日蓮正宗の信仰と私

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2008.11.26
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 御加護をいただくためには、もちろん仏様の仰せのとおりに信心しなければいけません。そうすることによって、仏様の御化導を助け参らせる諸天善神が仏前で立てた誓いを遂行するゆえに、正法の行者は守られ、以て成仏の果報を賜ることが出来るのです。

 しかし、いまや世界中に誤った思想・宗教は蔓延し、諸天の働きも全世界的に弱まっている状態と言えます。この 諸天の働きを失ってしまえばいかなる個人・国家も衰退していく のです。では、諸天をそのまま崇めれば御加護はあるのか?といえば、ありません。天照大神や八幡大菩薩等の善神を祭っている神社は多数あるといえども、神社などで祭られている善神の実体は単なる「紙」に過ぎません。その「紙」は正法の行者による祈祷や正法を護持される御法主上人による開眼供養も当然、施されておらず、そのようなただの「紙」に善神が住まわれる訳がありません。そこには逆に人を不幸にする 悪鬼 が住みついており、国土と個人を汚す働きをしてしまうのです。さらに付言すれば、神社で言うところの善神は上で書いたように、あくまで仏様の御化導を助け参らせる存在であるのですから、本来崇めるべき仏様を脇に置いて善神を主に祭っても、仏様も善神も喜ばれる訳が無いのです。「 神は非礼を受け給わず 」とある通りです。

 さらに、諸天の中でも有名な帝釈天等を祭るところもありますが、これも善神と同様に諸天を主に祭っても詮無いのです。

 このように、いま現在は一国がこぞって正法を汚している状態ですから、そこに個人と国家の衰退がますます加速度をつけて行っているのです。年始の神社仏閣参詣には今年も様々な場所にたくさんの参拝者が訪れることになるでしょうが、本当の幸せを願うのだったら宗教の正邪と影響力をもっと深く考え、正しい法のある場所に参詣すべきなのです。あたら不浄な法によって年始から自身の生命を汚し、年々不幸の根本原因を積んでいるのが世間の人たちであり、個人の衰退が個人で成り立っている国家の衰退にもつながり、日本には凶悪犯罪や不祥事などが相次いでいくのです。また、 人心と天地の間にはお互いが影響し合う という働きがありますから、人の心が汚れていけば行くほど、天災等も相次いで起ってしまうようになるのです。

 いわゆる、神仏の「御加護」を信じている他宗派や一般の方はかかる事実を認識せられ、改めて神仏や御加護という事を考えていただければ幸いです。





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Last updated  2008.11.26 20:36:36
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