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セブンイレブンジャパンの社長をされていた鈴木敏文氏のお話です。昭和49年に福島県の二本松に店を出しました。地元の人は、「ここは6時過ぎると暗くなり、それ以降は駅に降りた人が帰宅するために通るだけだよ。あとはシーンとしていて、夜の11時まで店を開けていても来店する客はいませんよ」と怪訝そうにいっていました。私は、「ここの辺は夜、夜テレビを見ないのですか」と聞くと、「逆にテレビはよく見ます」という。「では受験生はこの地域にいないのですか」と畳みかけると、「いえ、いますよ」という。「それならば、みんな遅くまで起きているでしょう。テレビを見て起きている。勉強しているということは、もし便利な店があればちょっと買いに出てくるでしょう」と私は言いました。人間はいつの時代も、自分の世界だけにとらわれて、自分の立場だけから物事を見てしまいがちです。そうではなくて、そういった自分の立場から離れてみるということが大事です。客観的に見られるかどうかはとても大切です。自分の立場からだけ見ていたのでは、いつまでたっても、その能力は眠ったままです。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 42ページ)私たちは過去に経験した失敗や成功などは記憶として頭の中に残っていて、それを基にして目の前の出来事を判断してしまうという特徴があります。事実を確認する、改めて検証することをしなくなってしまうのです。拙速に先入観、決めつけ、思い込み、早合点で確信してしまうと、物事を見誤ってしまうことが起きます。みすみす絶好のチャンスを逃してしまうことも起きます。自分のことを、「なにをやってもうまくいったためしがない」と思ってしまうと、前向きにチャレンジしようという気持ちはなくなります。人を見る場合も、一度でも不祥事を起こしたことがある人を、危険人物と判断して相手にしなくなります。過去はそうだったかもしれないが、今度も必ずしもそうなるとは限らないと考えることができれば、少し明るい希望が見えてきます。取り組んでいるうちに弾みがついて、成功することもあります。その時過去のミスや失敗の経験が大いに活きてくることにもなります。エジソンは電球のフィラメントの材料を見つけるために5000回も失敗作品を作り続けました。エジソンはその失敗をプラスに捉えていました。フィラメントに適さない材料がまた一つ見つかったといって喜んでいました。物事を見るときに、先入観、決めつけ、思い込み、早合点で拙速に決めつけていないか。人の話を鵜呑みにして間違いないと決めつけていないか。事実は確かめたのか。現地に足を運んで確認したのか。この気持ちを持って振り返ってみることが肝心です。
2026.05.07
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私は週末の家庭菜園に力を入れています。これは60キロ離れたところに田舎があり、主に125ccのバイクで出かけています。ツーリングも楽しみです。時間は片道1時間10分ほどかかります。年間育てる野菜は数多い。ジャガイモ、タマネギ、冬野菜としてハクサイ、ダイコン、キャベツ、芽キャベツ、ブロッコリー、ホウレンソウ、ニンジン、夏野菜としてトマト、ナス、ピーマン、シシトウ、カボチャ、枝豆などである。今日は私が掴んだ春夏野菜を上手に育てるコツについて紹介します。仕事があるので週末や祝日、有給休暇をとって出かけています。ウィークディは手入れできません。ウィークディの水やりは自動灌水装置で行っています。畑は幸運にも実家の周りにあり、井戸水をポンプでくみ上げています。電源にタイマーを取り付けています。時間になれば水やりが自動でできます。蛇口のところから3ヶ所に分けてホースを伸ばし、その先にホームセンターの自動灌水チューブを取り付けています。安価です。暑さに応じて1日に1回から3回、15分程度自動で水やりができます。野菜作りをする時は、周りの草を刈ります。そしてミニ耕運機で耕うんします。そして牛糞堆肥、化成肥料、苦土石灰をまいて1週間は寝させます。最近は「リキダス」という微量要素を含んだ液体肥料を定植の時に使っています。気をつけたいのは鶏糞堆肥です。土の団粒化は期待できません。これは堆肥とはいっても肥料ですから、肥料過多になります。その後植えつけです。野菜はほとんど連作障害があります。特に、ミニトマト、ナス、ピーマン、シシトウ、ジャガイモなどのナス科の野菜は必ず植え付け場所を変える必要があります。そうしないと病気に罹りやすくなりますし、収穫量が少なくなります。1週間後に植えつけです。野菜は初期生育がとても大事です。これは子育てと同じです。つきっきりで面倒を見ることが必須です。野菜の苗がきちんと育つ期間は、無理しても何回も帰省します。というのは、地温が15度以下に下がると大きなダメージがあります。天気予報の最低気温はとても気になります。あと大雨も気になります。さらに、定植したての苗は風に極端に弱いのが特徴です。用心しないとすぐに枯れてしまいます。これらの対策としては、必ず黒マルチをしています。そこに植えつけます。風対策としては、畑の廻りにシカやイノシシ除けの防護柵を取り付けています。そこに風よけ用の網をぐるりと張っています。さらにしばらくは白の寒冷紗で苗を完全に覆って保護しています。これは100均で安く手に入ります。ミニトマトは雨に弱いので株全体をミニハウスのビニールで覆います。きちんと張らないと雨が降ったときにビニールが破損します。ビニールの張り方はコツがあります。これが分かるのに3年くらいかかりました。5月中旬以降になると、苗が大きくなって寒冷紗の中が窮屈になります。まだ独り立ちしているわけではないので、今度は肥料や堆肥の空き袋で作った行灯を取り付けます。風よけにはこれが一番です。初期生育を無事に通過すると一安心です。これは6月いっぱいかかります。野菜作りのコツは初期生育にあるというのが私が野菜から学んだことです。7月くらいから芽かきと追肥が大事になります。ミニトマトは10段くらいになると、それ以上は実はつきません。早く収穫が終わってしまうので、多少煩雑になりますが芽かきは厳密にしなくてもよいと思います。その方が収穫量が多くなります。私たちは専業農家ではないので、専門家の芽かきや誘引法はあまり参考にならないと思っています。この点では少しすぼらでもOKです。ナスは絶対に芽かきが必要です。ナスは芽かきをしないと木が大暴れします。特に接ぎ木苗の根元から盛んに芽が出てきます。これを確実に取り除くこと。そうしないと実がなりません。ピーマンなどは込み合わない程度の芽かきをします。シシトウは特に芽かきや誘引は必要ありません。追肥は根が伸びる先端に化成肥料を2週間に1回一つまみくらいやります。カボチャは伸び放題に伸びてきます。きちんと誘引してやることが必要です。特に、防護柵に蔓を絡ませて横に伸びてきます。そこに棚を作ってやるとよいようです。収穫期は7月からになります。ミニトマト2本、ナス2本、ピーマン2本、シシトウ1本、カボチャ2本を植え付けていまが、最盛期を迎えると山のように収穫があります。ナス1本から150本は確実に収穫していると思います。夏のマーボナスは極暑を乗り越えるスタミナ源です。晩酌の楽しみです。とにかくよくできるので、料理や加工方法はいろいろと勉強しました。食べ切れない野菜は近所の人や知り合いにお裾分けしています。こうしてみると、野菜作りというのは学校の先生が生徒を統率したり、会社の管理職が部下のマネージメントしているのと何ら変わりがないように思います。ニンジン、ホウレンソウ、枝豆などは自宅で芽出しをしてから、畑に移植するとほぼ成功間違いないと思います。これらの野菜は芽出しが特に難しいのです。枝豆は鳥がやってきて食べてしまいます。あとは栽培時期を間違えないことです。キュウリは作りません。毎日収穫しないと、次の日にはもう食べられなくなるほど大きくなりすぎるのです。今までいくら廃棄したことか。これは毎日畑に行く人はよいと思います。ジャガイモ、ダイコン、タマネギなどは誰でも比較的楽に作れます。神経症で悩む前にまずは家庭菜園をというのが私からの提案です。畑が借りれない人は、まずはベランダのコンテナ栽培から取り組みましょう。趣味と実益を兼ねた家庭菜園は楽しいですよ。
2026.05.06
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阪急電鉄や宝塚歌劇団などを作った実業家の小林一三氏の言葉です。「金がないから何もできないという人間は、金があっても何もできない」(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年4月号 22ページ)こういうことを言う人は、本当はやりたくないのだと理解すれば分かりやすい。やらないと言うと、格好が悪いので、言い訳の方便としてこの言葉を利用しているとみた方がよいのです。これは人の為になることだから何としてもやり遂げてみたいという強い意志を持っている人は、どうすれば必要な資金を確保できるかを考える。最近はインターネットを使って不特定多数の人から資金を集めるクラウドファンディングという手法もあります。その他さまざまな資金集めの方法を調べてみるでしょう。自分でよいアイデアを思いつかない人は詳しい人に相談するでしょう。このようないいわけをする人は、「自分には能力がないからできない」「忙しくて時間がない」「道具や設備がないからできない」「協力してくれる人がいないからできない」「周りの人が反対するからできない」などという言い訳をする人です。困難な状況を踏まえて、どうすれば一歩を踏み出すことができるかと前向きに考えることは一切しない。神経質者は細かい繊細な神経を持っているために、良いアイデアをよく思いつきます。しかし、思いつくだけで、実行に移さなければ、アイデアを思いつかなかった人と結果は同じです。自分の神経質性格や能力や交渉力・説得力のなさを嘆いていると、自己嫌悪、自己否定感で苦しむことになります。このやり方は森田理論でいうと、事実に対しての向き合い方に問題があると思われます。事実を否定する。反抗する。敵対する。事実をごまかす、捻じ曲げる、不都合な事実を隠す、人のせいにする。責任転嫁をする。気分を優先する。事実を無視して、観念優先で「かくあるべし」を自分にも相手にも押し付けている態度です。一時的にはホッとしますが、後悔や罪悪感というつけはいつまでも続きます。ではどうすればよいのか。「金がないからできない」「自分には能力がないからできない」「忙しくて時間がない」「道具や設備がないからできない」「協力してくれる人がいないからできない」「周りの人が反対するからできない」などというネガティブな感情は事実ですから認めるしかありません。次にここが大事なところですが、そのネガティブな感情と自分を同一化しないことです。ネガティブな感情に引きずられて行動に移さないというのは芸がありません。ネガティブな感情と行動を分離することが大切です。心理学やマインドフルネスにメタ認知、脱同一化、脱中心化という手法があります。これはネガティブな感情を一歩引いて客観化する方法です。一呼吸置く手法です。そして冷静になってから事実の洞察や分析に移るというものです。自然現象である感情を、流れる雲を眺めるように、あるいは大河に浮かぶ浮遊物を川岸から眺めて、その様子をレポーターになったつもりで実況中継するのです。感情と行動の分離、気分と行動の分離は良好な人間関係を築くために大切なことです。
2026.05.05
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森田先生のお話です。ミスや失敗をしたときに、修養のできていない人は、すぐに自己弁護をする。不祥事をあらゆる手段を使って隠蔽しようとする。あるいは、人のせいにする。責任転嫁して私には何の落ち度もありませんというと言い張る。形外先生言行録に片岡武雄氏が次のような話をされている。ある入院生がウサギの世話をしておられた。ウサギにエサをやりに小屋にはいったとき、突然猛犬が飛び込み、一羽のウサギを加えて逃げ出し、噛み殺してしまうという事件があった。その方はこれは入り口の作り方が悪いからこんなことになってしまったと弁解された。途端にそこに居合わせた私たちもびっくりするほどの森田先生のお叱りがあった。そのお叱りのお言葉の意味は、責任回避の単なる表面的なことではなく、何故可哀そうなことをしたと思わないのかと。(形外先生言行録 59ページ)私が思うに、この方も一瞬「かわいそうなことをした」という感情は沸き起こったと思う。これは初一念であるが、初一念の特徴はすぐに、初二念、初三念にとって代わる。すると言動としては、この方のように自己弁護するようになるのである。森田先生は、不都合な事実をごまかさないで素直に認めるようになるには、相当の修養が必要になると言われている。茨の道ではありますが、「純な心」を身につける必要があります。人間は大脳が発達しているために、初一念の感情が湧きあがってきても、すぐにかき消されて、初二念や初三念が主導権をとってしまいます。観念に基づいた行動は、事実を無視してしまう。観念優先で対応しようとする。その結果事実と観念との間に容易に埋めることができない溝ができてしまう。まずはそのからくりを森田理論できちんと理解すること。あとは実際の生活の場面で、今のは初一念に基づいた行動だったのか、あるいは初二念、初三念だったのか検討してみる。その繰り返しである。「純な心」を体得したいと思えば、数多くの失敗体験を積み重ねて、徐々に体得していくものであると考えます。「純な心」を身につけることは、神経症を予防する意味で大きな力になります。それは観念と事実の乖離がなくなるからだと思います。「事実唯真」の心穏やかな世界が訪れてくるのです。
2026.05.04
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ある先達の言葉がある。窮達は命なり。吉凶は人に由る意訳・・・人が困窮したり栄達に恵まれたりするのは運命だが、それを吉とするかはその人次第だ。困窮の中にいても、そのことによって運命を発展させる人もいるし、栄達の中にいてもそのことで運命を衰退させてしまう人もいる。吉凶を分ける基になるものは、その人の困窮についての受け取り方である。これは、文芸評論家の小林秀雄氏の言葉である。困難な事態を試練と受け取るか、災難と受け取るかが、個人の生活でも一生の分かれ道になる。困難や苦悩を災難と受け取れば、不平不満、愚痴しか出てこない。運命を呪う。果てには自暴自棄に陥る。そういう人の人生が充実・発展するわけがない。むしろ坂道を転がるように悪くなっていく。逆に、この困難は自分という人間を鍛え成長させるために、天が自分に与えてくれた試練だと感謝して受けとめていくと、しだいに運命は好転していく。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年4月号 14ページ)人生には次々と困難な壁が立ちはだかってきます。それは人それぞれ違いますが、ほぼ間違いなく訪れます。病気で生死の境をさまよう人。事故や災害に巻き込まれる人。紛争や戦争に巻き込まれる人。経済的にダメージを受ける人。神経症でのたうち回るのもその一つです。これらは神様が人それぞれに難問をだされたと捉えるのは如何でしょうか。一目見て「こんな難しい問題は私に解けるはずもない」といって席を立つ人もいるでしょう。あるいは、放心状態に陥りながらも、しばらくして果敢に立ち上がる人もいます。神さまは天上から、その人がどう立ち向かうかをじっと見ておられる。そう思うと、簡単にあきらめてしまうのは考えものだと思います。私は対人恐怖症でしたが、40年近く症状に振り回されてきました。偶然にも森田理論に出会い、乗り越えるためのツールと出会いました。これも神様が用意して下さったのではないかと思っております。今では症状の向き合い方が分かるようになりました。それよりも大きかったのは、森田理論が神経質性格を活かした人生90年から100年時代の生き方を提示してくれたことでした。今では神様に向かって、神経症の乗り越え方と神経症を活かした人生観についてレポートが提出できる段階に達したと思っております。
2026.05.03
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西田文郎氏は、スポーツの世界で負けず嫌いに2通りあるといわれる。一つは、「ひねくれた負けず嫌い」です。こういう人は負け続けると、相手の上げ足をとるようなことをして勝とうとする。勝つために裏で汚い策略を練って、とくかく相手に勝ちさえすればよいと考えるようになる。勝ち続けると天狗になって、自分一人の力でのし上げってきたかのような錯覚に陥る。世話になった人への感謝を忘れるようになる。周りの人の助言は無視するようになる。格下の人を上から下目線で見て、軽蔑するようになる。そういう人は目の前の試合に勝つことだけが唯一最大の目的となり、いずれ不安や恐怖などのプレッシャーで苦しむようになる。モチベーションを持続することが難しくなりいずれ勝てなくなる。もう一つは、「素直な負けず嫌い」です。自分より強い人がいると、その人をライバル視して、努力するようになる。ライバルを同じ目的を目指す同士とみなして、切磋琢磨し努力精進するようになる。負け続けると、どこに問題があるのか分析して対策を立ててリベンジを果したいと思っている。自分で敗因が分析できないときは、コーチや指導者の助言を仰いでいる。自分より格下の人からアドバイスを求められたときは丁寧に対応している。それが自分をさらに高める肥やしになっている。勝った時は、真っ先に周りの人のサポートに対して感謝の気持ちを伝えている。競技をする目的がみんなに喜んでもらいたい、感動を届けたいが基点になっている。周りの人すべての人に気持のよい挨拶ができる。目上の人から助言をもらった時は、「助言ありがとうございます」と答えている。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 4月号 28ページ参照)赤面恐怖の人は負けず嫌いの人が多い。心の中にライバルを持って素晴らしい営業成績を上げている人を何人も見てきた。私は赤面ではないが、自己顕示欲が強い。つまり人と比較して絶対に上にいきたいという気持ちが強いのです。負けず嫌いは相当強いが、「ひねくれた負けず嫌い」に近い。せめて感謝の言葉を毎日仏壇の前で唱和し、一日一つは感謝の言葉を日記に書くようにしたいと思う。
2026.05.02
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福岡ソフトバンクホークスの小久保裕紀氏のお話です。小久保氏は大学を出てホークスに入団しました。2年目には本塁打王になりました。その時、「俺はパリーグで1番だ」と天狗になってしまい、翌シーズンは全く打てず、焦りは募るばかりでした。その頃イチロー氏は、3年目の1994年に初めて最多安打と首位打者に輝くと、翌シーズンはその2つのタイトルに加えて打点王を獲得しました。1996年も首位打者に驀進中でした。そういう状況で迎えたオールスターの試合前にイチロー氏に「モチベーションって下がらないの?」と尋ねました。イチロー氏は「小久保さんは数字を残すためだけに野球をやっているんですか」と言われたのです。私は、「成績を残さないとレギュラーを奪われてしまいますよ」と答えると、「僕は心の中に磨き上げたい石がある。それを野球を通じて輝かせたい」と言われました。この言葉は衝撃的でした。それまでは成績を残す、得点を稼ぐ、有名になることばかり考えていました。この日を境に、野球の練習をしていただけではダメだ。自分をもっと高めなければいけないと思いいたりました。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 53ページ)この話は目標の立て方について教えてくれています。目先のノルマを果たすことは大切なことです。しかし目の前の目標だけに固執してしまうと、モチベーションの維持は難しくなるということです。目標には短期目標、中期目標、長期目標があります。短期目標はその日の目標、1週間の目標です。凡事徹底で取り組む必要があります。その時、中期目標(1年から3年、あるいは5年のスパンで立てる目標)や長期目標(生涯にわたって追い求めていく目標)がないと、根無し草のような生き方になってしまう可能性がある。イチロー氏は長期目標の重要性について語っておられたのだと思います。その内容はよく分かりませんが、今まで誰も到達したことのない10年連続200本安打達成、50歳までMLBの現役選手として野球を続けることを目指されていたのではないでしょうか。そのための身体のケア、筋肉の使い方、ルーティンワーク、道具を大事にする、時間の使い方には見るべきものがありました。森田理論学習に取り組んでいる人は、誰でも神経症から解放されたいという短期目標を持っています。それは異論はありませんが、それ以外の目標も意識したいと思います。我々は生きづらさや人間関係などに問題を抱えているわけですから、森田理論を学習して神経質性格者としての確固たる人生観を確立するというのはどうでしょうか。この目標は生涯目標となります。私はこの目標を追い求めてきたおかげで、心豊かな境地に到達することができたと思っているのです。
2026.05.01
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森田先生は「心身同一論」の立場です。これは物の見方の話です。森田先生は両面観の物の見方を大切にされていました。「鐘が鳴るや、撞木が鳴るや、鐘と撞木の間が鳴る」というエピソードがあります。鐘が鳴るというのは、鐘だけでは鳴らない。撞木だけでも鳴らない。鐘と撞木の相互作用の結果鐘が鳴るというものです。森田先生の話は宇宙論にまで及び、アインシュタインの相対性理論にまで言及されています。この世に存在するものは、相互作用と流動・変化という動きによってバランスや調和が維持されているという考え方です。心療内科がありますが、胃潰瘍になった人を身体的な側面からのみ処置しても、胃潰瘍になった原因であるストレスや人間関係の改善にも目を向けなければ完治しないということです。これこそ「心身同一論」の考え方なのではないでしょうか。森田理論では両面観の物の見方をとても大事にしています。片方からだけ観察してこれからの行動方針を打ち出して実行することはリスクが大きすぎるという考え方です。物事の本質を見誤ることになるからです。円錐柱を真上から見てこれは丸い物体だと判断しているようなものです。あるいは真横から見てこれは三角形の物体だと信じてしまうようなものです。飛行機でいえば片方のエンジンが止まっているにもかかわらず、強行着陸を試みるようなものです。0か100、正しいか間違いか、全か悪かといった二分法的な考え方は、いくら理論的に正しそうに見えたとしても、それにのっかってはいけないということになります。ちなみに両面観に関する森田の言葉には次のようなものがあります。・神経症的不安の裏には生の欲望がある。・感情はコントロールできない。冷静になったときは、感情と理知の調整が必要になる。・主観的事実は大事だが行動するときは、客観的事実を重視するとうまく収まる。・精神拮抗作用は全ての人に備わっている。それを活用することが肝心だ。・現実的不安と神経症的不安を区別して対応する。対応方法は反対になる。・現実的欲望と観念的欲望ある。観念的欲望は暴走しやすい。・緊張状態と弛緩状態の切り替えに失敗すると、心身の不調を招く。・努力することはしんどいが、目的を見失わないように取り組んでいきましょう。・不安になりきってしまうと、不安は霧散霧消してくる。・煩悩になりきると、精神的に安らかな境地が訪れる。・神経症でのたうち回った経験は乗り越えた途端に光り輝く宝物に変わる。
2026.04.30
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2026年3月1日に老人福祉センターの芸能発表会に参加した。フラダンス、日本舞踊、楽器演奏、歌謡曲の発表などがあった。その他、陶芸作品、絵画、書、写真展、バザーなどもあった。私は「楽しい芸能教室」のグループに参加している。チンドンミュ―ジック演奏、オカリナ演奏、手品、「これから音頭」の踊りなどを披露した。これだけの演目をこなすとなると事前に準備するものが多くなる。一つでも忘れ物をすると演目に穴が開いてメンバーに迷惑がかかる。大まかに紹介すると以下の通りです。チンドンではアルトサックス、楽譜、ストラップ、リード、チューナー、スタンド、チンドン衣装、専用の靴や帽子などである。オカリナ演奏では、オカリナ、楽譜、譜面台である。手品は、5種類の手品の小道具、バック音楽のCDとスピーカー、腰につける簡易拡声器である。仕掛けは事前にきちんと作っておいて、スタッフの女性と打ち合わせをしておく。その他、発表会に出かけるときは、携帯(出演時はマナーモード)、自動車の鍵、家の鍵、財布、靴ベラ、カメラ、眼鏡、鏡、ナビ、名刺、ボールペン、スケジュール表、寒いときはホカロン、タオルやテッシュ、貴重品の入れ物は必須である。これらのことを頭の中でやろうとすると、必ずうっかりミスが起きる。頭は信頼できないことがよく分かっている。私は、うっかりミスを防止するために、チンドン演奏の必需品18項目、本番前チェックリスト13項目にまとめて忘備録を作っている。手品の場合も12項目の忘備録がある。これを見て準備すると、うっかりミスはほぼなくなる。今回はこれらを125ccのバイクで運んだので、こぎれいに整理して積み込む必要があった。サックス本体は背中に背負った。つぎに撤収する時に油断すると、いろんなものを会場に忘れてしまうことがある。再び忘備録を見て撤収忘れがないかどうか最終確認をしている。ほとんど1つか2つはこの段階で気づくことが多い。チェックリストを活用しているおかげで、大事に至ることはなくなっている。私は長らく10年連用日記をつけているが、このおかげで定期的な年間行事の見落としを最小限におさえられていると思っています。
2026.04.29
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アシックス会長の鬼塚喜八郎氏のお話です。錐もみ商法というのは、どんな固い板でも、錐で切り込んでいけば小さくとも必ず穴は開きます。そのように特定の消費者が求めているものをマーケットリサーチし、その一点に集中して商品化していくというのを「錐もみ商法」と言います。当時、一般の運動靴は大手メーカーが多数の職人を抱え、全国に網の目のように張り巡らせていました。そのようなところに参入していっても私どものような零細企業はとても太刀打ちできません。ところが運動靴でも競技用となると専門メーカーはあまりありませんでした。なぜなら、市場が小さくて、あまりうまみがなかったからです。私は逆に「これだ」と思った。山椒は小粒でもピリリと辛い。競技用シューズなら、「錐もみ商法」でなんとかなるのではないかと思ったのです。シューズの中でも一番難しいといわれるバスケットシューズに挑戦することにしました。バスケットシューズというのは滑りやすい体育館の床でも急ストップ、急スタートが求められました。思い立って半年後、苦心の末国産初のバスケット専用シューズ「オニズカタイガー」を作り上げました。それから5,6年後50%以上のシェアを獲得することに成功しました。中小企業は大手と同じ土俵では太刀打ちできません。徹底した差別化戦略、これこそが中小企業が生き残っていく方法だと思います。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 34ページ) この考え方は神経質性格の活かし方にも同じことが言えます。神経質性格のマイナス面ばかりに注意や意識を向けていると失意の人生を送ることになります。神経質性格にはプラス面もありますので自分の強みを意識することが大事になります。プラス面といっても範囲が広いと思います。これで勝負するというものを見つけて、磨き上げることが欠かせません。一般的にいうと、細かい課題や問題点に素早く気付く。リスク管理能力を持っている。高い目的意識、創造性持っている。分析力がある。探究心がある。洞察力が高い。一旦食いついたら絶対離さないという執着性が高い。完全欲が強い。高い理想や夢を持っている。この中の一つを鍛えて磨きをかければ、類まれな人間として社会の荒波の中で重宝がられるようになるはずです。私が参加している集談会に「物そのものになる」と「物の性を尽くす」を深めている人がいました。その人は日常生活の中の取り留めのない細かいことの中に、多くの楽しみや感動できる能力を鍛えていました。ビールを楽しむ方。雑草を抜く楽しみ。盆栽を楽しむ、大相撲を楽しむ、タイの粗炊きを上手に作る。カラオケを上手に歌う方法、水泳を楽しむ方法、路傍の花を楽しむ方法などたくさんありました。また自分が持っているものを大事にしていました。最新のパソコンではではなく、ワープロ機能だけがつかえるパソコンを大事に使っていました。またスマホなどには興味はないようでした。そういう人の話は具体的で、多くの人に多大な好影響を与えていました。
2026.04.28
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「辛」という字に、上に横に一を付け加えると「幸」という字になります。不思議なことに、辛いという字が、幸せという全く違う意味を持つ言葉に変わります。語源からいうと関係性はありません。しかし、「一を足すと幸せになる」という解釈は私たちの心理をよく表しています。「辛」という状態に、何か一つの要素(例えば視点の変化、誰かの支え、あと一歩の努力、あるいは休息)を書き足すことで「幸」に変わるという解釈です。ほんの少しのきっかけで、辛さは幸せに転じるということです。また、「苦しみと幸せは背中合わせである」「どん底のすぐ隣に希望がある」という意味にもなります。この考え方は、森田理論の「即」という考え方に近いものがあります。森田先生は「努力即幸福」「煩悩即解脱」「煩悩即涅槃」「不安即安心」などと言われています。これらは一見すると正反対に見えますが、実はコインを表から眺めるのか、裏から眺めるのかの違いのようなもので、両者は対立するものではなく、実は分かちがたく結びついているということです。いわゆる両面観の考え方です。努力、煩悩、不安の側面から取り上げていると、閉塞状態に陥り、打開策は見えてこないことになります。努力を続けるのは辛いが、目標を達成した暁には、将来の展望が開けてくると思えば、ここはひとつ踏ん張ってみようという意識づけになります。神経症のとらわれでやることなすことうまくいかないが、森田理論学習と実践・行動によって、神経症を克服し、神経質性格を活かした人生観が確立できると考えれば、神経症に陥ったことに感謝できるようになります。心配性で些細なことに不安を感じるが、それは裏を返すと「不安は安心のための用心」となり、細かなリスク管理ができるという利点ともなります。注意や意識の向け方を変えることで、突然濃霧で視界不良だったものが、急に霧が晴れて視界がよくなるようなものです。森田理論の「両面観」の考え方は森田の核心部分の一つです。
2026.04.27
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劇団四季の芸術総監督の浅利慶太氏の信念の紹介です。観客を信じること、お客様を神様だと思うことです。観客が支持してくれるものを創れば、いい芝居が生まれるんですよ。言葉を換えれば観客を退屈させないことと言ってもいい。では何を出せば観客は退屈しないか。たった一つのテーマなんですよ。それは「人生は感動的だ」ということなんです。四季の舞台にはそれがすべて貫かれています。人生の感動を、どの作品でも常に追い求めていけば、お客様は来てくださるというのが僕の信念です。誰でも日常生活のなかには難しい問題で疲れ、いやになることがあります。そういう時に演劇を通して人生の感動を味わい直すと「やっぱり人生は素晴らしい。生きているっていいことじゃないか」と思っていただけるんです。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版 藤尾秀昭監 33ページ)これは仕事を面白くするコツを説明されていると思います。欲行列ができるラーメン屋、そば屋、うどん屋、寿司屋、料理店などがテレビで紹介されます。その他行列ができる法律事務所という番組もありました。どんなに辺鄙なとこでも時間をかけてお客さんはやってくる。やってきても人が多すぎてすぐにはありつけない。それでも客が途切れることがない。それはお客様を感動させるものを提供しているからだと思います。とにかくおいしい。何とも言えない良い味だ。量が多い。高級食材だ。珍しいものがある。ここでしか食べられないものがある。コストパフォーマンスに優れている。サービス精神が旺盛だ。仕事をする最大の目的は給料をもらって生活を維持することだ。それはもちろん第一に重視しなければならない。しかしそれが唯一最大の目的になってしまうと、仕事に意欲が感じられなくなり、提供する商品の品質が落ちてくる。するとありきたりのものしか提供できなくなり、お客様が離れて、お店はじり貧になっていく。お客様を感動というものさしで測るといろんな段階がある。1、お値段以下の商品とサービスのため嫌悪感をもたらす。2、当たり前の最低限の提供品である。ありきたりのサービスである。敢えてまた来てみたいとは思わない。3、おや、と注意や意識が向いてくる。4、こんなの初めてと驚く。これは意外にいいかもと思う。5、もっと欲しい、また来たいと思う。人に自慢したくなる。6、知らない人にぜひ知ってもらいたいと思う。宣伝をするようになる。7、感動の涙が出てくる。涙が止まらなくなる。8、何かお返しをしたいと思うようになる。仕事をする目的の一つに「人を喜ばす」「人を感動させる」ことをとり入れれば、仕事はすぐに面白くなり、やりがいが生まれてくる。
2026.04.26
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人類が未来永劫繁栄していくための4つの方法を森田理論学習の中から見つけました。①不快な感情と行動を分離すること。不快な感情や怒りの感情が湧き上がってきたとき、それらをストレートに相手にぶっつけてしまうと人間関係はすぐに険悪になります。感情と同一化した行動は犬も食わないものです。不快な感情や怒りの感情は自然現象ですから意思の力でコントロールできません。行動は制御できます。こちらの方に全エネルギーを投下して、理性的に行動する必要があります。これが難しい人は、「割り込み動作」(2025年12月6日投稿)や感情・思考、身体感覚を専用レポーターに実況中継させることを実行することをお勧めしています。②怠惰な気分と行動を分離すること。子育てを放棄する。家族や友人たちとの約束を果さない。途中で気持ちが変わりドタキャンする。仕事が苦痛だといって手抜きをする。営業ではサボりまくる。社会的責任や義務を放棄する。これでは「あの人は変わり者だから」と社会から排除されるようになります。仲間として受け入れてもらえなくなるので、孤立した寂しい人生を送ることになります。そのためには様々な方法があります。私は規則正しい生活習慣、ルーティンワークを確立して、前頭前野で悩む前に自然に身体が動いている状態を維持するように心がけています。外相を整えることに全力で取り組むことです。③欲望の暴走を制御すること。人間には個体維持本能と種族維持本能があります。これらの欲望が暴走し始めると、人間同士が戦うようになります。喧嘩や紛争や戦争になります。自己や自国の利益優先の欲望が暴走し始めると、途中から「これはまずい」と思っても、引き留めることができなくなります。欲望の深追いはとても危険です。「少欲知足」「吾唯知足」の心掛けで生活することが欠かせません。すると路傍に咲く取り留めのない花からも大きな感動を得られるようになります。④すべてのものに居場所や活躍の場を提供すること。森田理論に「物の性を尽くす」という言葉があります。物それぞれの特徴を活かして、居場所や活躍の場を確保して、人の為世のために貢献していきましょうという考え方です。物だけではなく、自分、他人、時間、お金、自然などに及びます。これらの4つは社会的存在としての人間が当然守らなければいけないものです。しかし、世の中を見渡してみると真逆のことが多すぎるように思います。森田理論を学習した人は、世の中や世界に向かって警告していくべき役割を果たしていくべきだと考えておりますが如何でしょうか。
2026.04.25
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樹木希林さんは、自分の身体は自分のものだと思っているけれども、間違いだったと気がついたと言われています。樹木希林さんは75歳の時に全身ガンで亡くなられました。そのときにこういう心境に至っておられたということが凄いことだと思います。自分の身体と心は、創造主から一定期間、お借りして預かっているものだと言われるのです。貸していただいたことに感謝して大事に取り扱う必要があると言われています。また、借りたものはいずれ返さなければならないものです。永遠に借りることはできません。契約期間が満了したら返すべきものです。貸借期間中に、借りたものが気に入らないからといって、自分勝手に改造してはいけません。そんなことをすれば返す時に原状復帰義務を負います。あるいは、損害賠償をしなければなりません。借りた状態のままで利用できるものを最大限に利用させてもらうしかありません。また借りたものが見栄えが悪く、機能面で劣っているので、見栄えが良くて、高性能なものに取り換えてもらいたいと交渉することもできません。生まれてくる前に、何回も打ち合わせをして、借りる期間や場所、借りるものの内容について十分に納得しているものなのです。それを気が変わったから、無かったことにしてさらに新たな契約に切り替えたいというのは許されるはずもありません。それは本当のことかと言われると証明することはできません。しかしそういう仮説を立てて生きていくことは、多くのメリットがあります。自分の運命、容姿、境遇、性格、生まれた環境、争いや戦争、災害や事件などに対して反抗的態度に出ることが抑えられます。それらを承知でこの時代、この国、この社会、この親兄弟のもとに生まれてきたのです。反抗するということは、いったん契約したことをこちらの都合で破棄ないしは見直したいと提案・交渉していることですから決して許されることではありません。そんなに反抗するのでしたら、即座にすべてを白紙に戻しますがそれでよろしいですか。またいったん白紙に戻すという事は、この先の展開はあきらめてもらうことになります。それでも白紙に戻したいですか。つまり、問題だらけの現実の中で、今あるものを活かし、自分のできることを精いっぱいやって生きていくしかないのです。雲の上のようなところに自分の立ち位置をとって、現実批判ばかりしていると、この身体を貸してくれた人から厳しく査定をされることになります。「私の身体は借り物である」という考えをしっかりと持って、目の前の問題や課題に立ち向かっていきたいと思います。
2026.04.24
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森田先生のお話です。僕の「根治法」の中に、達磨大師の仏性論ということがある。「故に至人は、その前を謀(はか)らず、その後を慮(おもんばか)らず、念念道に帰す」ということがある。その文字に拘泥したら、なかなか解釈は難しいが、至人、すなわち達人で悟った人は、金をなくしたとかいって、以前の繰り言をいったり、「来年のことをいうと鬼が笑う」というように、当てにならぬ未来のことを空想するようなことをしない。ただ念念道に帰して、そのときどきの現在に対して、全力を尽くすというくらいのことであろうと思うのである。(森田正馬全集 第5巻 385ページ)人間は起きているとき、現在に集中しているのは53%で、過去のことを後悔・反省したり、未来のことを取り越し苦労している時間が47%を占めているという研究報告があります。(ハーバード大学マシュー・キリングスワースとダニエル・ギルバートによる分析)このことをマインド・ワンダリングと言います。これは脳の「デフォルト・モード・ネットワーク」という回路が活発に動いているからです。脳は何もしていない時でも、過去の経験を整理したり、未来の経験を予測したりするために、自動的に「一人反省会」や「シミュレーション」を始めてしまう機能を標準装備しているのです。その研究によると、楽しいことを空想しながら仕事をしている時よりも、今の仕事に集中している時の方が幸福度が高いと報告されています。森田では「物そのものになりきる」とか「凡事徹底」と言います。私はマンションの管理人をしています。解放廊下の掃き掃除があります。そのとき、次のようなことを想定して仕事をしていますが、すぐに今になりきることができます。・どこかに蜘蛛が巣をつくっていないかな。・手すりや廊下にカラスが糞をしていないかな。・手すりが黄砂の飛来で汚れていないかな。・蛍光灯や白熱球が切れているところはないかな。・子どもが泥だらけ靴で走り回っているところはないかな。・側溝が汚れていないかな。・ドレンにゴミがたまっていないかな。・解放廊下側のアルミサッシに埃がたまっていないかな。・エレベーターの中が汚れていないかな。・エレベーターの開口口の溝に埃はないかな。・玄関やエントランスはピカピカになっているかな。・玄関ドアの窓はきれいに磨いてあるかな。課題や問題点を見つけると宝物を見つけたような気持になりつい笑顔になります。すぐにきれいにしています。私の前の管理人はあまり掃除をしていなかったみたいで、すこぶる居住者の受けが良いのです。特定の居住者に出会うたびに、「いつもきれいにしてもらってありがとうございます」と言ってもらえ、ひっきりなしにお菓子や缶コーヒーのおすそ分けを頂くようになりました。「今、ここに」意識を戻す訓練として「マインドフルネス」のワークがあります。私は夜中にふと目が覚めて後悔や罪悪感で苦しいときは、すぐに藤井英雄先生の「1日10秒マインドフルネス」という本のエクササイズを行っています。これは効果大ですね。
2026.04.23
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森田先生の有名な話があります。およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、気兼ねし遠慮しようがうるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことは、どうでもよいという風に、大胆になれば、初めて人からも愛され、善人ともなるのである。つまり自分で善人になろうとする理想主義は、私のいわゆる理想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、かえって善人になるのである。(森田正馬全集 第5巻 105ページ)ここで森田先生が言われている「善人」というのは、自分が人から良く思われるために、思いついたことを次々と相手に押しつけている人ではなかろうか。決して相手の気持ちを確かめて、相手が欲しがっているものを与えているわけではない。相手を見ないで、先入観、思い込み、決めつけ、早合点で行動しているのである。自分が「こんなことをしてあげれば相手は当然感謝するはずだ」と思い込んで、一人で相撲を取って勝った負けたと一喜一憂しているようなものである。相手と自分の気持ちの間には深い亀裂が横たわっている。小さな親切大きなお世話という話があるが、まさにこのことを言っている。善人はそのからくりについてはまったく気づいていないので、次々に同じ過ちを繰り返している。ではどうすればよいのか。森田理論の「主観的事実と客観的事実」を応用すればよいのである。こんなことをしてあげれば相手は喜んで感謝するはずだと思うのは主観的事実であり自由です。ただし、それについて相手はどう思っているのか確かめないと、闇夜で鉄砲を撃つようなもので的を射ることはできない。たとえば、今日は焼肉を食べたいと思っても無理やり強行するのはまずい。相手は今日は和食や中華料理が食べたいと思っているかも知れない。それよりも今はお腹が空いていないので、お茶にしたいと思っているかも知れない。主観的事実と客観的事実の取り扱いとしては、相手に花を持たせて相手に合わせると比較的無難に収まる。最初に自分の気持ちを押し出してもよいのですが、最終的には相手や多数決で決まったことに合わせていくことが人間関係の基本となります。どこまでも「主観的事実」に固執する人は自己中心的な人です。この世は自分の思いどおりにならないと愚痴をこぼしている人は生きていてもむなしくなるばかりです。
2026.04.22
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私が参加している集談会で映画に詳しい人がいます。その方はいろんな映画を紹介してくださいます。人に役に立つというのはこんなことを地道にするような人のことをいうのだと思います。涙が出てくるようなヒューマンドラマが多いのでほぼ観に行くようにしています。4月の集談会では「人はなぜラブレターを書くのか」でした。早速観に行きました、途中で涙が止まらなくなりました。この映画は2000年日比谷線脱線事故で亡くなった当時高校生の富久信介さんにひそかに思いを寄せていた奥手の女子高生が、20年後両親にあててラブレターを書くという物語でした。この映画は実話をもとにして、石井裕也監督が脚本を作られたそうです。ヒロインはナズナといい、綾瀬はるかが演じていました。定食屋を切り盛りし、自家用野菜作りに精を出していますが、実はガンがあちこちに転移し、最後は夫と一人娘を残して旅立ってしまいました。列車の脱線事故で命を落とした男子高校生は、名門麻布高校から東京大学をめざし、さらにボクシングでも世界チャンピオンをめざしているという異色の高校生でした。東京大学に合格するよりも、ボクシングで世界チャンピオンになるほうが難しいと言っていました。それは空から落ちる天使の涙を地上で受け取るようなものだ。そのとき大橋ジムで仲の良かった川嶋勝重氏は、第17代WBCスーパーフライ級のチャンピオンになられています。トランクスにはその高校生のイニシャルが刺繍してありました。夢を持って前向きに生きていても、いつ何時理不尽とも思えるような事件や病気に巻き込まれて、無念の死を迎えることもあります。でも、真摯に人生に向き合っている人は、多くの人に勇気を与えて、いつまでも記憶に残っている。自分に降りかかってきた不運な運命を呪い、愚痴や不平不満を口にしていると、自分だけではなく周りの人みんなを不幸にしていくのだなと感じました。森田で扱っているテーマをそのまま映画にしているなというのが私の感想です。
2026.04.21
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森田先生のお話です。急に心筋亢進発作に襲われ、今にも心臓麻痺を起こしはせぬかというときには、当然居ても立ってもいられないように、恐ろしいのが人情の常である。その恐ろしいことを恐れるのが平常心である。もし人が、恐ろしいのが面白かったり、嬉しいのが悲しかったりすれば、それは狂人であり、平常心ではない。すなわち貴方は、そのときの恐ろしさそのものになりきり、素直にこれを忍受して、いたずらに恐怖に勝とうとか、心を落着けようとかすることをやめさえすれば、そのまま真の平常心になって、心悸亢進も発作もたちまち全治するようになる。(森田正馬全集 第5巻 643ページ)森田先生は心悸亢進発作が起きても、じたばたしないで、そのままやり過ごせばよいと言われている。それは大型台風が来た時の柳の木の対応と同じことです。柳は暴風の時は枝が引きちぎれんばかりに乱れまくっています。全く抵抗していません。ところが台風が去った翌朝は何ごともなかったようにたたずんでいる。ところが、少々の風ではびくともしない松の大木が折れてしまい無残な姿をさらしていることがあります。この違いは、暴風雨に抵抗しないでそのまま受け入れたか、最後まで抵抗し続けたかどうかにあります。確かに理屈はそうだが、なかなか受け入れることができないのが実情ではないでしょうか。私の父親は52歳の時に心不全を起こして突然死した。少し前まで元気で家族と会話していたのに、死ぬときはあっけないものだった。私は夜中にふと目が覚めたとき、そのことを思い出して、急に心筋梗塞を起こしたらどうしようかとパニックになることがある。しかし不思議なことにパニックで緊急搬送されたことはない。それが大事に至らないのは、1ヶ月に1回は主治医の診察を受けていることが大きい。聴診器で心臓の鼓動や血圧を見てもらっている。たまには心電図もとってもらっている。いずれも異常はないと言われている。医者も太鼓判を押してくれている。安心感がある。これをよりどころにしている。血筋からいうと、万が一ということもあるが、そのために医者に診てもらっているのだ。検査を受けているので、パニックになっても、なんとかやり過ごすことができている。私のまわりにも血圧が高く、親や兄弟がくも膜下出血で亡くなっているという人がいる。あるいはガンの家系で親兄弟ががんで亡くなっている人もいる。これらは遺伝的素質、体質、生活習慣、食習慣などが似通っているので、自分もいつかそうなる確率が高いのだと思う。確率が高いのならば、パニックで右往左往する前に、定期的な検査をして早期発見を心がけることが必要なのではなかろうか。胃ガンの家系なのにがん検診をしない。胃カメラは飲んだことがない。バリウム検査もしたことがない。ピロリ菌の除菌もしていない。我慢出来ないほど痛みがあるので、やむなく病院に行ったらステージ4だったというのでは後悔してもしきれない。これでは疑心暗鬼で不安が不安を呼び寄せて、自ら墓穴を掘っているのではなかろうか。心配するくらいなら、定期検査は欠かせないはずだ。しかし検査するのは面倒だというのでは話にならないと思う。言うこととやることが反対というのは犬も食わないことだ。
2026.04.20
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今日は気分本位の人が陥りやすいドタキャンについて考えてみたいと思います。気分本位の人は、たとえば研修会や旅行のお誘いがあった時、「是非参加したい」といって申し込みをします。ところが日が経つにつれて、面倒になるのか、束縛されるのに耐えられなくなるのか、気が変わってしまうのか、直前になってドタキャンの電話をしてしまうのです。あるいはメールで済ます人もいます。いろいろと参加できない理由を考えて説明しますが、それらはほとんどウソです。なぜなら、ドタキャンする人は、過去に何回も同様のドタキャンをくり返しているからです。自分の今の気持ちに素直に行動しているのだから、別に非難される筋合いはないという気持ちです。一旦約束したことは、どんなことがあっても、責任を果たすという気持ちはほとんど持ち合わせていません。自己中心的なのです。これは神経質性格を持っている人でも、人によっては頻繁に発生します。ドタキャンされる人はやりきれない気持ちになります。対策としては、以前ドタキャンしたことがある人は、今度もドタキャンがあるかもしれないと思って対応することです。特に宿泊を伴う、研修会や旅行などでは、最初からその人を除外して予定を立てた方が無難です。なぜなら、直前になってドタキャンされたら、それまでの段取りが狂ってしまうからです。反対にあてにしないで、当日運よく参加することになって一名追加というのは比較的ダメージは少なくなります。ドタキャンする人は、約束を果たすというよりも、気分に振り回されてしまう傾向が強い人ですから、神経質性格者というよりも、意志薄弱性気質の人かもしれません。そういう人は、思いついたまま行動するよりも、「しばらく考えてみます」といって、直前になってまだ参加したいという気持ちがあるときに改めて申し込むようにした方がよいと思います。次に年2回の町内の一斉清掃には全く参加しないという人がいます。自分の時間をとられて、報酬もなく、気がすすまないという気持ちなのでしょう。また親しい人、親戚の葬儀なのに、特別な理由がないのに、様々な理由をつけて参列しないという人もいます。また参列しても会社の香典だけ持って行って、自分の香典は包まない人もいます。親戚の法事なのに別の用事を作ってスルーする人もいます。これでは隣近所の人達、親戚や会社や友達との良好な人間関係を築くことができなくなってしまいます。それどころか、陰で悪口を言われたり、非難されるようになります。最低限のお付き合いは、人間関係よくする潤滑油のような役割を果たしています。気分本位の態度は自ら生きづらさを演出しているようなものです。基本的なお付き合いから手を抜くと当然人間関係は壊れてしまいます。
2026.04.19
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気分本位というのは、やらなければいけないことややった方がよいことがあるのに、しんどい、面倒だ、やる気が出ない、つかれる、気がすすまないなどの理由をつけて放り投げてしまうことです。家では、料理、掃除、洗濯、整理整頓、子育てなどを放り投げる。勉強や仕事などは自分がやりたいと思ったことではないので手を付けない。みんなで決めた行事などは直前になってからドタキャンする。隣近所の共同作業はほとんどスルーする。身近な人の葬儀や法事があっても、理由をつけて参列しない。納税義務を果たさないで脱税する。NHKの受信料を支払わない。その結果、家の中がゴミだらけとなって、足の踏み場もなくなる。勉強しないので落第する。落ちこぼれてしまう。仕事をさぼるのでお荷物社員といわれるようになる。隣近所の人や親戚との人間関係が悪くなります。脱税等をくり返していると、告発されて財産を差し押さえられてしまう。気分というものは、自然現象なので意志の力で帰ることはできない。自分を叱咤激励していると、本音と建前が違うので思想の矛盾で苦しむようになる。対応方法としては気分と行動は別物と考えてきちんと分離することが大切になります。森田理論中に「感情と行動は別物」というのがありますが、同じことです。気分本位は自分はどんなことに気分本位になるのかを見極めることが大切になります。それがわかると対策が立てやすくなります。家での家事育児に手を付けない場合・・・この場合、改善点としては規則正しい生活習慣を作るように心がける。これが習慣化するのは3か月くらいかかります。まず起床時間を一定にする。その後のルーティーン作業を決める。身支度、化粧、朝ごはんの準備、洗濯、掃除、整理整頓・・・。仕事をしている人は、職場の始業時間に合わせて行動しますのでルーティーン作業は立てやすいはずです。ルーティーン作業が決まれば、「この次になにをしようか」と考えなくても、身体の方が無意識に動いてくるはずです。そのルーティーン作業の中で問題点や改善点が見つかれば、やる気がみなぎってくるはずです。仕事でやる気がしないというのは、自発的な動機付けではなく、生活維持のための必要悪と考えていると意欲が湧いてこない。投げやりになってくる。所得を得ることが唯一最大の目標になっている人に多い。所得を得ることが一番の目標になっていても構いませんが、それ以外の目標がないというのが問題です。仕事は身心の健康維持に役立っています。仕事に取り組むことで技術の習得ができます。能力が高まります。職場の人たちと親しく交流することで人間関係が豊かになります。他人に役に立つことができます。他人に感動を与えられるような仕事をしたいという目標を持てれば、仕事は楽しいものになります。その他の気分本位は明日の投稿課題とします。
2026.04.18
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現代人は椅子などに座っている時間が多くなっています。特に仕事で一日中机の前に座り続けている人もいます。早稲田大学の岡浩一朗教授は、1時間座り続ける度に余命が22分削られると説明されている。一日の総座位時間が8時間を超えた辺りから死亡リスクのカーブが急上昇しているそうだ。座り過ぎの弊害に対してどうすればよいのか。意識したいことは2つあります。一日を通してどれだけ座っているかという「総座位時間」と連続して座り続けている「座位行動バウト」の二つを意識して改善していくことです。岡教授は、ジョギングや2月15日に紹介した「インターバル速歩」がよいのは分かっていますが、誰もが取り組めるわけではない。おすすめしたいのは中高強度の身体活動よりも、低強度の身体活動をいかに多く日常に取り入れていくかがガギになる。軽く体を動かすだけでも、その健康効果は侮れないと言われています。意識したいのは、身体を動かす頻度です。こまめに体を動かすことによって、座りっぱなしの時間を少しでも削っていくことが重要です。岡教授は30分に1回、立ち上がって3分程度の「こそトレ」を勧めておられます。これなら簡単にできそうです。座位時間が長い人は参考にしてください。(人間学を学ぶ 致知 2026年3月号 122ページ)
2026.04.17
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イライラやストレスに対して微量要素の知識を持っておくと役に立ちます。ビタミンC・・・ビタミンCは、ストレスに対抗するホルモン(コルチゾール)を作る際に大量に消費されます。ですからすぐに補給することが欠かせません。ビタミンCは消耗品と捉えて、ストレスが強い時期は、普段よりも多量に摂取することが肝心です。多く含まれている食品としては、キウイ、ブロッコリー、ピーマンなどです。マグネシウム・・・「抗ストレスミネラル」と呼ばれ、神経の興奮を抑え、筋肉をリラックスさせます。ストレスで神経が高ぶって眠れないときに効果的です。不足すると、不安感が増したり、足がつりやすくなったりします。多く含まれている食品は、アーモンド、豆腐(にがり)、海藻などです。ビタミンB1・・・脳や神経のエネルギー源となる糖質の代謝を助け、イライラを抑えます。多く含まれているのは、豚肉、玄米、枝豆などです。カルシウム・・・神経の伝達をスムーズにし、精神の安定を保つのに役立ちます。多く含まれている食品は、チーズ、小魚、小松菜などです。トリプトファン・・・幸せホルモン「セロトニン」の材料となります。必須アミノ酸ですが体内では生成されませんので、食品から摂取する必要があります。多く含まれているのは、バナナ、納豆、卵、乳製品などです。蛇足ながら、バナナは、糖質(エネルギー)、ビタミンB群、マグネシウム、トリプトファンがバランスよく含まれていて理想的な食べ物の一つです。また、アーモンドやカシューナッツはマグネシウムの宝庫です。おやつにナッツをとるのは効果的です。食事を作らないで、コンビニ、ファーストフード、デリバリーなどに頼っている人は健康が損なわれてきます。ボケずに、寝たきりにならない健康年齢を伸ばしていくためには、昔ながらの食生活と「インターバル速歩」などの健康法を心がけるだけでも大幅に改善できます。
2026.04.16
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この言葉は女性が恋する男性に「浮気なんかしないで、いつも私だけを見ていてね」という意味と、そうしたいけれどもどうしても他の女性に目移りがしてしまうという男性の気持ちを代弁しているように見えます。女性の気持ちと男性の気持ちにずれが生じているということになります。確かに男性という生き物は、美しい人を見ればすぐに目移りする。目移りするだけならいいのだが、女性の心をつかむことに自信のある人は行動に移してしまう。たまには今まで親密に付き合っていた人と縁を切ってしまうこともある。今までそういう人を何人も見てきたが、豊かな人生を築き上げた人にお目にかかったことがない。目移りした人からも愛想をつかされ、元のさやに戻ろうにもすでに時遅し。そういう人は最後は孤立し、経済的にも苦境に陥ってしまう。女性にだらしない人は、お金にもだらしない人が多いように思います。そして最後は同性の友人たちからも見放されてしまう。目移りしても、それは自然現象なので仕方がない。考え直して、いま付き合っている人との縁を大事にして育てたほうが、トータルで見れば幸せな人生を築く確率が高くなる。さて、この言葉は森田の「物の性を尽くす」に関係する言葉に見えてきた。「私だけ見ていてね」というのは、「あなたの目の前にあるものを大切に取り扱ってくださいね」と言うことではないだろうか。あなたの所有物、自分自身、ありのままの他人、自分の時間、自分の財産などである。それらが元々持っている価値を再発見して、居場所や活躍の場を与えて大いに活用してくださいね。「物の性を尽くす」という考え方を持って実行していると喧嘩や争いは起きません。「物の性を尽くす」の反対は、自分が持っているものよりも、持っていないものに注意や関心が向いています。自分が持っているものをさらに有効活用しようと考えるようにすると、自他ともに幸せになれます。定期的に自分の所有物の棚卸を行う。そして活用方法を考える。自分の神経質性格のプラス面の活用方法を考える。他人の長所や強みを活かした居場所を与える。その人の能力に応じた適材適所の仕事や役割を与える。時間の有効活用を考える。お金の有効活用を考える。これらが森田が提唱している「物の性を尽くす」ということです。隣の芝は青く見えるといいますが、それは自然現象で仕方ありませんが、いつまでもそれに惑わされることなく、森田の基本に戻って、今あるものを活かし、居場所や活躍の場を提供するという気持ちで生きていきたいと考えています。
2026.04.15
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人間は、過去のことを後悔し、罪悪感を持ち、悲観し、自暴自棄になり、恥ずかしさでいたたまれなくなる動物のようです。人様に暴言を吐いて、人を傷つけてきた。人様に暴力を振るった。仕事をさぼっているばかりで社会的な義務や責任を果たさなかった。中間管理職して組織をまとめることができなかった。部下を成長させることができなかった。子育てに失敗した。親に大変お世話になりながら、親孝行をしてこなかった。良好な人間関係を築くことができなかった。事業に失敗して多額の借金を作ってしまった。大きなけがをした。大きな病気をした。過去の自分を否定して、自分をいじめて、自信を喪失し、自己否定感で苦しんでいる人が多いように思います。でも私たちの人生はぶっつけ本番の1回限りです。すべて理想通りで完ぺきにこなすことが果たして可能なのでしょうか。それなのに夜中に悪夢にうなされて、火事の時に油をかけてますます加勢するようなことをするのは問題ではないでしょうか。森田に「過去は慮らず、将来を計らず、今に生きる」というのがあります。人間は今に集中していないときは、心がうわの空になって過去のことを思い出しては後悔や罪悪感、理不尽な出来事に対する不平不満のことを考えています。あるいは将来のことを「もし最悪の結果になったらどうしよう」と取り越し苦労をしています。普通生活の中で6割くらいは過去と未来のことを考えているという話を聞いたことがあります。今、ここのことを感じ、目の前のことに集中しているのはわずか4割というのはちょっと少なすぎるのではないでしょうか。この割合いをせめて半分くらいまでに回復させる必要があるのではないでしょうか。そのためにはマインドフルネスに取り組むことをお勧めします。藤井英雄氏先生の「1日10秒マインドフルネス」という本にやり方が詳しく紹介してあります。次に過去を否定するのではなく、過去を第3者的な視点から眺めるようにするのは如何でしょうか。私は今「あの時親に反抗的な態度をとって、親を怒らせてしまったと思っている」「中間管理職としての能力がなくて、部下を育てることができなかったと思っている」という事実を認める。それがいいとか悪いとか評価を下すのではなく、事実の確認をするだけにする。過去は変えられません。それを反面教師にして、私と同じような失敗をしている人に、自分の苦い経験を伝えて参考にしてもらう。親に親孝行をしたいと思っても、もう親はいないわけですから、せめて自分のまわりにいる人たちに対して、役に立つことや感動を与えることを考えて実行する。これらの行動をとることが、過去を反省して、今に生きるということになります。もし神様がいるとすれば、「過去は問いません。失敗を糧にして今に活かそうとしているだけで、過去は全て清算される」と言われるのではなかろうか。そうすれば生きる勇気が出てくると思っていますが如何でしょうか。
2026.04.14
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森田先生は「即」という言葉を好んで使われています。「努力即幸福」「煩悩即菩提」「煩悩即解脱」「雑念即夢想」「諸行無常即安心立命」「耳鳴即無声」などという言葉があります。これらの言葉は、一見すると相反する言葉のように見えますが、実はそうではないと言われています。片方だけを取り上げて、良い・悪いと価値判定して、一方的に片方を切り捨てるのではなく、切り離さないでそのままに受け止めるということで見えてくるものがあると言われているように思えます。たとえば「煩悩即菩提」という言葉はどう理解すればよいのでしょうか。神経質性格を持て余し、神経症で苦しんでいるときはこの世の地獄だったように思います。しかし森田理論学習と行動・実践により、神経症を克服したとき、過去を振り返ってみると、これは神様からの贈り物だったのではないか思えてなりません。神さまが神経症という課題を出して、どのような答えを出すのか天上からつぶさに見ておられたのではないか。打開策が見つからず、すぐには納得できる答えを出すことができませんでしたが、それでもあきらめないで森田にしがみついてきました。あれから40年。不安が湧き上がることは多いですが、神経症に振り回されることはなくなりました。そして何よりも大きいのは、神経質性格を活かした人生観を確立できたことです。これは望外の喜びでした。もし神経症にならなかったら、こんな貴重な経験をすることはできませんでした。人生の醍醐味を味わうことはなかったと思います。今はただ感謝あるのみです。これは災い転じて福となしたことになります。「努力即幸福」ですが、先が見えない中で課題や問題点の解消に向けて努力している段階はビクビクハラハラして精神的に不安定です。身体的にもしんどい。それでも歯を食いしばり、最終的に目標を達成できれば今までの努力が報われます。新しい能力を獲得し、自信や自己肯定感が生まれてきます。仮に目標が達成できなくても、目標に向かって努力したという経験は残ります。そういう経験の積み重ねこそが人生の醍醐味と言えるのではないでしょうか。すべからく物事は長所もあれば欠点もあります。強みもあれば弱みもあります。好きなものもあれば嫌いなものもあります。美しい面もあれば醜い面もあります。優しい面もあれば冷徹な面もあります。清濁併せ持っているのが人間の姿です。混沌としているのが世の常です。片方だけを見て判断や評価を下すのではなく、両面観で過不足なく見て、それでも前を向いて生きていくのが人間の本来性なのではないでしょうか。
2026.04.13
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柏木哲夫医師のところに39歳の女性が子宮がんの末期で入院してきた。その方には10歳の女の子と4歳の男の子がいた。衰弱が進み、残り時間が少なくなったときに、子どもをお母さんに面会させるかどうかが問題になった。ご本人も、ご主人も、叔母さんも面会させることには反対だという。私立の中学受験を目指して、塾通いをしながら勉強している女の子にショックを与えたくないということだった。子どもたちには、お母さんは病気で入院して治療をしているが、ちり用が終われば退院できるからと説明していた。その1週間後様態が急変して母親はなくなった。女の子は「お母さん、お母さん」と大声で叫びながら、お母さんに取りすがって泣き出し、いつまでも泣きやまなかった。それから1か月後、女の子は受験どころではなくなった。ずっと学校を休んでいるという。柏木医師は、「心の準備なしに母親の死に直面することは、10歳の女の子にとって、あまりにも酷であると思う。死が近いことを告げることはつらいし、それを知ることはもっとつらいけど、そのつらさよりも、心の準備なしに母親の死を迎えることの方がずっとつらく大変だと思う」と述べている。(死にざまこそ人生 柏木哲夫 朝日新聞出版)石原加受子氏はマイナス感情から目を背けることの弊害を次のように説明されている。感情を抑えたり、感情にフタをしたり無視したりすれば、確かに心の痛みから目をそらすことができるかもしれない。けれども、マイナスの感情を持たないですむ代わりに、プラスの感情にも鈍感になってしまう。どんなに論理的頭脳に優れていても、どんなに芸術的な感性にあふれていても、それを追求しているとき、楽しい、嬉しい、おもしろい、ワクワクするといった感情を味わうことができなければ、それを継続する意味を見失うだろう。喜びの感情があるからこそ、創造的な活動に没頭できるのである。(もっと自分中心でうまくいく 石原加受子 こう出版 102ページ)神経質者はとるに足らないような小さいことで感動や喜びを得られる感性を持っている。マイナス感情から背を向け続けていると、その感性はすり減ってしまい、神経質本来の特性は活かすことができなくなります。日頃から小さな不平不満、小さな問題点、小さな不安、小さな恐怖、小さな心配、小さな違和感、小さな不快感から目を背けないできちんと向き合うことが欠かせません。
2026.04.12
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森田先生のお話です。「不安定即安心」ということについては、不安定とは客観的な日常の事実であり、安心は主観的な想念である。風や寒さや絶えず変化することが日常の不安定の事実であり、これをその事実ありのままに見るときに安心があり、いやなこと苦しいことをも、ことさらにこれをいやと思わず苦しいと感じないようにしようとするところに心の葛藤が起こり、私のいわゆる思想の矛盾が起こり、強迫観念が起こる。すなわち私はただ「事実唯真」という。(森田正馬全集 第5巻 26ページ)森田先生は、不甲斐ない自分の容姿、身体の不調、不安定な精神状態、自分の犯したミスや失敗、他人からの理不尽な批判や仕打ち、突然襲ってくる自然災害などに対して、事実をありのままに見るときに安心があると説明されています。普通はそれらから目を背けたり、人目につかないように隠す、ごまかす、責任転嫁をする。あるいは、不快な感情を振り払うためにすぐにその場しのぎの思いついた対抗手段をとる。観念優先で事実をことごとく否定しているのです。その結果、最初は不安を取り除こうとしていたのに、最後には不安の力が増大して、不安に追い掛け回されるようになる。いわゆる強迫観念で苦しむようになるのである。森田先生は「事実唯真」、事実にきちんとコミットしていく態度を身につけることが神経症を克服するために欠かせないと言われています。これは何年森田にかかわっていても大変難しい問題です。でも次善の策が用意されています。まず目の前の事実をよく観察する。買い言葉に売り言葉的な対応をする場合は、「割り込み動作」を用意しておく。これは3つあります。2025年12月6日の投稿記事をご参照ください。次に時間的余裕があれば、事実にすぐに反応・対抗しないで、自分の心の中で起きている感情、思考、その他身体的感覚などの事実を少し距離を置いて客観的に見つめる。これはあたかも現場に出向いたレポーターの実況中継のようなものです。流れる雲を眺めるように実況するのです。注意点としては是非善悪の価値判断はしないことです。冷静になったときに、分析、洞察するというものです。これは心理学では「脱同一化」「メタ認知」などと言います。森田理論では「自覚を深める」(気づく)と言いますが、これを会得すると多くの問題は解決します。
2026.04.11
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気分に振り回されそうになることはよくあります。やる気が起きない、面倒だ、しんどそうだ、お金と時間をかけて失敗したら損をする、笑いものになる、あえてリスクをとる必要があるのか、現状に特段問題がないのなら静観する方がよい。もっともらしい理由をつけて、楽な道を選んでしまい、あとで後悔することがあります。気分と行動はきちんと分離した方がよいのはよく分かっているのですが、どうしても気分本位の行動をとってしまう。例えば、会社の中でみんなから嫌われていて、会社に行きたくないという気持ちになったときのことを考えてみましょう。気分本位の人は、仮病を使って休むことを考えます。「風邪を引いたようで、身体が重くてどうにもなりません。今日は休ませてください」と電話を入れます。電話を入れれば、プレッシャーから解放されて一時的に楽になります。そのまま二度寝をします。昼前になって起き出して食事をとります。でも気分は晴れません。後悔や罪悪感で心が痛みます。はたして仮病を使ったのがよかったのか。いやな気分を抱えたまま出勤した方がよかったのではないかなどと色々とネガティブなことを考えます。火曜日になって仕方なく重い腰をあげて出社すると、同僚たちの軽蔑したような視線が気になります。自分のやるべき仕事を肩代わりしてもらっている場合は余計に感じるものです。一日休んだことで、本人にとっては今日が月曜日のようなものです。誰でも月曜日は仕事が軌道に乗ってくるまで時間がかかります。だいたい午前中くらいまでは、慣らし運転のようなものです。慣らし運転が済むと、徐々に仕事のペースが上がってきます。同僚たちは、昨日のうちに慣らし運転を終えて、今日は朝からフル回転で仕事をしているのに、休んだ人は慣らし運転からの出発になります。周りの人との波長が合わなくなり、一人取り残されたような気持を味わうことになります。気分に振り回されないために、効果てきめんの方法があります。A4用紙のたてよこの真ん中に線を引いて4つに分けます。それぞれのマスに小さくA、B、C、Dと書きます。A・・・しぶしぶ出勤したときのメリットを書く。B・・・しぶしぶ出勤したときのデメリットを書く。C・・・ずる休みしたときのメリットを書く。D・・・ずる休みしたときのデメリットを書く。仮病を使って欠勤した場合、Aの理由・・・気が重かったが、身支度を整えて、朝食をとって、電車の時間を気にしながら家を出た。何とか朝礼に間に合ったのでよしとしよう。慣らし運転が終わると、調子が出てきた。Bの理由・・・しんどいなと思ったのは最初だけで、目先のことをしているうちにそんな気持ちは無くなった。渋々仕方なしの行動でもよいことが分かった。特段デメリットは思い浮かばない。Cの理由・・・一瞬気持ちが楽になるが、長続きしないのが問題だ。Dの理由・・・しばらくすると後悔や罪悪感で自分を責めてしまう。これでは自己肯定感が低下する。どの行動をとったほうがよいのか、第3者の視点で分析して行動しましょう。
2026.04.10
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感情の法則4は、「感情は、その刺激が継続して起こるとき、注意をこれに集中する時に、ますます強くなるものである」というものです。森田では、不安、恐怖、違和感、不快な感情が湧き上がったときのことを想定しています。たとえば、大勢の人の前で話をするとき、頭が真っ白になり、なにをしゃべるのかを忘れてしまう。声が上ずり、足がガタガタ震えだす。これはまずい。何とかしないと恥をかくことになる。軽蔑されるかもしれないと考えだすと、注意と感覚の悪循環が起きる。いつもそのことが気になり、もう二度と人前で話はしないという態度になる。そんなときは絶えず避けるようになる。こんなときはどうすればよいのか。車の運転を思い出すとよく分かります。交差点で右折をするときは、信号機が青でも直進車がいるときは待ちます。直進車がいないときか信号機の右折表示が点灯したときを見計らって右折します。ところがその時交差点内をお年寄りが横断しているときに右折しては大変危険です。交差点で右折するときは注意や意識が四方八方に向いています。心配事や心がうわの空状態では、事故に繋がるわけですから誰でも慎重です。人前で話をするときは、話の中身の方に注意や意識を持っていくことが欠かせないということになります。この法則は、欲望の暴走についても警鐘を鳴らしています。たとえばアルコールの好きな人が、懇親会などで酔いつぶれるようなことがあります。あるいはネットゲームの好きな人が、明け方近くまでゲームをする。通販で欲しいものが見つかると手あたり次第、次々に注文する場合もあります。少しぐらいなら気晴らしになってよいだろうと思っているうちに、弾みがついてドンドンのめり込んでしまうというものです。快楽が次の快楽を呼び寄せて、ある一線を過ぎてしまうと、歯止めが効かなくなるというものです。これが為政者になると大変です。自国の利益しか考えない。あるいは自分の欲望ばかりを追い求めて、国民のことをなおざりをしている。この感情の法則は、欲望に弾みがついてしまう前に、欲望の暴走を止める必要があるということを教えてくれています。欲望の暴走を止めるためには、普段から京都の龍安寺のツクバイにある「吾唯足知」という生活態度で生活することです。これに似たような言葉で「少欲知足」という言葉もあります。欲しいものがあったら、それに代わるものが家の中にないかどうか、あるいは修理すれば使える様にならないかを検討する。どうしても欲望の暴走が止まらない人は、信頼できる人に制御してもらう。いずれにしても、欲望の暴走が閾値を超えてしまうと、自分一人では制御不能になってしまうことを頭に入れておいた方がよいということになります。
2026.04.09
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感情の法則の2は、「感情はその衝動を満足すれば、急に鎮まり消失するものである」というものです。「森田理論の学習の要点」では、次のように説明されています。私たちのように神経質性格を持った人は、例えば怒りの感情が起きたときに衝動的な行動をした場合、一時的に満足するかもないが、後で後悔して苦しむことになりがちです。確かにそういう面があります。それ以外の面がもっと重要なのではないのか。感情の法則を生活の中で活用しようとすれば次のようにも考えられます。エベレスト登山の遭難は登頂を目指しているときよりも、圧倒的に下山時の方が多いという。これはどんなことが考えられるか。登頂時は目標に向かって精神活動が緊張状態にあります。時間をかけてルートを選びながら慎重に少しずつ登頂をめざします。そして艱難辛苦の結果、運よく登頂に成功するとホッとするはずです。今まで極限まで緊張していた精神状態が多少なりとも緩むことが考えられます。森田でいうと緊張状態にあった精神状態が、急に弛緩状態に切り替わってしまうのである。弛緩状態に陥った精神状態で下山を始めると、本人はそんな事はありませんといっても、精神活動のほうは正直です。どうしても登頂する時のような緊張感は持てない。それが遭難の多さに繋がっていることが考えられます。これを防止するためには、次に目指すべき目標を登山に取り掛かる前に明確に持っておくことだそうです。次に挑戦する目標を決めておく。あるいは、登頂体験を多くの人に伝える活動を行うなど。次に目指す目標を持っていると「ここで死ぬわけにはいかない」と、多少なりとも精神が緊張してくる。森田先生は、風邪をひくというのは、冬寒いとき外出から家に帰ってきて、ホッとして炬燵に潜り込み転寝をするようなときが危ないと言われています。外にいるときは寒いために気が張っている。早く家に帰って暖を取り温かいものを飲んだり食べたりしようという目標があります。精神が緊張状態にあるのです。意識するしないにかかわらず、家に帰ると緊張状態が急に弛緩状態に変化します。この急激な身体の変化に精神状態がついていけないのではないかと思われます。家に帰ってからすぐに開放して気を緩めるのではなく、ソフトランディングを心がけることが風邪を引かないコツになります。感情の法則2は、目指すべき目標を達成してそこで満足していてはいけない。そこに留まっていると、精神は緊張状態から弛緩状態に陥り、精神面も身体面も不調に陥ることになります。不安感情がなくなれば、万々歳という訳にはいかないのです。それを足掛かりにして、次の目標に向かって歩き始める必要があるということです。プロ野球の選手がドラフトで指名されて喜んでいるだけではいけません。そこから努力して一軍の選手として活躍できるように目標を再設定する必要があります。難しい国家試験に合格しても、次に自分の専門分野を決めて、さらに努力精進しないと人の役に立つ仕事はできない。このように感情の法則を捉えると実生活に応用できるようになります。
2026.04.08
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秋田県の藤里町社会福祉協議会会長の菊池まゆみ氏のお話です。2002年藤里町の人口4000人のうち15歳から64歳までの現役世代の113人の人が引きこもり状態にあったそうです。現在藤里町の人口は2700人余りだそうですが、何と引きこもりゼロにした町として脚光を浴びています。ちなみに日本全国では生産年齢人口において約146万人の人が引きこもり状態にあるという。藤里町の社協の取り組みは、最初は「弱者救済」から始まりました。引きこもっている人に声掛け運動を行っていたのですが、引きこもっている人たちは福祉の世話にはなりたくないといって受け入れてはくれなかったのです。でも放っておいても、状況ははどんどん悪化するばかりだったのです。藤里町の取り組みは、単に「弱者救済」だけを行っているわけではありません。引きこもっている人たちの本音は、普通の生活を取り戻したい、お嫁さんをもらえるくらいの収入が欲しい、人に馬鹿にされない仕事に就きたいなど切実なものだったのです。そこで社協の菊池さんたちが中心となって、「求職者支援」、地域創生をも視野に入れた「活躍支援」の仕組みを作り上げたのです。現在は介護施設や農作業など、町内の人手が足りない現場に登録者を派遣する「コミットバンク」の活動をしています。そこから登録対象者を拡大した人材派遣サービス「プラチナバンク」の仕組みを作り、現在若者からシルバーまで全世代に参加を呼びかけ、約400人の方に登録していただいているという。地域創生としては、白神山地のマイタケを使った特産品キッシュ(タルトのようなもの)を開発した。その他、リーマンショックを機に国が立ち上げた基礎訓練制度の導入が大きかった。これは再就職を希望する失業者が、ヘルパー二級の資格を取得できる講座を半年間受けながら、毎月10万円の給付金を受け取れる制度で、これに地域の一般の人と共にひきこもりの方にも参加してもらった。こうした様々な取り組みを通じて113人いた引きこもりの方は何らかの形で社会との繋がりを取り戻すことができた。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年3月号)この話は森田理論の「物の性を尽くす」ということと関係があります。引きこもりの人たちが社会と繋がる支援施設「このみ」を作り、さらに社会と繋がる仕事を作り、地域の人と共に社会に引き出したことが大きい。引きこもりの人たちに、居場所を作り能力に応じて社会に出て働くことで、結果的に引きこもりゼロを実現できたことは、ほかの市町村でも大いに参考になります。
2026.04.07
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博多ラーメンを提供する博多一幸舎の創業者の吉村幸助氏のお話です。創業して22年目を迎えるそうです。3つの目標を掲げてスタートしたそうです。「どこにも無い、どこにも属さない味をつくること」「100人中100人が美味しいというラーメンをつくること」「福岡で一番おいしいラーメンをつくること」です。22年間歩んできた中で気づいたことは、いくら必死に仕事に打ち込んでも、自分と関わる人を成長させたい、幸せにしたいという気持ちがなければ、事業の発展も、自分の成長もないということです。人は自分のことだけやっても閃かない。誰かを成長させたい、幸せにしたいと思ったとき、行動への力と新しい発想が生まれてくるものですし、それによって自分自身も事業もまた成長していくことができるんですね。スタッフにも、「一杯のラーメンで目の前のお客様を絶対に感動させて帰らせる。その気持ちで仕事にとりくんでほしい」と伝えています。そして次に伝えるのがお客様、関わるすべての人に「いい印象を与えなさい」ということです。美味しいラーメンを食べた感動は、しばらくすると忘れるかもしれません。でもスタッフの接客態度や店舗から受けた「いい印象」は、イメージとして長く心に残って、「ああ、また博多一幸舎に行きたいな」という思いに繋がっていくんですね。お客様の欲求を満たして、また行きたいと思っていただく。これも常に意識していることです。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年3月号 37ページ)この話は今の仕事が面白くない。他に給料のよい仕事があったら転職したいと思っている人に参考になる話です。仕事が面白くないと思っている人は、仕事は給料をもらうためにイヤイヤやっているに過ぎないと考えているのではないでしょうか。当然自立して生きていくために、それを目標にすることは大事なことです。ただしそれが唯一最大の目的になってしまうと、仕事は辛いものになります。仕事を面白くするためには、それ以外の目標も必要になります。仕事そのものになりきり、問題点や課題、改善点や改良点を見つけることができると、仕事はすぐに面白いものに変化します。仕事を通して自分を成長させることができます。さらに仕事をすることによって、お客様を感動させたい、喜んでもらいたいという目標を設定することができれば仕事は生きがいとなります。博多一幸舎の創業者の吉村幸助氏のお話はそのことを教えてくれています。
2026.04.06
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ラ・ロシェル店主の坂井弘行氏のお話です。坂井氏は現在83歳です。フランス料理の巨匠で、かって「料理の鉄人」に出演していた方です。1、その日に与えられた仕事はその日のうちに仕上げる。先延ばしにしない。これは非常に重要なことで、1回でも「これは明日でいいや」となってしまうと、だんだん緊張感がなくなって怠け癖がついてしまう。坂井氏は、今日中にやるべきことは途中で投げ出さずに、何があってもきちんと仕上げてから帰るようにしています。2、食器一枚、食材一つ、何だって無駄にしてはいけない。物を大事にしない人間はスタッフも大事にしない。みんなお客様が一番大事だと思っているけど、そうじゃない。まずスタッフ。その次はスタッフの家族、三番目がお客さんだよ。スタッフが楽しく仕事をできなければ、お客さんにおいしい料理を届けることはできない。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年3月号)どちらも森田理論に関係する話です。最初の話ですが、今日やるべき仕事を乱雑に扱っていると、精神が緊張状態から弛緩状態に陥ってしまう。これはまずいと思って立て直そうとしても、なかなか元には戻せない。ですから昼間活動しているときは、ものそのものになりきって、緊張感を持って取り組むことが必要になる。私の経験では今日取り組むことを明日以降に先延ばしすると緊張感が薄れてしまう。毎年風邪を引く人は、緊張状態から弛緩状態の切り替え方を見直せば改善できます。さらに悪いことに、その時、その日のうちに取り組めば難なくできたのに、先延ばししたために、釣り糸の糸が絡まったようになってしまう。それを元に戻そうとすると時間もかかります。そのうち処理することが面倒になって、ハサミで切って捨ててしまうことにもなりかねないという経験をしています。このような考え方や生き方を「平凡道を非凡に歩む」と言います。2番目の話ですが、森田でいうところの「物の性を尽くす」ということです。食器は丁寧に洗いピカピカに磨いで出番を待つ。食材は用途を考えて余すところなく使いきる。スタッフには能力に応じて、活躍の場を与える。スタッフが能力を発揮しやすい環境を整えてあげる。さらに能力を向上させて、人間として成長できるように援助する。十分な報酬を支払い家族の生活を豊かにしてあげる。そういう環境を整えてあげると、回りまわってお客様が感動するような料理や接客ができる店になっていく。「物の性を尽くす」というのは、その物が持っている能力を全面的に開花させて、居場所や活躍の場を提供するということです。この考え方で推し進めていくは、自分も相手も周りの物もすべてがハッピーになれます。
2026.04.05
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刀剣界最高峰の賞である「正宗賞」を受賞した刀匠の河内國平氏のお話です。刀鍛冶になるためには、文化庁から許可を得ている刀鍛冶のもとで五年以上修行し、研修会(美術刀剣刀匠技術保存研修会)を終了することと決められています。河内氏は技術を教えるのはそれほど難しくはないと言われています。ただ人生の「構」(かまえ)、刀鍛冶としての「構」を確立しないとよい刀は作れない。「構」というのは、人間性を磨き上げていくことです。鉄を粗末に扱う、約束を守らない、人を騙すようでは仕事がうまくいくはずがない。日常生活や精神がちゃんとしていないとよい刀は作れないのです。「構」がきっちりできた上に、刀が乗っかって初めていい仕事ができる。そのための修行は10年くらいかかるそうです。それからよい仕事をしたいと思ったら、徹底して一つのことに入り込む期間が必要だと指摘されている。河内氏の仕事場は人里はなれた奈良県東吉野村にあるという。都会の近くに仕事場を構えていれば人が来たり誘惑があったり、ここまで刀に集中できなかったでしょう。河内氏の揮毫した書がある。「出来る 出来る 出来る 出来る 出来る 出来る 出来る 必ず出来る」仕事への執念は畏るべしである。現在84歳と言われるが、どう見ても50代にしか見えない。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年3月号 19ページ)森田で目指している生き方を実践されている人である。目標を設定して、信念を持って一筋に情熱を傾ける姿勢。欲望を制御して人間力を鍛える姿勢。森田の学習はこういう人生を歩んでいる人を取り上げて、神経質者としての人間力を鍛えていった方がよいと思う。そうすればいくらでも進歩がある。
2026.04.04
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森田先生のお話です。僕はこれでも、居合と柔術とが初段です。僕などの流儀は、寝技が得手で、自分の身体を、いつでも相手の身体にピッタリと寄り添っているのが大切です。そうすると、当て身もやられる隙がなく、投げられることもない。これはいわゆる捨身の態度であるけれども、熟練しなければなかなかできないことです。この捨身の態度は、相手に対して強いて突っ張るとか、自分の態度を工夫するとかいうことではなく、自分を投げ出したありさまで、いつでも相手の変化に応じて、臨機の処置が取れるという状態である。禅でいう「まさに無所住にして、その心を生ずべし」というふうに、心をどこにも固着していないので、そのときどきに、自由に心が働くという有様であります。相撲で、4つに組んだ時には、全身の力を抜いて、相手の身体にぶら下がっているという風で、相手が押しても引いても自由にくっついていく。そうすると、自分よりも随分力の強い人でも、いつしかくたぶれて、根負けがしてヘトヘトになり、自然に先方が負けるようになる。この時に強いて踏ん張ると、相手にその力を利用されて、自分がまかされるようになるのである。(森田正馬全集 第5巻 521ページ)ここで森田先生は居合と柔術とが初段だと言われています。居合の初段は、一応正確な抜き付け、血振り、納刀。止まっている中での「静」の集中力と、仮想敵を想定した立ち回りができる段階です。柔術での初段は、基本的な受け身、投げ、固め技の形。相手がいる中での「動」の対応力と、身体の使い方ができる段階です。いずれにしろ初段になった人は、自分の実力はどの程度なのか、勝てるのかどうか試合で試してみたくなるものです。森田先生の考えは明確に違います。自分は有段者ではあるが、自分から積極果敢に攻めていくことはないと言われています。相手の動きを見て、相手の動きに合わせていくことに専念しておられます。これは森田理論の核心部分にかかわる話をされています。自分は有段者だから段位を持たない人に負けるわけにはいかないと意固地になると、試合はガチの戦いになる。その結果勝つこともあるだろうが、相手が捨身の仕掛けをしてきた場合、思わぬ不覚をとることも十分考えられます。この話は、人間関係に応用できる話です。今後の方針を決めるとき自分の立場ははっきりしている場合があります。喧々諤々の議論になったとき、あくまでも自説にこだわって、反対意見を封じ込めようと画策するのが世の常です。森田先生は自分の意見とは違う意見で衆目が一致した場合は、自説は引っ込めてみんなの意見に従い、行動を共にする。自分がその組織の代表である場合は、先頭に立ってみんなを鼓舞していく。その結果、敗北するようなことがあっても、繰り言は一切口にしない。この手法をとっていた人として、西郷隆盛を高く評価されています。
2026.04.03
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自分にはできない、無理だ、荷が重すぎると思うことはたびたびあります。そのとき簡単にあきらめてしまうと、後で後悔することがあります。自己喪失感や自己否定感で苦しむことにもなりかねません。暇を持て余し、時間を潰すために、刺激的、刹那的、瞬間的な快楽を求めてさまようことになりがちです。自分にはとてもできそうもないと思ったとき、次のどれに当てはまるかを分析してみると、解決策が見つかることがあります。①今のやり方では歯が立たない。何回挑戦しても失敗の繰り返しである。②一人では時間もかかるし、孤独だし、危険である。③複雑で難しくてどこから取り組めばよいのか全く糸口がつかめない。④今すぐには時間的に無理である。他に急いでやらなければならないものを抱えている。病気やけがでやりたくてもできない。⑤今は意欲や気力がわかない。興味や関心もない。⑥もし失敗をしたらどうしようと取り越し苦労してしまう。⑦やりたいのは山々だが、能力的に歯が立たないと考えている。⑧挑戦するにはお金がかかるが資金不足である。原因を掴むことができたら、対策が見えてくる場合があります。原因は1つだけではなく、幾つもの要因が絡まっていることがあります。その場合は、関係する案件をすべて考えてみることです。そして効果的な対策を立てて実行に移す。①別の方法を考える。思いつく限りの方法を書き出して、1つか2つに絞る。②仲間の協力をえる。薄くで幅広い人間関係を構築していると大いに役立ちます。③単純な要素に分解してみる。複雑な仕事も一つ一つをとってみると、割合単純なものが絡み合っている場合が多い。料理は単純作業の積み重ねです。④時期を変える。納期を確認する。タイミングが合う時まで待ちの姿勢で臨む。「急いては事を仕損じる」という言葉を肝に銘じる。⑤簡単なことをボツボツする。イヤイヤ仕方なしの行動をとっていると、行動に弾みがついて新たな感情が生まれてくることを忘れないようにしましょう。⑥どれだけのリスクを許容できるかを考える。ここまでのリスクなら受け入れられるという範囲を決めましょう。失敗が恐ろしいという人は練習不足だという人がいます。459回の数をカウントしながら練習に取り組むと成功確率が99%に高まるそうです。⑦能力のある人に依頼する。能力のある専門家にまかせるのも一つの手です。それで果実を手にできれば問題ありません。できれば自分でも得意分野を持って、鍛えるようにしましょう。⑧お金を先に溜める。クラウドファンディングなどを利用してお金を集める方法もあります。
2026.04.02
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次の中であなたの特技は何でしょうか。①足が速い ②人に優しい ③約束を守れる ④大きな声を出せる ⑤その場を仕切れる ⑥人を笑わせる ⑦物を組み立てるのが好き⑧手際がよい ⑨素敵な笑顔である ⑩資格を持っている ⑪英会話ができる⑫その他の外国語が話せる ⑬背が高い ⑭力持ち ⑮運転が上手⑯字がきれい ⑰おいしいお茶を入れることができる ⑱おいしいコーヒーを入れることができる ⑲人の世話をするのが好き⑳聞き上手 ㉑計算に強い ㉒ソロバンが得意 ㉓話し上手㉔高いところが好き ㉕人前に立つのが好き ㉖企画力がある㉗動物が好き ㉘持久力がある ㉙文章を書くのが好き ㉚記憶力がある㉛機転が利く ㉜好奇心が強い ㉝興味や関心の幅が広い㉔手話ができる ㉕きれい好き ㉖料理上手 ㉗絵をかくのが好き㉘旅行が好き ㉙スポーツ観戦が好き ㉚スポーツをするのが好き㉛パソコンが得意 ㉜朝が強い ㉝楽器の演奏ができる ㉞読書が好き㉟スタイルがよい ㉟踊りができる ㊱一人一芸を持っている㊲動物のしつけができる ㉘花や野菜作りが好き ㊴田舎暮らしが好き㊵分析力がある ㊶論理的思考ができる。これらの特徴を持っていれば、そのままにしておくのはもったいないと思います。それらをさらに鍛えて育てていけば、人の役に立ちますし、生きる自信が生まれてきます。自己肯定感、自己信頼感、自己効力感が高まります。残念な考え方をする人は、「あって当たり前、たいしたことではない」と自分の宝物に気がつかないことです。そして自分にないもので、他人が持っているものを手に入れようとすることです。それは順序が逆だと思います。まずは他人は持っていなくて、自分が持っているものをきちんと棚卸することです。それを野放しにしないで、さらにその特徴を伸ばしていくにはどうすればよいのか考えてみる。自分で分からなければ、他の人に相談してみる。私の場合に当て嵌めて考えてみました。⑩国家資格をたくさん持っている ㉙ブログの文章を書くのが好き ㉝好奇心旺盛で興味や関心の幅が広い ㉜朝早く起きることができる ㉝アルトサックスの演奏ができる ㉞読書が好き ㊱数多くの一人一芸を持っている ㉘花や野菜作りが好き これらを極めていけば、人の役に立つこともできますし、自分自身も悔いのない人生を送ることができるのではないかと考えています。
2026.04.01
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神経質性格の人は心配性で取り越し苦労をしやすい。逆に言うと感性が鋭く感受性が強いという特徴があります。日常生活では、小さな気づき、小さな心配、小さな緊張、小さな違和感、小さなストレス、小さな欲求不満、小さな問題点、小さな不具合、小さなイライラ、小さな怒り、小さな劣等感、小さな悲しみ、小さな罪悪感、小さな感動、小さな喜びなどが次々と湧き上がってきます。たとえば、風呂にカビがある。洗面台の鏡が汚れている。机の上が散らかっている。シャンプーがなくなりかけている。観葉植物が水切れを起こしている。車のワイパーがギイギイ音がしている。そろそろジャガイモの種を買っておこう、牛糞堆肥を入れて畑を耕しておこう。バイクのオイル交換をしよう。パソコンの調子が悪い、単3の電池がなくなっている。尿酸値が高いのが気になる。歯が痛い、腰に張りがある。今日は風が強い、寒くて足の先が冷たい。ムダ使いをして今月は赤字にならないか。確定申告が近づいている。・・・きりがないです。これらはどちらかというと、今すぐに対応しなければならないというわけではありません。一旦は気の付いたことでも、このままにしてしまいがちです。そのままにすると、せっかくの宝物を見逃してしまうことにならないでしょうか。神経質性格の最大のプラス面を活かすことができなくなってしまいます。1991年4月号の生活の発見誌に次のような記事がありました。神経質性格の人は誰でもやればいいなと思うことは日常いくらでもあります。思うだけでは能力ではない。それは思わないのと同じことです。そのうちその貴重な宝物は忘却の彼方へと消え去っていく。小さなことでもおろそかにしないですぐに処理する。すぐにはできないことは忘れないようにメモしておく。そして時間がとれたときや週末などに片づける。神経質性格者にとっては、この能力を身につけることはとても大事なのです。注意や意識が外向きに変わり、実際に取り組むことで行動に弾みがついてきます。小さなことを拡大鏡で覗くように、大きく取り扱えるようになれば、絶えず神経症で苦しむことから解放されます。そういう習慣が身につくと、路傍に咲く可憐な花にも小さな感動を味わえるようになります。
2026.03.31
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森田先生のお話です。人はたとえば神経質同士の人がつきあえば、互いに症状を語り、苦痛を訴えて、繰り言をいうのには、いわゆる「同病相憐れむ」で、気晴らしにもなるが、それかといって、ちょっと調子が違えば、お互いに自分の苦痛ばかりを強調して、相手の苦痛には同情しないから、ややもすれば、そこに反目が起こることがある。また同性質で、お互いにその短所が分かり、ヒネクレ合って、同棲生活には調和がとれにくいことが多い。(森田全集 第5巻 569ページ)お互いが自分の症状の苦しみを述べあう学習会というのは、自分一人が悩んでいるのではなかったという安心感を得ることができます。今まで一人で苦しんでいた人は、同じような悩みを持っている人の存在を知って正直ホッとします。仲間の話を腰を折ることなく最後まで聞いてくれることは、今までは考えられなかってことです。これは大きいですよね。自分は孤立した人間ではなかったということが分かり、生きる力が湧いてくます。だだし森田先生が指摘しておられるように、いつまでもそこに留まっているのは考えものです。現状否定をくり返しているだけでは、アリ地獄の底から地上に這い出ることはできないと思います。神経症で悩んでいる仲間は、同時に森田理論に微かな望みを持って学習に取り組んでいる仲間でもあります。森田理論は実生活を変えていくためにさまざまな提言をしています。これを仲間と協力して活かさないともったいないと思います。私の場合でいえば、症状はいったん棚上げにして、実践課題を設けて取り組んでみなさいという助言をもらいました。納得はできませんでしたが、人間関係で行き詰まっていましたので、藁をつかむ思いで取り組みました。布団上げ、部屋の掃除、風呂の掃除、車の洗車などです。そして実践結果を次の集談会で報告していました。すると、次にやるべきことをすぐにメモして実践に結び付けたらよいということに気が付きました。つまり行動に弾みがついてきたのです。そういう取り組みを参加者それぞれが実践していて、その結果の情報交換を行っていました。これだと次につながります。最初は自分の神経症の苦しみをみんなに聞いてもらうことはかまいませんが、それだけでは次にはつながらないと思います。せっかく森田学習で行動実践の方法をいろいろと教えてもらっているわけですから、半信半疑であっても実際に試してみることが不可欠だと思います。それを仲間と共有化して、自分を変革する道具として活用する。実践なくして神経症を克服することはできないと思います。森田理論学習と実践・行動は車の両輪だといいますが、どちらに比重を置くかというと、実践・行動の方です。後付けで森田理論学習で補強するという態度を堅持すべきだと考えています。
2026.03.30
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森田先生曰く。強迫観念についても、従来の価値観を打破して、相対性原理を理解することによって、はじめてこれを全治させることができるようになったのである。(森田全集 第5巻 521ページ)世の中のことには何事でもすべて絶対ということはない。常に相対的に考えなければいけないということを考えてもらえればよいわけである。物事を絶対的に固定的に考えれば、きわめて簡単で何の世話もないが、相対的に実際的に観るときには甚だ複雑なもので、その変化はほとんど極まりのないものである。(現代に生きる森田正馬のことばⅡ 白揚社 229ページ)可愛いとか、幸福とかいうことは、常に相対的であり、かつ絶えず変化して、けっして固定した不変ものではない。すなわち世の中は苦しいとか、あの人はいつも幸福だとかいうことはない。それはたとえば菓子は美味いとか、子は可愛らしいとかいうことが不変でないと同様で、食べすぎて吐きそうなときは菓子を見るのもいや、気分の悪いときに、子供にいたずらを言われるときは愛児も憎らしくなるようなものである。これは我々が物事を見るときに、一面的に偏った見方、考え方をしますが、これを基にして行動してしまうと、あとで取り返しのつかない失敗をしてしまうことが多いということだと思います。森田では物事を見たり考えたりするときは、両面観で物事を考えなさいと言われます。両面観の考えを応用・活用していくために、森田理論の「主観的事実と客観的事実」の学習が役に立つと考えます。たとえば、今日は無礼講の懇親会があるとする。一気飲みでビールを次々に飲み干してお代わりをしていると、二日酔いになる確率が高くなります。そういうことはおぼろげながら過去の苦い経験で分かっています。しかし、酒を帯びるほど飲みたいという気持ちが強ければまた同じような失敗をしてしまいます。ここで「二度と同じ失敗は繰り返さないぞ」という気持ちが持てればペース配分を考えて決して飲み過ぎにならないと思います。これに似たようなことは、日常生活で頻繁にあります。自分の主観的事実が暴走気味の人は、森田理論で客観的事実との調和を学んで、ぜひとも生活の中に活かしてもらいたいものです。
2026.03.29
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今日は、仕事でミスをした時の対応を考えてみたい。仕事で、少し前に発注ミスを起こしていると、またミスをするのではないかというネガティブな考えが浮かんできて、積極的に仕事に向かうことができなくなる。注意や意識が仕事に向かわないで、また失敗するのではないかという不安や恐怖の方に向いてくる。そういう人は気もそぞろなのでまた同じようなミスや失敗をしてしまう。意識が不安や恐怖にとらわれているので、実際にミスや失敗をおびき寄せてしまっているのである。過去のミスや失敗がトラウマとなって、積極的に仕事に取り組むことができなくなってしまうのである。そんな人はやる気のない人、気分本位な人、会社のお荷物社員、寄生虫のような人と評価されてしまうので、人間関係がうまくいかなくなって、孤立してしまう。仕事でミスをしたときは、叱られるのを覚悟で、すぐに関係各所に報告して、事後処理をどうするかという方向に向かわなければいけないのだが、上司や同僚から叱責・非難されるのが怖いという予期不安がある人は、事実の隠蔽、ごまかし、責任転嫁に走る。ますます自分の立場が悪くなります。隠していたミスや失敗が公にされたときには、すでに大きな問題に膨れ上がっていて、容易に処理することができなくなっている。やることなすことがすべて裏目に出てくるというのはこのことです。こんな時どうすればよいのでしょうか。ミスが怖いのでしたら、基本的なことですがまずはチェックを怠らないようにしましょう。やりっぱなしにすると小さなミスが素通りになってしまいます。チェックするときは、チェックするポイントがありますので、そのポイントを外さないようにすることが大事です。たとえば私はkindle本の出版をしています。原稿は大体3万字くらいを目安にしています。出来上がったword原稿をそのままアップするという訳にはいきません。プリントアウトして、誤字脱字、改行などをチェックします。その後できた原稿に目次をつけて、2回目の見直し、3回目の見直しをします。原稿をアップするときは、アマゾンの方でも誤字脱字をチェックしてくれます。本当は校正担当者に見てもらうのが一番です。これは仕事でいえば、他人の目から原稿をチェックしてくれているということになります。仕事のミスをなくするためには、この方法を採用することが有効です。その後印刷プレビューで最終確認をします。これだけのことをすべて完了して本が出版できるのです。そこまでチェックを徹底してもミスは発生します。この場合はミスを素直に認めて関係者に速やかに報告することが肝心です。その時ワクチンの注射針を刺されるような痛みがありますが、後から隠していたミスが発覚して、こじらせてしまうよりはまだましだという気持ちを持っておくことです。自分のミスや失敗などをすぐにすべて公開するのは一つの能力だと思います。神経質性格者は固い鎧をまとい、自分の弱みや欠点、ミスや失敗などを隠すことにエネルギーを投入しますがこれは大きな誤りです。これが仕事の悪循環を招き、人間関係を悪化させて、生きづらさを招き寄せているのです。最初からすべてをさらけ出すことはできないと思いますが、少しずつ取り組めばその段階に近づいていきます。
2026.03.28
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娘がスーパーで万引きをして警察に逮捕されました。警察官から娘さんを引き取りに来るように父親に電話がありました。普通の親はうちの子に限ってそんなことをするはずはない。小遣いも不足しないように与えている。どうして親に心配や迷惑をかけるのだろう。警察に行って、娘をきつく叱り、二度とこんなことをしないように約束させなければ、自分の気が収まらない。𠮟り飛ばしたり、ときには涙を流したり、蹴飛ばしたりするのがいつものパターンです。刑事さんはいつものパターンが読めています。お父さんの怒りが頂点に達したころ、「お父さん、娘さんも反省していることですし、もうそれぐらいでいいじゃないですか」「スーパーの方もお金を支払って、今後二度としなければ今回は見逃してあげると言われているのですから」と仲介の労をとります。大岡越前ばりの裁定で「めでたし、めでたし」で一件落着となるのが普通のパターンです。今度の親子はちょっと勝手が違いました。「おい、紀子、このたびは貴重な体験ができてよかったじゃないか。この体験は大人になってきっと役に立つぞ。だからお父さんは決して叱ったりしないからな」「実はね、お父さんも子供の頃同じ体験をしたことがあったよ。今となっては懐かしい思い出だ。この経験を今後の教訓として活かしてくれればこんなに嬉しいことはないよ」慌てたのは仲介の労を取ろうとしていた刑事さん。「お父さん、発言の意味が分かっているのですか」自分の活躍の場を奪われただけではなく、犯罪を助長するようななりゆきに困惑気味です。「お父さんがこんな対応をとれば今後娘さんはますます犯罪に手を染めますよ」これに対してお父さんは冷静でした。「そんなことをしたら子供はますますいじけますよ。私が悪いことをしたとき、親が許してくれたおかげで、今の私があるんですよ。私は今少年野球のコーチをしていて子どもの気持ちが分かるんです。こんなときは私に任せておきなさい」説得力のあるお父さんの迫力ある言葉に、説得することを忘れて押し黙ったままの刑事さん。その後、思春期を迎えて口答えばかりしていた娘さんに変化が起きました。険悪だった親子関係が急に改善してきたそうです。ときには母親がシットするくらい、親しそうに父親に話しかける娘に変身しました。雨降って地が固まるというのはこういうことをいうのでしょう。(チャン チャン)
2026.03.27
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森田先生は「自信」について次のように説明されている。たとえば高跳びのとき、気後れして、やれなくなる。その時、自分には無理だと簡単にあきらめないで、「静かに自分自身を見つめよ」と言います。そうすると、そうすると、自分がもう少し上達したい、ちょっとでもよけいに跳びたいという欲望があるかないか見定めることができます。もし欲望がなければ、楽なものです。ただやめさえすればよい。しかし、また欲望の強いときには、一方にはその努力の苦心を考えると、その欲望を否定するようなことを考えてしまう。「自分はこんな事よりも、勉強をしなければならない」とか、「自分の素質では不適当だ」とかいうような考えが起こって、奮闘心を鈍らせて中止する。しかしまた、次の日は、ツイツイその欲望に駆られて、手を出してみるというふうで、それでもやめずに続けていさえすれば、ついには上達して、自信も出てくるようになる。(森田全集 第5巻 606ページ参照)今までできなかったことができるようになると自信がつき、自己肯定感が高まる。難関大学に合格する。仕事で社長表彰される。難しい資格試験に合格する。スポーツで優勝する。コンサートで観衆を感動させる。二科展で表彰される。素晴らしい陶芸作品ができた。これらが達成できれば、自信がつき、自己肯定感が高まる。次の目標も見えてくる。それは理解できるが、できるようになるまでにはとてつもない努力が必要になる。時間もお金もかかるのである。それに耐えられるか。例えば、社会保険労務士試験に合格するには1000時間の効果的な学習が必要になるという。司法試験は10000時間のとてつもない学習の積み重ねが必要になる。そんなことは自分には無理だと、最初からしり込みしてしまう。失敗を繰り返していると、疑心暗鬼になって、「そもそも私の能力では無理なのではないか」という不安とも闘わなければならない。つらいことだ。私は昨年自動二輪小型ATの試験に挑戦した。1回目の卒業検定では、1本橋(30センチの幅、15Mの長さ、高さ5センチの橋を5秒以上で渡る)から落ちて不合格になった。その他クランクや急制動も不安があった。落ちたときはショックで、茫然自失となった。だいたい後期高齢者の私が自動二輪の試験に挑むこと自体が無理だったのではないかと考えて、一旦はもうあきらめようかと気弱になった。3日ほどたって、気持ちが落ち着き取り戻したとき考え直した。この自動二輪の免許は、交通の激しい国道などを安全に通勤するためにぜひとも必要なものだ。さらに60キロ離れた田舎での農作業をするためにどうしても欲しい免許なのだと初心を思い出した。「よし、何回落ちても免許を手にするまでは頑張ってみよう」と考え直すことができた。具体的に取り組んだことは、自作の練習場を作り毎日個人練習をくりかえした。また2つの試験コースの走行シュミレーションを、それぞれ50回くらい手書きして完全に覚えた。今考えると、目標や目的が曖昧なままだと、簡単に「自分には向いていない」とあきらめたのではないかと思う。目指すべき目標や目的が明確になっていると、途中で簡単にあきらめるわけにはいかないのだなと感じた。
2026.03.26
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新聞に40代の女性から次のような相談が寄せられていました。山口県のある夫の実家へ帰省するのがストレスです。義理の母が作ってくれる料理が口に合いません。子どももそう言います。料理をしたくても台所に入れてもらえません。年に数回ですが、食事が負担となり帰省をためらっています。(2026年1月25日 中國新聞朝刊)食事だけに限らず、配偶者の実家のトイレやお風呂、寝具や冷暖房設備などに問題があって、実家には帰省したくないという話はよく聞きます。近くの場合は日帰りできますが、遠方の場合はやはり泊りになります。この方の場合、自分で料理を作れば問題が解消されそうですがそれはできないようですね。この場合、それに固執してしまうと、将来夫だけに帰省してもらって、妻と子どもは家に残ることになりかねません。金銭的な援助だけしてもらって、それ以外はお断りというのは問題です。八方ふさがりでよい考えが浮かばないときは、他の人に相談してみることで打開策が見つかることがあります。まずは夫と相談する。夫が相談に乗ってくれない場合は、友人たちに相談してみる。新聞には、読者の人から様々な提案が寄せられていました。①自分で手料理を作って持参する。あるいは寿司や空揚げのようなものを買っていく。②鍋物や役肉を食べたいと夫から提案してもらうのはどうでしょうか。③オードブルや朝食用のパンを人数分買っていくのがよいと思います。④何食も食べるときは、近くのレストランに出かけるのはどうでしょうか。⑤実家に行ってから、食材は義理の母と一緒に調達するようにする。その際子どもの好きなものを選ばせる。例えばハンバーグなど。⑥言いにくいことは自分から言わないで、夫を経由して伝えるようにすれば角が立たない。⑦義理の母には休んでもらって、代わりに得意料理を振る舞う。⑧お湯で温めればすぐに食べられるレトルト食品やレンジで温めれば食べられるものをある程度持参する。⑨夫に他の兄弟姉妹がいる場合は、申し合わせて一緒に行く。兄弟姉妹と自分の気持ちを伝えて相談に乗ってもらう。⑩近くに保養施設や温泉があれば義理の母を招待する。これ以外にも、対応方法は様々あると思います。森田先生なら、夫の実家に行きたくないという気持ちは事実だからどうすることもできない。でも墓参りやご機嫌伺いをすべて拒否するというのは理性ある大人のすることではない。相対立する2つの気持ちの調和を図るのが理性ある大人のやり方だと言わるような気がします。いずれにしても、自分一人の考え方に固執して、すべてを拒否するという極端な行動は建設的ではありません。周りの人に相談して、総合的に判断して、よりよい賢明な行動をとるように心がけることが大切です。
2026.03.25
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森田先生のお話です。今日も、庭で私がしおれた花鉢を示して、「水をやらねば、植物は枯れる。人が食わねば死ぬと同様である」ということを知らせた。たったこれだけのことが、体得できれば、すなわち悟りである。患者が庭に出て、仕事がなくて失業し、退屈していて、目の先に花が枯れかかっていても、それが少しも目にとまらない。それが悟りでないのである。ここでは実行について、これが悟り、これが悟りでないとか教えるだけで、けっして「悟るように、心がけなければならぬ」というふうに教えては、ならないのであります。入院したての人は、なかなか、こんな簡単なことがわからないで、いたずらに理屈ばかりいうのである。(森田全集 第5巻 354ページ)私たちは不安や恐怖、違和感や不快感が立ち上がると、なんとか意志の力で取り除き、すっきりしようとします。その時目の前のやるべきことには、注意や意識が向いていません。ひたすら注意や意識が内向化して、頭の中で格闘をくり返しています。森田先生は注意や意識が内向化して、観念の世界でやりくりしているばかりでは神経症から抜け出すことはできないと言われています。注意や意識が自己内省の世界から、外向きに変化してくることが悟りだと言われています。あれも気になる、これも気になり、何とかしたいと思って、思わずすっと身体が動くようになればよいと言われています。そのためにはどうすればよいのか。誰でも日常生活の中でやるべきことや放置してはいけないことは次々に思いつきます。注意や意識が外向きになっている人は、思いつきや気づきを忘れないようにすぐにメモしています。メモする時間がないときは、目のつきやすいところにわざと置いておきます。目のつきやすいところに置いておくと、何もしないと気になりますので、気分的にはやりたくないことでもイヤイヤ仕方なく手をつけます。メモしたことは、すぐにできることはすぐに片づける。すぐにはできないことは懸案事項として残しておく。今すぐにはできないことは適当な時期が来るまで待つ。時間が取れる週末に片づける。自分一人ではできないことは、仲間の協力を得る。資金が必要なら先に資金集めをする。次に注意や意識を外向きにするのに効果があるのは、ルーティンワークを作ることです。毎日の起床時間を一定にする。起床したら毎日同じ時間に同じことをする生活習慣を確立することです。習慣化するのに3ヶ月くらいかかります。一旦習慣化されると、「この次に何をしようか」と考えることはなくなります。身体の方が勝手に動いてくれます。ルーティンワークの中から気づきや発見が見つかれば、さらに行動に弾みがついてきます。これは規則正しい生活習慣のことですが、神経症で悩んでいる方は、行き当たりばったりの生活をくり返しています。灯台下暗しというのはこのことです。
2026.03.24
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森田先生は「本来性」について次のように説明されている。私は身体が弱く、歳はとっているが、それでも四角八面に欲張ることをやめない。くたびれて横になる。それが読書の時間である。夜中でも、目が覚めたら、本を読む。そのとき一番いやなのは、目がまぶしくてショボショボと痛むことです。本が面白いと、ときには眼を片方ずつ休めて、交互に目をつぶって読むようなこともある。少し功利的に考えてみると、老い先の短い歳で、やたらに知識を貯え込んでも、あの世へ持っていくばかりで、しかたのないはずである。けれどもなお深く、自分自身を観察してみると、われわれが死ぬまで、食うことをやめないのと同様である。知識欲も食欲もともに、われわれの本来の性情であるからである。香取さんやわれわれは、知識欲や仕事欲や、あれもしたいこれもしたい、これも手を出したい、と限りない欲望に充ちている。つまり希望の心が、われわれの光明であり元気である。食欲を悲観しないのと同様に、われわれはただこの欲望を歓喜するだけのものであります。(森田全集 第5巻 381ページ)森田先生は、人間の本来性は「生の欲望」であると言われている。生の欲望は人間に限らず動物も持っている。誰に教えられたわけでもないのに、この命をできる限り延命させること、自分の命が尽き果てても永遠に命をつないでいくこと。これはこの世に生を受けたものの宿命である。人間の場合はそれにとどまらない。範囲がとても広い。物欲、財欲、金銭欲、性欲、食欲、飲食欲、名誉欲、出世欲、権力欲、所有欲、睡眠欲、知識欲、完全欲、自己顕示欲、向上発展欲、健康欲、生存欲などである。神経質な人は「生の欲望」が極めて強い。好奇心が強くて、興味や関心の範囲が広い人が多い。集談会などで趣味や習い事などのテーマで話をしてもらうと、ありあらゆる面白い話を聞くことができる。しかし、最近集談会にやってくる人を見ると、生の欲望が希薄で覇気のない人が増えてきているように感じる。何不足ない満ち足りた生活環境の中で、生の欲望が骨抜きにされてきたのではないかと感じることがある。人間は時々過酷な環境に置かれないと、精神が緊張状態から弛緩状態に陥り、廃用性萎縮現象が起きてしまう。それに気が付いて何とか立て直そうとしても、すでに時遅しになってしまうのではないだろうか。人間は目標を持って行動していないと、根無し草のような存在として、空中をあてどもなくさまようになると思う。絶えず問題を抱えている。課題や目標を持っているというのは、人間が活き活きと生活していくための食料のようなものである。短期目標(その日と一週間の目標)、中期目標(一年間の目標)、長期目標(生涯目標)を尋ねられてすぐに返答できる人は心身ともに健康な人である。逆に今すぐに言えないという人は、心身ともに緊張状態から弛緩状態に転換しやすく、暇を持て余し気味で、風邪などを引きやすいことが考えられる。
2026.03.23
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森田先生のお話です。われわれが自分の本性を認めて、これを礼賛し、ますますこれを発揮し、どこまでも、これを向上させていこうという心境を、唯我独尊と言います。これは絶対的な主観的心境でありまして、他と比較してのことではない。(森田全集 第5巻 340ページ)これは物の性を尽くす。己の性を尽くすということです。どんな人でもプラス面があればマイナス面も持ち合わせています。マイナス面に焦点を当てて、せめて人並にまで持って行こうとすると、なかなか思ったようにはいきません。その取り組みはエネルギーの消耗を招きます。神経症で苦しんでいる人はこの傾向が強いようです。この方向に向かうと将来に希望が持てなくなります。反対に、プラス面の方に焦点を当て、自分にすでに備わっているものを、活かして伸ばしていこうという方向に舵を切っている人は、今どん底でも明るい将来が開けてきます。そのためには自分のプラス面とマイナス面を正しく自覚する必要があります。人と比較すれば自分のプラス面はある程度把握できます。自分が人間として生まれたことは最大のプラス面だと思います。大脳が高度に発達しているため、問題のある現実をより良い方向に改善する能力を持っているのは人間だけです。それを活かすためには、課題や目標を持つことが大事になります。私は、どんな人でも短期目標(その日、一週間の目標)、中期目標(一年間の目標)、長期目標(生涯目標)を明確にする必要があると考えています。そうすれば「人間としての性を尽くす」ことが可能となります。さて、森田先生は、人間の性格を7つに分けて説明されています。神経症に陥るような人は「神経質性格」に分類されています。その特徴は、心配性で取るに足らない小さなことがとても気になる性格です。発揚性気質の人は、細かいことはほとんど気になりません。将棋でいえば、守りを忘れて、攻めることばかりに注意や意識が向いている。これはリスク管理面から見ると問題です。ザルで水をすくい上げるようなもので、すくいあげた水が全て流れてしまう。我々は心配性ですからリスク管理ができます。発揚性気質の人とコンビを組めばよい仕事ができます。その他神経質性格には、優れた特徴をたくさん持っています。鋭い感受性を持っている、探究心が強い、論理的である、原因追及能力が高い、目標設定能力が高い、完全欲を持っている、粘り強い、夢や希望を持てる、好奇心が旺盛である、興味や関心の幅が大きい、こだわりが強い、人の心理が読めるなどです。唯我独尊を高めるためには、これらのプラスの特徴を活かしていくことだと思います。神経質性格はとても育み買いのある性格です。これを大いに活用していきましょう。老人ホームの慰問に行きました。その時の紙芝居に感動しました。まずこの大きさです。要所要所にギター演奏が入ります。観客にもセリフがあり、観客と一体型です。今回はカープ創設時の苦難の歴史でした。涙が出ました。紙芝居は時代遅れという気がしていましたがリニューアルして復活しています。
2026.03.22
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森田先生のお話です。僕のところでは外形を重視する。心の内には、「自分は病身である。劣等で意志薄弱である」とか、どのように思っていてもよい。心の内には、苦しみながら、ビクビクしながら、いやいやながら、どうかこうか、人並みの仕事をやっていさえすればよい。極めて簡単である。(森田全集 第5巻 561ページ)森田理論学習の要点に、「外相をととのえれば内相は自ずから熟す」というのがあります。このことを言われています。その意味は、心の中がどんなに苦しくても、そこには深入りをしない。できればそのままにして、外形を整えることに注意や意識を向ける。「やる気」になるのを待つのではなく、外側(行動や態度)をひとまず整えていく。この態度でやっていくと、不安な感情も気分本位な気持ちも、外形につられて変化し、しだいに後退していく。集談会で「靴を揃えれば心も揃う」という話を聞きました。キャッチフレーズとしてはよくできた言葉だと思います。私が大事にしている言葉の一つになりました。感謝の気持ちが湧き上がらなくても、日記に今日の感謝の言葉を最低一つ書く習慣を作り、仏壇の前でご先祖様に手を合わせていれば、それなりに感謝の気持ちが持てるようになります。さて、私は365日朝は6時20分に起きることにしています。布団をたたみ、着替えをして8時まではこのブログを書いています。もう15年くらいは実践しています。今では目覚ましが鳴る前に自然と目が覚めるようになりました。それ以前は気の向くままでした。すると一旦目が覚めたのに、そのまま二度寝をして気が付けば8時過ぎまで寝ていたということがありました。すると「しまった」と後悔するのです。また土曜、日曜日は疲れをとる必要があると思っていて、昼前まで寝ていたことがありました。朝のスタートがきちんと決まらないと、リズムに乗った生活ができなくなってしまいます。そういうときは、精神が弛緩状態になり、その間隙を縫って毎年大風邪を引いて、何日も寝込んでいました。朝の起床時間を一定にして、一日をスタートさせるというのは、森田理論の基本だと思います。これができれば、心の中がいつも雨降り状態というのは回避できると思います。森田先生は後年ダンスなどの研究をして、リズム感のある生活を勧めておられました。外相を整えるためには、まずは規則正しい生活習慣を作る。その中でも起床時間を一定に保つことが要になると考えております。私の愛車です。毎日通勤で往復18キロ走行しています。エンジン音が心地よく、毎日の楽しみの一つです。125ccなので60キロ走行可能です。二段階右折もありません。転倒しないように注意し、完全防護用品を身につけています。以前は原付でしたが、田舎への往復が45分ほど短くなりました。
2026.03.21
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森田先生のお話です。死は恐ろしい。恐れまいとしても、無理である。得がたい欲望は、あきらめられない。諦められるものは、欲望ではない。死の恐れになりきるとき、そこに生死の意識を離れ、欲望そのものに乗りきるとき、そこにエジソンが生じ、ムッソリーニが現れるのである。死を恐れるのは、生きたいがためである。生きんがためにこそ、死をも忘れる。生きる欲望のないものが、どうして死を恐れたりする必要があるだろうか。(現代に生きる森田正馬のことばⅡ 生活の発見会編 白揚社 58ページ)ここでいわれている死は2つある。肉体的な死と社会的な死である。夜中にふとこのまま心臓発作で死ぬようなことになったらと考えただけでいても立ってもおられない気持ちになる。そんなとき、先日健康診断で心臓のエコーの検査をしているから、そんなことにはならないだろうと思うことにしているが、それでも気持ち的には怖い。社会的な死は、野生の肉食獣がうろうろとしているようなところで、自分一人で生きていくことを考えてみると分かりやすい。人間は熊のような肉食獣に襲われたらひとたまりもない。アフリカのサバンナでは、その日のうちに肉食獣に襲われて命絶えてしまう。人間がそんな過酷な環境の中で生きていけるは、人間同士がお互いに助け合って、自然の脅威と戦ってきたからである。一人では生きていけなくても、人間同士が束になってかかれば安全・安心に生きていける。ですから、もし社会から受け入れてもらえず、排除されるようなことは避けなければいけない。裏を返せば、人間には健康で長生きをしたいという欲望がある。社会の中で仲間外れにされることなく、他の人に支えてもらいたい、受け入れてもらいたいという強い欲望がある。その目的を達成するためには、決して自分勝手な行動は許されないのである。2つの欲望を達成しようと思っても、行手を阻む様々な障害物が待ち構えている。ここで森田先生が言いたいことは、これらの障害物を取り除こうとしているうちに、本来の欲望を忘れてしまうことである。これは森田でいう「手段の自己目的化」のことです。目的のすり替えが起きてしまうことです。初心忘るべからず。本来持っていた課題、目標、目的、夢などをど忘れして、当面の障害物を絶対で唯一の目標にすり替えてしまうことはあってはならないことです。そのためには、定期的な目標や目的の確認作業が必要になります。短期目標としてその日の目標・一週間の目標、中期目標として1年間の目標、長期目標として生涯目標の設定と定期的なメンテナンス作業を怠ると、根無草のようなその場しのぎの生活に甘んじてしまうことになります。
2026.03.20
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森田先生のお話です。我々は、人と交際する時に、性格が違おうがなんであろうが、自分の直接の感じのままに、好きは好き、面憎いは面憎いで、そのままに交際していけばよい。嫌いだからといって、必ずしも、「私はあなたが面憎いから、お断りしておきます」とか、いちいち挨拶をする必要もない。当たらず触らず、会釈笑いでもしていればよい。この会釈笑いというというものは、我々の人に対する社交的な自然な反応であって、自分の心に不快があっても、人に対応すれば、これを隠そうとして、かえって著明に現われることがあるということは、誰でも自覚しうることである。その自然のままでよいのである。それで、面憎いままに、じっと自分の心を持ちこたえていることを、私は「自然の感じのままに服従する」と称します。しかし相手は、同級生であるから、挨拶くらいはしておいた方がよかろうと考えて、お世辞の一つもいうのを、私は「境遇に柔順」と称するのであります。たったそれだけでよろしい。この際に、自分は「人を憎んではならない」「人は愛であれ」「敵を愛せよ」とか、いろいろな教訓を引き合いに出して、われとわが心をため直そうと反抗するのを、私は「自然の感情に服従しない」と称する。これと同時に、自分は、あの憎らしいのが、不愉快だから、彼に会うところへは行かないとか、話しかけられても、対応もしないとかいえば、それはわがままであり、「境遇に柔順でない」と称するのである。(森田全集 第5巻 568ページ)嫌いな人と付き合うコツは嫌な感情をやりくりしないことだと言われています。いやだという感情のままに付き合えばよい。そんな心がけではダメだと、自分を叱咤激励して無理に親しくつき合おうとすれば苦しくなる。森田理論の不即不離を応用して、つきず離れずの人間関係で十分と言うことになります。森田先生はあの人は嫌いだという気持ちは主観的事実だと言われています。これを前面に押し出せば人間関係はすぐに破綻します。それは飛行機の片方のエンジンが故障して片肺飛行しているようなものです。とても危険です。そんな飛行機に乗っている乗客は生きた心地はしないでしょう。主観的事実に対して、客観的事実というものがあります。相手や周囲の状況を観察して、その場の雰囲気を壊さないように注意しながら行動することです。つまり主観的事実はあるにはあるが、行動するにあたっては客観的事実に重きを置いて行動するということです。これだと周囲と調和することができるので万事うまくいきます。
2026.03.19
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