Flatのガンプラ製作日記

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2021.11.13
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カテゴリ: 本の感想
書籍の感想です。
今回は「始まりの木」です。


始まりの木 [ 夏川 草介 ]

いやー、すごく良い本でした。
私、すこくこの本好きです。

変わり者の民俗学者古屋と、民俗学に興味はあるものの
長期的な将来性もないまま院生となり、古屋に下で
修士課程を過ごす藤崎千佳のお話です。


物言いと言動で、多くの敵がいる方。
千佳も毒舌と嫌味にさらされながら、それでも真摯に民俗学に
向き合う古屋について、あちこちフィールドワークに向かうのでした。

結構地味に各地の民俗や風習、そしてご神体などを紹介していく
話かと思ったら、途中ではちょっと1年前に死んでいるはずの人と
電車に同乗することとなる、などというファンタジーな話も出てきます。

千佳は古屋先生は科学で説明できないようなこんかいの事象を認めないの
ではないかと思ったのですが、あにはからんや、古屋はその体験を受け入れつつあった。

「科学は万能ではないことを肝に銘じることだ」
「世界が自分の解釈に合わないからと言って、世界の方を否定する愚を犯してはならない」

幽霊がいる、とか、死後の世界は・・・とかそういうことを信じているわけでは

自分の目で見て体験したことなのだから、理屈はわからないけど、事実なのだろう、
とシンプルに受け入れているわけです。
古屋先生にはそういう柔軟性があるってことですね。

そして後半になるにつれ、神という存在を忘れつつある日本人はどこに行ってしまう
のだろうという大きなテーマが掲げられていきます。


日本の神様と西洋の神様は多神教と一神教という違いがありますが、
この本ではもう一つ大きな違いを挙げています。
西洋の神様は許しを請う存在であったり、悪いことをした人を罰したりする存在で
あったりするわけですが、人の神様はそういう存在ではありません。
大きな石であったり、巨木が神様(依り代)であったりするわけですが、
これらの神様は何もしません。ただ、「人々と一緒に在る」だけなのです。

そんな神様について、古屋と長年の付き合いのある住職は
「神様は信じるかどうかではない。感じるかどうかなのだ」と言います。

もともとは難しい理屈などなく、大きな岩を見てありがたいと感じ、巨木を見て
胸を打たれ、海に沈む夕日を見て感動する。そんな気持ちを神と称しただけであり、
これが日本人の神様との付き合い方だ、と。

たしかに世界のすべてのものに神様が存在すると感じれば、感謝をし、敬う気持ちも
生まれますが、人間だけが重要と考えていくと自然は敵となってしまいます。
しかし、先ほど書いたように科学では解ききれない世界があるのも事実です。
そういう部分を敵と称して排除していくと世界はどんどん小さくなっていってしまうのです。
その小さな世界は荒漠とした無味乾燥な世界となってしまうのでしょう。

かと言って科学を全部放り出し、石器時代のような暮らしに戻るわけにもいきません。
我々は科学の便利さを享受しつつ、世界の広さも認識しないといけないのかもしれません。
そして、世界の広さを認識するための手段として

「民俗学の出番だと思わんかね」

古屋先生カコイイです。
千佳ちゃんも素敵な民俗学者になることに期待!





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Last updated  2021.11.13 16:16:51
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