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「お母さん、膝の靭帯を損傷したかもしれん」先週、娘から突然LINEが入った。「友達が車で病院へ連れてってくれるから大丈夫☺️結果だけ報告するね。多分、そんなに酷くなさそうだし自宅療養でも困ることないよ」そんなふうに、娘は言った。ちょうどその時期、占いのイベントや、義母の病院、買い物の付き添い等で予定がぎっしりだった。少し様子をみて、静岡へ行こうと思っていた。やっと予定が空いた日、娘から連絡があったが状況が全く進展していなかった。合計3つの病院を渡り歩く事になり、夜間の救急外来で言われていた、MRIの検査をまだ受けられていなかった。今、行こう。そう思いたって夕方出発した。夜、娘の部屋に着くと足の踏み場もないくらい荒れ果てていた。水回りも、ゾッとするほどだった。怪我をしてまだ1瞬間もたたない。そんな短期間でこの状況になるはずもない。部屋は、寂しさでいっぱいだった。静岡へ行って1年目は、ほとんど実家へは帰ってこなかった。ひとり暮らしを満喫しているようで、電話をかけると、いつも友達と一緒だった。2年目になると、ちょくちょく帰ってくるようになった。寂しいと言うようにもなっていた。家にいる時から、部屋は散らかしていたけれど明らかにその理由が違うように感じた。着いてすぐ、大掃除。夜なので掃除機は使えない。とりあえず、私の寝る場所の確保が必要だった。翌日、病院へ付き添い検査を終えまた掃除に取り掛かる。「娘を、これまで支えてくれてありがとう。」感謝しながら、ひとつひとつの場所に私の愛をこめながら掃除をした。娘が寂しい時に、どうかこの愛が娘に寄り添いますようにと祈りながら、丁寧に拭きあげた。「掃除、大変に見えるかもだけどお母さんは、この部屋にあなたへの愛を込めたいからやってるだけだよ。でも、話を聞いて欲しいとか、今、お母さんとしたいことが他にあるなら言ってね」そう伝えたものの、結局ひたすら掃除をした。娘は、荒れ果てた部屋の状況でも困っていることはないと言った。トイレに行くにも、沢山の障害物を松葉杖をつきながら行かなければならないというのに。ある程度、綺麗になった頃「トイレにすごく行きやすい! ○○があったら、もっと良くなりそう!」と言った。困っていることはない望んでいることもないもしかすると、そんな状態は感覚が麻痺していて、希望を抱きにくい状況であると言えるのかもしれない。キッチンで料理をしながら、ものすごく悲しい想いが私の中に入ってきた。きっと、そんな気持ちで料理をした日があったのだなと思った。そんな日の方が多かったのかもしれない。怪我をしてから、あまり眠れていなかったのか夕方頃から爆睡していた。その間に少し休んでいると、涙が流れてきた。娘の住んでいる部屋や土地に愛を込めるほど、私は娘を愛しているのだと気がついたからだ。本当は、連絡を受けた時にすぐにでも駆けつけたかった。風邪をひいている時、元気がない時、何度も何度も、この場所へ真っ先に駆けつけたかったのだ。それよりも大切な事など、私には無いのだと思い知った。駆けつける事が、心が1番求めていることなのに頭が今は、ダメだと反対する。今、できる限りの事をやるというスタンスでどうにかやり過ごしていた分、叶えられない悲しみが心に溜まっていたのだと思う。その悲しみに気がついた瞬間、全ては感謝と愛しさに変わった。娘を、こんなにも愛おしく思っていることそして、静岡へこられたこと病院へ付き添えたこと心をこめて掃除ができたこと私の想いを叶える為に協力してくれた、家族や周りの人達。想いを諦めなければ、ちゃんと叶うしなかなか叶わない時は、タイミングが違うのだなと改めて感じた。滋賀県にいるのに、(福岡よりは近い)娘のピンチに駆けつけられなかった時は2択だった。義母をとるか娘をとるかというタイミングの世界観だった。けれど、今回は、様々な事が重なり義母の事と、私の事、娘の事のタイミングが微妙にズレて(重なっているように見えるけれど)全ての経験をすることができた。どちらかを選ぶという世界から全部選べるし、体験出来るという世界へ変化したのかもしれない。(諦める必要など、本来無いのだと体感した)私は、介護も、好きな仕事も、家族の事も全部楽しむ!をあきらめたくないんだなぁ笑それぞれ、違う形の愛の経験ができて胸がいっぱいになる。ついつい、ひとつに没頭しすぎて他の事を疎かにしがちになるけれど笑その度に、気がついて、やり直してバランスをとりながら、楽しむ感覚をより磨いていきたいと思う☺️最後まで読んで下さり、ありがとうございました😊
2025.03.28
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我慢しなきゃという思いでこれまで生きていた義母。自分にとっての1番を選ばずに、周りの意見を尊重し様々な選択をしてきた。悲しみは、塵のように少しずつ積もっていく。そして、長い年月をかけ、やがて怒りとなった。いつも、周りの事を考えて自分自身の1番やりたいこと、叶えたいことを閉じ込めてきたんだから、これくらい他の人が譲ってくれてもいいでしょ!奥底には、そんな思いがあるのかもしれない。傍から見ると、すごくワガママで自己中心的に見える言動が増えていた。家族は、義母の希望を叶えようと奔走している。叶えても、叶えても、出てくるのは不満。もっと!もっと!もっと!義母は、これまでのクセで1番叶えたいことを家族に言わない選択をしていた。悲劇のヒロインという立ち位置を変えるつもりはなく、周りが疲弊していく。無事に施設へ入居したが、「半年間は会いに来ないでほしい」と思ってもないことを言ったりしていた。数日後、会いに行ったけれど、悲劇のヒロインぶりは強まっており少しの間、距離が必要だと感じた。義母が失明する前、近くのホールで行われる朗読&演奏会のイベントを予約していた。私は全く興味はなかったのだが、予約して!と心が叫ぶので予約しておいた。義母が入院した頃、あのチケットは、義母へもので、ピン留めした未来への贈り物だと直感的に思った。けれど、今の状態では行かないと思うしどうやってピン留めした未来へ到達するのだろう?それとも、別の未来へ到達するのだろうか。。義母と距離が必要だと感じた日に、チケットの事と、心から会いに行きたいと思えるまで、会いに行かないと旦那に伝えた。たぶん、その未来にはお袋は行けないわ。変わるはずがないと言った。エネルギーは繋がっているから、私達が、楽しんで、楽しみまくって過ごしていたら相手を引き上げて、1日で変わるということもある。私は、最後まで信じてるねと声をかけた。結局、足りないものを補充してほしいと 電話があるまでの1週間、 施設には誰も行かなかった。その間、自分たちの回復に務めた。自然に触れたり、心の底から笑ったりいつもの私達家族の在り方を取戻すかのように、全ての時間を楽しみの為に使った。1週間ぶりに施設に行った旦那は、義母とやっとちゃんと話かできたと言った。いままで、自分の人生なのに選択を全てひとに任せてきた。私が選ばないといけないのに、ずっとそうしてきた。でも、これからは自分でちゃんと選びたい。だから、この施設を出てひとりで暮らしてみたい。この施設で20年生きるよりも、ひとり暮しをして半年で命が尽きたとしてもそれでもいい。私は、楽しみたい!助けをたくさん借りて、そうしたい。そして、朗読会&演奏会の話をすると是非行きたい!と言ったのだそうだ。嘘みたいだ!本当にびっくりした!1週間、ただ自分を癒し、楽しんでいただけなのにと旦那はとても喜んでいた。入ったばかりの民間の施設を、おそらく出ることになる。様々な手続きや相談へまた出向くことになる。けれど、私達の心はとても軽い。1番の望みを叶えて生きていくと決意をした義母と動くことは、楽しいに違いない。現実的には、またバタバタしそうだなー笑私自身の1番を叶えながら、義母や家族の1番を叶えていく。それが、私の好みだから☺️最後までお読みいただきありがとうございます😊支えて下さる全ての方へ感謝✨️✨️
2025.03.08
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