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仕事から帰ると、末っ子がNetflixで「海獣の子供」を見ていた。携帯をいじりながら見ていたので、真剣に見ているわけではなさそうだ。興味がなかったので寝室でしばらく休み、リビングに戻ると話は終盤にさしかかっていた。末っ子は相変わらず、携帯をいじりながら「そんなわけあるかーい」とTVに向かって呟いている。そして、自分の部屋へ行ってしまった。面白くなかったのかな〰️とチラッとTVを見ると宇宙についての描写のシーンだった。ドバっと涙が出た。私と同じ体感の人が、粒子の粒の体感の人がこの世に存在しているんだ!!と嬉しくなったのだ。人が亡くなるということは大地や海や空に溶けてたゆたうということ今生きている人間も自然と繋がりたゆたう部分がある私は大気にとけて木々とたゆたう全てはひとつ全身で感じきった肉体にとどまっている状態でこの感覚を味わうのは初めてかもしれない。部屋には、やっぱり私ひとり笑「たゆたう」という言葉を使うことなどないのにそう書けと心が叫ぶ。海獣の子供、最初から見るかな?とも思ったけれど、必要な部分はそこだけなのだと心が言うのでやめにした。作品を見た感想でもなんでもなく、いつもの通り私の体感の話です笑お付き合いいただき、ありがとうございました😊
2023.10.28
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この苦しみが、誰かの役に立つのなら誰かの希望の光になるのなら犠牲になっても構わないそういう愛の表現の仕方も、ある。子供のために家族のために周りの人のために社会のために自分自身に我慢をさせたり、不本意なことを引き受けたりすることは誰にでもある。私は、そのエネルギーが苦手だ。相手のことを純粋に思い、始めたことであっても自分自身に負荷がかかったり、望み通りの結果にならず、心のバランスが偏るとそのエネルギーは、攻撃や憎しみに変わる。頭と心では、相手のことを純粋に思って始めたことだと感じているかもしれないけれど。。見えない世界では、人のためにやっていることなど、なにひとつない。私のためにありがとう家族のためにありがとうみんなのためにありがとうあなたのおかけで、幸せですそんな周りからの言葉達が、犠牲的に傾いている状態を支えるのかもしれない。なんで自分ばっかり、こんな思いをするんだろうせめて、感謝して欲しい!誰かの役に立っていたいと思っている状態の時既に自分の力だけでは元の場所(フラットな状態)に戻ることが難しいのだと分かった。そんな時に、必要なのが「救い」なのだなぁ。私の人生は思い通りではなかったけれどせめて子供だけは、家族だけは、思い通りの人生をと思いながら生きてきた人達にとって、「あなたのおかげで、私は幸せです」という言葉は「救い」なのだなぁ。私は、過去世でひとりだけ生き残るという体験を何度かしている。その度に、味わう絶望と悲しみ。そして、罪悪感。犠牲の上に生かされる自分のいのちと向き合い続けている。いのちの重さは同じなのにそんな思いが私の根底にながれているので、犠牲的なエネルギーが苦手なのかもしれない。どうか、犠牲的に傾きすぎないで欲しい。あなたが誰かを大切に思うようにあなたも大切に思われている犠牲の上に成り立つ幸せなど、愛の世界には、ない。どうぞ健やかに🌳
2023.10.10
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ソロ活動10週年を迎えたNissyが、現在ライブビューイング&握手会を行っている。(ファンクラブ会員限定)もちろん、参加してきた⸜(*ˊᗜˋ*)⸝以下、ただの私の見え方感想です。6大ドームツアーをやってのける彼が、なぜ今更握手会なのか?こんなにも応援してくれるファンは、一体どんな人達なのか知りたいという気持ちと、ひとりひとりに感謝の気持ちを届けたいという思いで始めたと説明はしてくれたのだけれど。。。毎公演2000人と握手をし、(1日2公演)最終的には13万人とすることになる。もう、尊敬しかない。彼は「菩薩」なのだなぁと握手をして感じた。見えない世界では、今回ファンひとりひとりの「鏡」の役割を彼は担っている。勇気がテーマの人には、その人の中にある勇気を照らし希望がテーマの人は、希望を照らし愛がテーマの人には、愛を照らし救いがテーマの人には、救いを照らしているその人に今必要なものを、Nissyが照らしているのだ。その上握手までしてくれる。ファンの私たちが、輝かないはずがない。きっと、これからもっと大きな光が彼に集まりますます素敵な空間(ライブ)を作り出してくれるのだろうなぁと思う。彼自身が眩しい光であるように私たちも光を持っているお互いに照らし合い、大きな愛の中で生きている。素敵なイベントをありがとうございました😊
2023.10.10
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コールセンターの仕事を辞めたばかりの頃に書いた文章が出てきた(*ˊ˘ˋ*)今は、この時とは違う視点で世界を眺めているけれど、書かなきゃ!と思いたったので書きます笑.................................私は、タイムマシーンに乗って過去と未来を行き来している。身近な人が幸運に恵まれた時、一瞬で未来へ行く。周りの人の幸運は、「次はあなたの番ですよ」というお知らせだと勝手に思い込んでいるからだ。そうすることで、「未来で幸運を受け取っている私」と「いま、幸運を受け取っている人」は同じ時間軸で、お互いに近い感情を分かち合える。分かち合うことで、喜びは2倍にも3倍にもなる。無意識に過去へ行っていることもある。何かのきっかけで、過去の感情が蘇り、うっかり味わってしまう。まだ向き合う準備ができていないと感じる時は、すぐに現実世界へ戻ってきて、私だけのために紅茶をいれる。五感を研ぎ澄ませて「いま」「この瞬間」を感じることだけに全集中する。美味しい紅茶とシフォンケーキの組み合わせは、すぐに私を現実世界へ連れ戻してくれる。そんな風にタイムトラベルを繰り返し自分の様々な感情と折り合いをつけてきた。しかし、タイムマシーンに乗れずひたすら現実と向き合い続け、感情を閉じ込めていた時期が私にもあった。双子を含む4人の子供がいる。双子出産の翌年、末っ子が生まれた。長女はその時4歳。まとめて取れる睡眠時間は1時間未満、気がつけば意識が飛んでいるという時期が1年ほど続いた。今、この瞬間をどうやって乗り切るか、今日一日をどうやってやり過ごすかに全神経を使っていた。予想もつかない事が育児にも起こる。ひとつ狂うと全てが狂い、目の前の出来事を後手に回りながら対処していくしかない。毎日がその繰り返しだった。末っ子が3歳になるまでの記憶があまりない。目の前の出来事の対処に追われ、自分自身の感情に反応する暇はなかった。感情など、心の中から消えて無くなればいいと思っていた。目の前の出来事に素早く対処するためには、感情が邪魔だったのだ。睡眠を必要とせず、24時間体だけが正確に動き続けるロボットになれたらいいのにとその時は本気で思っていた。毎晩寝る前に眠りについたまま死ねればいいのにと思っていたし目覚めた時には絶望し、仕方ないと諦めてその日一日乗り切る覚悟を決めていた。目の前の出来事とひたすら向き合う時期は、それだけ懸命に生きている証だと思う。しかし、心を閉ざして必死にこなすだけの日々はぼんやりとしたモノクロの記憶としてしか残らなかった。子供達が小学生になった頃モノクロの記憶へタイムトラベルを始めた。行くたびに、当時は気がつけなかったことを体験して帰ってくる。最初は、感情を探すことが目的だった。辛かったこと、我慢していたこと、楽しかったこと、色々な感情を沢山実感した。どんな感情も大切に抱きしめて、否定せず何度も何度も自分自身を慰めた。そんなことを繰り返すうちに、不思議と心が落ち着き少しずつ他の記憶も蘇ってきた。「お母さん、あと3年したら絶対に楽になるから! 毎日ギリギリまで保育園に預けていいのよ」そう声をかけてくれていた保育園の園長先生。総合病院の待合室で、末っ子をおんぶし、ぐずる双子をあやしていると「今、すごく大変でしょう? 僕は母にとても感謝しています。 双子の繋がりはとても特別で大切なものなんです。 本当に 双子で良かった。 あなたにも、それを伝えたくて」そう声をかけてくれた双子の男性。保育園のお迎えの時4人を帰る気にさせ、車に乗せるという作業に1時間かかっていた時期に、「マイニチ、タノシソウネ!」と会うだびに声をかけてくる外国の方に、こっちは必死なのに!となんだかモヤモヤしていると「子供達が毎日楽しそうってことでしょ! いいことじゃない!」と気づかせてくれた友人。他にも、手伝えることはないか?と声をかけてくださった方々の顔を思い出した。自分が思っているよりずっと、たくさんの人達に見守られ、助けられていたことに気がついた。たくさんの愛情を受け取っていたのだ。それに気がついいた途端に、モノクロだった3年間が色鮮やかに蘇っていった。私に向けられる愛情に気がつくたび、心が震え涙を流した。まるで、モノクロの過去に光が降り注ぐような感覚だった。辛く苦しい日々も、私の周りには愛しかなかったのだ。私のモノクロ記憶が、色鮮やかな過去に変化したからなのか今の私の周りも愛であふれていることに気がつく。過去が変化するたびに、今の私も変化し、未来さえも変えて行くのかもしれない。これからも、私はこの過去へ何度も行くはずだ。新たな視点で見る景色は、素敵な発見の連続に違いない。辛く悲しいことを発見したとしても、より良い未来に繋がる変化をもたらす宝物であるはずだ。この先、モノクロの記憶を作らないためにきちんと「いま」を感じながら、感情に寄り添いながら周りに頼りながら生きていこうと思う。私はこれからもタイムトラベルを繰り返し無数の過去と未来を目の前に作り続けて行くのだと思う。毎朝私は生まれ変わり、今日もただ目の前にある愛に包まれている。
2023.10.09
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奇跡のような時間に、招待されることがある。(みんな経験したことのある状況を、私はどう感じるかの話です笑)アイロンをかけている最中に、心が「買い物行くの、今だよ!」と教えてくれる。私の思考が「アイロン終わってから買い物だよね。ちゃんとひとつずつ 順番に!」と諭す。これが仕事中だったり、誰かと一緒にいる時ならもちろん思考の意見を採用するのだけれど。ひとりの時は、心の声を採用する。アイロンを途中でやめて、買い物へ出かけるのだ。アイロンの電源が切れたことを念入りに確認だけして笑そうすると、奇跡のような時間に招待される。夕陽になる前の太陽の角度のせいなのか、公園の植物達が一斉に黄金に輝く景色に遭遇したり(風の谷のナウシカのように黄金の絨毯を歩いている気分だった)ある時は、応援するように揺れながらエネルギーを送ってくれるように感じたり木々達が、葉っぱをひらひらと落とす時自分の一生をダンスで表現するように美しく舞っていたりそんな時間に立ち会わせてもらえる。私の喜びそうなことが起こるタイミングを、心はよく知っているのだ☺️奇跡のような時間は、おそらく一瞬(長くても3分ぐらい?)のはずなのだけれど。その間、私以外にひとはいない笑体感は10分ぐらいなのだけれど、時計を見ると平均1分くらいだ。誰にでも起こっている出来事を、時間の感覚が薄れている私は10分くらいに感じるのだろうなぁと思っている。心には時間軸がないから、いつでも好きな時代に飛べる。タイムマシーンに乗っている気分だ。ハワイ島に繋がったり、レムリアに繋がったりするのは心を使って移動しているのだなぁと今閃いた。今、ここにある全てのものへ感謝✨✨
2023.10.01
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