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v1810 日本のテレビは日本でしか見ない。インドネシアでは、当たり前だが、日本人は、NHKを見ているが、私は全然見ない。見る必要がないし、見ることは、インドネシアの情報の確認の邪魔になると思っている。日本その他外国の情報は、ネットで充分だ。NHKや海外報道やスポーツや映画チャンネルを見るなら、色々あるが、ほとんどは、そのアパートやホテルが設備を入れて、契約して、受像できるようにしている。一戸建ての家でも、その区画を分譲している会社や個人が契約していて受像できるようになっていて、NHK受像費を払っている場合が多い。私のように一般の住宅地に住んでいる場合は、インドビジョンなどの衛生放送受像会社(何社もあるし。ビラが入っているし、テレビコマーシャルで紹介もしている)に電話すれば、即日、パラボラアンテナを取り付けにきて受像できるようになる。多分、月三千円くらい払えばいい。多くの日本人は、当たり前のように受像できているので、幾ら掛かっているのかは知らない。一軒家の人も会社が契約しているので、知らないでしょう。もし、NHKを見ることができなければ、パニック状態になる人が多いと思う、受像出来ない状態が続けば、その係のインドネシア人は相当、責められることになる。勿論、ネットで見ることもできるが、それは、基本的には自前で契約しなければならないし、高い費用の支払いも自分でしなければならないので、そこまで、出来る人は少ないし、そうしている人は少ない。無料のソフトもあるが、不完全で、見続ける気がしない。それはそれとして、私の場合は、インドネシアの番組しか見ないので、テレビに関しては、千円くらいでアンテナを屋根の上につけてもらうだけで済む。日本は外国のニュースは、ネットでチェックするだけ、それは、会社の無線ランを使っているので、無料、家では、何度も書いているがUSBモデムを使って月千円くらい、3~6GBで全く不足はない。日本で見るテレビの番組は、何の面白味もない、というか、内容がくだらない。報道番組や討論番組の中で言っている事も、何かの専門家が言っているのでしょうが、お互いにまとはずれが多く、話がかみ合わない。政治家の言っていることも、自分の意見ではなく、何かを言っている人、やっている人が、どうの、こうの、という話しかしない、あなたなら、いったいどうするのと、言いたくなる状況ばかりで、くだらない。安倍とか不破とかいう人も質問にまともに答えている場面は全くない。政治も経済も、日本に興味がない。書き初めの特訓、二人とも、筆も持ち方から教えなければならなかった。私が学生時代に使った大きな硯を使って、たっぷり墨汁を使った。ところで、今の子供は、墨を磨るって何?っていうことらしい。実演して見せてやった。蠟梅?ろうばい、蜂蜜の香りが強くて良い、染色顔料にもなるらしい。黄色いご飯も食べた。インドネシアならお祝い事の時に円錐に盛り付けるナシ クニンだ。NHK 当り前 不要
2013.12.31
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1809 いつ以来でしょうか、もう10年ほど前になるでしょう、最後にアイススケートをやったのは。ジャカルタのタマンアングレックのスケートリンク、PT.KITAGAWAの押出部門の従業員を主体に30人ほど、私が引率し、招待した。その前、メガまモール プルウィッで3回、タマンアングレックで3回彼らと一緒にやっている。皆さん、おおはしゃぎ、感激された。ということで、孫たちも7才と9才、アイススケートをやってみたいという、今日以外にチャンスはないので連れて行った。昨日よりも寒い、出がけに庭の霜柱を潰して、ちょっと滑る真似をしてから出かけた。家を出て国道に出る50mの間、西へ行こう東へ行こうか迷っていた。静岡にはスケートリンクがない。浜松のスポーツセンター(屋内)へ行くか、富士山裾野の“ぐりんぱ“旧日本ランドへ行くか、結局、浜松へ行ったのだが、理由は、道の凍結が心配だったのと、池なので、手摺がない、小さい子供だし、初めてなので、手摺は必要だと思った。ということで、屋内リンクを選んだ。アイススケート歴は高校の二年の時から、大学では、武田神社のすぐ東側の灌漑用水が凍ったので毎年、30日ほどは滑っていた。スピードスケートだった。今回のスケートは10年ぶりくらいだし、年齢も70だし。靴はフィギアーようだし、かなり、厳しい条件だったが、孫たちから、頼りにされながら、何とか、4時間ばかり、スケート靴を履いて、足が何度も吊りながら、くるくる回っていた。見渡すと最年長かもしれない。靴の中が痛い、最後はその痛さを我慢することができなくなってやめた。 孫たちは、ドイツでもやったことはなく、初めてだった。最初の30分ほどだけ、手摺から手を離すことができなかったし、離しても、私にしがみついて来ていたが、一時間名もすると、「お爺ちゃん、自由にやるから、付いてこないで」とまで言うようになっていた。私が彼女たちにアドバイスしたことは、たったの一つ、「歩くのと同じこと、右、左と歩くように、交互に片方の足に体重を乗せてなさい」ということでした。早い、直ぐに、手摺から手を離して歩けるようになった。その後は、私がもう帰ろうというまで、ちょっと休んで、またすぐにリンクに戻った、それを何度も繰り返していた。残念ながら、また、行けるという環境ではない。彼女たちのおかげで、まだ、やれるなと思いながら、家に向かったが、右足の土ふまずが何度も吊って、親指が上を向いてしまって、アクセルやブレーキを普通に踏めなくて、高速道路の途中で休憩をした。やれる こむらがえり 頼り
2013.12.30
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1808 西高東低、典型的な冬型の気圧配置ですね。朝、雨戸を開けると、庭一面に霜柱が広がっていた。サブー!! 毎月最終土曜日?28日?は、丸子(マリコ)の宿の大鈩不動尊.オオダタラフドウソンというところで朝市が開かれる。山の中の小道の両側に山の幸や手づくりグッズの色々が並ぶ、去年の夏以来、久しぶりに行ってみた。買った物は何か。酒粕とやぶきた茶、どちらも地元産だ。インドネシアで自分用だ。もうひとつ 蠟梅の枝を100円で買った。この香りが大好きだったし、妻の生け花用でもあった。7時頃出かけて行ったが、相当な人出、駐車場が足りなくて、国道沿いの脇道の路上駐車が多かった。狭い道はかなりの混雑、何やら行列ができている場所が何か所もある。何事かと除くと、ナアアンダーと思うものばかりなのに。タイ焼きだったり、甘酒だったり、乾燥シラス(チリメンジャコ)などで、並んでいる人を見ると、私の歳、±10歳ぐらいのお年寄りばっかり、全く、その列の後ろに並ぶ気がしなかった。子供、若者の姿はほとんどなかった。私と一緒にいた孫二人は、すれ違う年寄り連中や売っている人から声を掛けられっぱなし、「お爺ちゃんと一緒でいいね。これ、試食用だからどうぞ」などと。ドイツのニュールンベルグやミュンヘンなどのパサールでも同じだった。高齢化社会で子供がほとんど見当たらなかった。午後、孫たちは子供会の食事会いとかで留守番、久しぶりにゆっくりくつろげた。朝市 蠟梅 散策
2013.12.29
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1807 もう一度、一人の墓参り、沼津の押出し成型の会社へ行ってきた。なんとなく、その気になって行って来た。その帰りに、先日お袋の三回忌をしたばかりの墓に寄った。これも何となくである、途中だったから。そのすぐ脇の高速道路の富士川サービスエリアに隣接している富士川楽座という富士と富士川グッズを中心に売っている店にも寄ってみた。富士川サービスエリアから富士川を見下ろす。真ん中が東海道の鉄橋、その向こうに見える橋は東海道本線の鉄橋、私が子供の頃の風景と全く同じ。由比興津のバイパスから西を見る、昔、このあたりを袖師と言って、海岸だった。三保の海岸よりこの海岸の方が人気があって、夏だけ東海道線はこの袖師に停車した。小学校の頃から家族で海水浴に来ていた、高校の時にはここから南、対岸の三保の半島まで、4Kmの遠泳をした。その後,沖まで埋め立てられ、今は、清水港のコンテナ港になっていて、海岸は無いし、面影もない。この写真の左はコンテナ港だ。話は飛ぶ、家に着く前にもう一社の押出成型会社に立ちよった。この沈みゆく日本の製造業に中で、いずれも零細な会社だが、何とか、会社は形態を保っている。今日の二社とも私の技術の後継者の会社だ、設備のほとんどは、その後改良や修理はしているが、会社を始めた時には私が準備の手伝いをしたものを使っている。そして、太田化工は私の技術そのものだ。私の技術を私が与えた会社はこの三社、そして、もう二社、私の技術というか装置を使って製品を作っている会社がある。二社とも頭文字がNだ。装置のそっくりさんを作って、私が作っていた製品を作り出してしまった。気の毒な会社だ。 そして、インドネシアでは、現在、二社が私の装置を使って私が開拓した客先に私が作った製品を販売している。 ということで、日本で5社、インドネシアで2社、そして今の会社、合計8社に私が作った装置がある。私が始めて作った製品の生産をしている。押出成型の技術者の人数は、合計50人ほどになる。彼等が教えた人数を含めれば80人以上になるでしょう。いわゆるエンプラの小物の押出成形技術の後継者、教え子たちだ。後継者 技術 プライド
2013.12.28
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1806 日本の為に尊い命を奪われた戦没者を悼む方法は他に幾らでもある。この日は毛沢東の生誕120年だとか、安倍総理大臣って、どうにもならない、自己満足主義者だね。誰が、こんな人間を総理大臣にしてしまったんだ。今日、取った行動で、どれだけ多くの人が不愉快に思ったのか、そして、今後、どれだけの人が、迷惑を被るのか、考えたことがあるのでしょうか。おそらく、全世界で20億人以上が、この人物が取った行動を馬鹿なことしたと思っているでしょう。その後のインタビューでの話が、全く、的外れで、ちょっと頭がおかしいんじゃないかと思う。直接説明したい?全くとぼけた寝言のようなことを、言っている。これで、彼が総理の間の首脳会談は完全に消えたし、多くの面での交流も消えたでしょう。彼が、消してしまった。中国が、韓国が、と批判する人々にとっては、日本も同類になってしまって、彼らを批判できなくなってしまったでしょう。A級戦犯を合祀したのは誰でしょうか、彼らが日本を最悪の方向に押しやって多くの日本人、外国人の尊い命を奪った。その人たちを命を奪われた人たちと同じ位置に置くとは、あきれるばかりだ。その場所に日本の最高責任者が、頭を下げるとは、呆れるを通り越す。日本の将来は今後20年以上は衰退の一途を辿るでしょう。この人がその期間を長引かせていることに、日本国民は気が付いていなし、それどころか、インフレに転じた、景気が持ち直したと、錯覚をしている。とんでもない話で、今の一見景気が持ち直したかに感じるのは、増税前の駆け込み需要と、日本銀行券を惜しげもなくばら撒いているからで、来年の4月ころには急激に景気は下方に向かうでしょう。元々、日本の実態は衰退傾向は止まっていないのだから、今、ちょっと、踊り場にしたら、最下部の底に到達する時を先延ばししてしまうだけだ。そして、この踊り場は、一部の大企業や元々金持ちが、ちょっと、得をするだけで、一般庶民と言われている人々には、円安の煽りで、出費が増えて、困窮度が増すばかりだ。2013年の終わりをとんでもないことで締めくくられてしまった日本は、2014年、大盤振る舞いの予算と共に、日本沈没のスタートの年になってしまうと思う。安倍総理大臣はもはや日本にとっては危険人物だと思う。早く、止めさせないと、とんでもないことになる。彼の目が据わってしまっている、恐ろしい。太田化工へ行ってきた。静岡の隅っこの用宗まで景気回復は到達していない様子だった。家から会社へ行く途中の様子。 戦犯 戦死 靖国
2013.12.27
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1805 このアンテナができる前、この事務所が建てられたころから、邪魔だと思っていたが、アンテナも追加した。30年以上?前からだ。今や世界遺産に登録された富士山の安倍川駿河大橋からの景観がダイナシになっている。どこの誰が建てたかというと、国交省だ。徳川家康は、駿府城を作る時に、手越(てごし)から今の安倍川橋を渡って、土堤から府中に入る時の正面に城下町が広がり、駿府城の天守閣が見え、そのバックに富士山が見える位置に橋を作った。西から橋でも川越でも、安倍川を渡って正面を見ると富士山が目の当たりに全く邪魔が無く見える。 その精神を知らない、国交省(この省は、国土と付くくらいだから、環境省と共に景観に関しても気を付けているはず)の連中が、その安倍川橋から1kmほど河口に近い方に駿河大橋を作った。それは、それで良いが。事もあろうに、富士山の景観を無視したというか、そのことを全く気にもしなかったというか、多分、設計した集団は静岡の人ではないと思うが、あまりにも、無粋、建物とおまけにアンテナまで作ってしまった。そして、この建物に入っている人たちは、ここから眺める富士は,邪魔ものが無くて、素晴らしいと思っているのでしょう、きっと。ここを渡るたびに、早く、どこかへ移しなさいよと思う。地元の人でも、そうでない人でも、だれもが、邪魔ない建築物だと思うに違いない。ところで、三保の松原も世界遺産に登録されたと聞いて、良かったと思うが、二年前、行った時に、富士山の方を見ると、浜辺の向こうに、テトラポットというかコンクリートブロックが海から松原まで浜辺を遮るように、積まれていて、そこにその積み上げをするクレーンでしょうか。二台、鎮座していた。今でもそのままなのかどうか知らないが、あれも、無粋だと思っていたら、どうも、審査の時にクレームが付いたらしい。当然でしょう。今朝の二人は大騒ぎ、3DSを手にして、“おじいちゃん“と叫びながら、二階から降りてきた。”お願いをサンタクロースが聞いていてくれた“と、大喜び、やったね!!!二人ともお互いのものに焼きもちを焼くことなく、”使っていない時には貸してね“と言いあっていたことに、大満足だった。そのあと、「今日は、クリスマス、お爺ちゃんからのプレゼントは?」ときた。町の本屋に連れて行って、伝記物を二冊ずつ買ってやることにした。ついでに、通りかかった駄菓子コーナーでグミの量り売りを200gずつ買ってやった。ドイツでは、グミは子供たちにとって一番人気があるお菓子だからだ。また、大満足。景観 富士山 台無し
2013.12.26
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1804 約20日間の無免許状態は解消された。無事通り過ぎた。有効期限は5年間でした。今回の手続きで、今年が丙千25年であることを知った。そして、30年まで有効だ。静岡市街の北部、昔、安倍川の河川敷だったところにある免許発行所に行ってきた。市内中心の警察本部でも出来るが、今回は、久しぶりにその教習所の方へ行ってみた。今回の費用は、高齢者講習費その他で、1万円ちょっとだった。免許発行所の係員のサービスのいい事、相そうが良かった。何も迷ったり、躊躇したりすることもなく、30分余りで全てが終了し、新しい免許証を手にした。5年間有効だから、インドネシアで外国人が買うより安い勘定になる。♪♪恋人はサンタクロース♪♪ ならぬ ♪♪爺ちゃんはサンタクロース♪♪ でした。免許を更新後、何とか電気に向かった。そこで、3DSと“何とかの森”を購入、別フロアーでプリキュアのコスプレ衣装を買った。それぞれ、赤い紙袋にサンタバージョンでパッキングしてもらった。それでは終わらず、今度は、中古DVD,CD,ゲーム機販売店に向かった。そこで、小型の3DSを安く購入した。それを衣装の袋に入れた。これは下の子用。彼女たちなかなか眠りにつかない、先ほど、23時頃やっと眠ってくれた。枕もとに大きな靴下が置いてあったが、それに入りきらない大きさのプレゼントを枕もとに置いてきた。まだ、彼女たちはサンタクロースを信じている。南スーダンで日本の自衛隊から韓国軍に銃弾を提供する、既にした?これは、日本政府が承認したこと、安倍首相も承知の上だ。韓国軍はどうでしょうか、現場の韓国軍が譲ってくれと言ったのでしょうか。それとも、朴大統領が、貰ってもいいよ、と言ったのでしょうか。ここのところが面白いと思いませんか。と、思っていたら、韓国軍のスポークスマンが、単なる、相互援助で、特別頼んだ覚えはないというし、感謝の言葉は無かったし、いったいどうなってるの?コリア、歯切れが悪い。素直じゃない。日本がバルチック艦隊にやられていたら、朝鮮半島はロシア領になっていたのに、このことに関して、意見を言う、韓国人はいないし、日本人もあまり触れない。忙しい一日だったが、皆と一緒にクリスマスケーキをつつけたことは、自分の存在を感じた。更新 免許証 多忙
2013.12.25
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1803 島田コースでゴルフ、何だかこじつけの名前「祝日を楽しむコンペ」に参加した。ダブルペリア方式でした。70歳になって、初めて日本でプレー、茶色い色の高齢者ティーグランドからティーショット、これが初めてだった。白からでも良かったが、一緒に回る会長が前からやるというので付き合った格好になった。それはそれで、寒い、寒い、分かっていてお付き合いしているのだが、それにしても寒い。氷が張るほどの寒さではないが、どんより曇りで、太陽の姿が見えない。この時期の日本でのゴルフは過酷だ、と思う。 先日の高齢者講習中に運転適性検査と称して、シュミレーターに依る実地テストが行われた。反射神経を見る装置だと思う。最初動作の説明、次に一度それをやってみる、次に本番である。一本道がある、常に 1 アクセルを踏んでいる。だから、2,3、の動作をした後、素早くアクセルを踏むことが良い。2 女の子が左横から出てきたらブレーキを踏む。3 男の人が右横から出てきたら、アクセルを離すだけ。4 右側の側面を向こうからバイクが向かってくる、その時は、そのまま、アクセルを踏んでいる。その四点の動作がどれだけ早くアクショできるかをテストする。 それらの動作は、日ごろ、私がするアクションとは異なる。先ず、1に対して、それらの動作の後、素早く、強く、アクセルを踏む事はない。2。3に対して 女の子や男が横から出てきたら、いずれも、アクセルを離してブレーキに足を乗せる、場合によっては、ブレークを踏む。4に対して、バイクでも車でも、何もしない、当たり前で、動作をしなさい。 採点はそれらの四点をいかに早くアクションするかどうかである。私は、アクション動作は最低の1点でした。2,3は真ん中の3点でした。そして、動作に間違いがなかった、それは、最高の5でした。そして、総合点は真ん中の3でした。全く納得できない、こんな、設問の仕方を誰が考え、どれが承認したのでしょうか、こんな実際と違う行動をさせて、速い方が、良いとするのも全く間違えている。アクセルなど、ゆっくり踏めばいい、対向車が右を通過するときに、アクセルを離したって、ブレーキに足を掛けたっていいじゃないの、何もするなとか、何かをしなさいと、設定するのも全く変、2.3に対しても、動作は。場合に依る。 ということで、この運転適性検査は、バカバカしい。こんなことに時間や金(予算)を掛けるなよ。 ゴルフ アクション 意味なし
2013.12.24
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1802 長い間、押出成型をしていて、7~8年前から、ある程度の事を公開しているのだから、技術に関する問い合わせは、度々あるのは当然だと思っていて、私が知っていることなら、教えてあげることにしている。事実、丸棒、板の成型方法や後加工でコイリングチューブやPUチューブの作り方など、これから、その会社では初めてやる人にメールなどで教えたことがある。図を示して、出来るだけ、詳しく伝えることにしている。しかし、そのことで、いくつかの不満がある。そのひとつは、最初の問い合わせの時の問い合わせ方が、気に入らない事が多い。もうひとつは、結果の報告がないこと。全員ではないが、この二つの事で90%以上になる。教えてあげて良かったと思った人は10%に過ぎない。他人に、ある程度のノウハウを聞き出したいときに、一般的なモラルやエティケットが欠けている人が多い。「何々のことを教えてもらいたいので、私の電話番号に連絡してください」とは、何事だ。そういうメールを送ってくる人の質問内容も分けのわからないことが多い。答えようもない。もし答えるなら、相当、色々なことをこちらから質問しなければならない、それを、こちらから電話して聞き出してから、答えろとでも言うのでしょうか。こんなメールは、呆れて、迷惑メールに設定してしまうことにしている。一番多いのは、だれ誰というものですが、と、自分の名前だけを名乗って、質問してくるケース。その人に関する情報は名前とメールアドレスだけ、アドレスに会社名が使われていれば、会社の名前は分かるが、ほとんどの場合は、個人の無料アドレスが使われている。どこのだけかも知らせずに、技術的な指導をお願いするという、神経が分からない。失礼極まりないと思い、このアドレスも、迷惑メール、自動削除行きだ。どこの何ものかは、当たり前、その人が、どれほどに知識を持っているのか、それを作るのに、どんなことをやったのか、うまくいかない減少など、出来るだけ多くの情報を、まず、送ることから、始まると思う。私が紹介することは、私がそのものを作った方法とそこに至るまでの道のりを主に伝えることです。しかし、その方法をその人なりに受け止めて、同じような方法で作ろうとしても、できない可能性がある。受け止めた人に依る。私がインドネシア人(以前は自分の会社員)に教える時、この装置で出来来ているから、やってみなさいではなく、私が最初から作ってもせる。出来る所を見せて、その人にやってみなさいと渡す。勿論、人に依って、できるようになるまでの期間は違うし、出来あがったものの品質も違う。だから、こうすればできますと言って、教えてやっても、出来るかできないかの多くの部分は、実際にやる人の能力に掛かる。出来ない可能性の方が高いかもしれない、そういうときは、私が、いい加減なことを教えたと、受け取られることもあるでしょう。だから、その後の状況を知りたいし、難しい技術だし、指導も難しいものだということを理解したうえで、質問をしてほしいと思う。私が書いたことは、必要なことは確実だが、その人にとって充分ではない可能性が高い。綺麗にしたアクアリュームに金魚を入れた。駿河大橋?から夕焼け富士。礼儀 情報 状況
2013.12.23
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1801 二日連続で、お寺の坊さんと話をすることになった。また、親戚の人たちと久しぶりに会う機会があった。その雰囲気は、全く異なった。昨日は和尚さんが87歳、親戚の私の義理の兄弟の平均年齢が亡くなった長男84歳を除いても、77歳、男では私が一番下。控室では、完全に聞き役、それに話が繰り返し、次に、皆さんが集まる時には、残念ながら、私以外のこの中のどなたかが亡くなった時だと思いながら聞いていた。そういうものだから、いちいち、悲しんだり、嘆いたりしても仕方がない、とにかく、再会する時まで元気でいて欲しいと言うしかなかった。雰囲気に明るさを持ち込もことは出来なかった。本日は太田家の方、母親の三回忌、富士川町の菩提寺へ10時集合、本当に身内だけ、和気あいあい、普段は、何かないと集まらないので、母親が集まる機会を作ってくれたと思っている。昨日と違って、快晴に恵まれ、父親が無くなった時に私が作ったお墓の前で、7回忌には、また。この全員が揃ってこれるといいね、などと、話をしたが、確立として、一番早く欠けるのは、私だと思う。そんな、一族というか、私との血縁者の集まりだった。今のところ、一番下は、0歳、アメリカ在住、今日は来ることができなかった。現在、日本にいる中で一番下は、4歳の男の子、そんな具合に、平均年齢は、35歳くらいだと思う。その皆といると、気を使わないし、おじさん。おじさんと言ってくれるし、身内だなと思う。楽しい。太田家のお墓の前から富士山、菩提寺の駐車場から富士山、愛鷹(あしたか)山、眼下に富士川と一号線の橋、ずっと、右は、河口側と駿河湾、この直ぐ下に私が小学生の頃、毎夏休み、泊りに来たおじさんの家(端のたもとの太田石材店)が有り、そこを拠点に、従兄連中と川で泳いだり、山に入って昆虫採集をしたり、夏ミカンを収穫したり、思う存分、遊びまわった場所だった。そして、この地に父母を送り返し、そう遠くない時期に私もこの地に帰る。皆とワイワイ話をしながら、こんなことを考えていた。家族や身内を考える一日だった。昨日は、こんなことは全く考えなかった。それに、インドネシアで一人暮らしをしている時も、全く、考えない。だから、日常は全く考えないことを、この二日間、考えさせられた。また、考えない世界に戻る。次は 家族 身内
2013.12.22
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1799 路線バスに乗ったのは、何年ぶりでしょうか。記憶にないほど、遠い昔の事。高齢者運転講習会に行ってきた。免許期限から一か月以上過ぎているので、現在、無免許状態、まさか、無免許運転して講習会に行くわけにいかないと思い、バスで行くことにしたが、バスに関しては完全浦島太郎状態、支払い方法は?から始まって、どこから乗って、どこで降りればいいのか、降りてから講習を受ける自動車学校までのルートは、などなど、バス会社や目的の自動車学校に電話で聞いたり、ネットで、出来るだけチェックしたりした。妻からバスのプリペードカードを貰った。1000円で300円お得というやつだ。ただし、9;00~16;00と書いてある。乗る時にこのカードをどこかに差し込む、乗る時は私一人だったので、焦ることもなく、その場所は直ぐに分かったが、ちょっと心配だった。降りるバス停近くになった時に、直ぐに降りられるように。立ちあがったら、「バスが止まるまで立ちあがらないでください」と注意された。乗客は6人、私が一番、年下らしい、これじゃ、そういうのも当たり前かなと思う。バスを降りて、結構、速足で30分掛かって、到着、早く付きすぎて受けまで20分ほど待たされた。全員で6人、女性3男性3、私がこの中では生まれが早いはずだ、他の人は期限が来る前の受講。私は過ぎているからだ。しかし、他の人の顔や振る舞いを見ると、相当、年寄り臭くて、自分のこんなかと思うと厭になってしまう。とにかく、講義が始まり、認知症にテストは無かったが、75歳以上になると、あると聞いた。今日は何曜日かとか、今何時頃かとか、時計の文字盤の一番上の数字はいくつか、など、問われると聞いた。動体視力検査や運転適性検査などを行い、最後に普通に運転免許を始めて取る時のような実地テストコースとコーンの間を左右に何本か抜けるスラロームを走った。脱輪や接触なしで、おそらく満点でしょう。他の方たちは、結構、失敗があった。インドネシアの過酷な条件で運転している私にとっては、非常に簡単なテストだった。13:20~16:20の三時間、終了証明書を渡された。5800円で買ったようなもの。今時の教習所、自宅まで送迎してくれるところが多いと知った。夜も教習をすることも知った。帰りは、30分もまた歩きたくないし、プリペードカードを使えないので、私の家の方に迎えに行く車があったら、私を送ってほしいと頼んだら、丁度、あった。その車で無事帰宅、これで、今年中の免許更新の準備が整った。後は、免許発行所へ行くだけである。教習所の様子、静岡はいずれも一杯でここ藤枝の田んぼの中しかなかった。路線バス 無免許 高齢者講習
2013.12.20
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1798 インドネシアで、酒飲みの人たちは、入手が簡単ではないから一苦労する。手に入れることができても日本価格に数倍払わなければならないらしい。日本なら1升(1.8L)1000円なのに5000円出しても買いたいということになるらしい。 バリ焼酎、アラックバリ、帰国する時、空港の免税店で680mlを2本買った。一本20US$40%アルコール。前回もそうだったが、今回も、店には出してない。アラックバリを買いたいと言うと、何本か聞かれて、倉庫から出してくる。何本でもいいのかと聞くと、「いいという、ただし、日本のカスタムがOKなら」という。日本は二本までだから、日本なら問題なし。何故、アラックバリだけそういう売り方をするのか聞いたら、インドネシアの酒は、売ってはならないらしい、煩い団体があるからだという。最終チェック、登場前の控室に行く前にもう一度、機内持ち込も荷物のチェックがある、この時に、自分のバックに入れないで、免税店で入れてくれた密封されたプラスチックのバッグのままX線に通せば問題なし。日本に土産としてや自分の為に買って持ってゆくなら何の問題もない。高いと思うが、これが、インドネシア国内で一般的に、エージェントを通して買おうとすると最低でも3500円する。それを5000円でも買う、日本人がいる。ということで、とにかく、酒類は高い。一旦の会社のコンペや工業団地やアパート住民のコンペなど。ドルフコンペは様々あるが、日本食レストラン主催のゴルフコンペの参加者が多いという。固定参加者が多いという。何故でしょうか、酒や焼酎が飲み放題の場合が多いからだ。ゴルフなどどうでもいいのです、打ち上げの酒が目当てなのです。それほど、お酒のみの方たちは、大変なのです。ある会社の購買関係をコントロールをしている人は、酒の接待は勿論、アルコール類を持ってくる業者と優先する。取引したければ、品質より、価格より、アルコールです。話変わって、この前、米麹を買いに行ったのは何時だっただろうか、今回は、毎日これから忙しくなりそうなので、買いに行ってきた。「お味噌を作るのですか、それなら、このパンフレットを持って行って下さい」と渡された。味噌と甘酒の作り方が書いてあった。濁酒の作り方は載っていない。インドネシアへ持ってゆく、友人への土産だ。濁酒は簡単に作ることができる、インドネシアでは、温度管理は必要ない。自然で30℃前後になっているからだ。ネットで紹介されているイースト菌Sel ragiを加えるなどの方法で準備し、その温度のまま放置しておけば、泡が発生し続ける。ガーゼや手ぬぐいなど上に被せるものはインドネシアで手にはりにくいのでもって行った方が良いかもしれない。絞ればいいだけだ。酒粕(私はこれを貰う)も取れるし、炊いたご飯を追加し、処方通りに繰り返し、続けて酒を作ることもできる。米麹を追加して行けが、新たに始めからやる必要がない。私の場合、米麹をインドネシアへ持ち込みも問題はないと思っている。米麹屋(以前一度紹介した店と同じ)。下の子1年生。 酒 酒粕 アルコール
2013.12.19
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1797 夏休み以来なので、4か月ぶりか、大きくなっている。インドネシアで買って来たパジャマというか、寝るときに着る服を買ってきたが、下の子にはちょうど良かったが、上の子のは、全然小さかった。孫二人日本に来ていて学校へも行っている。一年と三年生だ。大きくなった。学校から帰ってくると直ぐに友達が遊びに来て、おじいちゃん、おじいちゃん、と飛びついてくる現象はなくなって、ちょっと、寂しいかなと思うが、友達が帰れば、やはり、私の周りで何のかのとしたがる。学校の宿題の本読みやドリルを私の傍らで、聞いて聞いてと言いながらやりたがる。 晩秋の家の庭、インドネシアの住宅やその周りの風景とは、異次元世界だ。手続きがなんだかんだとあって、面倒だが、やっておかなければならないことなので、やっておくしかない。主に継続のための確認が多い。高校とか大学とかそのクラブ関係とか、色々あって、全て、放ったらかしにしてあって、それでも、集まりの案内や寄付金の頼みなどの手紙や封書が来ていて、それと、返事を出した方々の近況の返事の写しが送られてきたりして、どれだけ、返事を出さなくても、近況報告をしなくても、送られ続けているのが、なんとなく、繋がりを感じている。中学のは、私がやらなければならないのだが、出来ていない。ごめんなさいである。いつかきっと、皆さんの前に登場したいと思っているが、いつになるかは予定がない。でも、皆さん、よく便りを出してくれると思う。ありがたいと思う。 太田化工へ顔を出した。アベノミクスは静岡の隅までは届いていないようだ。今回の目的は、北川弘二会長への御霊前を立て替えてもらったはずなので、その金額を返すためだった。ところが、予想していた通り、献花と共に香典も受け取らないという遺言だったという。弔電は受け取っていただいた。私もそうすることで会社でも家でも話をしておいた。私の場合は、香典など受け取らなくても、生命保険を受けつるだけで、それだけで充分何もかも済ませることができると思っている。孫 遺言 晩秋
2013.12.18
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1796 寒~~い、気温は5℃くらいだろうか、自分の部屋は直ぐに炬燵とエアコンをONにした。部屋から出るたびに、ガタガタ震えていた。そして、早速、かゆみ止め用にメンソレタームを両足に入念に刷り込んだ。「孫の下の子が、おじいちゃん、臭い、止めて」というが、無視するしかない。見舞いに行く予定にしていた。妻の一番上のお兄さん、今朝,亡くなったそうだ。7人兄弟の一番上、妻は下から二番目、14歳離れている。私たちが結婚する前後には、ちょっとお世話になった。横浜の彼女の下宿に訪ねて行ったときに、横浜に出張で来ていた、そのお兄さんと始めて会って、妹をよろしく頼むと言われたことを記憶している。その後、何かと、私の方が、ブドウ園の選定や収獲で手伝いした。ちょっとお世話になったが、輪達しの方が、大変、お世話をしたと思っている。見舞いではなく、葬式に行く事になった。免許の書き換えについて、かなり、特殊なケースだと思う。11月2日の誕生日前後の一か月、合計に二ヶ月の間に書き換えに来てほしいという案内状が来ていた。それと前後して、高齢者講習の案内状がきていた。これにはその講習を受けることができる自動車教習所の一覧表が付いていて、書き換えの時に必要だから、自分で予約し、講習を受けて修了書を受け取るように書いてあった。このことは10月始めには知っていた。妻に電話で12月2日までには行けないので、半年以内には行くと連絡して置いてほしいと頼み、その通りに連絡してくれてあった。そして、先ほど、その連絡さきの免許証発行場所に問い合わせた。そこで、言われたことは、高齢者講習を先に受けてほしい、その修了書を持って、書き換えに来てほしい、免許証の有効期限は過ぎてしまっているが、半年以内なら、更新はできるという回答だった。講習の予約をした、市内の何か所かに今年中に可能かどうか聞いたが、なのともならないとの返事、5日に戻るためには何とか今年中に免許証を更新しなければならない。両隣の自治体の講習所にも電話で予約しようとし、ようやく、何とか講習を受けて、年内に更新できる見通しは開けた。やれやれだが、それまで無免許状態なので。バスかタクシーを使わなければならない。オジャックが有ればいいと思う。これは花では無い。葉です。スダナ側に入って直ぐ左のルコ、日本食レストランやマッサージやカラオケが増えてきている。訃報 講習 更新
2013.12.17
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1795 今年インドネシアでゴルフ最終回をロータスレイクでやった後、19:00に家から出て、順調に21:00前にスカルノハッタに到着。とにかく、私はジャカルタからの出発は日曜日と決めている。有料道路の渋滞が日常化しているジャカルタ周辺は、平日と土曜日は思いがけなく時間が掛かってしまう。日曜日だけが、時間を読めるからです。 間もなく、機内に入る。4か月振りの帰国の途に就く。来月5日にはインドネシアへ戻る。 今回の帰国は予定が山積みだ。その中で一番重要なのが、お袋の三回忌。その次がゴルフ、滅茶苦茶寒い中、最低、三日予定が入っている。その他、どうしても済ませておかなければならないことがいくつかある。25日前には、ほとんど済ませたいが出来るかどうか、日本へ着いてから段取りを付けなければならないことなので、少し、心配。インドネシアにいての今年の仕事は終わった。ただし、日本にいても遠隔操作的に仕事をすることになる。完全燃焼では無かった。ほとんど一年中試作をやっていた。とにかく、インドネシアではまだ作られていない製品(形状や原料が特殊)を作って技術を習得してもらいながら、メイドインインドネシアを採用してもらおうとしていた。そして、今月に入って、そう多くはないが、POを受け取った。これらの製品は、ひょっとすると、インドネシアで使われる可能性が相当ある。これは、それを使って作る製品の販売や開発能力に掛かっている。日系企業の奮起に期待する。この業界では、中国や韓国に今は負けているような気がする。可能性としては、インドネシア国内のこの種の製品は全て、私の仲間で独占できるかもしれない。ただし、営業力が必要だ。ロータスレイク(カラワン インターナショナル)、このゴルフ場、二年ぶりくらいでしょうか、ロッカールームの状態が改善されていた程度で、その他には、これと言って、よくなったという点は無かった。名前通りのハスの花の池、そして、名前とは関係ないが。カプック(綿の木)枝が真っすぐ横に広がるのが特徴の木。他にそのような木が無いので直ぐ分る。 可能性 予定 期待
2013.12.16
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1794 宣伝文句が気になる。売り出されたばかりに、これでいいのと、書いたことが有った。日本の伝統的なお茶と宣伝して売っている。ボトル入りの飲み物(敢えて、お茶とは書かない)がある。日本茶のインドネシアでボトル売りは始めてだと言っている。その会社が、また、新商品を売り出した。今度はボトルにウーロン茶と書いてある。 前のが、何とか味?さくら味?蜂蜜味?そして、日本茶?の3種類ある、と区別して売り出してある。日本茶には玄米茶や昆布茶のような、味が違うお茶はあるが、静岡の私としては、物心がついたときから馴染んでいる伝統的なお茶ということなら、緑、それも鮮やかな、そして、適度な苦みである。 だから、某社の宣伝文句は、違うんじゃないの?と思う。インドネシアには相当前(私が1996年に初めて来たときに既にビン詰だった(今でも瓶詰めも売っている)が、甘い紅茶が売られていた。テーボトルと言えばそのお茶のことだった。インドネシアのお茶は紅茶だ。ティーバックも売られていて、一番有名なのはサリワンギと言うやつだ。インドネシア人は私が子供のころから日本茶に馴染んできたように。この紅茶を飲んで育っている。パナス(熱い)とディンギン(冷たい)マニス(甘い)エス(氷)の組み合わせで飲む、勿論のその濃い薄いも好みだ。タワール(味がない)だが、これは、紅茶そのものの味だけで、他に何も加えないということです。タンパ(抜き)と言えば、それを入れないで、ということです。“タンパ エス”と言えば、“氷を使わないで“ということです。色々な飲み方がある。 それはそれとして、テーボトルの甘い紅茶に慣れてしまっているインドネシア人は、レストランやワルンで食事をするときに、飲み物は?と聞けば、先ほどのテーなんとか、と、注文するが、テーボトルと注文する人も多い。 そして、今では、そのテーボトルとほとんどそっくりな味の紅茶のぺットボトル入りがうられている。少なく見ても10種類以上ある。その中の四種類がこの紅茶だ。色も味もインドネシアの伝統的な紅茶そのものだと思う。味も何種類かあるらしいが、ボトルに何も書かれていなければ、同じだと思う。ニホンチャ(ジャパニーズ テー)と書いてあるボトルも、どこが日本茶?と思う以前に、甘ったるい、と思ってしまう。 静岡以外の日本茶は茶色をしているということを聞いたことがあるが、こんなに甘くはないでしょ。新発売のウーロン茶も、そう言われればそうかなと思う程度、ひたすら甘い。もし、日本茶と言うなら、例えば静岡茶など、日本でお茶と書いてある飲み物と同じ内容の飲み物を売ってほしいものです。それなら、嘘でも、欺きでもないと思う。しかし、そうしたら、売れないでしょうが。その土地の人に知識がないからと言って、宣伝文句に、知っている人が首をかしげるような、言葉を入れないようにしてほしい。これらの飲み物は、日本伝統的なお茶の味ではありません。こんなに甘いお茶を伝統的なお茶と言わないでください。インドネシア人を欺かないでください。 本日のゴルフは最終ホール近くになって、豪雨になってしまった。宣伝 違和感 甘い
2013.12.15
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1793 或る会社のインドネシア人役員と従業員のトップが私を訪ねてきた。その会社の現状がどうなっているかの話だった。どうしたいのか、私に話して何をしてもらいたいのか、その話に中からは見えてこなかったので、私は只聞くだけに留めた。そりゃそうでしょう、日本人技術者が来ていないし、来るような人材が居ない(技術者では無い人は来ているらしい)。日本にいる技術者もこのインドネシア子会社でやっている仕事を手伝ったり、勿論、指導したりできない。会社の名前通りの成形を出来る人が居ないとは。どうして、こんな状態になってしまったのかを、先ず、経営者は考えて。そのどうして、を、消すしかないでしょう。もっとも、現在経営を任せられている人が、日本にいた時に、このインドネシアの子会社をサポートする役目を任せられた人で、どうにもならない状態なのにそういう認識が無く、当時のこの子会社の経営者の様々な問題点を見て見ぬふりをしていた。何も手を打たなかった人が、どういうわけか、今こちらの責任者をしているのだから、何をかいわんや、である。何ともならないと思う。 そして、その会社が新展開になったという理由からでしょうか、久しぶりに彼らが訪ねてきて会うことになった次第。その新展開というのは、10年以上責任者としてやってきた人が、日本に呼び戻されたのです。親会社が変わって、しばらくして、やっと、そのことに気が付いたのです。そして、交代の人が来たそうだ。余分なお金を浪費しなくなれば、そのことだけでも、欠損は減らすことができるでしょう。 甘い汁を吸っていたといわれていた前責任者は本社へ戻る辞令が出ていたらしいが、戻らないで、そのまま、会社を辞めて、インドネシアへ戻る画策をしていると聞く。貯め込んだ資金と退職金で何かをしようとしていると聞く、止めた方が良いと思う。 聞くところによると、もう、四年前いから新規の仕事を取れていないという。そして、今まで会った仕事は減ってゆく一方だとか、唯一、車やバイク関係のコントロールチューブが増えているそうだが、これは、ほとんど利益がない仕事だから、仕事が増えても厄介なだけでうれしくないとか。営業担当のインドネシア人は新規の製品を保慣れても、見積もりさえ出せないでいるとか。見通しが暗い会社を親会社はどうするつもりなのでしょうか。親会社の連結に組み込まれているのだから、何とかするでしょうが。ジリ貧が続いているのだから、その状態が改善されなければ、早めに、手を引いた方が良いと思うが、二年後くらいが目途でしょう。 私がこの会社を再建するなら、かなり色々な方法がある、それも、単純で簡単な方法だ。1%2%の改善は難しいが、10%20%の改善は簡単だと思うが、それでは、いつやる?今でしょ!!!てな具合にいかないでしょう。既に手遅れでしょ!!!けどね。閉鎖するのが一番いい方法だと思うが、それも、相当資金が必要になるので、難しいか。当のインドネシア人幹部は、チカラン バルという土地のルコを借りて、自分で会社を作って弟にやらせている。どんどん、仕事が増えているそうだ。賢い。ローカルがどんどん、競争に参入しているのだし、新しい仕事に活路を求めなければならないが、それも無理でしょ!!!リッポチカランのクラウンコートアパートの奥へ行くとこんな雰囲気がある。高級住宅地だ、私には全く縁がない。 選択 縮小 閉鎖
2013.12.14
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1792 インドネシアの来年2014年のナショナルホリデーはどうなっているのでしょうか。1月 1日(水)新年 Tahun Baru1月14日(火) ムハマッド降誕祭 Maulid Nabi Muhammad SAW1月31日(金) イムレック(中国暦2565年正月)Tahun Baru Imlek 25663月31日(月) ニュピ(サカ暦1936年新年)Hari Raya Nyepi Tahun Baru Saka 19354月18日(金) キリスト受難日Wafat Isa Almasih (Yesus Kristus)5月1日(木) レイバーデーHari Buruh International5月15日(木) ワイサック(仏教大祭)Hari Raya Waisak 25585月27日(火) ムハマッド昇天祭Isra Mi’raj Nabi Muhammad SAW5月29日(木) キリスト昇天祭Kenaikan Isa Almasih (Yesus Kristus)7月28日(月)~29日(火)イドゥル・フィトリ(1435年断食明け)Idul Fitri 1435 Hijriyah7月30日(水)~8月1日(金)政令指定休日Cuti Bersama Idul Fitri 1435 Hijriyah8月17日(日) インドネシア共和国独立記念日Hari Kemerdekaan RI10月5日(日) イドゥル・アドハ1435年(メッカ巡礼最終日)Idul Adha 1435 Hijriah10月25日(土) イスラム暦1436年新年Tahun Baru Islam 1436 Hijriah12月25日(木) クリスマスHari Raya Natal12月26日(金) 政令指定休日Cuti Bersama Hari Raya Natal5月1日のメーデーが休みになって、宗教関係以外の休日は、元旦と独立記念日とで三日になりましたね。Cuti Bersamaチュティ ブルサマというのは、政府の奨励で年次有給休暇(年休)を使って皆さん休みにしましょうという日です。強制ではありませんから、その日に仕事をしてもらっても、本当は残業手当や休日出勤手当は出さなくていいのですが、出す会社が多い。また、レバラン休暇の時に出勤してもらう場合は、オーバータイムのほかに特別手当を出すことになるでしょう。要求されれば、その後に彼らには休暇を与えることになるでしょう。日本と違う点は、休日と重なってもそのままで、月曜日を休みするということはない。会社ごとに来年のカレンダーを作るのが習慣です。他社(特に客先)の予定を参考にし、飛び石は連休になるようにし、その代わり、その日に近い土曜日を出勤にするなどの方法もあります。 パンガンダランの東海岸、砂浜がなくなって久しい、地引網もこんな状態、バナナボートなどの遊具が増えている。ハリラヤ 国民祝祭日 ナショナルホリデー
2013.12.13
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1791 ビンタローのような列車事故は、頻繁とは言わないが、インドネシアではそう珍しいことではない。列車の本数は、日本に比べれば、非常に少ない。長距離列車などは、日に何本も運航していない。通勤列車も朝夕でも10分間隔以上空いている。それでも、踏切事故が一番多い事故だが、一か月に一回以上は起きている印象がある。踏切は遮断機が無い場所が多い。そして、地方の主要道路が横切っている場合には、人がいて遮断機を操作している。私の印象では、通過時間の5分以上前に遮断機は降ろされる。ゆっくりである。その間、勿論、どんどん、くぐり抜ける、遮断機が下りてしまっても、列車が見えるギリギリまで、人やバイクは横切るのを止めない。また、対向車線も何も無視、道一杯に広がって遮断機が上がるのを待つ、上がり始めると、勿論、一斉に進みだす。向こう側からも同じように向かってくる、それをお互いに割り込むように、踏切の真ん中あたりで左右に分かれる。それはそれは、ギュウギュウ詰めながら、見事なものだ。しかし、中には踏切幅から外れる人や乗り物も多い。接触は挨拶代わりのようなもの、気にしていない。 全部が渡りきらないうちにまた、遮断機が降ろされ始める時には、もう、大変、とにかく渡り切ろうと、我先がもっとひどくなる。こんな状態で事故が起きないはずがない。そして、通り過ぎる列車は、何もなかったように高速で通り過ぎる。 インドネシアの列車の屋根の上に得意げに乗る風景は有名だが、これも、満員で中に入れない状態が続く限り、無くならないでしょう。それには、そう驚かなかったが、自動ドアーが故障していて、手動でも閉まらないらしい。一杯、開けたまま、走っていることでした。満員電車でもその状態、体が半分以上外に出ている状態でも、彼らは、それが、得意げに見える。バスもミニバスも同じスタイルだ。子供のころから、競って、そういう乗り方をする。 踏切で前が空いていない場合でも、遮断機の手前で停止して前が空くのを待つことはない。踏切内に入ってしまう。交差点で交差点の向こう側が詰まっていても青信号なら交差点に入ってしまうことと同じだ。しまいには、身動きが取れなくなってしまう。今回の事故もそれが原因だった。 それに、踏切内に車など障害物がある時には、何百メートル手前から自動的にブレーキがかかるというシステム自動列車停止装置(ATS: Automatic Train Stop)はない。 地方の小都市にある踏切です。昼間の車が少ない時にはこんな状態です。 分けが分からないのが、次の制度。テレビ討論も行われている。RFID (Radio Frequency Identification) atau Identifikasi Frekuensi Radio adalah sebuah metode identifikasi dengan menggunakan sarana yang disebut label RFID atau transponder untuk menyimpan dan mengambil data jarak jauh.RFID (Radio Frequency Identificationラジオ周波数身分証明書) またはIdentifikasi Frekuensi Radio無線周波数識別 RFID 全車両に、タグまたはトランスポンダーと呼ばれる手段を持たせて、リモート データを取得する法でしょうか。何が目的なのでしょうか。どんなデータを送るのでしょうか。色々、小細工する前に、車検制度を充実させた方が良いと思う。車検制度が有識者から提案せれないのは、なぜだろうか、理由が分からない、渋滞を無くしたければ、ゴミの問題を解決するのが、多くの問題を一遍に解決する効果があることから、最優先にしたらいいが、制度として決めてしまえば直ぐにできる渋滞解消策として車検制度を取り入れることです。SBYではどうにもならない。ジョコウィさん、小型エコカーの発売開始発表の時に、これでは、渋滞を酷くするばかりだとコメントしていたが、是非、車検制度を取り入れてほしいものです。 踏切 割り込み 信号無視
2013.12.12
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1790 インドネシアのこの頃は、以前ほど多くの契約社員や派遣社員を使うことはできませんが、始める時は、いいのです。従業員から文句の出ない状態で、次第に正社員の比率を増やしていけばいいのです。それは、工場や事務所などの準備ができてからのこと、そうではなくて、進出を決めた会社が、先ず、することは、様々な手続きです。そして、その前にすることは、何でしょうか。日本人が赴任して来て、その人、一人でやれることはほとんどありません。どなたかの世話にならなければなりません。手続きの代行会社を決めます。この決め方も色々あって、その人が一番安心するのは、日系のその手のエージェントです。手続きの機関や必要書類や期間など設立に必要な事、全てを教えてくれるし、代行してくれるし、案内もしてくれます。それに頼り切ることが一番楽です。お金を払って、ほとんど何もしないで、待っていればいいのですから。慣れた人、例えば、会社の設立を経験したことがある人なら、ローカルの代行会社に依頼することになるでしょう。私の経験では、日系は忙しすぎて、最初だけは日本人が対応するが、後はローカルスタッフに丸投げになります。予想以上に手続きの進行が遅くなるのが普通です。ところが、ローカルのエージェントなら、本当に一生懸命やってくれます。信用されたいからでしょう。そして、その後の定期的な手続き、こちらが忘れていても、フォローも、向こうから催促が有るはずです。人材紹介や住宅の紹介、移動ティケットの手配など、とにかく、インドネシアで何かほしいということが有れば何でもしてくれます。自分ができなければ、仲間を紹介してくれます。それに、日系より遥かに安い。ということですが、もっと、最初に必要なのは。車と運転手です。そして、総務関係の仕事ができる人です。そして、多分、最初の半年や一年は、これだけの人で行動するでしょう。一番いいのは、総務の人は、日本語ができて(本人が英語でもいいなら英語が話せる人でもいい、その方が見つけやすい)車の運転ができることです。それなら、車だけ借りて、二人で行動すればいい。しかし、それは、仕事の時だけの話なので、一人で行動する時には運転手が必要になる、夜や土日の付き合いには、絶対必要だ。そして運転手を雇えば、総務の人と三人で行動できるし、車を行く行くは二台にすることになる。ドライバーは社員として契約しては、絶対だめです。必ず、車とセットで契約しましょう。気に入らなければ、交換をしましょう。こればかりは、ドライに考えましょう。運転手という仕事は、本当においしい仕事です。正社員にしてしまった会社は100%後悔します。本当に運転するだけ(形だけの点検と洗うことだけが、運転をしていない時の仕事で、物の30分も掛からない。その他の時には、暇つぶしを、どうしようと、考えているだけです。私から見ると、ほとんど仕事をしない時間が多いのに、給料は貰っている。その上、美味しいのは残業手当です。これまた、送った先で只待っていれば、残業代がどんどん加算される。最低給料で雇っても、手取りはその数倍になる可能性もある。残業代が二倍、三倍、四倍になるからだ。派遣運転手にすれば、その不合理は相当減らすことができる。そして、勤続年数や評価について考える必要がない。このことは、残業がどうのこうのというより以上に重要なことです。正社員として運転手を雇ってしまった会社が一番、困らされるのはこのことです。当たり前だが、東海岸のサンライズ、この時だけ、ちょこっと、太陽が現れた。帰りの道で、トラックが横寝していた。よくある光景です。インドネシアの道の路肩は、有料道路もそうだが、なだらかにではなく、車輪がかなりの段差から落ちるように作られている。契約 派遣 正社員
2013.12.11
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1789物価、安い?日本とインドネシアの物価を比べれば、当然、日本の方が高い。日本の方が安いと思うのは車だけかな。インドネシアの車は、何故、高いのか、それは、輸入車には100%を課税(今でもそうだと思うが、間違えていたら御免なさい)国産車荷も同じように税金が掛かっている、ボンネットを開ければ、日本車に比べて隙間が多い(一般的な話)。室内暖房関連の装置や計器はなし。それでも、2L程度で200万円以上する。200万円も出せば、中級クラスの住宅を買えるのに。ということは置いて置き。インドネシア国内で、一般生活費の物価が一番高い地域はどこでしょうか。そうです、ジャカルタとその周辺です。いいえ、違います、バリのデンパサール周辺です。はい、それも違います。私がサバンからムラウケまで、歩いた印象では、ジャヤプラ、ムラウケでした。その土地の人はどう思っているのでしょうか、高い、タクシーもバスもジャカルタの1,5倍はすると思う。多くの人が口にしているピナン(口の中が真っ赤になる、その唾をところ構わず吐き捨てる)も1粒千Rpはする。各種果物、お米などもチカラン辺りのスーパー寄り、遥かに高い。ホテル代もびっくりするほど高い。一泊、百万Rpくらいするところがザラニある。理由は、現地産のものがほとんどないからだ。同じ端っこでもサバンは近くにバンダアチェがあるし、メダンやマレーシア、タイもそう遠くない。ところがジャカプラは、物資の調達地が遠い、外国から輸入しているようなものだから、どうしても高い品物になってしまう。地元で調達、地元で生産できる物がほとんどないのだと思う。鉱物資源は食べられない。安いという印象はジョクジャカルタなど中部ジャワも南側、チラチャップやパンガンダランもその範疇に入る、おそらく、生活費はジャボタベックの三分に二くらいだと思う。海の幸、陸の幸は豊富、一年中、山へはいれば、野生の果物、海にこぎ出せば、適当量の魚は取れる。あまり、努力しなくても、食うには困らない。南国ならではの恵まれた風土だ。恰好にこだわらなければ、服も履物もほとんど必要ない。広大な穀倉地帯も至るとことにある。自給自足がたやすい地帯だと思う。コンビニでの価格も安い。カップメンの平均価格は3千Rp(26円くらい)。私が行くヘアーサロンは髪を染めてもらって9万Rp(750円くらい)、ホテルは30万Rp平均でしょうか。パンガンダランで4万3千Rp(380円くらい) 勿論、チカラン辺りの価格も日本に比べれば安い、だから、日本で年金を受け取って、こちらで生活するには資金的に全く問題ないし、日本では無理だろうゴルフ(平日)も旅も半値以下で出来る。ただし、アルコール類をどれほど必要か、どうしても日本食出なければならないのかで、必要費用は大きく変わる。私が1日500円もあれば、十分でも、それらが欠かせないとなれば、3千円とか4千円になってしまう。物価が安いが、その人の生活次第ですね。因みに、旅とゴルフの費用を別にすれば、住宅、食(衣はゼ)で5万円以下です。一人でパンガンダランへ600Km走って二泊三日で行って来ると、ガソリン代、有料道路、宿泊費、ガイドへチップ、飲食費合計で150万Rp(1万3千円)くらいです。昨日のジャングルの中の沢の様子、どうですか、70歳の爺がこんなところを徘徊しているのです。生活費 安い 可能性南ジャカルタ、インターナショナルホスピタルがあるビンタローでの列車転覆事故、原因は、踏切を渡ろうとしたタンクローリーが踏切の向こう側にバイクが止まってしまっていたため踏切内に停止した。そこへ列車が突っ込んだ。死者は10人以上になっている。
2013.12.10
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1788 先ほど19:20頃、家に戻った。07:00過ぎにチャガールアラムに入った。ラフレシアに会いたくて、入らないと気が済まない。そして、本日の成果は、何と、疲れらだけ、体力テストをしに、ジャングルへ入っただけ、雨季の真っ最中、ガイドの話によると、連日の大雨、私が到着した6日もバンジャール辺りからパンガンダランまでスパンジャン ジャラン大雨、夜中まで降っていたようだ、昨日、7日も午前中はくもりだったが午後から6日と同じだった。大雨の時には、ラフレスアは早く腐ってしまうし、なかなか開花しないというのが通説になっているので、期待はしていなかった、しかし、期待していな時でも、思いがけなく、今まで、無かった場所で出会うことがあったので、ちょっとは期待して入った。ところが、コンディションが最悪、大雨の影響で、いつもなら沢登り沢下りはちょっとした水だけなので、濡れることは無いが、今日の異常な水の量は、水に中を歩かなければ、進めなかったし、木の上からは、葉に蓄えてる大きな滴が、どこでも降りそしでいて、全身びしょ濡れ、そればなりか、当然、滑りやすい、どんなに、気を付けていても、踏ん張り切れずに、何度転んだか、何度手をついたか。挙句に、ラフレシアのラの字にも会えない。只、一か所だけ、匂いがした場所が有った。急斜面の寝れた枯葉の上を蔓や小枝をかき分けながら、捜しまわったが、これも、くたびれ損、見つかれば疲れが取れるが、見つからなければ、疲れは、倍増する。10:30には出てきてしまったが、全身泥だらけ、恋人に会えず、がっかりだった。そこで、ガイドがたむろしていて、「太田さんどうだった」と、「私からの情報を求める。分かってはいたが、ショックだよ、この恰好を見てよ」自然公園の管理人というかレンジャーもニヤニヤ笑っていて、悔しい。http://otaenplaext.net/newpage33.htmlこちらを見ていただいたたと思う。そこで、いい話を、一人のガイドから聞いた。何日か前に日本人をガイドした。ジャカルタで酒を飲ませる場所を経営している人で、インドネシア人の奥さんと二人できた。太田さんのウェブサイトを見て、ラフレシアを一目見たいとやってきた。車は自分で運転してきたという。それなのに、その人、癌に掛かっていて、歩くのがつらそうだった。という。ラフレシアに会うには、かなり、急なこう配を上り下りしなければならないし、その感じでは、無理だと説明した。そして、ちょっとだけ、そっちの方向に行ってみたいと言ったので、ハリネズミの家族がいる東海岸の洞窟に先ず案内した、懐中電灯で、垂らしながら、歩くのも大変そうだった。それでも、ハリネズミの家族と蝙蝠を見ることができて、大満足だったそうだ。名前を聞いたが、忘れたというし、店の名前も聞かなかったという。その方、是非、回復してもう一度パンガンダランに行ってほしい、私が車で一緒に行くことができますよ。散々だったが、いい話を聞いて、気持ちが和んだ。道中の急な下り曲がりくねった道。ガッカリ ホッ 和み
2013.12.09
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1787 北川弘二社長(私にとっての)葬儀が行われたはずです。私は多分、その頃、ここ、パンガンダランのヘアーサロンで、自分で思うのは変化も知れないが見事な白髪を真っ黒に染めていた。そのちょっと前に、もう一方、私の事を常に気にしていただいている方から、「いずれ誰しもその時が来るので残りの人生を楽しく過ごしたいと思います」。と、メールが入っていた。その通りだと思う。その方とは、そう年齢も離れていないので、お互いに、亡くなった時には、弔辞を読んでやるよと、言いあっている。 その染めている時に約30分じっと待つ、目を閉じて、いつもなら眠ってしなうのだが、今日は眠れなかった。普段、考えることがないことを考えていた。今頃葬儀が行われている、私は、インドネシアでもパンガンダランにいる、つい二日三日目前には、その方の為に涙を流していたのにこの変わり身は何だ。目を閉じていると、色々な音や声が気おけてくる。ここは、パサールパンガンダランの一角、他のお客さんと店員の会話、子供たちの、親にねだる声、子供が髪を切ってもらって、その、結果に文句を言っている母親の声、向かい側に屯して、客待ちをしているトカンベチャがトランプの賭け事をしている声、アポガド、マンガなどのジュースを作っているミキサーの音と一寸綺麗(待っている時に一言会話済)な店お人と客との話声、そんな中で、私だって、そう、何十年も、これらに声が聞こえることを確認できるわけではない。今、眠ってしまえば、この声は永遠に聞こえなくなってしまうのではないか、と、思うと眠れない、もっとも、聞こえなくなったのかどうかを、眠ってしまえば確認できない。永眠とは言いえて妙だ。夢を見ることもない。全く、無の世界だ。それも確認できない。色々考えても仕方がないことも分かっている。とにかく、私がこの世にいなかった時、生まれる前の時と同じになるのです。そのとき、どうだったか、何もなかったし、無だった。そして、永遠に存在しなくなる。そして、私が、ここに、なんとなくここに来ることができて、ラフレシアに会うことができ、環境を満喫できる状態に出来るようになったきっかけを与えてくれたのが、北川社長でした。そう考えると、与えられたきっかけは、有効に使い、より発展させることが、きっかけを与えてくれた方への感謝の気持ちを表す最良の方法ではないかと思う。“我思う故に我あり“人に迷惑を掛けないで、なんとなく、やりたいことをやっていれば、そのうち、”我、思わなくなる、故に、我なし”になる。ここまで、思っていた時に、「髪を洗いますよ」といわれた。東海岸で一番チャガールアラム場所、私の立ち位置の後ろがチャガールアラム東海岸入口である。この写真の右端にあった、otak-otak(私のメールアドレスの一つに使っている)Kakilima。御冥福 そう遠くない 無から無へ
2013.12.08
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1786 パンガンダランにいる。バンドゥンで一仕事をして、そのまま、引き返すには、勿体ない、折角、バンドゥンまで来たのだから、土日を控えているし、方向はそのままに南西へ向かい、パンガンダランに着いてしまった。だから、今回は一人である。気を使わない。自由である。バンドゥンのチマヒの工業地帯の壁、押出製品を単独で使うことは無い、必ず。合わせる部品がある。その部品を必ず貰うことにしている。通り、泊りなどのゲージgauge、冶具を作って検査道具とし、検査表の検査道具として、ノギスやマジャーのほかにダイヤルゲージや冶具も使う。合わせの部品がマッチするかどうかもチェックしてOKだったという項目もある。客先に品質管理部門が、受け入れ検査をし、OKになって始めて、お金になる。その、受け入れ部門も結局は私が指導して、その製品に合った検査の仕方にしてもらう。そして、再重要なことは、受け入れ検査でOKしたものを、何日か在庫しておいて、いざ使おうとした時に、使えないとは言わないようにしてくださいと、念には念を入れてお願いしておく。要するに、私たちから手が離れた製品は、私たちが管理できないからです。 製品を作ることもそうだが、検査をすることも、保管することも、客先を含めて、関わる人々全てに、私の考え方や手法を伝えなければならない。せっかく、まともな製品を作ってあげても、検査の仕方が間違っていて、不合格にされたり、保管の仕方が原因で傷が付いたり製品が変形してしまうことがあるからだ。スパイラルチューブの径や長さ、6ナイロンなど水分を大量に吸収する樹脂の硬度や長さ、開きや曲がりの変化、そういうことの知識を全く持たない人たちが受け入れ検査をしようとするのですから、ちょっと、待って!!ということになる。長さは、作った直後から、縮み始めて、経験的に、1週間後くらい過ぎれば、それ以上縮まなくなる。だから、カットも検査も作ってから一か月後ということになる。これは、常識。まだ、変化をする応力(ひずみ)が残っているからです。曲がりや開きなども変化をするが、いずれも、水分が関係しなければ、そう多くは無いので公差から外れるケースは少ない。 会社から家に帰る時には、必ず、ここ、チカランバラッのインターの前まで来てUターンします。そこに掛かるフライオーバー(高架橋)の橋脚に何か書いてあります。Dilarang corat-coret tempel poster stiker, DLL(ディララン チョラッチョレッ テンペル ポステル スティケル ダン ラインライン)落書き、ポスター、ステッカーその他を張ることを禁止。朝、家から出る時の家の前の風景です。右隣が地面に野菜や加工食品を並べて朝市を開いているので賑やか、右隣の家の赤ちゃん(エリナちゃん)が離乳食をベビーシッターに食べさせて貰っている、プラスチックの風船売りも一週間に二回ほど、ここに坐っている。向かいに、オジェック(バイクタクシー)の待機所がって、なんとなく、無い朝、ざわついている。ほとんど、目が合う人に挨拶をしながら車を発進さる。エリナちゃんは、必ず、手を振ってくれる。ライン 工程 チェック
2013.12.07
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1785 今日も関係者から電話が入るたびに涙声になってしまった。元PT.KITAGAWAの社員連中から、太田さんは長生きしてよと、妙な励ましを受けてしまった。私が老眼で細かい筋や異物が見えないとでも思っているのでしょうか、近いものがはっきり見えないことは十分承知、だから、製品をチェックする時には、はっきり、大きく見えるように、虫めがねの様なレンズが入っている特注メガネを使っている。インドネシア人の視力は日本人より遥かに上だ。彼らは、細かい欠点をよく見つけて、「これはいいのか」と聞いてくる。その時に、私には見えないのでは、浜氏にならないからである。乱視でも色盲でもないことも検査済みだ。とにかく、寸法公差は0.05mm以下の世界だ。ノギスを使わなくても、見れば、その違いは分かる。使う人に依って、ちょっとの押さえ方、摘まみ方で、そのくらいの誤差はでてしまうノギスなど道具を使うより、見た目の方が正確だ。それを50年近くやっているのだから、自信はある。今までいた全ての会社(例外が一社あった)で、私が作業標準(ワーキング スタンダード)検査作業標準(インスペクション スタンダード)を作った。必要書類や検査表(チェックシート)、行程表(フローチャート)も全部作った。昔は日本科学技術連盟(日科技連)という組織が日本の品質管理をリードしていた。そこからのTQCなどを取り入れて品質管理をしていたが、何年か前からISOが新興宗教のように普及し始め、それらも吸収して、押出し製品独自の管理方法自分なりに作った。図面上の寸法の何か所か、チェック個所を決め、公差を決める。長さや曲がり、反り、捻じれ、両端の状態(斜めやバリなど)ただし、とことん追求して、最初から100%良いと思う製品までは作らない、公差にも入っているが、中心ではないとか、表面の艶なども、ちょっと、満足しないとか、曲がりもちょっとあるなど、の製品をサンプルとして出す場合の方が多い。あまりにも完璧な製品を出してしまうと、限度見本を作る時の参考製品になってしまうことを避けるためだ。公差も必要以上に狭くされてしまうことを避けるためだ。やはり、基本は、「そんなに厳しいことを言わないでよ。使えれば、いいじゃない?」と言いたいからだ。実際には、試作品の検査を厳しくされて、OKを出すまで、何回も試作を繰り返す可能性はあるが、本生産になった時に、出来るだけ受け入れ検査を通過し安くするためだ。帰る途中、毎日夕方にはこんな空になる、一天にわかにかき曇り、18時前でも、夜のような暗さになる。そして、大粒の雨がバチバチと車を叩き始める、バイクは軒先や木の下に入って雨宿りをするか、コートを着る。いい加減 厳しい 妥協
2013.12.06
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1784 悲しい!!大ショック、こんなショッキングなことは、ほとんど経験がない。私の恩人の一方がお亡くなりになった。北川工業の会長、北川弘二さま。涙が止まらない。思い出は山ほどある。45年間の思い出が蘇る。昨年の暮れ、稲沢仮本社にお尋ねした時には、私が約束の13時に着いた、その時、既に、応接室で待っておられた。そして、私の仕事の話を熱心に聞いていただき、「技術者はいいな、組織など無くても、技術一本で人の手伝いができるからな」と、私を励ましてくれていた。「太田君、太田君」とその時も何度も言っていた。12年12月12日でした。http://blogs.yahoo.co.jp/enplaind/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=72その日の翌日のブログです。http://island.geocities.jp/enpla_indonesia/newpage0201.htmlエッジング、グメットを日本で初めて製品化し、商品化した事実を、私と北川会長しか証言できなくなってしまっていたが、とうとう、私一人になってしまった。日本の6ナイロンの小型異形品の溶融押出成形の幕開けでした。毎年、平均で3回ほどお会いしていたと思う。とにかく、じっとしていな方でしたから、そう多くはお会いできない。それでも、本社を訪問する時には、他の方に会うために出かけて行って、訪問した目的に関しては担当者と2~30分で終わってから、おられれば、必ず、会っていただいた。どうも、私に、何かと、愚痴を言い安かったらしい。まだいいだろ、と言いながらいつも二時間以上私を離さなかった。その中で、一番覚えているのは、秘書として働いていた女性が亡くなってしまった時でした。少し涙ぐみながら、彼女との思い出を淡々と話をしていた。お母さんと二人暮らし、家のトイレの中で心不全になって、発見が遅れ、帰らぬ人になってしまったという。社長がどうにかなるものではないが、本当に信頼していた女性だったことが良くわかる。インドネシアでの仕事も私が東南アジアの国に技術を伝えたいと常に話していたことから、私も一緒に行ってみないかと、誘われて行ったのが始まりでした。PT.KITADAWAを離れた時も、パニック障害になった時も、これからどうするんだと、心配してくれた。その後、お世話になることは無かったが、PT.KITAGAWAがインドネシアから撤退する際、私が作り上げた押出し部門の引受先を紹介し、移転の手伝いをした。そして、その時、私の技術を引き継いだインドネシア人スタッフは、今、PT,NANBUで、インドネシアのエンプラ押出の牽引をしている。北川社長が機会を与えてくれたのでした。そして、PT.KITAGAWAの最後の社長が営業畑の人として送られてきたが、どうにもならなくて、撤退することになり、その引受先としてNANBUを紹介し、仲介したのも私でした。そこは、今、PT.NANBUの第二工場になっている。偶に、前を通った時、寄ることもある利益の配分というか、社会へ還元するということは、常に言っていた。多くの人に、いわゆるパトロン役をしていた。演奏会とか絵画展とか、ノーベル賞受賞者の講演などに私自身もよく出かけていた。それにも、私は影響を受けて、バブルで貯めたお金を、色々な人の援助として使ったし、技術指導の為の装置や機械を購入して多くの若者が実習しやすい環境をつくった。今もそれは継続している。そろそろ終わりだが。ゆっくりお休みください。合掌。社会貢献 影響 恩人ジャカルタ周回有料道路の料金が上がったようですね、普通車は7000から8000Rp
2013.12.05
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1783 50年近く、押出成形品を作ってきた。仕事をするにあたって製品の検査は自分でしてOKをだし生産を続けるが、最終的には他人の検査でOKをもらわなければ、製品を収めたことにならないし、お金と交換できない。製品の立ち上げの時に、まず、金型と製品の価格を示す。OKなら注文書を貰う。客先が要望する品質の製品の試作をする。勿論、金型を買う、原料を買う、これは、先ず、こちら負担だ、出費が先になる。試作品がOKになってから、金型費用を払ってもらう。そのOKをなかなか出さない客先がある。そういう客は始末が悪い。かと思うと、第一回の試作品をだした時点で、OKが出る前になる前に、インボイスを切るように言ってくる、気がきいた客先もある、そういう客には、こちらも、より真剣に良い製品を作ろうと思う。金型の支払い条件は、試作品がOKになった時に納品書を提出することにしている。OKの条件はチェクポイントの何か所かの寸法が交差内にあること、外観がOKそれだけです。本当は。しかし、多くの客先は、その部品をセットするときに不都合がないことが条件になる。後出しジャンケンの様なもの、相手が出したチョキに対し、こちらはグーを出して勝っても、やっぱりパーにするというのです。後出しは無しですよ、いいですか。この条件を変えないでくださいねと、何度、確認したでしょうか、覚えていないくらい確認した回数は多い。しかし、それでも、変えてくる。インドネシアで一番多いのが、受け取った既にどこからかの国から輸入して買っている製品サンプルと図面寸法が違う場合、必ずと言っていいほど、図面通りの製品を作ることを要求される。日本本社のQCは図面通りに出来ているか否かのチェックしかできないからだ。どこかの事業所で、相手部品の寸法を何らかの事情で変えた時に、押出し部品の寸法も変えて使う場合がある。それらの事が、本社のQC抜きで、勧められた場合は、ほかの事業所が同じような仕事をするときに、担当者が事状を知っていればいいが、知るはずがない、本社の指示に従い、押出品は本社から出た図面が基本になり、相手方の部品は、今、組み立てそしている事業所の製品を使う。迷惑を被るのは、私たちだ。本社のOKを取って、いざ、組み込もうとしても現場から、こんな製品は使えないとクレームを付けられる。呼ぶ付けられて、現場にどんな様子かチェックに入った時に、現場の人間から、こんな使えない製品なんか持ってくるなよ、と、言われたこともある。その会社の購買やQCに人間が、彼らに事情を説明していないのだ。彼らが、責任逃れをしているのです。50年近くこの仕事をしてきて、私自身が納得できないクレームを付けられっぱなしだ。私が出荷の為の最終チェックをしたもので、間違ったという覚えは一度もない。なるほど、客先が言うことは、ご尤も、私のケアレスミスでした、というケースは一切ない。 リッポチカランとデルタマス間の一般道、デルタシリコン3,4などの工業団地の中を通る。まだ、車の数が少ないので、渋滞の心配は無く、時間を読める道路だ 検査 クレーム 納得なし 北川社長(私にとっては永遠に社長)が亡くなった
2013.12.04
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1782 インドネシアの通貨、ルピアの相場がこのところ下げている。今日あたりは・1US$が12000Rpくらいだと思う。1円は、117Rpくらいか。ドルに対してルピアは何故安くなっているのでしょうか。昔々の思い出だが、1997年から1998年のタイから始まったアジア通貨危機の時、Rpは20Rp、1円から一挙に160Rp、1円までになった。それ以降、Rp安は戻したが、80Rp,1円より、戻ることは無かった。これまで何年間かの平均は90Rp,1円くらいだったでしょうか。それが、日本の円が対ドルに対し、下がったころ(安部首相になったころ)から、Rpも対ドルで下がり始め、いつの間にか、円の下落を追い越してしまったので、この頃は、115Rp,1円くらいになってしまっている。インドネシアの景気は日本に比べれば遥かに上昇基調、堅調だ。皆さん、そうお金を持っているとは思わないが、消費意欲は盛んだ。車やバイクを皆さんよく買えると思う。天然資源も豊富(ただし、加工技術がないので、第一次産業に留まっていて、儲けが少ない)、物価の上昇、給料の上昇、日本と逆のインフレスパイラル、バブルの初期段階と言ってもいいくらいに、巷の様子は活気がある。それでは、なぜ、Rp安になるのでしょうか。単純にいえば、需要と供給のバランス上、社会全体の雰囲気として、Rpを売ってドルに買いたいのです。では、なぜ、ドルをほしいのでしょうか。これも単純にいえば、ドルで払う取引が膨らんでいるのです。貿易の収支は石油ガスなどを始めとして、悪化している、ドルで受け取るより、ドルを多く払わなければならないからです。私が使っているプラスチックの原料もドル取引です。だから、私が出す見積もりもドルでだします。Rpで出したら、大損になってしまう心配があるからです。また、日本は円安誘導をしましたね。そして、輸出をしやすくしました。ドル建ての取引ですから、今までと同じ値段で同じ数量を売っていれば、円が余分に入ってきます。それでは、円で作っていたのですから、ドルに換算すれば、安く売ることができる、競争力が増すことになります。だから、日本にとってはいいこと?と、思う人が多いのです。しかし、当然、輸入品は、値上がりします。どうしても必要な輸入品は値段が上がっても買わなければなりませんが、必需品ではないものは、買い控えをするようになるでしょう。そうなれば、全体として、景気は上向くという皮算用です。少なくとも気分は、よくなるでしょう、それがねらいです。私は、そう簡単に、経済実態が良くなるとは思わないが。インドネシアはどうか、やはり貿易収支を改善するためにバンク インドネシア(中央銀行)は短期金利を下げ誘導し、Rp安を容認している。そして、Rp取引のボリュームは円に比べれば微小です。為替の操作はしやすいし、インドネシアが若干の操作をしても、文句をいう国は無い。でも、ここら辺りが潮時のような気がする。これ以上Rp安は、インフレの行き過ぎになる可能性が高くなるし、燃料費補助金(国が負担する分)が、多くなりすぎて、せっかく値上げして、補助金を少なくできたと思ったが、今や、その分、輸入価格が上がって、補助金は値上げ前と同じ以上になってしまっているようだ。BUKAN ENPAT MATAで、中心が進行役のTukulトゥクル 大騒ぎの客席だが、VAMPSは、ほとんど、何も話ができなかった。さえない格好をしているこいつら何者?何人? これもインドネシアそして、西ジャワのある田舎町、吊り橋は壊れたまま。これもインドネシアです。Bertaruh nyawa untuk menyeberang命がけで橋を渡る。Rp安 インフレ 活気
2013.12.03
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1781 インドネシアには高速道路は在りません、あるのは有料道路です。Jalan tol(ジャラントール)だけです。ジャラントール(有料道路)なら、インドネシア中、どんな田舎でもどこにでもあります。車がやっと通れる幅の凸凹の道でも、ちゃんと、遮断機の様なものがあって、1000Rpを払わなければならない、どこにでもあるし、右折やUターンするときも、払わなければなりません。金曜日のバンドゥンのチマヒという町へ行ったときに通った有料道路です。パンガンダランへ行くときも必ず通るので、もう何十回と通過しています。しかし、この道は、本当に油断ならない道だ。道中のどの道よりも緊張するし、気を使う。ANDA BUTUH BANTUAN POLISI あなたが警察の助けを求める時HUBUNGI INDUK PJR CIPULARANG チプラランのPJR本部に連絡してください。PJR (Patroli Jalan Raya; Indonesian Police Highway Patrol Division)HATI-HATI TURUNAN PANJANG 長い下り坂注意HIDARI TABRAK BELAKANG追突を避けてくださいMENGMEDI DENGAN SABAR DAN TERTIB INDAH我慢と規則正しい運転は美しいMAAF PERJALANAN ANDA TERGANGGU あなたの走行の邪魔をしてごめんなさい、ADA PEKERJAAN PENINGGIAN MEDIAN CONCRETE BARRIER中央のコンクリートバリアを高くする作業をしています。Jalan Tol Cipularang (CIkampek - PUrwakarta - PadaLARANG)チカンペック プロワカルタ パダラランの高速道路だからCIPULARANG有料道路と言います。バンドゥンでのアジアアフリカ会議に合わせて、急いで作られた高速道路、山間部を通す高速道路としてはインドネシアで初めてである。現在もこの高速道路以外の山の中を通る高速道路は無い。トンネルを貫く、高速道路は未だに無い、ここも、山を削って谷へ土を盛って作っているので、急な坂が多い、そして急カーブも多い。その上、路肩の崩落が頻発していて危険、また、その上、修復された舗装がかなり凸凹しているし、アスファルトとコンクリートが不規則に混じっているので、走っている感覚が変わりやすい。当然、故障車は路肩に並んでいるし、事故も多い。日本なら、事故の原因が道路状態の欠陥として、道路会社が訴えられる、それほど、欠陥、危険が連続する高速道路だ。http://otaenplaext.net/newpage32.html私も一度、危機一髪の事故に会っている。この道路ができる前はパンガンダランまで12時間以上掛かっていたが、今は、掛かっても8時間以内になった、それほど、この区間の山岳一般道路は、きつかったし、渋滞もひどかった。随分、便利になったと思う。唯一 山岳高速 危険
2013.12.02
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1780 “友、遠方より来る、また、楽しからずや””人生是離別“子供の頃、宮本武蔵の何かを見ていて、その中で、そんなことを言っていた。後にいずれも中国のどなたかが、残した、意味深長な言葉だったことを知った。人との出会いの不思議さと結局、いつかは分かれる不思議さを感じる。昨夜来の大雨があがり、朝の内は靄に煙っていたが、プレー中いつの間にか、快晴に近い天候に恵まれた、一緒に回った最終戦でした。多分、今後、一緒にゴルフをしたり、旅に出たりすることは無いでしょうが、まだまだ、隠居してしまう歳ではないし、体力も有り余っている人です。しばらく休んだ後、また、別の世界で、何かをやりだすのではないかと思う。いずれにしても、奥さんを大切にして、健やかな人生を送ってほしい。ありがとうございました。一部の企業の話だが、一昔前には、世界の先端技術商品を牽引してきた企業が、生き残りを掛けて、日本国内だけで売れている製品を作っている。ガラパゴスを使う世代がいる間は、国内向けだけのガラパゴス商品だけを作って、こじんまり商売をしていられるが、10年後くらいには、ガラパゴスを使う世代の人数が少なくなってくる。それまでに、世界の先端技術商品に追いつき追い越す元気などあるはずがないその会社は作るもの売るものは無くなってしまうでしょう。日本の過剰品質商品(自意識過剰商品)の多くは、今、世界中で、笑われている。呆れられている。昨日の話などは、私も呆れているが、私が原料をお願いるローカルの原料メーカーも呆れている。もう止めましょうよ、と言われている。原料メーカーも私も無償サンプルとして出しているのです。いい加減にしてよ、です。手伝う気が無くなる。その会社のインドネシア人スタッフも、困っている。日本のメーカーのOEMは、自分の技術で開発したものを、いわば、下請けに作らせて、製造価格を抑えるためだったが、今の日本企業のOEMは、第三国の会社が開発した商品を購入し、その時に、過剰品質を要求し、日系企業が満足する品質の商品を特別に作らせて買って売るのです。だから、その製品は、その会社が世界中に売りだしているのです。それで、もう、売れているのです。変なはなしでしょ、それに改良を加えて高く売るのです。そして、品質は、他社より優れていると言っているのです。世界はそんな商品を望んでいないし、それは、もう、後発商品なのです。日本企業が売り出したころには、元の第三国の会社は次のモデルを売り出しているのです。これでは、どうにもならないところまで来ている。それを全く意識していないように、依然として、自分たちが世界をリードしていると勘違いして、結果を出すのに、いたずらに時間が掛かっている。日系の会社の下請けをしようとしているローカル企業は、口を揃えて、こう言っている。他の国の企業は、結論を出し、知らせてくるのは早い。日系企業は、何を検討しているのか、出したサンプルが採用されるのか、されないのか、採用されないなら何が問題なのか、そういう、話が、なかなか出てこないという。日系企業よ、巻き返してほしい。 友 気楽 去る
2013.12.01
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