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エジンバラからお客様があった。私たち夫婦にとっては最も大切な友人のひとりで、年代的には40代後半、シャーロックホームズのような風貌の、インテリである。クリケットで鍛えた身体は、とても若々しく、とてもその年代には見えない。日本語を含む三ヶ国語を流暢に話し、ジャズを好み、飛行機の操縦やカメラを趣味とし、世界を自由にかけまわる。特にカメラにかけてはプロ顔負けの腕で、こちらでも沢山の面白い写真を撮っていた。一日彼に付き合って、エジンバラのあのゆったりとしたリズムを思い出した。ゆったりと流れる時の中で、決して急がず、慌てず、流されず、自分のライフスタイルを貫いている彼らは、実に豊かな人生を生きている。日本のインテリに魅力的な人は少ないが、英国で出会った人々は、ほんとうに自由で豊かな知性を身に付けていて、非常に個性的、唯我独尊のライフスタイルを貫いている人が多い。実にうらやましい限りである。日本に帰ってきてただひたすら大学のあれこれに忙殺されている夫を見るにつけ、日本もこれじゃあなあ・・・と嘆息する。でも、英国人と結婚しているひとの悩みは、「折角のチャンスがあっても、自分のゆとりある生活を優先して、断ったりする。」ってことらしい。日本人じゃ、絶対に考えられないことだ、と彼らは口をそろえて言う。「結局、労働意欲がないのよ。」確かにねえ。自由なライフスタイルと労働意欲=勤勉さというのは裏腹かもしれない。
2005年05月23日
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エジンバラはヨーロッパでも有数のスピリチュアルな街である、らしい。なんでもスピリチュアルなパワーの流れが交差するところに位置している、という。スピリチュアル度というものが測れるとして、それをアルコール度数にたとえれば、まあロンドンがワイン程度としたら、もうスコッチウイスキーぐらい?はある、と思う。ベストセラーとなった「ダビンチ・コード」で有名となったRoslyn Chapelがあるのも、このエジンバラだ。本を読んでもらうとわかるが、ここは昔からの聖地で、チャペル内には謎めいた文字が沢山彫りこまれており、その意味はいまだに解明されていない、という。ちなみにクローン羊のドリーで有名になった研究所も、このチャペルのすぐ近くにある。ま、これはスピリチュアルとは関係ないが。エジンバラを訪れる者にのしかかる、何やら重苦しい気分は、このスピリチュアルなパワーのせいなのか。中世の街並みがそのまま残るこの街には、いまだ多くのゴーストが住み、そしてその頭上を覆う重苦しい空には魔女たちが飛び交っている。そういう感じだ。わかっていただけるだろうか?映画「ハリー・ポッター」の原作者J.K.ローリングさんもこの街の人で、彼女がハリー・ポッターを書いたというカフェなども、市内のいたるところに残っているが、実際、彼女の書いた世界は、このエジンバラの雰囲気そのものなのだ。魔女と魔法使い、お城のような寄宿学校、そしてそこに住むゴーストたち・・・。「殆ど首無しニック」とか「血みどろ男爵」とかのゴーストがホグワーツのそこかしこにうろうろしていて、新入生たちを驚かせるが、基本的には悪さをしない。そういうゴーストたちが街のいたるところにいるので、「ゴースト・ツアー」というのが観光の目玉になっていたりする。このツアー、街のいろいろな場所をガイドと歩き回るだけなのだが、ガイドが語るゴーストの話は、身の毛もよだつ話ばかりで、シンプルなツアーの割にはあとあとまで強烈な印象として残っている。ちなみに娘の通っていた中学校にも「Green Lady」とよばれるゴーストがちゃんといた。その昔、古い校舎の塔の中から発見された女性の白骨遺体(夫に殺されたらしい)が緑色のドレスをまとっていたことから、グリーン・レディと呼ばれているのだが、まあ、これも日本にもよくある「学校の怪談」(トイレの花子さんとか)に近いものだろうが、悪さをしたりはしない。また中世には恐ろしい魔女狩りも行われた。魔女裁判にかけられたら最後、彼女にのこされた道は、魔女ということを認めて苦痛のない死に方をするか、あくまでも魔女ではないことを主張して火あぶりに処せられるか、2つにひとつだったという。最後の魔女裁判は18世紀のことであるので、今となっては魔女たちも、ハロウィーンの頃になると空を飛び回るぐらいが関の山。でも、10月末ごろの墨を流したように真っ暗なエジンバラの空には、いかにも魔女が飛んでいそうな感じがするんである。とにかくエジンバラというのは、そんなふうに異界の生き物たちと人間とが共存し、また過去と現在、そして空想と現実とが同じ価値をもって同居している街、というのが1年住んでみての実感だ。あの街にいると誰しも目に見えるもの=マテリアルの世界を超えて、目に見えない世界=スピリチュアルの世界へと足を踏み入れる感じがする。ゴーストも魔女も、あるいはネッシーも妖精も、そしてドラゴンも、現実=マテリアルの世界には存在しない。けれども人々はあたかも彼らが存在するかのようにふるまい、彼らとともに暮らし、彼らから日々の糧を得てすらいるのだ。ちなみにネッシーの話だが、最初の写真を撮影した人が、怪獣出現は全くのウソだったと死ぬ前に白状してしまった。さんざん騒がせておいて何を今更、とも思うが、しかし考えようによっては、何の変哲もないネス湖をスコットランド観光の目玉としてしまったわけで、彼の残した経済的功績ははかりしれない。サーの称号をもらってもいいぐらいである。それにしても何もないところに伝説を作り上げ、それを観光資源としてしまうあたり、いかにもスコットランド的で面白い。常にマテリアルリスティックなものばかり求め、見えないものは見ようとしない即物的な昨今の日本人とは、全く対照的なメンタリティーだ。日本人も、ちょっと見習って、村おこしなんぞにこの手法をお借りするってのはどうかしらん?でもきっと、同じことでも日本人の手にかかると、あざとい商売に変わってしまうんだろうな。
2005年05月19日
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いやはや、すっかりご無沙汰いたしました。最後の更新からはや4ヶ月。音信沙汰無し、とはこのことだ。信用なくすわよねえ、こういうことしてると(反省)。あれから(1月末から)どうしていたのか、というと、まず帰国の予定が3月と決まっていたので、2月中は子供連れでイタリアはじめ最後の旅行をするなど、いろいろ歩き回った。そして慌しさの中、3月末に帰国。4月から始まった子供たちの新しい生活も何とか軌道にのせ、夫もかつての超多忙生活に戻り、私は私でようやく、生活のリズムと心の落ち着きを取り戻した、今日このごろです。帰ってきて、正直、ほっとしている。エジンバラでは、子供たちのことがあまりにも大変で、正直、スコットランドを美しいと思う余裕もなかった。でも今、ここへ来て振り返って考えてみると、スコットランドは美しいところだったなあ、とつくづく思う。帰ってきてから、すんなりこちらの生活に戻れたのは言うまでもないが、でも何か違和感を感じたものがあるとしたら、それは日本の街並みだろうか。なぜ日本の街って、こんなに白茶けているんだろう。何色と特定できないような曖昧なシロっぽい壁の家が異常に多い。だから街の雰囲気が、全体に白く浮いた感じで、非常に底の浅い印象を与えるのだ。古い建物の数は圧倒的に少なく、どれもこれも当座快適であればいい、という浅薄な思想から建てられた、、安っぽい、急ごしらえの(2×4などの新工法も含め)建物ばかり。そこへ看板やら、電柱やらがやたらに目立つ。便利で快適な暮らしだが、即物的で、情緒がない。我々の先達が長い年月を費やして営々と築いてきた歴史も伝統も、そこには陰も形も見られない。歴史や伝統をすべて拒絶し、深く考えることもやめて、目新しさや目先の快適さのみを追求する軽薄な人々・・・街の姿から浮かび上がってくるのは、そうした人間像だ。それでも都市部はまだいい。田舎へゆくと、もっと悲惨だ。昔の茅葺は良かった。古き良き日本のふるさとの風景には、茅葺の農家が欠かせなかったと思う。しかし今の田舎はどうなっているかというと、安っぽい新建材を多用した、世にも醜い家等が、雑然と立ち並び、人々の目を毒している。田舎の人ほど、自然の美しさはじめ、美的なものに鈍感なのは、いったいどういうわけだろうか?久しぶりに夫の田舎を訪れて、胸の悪くなるような気分にすらなった。環境が人を作る、という。ああいう環境に育った人は、どういう感覚を備えた人間になるのだろう。自分のふるさとを愛し懐かしむ気持ちになるだろうか?自分のふるさとを誇りに思うことができるのだろうか?絶望して自殺する若者や、離婚してでてゆく嫁、村を出てゆく者が後を絶たない。スコットランドで見たすがすがしい田園風景は、この国にはない。
2005年05月14日
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