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バリ島へ行くことにした!とお友達に伝えると、「食べて、祈って、恋をして」の映画みたいと言われた。10年くらい前の映画らしい。YouTubeで短い予告を見ただけで、ドバっと涙が溢れた。映画の内容に、感動すると言うよりはこれだ!という心の叫びみたいなものだと思う。「私の楽しい!は、これからもどんどん更新されるし、もっともっと感覚を開いていいんだ!」と瞬間的に思った。頭では、制限しているつもりは全くなかったけれど、これ以上感覚を開いては、私の周りの世界との調和を崩すと思っていたことに気がついた。大半のメッセージを予告動画で受け取ったけれど、ちゃんと本編も見ることにした😊ジュリア・ロバーツが、とてもキュートだった。そして、最後の最後にバリ島のおじいさんが「愛のために調和を失うことは、調和のある生き方の一部なんだよ」と語るシーンがあった。それを聞いて、調和を崩すように見える私の言動の全ては、調和のある生き方の一部だったのだと心が納得した。途端に、安心して心が緩んだ。そして、私の子供心(純粋に制限なく楽しめる)が顔を出した。バリ島へ行く準備が整ったのだと思った。多分、私は、感性や感覚を開く旅に出るのだと思う。それを無意識に感じている私の講座の参加者から「akariさん、バリ島からZoomでお話して下さい」と言われた。みんなで見守ってくれるんだなぁ。幸せだなぁ。みんな一緒にが今世のテーマ。今、密に関わってくれている人達との関係を中心に大切に大切に育んでいこうと思う。
2025.04.30
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久しぶりに、お友達とのコラボセッションをした。来てくださった方のテーマは「罪悪感」セッションを終え、お友達とランチを楽しんでいると不意に前世での「罪悪感」について話をする流れになった。前世の記憶は、集合意識だと思っているので私だけの意識ではないと個人的には思っているがその時の感情の記憶が私にはある。私を生かすために、周りの人達全員が亡くなったりひとりだけ置いていかれて、結局私だけが助かることになったり、人間でない時は、火山が噴火する流れとなり多くの人たちの命を奪うことになってしまったり。。。私だけが生かされているという感情の記憶が複数ある。これまで、ありがたいことにセッションを通して様々な人達と出会ってきた。その度に、ひとりだけ生かされることに対する罪悪感は薄れ、癒されてきた。「罪悪感」とは、自分がどれだけその人のことを愛しているのかという心の深さをはかる物差しのような気がしている。魂的には、「愛の深さ」を体験したいから発生しているものなのだなぁと感じる。「罪悪感」が生まれたら、その人に向けて大好きだよ!と直接伝えればいいのだと閃いた時から大好きを伝えるメッセンジャーとして活動している。相手が望む通りの現実を作れない、期待に添えない時、罪悪感が生まれるとしたら。。あなたのことが大好きだと気持ちを伝えればいいのかもしれない。今回、再確認したのは「罪悪感」が湧いたら自分自身がその人を深く愛している証拠相手の愛を深く感じている証拠ただそれだけなのだなぁということ。「罪悪感」もちゃんと愛のために働いている、大切なもの😊生まれたら、あなたらしく表現すればいい😊表現した先にある、誰かの反応も含めて自分らしく生きるきっかけになると私は信じている。
2025.04.28
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