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「また会う日までまた会う日までかみのまもり汝が身を離れざれ」最後の更新になります。卒業式の日に歌った(当然だけど俺は歌わない)あの美しい讃美歌405番の旋律が脳内再生されまくってる。大嫌いだった讃美歌だけど、いまはなぜだかイヤホンで聞きたい気分。少しは俺も素直になったのかな。これからはmixiで自分を演じつつ。ここに書いてきたような思想の鬱積の暴露なんていうものも行うことはせず「青春」という、本心では嫌悪しているもの、を演じていこうと思う。一体こういったこれからの行動は俺の思想にどう影響を及ぼすのかはわからない。とにかく手探り。だってまだ過渡期にいるんだから。善悪の彼岸には立たないで、俗人としてのレールに乗っかりつつ大学を暮らしていくっていうスタイルを試してみようと思う。名前は「stray_lamb」だから、是非アクセスしてみて「普通な俺」を嘲笑ってくれ。それじゃあねばいちゃ。最後のログアウト。
2009年04月07日
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大学という最高な環境があって、その環境に進みながらもこんな日記を惰性で書き続けたら、なにか不幸になってしまう気がして。それで閉鎖を決めた。車輪の下とか若きウェルテルの悩みのような感覚って、大学生になってまでやっていたら痛いよなって思えてたしやっぱり、悩むのは高校生までだよなって。けれども最近、絶対的確信に満ちた結論が俺を支配してくる。俺が絶望していたのは高校にじゃない、人間になんだって。どこにいこうがこの絶望は付き纏うんだよなって。だから大学が楽しいはずはないじゃないかって。俺は人間が嫌で、というよりは怖くて、仕方がない。人に置いていかれるのが怖くて、ただ作り笑いだけが完璧に近づいていくけれども、結局俺はなにをしたいんだよ。いくら飲もうが哲学がわかるやつらと語り合おうが、なにが望みかって聞かれたら、俺は口ごもる。恐怖に支配されているとでも言おうか。ライブに行っては人間に怯えて、けれども行くを決めたときにはきっちりと、自分の意志によって国分寺に向かっていて快く引き受けたウガンダからの留学生も、北野からの帰路にあっては恐怖の対象でしかなくなってしまって、俺はもう、自分の中での矛盾によってどんどん絶望を深めてしまっているでしかないっていう結論になってしまう。まいったよ。やっぱり限界だもう。もう参りました。俺はもう疲れたよ。なにがなんだかわけがわからない。
2009年03月27日
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俺はいま過渡期にいる。 気が抜けた様になにも考えられなくなってしまったし、人からすれば、名実共に完全な俗人に見えることだろう。 じゃあ俺はどうすればいいのかって。 全くわからない。 以前のように悩むことが正しいのか いまのような、ファッションや友達作りに主軸を向ける俗人のまま突っ走っていってもそれでいいのか。 昔の俺の言葉を借りれば 答えとしては「レットイットビー」 なんだろう。 正しいなんてない、正解なんてない。 そんな浅はかに聞こえる言葉にだって、当時の教訓からして賛同をしないとならないはずだ。 けれども不安なんだ。 俗世間の上空に立って、人間というものを俺独自の視点から痛烈に見通していたあの頃の俺の方がよかった気がしてしまうから。 一瞬、昔に比べたら微量すぎるとはいえあのエネルギーが沸いて来ることがある。 けれどもそれは、偶発的に発生するある一つの事象に対してわずかながら共鳴した感情発露にすぎなくて、朝起きてから夜眠るまで360度世の中や人間に睨みを利かせていたあの頃とは比べものにならないほどのクオリティの低さだ。 だから俺は、不安だ。 人間についてまともに考えることもできない自分でいいのか、って。
2009年03月25日
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俺の日記の価値がわかるやつ、何人が読んでるんだろう。って書くとナルシストっぽいけれども、実際はどうなんだ、俺の言いたいことは結局伝わってきたのか。「アホ」なやつが賛同も批判もせずぽーっと眺めてくれたところで俺は少しもうれしくないっていうか書く気力がどんどん失せていくだけ。とりあえず閉鎖します。3月31日に。なんで高校生が終わる3月31日にこれを閉じるのかがわかるかい。俺はこの日記を通して「全力に思春期真っ只中の高校生」をやってきたんだ。高校生が哲学をやって、高校生が人間関係に悩む。この面白さがわかる人にだけ、俺はわかってもらいたかった。卒業文集のテーマじゃあないけど、なかなか「出会い」なんていうものはないもんなんだな残念ながら。大学に行ったら。この俺に賛同し、そして反抗をし批判をする。そんなやつをもっといっぱい、見つけていこうと思う。ばいちゃ。
2009年03月08日
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哲学→根暗、オタク、引きこもり、キモい みたいなあまりにも読書理解のない頭の悪い構図が世の中に作り出されているよね。 本を読まない人間がよくこの有名な言葉を安易に引用するのをよく聞く。 「書を捨てよ、街へ出よ。」 誰だったっけかな。 どっかの小説家がこれを書いてた記憶があるけどさ。 そもそも「オタク」や「引きこもり」に哲学はわからないし、アキバに売ってそうな小説を除けば、ヘッセを借りようがキルケゴールに挑戦しようが書物に関して全く理解が出来ないと思う。 だってそうだろ。 哲学っていうのは、人間の活発な活動の中での「挫折」がエネルギーに転化されたものなんだから、家にこもっていて人と関わらないならば、哲学の言わんとすることに「実感」なんて沸くはずがない。 だから、彼らのイメージする人と交流出来ない、あるいは(病的に)引きこもっている人間には哲学はわからないはずだ。 今から2500年も前、哲学者は庶民から馬鹿にされていたという。 タレスという哲学者が 星を観察しながら歩く途中に井戸に落ちるのを見て 「哲学者は星を見はしても自分の足元はわからないのか」 そう馬鹿にされたらしい。 当時の哲学者といえば、意味のないことを延々と考え続けるくせに身の回りはなんにもできない。頭は浮浪者ヒゲは伸び放題、みたいな「キチガイ」に近かったという。 哲学の内容も、この林檎は本当に赤いのだろうか、みたいな実態とは少し離れた「無意味な」内容ばっかりだった。 けれども、近代になるとその「肝心の地面を見ずに空を眺めて歩く」と馬鹿にされた哲学の状況は変わってくる。 世に有名な「実存主義」が流行ったからだ。 ニーチェ バタイユ キルケゴール ハイデッガー ヤスパース サルトル がそれだ 彼らは哲学者だけれども、全員、人間通だ。 「死に至る病」を書いたキルケゴールなんかは特にそう。 あれほどの「絶望」は、引きこもりには絶対出来ない。 多く人と関わり、中二病を経験し、自分をアピールして、人間関係に挫折をする。それでもまだ足りない。 とにかく彼は、人と関わりまくり、そこらへんの「人間」について唄うミュージシャンなんかには比べものにならないほどのあの「超傑作」を生み出した。 新宿の啓文堂の哲学コーナーにいるおじさんや学生たちを見てみるんだ。 隣にある「オカルト・心霊」「新興宗教・予言」コーナーにいる人たちなんかよりも、一癖も二癖もありそうでまともな目つきをした人ばっかりだぞ。 哲学は、「街に出よ」を実践する人間じゃないと読むことはできない。 街に出ない人間が正しいのか正しくないのかはわからないけれども、とにかく「実感」 これが不足しているから、彼らに哲学なんてわからないと思うよ。 無学丸出しの偏見で「えー哲学読んでるの~根暗~」とか言うのはやめようね。 …以上無学丸出しの中二病哲学者から無学丸出しの偏見型思考者へのメッセージでした☆
2009年02月19日
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最近3年ぶりに「楽しい」。 なぜか。 学校へ行かず地元で遊んでいるから。 当然この「楽しい」には非常に大きな絶望が含まれてはいる。 無意識的には「絶望」と真っ向から向き合わずに回避し、絶望から目を遠ざけているというのは自覚している。 典型的な、キルケゴールが「気付けよ」と急かしていた対象だ。 けれどもだよ。 目を遠ざけ、絶望を一時的かはしらん封じ込めることができるということは、俺は俗世間一般で言うところでは「絶望をしていない」 ということになる。 俺はここをも求めていたんだと思う。 最大の目標は迫りくる「絶望」を全て打ち消すことだ。 これは一生涯かかってやっと達成されるものなのかもしれない。 けれども1番手軽なところに、とりあえずは絶望を覆い隠したいという願望もあった。 これは達成されている。 …というわけで…俺のキルケゴールエリアを侵害するようなあいつらは今後北野には絶対入れねえぜっ☆笑
2009年02月15日
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オッサンオバサンのご機嫌を取ってなにが楽しい。 あまりに狭すぎる、多様な価値観を認めずにすぐ人を軽蔑する彼らに気に入られることのなにがいいんだ。 ジジイババアの狭い価値観なんかはご機嫌を取るには値魅力のないものだってことに気付けよボクちゃん。 俺達とオッサンたちとの1番の特徴的な違い。 それは「寛容」「許容」の心があるかないかにある。これは絶対。 たいしたことのない選民思想に縛られて、1ミリでも違うタイプの人間を「あれは違う種類の人間だ」「あれは駄目な人間だ」 人間に対する深い見識や主義を持たない大人はすぐこうだ。 寛容さが全くない。 タバコを吸わない俺が、カッコつけてタバコ吸ってるやつを馬鹿にする。 ここまではいい。 けれども、そいつの人格を全否定することなんかあるかな? 否だ。 俺は彼がタバコを吸っていようが、気さえ合えばそいつのことを否定なんかせず、友達になるだろう。 周りを見回してもみんなそうだ。 そんなくだらない価値観で人を判断するやつなんてほとんどいない。 駄目だ駄目だ。 大人の機嫌ばっかり取るボクちゃんたちはわかってない。 彼らの大部分の「教え」「考え方」なんて信奉するに値しないものがかなり多めだよ、ってことを。 「別にグレてるわけじゃないんだ ただ大人たちに褒められるような馬鹿にはなりたくない」 ブルーハーツ「僕の右手」 そう言ってる俺は大人を全否定していると。 それは違う。 気さえ合えばきっとそのジジイもババアも、俺は許容する。 ただし、「馬鹿にはなりたくない」。
2009年02月14日
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これはいい本だ。 「真理追求」をする上で障害となっていた、創価学会に対する無条件の全否定、嫌悪感、偏見がかなり取れた。 中立の立場から学会とはどういう組織かが研究されていて、「うさん臭い」事件ばっかり起こす理由も一応は納得できた。(人間は、なにを考えているのかわからない対象に対して不気味を感じるものだと思う。) 会員層の変化もうまく記されているし、教義に関しても、なぜあのような新聞になってしまうのかという疑問が解消できるほどには解説が載っている。 これを読んでいる元中の学会員のみんなは不愉快に感じたかもしれない。 そこは申し訳ない。 ただし俺は、ただ否定を先行させるだけの俗人とは違って、なにが問題でありなにが正しいのか。 そういう、単純な二元論の思考ではなくて冷静にその対象を見極めたいんだ。 お前らの信仰は全く否定しないし、俺は学会員だからと人間性を軽蔑する態度は一切取らない。 ただし 創価学会だろうがキリスト教だろうが無宗教主義だろうが、俺は容赦なく考察をし、批判をする。
2009年02月11日
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ーーーーーーー 「現代の学生たちには、およそ人間性というものが感じられない。 他人(他国の戦争)に対する思いやりも感じられない。 どのような人間もそれぞれが人間としてのプライドをもっている、ということを感じるだけの想像力をもちあわせていないのである。 そもそも全共闘世代に比べれば、本気でものを考えている若者が少なくなったように感じられる。」 三田誠広「きみたちはやさしさを知らない」 ーーーーーーーーー おーおー言ってくれるじゃねえかよ全共闘クソジジイが。笑 以上が団塊世代の俺達への洞察でした。 反論するのも馬鹿らしいからもうあえてここには書かないけど、一言だけ言わせて欲しい。 思い込みの若者像を語ってで本を出版するのはやめようね、って。 「若者たちが朝シャンをするようになった背景にはいじめ問題がある。」 いや、ねえからな。笑 次は40~50才当たりのオッサンたちの若者論に耳を傾けてみよう。
2009年02月08日
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「全て“自我”といわれるものは関係性の中にのみ存在し、根源的に“自我”というものは存在しない。」 ニーチェ先輩の言うこれは、つまり「自分の主張というものは人に反発することによって生成されるもの」という意味だと解釈した。 つまり「俺の主張」というのは、偉そうに若者を語るオッサンたちにむかつくことによって生まれるというわけだ。 というわけでブックオフで買ってきましたよ三流若者論たちを。 待ってろよジジイ共。 お前らの選民思想的な本質を全く捉えていないクソ理論たちをひとつひとつ論破してやるからな。 切手も買ってきたし準備は完了だ。
2009年02月08日
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今日は北方領土の日だったか。 だから元気なのか右翼の人達は。 まああれだよね。 ロシアが悪いのか日本が悪いのかは知らないけどとりあえずライブ行ってくるわ。
2009年02月07日
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新宿でやってる右翼のアジテーションに熱心に同意しているのはみんな20代後半。 彼らは知らない。 その後ろにいる高校生に嘲笑されていることを…。 「今の左翼的教育は間違っている! 子供たちに正しい教育を与えなければならないのであぁる!!!!!!!!」 左右揃って「正しい」のは私達だ。 なんだこれは。 これだから信用出来ないんだよ。 左翼の「正しい」もお前らの「正しい」も全く信用出来ないから。 下手なアジに群がるアホ面した大学生たちを見てると、本当に勉強しないとならないなと思う。 「正しい教育」を主張する人達に動かされないためにも。
2009年02月07日
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えっなにこれ国立駅。 なんで高架上に移動してんの。 久しぶりの学校で中央線乗ったらなにこの変わり様。 せっかく趣があって好きだったのにだめじゃんかこんなことしたら。 レディオヘッドが全然合わなくなっちゃうよ国立駅に。
2009年02月06日
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人を騙すことすらできなさそうな典型的な研究者タイプで、少しも憎めないけれども、ちょっとまともな感覚とはずれている。 大学院で経済学やってますっていう、俗世間には確実に適合しないタイプの研究者の先輩と仲良くなった。 漱石の三四郎に出て来る野々宮さんみたいな人がいまどきここまでピンポイントでいるかっていうぐらいに研究者で、服にも髪にも全く気を使っている様子が見受けられない。 三鷹を歩きながら少し大きめの声で、世間的には全く役に立たなそうな知識を嬉々として俺に話してくる。 周りを見ると、残念ながらそばにいる大学生らしき女の人や会社員の兄さんが少し引いた目でこっちを一瞥して、あからさまな嘲笑をこちらに向けてくるのが見える。 ちょっと居づらい。 けれでもこの人って、人間としてはすげえ面白いんだよね。 薄っぺらに吉祥寺の店を知り尽くした内部生よりも、何倍も「おもしろ」い。 なんていうかな、 人のおもしろさっていうのは、「キャラ」とか「ギャグがウケる」みたいな型にはまったクソみたいなものなんかにはなくて、こういった真の意味での「個性」にあると思うんだよね。 一つの研究のみに没頭して、ほかの部分が全く気にならないっていうこの姿勢。 俺はこの人から少し見習うべき部分があると思った。 「オタク」、っていうと失礼かな。 「専門バカ」の方が適切か。 やっぱり、この先輩のように脇目も振らずに一つのことに突き進める「専門バカ」とか「オタク」っていうのは、究極の幸福者なんだなと思う。 面白い人だから今後も付き合わせてもらおうと思う。 研究のしすぎでちょっと変な人だけど。
2009年02月05日
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なんかもう慣れたよね。 次から次へと反省的文章が湧き出てくるっていうか。笑 明日で人生最後の反省文かな~。 また「反省」求められちゃったよ。笑 さてと制服はどこにいったっけか。 明日までに探さないと。
2009年02月05日
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なんかテレビでやってたけど。 完全に馬鹿だよね。笑 「公立に行ったら人生が終わる。偏差値の高い私立中学に入れないと勝ち組になれない。」 変なの。 世の中の頭の悪いお袋さんたちはこんな思考停止に陥っているみたいだよね。 だいたい親や教師に強要されるあるいは洗脳されてする勉強なんて、クソの役にも立たないからね。 細かいところは書かないけど、まあ、あんな「偏向教育」なんかを推し進めたところでニーチェを読む人間は生まれないだろう。 親父お袋ありがとう。 ありがたいことに俺は、両親から勉強を強要されたことはないんだ。 彼らのように塾に通わされている間に、警官に追っかけられたり空き家に忍び込んだりしていたよ俺は。 とにかく北野中を走り回ってた。 そういうしょうもないことしていたのに、一応はまともな学力を持って今俺はここにいるんだな。 まあもうちょい上の大学に行ったなら説得力は沸くんだろうけど。笑 小学校で遊んでもそのあとで取り返せますよっていう話でした。
2009年02月05日
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2009年02月03日(Tue)21時19分こんな反省文が出てきた。笑 ーーーーーーーーーーーーーー 本日私は、三限目の休み時間に職員室前にある自販機を使い500ミリリットル入りペットボトルを購入してしまいました。 昼休み以外の使用を禁ずるという札が目に入っていましたが、それを無視して自販機を使用してしまいました。 授業中に飲むわけでもなく、また正常な目的(お茶を飲むという目的のみ)で購入し、誰に迷惑をかけるわけでもありませんが申し訳ありませんでした。 また自販機を昼休み以外に使用してはならないという理由が私にはいまだよくわかりませんが、規則を破った愚かな自分を許していただけるようこの文において謝罪という形を取らせていただきたいと思います。 加えて、私が本日三限目に愚かながら購入した商品、商品名「お~いお茶」を本日昼食時までに返却していただくよう恐縮ながらお願いしたいと思います。 (中略) また、規則を破った私を発見した教諭からは、(私のやったことはお茶を購入したということだけなのですが)15分間に渡っても厳しい叱責をいただき、「社会に出てからもルールが守れない人間になる」とされている私を親切丁寧に指導してしていただき大変感謝しています。このままでは先生たちのおっしゃるように「クズ人間」のまま社会人になるところでした。 小休憩の時間帯にお茶を買うことにより将来「クズ人間」になってしまう直前であった私に対し、このような生徒愛溢れるご指導をしていただくことにより「クズ人間」ではない人間に導いていただく結果となりました。 先生の熱意溢れるご指導に大変感謝しております。 本日は「昼休み以外の購入は禁止」という非常に重たい規則を破ってしまい申し訳ありませんでした。 社会に出てからも使用を禁止されている自販機は使わないようにしたいと思います。 ーーーーーーーーーーーーーーー どんだけ元気だったんだよ俺。笑
2009年02月04日
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死ぬほど悩んで悩み抜いた先にはなにかがあると思っていた。 オッサンたちが「悩むことは人生のためになる」 とか言うのを真に受けて、俺は少し前の一時期、死ぬほど悩んだ。 けれどもどうだ。 悩んで悩み抜いたところで得るものなんてなにもなかったじゃないか。 あるのは感情の麻痺だけ。 簡単に言えば「もうどうでもいいや」 この思考だ。 たとえば周りが見る自分と本当の自分とのギャップに矛盾を感じたりしていても、何年もこれを悩めばこれが問題にすらならなくなってくる。 どんどん問題に慣れてきて、とにかく麻痺麻痺麻痺麻痺。 麻痺に麻痺を重ねて「問題意識」は0に近いところにまで減っていく。 そうして、なにも考えない「俗人」に近づいていく。 実際俺はもう限界だ。 悩むことがほとんどない。 それは悩む対象がなくなったという意味ではなくて 俺は悩む人間ではなくなってしまった。
2009年02月03日
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同じ「美メロ」でも、レディオヘッドはもうなんか全く違うよね。 これはもうそこらへんの美メロクラシックでも敵わない。 バラードが得意なjpopでも敵わない。 完全に中毒性がありますよこの世界感は。 ツェッペリンの「天国への階段」にのめり込めたりミスチルの「くるみ」をヘビーリッスンしたことのある人間なら、確実にはまるよねこれは。 あーやべえ久しぶりに聞いたら泣きそうになってきた。笑
2009年02月03日
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先輩たちから言われた。「オッサン世代は大学楽しかったとかいうけど、実際にはたいしたことないから。「満喫」してるやつなんて一部のバカだけだよ」やっぱりそうだよな・・・。世間のイメージとは全く違って、たいして楽しくもないんだろう。結局は高校とおんなじ。「高校生っていいよねー楽しそうで」何度こんなことを言われてきたか。そのたびにそうですよと答えて、なにこいつら勘違いしてんのと心の中で思って。それが大学でも続くんだろうね。「ライブに行ったり街で遊んだり楽しそうだなぁー」ばかだよね完全に。オッサンとかオバサン特有のこの思考、完全に高校生をわかってないよね。悪いけど詰まらないから。そんな「高校生っぽい行動」に意味を見出さないでほしいね。実際に俺たちにとってはこんなもの無価値でしかないんだから。大学は詰まらないさて退院しましたよ。「楽しい高校生」らしく、ちょっくらみんなと遊びに渋谷行ってくるぜ。実際には世間が抱くような「楽しさ」なんてものは存在しないけれども。
2009年02月02日
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富士山がよく見えるね。 あーもう早く退院さして
2009年02月01日
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推薦で大学行くやつは全員、高校入試の手伝いに呼ばれることになっているはずじゃない。 なんか俺だけ呼ばれないんだけど。笑 もうあいつ弾圧するとめんどくさいからとっとと卒業さして大学行かしてやれもう関わりたくない、的な態度が見えるよね。
2009年01月31日
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退院させろよくそ!!!!!!!!! 病室閉じ込められたせいでリアルに本の虫になってしまってたじゃないか
2009年01月31日
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ほんっっっとに憎たらしい野郎だな朝青龍は。 白鴎もっと頑張れよ!!!!!!
2009年01月26日
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最近ウォルトディズニー社の映画にはまってるんだけど、ディズニー映画は常にこう言っています。 「人間の幸せとは、歌を歌い森を走り、動物たちと幸せに共存し素敵な王子様と結婚することである」 これを実行するためには、まず人間がいないところにいかなくてはならないよね。 「自己との関係における絶望」に悩まされているとき、再優先課題は「自己の肯定」になってきて、俗な楽しさには体は全く反応しない。 その前の段階「他者との関係における絶望」に悩むときには、人間関係や自分の地位をなんとかしようとばっかりで、歌を歌う余裕なんて生まれない。 歌を歌い野をかけるだけで幸福を得られるためには、じゃあどうすればいいのか。 より高次の幸福を求めようとするのは、絶望をしているからだ。 すべて絶望は、「他者との関係における絶望」が引きがねだ。 つまり人と会わなければいい。 人と会わなければ傷もつかないし、物足りなさも消え去る。 そうして、野を駆けるだけで幸福を感じることができる人間になる。 ニーチェはツァラトゥストラで、森にこもる老人を軽蔑したけれども 俺はありだとおもうよ山篭もりも。 つまり人と交わりを避けるという生き方も。
2009年01月24日
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明日も五反田でバイトなので警官とぶつかることが予想されます。 とりあえず法律知識は身につけておいたぜ。 礼状なき身体検査も礼状なき持ち検も全ては違法行為。俺たちの人権を侵害するためには礼状が必要だ。 また公務執行妨害の構成要件は、「公務の執行への妨害」が必ずしも必要というわけではなく、公務執行者への「暴力行為」によってのみもこれを満たしうる。 つまりぶつかられないように気をつけないとならない。 また、執行の妨害の認定は、事後に司法が客観的に判断をする「結果論」よりはその場で執行者が事後を予想して取った判断が尊重されるのが現在の司法判断の特徴。 つまり、その場にいる威張り腐った中二病警官が「こいつは公務執行を妨害する」と判断したら彼を検挙はできるということになる。 この前の「本官に文句がある場合は挙手をしろ!!!!!!」 に反応して挙手をした場合、検挙されてもしかたがない。 …いやもういいや。 っつうかまああれだよね、クソポリスかかってこいや!!!!!!!!! ってやつ。笑 不当逮捕されるやつってたいてい法律の知識がない人らしいから俺は理屈で勝利するぜ。
2009年01月24日
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卒業礼拝に行ってきた。 「美しい」賛美歌や校歌が流れて来て、学期中と変わらない苦々しい目線をピアノに向けてやる。 卒業礼拝だからか、学院牧師とかいう学校の実情を知らない偉い人が説教をしにきて、この学校は素晴らしい君達は素晴らしいという内容で的外れな褒め方をしてくる。 入学前は俺もそう思ってたよ。 これにももう慣れた。 外から見ればいい感じの学校にうつるもんだから。 「うちの学校が自由であるのも教師のみなさんがあなたたちを信頼しているからで…」 もう自由じゃなくなったからねっていうツッコミももう誰もしない。 とにかくもう、どうでもいい。 学校を変えてやるとかこんな学校クソだとか、もうそんなのに興味はない。 もう卒業だし。 学校行くのもあと二回だけだし。 三月の卒業式で俺はなんて言ってるんだろう。 三年間なんだかんだで楽しかったよとか適当なこと言ってんのかな。 まあいいや。 今日からまた1ヶ月も休みだし。
2009年01月24日
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「どこにでもいる普通の高校生」?「ごく普通の主婦」だって? ふざけるんじゃない。 そんなのは「普通キャラ」だ。 ゛まとも"というレールに乗っかりそれを演じているだけであって、「普通」なんていうものは基本的に幻影でしかないからね。 ーーーーーー 「おかしな奴だとまともな振りしたやつらに笑われてもいいのさ」 尾崎豊より ーーーーーー 俺が変人だって?おまえらだって十分にキチガイな要素を内包してるんだよ。 勘違いするなよ。 君たちは「まとも」なふりをしてるだけなんだぞ。
2009年01月23日
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「真理」を追求するうえでタブーっていうものは取っ払わなければならないと思う。 創価学会タブーも皇室タブーも エロやグロに対する漠然としたタブーも 年寄りを批判してはならないっていう風潮も、犯罪被害者の主張がなにもかも正しいみたいな風潮もなにもかも。 とにかく全てをフラットにして考えたいと思う。
2009年01月23日
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冬と違って、夏はなにかが虚しいんだよね。 中学の頃から冬が大好きだった。 今でもほんとに夏は嫌いだ。 冬ってなんかいい。 全てのものに情緒がある気がする。 夏っぽい日差しが自転車置場を照らしてセミが鳴くみたいなあの映画っぽい光景? 俺はああいう「夏っぽさ」に空虚さを感じて、なにか哀しとさいうか虚しさを感じる。 なにか「夏」っていうものは作り上げられている気がするんだよね。 それにくらべて冬は「いま」というか「現実」が体現されている様で俺は好きだ。 「高校生の一度きりの夏」 みたいな世の中の空虚なプレッシャーみたいなものも感じるし、なにか必死にならなければならないような気がしてどうも夏は好きではない。 なんていうどうでもいいことを書きながらゴロゴロするっていう高等遊民生活最高だぜ!!!!!!
2009年01月23日
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別に映画の放送以外たいして面白い番組やってないし秋葉原で買っても八木アンテナ2000円は越えるしそもそももうすぐデジタルに移行するみたいだから買っても意味ねーし。 というわけでいらねえやテレビなんて。笑
2009年01月23日
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警察官が権力をふりかざして不当にいばりちらすっていう構図? あれって、左翼の作り出した見えない敵というか、幻影みたいなものだと思ってたよ。 「権力を振りかざす」とか「公権力の不当性」 っていう言葉って、一時代前の古めかしい左翼の連中が使う語句だと思ってた。 でも、今日はフツ~~~にむかついた。 なあにが私に逆らうのかな?私には権力があるんですよだクソポリスめ。 口で反論したら言い掛かりみたいに向こうからぶつかってきて「公務執行妨害」とか叫んできやがった。 いまどきここまで威張り散らしたやつなんて世の中に存在すらしないと思ってたよ。
2009年01月22日
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あの大久保のライブハウスのオシャレさはなんなんですか。 来てる連中だってライブを楽しみに来てるというより、ライブのオシャレさに酔いしれてかっこばっかつけては女の子を捜すみたいな都会派チャラ男ばっかりという印象を受けた。 高円寺の汚いライブハウスに集まるあの危険な人達と暴れる方が楽しいよねやっぱり。笑
2009年01月21日
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残金がないから、つまんないライブだったなとこぼしながら大久保から高田馬場までを歩く。 価値観の違いでしょっちゅう揉める彼と俺だけど、「絶望者」という点 それから、生徒総会で暴れ回ったりライブでは必ず前列で1番テンションが高いという点は俺と共通している。 その彼に聞いてみた。 「キルケゴールの絶望がわかる人間と、ただ毎日何も考えずに俗な楽しさだけを追い求める人間のどっちがいいと思う」 やっぱり前者と答えてきた。 「お前みたいに絶望したりひねくれた人間にはなりたくないという指摘をたまに受けるんだけど」 そう言ったら一刀両断された。 「お前や俺が俗人から批判されたり馬鹿にされるいわれは全くない。 現に絶望しているお前は、くだらない幸福じゃない、もっと大きなものをしっかりと求めることができているじゃないか。 逆に、お前みたいな絶望者を馬鹿にしているようなやつにはなりたくないと言ってやれ」 なかなか激しいやつだなとは思うけど、絶望という点においては、やっぱり彼は理解者だなと思った。 そのほかについては価値観が合わないから、またケンカしないとならないけど。
2009年01月21日
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「自分たちは正であり、若者たちの価値観は悪である」 お気楽なもんだぜこんなくだらねえ優越感に簡単に満たされてやがるなんて。 だいたい「社会は変わってしまった…」「若者は変わってしまった…」とかゆう大人に限って、詰まらない社会論を論じるんだよね。 掲示板とかブログとかで。 あれはなんなの一体。 若者は変わった変わったって、お前らはなにを偉そうにそんなに歎いてんの?笑 腹立つからやめてくんないかな、高校生の俺から見ても陳腐である意見を自分たちが正という前提で書き連ねるのを。 歎いたり、親が悪いゆとりが悪い学生の甘えが悪いみたいな悪玉を作り出すのもやめてくんない。 なぜそうなったのか。 なんでそういう気質になったのか。 これを考察するうえで「結論、なになにが悪い」の悪いを作り出さずに冷静な考察をしてほしい。 そういった態度を取れる彼岸にいる人が、やっぱりおもしろいよね。
2009年01月21日
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最近東京の東西南北を移動しまくってる気がする今日は新大久保でライブ明日はテレビのアンテナ買いに秋葉原あさっては小平でフットサルしあさっては学校やのあさっては吉祥寺の競技場で練習比率の問題だよねやっぱりそこは。クソジジイから絡まれるのも電車乗ること多いからだ。
2009年01月21日
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「詰まらない」 っていうやつ。 ミステリーを読んだりギャグ漫画を読んで得られる「面白さ」なんていうものは、俺にとってはなんの意味も為さない。 「楽しい」と感じても、本当に求めている「幸福」 つまりあの絶望を打ち消すためにはあんなものは全く役に立たないと感じて「俗な」ものにはあんまり興味が沸かなかった。 「いやなことがあったらおもいっきり笑おう」とか「面白い本でも読んで気分転換」 とか、そんな次元での生易しい絶望とは全然違う。 とにかくもっとこう、「心」というか「アイデンティティ」というか「足りないもの」を埋め合わすことに必死で、啓文堂の哲学コーナーをはいづりまわっていた。 昔大好きだったミステリーも「くだらない」の一言で高三のはじめに全部売ってしまった。 今の俺はどうだろう。 ミステリー小説やトーク番組を見て得られるような「楽しさ」を求めている。 つまり俗人になったんだよね。 彼岸にいたあの感覚にまったくなれない。
2009年01月19日
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なんかもう、頭脳を使っている感が全くない。 最近の俺はおバカさんだ。 悩みがないから。 学校にいて礼拝を聞くと腹が立つ。 グループに固まりたがる彼らに怠さを感じる。 人の価値観に染まりたくないと頑張る。 こういったものは俺に「主張をする」というエネルギーを与えていたと思う。 こういった「ストレス」が俺自身の主張を作り上げてきたんだなと、これはもう今になってわかった。 今俺は全く世の中が苦痛ではない。 精神が蝕まれている感覚も全くないし、ニュースを見て世の中の色々に反抗心を抱くために必要な「ストレス」も存在しない。 哲学を読んでも頭が燃えてくることもないし、宗教は偽善だと唱えるエネルギーだって沸いてこない。 ーーーーーー 「人のする主張や価値観のほとんどは、怨み、妬み(ルサンチマン)のエネルギーに基づいたものである」 ニーチェより ーーーーーー きっと俺は、学校に「揉まれる」ことによって生まれた「ルサンチマン」に衝き動かされて あれほどの主張をしていたんだと思う。 でも今俺は、平和だ。 嫌なことも何もない、内心に苦手なあいつらとは全く会う必要のない平和な日常だ。 全く苦痛がないんだよね。 熱い気持ちでニーチェだのキルケゴールを読む感覚とは全然違うよこれは。
2009年01月19日
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クラシック聞いてたのに30ぐらいのオッサンに音漏れでマジ切れされて むかっときたから恥かかせてやろうと思って言いたいことだけ言わせといて最後に 「クラシック聞いてたから音漏れはしないはずですけどね。笑」 そしたら決まりが悪くなったオッサンは今度は俺の態度が悪いとかに攻撃の方向をシフトしてきやがった。 だんだん本気でうざくなってきたから「あんたのやってることおかしいよ、ヤンキーが絡んでくるのとおんなじ。通報しちゃいますよマジで。」 そしたら「もとはといえばおまえが…」みたいなことぶつくさいいながら西国で降りていった。 俺の勝ち。笑 その間俺の隣の席の怖そうなパンクロック兄ちゃんのイヤホンからは何もなかったかのようにドラムとベースの重低音たちがもの凄い勢いで音漏れし続けていましたとさ。 つかオッサン途中でパンクロック野郎に気付いたけど兄ちゃんが怖そうだったから聞こえないふりしてたよね確実に。笑
2009年01月17日
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あの忌ま忌ましい聖書を燃やしてやろうぜって話を冗談でしていたら教師に聞こえてたらしいやべえやべえ。 リアルに停学にするぞって言われたよ。笑 四回目はもうさすがにいいよ停学は。
2009年01月17日
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いや見極めろよ。 なんのための哲学だ。 冷静に自分の感情を見極めろ。 俺は人の死を疎んでいたのか? 本当にその人に死んでほしくないのか? 人の死が尊いから、ただ倫理に基づいてのみ弔意を示す。 俺はそんな偽善者に反抗した。 けれども俺だって偽善者ではないのか。 人がバラバラになるのをこの前見た。 だから人の死に重みを感じるようになり、人の死が嫌になり、人に死んでほしくなくなった。 そんなのうそだ。 俺はただ、自分自身のため。 この自身のためのみに人に死んでほしくない。つまり、「人の死を見たくない」だけであって、その人本人と自分を全く同列に置く崇高な真の宗教家とは全く違う態度だったんだ。 きれいごとに自分を覆い隠してはだめだ。
2009年01月16日
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飛び込み自殺でまた電車が止まった。 サラリーマンはいつもの通り舌打ちをして、学生たちは「中央線はよく飛び込むな」と止まりやすい路線がどこかを言い合っている。 今までの俺だったら確実にこの反応だった。 けれども俺は、この前のバラバラの光景がまた思い浮かんで来て、騒がしい電車の中で、いつのまにか一人宗教的な気分になっている。 宗教は真理ではない。 そんな主張をまた忘れて、理屈ではない血の部分でまた、宗教的な気分になっている。 はああ…。
2009年01月16日
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平日の朝から二階のカウンター席で毎日本読んでる高校生がいたら迷わず声かけて下さいね。 その人暇で仕方なくて話し相手を募集中らしいから。笑
2009年01月16日
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http://anond.hatelabo.jp/20081130024848 尾崎豊は普遍性を持てなかったっていうこの記事。 これほんとなのかな・・・? いや、この歌詞の意味を理解することのないように、 みんな必死になって脆弱な「仲間意識」とか「俺は○○キャラ」みたいなものにすがり付いているようにしか見えないんだよね あえてキルケゴールは引用しないけど、 誰もがこの中ニ病的な要素を内包しているんだと思うよ。 「お前ネタやれよ~」 って言っている俺はお前と違って特別で、ネタなんかをやらないキャラですよと そういう風に必死になっているのが俺には手に取るようにわかるもん。 自分が特別じゃない、そう気付いたときに君達は尾崎豊の虜になりますよ。笑 みんなのもとになる価値観・・・というか仲間意識というか優越感というか そういった「基盤」のようなものがあまりに脆弱過ぎて、これは間違いなく崩壊するなと 大学行った当たりから内部生のみんなも尾崎豊もキルケゴールもわかるようになっちゃうんじゃないかなと俺は予測してるけどね。
2009年01月15日
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自分を誇れるなにかを持つこと。 自己中とかそういう話ではなくて、奥の方から自分自身を好きになること。 それが「絶望」を覆い隠してそこから目をそらす唯一の方法だと思うんだな。 っしゃあ明日はフットサルサークル大会行ってくるぜ!!!!!!
2009年01月15日
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信号が変わる直前にはもう大勢が前へ出てるし、高校生のスカート丈も東京と全然違う。 メシ屋は異常な数だしなんか堅苦しい感じがしない。 そうして極めつけはエスカレーターを左側で歩く。 こういう微妙な文化の違いって面白いよね。笑 東京より大阪の方が楽しいのかなと思ったりもした。 さて今日からまた日常に戻ります。 東京イエイv(^o^)
2009年01月14日
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ちょっと大阪行かない?って言われておうよと言えるこの暇さ。 ほんっとに暇だ。 というわけでちょっと大阪行ってくるぜ。 新宿に遊びにいく感覚で。笑
2009年01月12日
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ーーーーー フォイエルバッハ「神とは人が作り上げたものである」 ーーーーー またやられたよ哲学者に…。 こうやっていろんな哲学者に俺の「自由な思考」はどんどんと侵されていく…。 今まで自分の持っていた考え。 つまり俺が普段から言っていたあさはかな「神なんて人間が作り出したものだろ」と言って展開していく自分の考え。 これに類似する意見、しかも俺よりもはるかに深く考えられているイデーを目にするたびに、腹の底がチクチクといらついてくる。 俺の思うこと 考え 思想 行動 本を読めば読むほど全てが既存の哲学者に言われ済だということがわかる。 そうして、自分の腹の底からの自信に溢れていたその「神は人が作ったものだ」という考えは、いつのまにこのフォイエルバッハの意見の「踏襲」へと変わり「自分の意見」としての感覚がなくなっていく。 ニーチェのときもそうだった。 哲学を読まない方が俺の思想は自由でいられるかなと思うときもあるときさえある。それでもやっぱりまた読んでしまう。 なぜか。 いくら俺の言うこととバッティングしていようが、彼らはやっぱり「上」 つまり俺よりも遥かに「鋭い」存在であるから。 「上」を目指している俺は彼らを追うという形を取らざるをえないからだ。 全てが引用引用で、もう俺はなにを考えてるんだかわからなくなってくるよほんとうにもう。
2009年01月12日
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邦楽もっと頑張れ、って。チャットモンチーに群がるオタクたちとか、ゆずが好きですねとか言う笹塚らへんにいそうな女子。いや全然いいんですよ。俺もTSUTAYAで借りたりするよヒッキーとかたまにさ。笑でもね、ファンの彼らのライブでの目つきが全く「熱狂」ではないんだよね。完全にそのアーティストに没入して超リスペクトをやるっていうのをやっていない。俺は彼らを詰まらない小粒アーティストとしか思えないんだよ。世界感があってそこに没入したいと思えるほどのアーティストが全く邦楽にはいない。うるせえお前がわからないほどに俺は大塚愛の大ファンなんだよ、とか。全然「熱狂」とは違うねそんなのは。真に熱狂をする場合、そのアーティストの作り上げる世界感に没入して、完全に尊敬をしきる。そうして生き方まで真似をする。価値観もそのアーティストに近づいていくっていうもんなんだと思う。音楽性がどうとかそんな俺がすべきじゃない話は置いといたとして、全て「あ、熊木杏里っていいよね」みたいないいよねのレベルで終わってしまってどいつもこいつもつまらねえんだよ。笑マジつまらねえJPOPとか。尾崎豊を久しぶりに聞いてみてそう思った。邦楽大好きな俺なので是非もっと邦楽に頑張って頂きたい。やっぱり、何かに怒ったりある価値観に反発を抱いたりとかをした歌詞を書いてもらわないとつまらないよ。
2009年01月12日
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精神的にはあの二年に渡る絶望を完全に乗り越えたと思う。 けれども最近、まったく昔の無敵感が沸き上がらない。 文章を書いていても「感情の発露」であることには変わりないけれども、なにか昔みたいな一貫するものがない。 というかなんだ。 全体に日記だって詰まらなくなっている。 文章力だって酷い。 中三とか高一のころの日記の方がまだいい。一貫するものがある。 日常の俺だってそうだ。 ナルシシズムに言うのではなくて、冷静に昔の自分を客観視してみて、彼は何かを持っていた。 独特なもの つまり、なにか「才能」じみたものを確実に持っていたと思う。 今はどうだ。 哲学をやっている個性? いやちがうよね。 なにか光り輝く「才能」あっての読書をしているわけじゃない。 哲学をやっても俺は光り輝いていないみたいだ。 つまりいま俺は、心底な意味で「詰まらない」人間になってしまったと思う。 俺の持ち続けていた「一貫」するもの。 これをなくしてしまった。一貫して「これが俺だ」っていう特異な軸があったはずだけど、それがいつのまにかなくなっていた。 これはもうただの自虐ではなくて、冷静に自分を見た結論としてこう思える。 俺は才能をなくした。 ーーーーーー 「或る人が何であるかは、彼の才能が衰えるときに、始めて暴露される。 才能もまた一つの化粧であるのだ。 化粧は一つの隠蔽である」 ニーチェ「善悪の彼岸」 ーーーーーー 今まで俺は、「才能」に助けられてペルソナしてきた面がかなり大きい。 この化粧が剥がれ落ち切ったとき、きっと多くの人は俺を単純に「詰まらないやつ」と思っていくのだろう。 たいしたことのないやつ、オーラのないやつと認識するのだろう。 残念だけどそろそろペルソナも崩壊は近い。 もう、もはや才能がなくなった俺はここまで書くのでも精一杯だ…。 俺はどうなるんだろうか。 人からはどういう認識を持たれる人間に変わってくのだろう。
2009年01月10日
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