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そして、ホテルの前の道を渡ったところにあるコンビニで飲み物を買うのである。あとは部屋に引きこもりテレビを見ながら、次に出かけるのはカウントダウンである。夕食はホテルの前のピザ屋で、英語でいとうテイクアウトである。米語で言うとトゥゴーである。勿論セルビア語でいうと、言えないのである。セルビアビール。何だか、前、ボスニアヘルツェゴビナで飲んだきがするんだよな。あ、やっぱり飲んでたわ、セルビアビール。それもスロベニアで。ビーツも買っておいた。水もな。この色、しかし、ちっとも甘くないからね。しいていえば美味い。(だから何度も買っているんだけど) ビーツ途中、ビールの補給に一度外に出て、そしてカウントダウンに出て、外でホットアカワイン飲む。朝起きて、ちょと外に出ると、フロントで、コーヒー飲まないかと言われ飲み、2杯目飲まないかといわれ、部屋で飲んでいいかというと、いいよとのことで、トルココーヒー持って行く。朝10時から歩き出して、朝飯昼飯をぶっちしてひたすら歩き、最後にホットワインを立ち飲み。ベオグラード空港でオランダビールを。機内でレモンミントを。今日の固形物1食目。乗り継ぎで2食目、ということであった。3時間半遅延したので、また腹にモノが入るようになったのであった。セルビア料理、フム、想像つくねえ。関係ないが、レア、ブルー、ウエルダンって頼んだことないよなあ。あ、アメリカじゃ、勝手にウエルダンだったような。ミディアムって言ってもウエルダン。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.29
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初めてまさみちゃんに行った時は、過去に出会った男のまさみちゃんの話を書き記しておいたのだが、女のまさみちゃんにも何人か出会っているのは事実である。彼女はまさみ、まさみちゃんではない。 あれは、ギリシアから帰るパキスタン航空が、パキスタンのカラチで12時間程度のトランジットがあり、ホテルの部屋をパキスタン航空のくせに用意してくれたのである。空港カウンターでホテルで人の割り振りをしているのに、学生日本人のみ9人を4部屋ずつ適当に割り振られ、その一緒になった日本人8人(うち女性3人)を誘い、一日一人一ドルでタクシーを借切り、一台のタクシーに9人が乗り込み、「どこへでも行ってくれ」といい、存分に回る。前の席には運転手と女の子三人。後ろは野郎六人。3人の女性は横浜の姉妹と(上智大だったように思う)、フェリス女子大のまさみちゃんだった。そして、まさみちゃんは神戸市中央区が実家であった。これはすぐ意気投合である。ん、告白するけど、1987年の話である。もう29年前の話なのである。それでも記憶力の正しいオレは、記憶を美化しながらちゃんと覚えているのである。(時々、昔の知り合いにどんなけ覚えてるねん、とびびられるが、それは多分曲がった記憶である。)(というか、皆さん、キツキツの車内ですぐ意気投合であったが。その後全員と住所を交換して、東京に行った時は、何度か ケンタロウの家に泊めて貰ったり、博報堂に就職が決まっていたH君(男と住んでいたから多分ゲイ)のところにも1回泊めさせてもらったり、横浜姉妹とは横浜チャイナタウンの近くでメシ食ったり、そして、まさみちゃんが神戸に帰ってきたときには、飯でも食おうや、と数回メシを食うことになるのであった。(何と外向的な。面倒一番になった今の私にはなかなか考えられない積極性である。)カラチでは、タクシーで建国者のモスクを経てアラビア海のほとりに。左前方に難破船。荒い波に観光用ラクダ。右前方に小さな島が点在。運転手がさりげなくチャイをご馳走してくれた。支払おうとするが、「ここは俺の庭だ。気にするな」といった。そして空港に戻ると、皆はパキスタンで余ったお金を彼に渡す。彼はなかなか商売がいまいぞ。我々がそんまま去ることを察知していたので九ドルで請け負ったのだな。これは9ドルプラスチップが3倍ぐらいになっとるぞ、やるな策士のタクシーアンちゃんであった。夕方、飛行機はカラチを出発、隣の席に座ったまさみちゃんと話しているうちに、夜中、バンコクに。いや、考えればアジアを3ヶ月駆けて横断してきて、正直、私は、久しぶりの日本語に飢えていたのかも知れない。正直、9人のいち私だけが、アジア体験者で、勝手に隊長に任命されたことが、快感だったのかも知れない。(今もお山の隊長である)正直、ヨーロッパを巡ってきた彼ら彼女らに、たった十二時間のパキスタンが一番面白かった、それも私がいたからといわれて、少し、勘違い的自負心が芽生えたのかも知れない。みなさん、また会おうぜ、と口約束だけして(そういう訳で本当に8人のうち5人には会った)、皆さんはバンコクトランジットコーナーへ、私は、バンコク入国であった。タイにトランジットしますからね~、アジア横断して疲れたのでタイともう一回ストップオーバーするフィリピンでノンビリしてから帰国しますね~、なんか言って、お別れしたのであった。さよならは、再び会うまでの遠い約束だそうである。そういえば、不思議なことに海外で知り合うと何故かその後もファーストネームで呼び合ったりして、面白いね。下手するとファミリーネーム苗字も知らなかったりしてね。まあ、それは、読み易さもあるんだけどね。私のファーストネーム(名前)は日本人にも外国人にも苗字より呼びやすく覚えられ易いので、誰とあってもファーストネームである。(同じようにファミリーネームを語る日本人もイッパイいる。放浪の達人さんも、サイトーである。サイトーのほうがタツジンより覚え易いのだ。)まあ、それだけの違いであり、些細なことである。 まあそうは言ってもまさみちゃんも結婚して安城市に引越し、あんじょうやっている見たいで、「あんたのことはダンナに全部話してるで」とのことであり(いや、単なる友達なんですけど)、その他のメンバーとも疎遠になり、 一度だけ東京に行ったときに、16年ぶりにケンタロウの家に突然行ってみたぐらいである。さすがに、お土産渡して、10分もたつと話題がなくなり、「そういえば、ケンタローは、結婚式に祝電と観葉植物送ってくれたね、別れたよ」というと、彼も順調に別れたよ、といい、二人でクフクフフ、と笑いあった。いや、多分、笑っている場合じゃない。オレも最終便あるから帰るし。まあそれはさておき、本題の前に 2014年は割とグルメな年だったのかも知れないと思うのであった。サテ本題であるが、それは省略である。本日の飲み会議題の中で、 韓国のトイモイサンが何度も行っている店いいですね~との話もあり、「あそこはな、順番待ちしてても、番号韓国語で呼ぶからな、韓国語が分かる人と一緒か、分からなくても呼ばれたら常にハイハイと手を挙げてみる奴かでないと順番抜かされるからな」とアドバイスしておいた。アドバイスしなくても、行けば分かる食えば分かるのワールドである。サンパッチブのイニシエーションである。 何セ、2010年の正月は、ウクライナ経由ポルトガル経由ドイツから帰国して、関空のコインロッカーにゴロゴロを収納して、韓国に2時間後にサンパッチブを食べに行ったのである。要は無駄な動きである。フランクフルトならソウル便もあるのに、何故一時国してしまう?って話である。ん?そういう話かな?話は変わるが、一度アメリカ、サンフランシスコから成田経由でタイ、バンコクに行ったことがあるが、日本に入国せずにトランジットを抜けるのだが、セキュリティで、オレが懸命に日本語流暢に喋っているのに、検査官は何故か英語でオレに話してくるのが笑えたなあ。確かに自国民が自国をトランジットするってあまり想像しにくいかも知れないよなあ、国がひしめくヨーロッパでもない限り。 郊外型店舗であるので、まだ合流するメンバーがいるので、駅前に移動するためタクシーを呼んでもらうのだが、どうみても、前に来たときと同じタクシーの運転手、1年前と同じ話してくるし、なんだと思うと昔まさみちゃんの隣の店で働いていた人らしい。(まさみちゃんは昔魚屋さんで、多分、今も独自ルートで仕入れているのかもしれない)運転手は私も昔魚屋でして、今はタクシー運転手で、いやはやまさみちゃんにはいつも紹介してもらってて、みたいな話をしながら、20歳年下の彼女がいることを自慢し(68歳と48歳)、それ、去年もしてたぞ、といいながら15分ぐらいの移動にも2回ぐらい馴染みの客から電話かかってきて、今、あかんよ乗せられませんと断るシーンもアリの地元密着システムを見せ付けられるのであった。オレも、老後お金があったら ジャームシュ監督みたいなナイトオンザプラネット的仕事も余興で楽しいかも知れないなあ。ゲロ吐かれたり強盗されたら嫌だけど。まあ、頼むわ、何を?
2016.02.28
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建築家とは何であるか。芸術家でもあるのだろうか。芸術家の一種とすれば、例外的に長生きするジャンルである。精神状態がおかしい狂気の芸術家は美術にも音楽にも存在するが、建築家がイッテしまっていたら、いつ崩れるか怖くて住めるものではない(黒川起床さんは、最後自殺したが)。隙間を埋めることに没頭する建築物も狂気の中に正常さがなければ、崩れてしまうのである。 医療史博物館を通り過ぎ、アルベルタ通り周辺に到着する。ま、ユーゲントシュティールって、ドイツ語でいってみても、要はフラ語でいえば、アールヌーボーってことである。ファサードに装飾しまくり、一部幾何学的模様に全体的に曲線を好み、植物模様、デフォルメしまくりのあれである。焼き物ならガレ、絵ならムハ(日本じゃ、ミュシャ)とかクリムトとかエゴンシーレ(エゴンシーレってジェームズディーンだよね)とか、そんで、リガにはヨーロッパ最大級のアールヌーボー建築群が固まっているよってなことなのである。てか、1900年頃から10年間だけで、ババッバアーンと出来上がったってことだけど。1904年、1905年。エイゼンシュティン2棟。1903年、Kペークシャエーエンス、Eラウベ。建物内に博物館あり。ここいら、エイゼンシュテイン続く。エイゼンシュテインを連発するが、ほら、あれ、戦争ポチョムキン(オレはいつも、ポチョムキンなんだか、ポムチョキンなんだか分からなくなるんだよねえ)のロシア映画の監督を思い出すが、というかオデッセイの階段シーンが映画史上に影響を及ぼした画期的なモンタージュ映画で有名で、何とかビデオ入手して見た30年近く前の話であるが、その監督の父である。というか、セルゲイエイゼンシュテイン監督、リーガ生まれね。ここロシア帝国、ソ連だったんだよなあ。それも、モスクワ・サンクトペテルブルグに次ぐ第3の人口都市だったんだよね。お、ホンジュラスだけは行ってるな。お、過去新発見2008年頃には旅行中に腕時計してた?エリザベス通りに入る。これはすごい。顔でかいやろ。嬉しいやないか、生への喜びやん、今まで叫びとかメドゥーサとかサタンとか装飾されてたからね。やっぱ、シンプルでこのような、アールヌボーとしたヌボーっと感もちとはいrんじゃない?ファシズム建築的巨大大味な感じするけどね。救世主生誕大聖堂、かなり金ピカで目立つ。おわり。おまけラトビア国立美術館。電話している女の子の仕草が日本人のようだった。 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.27
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明日はゆっくりと休日出勤で書類確認一人作業だと思うと、ついつい酒を飲んで本を読んでいるうちに座ったまま眠りに入り、4時半に寒気で起き、急いで布団に潜り、10時半に目覚め、途中で飯を食ってから、ひたすら書類格闘作業を夜の10時まで続け、もうこれは駄目だ、と嘆き、頭も痛くなり、帰り道に再度飯を食ってから家に戻る。 戻ると、先月も振込みできてません、という楽天カードからの案内が届いており、だいたい、どの銀行口座の引き落としやねん、だいたい、何のオカネやねん、と先月は分からんままに手数料払って振り込んどいたけど、電話で確認する。楽天銀行から引き落としされるようになってますよ、楽天モバイル代ですね、とのことであった。楽天銀行に口座なんかもてったっけ?そして、私が2台目のスマートフォンを購入したのが1昨年の12月であり、確かそのときの支払い方法のことを良く覚えてなかったが、一向に引き落としましたとも、明細も何も来ないので、どうなっているのだ、と思っていたのだが、思い出した。ヤフオク口座のひとつとして、楽天銀行口座を開いていて、多分そこに振り込まれたお金が1万数千円あったのだろう。せっせとそれを引き落としていたようである。セカンドユースとして、格安スマートフォンの1ヶ月の値段は1,355円である。1年間音沙汰なかったのはその1年分のオカネが口座に眠っていたとのことであり、しかし、銀行カードもってないぞ、というとクレジトカードと併用だそうであった。どうやっていれるねん、どうやら3万円以上入金するなら、ただのようであるから3万円入金しておこう。また2年くらいたつと、引き落としできませんでしたと、通知がくるだろう。 ところで、いらないけど、全く不要なのだが、会社がどうしてもマイナンバーいりますというので、役所に届いていない旨を伝えたのが1月中旬であったが、届いたのが2月1日である。早速、締め切りは過ぎていたものの、会社に登録しておくが、ほんと、いやな予感のするしろものだ。 ホテルをチェックアウトしてから30分程度で既に足の先が冷たくなってきて、これはヤバイの状態であった。まだ5時間ほど寒空の中、散歩しなくてはならない。何セ1月1日、レストラン以外のムージアムからなんから閉まっているので暖がとれない状況風景でした。NATO空爆跡地、全部は行きそびれた日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.26
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代休を取った水曜日夕方5時、6時に伊丹空港に車で人をピックアップする予定があったのだが、前日の夜11時頃に、フと、何気に、「おれも、どこかにフト行って、5時から6頃に伊丹着の飛行機で帰ってきたら合理的ではないか?」と非合理的に思ったのであった。そこで、散々昔から時間があったら作ろうとしていた「思いつき行き先詳細リスト」をまだ一向に作成しておらず、またもや頭の中で、過去2回ほど行こうとして行っていなかった遠野物語でもするか、と急に思い出したのであった。 今まで、伊丹には短時間しか駐車場に車を停めたことがないのだが、調べてみると30分200円であり、11時間も停めるとITMKIXカードを使っても2,030円となってしまうことが判明し、もっと安そうなところは割とあるんである、1,000円以下でもね。まあ、結局、送迎付きで利便性に負けてちょとだけ安いところにしたが、次回はそういう機会があれば熟考してもいいかも知れないな、と思った次第。平日の朝で通勤などもあり、早めに出たのだが、これが早い時間帯であったので、いつもより10分から15分早く到着し、同じ時刻に到着した車で来たジチャンバッチャンも「1時間もはやく来てもたー」と言っていた。そして、「JALですかANAですか」と送迎バスの中で送り先を聞かれて、「朝日旅行!」と答えていた。ナイスである。しかし、人のことはいえない、俺も例えばロアンゼルス市内から、電車にとって途中駅から空港行き(LAX)バスに無料で乗れるのだが、無料にのるのには、鉄道の切符を見せないといけないのに、パスポートを見せていた。ドキュメントって、トランスファー用の切符でなく、自己証明って思っちゃうジャン、というか、何でバス乗るのにID見せないといけないの?って話か。まあ、そんな間抜けなこと繰り返し、順調に左右も分からなくなっていくほどに、ボケ街道まっしぐら、50年後の未来に向かってまっしぐらである。あ、あと50年も生きてなかったわ。(朝日旅行ご夫婦様御一行は、オレと同じJAL建物前で適当に降ろされていた。3名様を一気に降ろしただけである。合理的である。レイショナルである。ちなみに本日乗るのはリージョナルジェットである。) 三菱もいよいよ、MRJリージョナルジェット、なかなか大変そうだねえ。まあそんな感じはさておいて、チェックインカウンターにやってきたのは60分前であった、お、チェックインしている人もたったの8人である。送迎され中。 これは、新聞でも読むことにするかと、最近、何故か移設になってから、心なしかカフェオレが美味くなったラウンジオブオーサカで、早朝サービスのクロハッサンと共にカフェオレを3杯啜る。美味いと感じるのは朝一だからだけかも知れないが、そう感じてしまうのだから仕方ない。何せ、学生時代以来振りに、1昨年フランスのニースで朝食採ってから勝手にカフェオレ一人で流行ってたからね。 花巻?そんなに誰も行き来しないだろう、俺も利用は2005年ぶりであり、おお、10年以上の歳月が過ぎ去っていたのであるか、ということである。であるが、仙台から車では東北道飛ばして来ているのではある。まあそれも2009年であったので7年前である。宮沢賢治の館である。あのときは、まあ、東北道ぶっ飛ばして、疲れて、まだ50キロ先の遠野に行く気がイッキに失せたのであるが、今回は、花巻空港から一気に勝負し、たった56キロを攻めるのである。それが奥羽奥の細々道である。いや遠いのお、の物語である。柳田國男といえば、まあ、ナウイ言い方をすればスピチュアルの走りである。まあ、官僚という職業があったので、自ら民俗学者とは思っていなかったのか、当時は民俗学という言葉自体がなかったのか・・・。まあ、話せば長いが、話さなかったら短いので、終り。 帰りは、ちょと奥に進みすぎたので、割と急ぎであった、急ぎ急いで空港に戻ったのは出発25分前であり、チェックインはエンブラエル(ブラジル)76席中71番目の(多分最後の)チェクインとなり、おお、混んでるやん、ということであった。やたら背広の人多かったので何だろうかということだ、製紙会社とか新日鉄釜石か?という感じである。恥ずかしい話であるが、中学校のとき、邦楽ではこれが一番好きだった。それで、今日、車の中でオフコース「眠れぬ夜」が流れ、ああ、酷い歌詞だなあ、と感心した。ところで、前日、打ち合わせ中、ほんのひょんなことから、ナビィの恋人、沖縄映画を紹介、最後のシーンがあきれ笑えるのであった。吹いた。それに、サンシンの豪華キャストである。スリップするかな・・・・。レンタカー、スタッドレスだから大丈夫だよね、って話(大丈夫です)。2016年岩手 花巻へ(リンク) 遠野 コンセイ様(リンク) 遠野 河童ロード(リンク) 遠野 河童物語2(リンク) 大船渡 碁石海岸(リンク) 大船渡 陸前高田(リンク)
2016.02.25
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昨晩、大阪から台北経由でバスで2時間、台南のホテルにチェックインしたのが夜中の1時前であった。暫く外をぶらつくが台北や高雄と違い、店がオープンしておらず、コンビニで飲み物(アルコール)を買ってきて部屋飲みしながら、明日のプランを完成させたのである、あとは、タクシーと交渉する際にこの紙を渡すだけだ。そう思って時計を見ると、5時になっており、時差があるので、ああ、4時だな、明日は早いから早く寝よう、7時半に起きて市内を半時間散歩して、朝食付きなのでメシくって8時半にチェックアウトしようと思うのであった。 携帯電話でアラームをセットしたのだが、セットの際にうっかり時差を忘れ、起こされたのが6時半、そのときはもっと寝たかったのですぐにきがついた。7時半だが、6時半やん、まだ1時間寝るよ、分かるよね、うん、分かる。おまけについつい深酒していたようで、気分もいまいちであり、寝てから2時間半であれば寝た感じもなく、次にがばっと、やばいと起きたのは現地時間8時である。 朝食をとってから、チェックアウトしたのが9時である(現地時間)。外に出て、タクシーとの交渉を終え、1つ目のスポットに到着したのは、確か9時50分であった。多分、この頃から、確かに時差1時間戻す計算を怠ったような気がする。3,40分かけて移動し第2のスポットに到着したときには12時前であったから、やばいな、あと2ついけるかなと思ったのも確かである。何せ14時7分の新幹線、最悪でも14時31分の新幹線に乗りたいのである。最悪の場合、桃園駅15時13分着、バスで15分だから倍みて、余裕見て16時空港着、17時25分の飛行機には間に合うのである。 そして3つ目スポットに到着したのが13時15分前、かけあしで見て、3つ目と4つ目が3キロしか離れてなかったので、行くことにして、13時15分にここを出発すれば、1つ目のスポットの近くに台中新幹線駅があるので、1時間から90分戻る時間を見込めば、14時15分から14時45分、90分かかったら、次の新幹線、桃園駅からタクシーぶっ飛ばして出発1時間前には何とか到着しぞうだな、と踏んだ。 4つ目のスポットは広範囲にわたっているのだが、そして、ビリーブイットオアノットもまあ淡水で見ているので省略して、15分、急いで意味なくくるくる回って13時15分に専属タクシーに乗り込んでと思えば、運転手がいない、あれーっと思って5分ほどイライラしていて待っていると、戻ってきて、「10分で戻ってくると言ったのに戻ってこないから探しに行ったよ」、と暢気に言われる。戻ったのは11分後だったのかも知れない。「とにかく、急いでシンカンシェン!」ということで、それが、途中からフリーハイウエイがあり、あれよあれよと最後の第4スポットルーガン(鹿港)から新幹線台中駅まで40分で到着。予想外である。おお、13時55分やないか、切符買って14時7分のに乗れるわ、いやはや。急いで口頭で、「タウエン」といいながら、「14:07台中→桃園 普通指定席」 と書いた紙を渡す、いや、列に並んでいるときに、表示されていた列車番号もあったので、「836」と車両番号も直前に入れておく。 切符売りの誠実な方は、ちょっと困った表情をしていたが、何が困ったのかよく分からなく、「この列車番号でいいのか?」といわれ、「そうそう」といい、発車5分前に発券してもらい、プラットフォームにつくと隣にも3分発の新幹線があり、「あれ?3分発で7分でって、4分後にまた新幹線来るのか、時刻表に載ってなかったんじゃないの?」とか思いながら、プラットフォームを歩いていると、すぐに新幹線がやってくる。 急ぎ7分に乗り込み、桃園駅まで40分。駅を降り、705番の空港行シャトルに乗り込む。客(席)か荷物がいっぱいになればどんどん発車であり、割と荒い運転である。何セ、近々にMRTが出来て廃止路線になるかも知れないんでね。しかし、MRTって、20年以上前からマニラ(フィリピン)にあって、その後、タイバンコクとかシンガポ、台北にできたりして、その名称に愛着ある。(MRTの意味は違うようだが)それでも新幹線駅でちょとだけ右往左往したので、チェックインカウンターに行ったのは90分前である。速攻でチェックインし、16時45分に機内案内(17時25分)するので、それまでに搭乗ゲートへ、といわれ、ウム、あと45分で搭乗ゲート、多少遅れてもいいけど、と思いながら、急ぎ地下のフードコートに行き、コンビニで500CCのビールを購入するのであった。購入勝手にして、勝手に席座って勝手に飲んでいると、あと30分でゲートに来いの時間になった感じだったので、セクユリテイトイミグレ向かウ。割とごった返していたセキュリティを越えると、30分が経過し、ああ、ゲート開く時間だな、こりゃまっすぐゲートにGOだと思い、歩き始めたが、ディパーチャー群の表示が1時間おかしいことにきがつき、ふと、その下の時間をみると、15時47分である。ん?16時45分ではないのか?あ、途中、どっかから時差カウントするの忘れた。あ、だから新幹線チケット売りの人、便名と時刻が違うので困ってたんだ(私が気がつかなかったのは、14時7分のつもりが13時7分だったからである)。 しまった、それなら鹿港であと1時間の余裕があり、そういえば、タクシー運転手もマンダリンで何度かいいのかこれで?みたいなことを言ってたような気がすることに気がつきはじめた。 ま、ホテルで朝飯食って以来、何も食べてないので、空港内で麺でもすするか、ということに決定(そうなると、機内食は食べないことに決定)。 しかし、1時間遅い時差でよかったよ、昔、バンコクからシンガポールに飛んだときは、油断しまくって、日本からタイは2時間、シンガポールは1時間ということを失念していた。だって、経度変わらんじゃろ、何となく、南下しるだけじゃろ、みたいなイメージをしてたもので。まあ、それで1時間早く、えらいことのになったが、1時間遅いなら大丈夫だ。 決定はしたものの、割りと損した感で埋め尽くされるのであった。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.02.24
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とか何とか言って大袈裟なことはいえないが、ざくっと申し上げると、大昔はまあそれとしてドイツ、ハンザ同盟の都市であった中世。中世ってできるだけ何もせず、出来るだけセーブして何とか何事もないように日々を過ごそうっていうイメージがあるのだが。隣のリトアニアがでかくなって、それがポーランドと一緒になり、その一部となったが、ロシアによってポーランド分割で親玉ポーランド自体が消滅、自動的にラトビアも消滅、それでもロシア革命のどさくさでバルト3国は独立、しかし、第二次世界大戦後はまたもやソ連に併合である。そしてソ連の崩壊、自滅する帝国をわきに91年、リトアニア、そしてエストニアの独立、最後に独立したということである。したとこうことであるが、覚えているのは、3国ほぼ同時に独立したなあ、と言うことだけを覚えており、何となく私も高揚感を感じたのであった。あの頃の世界のうねりは凄かった。あの頃のニュースは盛り上がった。テレビニュースをよく見た。600キロを3国にわたって手をつないだのだったねえ。そういえば、リトアニアの出発点にも立ったな。あれから30年が経過した。ソレまで生きてきた期間より長い時間が経過した。このあたりの国に行くのも簡単になった。ヒョイヒョイという感じになるとは当時想像もできなかった。そういえば、エストニアに行ったのは20年前であり、電話のアナログ回線でネット検索して、日本語のエストニア旅行に関するページが3件ほどあっただけだった。行って見れば、東洋人が珍しく、人々が振り返った。割と恥ずかしかった。今回は、誰も振り返らない、イヤ、一度だけ、私が振り返った。あれ?日本人旅行者か?と。いやあ、デビーギブソン、やたらフィリピンで流行ってたなあ。そのあと、日本人旅行者を見かけたかというと、ルクセンブルクで老夫婦とその娘の3人組ぐらいか。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.23
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スリランカのスリーピングブッダ ダンブッラ 福岡の日本最大のスリーピングブッダ 南蔵院 ラオス、ブッダパークのスリーピングブッダ 福岡、柳川のスリーピングブッダ 台湾、金剛宮のスリーピングブッダ タイ、ワットポーのスリーピングブッダ ビルマ バガン マヌーハ寺院のスリーピングブッダ ビルマ バガン シィンビンターリャウン寺院のスリーピングブッダ 加賀のスリーピングブッダ 鹿児島枕崎のスリーピングブッダ 香港シャーティーンのスリーピングブッダ? タイ、ワットカイのスリーピングブッダ ビルマ ラングーン チャウッターヂーパヤー 70メートルのスリーピングブッダビルマの半立ちブッダ みどり市のスリーピングブッダ? こいつはあかんやろ。 さてそのぐらいで、ニルバーナは勘弁しといたろ。今回はアユタヤの涅槃ということである。ワット・ローカヤスターラーム。基本的には、頭は北向き、顔は西向きが涅槃であり、反対向きはただのお眠りである。ただのお眠りブッダ像も確かどこかにあったんだよなあ。ちなみに日本ではこれが「北枕」とされる由来。 全長57.7メートル、高さ8メートル。ビルマ軍の攻勢で寺院施設はなくなった。つまり廃墟ではある。カルタゴではやてたけどな、あかんやろ。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.02.22
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ルクセンブルクの到着したら、ななだか暗いし、店がほとんど閉まっていたので、急いで買出しに出かけ、少し散歩してからホテルン戻って、ちょとルクセンブルクビールを飲む。水は500CCで50円ぐらいで、ビールも500CCで100円台なんで、日本より安い。ルクセンブルクビール夕食はフムス、以上。トルコ近辺の中東料理だぞ。朝目覚め、2階の食堂に行くと、駅前出勤風景が見られ、皆、働いているのに、優雅に朝食ともなれば、さらに優雅感が増す。さすが金融都市、背広ーマン&キャリアーレディが急ぎ足。こちらは悠長に3杯目のコーヒー。基本、ジュースは飲まないが、朝食付きなら朝一だけは、いつもオレンジジュースを飲んでしまう性。朝食に来たら、一人女性宿泊客が出て行って、30分ぐらいずっと一人で、食事を終えて出て行くときに、また一人の女性宿泊客とすれ違う。そういうシステムか。 朝食食ったあとは、明日の行き先のチェックをしているが、窓の外を薄着で見ていると、目の前のビルのオフィスの人達と目が会い、何だか笑いながら指差しながらオレの噂をしていたので、俺も手を振るが、薄着って下着に見えたかな。裸かな。ルクセンブルク市内散策しながら、魚食べるか、いや、腹減ってない。 結局朝、食ってから、次食うのは夜である。夜ではあるが、そのときは既にチューリヒであり、食う前にスイスビールを飲んでいるのである。 チューリッヒの夕食は、実はルクセンブルクで夕方に、割引があったので購入済み、体よく言えば空輸したのである。 それもインドネシア料理である。 翌日、リヒテンシュタインで、イタリアン&タイ&WIFIと書いていたので、うかうか入ってしまう。店内にはタイ人が2,3人働いていて、カーカー言ってて、「ああ、来週タイ行こう空いてたら!」と急にコミットメントするのであった。心の中で。(でも実際行ってもたけど)。 チューリヒに戻ったら、もっかいスイスビールである。夕食はクスクスだ。今度は北アフリカ(マグレブ)料理かい。マア、パスタの粒だけどね。 駅前のコープで購入、前来たときも買ったような。部屋でメシ食って、ビール飲んで、あったまってまどろんで・・・。ビール切れて、買いに行って・・・。また夜中2時に切れて、買いに行って・・・ついでに果物買って・・・アル中じゃないよ、そんなことしてるの旅行中だけだからね、多分、自宅には買いに行かなくてもストック十分だからね。3カ国グルメの旅でしたよ。ピヨヨン。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.21
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タイの地獄寺wat muang1の続きとなります。7、80年代初頭ムージックをお聞きになりながらご覧下さい。薄く、ウスークして、食べ易くローラしようね。舌が長くて、重たいので、切ってください。舌切り人間。カメゼリーになります。これから。オレ、食うの?不味いから辞めといたら?オレ、食うの?不味いから辞めといたら?眉毛の太さが男前な女。まあ、余興。レッツダンスラーゲリ送りでも笑顔の男前。萌えて燃えて。燃えきった。愛してるよ、ぼくもさ。空を染めてゆく真っ赤な血・・・煮えきる赤い血の中に足だけでなく、一物もサキッチョ埋没させたいです。あの世でも、どらっぐスマグラー(運び屋)です。地獄では、女性も容赦しないそうです。あの世に来てまで、まだ銃ですか、飽きたわ。ゲップ。もう長い舌重たいから切ってね。このBBQ、どっちに回す?やっぱり、口に血が溢れて窒息するじゃんか、あ、もう死んでた、あ、じゃあ、何で腹筋させるのよ、あ、もう死んでた。やっぱり、口に血が溢れて窒息するじゃんか、あ、もう死んでた、あ、じゃあ、何で腹筋させるのよ、あ、もう死んでた。おれのモノに触るなよ。白い人も活躍痛い行き方しますか?あ、死んでた。そんな訳で3部作は一旦終了にしようと考えた。できれば地獄に行きたくないと思いました。永遠に何回も拷問されて死んでまた生き返って拷問されて、神経抜いて欲しいわ。
2016.02.20
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先日台湾旅行調査をしているうちに、時間がなくなって断念した台湾だが、やはり、行きたくなったので、我慢強い日本の曖昧な私は、1週間を待たずして、早々に仕事を切り上げ、早々も早々過ぎるぐらい早く切り上げてしまったので、一度家に戻った挙句、急いでシャワーをして出て行ったのである。 そのシャワータイムが仇となったのか、いちいち家に戻ったのが仇となったのか、着々と離陸時刻が近づき、関西国際空港に到着してカウンターに向かって歩いているときには、「台湾行きのトイモイさま、至急チェックインカウンターに起こし下さい」という空港中にアナウンスが響いているところであった。危うくno showピープルになるところであった。何故ゆえ、空港に私の名を鳴り響かせる?親切が痛い。座席は300程度、今日は満席、最後の1席です、と言われた。うおお、こりゃアブねえ、危ないってか、割とセキュリティも混んでいて進まず、やっと通過し、ひたすら搭乗口に向かい、搭乗口が見えると、もはや客はいない。そのまま、突入し、座席は、最後の1席の訳得か、エコニミー1番前の足がゆっくりできるバシネット席であった。まあ、隣3席は夫婦とあかちゃんと小さな子供で、まあ、泣いているが、泣いていることにいちいち目くじらを立てたり殺意をもよおしたりするチンケな人間ではなく、あかちゃんは自分がいったい何をされていてどこに行こうとしているのかひたすら分からないまま高度が上がったり下がったりして、耳が塞がったりして不快に泣くのであろう。唾を飲むコムとか、そんな高度な方法も知らないので、不便である。快適な環境でスヤスヤ休むことがオレサマの仕事のはずなのに、邪魔しよって、あかちゃんはそう主張しているのだ。頼んでもないのに、1800キロも移動させよってからに。 それにしても、石垣島で1700キロ、石垣島のほうが台北より南にあるわけで、フライト時間はほとんど変わらず、国内線ではコーヒーが、国際線ではアルコールと食事、エンターテーメントがある。そういえば、台湾人やタイ人に人気のニッポンだが、北海道なんか大人気だ。一方寒い国の人に人気がある沖縄には、台湾人やタイ人に人気がない。自国にリゾートを持っているのに、何故わざわざ感があるのだろう。そらそうだろう。 さすがに旧正月の灯火だろう。日本旅行を終える台湾人が大半である。そして前にもチャイナエアラインに乗ったときに思ったが、乗務員の数が多い感じがするのである。食事のサービスも1番前なので1番なのであるが、反対側で日本語やマンダリンで食事の選択を聞いていた。そして私に向かって英語で話しかけてきた。そしてまたマンダリン時々日本語みたいな感じで後方に進んで行った。何故オレだけ英語で食事の選択や飲み物の注文を聞いてきたのだろうか、という疑問は置いといて、007の最新作「スペクター」を見るのであった。(前作の「スカイウォーカー」も機内でみた。どこの機内かは忘れたが。) 見るも何も、終わる手前で着陸。調べると、上映時間は148分、アア、着いちゃったよ。という間抜け感。考えれば、学生時代は、長い飛行機早く着いて欲しいと思いながら、到着間際では知らない土地に不安とワクワク感とが入り乱れ、もう10分ぐらい飛行機飛んでていいよ、という気持ちにもなったものだが、さすがにそういうのはなく、神様機械論的に予定調和で動くのである。 手提げカバンひとつなので、すぐに外に出て、回り込み、バス乗り場に到着。勿論、矢印の方向に進んで行っただけである。台中行きのバスは3社あり、値段は同じなので、一番早いバス、は満席、その次に早いバス会社でチケットを購入し、出発まで50分ぐらいあるやん、と思いながら、携帯電話の充電をする。私の携帯電話充電作業を見たおばちゃんも寄ってきて、これどうしたらいいの、とか聞かれて、コンセントに刺してあげる。そして、ちょっと私場所はなれるから荷物と携帯見といて(と多分言ったのだと思う)、どこかへ行ってしまった。(10分ぐらいで帰ってきたが)とにかく、バス番号は、3社のそれぞれ1623、1860、5503である、最終便は5503の1時である。22時代関空発でも0時25分着で、乗れてたかも知れない。考えたらバスは7~800円であり、まだ新幹線に乗れる時間帯だったのであることにチケットを買ってから気がついた。新幹線駅まで100円ぐらい、新幹線が1,500円ぐらいである。こちらなら1時間ぐらい早く着きそうであった。いや台中新幹線駅から在来線台中駅まで考えると30分ぐらいしか違わないか、それで1,000円ぐらい多く払って、移動3回考えたら、それで、どうせ夜中に着くから同じか、行くとこないし。 22時40分発で、35分に7番線に来い、ということであったが、うっかり携帯のアップグレードをインストールしてしまい、このまま離れるとWIFIが届かず、中途半端になったらヤバイかなと思い、それでもえ、210個もなんか更新するの?ゲゲ、といいながら何とか15分程で180までいったところで、これ以上はマズイとバス停に行くと、33分なのに、私以外全員乗り込んでおり、私が乗り込むとすぐに出発した。座ったときにダウンロードが終了し(WIFI飛んでた)、動き出して数秒でWIFIが切れた。 2バイ1のユックリシートバスかいな、しかし割とエンジンがおんぼろであり、5分か10分あとに出発した他社のバスに抜かれるという惨事を体験しながらも、高速道路、割と道ガタガタやなあ、と思うのでった。学生時代は、長いアジアの旅行から帰ると、空港リムジンバスに乗ると、バスが道路を舐めているというか滑っている感じがして、なんて揺れがないのだ、すごいなと思ったものだが、これはなかなか本も読めないなといいながらも読んでいた。 90分程度走ると、バスは高速を降りて台中に入る。なんだ、2時間少々って聞いてたからと思ったが、ここから小まめに止まり、台中駅最終地点に到着するまで30分以上かかったのであった。最終地点は駅が見えたら終わりかなと思ったが、車掌がなんか叫んで全員が降りたので降りた。駅の100メートルぐらい手前が最終地点だったようで、駅が見えないので分からないが、とにかく、多分駅方面はこちらだと思って歩くと、すぐ駅が見え、その横に今日泊まるホテルも見えた。深夜1時前である。チェックインのニイチャンもいかつい感じだったが、たどたどしい日本語できっちり説明してくれた。地方都市台中の5,000円しないホテルでも日本語話してくれるんだねえ、と割と感心した。割と感心しながらホテルにチェックインして、5分後には、また外に出て行くのであった。「さよか」で終りである。とにかく、no time to loseである。16時間後の飛行機で日本帰らないと、会社がアルカらね。明後日。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.02.19
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506 台湾 彰化縣福興鄉福南村沿海路四段556號巷 タクシーは、迷って、人に聞きながらやっと、墓場の前で止まった。ポツーンと墓場と対峙するタクシーである。貝と珊瑚で埋め尽くされた外壁は、中味を隠そうと、一瞬見えるのだが、入口は降るオープンである。オープンマインドである。解き放たれたココロである。たとえ壁でも外見は大切なのである。それは人間と同じである。外見が割とどうでもいいのは郊外型巨大店やショッピングモールだけで十分である。まずは、休まずに中に入る。メインゲート、ファサードは大切である。人が住んでいれば開口をとって明るくしたい、でも防音したりプライバシー守りたいといった矛盾と戦うのが住居かも知れないが、寺院とおいうものは、中にも外にも開かれているのである。特に田舎なので、24時間誰でも来たまえ、祈りたいもの拒まず、といったポジティブな思考である。暴走系へと走り出す世界、偏屈に隙間を埋めたくて仕方ない、誰か私を止めてくれ!といった思想がにじみ出る。滲み出るものの、そこに気迫はなく、言葉で言えば、「ニジ~」である。終わりかけの接着剤を無理矢理、引っ張ってやっと残滓が出てくる音である。歯磨き粉を無理矢理、引っ張ってやっと残滓が出てくる音である。紅色の玉も電飾にはしてないものの、宇宙に通じるものがあるのかも知れない。さて、両壁にカンフーなのか、渋い表情をしながらも、単にカッコつけているだけに見えるが、妙に、こんな顔の人いるよ、というのが特徴的な昼下がりであった。貝拳とでもいうべきなのだろうか、手にほら貝でも持たせると引き立つのかも知れない。特に意味はないと思われるが、この人民寺院の見所のハイライトの一つである。とにかく、手の仕草が通常ではない。そしてパンツは江頭だろ。病気なのか、肌色が悪いのも愛嬌だろう。以前行った山の上にある貝殻廟と勝るに劣らぬ光景であり、やや、こちらのほうが、よくも飽きずに同じモチーフ繰り返すなあ、という感じである。さすがに一人で作っただけある、偏屈なのか、飽きたけど惰性で同じモチーフを繰り返すのか、いやいや、飽きてはいない、まだまだ続くのだ。いや、もう止めるに辞めれなくなったの状態なのかもしれない。(その証拠は、後日日記レポートを待て、え、誰も待ってない。)天井も、星の輝きである、感嘆しても感嘆仕切れぬものは、天上の星の輝きと、我が心の内なる道徳心である。以前行った山の上にある三芝貝殻廟もぐるりと回る裏側があったが、こちらにもあるのであった。その世一周コースである。継続は力なり、そういう受験勉強時代の教訓を、ここでさらに強化したという感じであった。10年で、これくらいは、出来るということである。勿論完成ではないことは、分かったが、というか、多分、終りなき戦い、将来原液、いや現役なのだろう。根気だ!いや、惰性だ!惰性は力なり。全然関係ないが、神戸市は、福岡市に人口抜かれて全国6位になった。0.5秒ぐらいだけムットしたが、まあ、大人気ないので「さよか」で終りである。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.02.18
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続きとなります。キッチュなものだけを生み出しているわけではないのである。人口ボーナスがあって美味く時流に乗って発展できた日本にもちゃんと技術はあるのである。人口ボーナスがあったからこそ、それが他の要因と絡んで30年も40年も経済発展し続けてきたということである。そんな中で少年から学生時代を暮らすと、経済第一なのか?という疑問を抱え、アジアの大地に寝転んで、闇ってなんて暗いのだ、月明かりってなんて明るいんだ、何がいいのか分からない状態になった。しかし、それは甘えであった。停滞、衰退していくと、悠長な気分にもなれぬ。遂に人類史上、食べる飢える心配がなくなってきて、一般人までもが考える時間ができ、たったここ50年100年はじめて一般成人男性に安定雇用ができたのに、足元が揺らぐと心配している。 ところでアジアなどの海外旅行に行って服を買ってみて、感心し、日本の偉大さを感じるのはYKKである。富山の世界に冠たる企業である。ファスナーって単純な感じがするのだが、こりゃどっこい、1日でへたる商品も多数ある。オレがバンコクで買ったロンシャンも1時間で閉まらなくなり、えらい目にあった。ファスナーがどこでも止まりそこからずり落ちない、外れない、実は1,200もの技術が詰め込まれ1000分の1の誤差の範囲で作られているハイテク商品なのである。それを特許で守っているとのことである。ビーサンも、勿論ゲタがあった日本の発明品、神戸市中央区栄町通4丁目にある内外ゴム(本社は明石)が開発したものである。まあ、アメリカ人が発注したようだが、鼻緒がゴム、初めてフィリピンにいったとき、超安物系のビーチサンダル皆が履いていたので驚いた。暑い国では年中ビーチサンダルで、私もフィリピンから帰って随分感化されて秋の寒くなる寸前まで通学を含めほとんどビーサンで過ごしたのであった。今考えたら、夏のクソ暑い時でも近くの下宿生でないものがビーサンで登校している姿はあまり見られなかったかと思う。まあオレもハワイのサーファー気取りだった、というのは嘘で、たまに通勤電車乗って、おっさんの革靴に踏まれないように注意したものである。今や出世して皮のサンダルである、それも私服のときだけである。この前、1日中外で立ちっ放しになっとけの仕事を数日過ごしたが、そこは栄光の使い捨てカイロである。ホカロンである。使ったことはないが、昔テレビで宣伝していたのは、容器に薬物を入れて暖める面倒な切り替え式のハッキンカイロが主流であったが、いかにもメンドクサソウな感じがするのだが、HP見るとワルクナイネ、まあまだ生き残っているということは、昔と違ってかなり進化したのであろう。今はいろんなメーカーが参入して、世界中で売上を伸ばしていおるのである。どこにいっても、日本ほど見かけないけど。乾電池は松下だ。今はパナソニックだが当時のブランドはナショナルである。それまでは湿電池だったらしいが、発明したのはボルタである。ボルトの語源である。まあ、いまは充電式電池の時代か。バネのことを発條というが、それを知ったのは大学で就職を考えていた時に調べていると、バネ業界というのは、日本がやたら世界のシェアを占めているということであり、それぞれのトップメーカーが世界の5割とか日本の9割とか占めているのであった。そうやって調べると消火器メーカーなんかもヤマトだっけ、シャアすごいし、もっとニッチにいくと(そういえば、この前、結婚式に行ったときに10年ぶりぐらいに会った人が当時、いきなり、「トイモイサン、ニッチってどういう意味ですか」と聞かれたなあ) 日本では全く売れないが、イスラム圏でロングランでバカ売れしているのが、イスラム時計である。メッカの方向、場所や季節で変わる祈りの時間の割り出し、イスラム歴の表示、これを発売しているのがカシオである。ん?ウシオ電機だったか?あー、カシオである。最近の文房具ヒット作はフリクションボールペンだろう。消しゴムで消えるやつね。これはいい、いいが、インクの減りがやたら早いのだけが、どうも気がかりである。でもこれは商品名入っていても貰えば嬉しい一品である。 今、バンコクとかシンガとか台北、ソウル行ったら市内を走る地下鉄なんかは光センサーの自動改札機であり、私も毎日JRも地下鉄もピッピで通過しているのだが、昔の国鉄は切符切ってたり定期を目視していたりしていたのどかで混雑を招くシステムであった。たまに海外でゴムインでなく、切符切られたらちょっと嬉しいが、そんなシーン最近あったかな・・・。国鉄の改札の人が職業病で切符切りカチカチ鳴らしていて、切符切りの仕事はしたくないなあ、と子供心に思っていたのであった。鉄道運転手ならいいけど、ってのはあったけど。そういえば、バンコクのバスの切符って、昔、複雑に切符にカット入れてたよねえ、芸術的であった。円柱の真鍮の銭入れを空けたり締めたりして、あれ?その真鍮自体が切符きれるようになってたっけ?あ、オサレになっている。市内バスもう働いてから乗ってないからなあ。あ、そうそう、このヒカリセンサー改札を開発したのは近鉄とオムロンらしいぜ。昔の立石電気ね。オレの先輩も働いているよ。ん?ポコペンの説明したかな。漢字は掲載の画像の中にあるよ。2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.02.17
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かつて、カリスマ、チトー大統領がまとめあげたバルカンにあった南スラブ人中心の国家、ユーゴスラビア。かつて昭和天皇お葬式の際には弔問外交と称して援助を求める多くの国々、世界最高の163カ国から葬式に参列した。それまでの最高に各国要人を集めた最高記録は120国、チトー大統領であった。「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と俗に言われていたように、これをユーゴスラビア一つにまとめられていたのはチトーによるところが大きい。その後の戦争や分裂は歴史のみるところである。ミシェロビッチとかいたよなあ。チトーというニックネームは「あれやれ!これやれ!」という語尾がチトーというところからきたらしいぞということを学生のとき聞いたことがある。チトー(Tito)という名前は、「お前(Ti)があれもこれ(to)もしろ」という横柄な文章から取られたもので、冗談のネタにのようである。昭和の終わりの日の話を思い出す。昭和の時代が間もなく終わる頃、私は商品の出し入れする配送センターでのアルバイトをして、いわゆるインド資金を貯めていた。折りしもバブルの頃、時給はなかなかよかった。 ある日昼食にすぐ横の古びた定食屋に入った。そこのおばさんは、夫に浮気されたあげく逃げられましたが女手ひとつで2人の子供を育てました、というような人生裏街道気質を醸し出した人であった。(勝手なこといってすみません)十分に人生悩み疲れましたよ、暗い部分見え隠れしますが堪忍してというような顔をして(勝手なこといってすみません)注文を取りにきた。何ヶ月か前の雑誌アエラを読みながら昼食を終えた私は、勘定をお願いした。そのときであった。おばちゃんは、流しの横に這い出てきたゴキブリを、右親指でプチュっと潰したのであった。そして何事もなかったように私にお釣りをよこしてくれた。その日、昭和天皇はそのとき亡くなった。私はその店に二度と行かなかったが、私の昭和の終わり方は、ゴキブリ、プチュが刷り込みされてしまった。話を戻して、そのユーゴスラビアの首都が、このセルビアの首都ベオグラードであった。どちらかというと、ベオグラードはすぐ出てくるのだが、セルビアという国名がすぐに出てこない。ユーゴスラビアの元の国名は、第一次世界大戦後、「セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国」であった。ん?王国。そうである、ユーゴスラビア連邦人民共和国の前は、ユーゴスラビア王国であった。社会主義国家放棄の嵐が吹き荒れた1991年以降、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア(コソボは世界的に未承認)、モンテネグロ、マケドニア6つの国家に分かれた。どんどん独立分離していき、2003年、セルビアとモンテネグロだけがユーゴに留まり、そしてユーゴの名前が消えた。(2006年にはモンテネグロも独立)セルビアが一番えばっていたのか、というと、今ではそんな印象は、受けない。印象だけからいえば、スロベニアが最も発展していて(実際ユーゴ時代からそうだった)、モンテネグロとマケドニアは田舎、ボスニアヘルティゴビナは未だ戦火の後、クロアチアは観光地マッシグラという感じである。顔つきは、東洋人からみると、モンテネグロ人もクロアチア人もムスリム人もセルビア人も、同じに見える。それにしても、セルビアも散々な国である。それにしても、この数年で、やっとこさユーゴスラビアが終了したなあ、と感慨深いものがあるぜよ。2011年 スロベニア、2011年 ボスニア・ヘルツェゴビナ、2012年 クロアチア、2014年 モンテネグロ2014年 マケドニアそして2016年正月をここで過ごす。 大晦日の夕方、ドナウ川を見ながらドナドナする。日本は島国なので意識しないが、数々の国境を越える国際河川であり、首都も掠める。ドナウ川(ドイツ語、英語でダニューブ川)は、私も見たよ。ドイツのバイエルン地方から、美しく青きドナウのウィーン(オーストリアの首都)で、ブラチスラバ(スロバキアの首都)、ドナウの真珠ブダペスト(ハンガリーの首都)、そして最後の首都ベオグラード、4つの首都を通る。その後、ルーマニア、ブルガリア、ウクライナあたりの国境沿いを通りながら黒海に流れていく。ブラチスラバブダペストウィーン 日が暮れていく、今年最後の陽であった。ドナウ川が暗くなっていく。今年一年を感謝して。何に対してか、分からないが、思いつくこと全てに。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.16
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神奈川県程度の広さのルクセンブルグの首都は、大きな声では言えないが、ルクセンブルグ市である。城壁都市でもある。世界遺産になってたりもする。城砦は、断崖を利用した絶壁の上にあり、城壁が取り囲んでいる。ロンドンに次ぐ金融都市であり、カウント方法もあるかもしれないが、一人当たりの所得は欧州1である、もしかしたら世界一だったかもしれない。ともかく、1000万円以上である。朝11時にチェックアウトしてフロントで荷物を預け、夕方空港に向かうまでがブラブラタイムである。そういえば空港は6キロ先であるが、ルクセンブルク貨物(カーゴラスクだっけ)は欧州一の貨物量で、日本にも小松空港に入ってきている。そのため、小松空港は地方空港だが、割とウハウハだったと思うのである。知らんけど。高架橋を渡って旧市街へと入っていく。 昨晩、バス降り間違えて、歩いたアドルフ橋憲法広場 というより駐車場である。 先ほど歩いて来た高架橋ノートルダム寺院ノートルダム寺院裏口大公宮 かつて市庁舎大公宮裏口ボックの砲台付近サンジャン教会ギョーム広場 ギョームって発音じゃないんだろうなあ。ゲーテもギョエーテなんだか、ガータなんだか。ちなみギョームはフランス語圏だが、英語はウイリアム、ドイツ語はヴェルヘルムだね。市民サービスセンターみたいな感じのところ市庁舎と即席スケートリンク自治宮殿 出入り自由これからベオグラード経由で日本帰るが、それぞれ1188キロ9498キロとのこと。あ、チェックアウトしてから1時間少々でやることなくなった。暇やン。 2016正月ラトビア・ルクセンブルグ・スイス・リヒテンシュタイン・セルビア 日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.15
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今日の無料試飲はこの3種。まずは、コンパニオンの方に、おいしい作り方を伝授される。そこは、神妙に聞かないと、ただ飲みにきただけだということがばれる、いや、それだけのためなら原価効率が悪すぎる。 昔、スーパーニッカって安物のイメージなかったか?それは子供時代だったので印象に過ぎない。今や、工場見学で崇高な醸成過程と邁進する思想に感化され、すっかり洗脳される側の論理である。コンパニオンのおねえさんの説明が終了し、3杯、自由に飲んで下さい、それではここで解散ですとのことであるが、3杯だけなら割と不自由であると感じながら、竹鶴はストレートとする。 うまい、昼からの酒は美味い。おまけに休日出勤続きなので、今日は代休の平日であるのが、更に美味い。そういう訳で、私が平日に代休を取って、へらへらと昼間から北海道でウイスキを飲んでいるのは誰も知らないので、取引先カラ「バンバン」と電話がかかてくるが、それは、グラス片手に雪景色を見ながら、グラスをユラユラ回しながら応答するのであった。。スーパーニッカは、そうだな、なんだか、先述の通り子供時代にイマイチの子供印象しかなかったんで、オイシイ水割りに挑戦してみるか、ん、コンパニオンちゃんの説明なくてもちゃんと印刷されて紹介されてるやん。いや、さっき、オンザロックは、マドラーを31回回せといっていたな。31回はギャグではなく、何度も試した結果、氷が均等に溶けて水がウイスキーと均等に混ざって一番美味くなる「回数」だとのことだったが、確か原液1水3、氷2個、か3個だったかである。そんなに私の舌は繊細ではないからな。ココロは薄氷のようなんだが。すっかり忘れていたが、隣の土産物屋で買うより、小分けシステムによるここで土産を買ったほうがイイゼとのことであったが、若干酔いも回りもあってすっかり忘れていた。人間、忘れるから生きていけるんだ。(忘れることができない障害をもつ方もおられ、昨日と10年前の記憶の鮮明度が同じで、懐かしさの概念がなく、嬉しさや悲しさがいつまでも続くつらい病気)飲み終わったか。いやこぼしたから、お代わりにいく。事情説明して。コースターとしてお使いくださいね、って薄いやん。これすぐ駄目になるじゃん、10年使っている山崎樽コースターに負けたな。 さて、余市、次の観光地目指すよ。フゴッペ洞窟だ。ケービングマシーンとなるのだ、多少の酔いなら大丈夫。え、冬季休業だって?あとの2箇所も冬季休業だって?やることなくなった。仕方ない、有料バーに行くか。そうえば、1、2、3年前にバーで「これは煙いですよ~」と勧められてのんだときに、ああ、味でケムイってこういうことなんだなあ、と改めて感心。ウイスキーを持ち込んだ一人としてペリーが上げられるが、そのバーではペリーの顔のバーボンが棚に置かれていた。私は、それを見て「お、ペルリやん」というとマスターは、「当たり、当てた人、初めてですよ、皆西郷隆盛?っていうんですよ」といって当たり記念に一杯飲ませてもらった。ガ、味は忘れた。もはや、土産物屋に行く以外次の列車までやることなくなり、立ち尽くす。ヨー、ロレンス、サンダー。かっこよく、ウイスキーの旅って、スコットランドなんかい?考えたら、学生の頃はバーボン(アメリカン)ウイスキーが好きだったけど、やっぱ、甘いからだったのだろうか。さすがに、友達の家出1本徹夜で空けたら、翌日しんどかったな。3円しないなら、買って帰えろかな。ゲール語で命の水をね。2016余市 余市 宇宙館(リンク) 余市ウイスキー1(リンク) 余市drinkの旅(リンク) 余市ウイスキー工場細密(リンク) 余市シングルモルトの旅(リンク) 北海道gourmetの旅(リンク)
2016.02.14
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タイや中国や道教や仏教や。我々、日本人は、輪廻転生と言ってどう考えるかというと、まあ、だいたい肯定的な意味ではないだろうか、生まれ変わったらもっといい階級や金持ちや裕福に生まれたい、また一緒になれるといいね、また同じようなジンセイン繰り返しまあ、転生のほうである・・・しかし、インド人の来世イメージは、まあ、暗い。次、蟻や蚊に生まれ変わったらどうしよう、前世も来世も不可触賎民に生まれて永遠に貧民のまま・・・そんな感じだ。まあ輪廻である。解脱とは輪廻から外れて永遠にこの世には帰ってこないことだが、初めて聞いたときは、何故帰ってこないのか不思議に思ったが、この世は辛いことであり、例え裕福でも老いや病気の恐怖は付いて周り、ねたみや恨みはついてまわり、もうこんな世の中オサラバだぜってことなのだ。というか、ブッダは解脱したが、輪廻転生については、死語の世界については口をつぐんだ。無記という。いや、目的を持って生まれ変わる、使命を持って生まれ変わる、ではなく、ただ執着の煩悩でオートマチカリーに輪廻しているだけだよーん、である。最近、終活やエンディングノートやなんてのが流行っているが、(ほんまか?)それこそ、生への執着というか、どうせ、死んでしまえば、時もたてば、本当に世の中からなくなる。知り合いも死んでしまえば、誰かの思い出の中にもでてくることもなくなり、完全消滅するまで50年100年。輪廻を信じるインドでは、よく、裕福であろうが、サドゥ世捨て人となり所有物を捨て流浪の旅に出ていくと聞く。学生時代からそう来ていたが、考えれば、輪廻から逃れるには、まずは、今の人生を降りて外れていくことからはじめるということかも知れない。
2016.02.13
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大学の後輩永眠
2016.02.13
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< ん?世界遺産の市場なの?古い倉庫を改造したもん、これは航空機格納庫跡じゃないか?調べたら飛行船の格納庫だった。紹介外は寒い。旧東ヨーロッパ最大級市場というが、級が何を意味するか不明。確かに格納庫4個分に、ちゃーんといろいろ店入ってるけどね。寒いところの魚は身が引き締まって美味そうだな、という見た目だけの問題。格納庫ごとに、サカナー、にくー、チーズやヤサイーに分かれている。燻製うなぎとか・・・好きですか?水族館に行くと、この魚美味いんだろうか、と考えてしまう癖があるものの、死にたてピチピチの魚や切ってしまった魚については、美味そうだなという実感が沸かない。肉より魚のほうが断然好きだが確かに、肉の見た目って、単なるグロテスクで、調理後のステーキやハンバーグや焼肉やって、視覚的にうまそーだなーというのないねえ。匂いは美味そうってあるけどね。その点では、刺身も色とりどりで綺麗だねえ、あまりに熱帯魚系獄彩色になってたら崩れそうでイマイチな感じだけど。いや、実際、南国でエンゼルフェッシュみたいな熱帯魚、吊り上げて、食べるとマズ、ゆるっ!だったように思う。今考えたらキャビアお土産に買っておけばよかったかなと思う次第。値段はピンキリで、そこまで見ないが、どこが最高級安いのか?カスピ海のロシア側でとれたベルーガのキャビア。ここでは2,300円のものが多くあるが、ヨーロッパでは魚卵をキャビアなんかいって、(ロシアでは魚卵のことをイクラという)チョウザメの魚卵なんか分からん。確かに黒い小さな粒が見えたものもあった。青い缶がロシア製のような気がする。値段も、ウッ!である。野菜格納庫である。おっと、見逃せないザワー系。ヨーグルト系ハムチーズ系ンクニク肉系寒い系、外はなあ・・・。寒い系、外はなあ・・・。すっかり時間も昼下がりになてきた。これは、なんだ。おお、ひさしぶりに見た旧ソ連系建物。科学アカデミー。名前からして旧共産圏。スターリン的で、ワルシャワでも1つ見たなあ。今や異質な建物に見える。まあ、威圧感を与える建築様式もスターリンクラッシックというようだ。いやはら、ラトビアはもともとハンザ同盟のほうで、ソ連?はあ?という建築の世界なのだが、これだけは違うなあ。全然関係ないけど、マニラのこれいいね日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.12
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前哨戦 昨日は台湾行きを断念したあと、昼寝をしたのだが、何だか、思い起こせば、健康センターや運転免許更新センター移動中に矢鱈滅多ら睡魔に襲われていたので、相当に眠いのではないかと、仮眠をとったころ、普段の睡眠時間に限りなく透明に近い4時間半もとってしまい、寝すぎたんとちゃうの、と思いながら、そうだ、沖縄方面明日行こうかな、と思うが行きたい奴らはイッパイいるうで、調べていると、お、石垣直行便空いているな、これでそうしようかな、でも、石垣特に急ぎ行きたいとこないしな、お、痴呆のレンタカー安いやん、3,000円切ってるやん、と思いながら漫然と検索ボーイをしていたのだが、台湾といい、石垣といい、(実はグアムも検討した)といい、よくよく考えれば、寒いのを避けたいだけなのに、気が付いたので、明日は、休みを利用して温泉銭湯に行くことにした。なんせ、有馬の裏側で、普通の銭湯が普通の料金で温泉なのである。これで、朝5時半に起きて、関空8時35分の石垣行に乗るのはやめて、出費も500円以下に抑えられたというハッピープランに決定。あー、部屋寒いわあ。コート着てるのに、まだ部屋寒いわあ。明日、布団から出られるかしらん。結局、五時半に起きる予定はなくなったので、4時半に歩いて吉野家の牛丼に向かう。本題 ところで、個人の携帯電話は急に非常に勝手なことをおっぱじめたので、記録しておく。だいたい、たいとるからが待ちがっとう。飛行機の履歴だけを拾ったからだな。あ、1日目表示なく終わった。ああ、なるほど、携帯電話で撮った写真とその日付から勝手に類推してるわけね。確かにホテル名も携帯メールに転送したような気がする。フランクには飛んだよ、経由地で。でもどうやら携帯君には重要なようだ。確かにフランクフルト空港で、1枚、試しで写真撮った。あ、ルクセンブルクに到着した模様。え、あっ、もうスイスに移動ね。高速やネエ。え、あっ、と思いきやセルビアに移動ね。瞬間やねえ。うーん、ドナウ川。ドナドナドナ~。おや、何故か時系列違うが、スイスとリヒテンシュタインに戻る。フフフ、所詮浅はかな機械君に過ぎないことが証明され、嗤う。今後勝手作成は必要はないよ。でも、まだ分からんか2045年問題。シンギュラリティ(特異点)に達するといわれる年数だね。人工知能が人間知能を越える年といわれている。ムーアの法則といって18ヶ月にコンピーターチップの性能が2倍になっていくことを想定したら2045年に、どうなるか分からんよ、人間知能越えたら、人口知能が何するか予測できないよ、という問題である。あなたは収入に対して無意味に支出しすぎです、いや、あなたの存在意義があまりありませんので、処分します、なんか言われそうだ。いやいや、無責任だが、そんなこといわえなくても、そろそろ死ぬ頃だからね。3~40年後になりますが、「皆さん」さよーならー。人類史上、いい時代といい場所に生きてこれました。日本に生まれただけでラッキー、戦争のない時代に生まれてラッキー。感謝である。何に感謝していいのか分からないが。ドナドナドナ~。何セ、俺も、どうやら、年を取った。そう感じるのは、久しぶりに取引先に会ったら、覚えてくれてますか~と言われるようになったからねえ。ドナドナドナ~。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.11
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囁く程度でしか、呟けないのであるが、そういう訳で、1年に1度の健康診断のにて、いつもと同じ時間に起き、しかし、会社に向かわずに、健康診断センターに向かうのである。お前の悪いところを管理してやる、といった恐ろしい部署である。 断固、今年は胃カメラも大腸ガン検査も拒否、と思いきや、ひかっからずに、ちょっと、経過観察ですね、ということになった。癌の早期発見早期治療が延命になるのかは、癌の種類によると思うので、ちょっとのことでジタバタしても仕方ないと思うのであるが、医者は、違う。早く治療、早く切る、早くオカネ、ことであり、それが仕事であり、別に金儲けを考えていなくても、それが職業的論理である。いや、まー経過観察、シバラクホットキマショカーでは、医者もあまり嬉しくないのである。早く手を打って何とかしなければと善意に思われても、それが延命になるのかどうかは、実際のところ分からんのである。実際、うーん、ほっときましょか、という医者は、職業放棄である。しかし、十分に放棄してもらってもいいのである。まあ、自分が致命傷になってないから、そんな悠長なこと言っているんだけどね。最後の問診では女性の先生が、ウーン体重が毎年減って言ってますね、と他人事ながら心配してくれた。確かに、そういうつもりはなかったが、5年前から毎年順調に2キロずつやせていっており、5年前から8キロ痩せていることが判明するが、家に体重計がないから分からんのだけど、そういえば、最近久しぶりに会った取引先3,4人に痩せましたか?と聞かれたことを思い出した。本人は全くそん感覚がなかっただけに、急に何だか心配になってくるが、体調は全く同じで相変わらず、朝起きるのいやだなあ、以外に不具合はないのである。女医の先生が、まっすぐこちらをガン見したので恥ずかしかったが、それは、顔色というか、顔の浮き出ている血管切れてますよね、やはりお酒の飲み過ぎです、といわれ、あ、はい、そうですね、と答える。おお、オレの顔ではなく、オレの顔の皮膚のおくにあるものを見ていたのか、深いな、潜り込んでいるなと思ったわけだが、しかしまあ、食事の量は減ってないし、そういうば、寝るまで飲んでいるので、確かに、ちょっと今年は早めに家に帰ったから酒量増えているのかも、と思うのであった。ずばり、もう少し家に帰るのは遅くしよう、ということである。(それが遅くまで仕事しようには必ずしも繋がらないよ)。 ちなみに、仕事の適応力も普通レベルの3まで上昇し、仕事が慣れてきたことを意味している。このままではうまくいけば定年退職頃には仕事適応力がマックスの5になるかも知れない。 そういう感じで、どのくらいお酒を控えますか、と詰められ、仕事ちゃうねんから、詰めないでくれや、と思いながら、たまには飲みません、半分に減らす日も作ります、なんてことを言って何のコミットもせずに、逃げ切り健康診断を無事終える。ところで、ここ50年ぐらいで煙草を吸う人が半分になったが、肺がんは10倍になっっているのは何故か、もっと追求すべきかと思われる、吸わない人より吸う人のほうが肺がんになりやすいとは思われるが、それ以上の大きな原因をちゃんと模索して欲しいもんだ。ガンも地域や国民によって皮膚がんが多かったり肺がんが多かったり、まあ、なんらかの地域性があるんだろうなあ。ガン増えた増えたって、一番の原因は、簡単、寿命が延びたからである。 そういううちに、無事、健康診断は今年は追加検査を受けずに切り抜けることができ、ホームセンターに10分ぐらい寄ったあとは、通りがかりで見つけた沖縄料理屋で、本日のサービスセット700円を頼み、ソーキそばと3種小鉢定食を頼んだあとは、免許更新センターに向かうのであった。5年に1度の、別に楽しくもないイベントである。 しかし、まあ、ここ10年ぐらいで警察も随分様変わりして、免許更新でも昔はあれだけ高圧的だったのに、いまは、何だか敬語と無理を感じられるホスタビリティで、割とコンプラやジュホウコーカイじゃ、世間の時流に乗らされているということなのだろうなあ、と思う。すっかり忘れていたが、何と私はこの5年間、無事故無違反(初めて)だったようであり、講習時間はたったの30分であることが判明。昼1時からであるが12時45分にたまたま到着し列に並ぶが、まずは1時に申請書が配られ始めるが、ここは、皆さん、何だか書き始めるが、それは、2番の料金払いに並びながら書くという合理的システムで50人ぐらいをごぼう抜きし、そのあと、交通安全協会という警察の飲み食い代でも、未だに払う人が多いようで、そこでも10人ごぼう抜きして、目の検査である。昔は、イン次第と協会費を一緒に徴収していたので、協会費は払いません、といちいち窓口で言わなければならなかった。勿論、言うと、窓口の態度が急に悪くなり、申請書を、ホラヨ、と投げ返してくれるんどえあった。それでも悪態つかれて1,500円安くなるなら、怒れ窓口、吹けよ嵐である。任意なのに強制みたいな徴収方法にバッシングが高まった時期、確かにあったよなあ、と思い出す。それにしても、目の検査、ほんま大丈夫かという人達なのである。2つ前の人は見えない、1つ前の人は片目が失明、で、別室送りなのだが、それでごぼう抜きも隣の列にまた10人ぐらいは余裕でごぼう抜きされるのであった。私自身は、他のかたと同じように10秒で目の検査終りである。いやコレ見えなかったらやばいでしょ、いや世の中ヤバイ状態で運転している人多いんじゃないか?隣の列をい見ると、あら、隣も滞り、ご主人さん~、目が目新しくツクリマショネ、と検査官に諭されていた。 それで、写真撮られたら講習でるが、8ケタの番号を登録しなければならず、ICチップを免許証に埋め込まれる。確認が容易というより警察が照会しやすいようにだけなんだけどねえ。まさかGPS機能つけてないよねえ。いや、だいたいロクでもないからね。天下り先とか、管理とか、まあ、いろいろ確保したい訳ですよ。 まあ、何かビデオ15分無意味に見て、15分法律が、今回変わった道路交通法の説明があり、要約すると、自転者も厳しくするよ、舐めとったらあかんよ、2回捕まったら自転車野郎(自転車淑女、自転者少女)でも講習よ、講習でんかったら5万円もらうよ、ということであった。ちなみに車は例えば1ヶ月の免停でも、講習にでなかったらそのまま1ヶ月免停というだけであり、そこんとこ、自転車より緩いってか、講習で儲けしろつくっているが、自転車は免許がないので、舐めてる奴には罰金だか反則金で対処しといたるわ、という、財源確保の法則である。 なんだかんだいって、今日は夕方までかかると思いきや、2時20分には免許更新が終了し、思わず3時過ぎに家に帰ってきてしまったのである。しまったというか、早まったので、時間的余裕ができただけであり、眠いのでじゃあ、昼寝でもするかと思ったのだが、何となくパソコンつけて暇だからどこかにでもいくか、と絶対無理だと思ってた春節祭季節の台湾が以外といけることに気が付き、お、沖縄お楽しみ経由でなくとも関空空席あるじゃん(アア、日本も12月31日や1月1日は空いてるからねえ)、あ、じゃあ、行ってミルク?なんて無邪気に思うのであった、いや思うのであっても、行った先ですることがないので、頭の中で以前記憶していた「台湾それなら行きたいリストエリア」を思い出し、飛行機、台湾新幹線、台湾在来線、台湾バスなどを検索し、その行き方などを調べていたら、おお、季節列車で0時10分の台湾空港近く(桃園駅)にのれば台南に、朝の4時半につくやん、コレ乗れば、台南で午前を過ごし、昼から台中のもういひとつエリアに行って、15時過ぎに空港に戻って17時の飛行機に乗って帰ってこれるじゃん、と思ったが、いや、飛行機は21時25分発のエバエアーは23時40分着であり、そこから30分で駅まで行くことは不可能だ。じゃあ、1本前の19時のチャイナエアラインがあるじゃないか、JALも同じ時間にある、ソレに乗れば、台湾空港到着から列車に乗るまで2時間少々の余裕がある、いや、待て、ソレに乗るには、今16時20分前、今すぐ荷物をまとめ家を出てギリギリじゃないか、それで出発40分前危ういな、あかんな。 じゃあ、台湾に夜中着いて朝一に南に行くかと思い、ホテル検索したら、イヤーさすが旧正月、空室ナイナイ、あっても2万円ぐらいする、夜中について朝一でて4,5時間の滞在でそんなに出せるわけないだろ!と判明し、即座に諦めたのであった。諦めたが、一応40分ぐらい調べたので、次回に役立つようにワードにアドレスを落とし込んでおいたのであった。 そういう訳で、急遽台湾行きは急遽中止し、昼寝するかということである。いや、まてよ、元々乳頭温泉行くか、有馬温泉行くか北投温泉行くか迷ってたのを思い出した。まあ、有馬温泉なら30分でいけるのだが、ベイトウ温泉は台北から淡水方面にMRT(だっけ?)乗っていかなあかんから自宅から移動に6時間ぐらいかかるんだけど、まあそれは愛嬌よ、そういうことよ。1年ぶりの台湾 良く分かる台中 南天宮入口 南天宮 十八地獄 1彩虹眷村 2 彩虹眷村 南天宮入口 鹿港貝殻廟 鹿港ルーガン 奇々貝々 台湾から帰国 台湾gourmetの旅 時差
2016.02.10
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節分には、福岡の神社にに行こうと思ったんだけど、まあ、寝過ごした。 台湾に行ってから1年が経過することを何故覚えているかというと、誕生日の季節だからであった。誕生日と言っても、もう、あとは死に向かってまっしぐらなので、めで鯛わけではないし、一昨年や3年前の誕生日のことは、まったく覚えていない。というのは嘘である、2年前の誕生日は札幌雪祭りに出かけ、雪の中を歩いていると、手が凍えて、ホテルに戻るとTシャツでも暑いぐらいとなり、翌日飛行機が大雪で軒並みストップ大混乱で、朝1番で空港に向かったわけだ。3年前も誕生日の日にラスベガスに行ったのだから、チャント思えているのであり、多分、今日は何もなかった日常性の欠如のない日なんで、来年になればすっかり、去年誕生日なんたっけな、と思うに相違ない。何となく、今年は、バタバタしているのである、仕事がスッキリしないのである、いやいつもスッキリ勝手にさせているだけであり、今年は多少ウニャッている状態である。 それにしても、台湾では、実は比較的軽い地震が台南であり、どうも手抜き工事のビルのみが激しく崩壊し、100人以上の方々が閉じ込められている。業者を恨んでも怨みきれない。今は、ちょうど旧正月前で、移動も激しく、随分住民以外も生き埋めになったようである。 私も10日から1泊台湾に行こうと思ったのだが、さすがに旧正月真っ只中、飛行機はどこもパンパンであり、台湾行く代わりに運転免許の更新に行くことに変更したぐらいだ。台湾には、まだ行けていないところがあるにはあるのだ。 東日本の震災のとき、台湾からは個人からかなりの義捐金が集まったが、詳細はいろんなソースがあって不明だが、それでも、まあ、近隣諸国では一番の仲良しではないか。 まあ、そんな訳で生蠣食べてみるかの世界であり、実際に食べてみるのである。 そういえば、勤務先では、健康診断は誕生日の前後1ヶ月に行きなさいという決まりがあって、別に健康診断は、私は必要ないと思っているのだが、イカナイと叱られるので、断固反対する勇気もないので行くわけだが、最近、毎年、胃じゃ、腸じゃとひっかかり、まったく自覚症状もなく、結局胃カメラや大腸管通して、いやな目にあうだけで、結果もたいしたことなく、たいしたことだあっても、同姓や、というのもなく、医者が生活するための犠牲者のようにみえる。ほんまに早期発見したらいいのかというと、わからないし、イヤになって通院やめた人がどうなったかなんかの追跡調査もないので、通院やめたから死んだとか、そのあたりは不明であり、案外、病院行こうがいかまいが、死ぬ時期は同じのような気がするんだよねえ。怪我は血止めないと死んじゃうけど。健康気にして健康オタクとなり人間ドッグ毎年の人間とそうでない人間と寿命、変わらないと思うんだよネエ。心配するだけ精神に悪いような気がするんだよねえ。年取ったと思うし、体力も気力もやる気も元気も衰えたが、一向に死ぬ気がしない。もう死ぬわと冗談でいうものの、まだ人生半分過ぎたぐらいで、先長いわ、でも時間感じるのは2倍になるから3分の2は終わったわけか、まだ3分の1もあるんか、墓ないけど、いらんけど、遺骨も100パーセント、火葬場で処理してくれたらいいと思う。散骨希望するが、まあ、本人はもういないので、捨てられようが太平洋に撒かれようが、特に希望はないが、できれば、5万円か10万円の実費で終了することを願う。まあ、そんな感じで、明日は健康診断で、是非、病院送りを断りたい、あ、まだ検査引っかかるか決まってなかった。そのあと、予定調和的に、運転免許更新に行く、つもり。それに、もうだいたい免許更新、運転の極意は分かったのある、5年程度では忘れないのである。2016台中 準備 1(リンク) 準備2(リンク) 台湾gourmetの旅(リンク) 台中(リンク) 彩虹眷村1(リンク) 彩虹眷村2(リンク) 南天宮入口(リンク) 南天宮十八地獄(リンク) 鹿港貝殻廟(三清元宮)(リンク) 鹿港貝殻廟(三清元宮)2(リンク) ルーガン鹿港鎮(リンク) 台中から帰国事業(リンク) 時差(リンク)
2016.02.09
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美瑛コーンパンを求め、今まで1,2回しか買えていないという事実。 余市から小樽まで30分、水割りドリンクの列車連結部立ち飲みの旅。まあ、席は空いてたけど、おちゃんがビググビのんでたら迷惑やからね。人生隠れるようにこそこそと、隠者の悦びよ。 雪景色を見ながら、飲み終わったら、そっとカバンに空き缶を仕舞い、小樽で降り、缶を捨てる。ここでしか買えないと思ってたのに、成城石井でも売ってるやんけ、ボケッ。ドラえもんの店に中年一人で入る度胸は持ち合わせていない。何セ、話のネタだけだからね。美味い北海道まで来て、これですか?ハイ、これですよ。GROW IT HIGH。私のガキのころは、コミックか単行本しかドラエモンはなくTVはまだだったからね。板チョコパンって、1枚まるまるなのか、ロイズさん。これ意味ないよな。別々に食べたらええやん。ラーメンアイランドラーメンストリートしかし、ラーメンって、スープはどこもかしこもそれなりに美味しいけど、麺は難しいなあ。いつ通っても満席の一幻が1組しか並んでいない、これはいっとこか、となる。そのまま、か、あじわいから選ぶのだが、この言葉のニュアンスなら断然あじわいになりそうだが、そのままはエビスープのみで味わいはとんこつだか何だかの足し合わせたスープ。んー、オリジナルとブレンドまたはその日本語にするか、エビスープ100パーかトンコツミックスにしたほうが言い様に感じたのだが、それは素人の意見か。忌まれて初めて食べるエビスープのラーメン注文はほそめん、そのままである。固形物本日初である。んー、ちょっとエビの生臭さの臭いがあるね。これは好き嫌い分かれるかなあ。食っているうちに分からなくなるけど。何だか、やたら喉が若いてしまい、牧場牛乳をイッキ飲み、するが、(正確には一気飲みの最中に写真撮ってないことに気が付いたのでニッキのみ。)何だか、牛乳だけにして味わったらよかった。コーヒー牛乳はただ普通においしいだけだった。とにかく、味わう暇なかったぜよ。それでも、何故か雪印のソフトクリームまで食べ込んでしまう。味は普通に美味しい。濃高度高くなかったねえ。まあ、いくつかの土産物陳列してもいいですか。帰りの飛行機はいつもスープ絵ズラでついつい大量に買ってしまいました。帰ってからの消費に忙しくなりそうだぜ。げへへ。だらしなく笑う。2016余市 余市 宇宙館(リンク) 余市ウイスキー1(リンク) 余市drinkの旅(リンク) 余市ウイスキー工場細密(リンク) 余市シングルモルトの旅(リンク) 北海道gourmetの旅(リンク)
2016.02.08
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大学の後輩にアポイントを入れさせてもらって無理矢理コウジョウケンガクツアー13時の部に潜入するのであった。といっても12時27分に受付に行き、名前を告げると、「お待ちしておりました」という快い返事があり、実際は「はよ、来んけ、ボケっ」なのか「あれ?来たの?あっそう」なのか本心は知らないが、受付の女性とは本心で付き合っているわけではないので、「どうもどうも」とだけいい、首にかける番号札を受け取り、控え室で待つのである。勿論待つのは3分であるが、トイレに行き戻ってくると、んー、平日なのであれか、6人(カップル1組と一人組み4人)のみであり、ああ、別に予約オラオラという訳でもなかったのかな、と思うのである。何しろ、マッサン効果でもうごった返しえらいことになっていると想像していたのだが(実際そうだったようだが)。赤い服を着た女性案内人の方が入ってきて簡単な説明をしたあと、50分コースの出発である。しかし、自由見学もできるので、どうせ、目的は最後の無料試飲だろ、バローってことで、そちらでも十分良かったやん、と思うのであった。あったが、ま、折角だから神妙に山崎に続いてウイスキーのことは学ぶことにしようではないかと、心に、チョトダケ誓うのであった。針で突けば破裂する程のチョトダケ決断である。 「よく雪が降りますね毎日」と案内嬢に同意を求められ、今日神戸から飛んできて、今日帰るにも関わらず、「いやあ、全くそうですね」と相手を慮る配慮の深さである。「今日は、今、無風でよかったです、先日、すごく寒かったものですから」といいう質問に対しては、東及び東南アジア全体に言えることで、自分も実感していたので、「ホンマ、そーですねえ」と激しく同意口調で答えるのであった。「いつも、すごくご見学の方が多くて、今日は多分、最近では一番少ないと思います」ということについては、彼女も流行ってまんねん主張をしているとは思えず、マッサン効果もあったので、そして後輩から、マッサンのせいでモルツがなくなってしまい暫く品切れ商売上がったり状態でしたと聞いていたので、頷くのであった。 歩きながら、案内嬢は「皆様、どちらから起こしになられたのですか」と聞いてきて一番に名指しされたので、神戸からですと答えたものの、隣のオッサンは大阪です、その隣の若者は韓国です、その後ろの女性は京都です、といい、皆さん遠いところからお越しなんですね(てか関西連合か?)といい、最後のカップルが近くてすみませんと恥ずかしそうに、愛知ですと答えた。ん?それも遠いやん。急に、見学者の皆様に親近感を覚えるかというとまあ、そういうことはないのであるが、(海外に行ったら、ま、そういうのあるからね。)少なくとも、みんあ遠方からワザワザやってくるお人よしなんだなということが分かった。あとは、毎年、蒸留は3月からしますが、今年は1月からしています、ってか昨日まで仕込み、今日から蒸留開始なんです、それ見れてラッチー、ということであり(ホンマはもっとおしとやかに丁寧に説明してくれたが要約)、なんとなく、じゃあ、お得感ありやな今日は、てな感じなのであった。あと今年だけの事情を言うと、雪が割と少ないようで、貯蔵庫が割と見えますね、ということであった。まあ、それはまあいい。見学ツアーは30分毎であり、案内嬢も多数在籍し、数少なそうな地方の就職に寄与している感じもするのであった。いやはや、人歩いてないものね。img src="https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/a920109a93e8da0e994bbd942be8c909633a009e.83.2.9.2.jpeg" border=0 alt="" name="insertImg" />後輩経由でアポイントとってもらったが、前回のように、特別扱いはないのである、ってか、挨拶されただけだけど。勿論、特別扱い不要である。何故なら常識人でありパンピーだからである。何かくれるのなら、ま、それに甘んじるけどね。オレも甘い人間である。誘惑に弱いのが人である。 ところで、見学に来る人は何来る人ぞである。特に京都の女性単身である、多分30代である、ウイスキー好きなのだろうか、それともあちこちいって、マ、ついでに行っとくか?てなカーンジって奴だろうか。スリランカに来ていた単身女性を思い出した。が、そういうものでもないだろうか。 ところで、大阪来ている単身50代の男性も気になるというえば、頭の薄さも気になったが、まあ単身なのか家族がいるのか、その辺は知らないが、案内嬢が、みなさまちょこちょこ北海道には来られるのですかという質問に、全員が(韓国人含め)ウンウン頷いていたので、札幌周辺、こんどどこイコカねえ、あ、余市工場見学でもすっかね、という感じかも知れない。そういうえばガキは1人も見なかったな。ウム、大人の場所である、北海道フリクエントトラベラーの場所である、と多少認識したのである。< 印象に残った案内嬢の説明としては、初めは無色透明なウイスキーも樽で熟成させると、琥珀色がつき始めるが、やっぱ年2、3パーセントは蒸発して仕舞うので、20年ものともなれば半分になってしまう、なくなったものはエンジェルシェアっていうのですよ、とのことだった。天がのんベエとは私も知らなかった事実である。 50分のツアーが終わると無料試飲会であるが、そこから先は流れ解散である。流れ解散したのは2時頃であったが、札幌方面行電車が出るのは2時58分であり、2時50分に駅に行くと、その京都女性はゴロゴロを持って並んでいたので、ああ、最後に立ち寄ったのかなと言う感じで、愛知カップルも、大阪中年男性もいた。韓国若者だけがいなかった。なんだ、皆同じ方向かいな、そらそうか、と思いながら小樽から新千歳空港行き乗り換えであり、4時47分に空港に到着すると、京都女性も列車から吐き出されるのであった。愛知カップルと大阪中年男性は見当たらずである。余市駅でも軽装であったからね、多分札幌か小樽で降りたのであろう。さて、空港ではメシである。2016余市 余市 宇宙館(リンク) 余市ウイスキー1(リンク) 余市drinkの旅(リンク) 余市ウイスキー工場細密(リンク) 余市シングルモルトの旅(リンク) 北海道gourmetの旅(リンク)
2016.02.07
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タイの地獄寺wat muang1の続きとなります。SUNDAY MORNINGをお聞きになりながらご覧下さい。地獄は次回にも続く。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国 おまけCM
2016.02.06
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昔から「鏡に向かって排便する、としか聞こえなかったが、アイペンシルとこのたび判明した。本当は2は全く考えてなかったんだが、ついつい結婚相手先(オレの結婚相手先じゃないよ)が取引先であり、そこには旧知の人達が割と、ドドーンと現れたのでメモしておく次第である。オレの備忘録なので、ワザワザ読む必要性のなニッキである。 ただ、備忘、と思ったが、思っただけで終了である。あ、終了したらあかんので、もう一度思い返してみよう。例えば、15年ぶりぐらいのBさんは、相変わらず昨日会ったように、ありゃーこれはドモーという感じであり、ウコンの力をイッキ飲みしようぜと不可解なことを申し出され、他の人に、これトイモイさんね、と紹介してくれるのだが、紹介してくれた相手も何となく見たことがあるようで、どっかで仕事しましたよねえ、といいながら向こうは分かっているようで、私の名前も覚えているようで、私は顔をオボロゲニしか覚えてなくて、どこかで一緒に仕事したことありますよねえ、とその場は終わったのだが、15分後急速に相手の名前とどこで仕事を一緒にして、どこで打ち上げしたかを思い出し、その人を探して、「ちょっと!あなた、名前Tでしょ、12年前に仕事して、打ち上げに飛田百番みんなで行ったやん」というと、「えーっ、そこまで打ち上げについてまでは覚えてませんよ~」といわれ、「実は新郎と同期なんですよ」と言った。なんだそうなのか。でもお世辞なんだが、覚えてくれてありがとうございます、って謙虚だねえ。まあ、おれも、ほら、優しさだけが取り得だからさ、幻覚さ、あちがう、厳格さのかけらもないからさ、存在の耐えられないクンデラ状態だよ。 そういえば、チェコ人のミランクンデラの本、チェコから乗ったアムステルダム行き飛行機KLMのポケットに忘れてきた記憶があるな。もっと酷かったのは、イギリスからパリに飛んだときもシートポケットにパリガイドブックを忘れてきたわなあ。 久しぶりにSさんとも会った。久しぶりですねー、といいながら、ちゃうやん、数年前に私の住む駅で会いましたやん、ほら、これ娘ですって一緒に歩いていた中学生か高校生ぐらいの女の子紹介してくれたやん、え、そうでしたか?ということである。いやはや、また別の時に、駅で傘の柄で後ろから突きましたやん、というと、えー、そうでしたかねえ。という有様である。 久しぶりにあったKさんも、ちょっと、いつも持ってたヘルメスのカバンもう持ってないんですか?というと、よくそんなこと覚えてますね、もう10年ぐらい前ですよ、といわれるが、20歳までの10年ではないのである。年齢感応速度は加速度的に上がるというかm、20歳の10年は人生の半分であるが、40歳の10年は人生の4分の1である、すなわち、2倍の速度で過ぎ去っていくのである。時間は人間にとって一定ではなく、1年の感覚は‘1/年齢’である。1歳の1年は、100歳になると100倍の年齢速度になるのである。まあ、そんなことはいちいち言わないのだが、言ったのは、久しぶりですね~である。 その他にも、イヤー、ハヤー久しぶりですね~、と言われるものの、皆さん、よくもまあ一介のサラリーローンマンのトイモイ博士をよく覚えているもので、それに感心するのであった。というか、本当は博士号持ってないので、ちーとも博士ではないところがミソである、ミソクソである。ちなみに、新婦の父は我が出身大学の教授である。しっかり、意味のないアピールをばしておいた。しっかりっといっても15秒ぐらいだが。アピールしても就職斡旋してくれるわけでも何でもないのだが、そこは天使の微笑み、愛嬌である。なーんちゃって、はっはは、である。 ところで、「久しぶりですね、2年ぶりですね~、今日はトイモイさんの写真撮りに来ましたよ」といわれざまにパシャと撮られ、意味が不明なのだが、「知ってるかい?今日はオレの結婚式じゃないんだぜよ」と諭しておいた。「お~」とか言ってた。気が付いてくれてよかった。 ものの強弱はあれ、それなりの普通の家庭なら、ファザコン、マザコンに多少なるというか、異性の親の影響を受けることも多いような気が刷るのであるが(例外もいっぱいあり、憎むのも多いが)、そういうのでは、アカデミックな世界(自分自身も院まででたので、そうであったと思ったのだが)の人がいいなと思うと思ったのだが、何だか体育会系(でもまあ、賢い大学)の人だったのが意外と言えば意外だと思うのであった(反対してないけど、賛成もしてないけど、祝福はするけど。福音(ゴスペル、エヴンゲリオン)するけど)。それに、1、2,3年に知り合った人々とも会うのである、さすがに、わたくしめも、そのあたりは記憶が鮮明である。凡そ、10秒以内に思い出すどころか、早い人は0.5秒である。中には、「今日はトイモイ博士の写真撮りにきましたよ~」とリップサービスだが、間違ったことをいう人もいるくらいである、今日は違うのである、今日は結婚式なのだよ、と説明しておいた。いわゆる、ドウザライトシングである。「その前にネクタイやたら長いですね、何でですか」と質問されるも、「それは、ヘビ長すぎるルナールだろ!」と逃げておく、「だいたいやね、フランス人は胴が長いからしゃあないやんか、これヘルメス、プレゼントされたやつやねんから、基本的にセールなんかないけど、ディスカウント商品あるにはあるんよ、それよ、分かる?」と説明しておく。しかし、誰から貰ったんですかという質問がないのが、ミソでありミソクソである。「いやー、初めて白いワイシャツみましたよ」という質問も多数あり(一度として、仕事に白いワイシャツを着て行ったことがないので、トイモイサンは葬式には出られませんねと言わしめられていたのである)、「よく見たまえ、100パーセントシルクワイシャツである。タイでオーダーメイドして作ったシャツである」というものの、誰からも値段はいくらですか、何でそんなの作ったのですかテカテカですやん、という小市民的な質問はなかった。ないのか、そうか、別にいいよ、まあそういうことである。リアクションに困らせるのが仕事である。ハー、マーあ、ヘエーである。さて勝手に3次会行くよ!と息巻いたが誰もいなかったので、あ、お開き、あ、じゃあ、といいうことで、まっすぐ家に帰った。明日仕事だし。特に問題なし。ブラウンティガーでも探せば?(後片づけを手伝った謙虚な人達だけが、親蝋新婦を交え3次会へとコマを進めたとのこと、そう上智大学出身の取引先に後日談で聞いたのである。何を隠そう、上智大学の結婚式もちゃんと出た栄光の実績があるのである。勿論私の結婚ではない。そういえば、二日酔いで翌日萩経由で関西に帰ったなあ。) 急に思い出したが、「トイモイサンの言うとおりになりました」と。些細なことは時間をかけてじっくり決めますが、人生上重要なことはノリかタイミングか、とにかく、深く考えないですね、と。マア、深く悩んだであろうが、結論は右も左も分からない未来である。マ、いっか、といって決めるしかないのである。
2016.02.05
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まあ、観光案内は愛嬌である。愛媛県松山から南下した内子である。薬屋さんの生活を展示しているのである。幸せな大正モダニズムの頃のエピソードである、ライク ア ベルエポック!夕焼けのクスリ売り子、クスリ売りだが、ケチャプ、ワイン、ビアなんかもどさくさに紛れて売る。売れるものは何でも売るど根性。朝ごはん。丁稚は土間であるが、丁稚って、もう随分妙齢だぜ。白米とは贅沢な。おかずは漬物、ダイコン味噌汁。シンプルでいい感じやんけ。俺も朝ご飯普段食べないけど、納豆卵ネギ付なら死ぬ日でも食べたい。たくわん、離れすぎ。女中の飯は最後、あとかたつけ先行。我が身を呪わなかったのだろうか。風呂 接客は、おたくなんぼにしてくれんねん、の熾烈な争い、それはいつの時代も同じである。表面上仲良くするのも同じである。時々、共謀して痛み分しようやとか、あいつから搾取しようや、って話も、まあ現在に共通する、というか、ネット社会では対話もないじゃん。これ大正か?毒は必要やろ。オメ、メンチ切ったやろ?オマエこそ喧嘩売ってるんけ?よっしゃ、どっちが重いモノ持てるか勝負したろやんけ。ま、そんな会話。 在庫整理に、ま、受験勉強。いったい何を卒業するというんだろう(BYチェッカーズ)こそこそ隠れて罪悪感を伴い勉強。日本じゃないが、階級社会の世界ではまだまだある。イギリスでもある。隠居部屋、って、ファウンダーズルームっていうのか?2代目でも隠居したらファウンダーズか?ま、いっか、普通リタイアメントのような気もするが、ま、いっか。昔から階段下は有効利用。終り、200円。夜中に腹減ってきた。2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.02.04
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バンコクスワンナプー空港からアユタヤへ行く方法としては、4つある。1.スカイトレインでアヌサワリー戦勝記念駅。そこからバンでアユタヤへ。これでやって来た。2.スカイトレインでモチット駅へ。バス、またはタクシーでモチットバスターミナル。大型路線バスでアユタヤ。これは案外時間が掛かりそうでヤメ。3.タクシーまたは車をチャーターしてアユタヤ。日帰りなら考えたが、タイには泊まりたいので却下。4.タクシーで国鉄ファランポー駅へ列車でアユタヤ、帰りはこいつを試してみよう。そう思うのであった。そう思って、地下鉄MRT1本で行けるシーロム・スリウォンに宿を探す。スリウォンかスクンビット方面かいつも悩ましいが、最近はスクンビット方面が多いような気がする、ん、前にバンコク来た時はスリウォンだな、というより手っ取り早く言うと、前泊まった斜め前のホテル予約したじゃん、横浜便じゃん。ん、前はイスタンブールからバンコクに来た。2014年秋であるから1年半振りであり、そのときヨーロッパ回って最後に1泊だけタイ寄るかなと思ってきてみたら、やっぱタイが一番楽しかった、って印象を受けた。タイは旅行初心者からプロ崩れからプロまで魅了し飲み込んでしまう懐の深い国である。それはハブ空港だからというだけではない。内なるココロを見たか、君は見たか、いいやぜんぜん見てない。既に20数年前の学生時代に、故Y君が「タイなんて、ガイドブックなんかいらないじゃん」ということを思い出した。確かに最新情報や行きたい情報をネットで調べるが、タイのガイドブック学生時代に買ったきりだな。シーロムとかチョンノンシーとかサバーンタクシンとかチットロムとかサラディーン、サイアム、ナナ、アソーク、プロンポンその辺の駅名だけでもビビットに反応してしまう。 まあ、メモリーはそのあたりにしといて、バン乗り場に降ろされた俺は、駅までボヤボヤ歩いていこうと思った。バンコクはアユタヤを真似て作ったわけで、要は河を四方に囲まれるように作られている。そんな訳で、駅はどちら方面?と聞いて、そこから、歩き出す。3回折れ曲がるだけだ、と私は看板を見て確信するのだが、ちゃんと迷う。グーグルマップが効いていない、ガイドブックがない、しかし、人に聞くのもタクシーに乗るのも、何だか時間もあるから嫌だ、という意味のない気持ちになる。(時々なる)さて、ここから右に曲がるか左に曲がるか!どうするのか、表示がないので、「エエイ、右よ」と歩き始めて5分、どうやら違うような気がしてきた、元来た道に戻り、左に曲がり、ようやく大きな河に出たのだが、橋は車道しかないやないか、どうするねん、歩道ないやん、なくても車道の路側帯を渡るのである。(もう少し北上すれば多分渡し舟があると思うのだが、河沿いに道がないので、いちいち通り(ソイ)があったら曲がって確認するのも面倒だからだ。バンコクもそうだけど、長い通りを抜けたら最後運河で行き止まり、ってところが多いのだよネエ。昔よく泊まったホテルもスクンビットからソイに500メートルぐらい入るのだが行き止まりで、行き止まりのところにホテルがあって、その間を2,3台のバイタクが走っていて10円だか20円だかで、2ケツで大通りに出るんだよネエ、楽しいねえ。なんだ、迷って迷って歩いて来た時間は1時間か。そんな訳で無理繰り橋を車に轢かれないように渡り、左に曲がると、ようやく駅の表示が現れ、正しかったと認識し、数分歩いて駅に到着。とにかくショボイ駅である。とにかく3等20バーツである、70キロ離れて70円である。(バンコク中央駅ファランポーンからシーロムまで地下鉄MRT2駅19バーツである)なんだ、安いやん、いいやん、タイ国鉄、立ったままでもいいよ。タイ国鉄には昔はお世話になった。コサムイ行く時には、スラッタニーまでよく乗ったな。バスより安く、不快である。そこで、車内の食堂車からヤキメシを2,3皿持って運んでウロウロする人を捕まえて、食べるのだ。ポケットからスプーンを取り出して、金と交換し、食べ終わったら床に置いてたらまた回収してくれる幸せシステムであった。25年たった今でもあるのだろうか。駅前はちょとだけ数件ゲストハウスがあって、オープンエアレストランに西洋人がたむろしてたっりなんかして、ノンビリしている感があり、30分の列車待ち時間も、サリサリストアでビールを買って、飲む。駅のベンチに飲む、何てことない景色を眺めながら。勿論昼間からビール飲んでるバカと思われないように、白いコンビニ袋に忍ばせてな。 バンで1時間少々であったが列車は90分である。乗り込んで席がちょうど埋まるぐらいで1車両に数人立っており、車掌が切符点検にきたとき、ここ空いているからオメ、座れと車掌に命令されて、座る、座ると同時に寝てしまう。揺られたらあかんな、徹夜で日本から来たからな、ヤベエな、やべくない、舟漕げ!ではっとして何度か起きるが、昔と起きるのは同じで起きるのは列車が止まった時である、変化である。急に静かになったり揺れなくなった変化に体が気づいて目が覚めるのである。あ、着いた?あ、着いた?そうやって間違えるのであるが、最後には、あ、ホンマに着いたプラットフォームがイッパイある、と気がつくのである。考えたらバンコク中央駅ファランポーン駅構内を歩くのは、やはり25年ぶりぐらいである。考えたら多くの国はもう2度と来ないと思うのだが、さすがにアジアは近い、いつも最後感が全くないな。勿論、また行くよ。明日は無理やけど。そのうち天国行くよ。善行積んでないけどな。暖まりにタイへ 久しぶりのタイへ ワットムアン続き ワットムアン地獄に急ぐ ワットムアン2 ワットムアン3 ワットムアん5 ワットムアン6 ワットムアン地獄以外 ワットカイ2 ワットカイ3 27年ぶりのアユタヤ 仏陀は開眼する オマケ涅槃 あまり画像 タイgourmetの旅 アユタヤ→バンコク バンコクチャイナタウン バンコクから帰国
2016.02.03
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赤電話あった。今の若い人、ダイヤル回すって意味分からないんじゃない?ガキの頃、プッシュ式おしゃれやんと、思っていたかも知れない。覚えはないが。武装ペコは知らん。VAN親父がシロイジャケット持ってた。(着ているのみたことないけど)コーラより、ファンタ、ミリンダ、愛のスコール、まあ、その当たりだったよ。マア、インドではマージャにお世話になったな。リムカコーラもあるが。工事現場なんかに、瓶の自動販売機あった記憶があるが、工事現場なんか何故子供が行くのだ?考えたら休日に静かな工事現場にこそっと入るの好きだったような気がする。エライひともおる。このサイズの缶も見かけなくなりました。古風コーラ美人はみたこともないです。考えたら、コーラより、クスリ臭のするペプシ派だったのかも知れない。コカコーラLP当たったことあるわ。ドぅービーブラザーズ。この人、鳥羽秘宝館にいた人やん。 ムーリク・ブラク。液乳ブラク、だそうです。確かに、ワシらの時代はバットやミット持ってない奴あまりいなかったような気がする。みっともなかったよ。1966年伊予銀行、か。差別でもないのに、間違われて消えたな、トラはアフリカにいません、インド人も黒人にされました。 2016年愛媛 宇和島(リンク) 内子 (リンク) 内子 飽きないと暮らしの博物館(リンク) 大洲 東京ラヴストーリー(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん2(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん3(リンク) 大洲 まぼろしぽこぺん4(リンク)
2016.02.02
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ここからサンマリノ、ラトビア、ルクセンブク、リヒテンシュタイン、セルビアを消したわけだ。(ただ意地になっているだけだな、もはや)あと、ヨーロッパで簡単簡素に行ける国はモルドバとアンドラである。空港から市内まではまあ10キロないぐらいの15分ぐらいの距離である。 タクシーで中心地に着くまでのドナウ川を渡るまでの間のアパート群は、ああ、共産時代の建物だな、と思う、無機質な同じ建物、東側(ワルシャワ条約機構の国)でよく見かけるんだよね、でもちょと街の中心外れで。タクシーは到着、「階段のところでとまり、ここを登って降りて右折したところにホテルはある」と運転手はいった。確かにカーナビに住所を入力していたのを見たので間違いないだろう。乗ってきたタクシーを見送る。分かったといって、降りるが、これがホテルがまったく分からない。分からないこと15分たった50メートルもない道をごろごろ往復する。ないじゃないか。店の人に聞いてみようと思ったが、ツーリストインフォメーションが50メートルぐらい先にあったので地図の入手を兼ねて行ってみたら、やっぱり正しいのであり、また戻る。ん?古い建物の壁にA4の紙が貼ってある。ホテル名。センターゲストハウスって・・・紙も半分剥がれてるし。おいおい、これ分からんぞ、てか、その奥真っ暗やん、悪い予感がしながら、ぼろく重い扉を開けようとするが閉まっているので、呼び鈴があったので押す。2回押したら、ハイパー(いやハイテンション)美人の女性が降りてきて、ウエルカムウエルカムって、これ鍵かかっているんじゃないわよ、タダ古くて重いだけだよ、といわれ、ギイイイーといって扉は開き、ああ、どもども、といいながら、え、この真っ暗な階段上っていくの、やばくない?「荷物持ちましょうか?」といわれるが、「いやいや大丈夫です」といい(女性に持たせられんじゃろ)、彼女の後についていくと、2階が急に明るくなっていて、扉を開けると清潔になっていて落差に動揺しつつ安堵する。何だ?隠れ家か?この2階までの道中の陰鬱さと古めかしさはなんだ?とビびりながらも、とにかくそこのソファに座ってよ、飲み物は?コーヒーどう?砂糖ミルクいらないよ、トルココーヒーでいいかしら、いいよいいよ、それからウエルカムドリンクいかが?え、これじゃないの?まあじゃあお願いします。というと、これとっても強いアルコールだからね(ウォッカ)、水と一緒にどうぞ。とかなんとかいいながら、地図見たり、ネットがつながったので見たりしているが、一回パスポートを返しに来てくれたのだが、そこから10分ぐらい経過して、あらウォッカお代わりは?あ、じゃあ、はいいただきます、といって飲む。チェックインできるのだろうか?と一瞬思ったが15分ほどして2杯目のウォッカとコーヒーを飲み干したので立ち上がったら、察して近寄ってきて、じゃあ部屋案内するわ、といってアジア的に部屋まで来てくれて部屋の説明があった。あ、これはチップ制度だったかな、と思ったが、彼女は笑顔で去っていった。なんだ、このフレンドリーさは?とビビルのであった。セルビア、いい国ではないか?と思うぐらいであった。どうしても紛争思い出しちゃうけど。でもたった一人の対応で気に入った、この国いい国じゃん、と。草々にブラブラする準備をするが、ほんまに町の中心である。センターオブセルビアである。セルビアの中心で、アレーっと、叫ぶ。あー、いい宿に泊まれて良かった。日本→ラトビア ラトビア到着 ラトビアの歴史 バルト3国 リガ光景 ラトビア観光案内 ラトビア裏観光案内 リーガンナイト、ビーガンじゃない ラトビア中央市場、世界遺産 リガ ユーゲントシュティール建築 リガgourmetの旅 RIXLUX ルクセンブルク到着 ルクセンブルク観光案内 ルクセンブルクにて ルクセンブルグ愛 LUXZRH ルクセンブルグ渓谷 チューリヒ宿に着いた チューリヒ宿に戻る チューリヒ→リヒテンシュタイン リヒテンシュタインにて リヒテンシュタイン首都ファドーズ リヒテンシュタインに弾丸ツアー drinkの旅 少額旅行終わり チューリッヒ→ベオグラード到着 ベオグラード到着 旧ユーゴスラビア全部行くことになった ベオグラーデ ベオグラード迷走 ベオグラード祭り ドナウ川沿いにて セルビアgourmetの旅 ベオグラードで正月2016 ベオグラード→帰国1 ベオグラード→帰国2 携帯電話追いかけてくる
2016.02.01
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