連絡もしないのであるが、妹は、12000キロ離れているというのに、空間を越えて、1回0.1円程度で、メールで会話し続けているのである。私など、仕事で、隣の人にさえ、メールしたりなんかして、おまえ、話せよ、と呆れられる次第なのである。他の人に聞かれたら困るからメールしてるんだぜ。 では、60を越えた母がハワイに興味がないのは、仕方ないとして、それはともかく、昨年、大学山岳協議会OB総会のようなもので、世界の秘境談義になった時、ある40代後半のオヤジが、秘境云々言い出すので、私の同級生は「もう秘境なんかないですよ、トイモイの母なんか60歳越えてて、チョモランマ(エベレスト)のベースキャンプまでトレッキングしている時代ですよ」といい、飲み会の雰囲気を盛り下げてくれた。 数年前から、沢登りに凝っている母をそろそろ止めて欲しいと、少し切に願う不健康な私であった。 どこか海外の山にでも連れて行ってあげるしかないのであろうか。母はモンブランやアイガーは行ったので、ボルネオの東南アジアで一番高いキナバル山かキリマンジャロくらいか・・・なんて、私は親孝行なんだろう。え?それより毎月お金入れたれやって。私の家計もファイヤーリキシャーなんだ。
2005.10.29
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私は大阪人ではないので、言い訳させて頂くと、海外や関西外から知人が出てきたとき、一体、大阪のどこに連れて行ってあげればよいであろうか、割と迷うのである。ましてや、神戸ともなると、神戸人なので、ちっともどこを案内すればよいのか検討もつかない。異人館はいったことないが、前は通って飲みに行ったことはある。港には行ったことがあるが、遊覧船には乗らず飲みにいったことならある。六甲山に行ったことはあるが、飲酒運転して帰ったことしかない。大阪城には、案内して私も初めて行ったし、通天閣も案内したときには2回目である。しかし、空中庭園には7,8回は案内しているという按配である。大阪が一望でき、大阪すべてを案内した自己満足に陥るからだ。かつて、インドのピンクシティ、ジョードプルでは、3日間1日3ルピー及び飯だけで案内するという特異なリキシャーマンがいて、案内を頼んだ。さあおまえはどこにいきたい、といいつつ、3箇所ぐらい回ったら、これでジョードプルはすべて終了であるどうするといわれた。3ルピーとは当時でも破格の安さであった。 しかし、飯、無茶苦茶に食われた。(といってもお代わり自由のターリー5ルピーぐらいであったが。)
2005.10.28
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何か知らないけれど、夜中になったというのにまだお腹がいっぱいのままで、そちらに消化活動に神経がいってぼーっとしているので、呟くだけで今日は終わり。 小泉首相が先日、靖国を中途半端に参拝したが、彼は、焦っているのであろう。ここ何十年も日本は韓国や中国に対して経済的にかなり有利な立場に立っていたので、参拝などして、それらの国々に批判されたところで、はっきりいって何てことなかったはずである。はずであるにも関わらず、過去の首相達は参拝してこなかったし、ナチソネ元首相のように、言われてすぐ取りやめしたりしていた。そんなことで、外野からワーワー言われるのは鬱陶しいからであろう。お金持ちは余裕があるので、不要な喧嘩はしないものである。 しかし、貿易相手としても、それぞれの国の企業にしても、国際競争力をもってきて、日本の脅威になっている今、小泉首相は焦っているのであろう。わざと国益に反するようなことをして意地を張っている。 経済封鎖してやると、脅せる国はもう北朝鮮ぐらいしかなくなってしまった。国賊と言われても仕方ないのである。 トラピストで祈りな。 実は、家の近く(西宮の山奥)にもトラピストかトラピスチヌの修道院はあるのである。うーん、そんなに食べてないのにお腹いっぱいで困っているのである。
2005.10.27
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どこでもペタリと座る若者が増えてから久しいが、かなり足腰が弱まっているのであろう。座るのは勝手だが、満員電車や、人通りの激しい所で邪魔になるような所で座っていると、蹴り上げたい衝動に駆られる、が、私は、一応、紳士でもあるので、しなやかにかわしていく。 時々、暴走族が、車で暴走して、どこかに突っ込んで死んだとかいうニュースを見ると、私は、紳士なので、とてもすっきりする、というか、ざまあみろと、心大きく思う。スピードは快楽であるのは、私も紳士なので、分かるが、爆音や蛇行運転は、私が紳士ゆえか、殺意をもよおしてしまう。 それでも、最近、暴走行為は減らなくても、暴走族は減っているそうなのである。族の規律や、優劣、階級が堅苦しくて、縛られるのが嫌な若者が増えたかららしいのである。 これでは、有事に軍隊を組織してもへなちょこであろうし、どこにもレジスタンスなど生まれそうにない。なにごとも力がなく、いいなりになり、右翼以上に右傾化して、右翼の主張は滑っている。 そういえば、前にも書いたが、日本は、欧米のまねをしてきたが、これは近年のことではなく、昔から、朝鮮や中国のマネをしてきて、何でもありがたがって輸入してきたのだが、纏足と阿片だけは文化輸入してこなかった。当時、日本は、大国清が阿片漬けになり、欧米にけちょんけちょんにやられたのを見て、ああはなるまいと、阿片を専売制にしたり、大いに働きかけがあったのだが、よくいわれるように、昼寝の習慣のないこと、生真面目?な日本人気質というのと、貧乏暇なしというのがあって阿片にはそぐわなかったのでろう。 やっぱり日本人には、特攻隊に使用されたアッパー(アンフェタミン)系のヒロポンが気質にあっていたのであろうか。 でも、最近のだらだらぶりをみると、日本ももうダウン(メタンフェタミン)系がぴったりになってしまうのだろうかと憂国するのであった。
2005.10.26
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風任さんの日記に触発されて、何だか、思い出した。 私も風任さんと同じく、Y君とはチベットのラサで知り合った。数人の日本人が集まり(変なゲルマン人,ヘンゲル君もいたが)最初に去って行ったのが、風任さんともうひとりの芸術家の女性であった。最後に、彼女らに、中国語で、並んで歌を歌ってもらった。「ウラアラーウラアラー」っていうところだけ憶えてます。何て歌なんですか? そして、「いつか旅人はパッキングする時が来るんですねえ」とY君は名言を残し去っていった。その年に国境が開いたクジュラブ峠を越え、パキスタンに入り、長寿の国といわれたフンザを越え、ヨーロッパに向かうと。 結局、私はバスの関係もあり、最後までラサに残り、そしてネパールに向かった。 それから確か、1ヵ月後から2ヵ月後、私は、パキスタンにいて、イランを目差していた。イランへの窓口となるクエッタに向かう列車の中、ちょうど、モヘンジョダロ近くの駅で、列車からふと外を見ると、なんと、Y君が駅でチャイをしばいているではないか。 彼は何故か1等車に乗っており、早速お伺いした。そして、一緒にイラン、トルコへと抜け、トルコのエルズルムという町のバス停で別れたのであった。 彼と歩いた、イラン、イスファンの王のモスクの裏路地。 トルコの夜行バスの中、一晩中、我々は話をした。おしゃべりじゃないんだけど、何故か、いつまでもしゃべっていたのが不思議だった。かっこうよくいえば、私の尊敬する藤原新也先生と宮内勝典先生 がインドで会った情景のようだ。何十年も後に二人は対談しており、あの時二人は無口だったよね、といい、何故インドに来たかの理由に、そこに土があるから、と答えたんだよね、としびれる対談であった。まあ、我々はそんなに格好よくないが、そのバスの中での話を一つ思い出した。彼は、W大学在学中で、サンプラザ中野と、デーモン小暮は、売れる前から大学では有名人だったという。 早慶戦で、試合の合間に大観衆の中、デーモンが球場に乱入してギャグをかましたという。「右翼の人には危ないですが、天皇(昭和)は、実は、、、、、ジャミラだった!」といって肩をすぼめたという。会場は大うけしたらしい。 その後、働き始めてからも、中野の彼の家にはよく遊びに行き、一度は大阪にも来てくれたりしたが、やがて彼はまた旅立っていった。 ほんとうに旅立っていってしまった。もうあれから10年になる。 チベット高原。
2005.10.25
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私が函館に行ってきたのは、このバーチャルな小さな世界では、周知の事実である。ところで、札幌あたりでは見かけるのかもしれないが、鈴木宗男議員の影はなかった。外国メディアによると、彼の疑惑で逮捕、落選してから北方領土問題をロシアに有利に運ばせることになってしまったという。 そういえば、彼には、黒人のSPを雇っていたが、あれは、織田信長の真似をしていたのであろうか。 確か、織田信長は、ポルトガル人が連れてきた奴隷の黒人を珍しがり、いろんな宝物と一緒に献上してもらったのであった。彼はいつも彼(ヤスケ)を身近に置いていたようである。本能寺の変の時には、すでに弟に黒人をあげた後であったので、一応捕らえられたが情状酌量されたようである。その後の消息は不明だ。 実は、アメリカ合州国に初めて行った時の第一歩で不思議と驚いたのが、空港で制服を着て働く黒人の姿であった。何故驚いたのかよく分からないが、働く黒人を見たことがなかったからか。勿論、今は全然驚かない。その前に、初めて黒人を見た時に、手の平だけがピンクなのに驚いた記憶がある。 そういえば、アメリカの黒人では、奴隷時代から厳しい労働の中で生き残った子孫であるから、強いのだと教育されているというが本当なのか。関西空港は2期工事に入っている。しかし、沈下は免れず、かといってハブ空港として、ソウルの仁川空港や香港、シンガポールに差をつけられるのも大変だ。土建屋と漁師を儲けさせている。 左に見える人工島が神戸ポートピアがあったポートアイランド、その先に神戸空港も来年開港を目差してヤカラしている。関空を出てすぐだ。空路(アエウエイ)もだぶっている。伊丹空港もあるのだから、こんな近くに3つも空港が出来てえらいことである。心配である。 大阪一望
2005.10.24
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何でもいいけど、2週間前の旅行では大便を何度もしたのに、今回は糞詰まりしたが、昨晩から4回もしたということを、こそっと全世界に報告しておこうと思った。そうねぶたは語りき。ロンドンや香港にもマダムタッソー蝋人形館はあるが、アムステルダムにもあり、暇なので行ったことがある。ありとあらゆる有名人の蝋人形を見て、頭トロトロしているときに、ふと、窓があり、ダム広場や旧証券取引所、そしてオランダ独特の建物が見え、何故か、少し現実に戻りほっとした記憶がある。 何を願うのか、旅行バッチをこの人形につけるパックツアーの人々、何の願いを託すのか。余は、ジンギスカンキャラメルなど食べたくない。 朕は地獄行を希望しないと思います。学習院大学は、ソレ系の方々が多く通っており、当時、いろんなエピソードを聞いたことがある。その一つとして、とある今度日本で次回一番偉く方を何とか締め上げたい輩がいたそうだが、いつもSPがいてなかなか声をかけることもできないが、あるとき、一人トイレに入ったらしく、SPが付いて来なかったので、トイレに入り,そのお方の頭を叩いたそうである。するとそのお方は、「痛いと思います」といったそうである。何を隠そう、去年まで「きりたんぽ」という食べ物を知らなかった。もともとこれは、またぎの考え出した保存食であったらしい。真冬に何日も山に入ると、握り飯もガチガチに凍ってしまうので、こういうのが発明されたそうである。たんぽとは、刀を刺す部分のことで、それを切ったような感じなので、後年そう呼ばれるようになったそうである。終わり。 嘘ばっかりついてすみません。 飴を買いました。お祈りします。 下北半島に沈む夕日。恐山に今度は行くつもり。学生の頃、魔女と呼ばれていた悪魔とヘビメタ好きのお祭女の友達がいた(今は、無事結婚し、子供も産まれたが、ある有名雑誌編集室にいる)が、彼女が恐山に行き、石を持って帰ってきた。そうしたら、彼女の兄の顔におできができ、自動車事故も起こしたので、それ捨ててくれと懇願されたそうである。その石の横には髑髏が置かれていた。処分したのであろうか。
2005.10.23
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枠を超えたいという願望があるが、ソノ枠とは、大抵テレビの放送の枠のような気がする。使っていい言動、映像、行動・・・函館では、倹約の為、山ごもり(ライブ映像)を決め込むことにする。半島の端っこに山があるという地形、函館市の一番狭いところが1キロ程度というのが面白い。 セーター1枚では、寒いのである。 タクシーを捕まえた。タクシーのおっちゃんに言った「函館一番の大繁華街に連れて行っておくれ。」函館は3回目であるが、毎回繁華街には人が歩いていない。案の定、一番の繁華街である五稜郭飲み屋街には誰も歩いていなかった。やたらタクシーが全国どこでも見られるように暇そうに並んでいた。 タクシーのおっちゃんその他地元民インタビューによると、やはり、デートもどこの地方都市変わらぬカラオケのようである。しかし、時々、海に行って、あわびやウニを密猟もすると言っていた。獲れたその場で「おどりゃー」と急いで見つからないうちに食うそうである。そうはいっても人口29万人都市にしては寂しい夜である。対岸の青森は人口32万人の割には、高い建物があり、ちょっとばかり都会チックに比べてである。とある本で読んだのであるが、青森はテレクラが盛んとのことである。人間することがなければ、することしかしないものである。 1泊目に節約したマネーは弘前近辺の山の中に隠れた東北隋一の宿「錦水」で芸者をあげるつもりであったが、ソノ辺りは自粛して、温泉に入るに留まった。芸者芸者といっても実際は、客の高年齢化は避けられず、60歳の客は「若いですねえ」と芸者さんに言われるそうである。そういうわけで、じょんがらぶしは、津軽三味線であった。 それにしても、風呂を撮るのには、誰も入っていない時間帯を狙わなければならなかったし、風呂を出ると、従業員がここぞとばかり待っており、リンゴジュースを持って構えているのである。もう少しすれば、ロシアが攻めて来るかもしれないという危機を感じ、ソノ前に何とかロシアに攻める必要があるのではないかと危惧した私は、八甲田山の紅葉にて、訓練をすることにした。完全防備してみたが、いつの間にか、ロープウエイも完備されており、標高があがるたびに、紅葉が終わっていく様子が分かった。 頂上駅に立つと、もう前にも後ろにも行くことができない雨になっていた。私の率いる210名の有閑な隊員たちを見殺しにすることはできない。ビバークもせず、即、ロープウエイで下山することにした。 (青森県) 奥入瀬 十和田湖殺人事件火曜サスペンス十和田湖殺人事件日曜サスペンス(秋田県)八幡平(岩手県)(コメントなし)
2005.10.22
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津軽海峡を泳いで渡った。ドーバー海峡以来である、水泳は。向こう岸が北海道。飢餓海峡という映画を再度見ようと決意したのであった。海底に潜ったら、まあ、こんな感じ。人生で一番低い位置にいた所になるのか知らん。(後年もっと低い死海に行く。)竜飛では、津軽海峡冬景色の記念碑が建っており、記念碑についている赤いボタンを押すと、大音量で歌が流れる。遠く1キロ先でも聞こえる。寒空の中、写真屋が控えている、彼は何万回も聞いて気が狂っているか、耳栓をしているのだろう。先日国道174号線という日本で一番短い国道を大々的に紹介したのだが、こちらは、日本で唯一、階段の国道。聞くこと頃によると、役人が地図だけ見て、国道に指定してしまい、「しまった」と言ったが、後の祭であったとのことである。まあ、そんな感じ。
2005.10.21
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(だから) (そして) (いまや) (都合のイイコトに) (勝手に) (自己防衛) (ゴマスリ) (IMISSYOU) (デモ) (自己正当化) (言い訳) (嫉妬) (ソレから) (もっと) (相互理解) (手紙をくれないから悪いんだ) (無視するから) (手紙は1通) (嘘) (金を得る為) (金を送ってた?) (売春婦の呟き) (1日16時間労働) (シャンプー) (うわ) (オックオック) (調子良いな) (日本人的考え)明日、海外旅行にイッテキマス。でも帰りは、海底トンネルで帰ってくるつもり。 ラクサ食い終わり ターリ(バナナの葉の上に大皿)
2005.10.20
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バブルの頃ではなく、16世紀、考えようによっては、日本は世界一金持ちの国であった。当時、石見銀山をはじめ、世界中に銀を産出、輸出しており、世界の3分の1を日本から供給していたのである。石見銀山は、佐摩村にあったことから、ヨーロッパでは「ソーマ(Soma)銀」と呼ばれ、フランシスコザビエルもヨーロッパの尖兵として、日本は銀の国であるとそそのかしている。 鎖国した原因に、銀の流出のしすぎというのが原因のひとつにあったのかも知れない。僕らは、こうやって、少し学習できるのが、何となく嬉しい。断片から、想像してみることが、何となく嬉しい。 昔、昔といっても丁度10年前のことであるが、バルセロナに住む友達の所に遊びに行くついでに、お土産に古本50冊程度持って行ったことがある。それから暫くシテ、本は、夢野久作「ドグラマグラ」以外は全部読んだよ、という手紙が届いた。 「胎児よ胎児、何故踊る?母親の心が分かって恐ろしいのか」という冒頭歌で、読むのはやめたそうである。面白いのに。ボーンボーンボーン。 セビリアだけどね。 昔、昔といってもおおよそ四半世紀ぐらい前のことであるが、よく雑誌の片隅にいかがわしいエロい広告がでていたと思う。 どうしても好奇心さめやまぬ友達は、「私の恥ずかしい3つの穴をアップで生写真送ります」というのを発注した。親にばれると困るので、郵便配達人の来る頃には、家にいるようにするまで期待は高まっていた。そして、遂に届いた、写真を見てあっと、驚いた。口と鼻の穴2つのドアップのあられもない写真であった。 しかし、そんなことで、求道者をやめる彼ではなかった。日々悶々とする青春の中で、次にチャレンジしたのは、「隣の部屋が透けて見える透視眼鏡」という一品であった。こいつで、隣の教室のプールの着替えでも透視しようとしていたのであろうか。彼の飽くなき探究心は続く。 そして、遂に届いた。へんてこりんな眼鏡と、注意書きを見て、あっと驚いた。「壁に穴をあけてご覧下さい」 彼のおこづかいは、尽きた。
2005.10.19
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プールサイドに寝そべっている私は、時代の底に溜まった何億という繊毛の1本に過ぎない。もう若くない、そして鍛えてもいない裸体を世間に曝すのは、はばかられ、一番奥に寝そべる。風は滑らかで、椰子の木の震えは、私の味方である、と勘違いする。 先程、浜辺で、海に住む生き物を、足に砂をつけたまま無邪気に遊んでいたインド系の女の子が、まだ無邪気なままプールで泳いでいる。弟らしき男の子は、白人系である。父親はアングロサクソン、母はアーリア系のようである。 何年か前に、インドのカルカッタの雑踏の中を歩いており、ふと、ずっとここを歩いていることが不思議でならなかった。前後1週間は、オフィスで働いていたのが不思議であった。 勿論、今回も同じであった。2日前後にオフィスで働いている。しかしながら、何も考えず、寝そべっている。 気障にもシャンペンを抜き、シャンペングラスがないので、ただのコップで、ビーチらしくがぶ飲みする。ボーイを呼びとめ、マンゴーアイスクリームを頼んでみる。 運ばれたアイスクリームを受け取り、レシートに部屋番号だけを書き、一口食べ、横の机に置く。本を開くが、頭がぼんやりして集中できない。それにしても、ビーチは久し振りだった。意味なく過ぎていく時間がいとおしかった。風に吹かれても、飛べない私がいた。雨が降っても動かない私がいた。雨が、コップの中のシャンペンを薄めた。空になるまで、あと30分。
2005.10.18
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・・・机に座ったまま、修行僧のごとくじつとしていた。でも本当は、寝てしまっていただけだ。 いつも、うな垂れて歩いている訳ではないが、自信もさほどないので、下を向いて歩くことが多い。人は、多分猫背だからなんだろうと思うのだろうな、と思う。 雨の中、地面に張り付いている1,000円札を見つけた。引っ剥がして、小心者の私は、周りを見渡す。すると5メートル先にまた1,000円札が落ちていた。 今まで、拾ったお金より落としたお金の方が莫大に多い私であるが、子供の頃にも当然落としたことがあり、「あんたどこで落としたの」と母親に詰め寄られ、子供心に、「どこに落としたか分かっていれば、すぐに取に行くんだけどなあ」、と大人びたことを考えていた。 自転車でタイを縦断していた頃、アントン市を越え、エビの養殖地帯を抜け、小さな橋を渡った時、道端に光るものがあった。車以外は、地元の農民が時々歩いている程度の暑い時間帯、そこに光るのは1バーツが3枚。 思わず、小銭を拾い、太陽に向けて、日焼けで皮の剥けた手を挙げた。これで「バ-ミーナム1杯食えるぜ」と。(当時バンコクで1杯10バーツだったバーミーナムが村のわき道の屋台では3バーツで食えた) 自転車の網カゴのラジカセからはキンクスが流れていた。 落としただけでなく、貸したり借りたりしたお金のことも、人がいいので、どちらも良く憶えていない。これでも、民法を勉強して、何がしかの資格も取っているので、弁護士程度には詳しいのであるが、宿泊代金や飲み屋のツケは1年、商売同士または商人と個人のお金の貸し借りでは5年、個人同士のお金の貸し借りでは10年で時効になる。それを食い止めるには、ひとつに、時効を引き伸ばす為に相手に確認する必要がある。相手に返す意思があり、たとえ、持ち合わせの100円でも返してくれたら、そこで、また時効が始めから始まるのである。 働き始めた頃は、飲み屋のツケは飲みに行く度に、「これ前の前の分ね」とか言って払っていたので、しっかり相手の術中にはまっていたことをいまさらにな気がついた。よかったよかった、もうツケは長らくない。というより、ツケをするほど飲みに行くこともなくなった、めでたしめでたし。今からは、ちゃんと、横になって誠心誠意寝るつもりだ。
2005.10.17
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子供の頃は、いつまでも眠られるということはなかったが、今は、寝ようと思えば、20時間程度は眠れるのではないかと思う。思わず、一昨日、ついついまた読書夜更かししてしまい、睡眠時間1時間で仕事に挑むと、油断すれば意識が夢の中にいっていた。昨晩は、寝だめ(というのは本当はできないが)のつもりで、寝たら、頭が痛くなった。 最近、神が、私を監視しているのか、だらだら過ごすと頭が痛くなる。休暇休日でもきちんと出歩いてぶらぶら歩かなければならない頭の構造になっている模様である。 髪の毛を切ってきたが、特に決まっている店はない。初めての店でいろいろ髪の毛の切り方を説明するのは面倒なのだが、基本的には「短く」と短くいう。それに、おしゃべり好きの人も少し困ってしまう。こちらは、カット中は睡眠時間なのである。まあ、寝てしまうと、頭がグラグラ動くので、すぐ矯正されるのであるが。 いいカット屋とは、とにかくマッサージの長いカット屋であることは間違いない。そういえば、マッサージを受けに行くと、いつも損する。気持ちよくて寝てしまう。だからいつも起こされてしまい、気持ちよさの時間と貴重なお金を損した気分になってしまうのである。 欠点のまったくない完璧な容姿と頭脳と体力を持ち合わせていると噂されている私であるが、この前の旅行では、時々定期的に歯茎が痛くなる病気になってしまった。それって恥ずかしいけど歯周病というのかも知れない。35歳から45歳の80パーセントがかかっているというから、日和見の私はきっとかかっているのだろう。とにかく、処方箋なしに仕入れられる痛み止め「パナドール」(まあ、バッファリンね)を購入。それから、飛行機機内では、アスピリンを処方してもらった。 アスピリンはバイエル社の商品であるが、19世紀最大級の薬のひとつでもある。アスピリンの凄い所は、ちゃんと処方すればあまり副作用がないというところであろうか。(勿論胃障害の副作用はあり、毎年多くの人が入院しているけど)ヤナギから生まれたこのアスピリン、70年たってやっと何故鎮痛作用があるのか解明され、その解明者はノーベル賞を受けたということであった。最近では大腸がん、アルツハイマー、骨粗鬆症などにも効くのではないかと鎮痛作用凝血作用以外にも脚光を浴びているエースである。 とにかく最終的には祈るしかないのである。
2005.10.16
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オーガニックビルここ数年で、大阪の南船場はお洒落な界隈として賑わっているが、10年前は、まだまだ泥臭い地域であった。その頃から、ひときわ目立つビルがあった。昔、事務所が南船場にあったのでよく目にしていたのだが、今日は、所要で通りがかっただけなのである。多分、シンガポールとは関係ない。 一応、シンガはライオン(ポールは島)という意味だが、タイのシンハもライオン、インドスリランカのシンハラもライオンであるが、ここでは、一丁、マレー虎(ハリマオ)を手なずけて帰ってきた。今後、私にオイタする人は、この餌食になる可能性も泣きにしも泣き喚くであろう。一応、シベリア虎の半分程度の図体ではあるが、所詮、ネコ科、かわいいものである。 最高級ホテル、ラッフルズ、か、と、は思うのだけど、あまり自信がない・・・ 屋台のセブンイレブン。ところで、シンガポールのタクシーは不気味である。無線でなく、ほぼ全車にGPS搭載で配車システムを完備している。そして、全車にETCが搭載されている。これは気持ち悪い。国土中にETC探知機が設置されており、高速道路に入ったら、自動的に課金、空港に入ったら、空港使用税?のようなものが自動的に課金、時間帯によっても高速料金などが違うわけだから、実は、どの車がどこを走っているか、全て記録されている(はず)なのである。日本ではまだ高速道路だけの課金であるが、どうなっていくか分からない。やっぱり自家用車にETC採用はやめておこう。 Nシステムというのが既にあるがね。何を隠そう、前に来たときは地下鉄がなかった。鉄道は、唯一、マレーシア方面に向かうものだけであった。そういう訳で、地下鉄の乗り方もよく分からないのだが、ロンドンや香港パリ、ソウルやプラハやヘルシンキ、カルカタやバンコクや大阪の地下鉄に乗った経験と知恵を生かし、果敢にも挑戦してみた。切符自動販売機にたたずみ、人がどうしているか2,3人確認してみる。おもむろに、普通乗車ボタンを押し、地図になっている駅名の上のボタンを押す。そして料金を倍払うのである。いや、倍なのか分からないが、料金1ドルにディポジット1ドルを合計2ドル支払ったのである。すると、確かにちょっとお金がかかってそうなカードが出てきて、これを改札に通すのである。言っておくが、エスカレーターは無茶苦茶速いので、流行に乗り遅れないように注意が必要だ。 地下鉄の中や、列車内はこれといった特徴はなく、すぐ特徴は忘れてしまった。しかし、人々をせかすために、あと何分で列車が来るよ、と切符を買う前のところから電光表示されていて、人々を急ぎの恐怖のどん底に陥れるといったカラクリはある。 地下鉄を降りると、お金を返してもらうために、また自動販売機に並ぶ。カードを入れ、リターンディポジットを押すと、1ドル返ってくるという、人々を信用していない仕組みとなっている。おまけに、横には、募金と称した政府が召し上げる、透明のプラステックの箱があり、そのカードをそこに入れて、1ドル寄付するという搾取方法も順調に取られている。でも良く見たら写真は、歩行者用信号機であった。信号機ははっきりいって、日本より進んでいてオールLED(発光ダイオード)である。これは、値段は高いがメンテナンスフリーに近いので、長期的に見れば、安くつくようである。しかし、私は、関西人なので、あまり信号機を信用せず、自由に勝手に車がなかったら渡るといったアジア方式を採用だ。しかし、私の優しいところは、渡るときに小さな子供が周りにいたなら、つられて渡るかも知れないので、そのときは信号を遵守し、権力に屈するのである。当然、淫猥関係にも厳しい国なので、女性の上部も見せることは厳禁である。しかし、死体広告に関してはまあまあ寛容な感じはする。バスを待っているときに、死体広告を見ることができるというシステムだ。 昔、シンガポールであまりに暇だったんで、映画を見に行った。ミッキーロークの9週間半で女を仕上げていくというえらそうな映画(ナインハーフ)であったが、上半身を見せることも禁止されてるので、ずばり、ぼかしだらけで何の映画か分からなかったという抜群の経験もしたことがある。しかし、タイのお菓子にもやられた。多分、シンガポールとは関係ないと想像される。現代語超訳 しめきり=賞味期限 別のところに書きます=別記記載 なおしかた=保管場所
2005.10.15
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15年ぶりにシンガポールのアラブ人街に行った。アラブ人街といってもマレー人やブギ人などイスラム教徒の集まりであるコジンマリした集落である。インド人街同様、高層の建物の中に2階建て程度の空が広い雑多な地域である。モスク界隈には、布地屋が続き、ろうけつ染め更紗(バティック)の布地やシルク製品、飾り屋が続く。香油を売る店も続く。イスラム教徒の礼拝用の品々や半貴石を扱う小さな店も続く。またブソーラ通りには屋台で賑わっており、ドネルケバブを食べようとしたが、えらく並んでいるので涙を飲んで断念した。イスラム料理の店もあり、インド料理と同様、300円程度で、デザートまでついた飯が食えるといった按配だ。 シンガーポール イズ ファイン カントリー と書かれたTシャツがある。勿論、いや、多分、ファインは[良い]という意味ではなく[罰金]という意味であろう。水洗トイレに水を流さなければ罰金。自分の家の庭の木を勝手に切ったら罰金。雨どいにボウフラを発生させたら罰金。子供が、他人の車に落書きしたら鞭打ち。マリファナをたかだか500グラム以上持っていたら死刑。 それにしてもアラブ人街、雑多な感じが良い。シンガポールは不自然に緑豊かである。そこに詩はない。人工美も何故か感じられない。イ、 イカン、またシンガポール批判みたいになってきた。そういう訳じゃないよ。それにしても、何もないこの国を観光立国に仕上げたという努力は凄いものがある。ソノ分、わざとらしい。初めて訪れた頃、伝統的なチャイナタウンの街並みが、壊され、高層の建物に変わっていく様子が伺えた。何か、それがとてもつまらなくしているように思えた。 シンガポールは人口の2倍も旅行者が来る観光立国である。タックスヘイブンのせいでもあるが。60年代、シンガポールは高らかにガーデンシティを宣言した。ホテルも建てだした。観光客9万人。70年代、バードパーク、セントサ島の開発、コンベンションセンターの設立。観光客200万人。80年代、歴史的建物を壊し開発しすぎたので、インド人街やアラブ人街、チャイナタウンを再開発、倉庫街であるボート・キー及びクラーク・キー等ウォータフロントの再開発。まあ、現在ガイドブックに載っている観光コースは80年代に作られたものだ。90年代にはいると、生意気にも、「世界からシンガポールに」「シンガポールを世界に」政策が取られた。その代表が、船ですぐの植民地インドネシアのビンタン島開発であった。90年代前半には観光客600万人である。そして2000年以降は、もうよく分からん。まだシンガポール21とか言う政策をとっているようである。 私は、買い物しないから、よく分からんが、メシ食いに行くにはいいところであるということである。 そういえば、昔、あまりに暇だったので国立博物館に行き、プロモーション映画を見たら、「シンガポール~シンガポ~」と何か北朝鮮張りに笑顔で歌われて、苦笑した。昔、シンガポールのベンクーレン通り沿いの安宿のドミトリーに泊っていたが、隣のベッドはマレーシア女性で、やたらめったら、ベッドの上に服があり、ナイトクラブで働いているのよ、と笑顔で答えられた。西洋人20人程度と日本人の私、そしてマレーシア人だけが宿泊客であった。そのくせトイレ兼シャワーは一つ。朝はラッシュであった。勿論私はボロ負け。朝寝坊だからね。「私の店に遊びに来てよ」とは彼女は言わなかった。一杯の飲み物で、この宿代が払えるのを知っていたからであろう。それにしても、帰国して3,4日たつというのに、脳が何かを蘇らせたのか、まだ懐かしい臭いが時々通り過ぎる。
2005.10.14
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15年ぶりにシンガポールのインド人街に行った。長い旅行をしていた頃も感じていたが、タイなどにいると帰ってきたという感じがするのだが、インドにいると凄く遠くに行った気がするのは何故か。 シンガポールの歴史は1800年代からになってからである。ラッフルズが侵略してくるまで、百人そこそこの寒村に過ぎなかった。その時に同行したインド人もいて、中国人と同様に職を求めてこの地にインド人もやってきたのである。・・ラッシーにターリー(大皿)を食って、外に出ると、リトルインディアの道端の道端というところにインド人が密集していた。更に密集しているマーケットを抜けても、まだインド人達。それも男達のみ。そしてどこのキャッシュディスペンサーでも、何故か長蛇の列。インド人的に、自分の番が回ってきたらノンビリ、機械を押していた。ホーカーズ(半屋根の屋台群、建物の中にあるのはフードコートと呼ばれる)では、シク教を含むインド人が、キングズフィッシャーなどのインドビールを飲んで賑わっている。ギロリとした目が光る。 この地域はインドではあった。しかし、ここは、リークワンユーの国であり、華僑の国である。独裁政権であり、徴兵制もある。言語統制も厳しい、管理都市国家だ。多くの政治犯が投獄され、国外に追放されている。それを我々があまり知らないのは、報道規制は厳しいからだ。(非政府組織(NGO)「国境なき記者団」によると、2004年のシンガポールの報道の自由度が調査対象となった167の国・地域で147位と極めて低かった) 政治も、野党などを当選でもさせようなものなら、国から様々な嫌がらせを受ける。ガムは売っていない、ツバを吐いたりゴミを捨てたら1000ドルの罰金、そんな僅かな緊張感も、インド人街で始めてくわえ煙草をしている人を発見して、少し和らいだ。(更に、夜中の2時頃に散歩していたら、またくわえ煙草の通行人を発見した) 帰国して2,3日たつというのに、脳が何かを蘇らせたのか、まだ懐かしい臭いが時々通り過ぎる。 従弟に女に子が産まれたと連絡が入った。酔うとたちの悪い奴で、仕事もロクにしない奴だが、産まれた時から知っている奴がそうなったとは感慨深いものだ。今日のほのぼのニュース 首相公邸の前庭に麻薬原料植物として麻薬取締法で栽培・所持が禁止されてい る毒キノコ「ヒカゲシビレタケ」が自生していることが分かり、13日午後に除去されることになった。 問題のキノコは小泉純一郎首相が12日朝、首相公邸を出邸する際、前庭のシラ カシの根元に生えているのを発見。「食べられるのかね。毒キノコ? 東京でキノコか、面白いね」と珍しがり、面会に訪れた三村申吾青森県知事にも「官邸にキノコが生えてんだよ」と宣伝していた。 (時事通信) - 10月13日
2005.10.13
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よく知るHPが1周年ということだったので、私も綿密に調査を自分に依頼したら、どうやら2周年を迎えたようです。多分1号はこれだったかなあ。確か香港に行くちょっと前だったような気がする。2周年でも930日記というのは、それ以前にも日記はあるのですが、書き溜めてたのを適当に1日でアップさせたという訳。 最近は、少し離島にも行ってみたい気がしている。例えば船でしか行けない小笠原諸島。海の透明度は世界一と自慢されるほど海が綺麗らしい。ここって19世紀初頭から英米船の捕鯨船がうろちょろしていて、1830年代にイタリア人やアメリカ人、ハワイ人の集団が住み着いたり、ペリーの黒船も食糧としてヤギや牛を放している。野ヤギは、進駐軍や島民が間引きして食ってしまったらしい。北海道の焼尻島も面白い。1800年代日本に憧れたマクドナルド青年が漂流してきた島であり、彼は捕らえられ、長崎に送られ座敷牢に入れられたが、その時に教えた英語が、ペリーの黒船との交渉に随分役立ったという。そういった話は面白いことである。 そういえば、電話で一大儲けをしたベルの10年から20年前に電話を発明した青年がいた。青年フィリップライスは儲けるつもりもなかったので、そのまま歴史に埋もれたのであるが、彼の初めての電話は「馬はきゅうりのサラダを食わないわいや」というものであって、ベルの電話先であるワトソン氏にかけた電話第一声、「ワトソンすぐに来てくれ」よりよっぽどユニークである。そういった話は面白いことである。 そういえば、また季節が変わり、春先よりはましであろうが、電波系の方々が増えてくるだろうが、電波系って当然、電話が普及するまで、こういった人々はいなかったはずである。そういう概念がなかったのであるから。文明病だねえ。 ところで、2周年の話であった。ソノ前に今日の気になるニュース。【ベルリン12日共同】11日付のドイツ大衆紙ビルトは、国際テロ組織アル カイダを率いるビンラディン容疑者がパキスタンの地震で死亡した可能性があと報じた。 同紙によると、米情報機関の衛星探知システムが先週、パキスタン北西部に同 容疑者がいたのを確認したのを最後に、居場所が分からなくなった。ある情報機関関係者は「地震以降、生存の兆候がつかめず、土砂崩れに遭遇した可能性が高い」と語ったという。 パキスタンにはお世話になった。義捐金を送ろうと思う。偽善者なりに。 飛行機の一番前の席は結構怖い感じがする。
2005.10.12
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15年ぶりぐらいのシンガポールであった。15年ぶりぐらいにビンタン島にいった。 船乗り場は変わっていた。そのリゾート地はビンタン島の首都であるタンジュンピナンとは島の反対側にあり、確かに10年以上前は密林であった。 小さな高速艇で渡った頃とは違い、大きな船になっており、シンガポール人の観光客も多く、手軽に行けるシンガポール植民地であった。船で1時間。シンガポールの2倍の広さ。通貨もシンガポールドル又は米ドル。 かつては島に上陸した瞬間にガラム(丁子)の臭いと土の臭いがしたが、少し湿った亜熱帯の空気が懐かしかっただけであった。完全にビーチ観光のためだけの地域で、船着場には、1件の民家もなく、すべてが観光産業に従事している人々であった。 歩いていけるビーチはないようで、日帰りの観光客も5分程度はバスに乗っていかなければならない。道論市井のバスは走っていない。シンガポールとインドネシアが共同で、未開の原野を切り開いて、外貨獲得のため資本投下した場所である。即席ビザ代まで取ると言うアクドサも抜け目ない。 ビンタン島(星の島)は、風向きなどのために、人が住んでいるのはタンジュンピナンなど島の反対側しかなく、農耕不適な土地柄であるため、人口は少ない。隣接するバタム島は安い人件費を求めて90年代から工場地帯に急遽変貌し、人口も増えている状況だ。安いところに人が行くのは、悲しいことではあるが、どうやら、買春のために島を訪れるシンガポール人も多いようである。そういえば、対岸の街、マレーシアのジョホールバルにも射精産業が多く見受けられた。 ホテルで働く現地の人々は、押し寄せる観光客と、落としていくお金をどう見ているのだろうか。 それでも、水は、珊瑚礁ではないが、綺麗であり、1,2泊程度なら楽しめるし、シンガポールから手軽にビーチという意味では良い。考えたらなかなか働いてから、1週間2週間とビーチで脳を溶かすことができなくなっているのであった。プールで戯れるレズビアンカップル。おそろいのタトゥーを足首に入れ、一生の契りを交わしたのか。お互いの体をバスタオルで拭いてあげる姿が、妙に、愛を感じた。
2005.10.11
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夜中着いてビールビーチでシャンパン帰国寸前夜中のビール ただで貰ったワインをシンガポールに持ち込み、飲む時間がなく、インドネシアに行き、飲む時間がなく、シンガポールに戻ったら、税金8ドルかかると言われ、それなら放棄しますといったら、それなら罰金で80ドルですといわれ、8ドル払って、シンガポールで飲む時間がなく、持ってかえってきた旅行でした。
2005.10.10
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まだ変な建物ではない普通の景色。 ヒンドゥ寺院 は夕刻、祈りの人で溢れている。 アラブのシンボルに奇抜な建物イスラーム諸国の多くでは,イスラームのシンボルとして三日月と星と緑色 ペラペラの建物 洗濯物はベランダがないからこうやって干すのだなあ。南米や香港もだねえ。
2005.10.09
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母校の高校である。サカキバラ中学の隣にある。母校の裏山はタンク山である。この辺に住んでいる人々は皆、彼の名前を知っている。 やがてかなしくやどかり。何かプラステックのキャップを背負ったヤドカリサン。真剣ゆえに、見ていて哀れ。 先日の淀川を渡る城東貨物線ではなく、戦場に架ける橋。クワイ川のマーチ、カンチャナブリ。ランブータン食いまくり。 海外じゃないよ、兵庫県庁近くだよ。 いじけます。 始皇帝してもいい? 日光は、インド的バラエティ。 酒飲んで寝ます。明日、海外旅行に行ってきます。ではまた来週。
2005.10.07
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7.8キロのハム 今日の展示会ではいいものをもらった。手動携帯円輪充電器アンド懐中電灯 牛品評会 自画像イエスキリスト モアイ 魔が靴 なら大仏
2005.10.06
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かつて、バンコク発マニラ経由大阪行きのタイ航空は、通称「893便」といわれており、マニラから893屋さんや買春色ボケじじいや、じゃぱ行さんの占有率が異常に高かった時代があった(今は知らない) 初めて乗った飛行機がそれだったもので、なかなか海外に行く人々はがらがよろしゅうないものなのだなあと一瞬思ってみたりなんかもした。初めての飛行機のミールは帆立貝であり、ビールがただで飲めるということにいたく感激した18歳(独身)であった。 ちょうど、マニラから帰国して、1週間後、拳銃を密輸しようとしたが、急に不安になった893が、飛行機のトイレに銃を捨てたため、それが詰まり、煙が出るという事件もあった。 ずっと、先に、一度だけ、飛行中にどうしても我慢できなくなり、大をしたことがある。してはいけないとは書いてはいないけれど、無敵の雲子が、バキュームされて本当に流れていくのか心配であった。これは、細切れに出して、様子を見ながら処理していかねばならないなと思い、屈伸運動などをしながらも、水もコップで流して流れやすくせねばなるまいかと邪推しているうちに、本当に我慢できず、思わず、トイレに駆け込み、予定に反し、一気にいつもの倍ぐらいの過大運個を体内から摘出してしまった。 悪い予感は、的中した。流れない、流れたくても流れない。私は、頑張った。水を加えながら、何度もバキュームし、努力は報われた。数分後、何食わぬ顔をして、スーパーエグゼクティブえこのみーシートに戻ったのであった。 銃のことについて思い出したのであるが、あるとき、フィリピンから電話があった。Bからである。コレクトコールで。不在にしていたのだが、「タイヘンナコトニナリマシタ!」といったきり電話は終わった。その緊迫した光景と、いつもにやけていた羽振りのいいBとのギャップを思い浮かべながら、こちらから連絡するすべもなかった。 半年後、マニラを訪れたが、彼はいない。どうやら、彼は、日本向け銃の密売に手を染めていたようであった。貧しい地域で彼だけがやたら羽振りの良いわけも分かった気がした。彼は、とある島に潜伏しているとのことであった。 そういえば、その1年前に、彼は成田空港につき、タクシーに乗り込み運転手に言った。「オーサカ」目を丸くする運転手に財布の中身を見せて「オカネアル」といって彼は大阪までタクシーできた。大阪では、奥さんがストリッパーとして働いていた。彼女が1ヶ月2ヶ月と働いて稼いだ金を、会いたいが一心にタクシー代で一瞬に使ってしまうフィリピンスタイルに呆れた冬の終わり頃であった。元気にしているのだろうか、B。 はにわだけどねえ。ムンクの絵は凄い、が、晩年、精神病が治って、絵描けなくなったんだねえ・・・
2005.10.05
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ルソーではないが、告白すると、私は、基本的に結婚したり彼女がいたりすると、痩せる。 テストステロンという物質がある。男性ホルモンの一種で、こいつは、攻撃や闘争心のレベルが測れるという。筋肉量の促進や、性欲、性衝動と関係あるらしい。 しかし、彼女あるいは結婚すると、取り敢えずは、他人にとられることがないという一瞬?の安心感のためにテストステロンのレベルが下がるという現象がみられるらしい。そうすると、安心感が増大し、筋肉や性衝動も緩慢になり、太るという要因もあるのであろう。 まあ、私は、いつまでも安心できないということか。しかし、私は、闘争心が低く、もともとその物質が少ないと想像される。中世的で、いや、中性的である。 そういえば、何故だか分からないが、動物は本能的に種を保存する遺伝子が組み込まれているために、結婚パートナーより、恋人や不倫相手、一夜限りの契りなどに子供が産できやすいという。(統計であるそうだ)そういう時は強い精子がでるのであろうか。昔、世界大戦でドイツ軍が一日だけの休暇で家に帰ってよしということがあって、そのときに子供がたくさんできたという。 私の父は母はの父母は戦時中の人でもあり、兄弟姉妹が多い。父は8人、母は少ないが4人。やはり当時は基本的に一様に貧しく、病気、そして戦争で何人成人になるか分からないと言う危機感からそうさせたのであろう。 まあその辺がドーキンズのセルフィッシュジーン(利己的な遺伝子)か。 アンモナイトだねえ。
2005.10.04
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自転車こぎすぎて、疲れているので今日は手抜き。淡路島ではない淡路にヤボ用で行ってきた。初めて来たかと思っていたが、昔、一度来たことがある商店街であった。仕事ではない何かできたのだが、思い出せない。誰かとの待ち合わせ?焼肉を食いにいった?古本求めてどんどん適当な駅で降りていた頃?別に行くつもりはなかったのであるが、大阪市水道局柴島浄水場へも寄って来た。 ほんの数年前に高度浄水処理になった。内部も見学した。無料。子供連れがまばらだが、アベックは0組。一人ベックは私を含め2人。栄光のネクタイ姿は私のみ。淀川河川敷 わんど朗らかに自転車、ぶらぶら似合わない風景。 ア、間違った、べネチアのリアルト橋。城東貨物鉄橋 みたらあかんで、もうあたしの家のダイニングテーブルには置く場所はない
2005.10.03
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国道174号線という自慢の道が神戸にはある。約187メートルのこの国道は、三ノ宮駅をまっすぐフラワー道路沿いに下って国道2号線にブチ当たったところから始まり、先に税関見えている神戸税関で終わる。そこを左折すれば、人工島ポートアイランドへ道は続く。報告以上。写真を撮りに行ったからと言って暇人とは呼ばないで下さい。 住んでいる家から少し下ったところに、住吉川沿い、六甲ライナー沿いに「椅松庵(いしようあん)」がある。写真を撮りに行ったからと言って暇人とは呼ばないで下さい。谷崎文学の「細雪」は、大阪船場の旧家の4姉妹を主人公にした物語であり、芦屋の家を舞台にしているが、実際の描写の家は、谷崎が住んでいた神戸のこの家を中心にしている。見掛けはでかくはない。物語の中ででてきた阪神大水害の舞台もおそらくこの住吉川(またはその近くの石屋川)と思われた。石碑あり。地震に耐えたか椅松庵ここから100メートルも下ると、震災で倒れた阪神高速がある。間違い A-netというANAの子会社があるが、56席と74席の小さな飛行機を飛ばしており、飛行時間も短く、分からないが1時間以内の路線は、無料の飲み物サービスもなく(なくても安いほうがいいけど)あめちゃんが配られるだけだ。(どうやら男でもあめちゃんというのは関西人だけらしい) 30分程度の飛行だと、ほとんど水平に飛んでいる時間が10分もないくらいで、あー、といえば、おー、といって着く。クルーの方々も一日何往復もして、どっちに向かっているか分からなくなるのではないかと思う。 昔、友達が新幹線での支給のバイトをしていたが、大阪東京1往復して7時間程度か。何か体だけが東京にその日に行って帰ってくるというのが不思議な感覚であった。・・・バリ島でまたテロか・・・
2005.10.02
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夕暮れである。アルコールが俺を呼ぶぜ。珍しいことに友達が限りなく少ない私に、ちょっと飲みに行こうぜと急に3件同時にお誘いがあった。 帰りにちょっと十三で降りてみた。じゅうそうと読む。大阪にも通常読めない地名が多数存在する。柴島(くにじま)、河堀口(こぼれぐち)、野江内代(のえうちんだい)、放出(はなてん)、杭全(くまた)、博労町(ばくろうまち)、喜連瓜破(きれうりわり)、住道矢田(すんじゃやた)、水走(みずはい)、遠里小野(おりおの)立売堀(いたちぼり)・・・市でもかつて私が住んでいた枚方市(ひらかたし)、吹田市(すいたし)など。 まあ、そんなことを思い出しながら、下町らしく、改札口前から飲食店の連続。 十三は、なかなか、十三に住んでいる人には申し訳ないが、いかがわしい所でもある。十三駅を降りたのは何年ぶりだろうか。飲み屋と風俗の連続、ソノ向こうが大ラブホテル街。ネオンで地上の温度が上がっているように感じる。最近の夜の街では、かなりよびこみの人間が多いし、女性の呼び込み客も多かった。高校生の制服を着た本当に高校生ぽい女の子までが呼び込みをしていたが、違反ではないのか。 大学生の頃、よく十三に来た。仲のいい先輩(現高校教師)がラブホテルに挟まれたボロアパートに住んでいたのであった。そこには変わった本が多数置かれ、梅田で飲めば、2駅、淀川を越えた所にあるので、歩いて突然よくおしかけたものである。海外に行く前、伊丹空港からは遠いのに、前夜泊り込み、朝まで議論(実はくだをまいているだけ)をし、二日酔いのまま飛行機に酔ったものであった。 お礼にと先輩に葉書を書こうとしたが、住所が分からない。 「大阪市淀川区の十三のホテル街のホテルアンアンとホテルノンノンの間にある古いアパートの2階、窓を開けたら電柱がまん前にみえるところ。JAPAN.○○様」と書いて送ったところ、無事到着していた。日本の郵便事情もなかなか優秀である。 そういえば、かつて香港からの日本への郵便が今で言う国内封書の80円よりも安かった時代があった。(今もかもしれない)そこに目をつけたDM業者が香港に何万通も持ち込み、日本向けに送っていた商売をしていたことがあったなあ。(今は枚数制限が出てできなくなった)あれは国際郵便協定で差額を国が払っているのだ。 15年前に、何故か、十三駅前の普通のバーにボトルキープをしていたことがある。あれは何故だったのか?2回目行ったのか、誰といったのか思い出せない。 十三の居酒屋に学生の頃OBの人に呼び出されたことがある。そのOBの人はロンドン大学で日本語教師をしていたのだが、一時帰国しており、何故か本多勝一の本を何冊読んだか尋問された。全く参ったものだ(偶然にもほぼ全冊読んでいたので吊るし上げになることはなかった)でも働いてからは、新刊自体少ないが2冊ぐらいしか読んでいない。本多勝一氏の息子がインドバイク旅行していた頃に会ったという人にギリシアで会ったなあ。彼も本多勝一イストであったが、彼にその時もらったロバートキャパの「ちょっとピンボケ」にはいたく感動したものだなあ。それを帰りのタイのビーチで大切に読んだ記憶があるなあ。 最後に十三に行ったのは、7、8年前だっただろうか。インドで知り合ったイギリス人トムが旅の途中で日本で英会話を教えて軍資金を稼ぐ為に数ヶ月日本に滞在していて、時々、飲みに行ったりしていたのであるが、ある日、別の日本人の医者の友達が、「トムに日本文化を教えに行くのだが、君も来ないか」といわれて、それなら着いていくよといって待ち合わせたのが十三駅。 一体どこに行くのかと思えば、関西でもっともクオリティが高いとされている(ほんまかいな)十三ミュージックに連れていったのである。まあ端的に言えば、AV女優とかが出演するストリップ小屋である。 それも医者の彼は「駅から遠いんだ。電話したらワゴンが迎えに来てくれるよ」といって電話をした。迎えに来たワゴン車のボディには「十三ミュージック」と派手にかかれ、女優誰々出演だの、女性のセクシー顔だのが描かれていて、とても恥ずかしい思いをした。こんなのには乗せないでくれよと心の中で懇願したが、彼はなれているのかホイホイと乗った。私は知り合いもいないのに、乗る時に周りをキョロキョロして誰にも見られないように乗り込み、犯人逮捕されたようにうなだれていた。 劇場は、飲み屋街やラブホテル街とは駅と反対側にあり、普通の民家が立ち並ぶところに何故かポツンとあった。よくは分からないが、彼にとっては生粋の日本文化だったのであろう。 彼も、かつては放浪を繰り返しており、フラフラ病が抜けないのであるが、今は医者をしていて、ベロンベロンに酔うこともできず、時折急患で呼び出され、食事の注文をしたとたんに帰らなければならないということも多々あった。大変なんだなあ。たまには生きぬきも必要なんだろうか。 そんなことを思い出しながら、適当に1時間程度歩いて、酔いを冷ましたのであった。
2005.10.01
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