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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------John Hammond put a contract down in front of me--the standard one they gave to any new artist. He said, "Do you know what this is?" I looked at the top page which said, Columbia Records, and said, "Where do I sign?" Hammond showed me where and I wrote my name down with a steady hand. I trusted him. Who wouldn't? There were maybe a thousand kings in the world and he was one of them.ジョン・ハモンドは僕の前に契約書を置いた。どの新人にも渡す、標準的な契約書だった。彼は「これが何だかわかるか」と言った。最初のページを見るとコロンビア・レコードと書いてあり、僕は「どこにサインするんですか」と言った。ハモンドがその箇所を教え、僕はしっかりと自分の名前を書いた。僕は彼を信頼していた。信じない者がいるだろうか? 世界にはたぶん千人ぐらい王様がいて、彼はその中の一人なのだ。----------------------------------------------出ました。おなじみのフレーズです。本当にそう思っているのでしょう。コロンビアとの契約書にサインをすると、帰る前にディランは2枚のレコードを渡されます。ディランが興味を持つかもしれないと、ハモンドが思ったレコードで、まだ一般に売り出す前のものです。当時コロンビアは30年代から40年代の中堅レーベルを買収し、その中からレコードを再発売しようとしていました。「Brunswick, Okeh, Vocalion, ARC」という名前が挙がっています。 →Brunswick Records →Wikipedia: Okeh Records →Wikipedia: Vocalion Records →Brunswick and VocalionARCは聞いたことがあるぞと思ったのですが、1976年にできたということなので、これは違いますね。 →ARC Musicこちらのことだと思います。 →Wikipedia: American Record Corporationもらったレコードの一枚は、デルモア・ブラザーズとウェイン・レイニーが一緒にやっているものでした。ディランはラジオで聴いて好きな人たちだったと書いていますが、さっぱりわかりません。 →The Delmore Brothersウェイン・レイニーを検索すると、1960年生まれのレーサーばかりヒットしてしまいます。こちらでしょうね。 →Hillbilly-Music.com - Wayne Raney契約の時にもらったレコードの一枚は、カントリー・ミュージックだったようです。
2007.01.27
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Iceアメリカに存在する「本物の貴族」であるジョン・ハモンドは、自分の好きなものを好きなやり方で扱うことができました。----------------------------------------------Now he was bringing me to the Columbia Records label--the center of the labyrinth. The folk labels had all turned me down. That was okay now. I was glad about it. 今、彼が僕をコロンビア・レコードのレーベルに、迷宮の中心に連れて行こうとしていた。フォークのレーベルはどこも僕を断った。今はそれで良かったのだ。断られていたのが嬉しかった。----------------------------------------------なるほど。民俗学の研究対象となるような曲をレコード化しているような専門レーベルでデビューしていたら、ボブ・ディランは存在しません。人生は何が幸いするかわからないものですな。----------------------------------------------I gazed around Mr. Hammond's office and saw a picture of a friend of mine, John Hammond Jr. John, or Jeep as we knew him on MacDougal Street, was about my age, a blues guitar player and singer. ハモンド氏の事務所を見回すと、友人のジョン・ハモンドJr.が写っている写真があった。マクドゥーガル街ではジープという名で知られている、僕と同じぐらいの年齢のブルーズギター奏者兼歌手だ。----------------------------------------------マクドゥーガル街という名を以前どこかで見かけました。それは、あの「ガス灯」があるところです。 「リーダーズ英和」----------------------------------------------MacDougal Alley n. マクドゥーガル横丁 《New York 市 Manhattan の Washington Square の北にある美しい横丁; かつては厩舎や召使たちの住居があった; 1900 年代の初期, ここに女性彫刻家の Gertrude Vanderbilt Whitney がかつての馬屋でギャラリーを開き, これが Whitney 美術館の前身となった》.---------------------------------------------- →John Paul Hammond discographyディランはとても驚いたそうです。ヴァンダービルト一族の末裔で「本物の貴族」だと思っているような人物に声をかけられて、大レコード会社と契約することになったら、それが友人の父親だったんですから。もちろんこの契約に、ディランと息子が知り合いであることは関係ありません。ジュニア君自身も、父親のことはまったく言わずに活動していたそうです。誰も「ジープ」が有名なジョン・ハモンドの息子だとは知らなかったということです。本名だとばれるから、「ジープ」を名乗っていたのかもしれませんね。
2007.01.26
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------Hammond was a music man through and through. He spoke rapidly--short, cut phrases--and was edgy. He talked the same language as me, knew everything about the music he liked, all the artists he had recorded.ハモンドは徹頭徹尾音楽人だった。短い言い回しを遣い、早口で話をし、ピリピリとしていた。僕と同じような言葉を遣った。好きな音楽のこと、自分がレコーディングをした演奏家のことは何でも知っていた。----------------------------------------------こと音楽に関しては、本質的なことをズバリと話したのでしょう。本物同士の会話ですね。だらだらと何年もこんなこと書いてるようなアタシとは大違いです。"through and through"という言い回しがいいですね。首尾一貫。これもまたぐずぐずうだうだと蛇行しているアタシとは大違い。『クロニクルズ』の最初の方に、ジョン・ハモンドは本物のアメリカの貴族だといった言い回しが出てきました。その時にはてなと思ったのですが、また出てきます。ハモンドはあまりお金に関心を持っていませんでした。それは貴族だからだというのです。----------------------------------------------One of his forebears, Cornelius Vanderbilt, had stated somewhere, "Money? What do I care about money? H'ain't I got the power!" 彼の先祖の一人、コーネリアス・ヴァンダービルトがどこかでこう言ったことがある。「金? どうしてわしが金の心配などするんだ? わしにゃ権力がじゃないか!」----------------------------------------------「h'ain't」は「ain't」の古い形あるいは方言だそうなので、ちょっと大仰に訳してみました。コーネリアス・ヴァンダービルトは伝説的な人物なんですね。リーダーズ英和にも載っています。----------------------------------------------Vanderbiltヴァンダービルト 《海運・鉄道王 Cornelius Vanderbilt (1794-1877) を祖とし, その長男 William Henry によって継承された米国の財閥の家系》.----------------------------------------------そういえば、広瀬隆さんの本で読んだような気もします。泥棒貴族という言い方もできるでしょう。ディランは南北戦争時代の歴史物などが大好きなようなので、特にそのあたりには詳しいのではないでしょうか。ジョン・ハモンドは、そのヴァンダービルト一族なんですね。
2007.01.19
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------My whole life was now about to be derailed. It seemed like eons ago since I'd been in Flo Castner's brother's apartment in southeast Minneapolis listening to the Spirituals to Swing album and the Woody Guthrie songs. Now, incredulously, I was sitting in the office of the man responsible for the Spirituals to Swing album and he was signing me to Columbia Records.今や僕の人生全体がひっくりかえりそうになっていた。ミネアポリス南東部にあったフロー・キャスナーのお兄さんのアパートまで行って、『黒人霊歌からスウィングまで』というアルバムやウディ・ガスリーの歌を聴いたのは、もうずっと遠い昔のことのようだった。信じがたいことに、僕は今その『黒人霊歌からスウィングまで』を制作した人のオフィスに腰をおろしていて、そしてその人が僕にコロンビア・レコードと契約させようとしているのだ。----------------------------------------------フロー・キャスナーや、そのお兄さんのことはすっかり忘れていました。半年ほど前に読んだところです。ウディ・ガスリーを教えてくれた、大恩人みたいな兄妹でした。 →黒衣の女 CHRONICLES #393 →ジョイスの眼鏡 CHRONICLES #394 →わが心のふるさと CHRONICLES #395 →From Spirituals to Swing: Carnegie Hall Concerts, 1938-1939"From Spirituals to Swing"が正しいアルバム名のようですが、歴史的コンサート、歴史的名盤なんでしょうね。Wikipediaにも記述がありました。 →Wikipedia: From Spirituals to Swingこのアルバム、楽天市場では扱っていませんが、amazonでは3枚組の輸入盤が 7,380円(悪税込)でした。中古(マーケットプレイス)も出品されていて、こちらは 4,912円(悪税込)からありました。→From Spirituals To Swing (楽天ブログ以外では、amazonへのリンクが張ってあります)ディランはいきなり憧れの世界に入れと言われたのです。その時の驚きが伝わってきますね。
2007.01.13
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→Chapter 5: River of Iceキャロリンのアパートで大物プロデューサー、ジョン・ハモンドと会った後、ディランの周辺事情は急激に変化していきます。大津波(tidal wave)が起きたみたいだったと、ディランは書いています。このころ、ディランは「ゲルデ・フォーク・シティ(Gerde's Folk City)」に出演しました。懐かしいですね。2年ほど前にこのあたりの記述を読みました。おっと、読み方は「ガーディース」だと教えていただきましたっけ。 →CHRONICLES #67 エヴァ・ガードナー →CHRONICLES #70 カミーラのパーティ当時フォーク・シティはアメリカ随一のフォーククラブだったそうです。ディランはここに、グリーン・ブライアー・ボーイズの前座で出ます。そのコンサートの評が「ニューヨーク・タイムズ」に載りました。そこでディランが絶賛されていたのです。このロバート・シェルトン(Robert Shelton)が書いた記事は、以前調べたことがあります。 →BOB DYLAN: A DISTINCTIVE STYLIST, The New York Times, Sep 29, 1961 →今日をこえて CHRONICLES #135この記事が載ったのは、キャロリンのレコーディングの前日でした。ハモンドはレコーディングの当日、この記事を読みました。----------------------------------------------The sessions went well and as everyone was packing up and leaving, Hammond asked me to come into the control booth and told me that he'd like me to record for Columbia Records. I said that, yeah, I would like to do that. セッションはうまくいき、みんなが荷物をまとめて出て行こうとしていると、ハモンドは僕をコントロールブースに呼んで、コロンビアから僕のレコードを出したいと言った。僕は、はい、そうしたいですと言った。----------------------------------------------ただいまp.279です。
2007.01.12
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]トマス・ピンチョンの名前が出てきたので、PENGUIN CLASSICSの"GRAVITY'S RAINBOW"を取り寄せて、ぼつぼつと読んでいます。まるで手に負えないだろうと思っていたのですが、余計なことを考えずに読んでいると、楽しいです。ボブ・ディラン自伝もそうですが、変な雑音に惑わされずに直接本物に触れるというのがいいのではないかと、今更ながら思うのであります。Thomas Pynchon "GRAVITY'S RAINBOW"の扉には、確かに"For Richard Farina"と書いてありました。 →Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------Carolyn had asked me to play harmonica on some songs for her debut record on Columbia and to teach her a couple of other things that she had heard me do. I was happy to do that. キャロリンは僕に、コロンビアから出すデビュー・レコードでハモニカを演奏するように頼んでいた。それと、僕がやってるのを聴いて教えてほしいことがあると言っていた。僕はそうするのが嬉しかった。----------------------------------------------それは嬉しかったことでしょう。ディランはキャロリンが大好きだったんですから。プロデューサーのジョン・ハモンドは、録音の前にちゃんと準備をしておきたいということで、キャロリンの部屋にみんなを集めました。もちろんディランはそこで初めてハモンドと会ったのです。ディランはギターを弾き、ハモニカを吹き、キャロリンにコーラスを付けます。ディランは、ハモンドが自分に関心を持つなどとは想像もできません。----------------------------------------------I was just there for her and that was all. Before leaving he asked me if I recorded for anybody. He was the first authoritative figure who ever asked me that. He just kind of said it in passing. I shook my head, didn't hold my breath to hear him respond and he didn't and that was that.僕はただ彼女のためにそこにいたのであり、それがすべてだった。帰る前に彼が僕にどこかでレコーディングをしたかと尋ねた。僕にそんなことを尋ねた最初の権威ある人物だった。彼はただついでのことのように言った。僕は首を横に振ったが、彼の反応を期待してかたずをのむということはなかったし、彼は反応しなかった。それだけのことだった。----------------------------------------------さすが大物プロデューサーですね。さりげなくディランの才能を見抜き、他の契約がないか確認をしています。これでディランはコロンビアからデビューするこになるのでしょう。人生が大きく動く時というのは、こんなものなんでしょうね。
2007.01.05
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またずいぶん間があいてしまいましたが、このごろはわざとあけているところもあります。残りがわずかになったので、少しずつ、少しずつね。ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。こんなことを言って書き始めたのは、2004年11月4日深夜のようです。ディランさん、"VOLUME TWO"はまだかいな。 →Chapter 5: River of Iceリチャード・ファリーニャは、トマス・ピンチョンやピーター・ヤロウと仲が良かったというところまででした。とんでもない噂もある人物でしたが、彼が何者であれ、キャロリンと結婚しているなんて世界一幸運な奴だと思ったとディランは書いています。正直者ですね。その後まもなく離婚して、まだ若いバエズの妹と結婚し、そしてオートバイ事故で死んでしまうなどとは想像もできなかったことでしょう。----------------------------------------------We met over there at her apartment, me and guitarist Bruce Langhorne and stand-up bass player Bill Lee, whose four-year-old son would become the filmmaker Spike Lee. Eventually, Bruce and Bill would play on my records. They'd played with Odetta and could play everything from melodic jazz to rockin' blues. If you had them playing with you, that's pretty much all you would need to do just about anything.僕たちは彼女のアパートで出会った。僕と、ギター奏者のブルース・ラングホーンと、ウッドベース奏者のビル・リーだ。4歳だったビルの息子は、映画制作者のスパイク・リーになる。結局ブルースとビルは僕のレコードで演奏することになる。二人はオデッタのバックをやっていて、メロディアスなジャズから激しいブルーズまでなんでも演奏することができた。この二人が一緒に演奏すれば、何に関しても必要になるものはすべてちゃんと揃っていた。----------------------------------------------前出のビル・リーですね。非常に有能なスタジオ・ミュージシャンだったということでしょう。 →The Band for the first Columbia albumキャロリンのファーストアルバムのメンバーです。見れば誰でもわかりますが、左からブルース、キャロリン、ボブ・ディラン、ビルの順です。 →Bruce Langhorne discographyビル・リーの方は野球選手のサイトばかりヒットします。 →Bruce Langhorne discographyこの二人と一緒に、キャロリンのレコーディングでディランはバックを務めます。「ガス灯」にも最初はハモニカ奏者としてステージに立ってましたね。今回もハモニカ奏者ボブ・ディランです。ただいまp.278です。
2007.01.03
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→Chapter 5: River of Iceディランはキャロリンのことが大好きで子犬のように周りをうろうろしていました(ちょっと言い過ぎか)。ところが、残念なことにキャロリンは既婚者でした。夫の名前はリチャード・ファリーニャ。噂ではシエラマドレ山地でカストロと一緒にいたとか、IRA(Irish Republican Army アイルランド共和軍)と共に戦ったと言われていたと、怪しげなことが書いてあります。検索してちょっと驚きました。この話の翌年(1962年)に、ファリーニャはジョーン・バエズの妹ミミ・バエズと出会って、キャロリンと離婚します。そして1963年に、17歳だったミミと結婚したのです。ミミ&リチャード・ファリーニャとしてレコードを出しますが、リチャードは1966年、ミミが21歳を迎えた誕生日に、オートバイの事故で亡くなってしまいました。 →Wikipedia: Richard Farinaもっと驚いたのは、ファリーニャがコーネル大学でトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やピーター・ヤロウ(Peter Yarrow)と仲の良い友達だったということです。ピンチョンとPP&Mのピーターの関係も初めて知りましたが、ピンチョンのあの怪物のような作品『重力の虹(Gravity's Rainbow)』(1973年)は、このファリーニャに捧げられていたのです。あわてて本棚から『重力の虹』を発掘しました。翻訳書の方ですが、確かに目次の前の扉に書いてありました。「リチャード・ファリーニャに捧ぐ」 Gravity's Rainbow (Penguin Classics)
2006.12.27
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ずいぶん間があいてしまいました。どこまで読んだのかすっかり忘れてしまいましたな。ディランがいきなりメジャーレーベルのコロンビアからからデビューするきっかけになったのは、フォーク歌手キャロリン・ヘスターのアパートで大物プロデューサーのジョン・ハモンドと会ったから、というところでした。 →Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------Carolyn was a Texan guitar-playing singer who I knew and played with around town. She was going places and it didn't surprise me. Carolyn was eye catching, down-home and double barrel beautiful. That she had known and worked with Buddy Holly left no small impression on me and I liked being around her. Buddy was royalty, and I felt like she was my connection to it, to the rock-and-roll music that I'd played earlier, to that spirit.キャロリンはギターを弾き語りするテキサス人の歌手で、僕は知り合いだったし、そのあたりで演奏していた。彼女は成功しつつあったが、それには驚かなかった。キャロリンは美しさと気さくさという二連銃を持っていたので、人目をひいた。彼女がバディ・ホリーと知り合いで一緒に仕事をしたことがあったということに、僕は強い印象を受け、彼女の近くにいるのが好きだった。バディは王様だった。そして、彼女がその王国、僕が以前やっていたロックンロールとその精神に、僕を繋いでいるみたいに感じた。----------------------------------------------バディ・ホリーの名前はずっと前に出てきましたね。いいかげんな名前を名乗ったり、適当なことを言ってボビー・ヴィー(Bobby Vee)のバンドにくっついていった話の時です。 →CHRONICLES #98 ピアノ弾きディランバディ・ホリーが亡くなったのは1959年ですから、当時はまだその事故死が生々しい記憶だったでしょう。ディランはバディに会うことができなかったし、これからももう会うことはできません。でも、キャロリンはバディと知り合いだったし、一緒に演奏をしたことがあるのです。ディランがキャロリンの周りでうろうろするのもわかる気がします。キャロリンは美人みたいだし。 →BuddyHolly.com →Wikipedia: バディ・ホリーそういえば、NHK BS11で放映した『ロック誕生50年』に、バディ・ホリーの映像がありました。「ペギー・スー(Peggy Sue)」でした。 →ペギー・スー番組には鮎川誠さんが出てきましたが、ちょっとバディ・ホリーに似てますね。 41 Original Hits From The Soundtrack Of American Graffiti
2006.12.24
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→夕陽が好き! 2006年 > 12月 →Chapter 5: River of Iceいきなり大メジャー(こういう言葉遣いは間違いね)レコード会社コロンビアからレコードを出すことになったのは、やはり僥倖と言って良いのでしょう。お髭で笑顔のミッチ・ミラーといった、トップ・アーティストを抱えていたレコード会社なんですから。----------------------------------------------What put me there amongst that crowd came about because of John Hammond. John had first seen and heard me at Carolyn Hester's apartment.僕がその人たちの中に入れたのは、ジョン・ハモンドのおかげで起きたことなのだ。ジョンはキャロリン・ヘスターのアパートで僕と初めて会って、歌を聴いた。----------------------------------------------出ました。懐かしい名前ですね。この本の最初の方に出てきた超大物プロデューサー、ジョン・ハモンドです。 →CHRONICLES #2 (Bob Dylan)つまり、やっと話が振り出しに戻るわけで、『ボブ・ディラン自伝(CHRONICLES VOLUME ONE)』も終わりに近づいてきたことがわかります。ちょこちょことメモを続けて、もう丸二年以上が経ってしまいました。私が書くスタイルもだいぶ変わりましたね。良い日本語訳も出たので、読んでくださってる方も減ったようですが、本当に面白い本なので、ぜひディランの言葉に直接触れることをお勧めします。キャロリン・ヘスターという人を知らないので、やっぱり検索します。Googleのおかげで、このブログは続いています。 →Wikipedia: Carolyn Hester →Carolyn Hester's Welcome Page堂々たるフォーク・シンガーですね。おっとっと、私はキャロリン・ヘスターの歌が入ったCDを持っておりました。"Seeds: The Songs of Pete Seeger, Vol. 3" →わたしが一番きれいだったとき #4ピート・シーガーの「わたしが一番きれいだったとき(When I Was Most Beautiful)」がどんな曲なのか聴きたくて買ったCDです。この中で「ひとりの手(One Man's Hands)」を歌っているのがキャロリン・ヘスターでした。そういえば、この「ひとりの手」の原曲がどれだけ具体的に戦う歌であったかということも書きましたね。 →ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」 私の手だけじゃ牢屋は壊せない 私の声だけじゃ彼らに届かない 私の力だけじゃ原爆は止められない 私の力だけじゃ人種差別は破れない 私の力だけじゃ組合は作れない 私の足だけじゃこの国を横断できない 私の目だけじゃ未来をはっきり見ることはできない「みんなが力を合わせれば何かができるよ」というようなことを歌っているのではないのです。管理上手な中学校の文化祭ではありません。ブルーズが好きな、黒人差別主義者の肌の色は真っ黄色、みたいなのがいるのは、こんなところから来てるのではありませんかね。明治維新で和魂漢才から和魂洋才に変わって、でも、元々和魂なんてないんじゃ、元の魂殺すだけ。ほい、書き過ぎた。キャロリン・ヘスターね。上記サイトに、ディランと一緒に写った写真があります。 →Carolyn Hester Photo 10ディランも書いていますが、キャロリンのレコーディング用バンドです。右側でウッドベースに片腕掛けてるのがビル・リー(Bill Lee)で、スパイク・リー監督のお父さんだそうです。言われてみればそっくりですね。
2006.12.11
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------Suze was there by my side when I began recording for Columbia Records. The events which led up to it were very unexpected, and I had never really fixed my gaze on any big recording company. I would have been the last one to believe it if you'd have told me I'd be recording for Columbia Records, one of the top labels in the country and one with big name mainstream artists like Johnny Mathis and Tony Bennett and Mitch Miller. 僕がコロンビア・レコードでレコーディングを始めた時には、スージーがそばにいた。レコーディングにいたったいろいろなできごとはまったく予想外だった。実際、大きなレコード会社は僕の視野に全然入っていなかった。コロンビア・レコードで録音するのだと言われても、僕はまったく信じなかったことだろう。国内のトップ・レーベルで、ジョニー・マティスやトニー・ベネットやミッチ・ミラーのような主流派の大物アーティストを抱えていたのだから。---------------------------------------------- →Johnny Mathis.com →TonyBennett.netジョニー・マティスやトニー・ベネットはあまりピンと来ないのですが、ミッチ・ミラーの髭や笑顔は、どういうわけかおなじみです。調べてみたら、私は小さい頃に、NHKで放送していた「ミッチと歌おう(Sing Along with Mitch)」というテレビ番組を見ていたようです。 →ミッチ・ミラー「セサミ・ストリート」のボブはミッチ・ミラー合唱団だったんですね。知りませんでした。ディランが夢見ていたのは、たぶんフォークウェイズ(Folkways)のようなフォークソングの専門レーベルだったのでしょう。当然小さな会社です。いきなりコロンビアのようなトップ企業からレコードを出せるなんて、思いもよらなかったということです。 More Sing-Along with Mitch
2006.12.07
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→Chapter 5: River of Ice一行空けて、スージーとの関係が終わったということが書かれます。なんだか唐突ですが、それは必然だったんだという書き方です。----------------------------------------------It had to end. She took one turn in the road and I took another. We just passed out of each others' lives, but before that, before the fire went out, we stayed together a lot at the West 4th Street apartment. During the summers there was more than enough stifling heat. The small place was like an oven full of suffocating air that you could just about chew and swallow. In the winter, there was no heat. It was biting cold and we kept each other warm snuggled under blankets.それは終わらなければならなかった。彼女は行路をある方向へ向きを変え、そして僕も別の方向へ向きを変えた。僕たちはお互いの人生から出ていったのだが、でも、火が消えるまでは、西四番街のアパートで多くの時間を共に過ごした。夏の間は息が詰まるほど暑かった。その狭い場所は、噛んで飲み込むことができそうな重苦しい熱気ていっぱいのオーブンのようだった。冬は火の気がまったくなかった。刺すように寒かったので、僕たちは毛布の下で抱き合ってあたためあった。----------------------------------------------四十年以上も前のことです。「summers」が複数形で「winter」が単数形であることに、意味はあるのでしょうか。一年半ぐらい二人は一緒にいたように読みました。「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない」黒澤明監督の映画『天国と地獄』に出てくるセリフです。逆だったかな、冬から言ってたかもしれません。 →赤い花束/Oの悲劇 Oの喜劇孤独な誘拐犯はうだるような暑さに耐えきれず、犯罪を重ねてしまいます。鶴巻小学校のプールにゴミを投げ込んだ学生もそうだったのでしょう。ディランの場合は、二人で過ごした懐かしい日々です。 ♪ 私に人生と言えるものがあるなら ♪ あなたと過ごした あの夏の日々ザ・ナターシャー・セブンが歌っていた歌を思い出します。 →私に人生といえるものがあるなら MIDI 音量注意!"Faded Roses"を検索してみると、20世紀初頭ぐらいに活躍したCaro Roma(Carrie Northly)という女性が作曲したようです。
2006.12.05
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→Chapter 5: River of Iceブレヒト&クルト・ヴァイルの「海賊ジェニー」を分析しながら、ディランは歌作りのきっかけを掴もうとしていました。----------------------------------------------I'd think about this later in my dumpy apartment. I hadn't done anything yet, wasn't any kind of songwriter but I'd become rightly impressed by the physical and ideological possibilities within the confines of the lyric and melody. I could see that the type of songs I was leaning towards singing didn't exist and I began playing with the form, trying to grasp it--trying to make a song that transcended the information in it, the character and plot.もっと後になって、僕は自分のみすぼらしいアパートでこのことをいろいろ考えた。僕はまだ何もしていなかったのでソングライターなんてものではなかったのだが、歌詞とメロディの中に閉じ込められたものが、身体と観念に対して持っている可能性に、僕は正しく感動していた。自分が歌おうと進んでいる先にあるような歌がまだ存在していないことに、僕は気づいたので、その歌を掴もうとして歌の形をいじり始めた。歌の中にある情報や、登場人物や、筋書きを超えるような歌を作ろうとしていたのだ。----------------------------------------------ディランは現実の事件に取材したバラッドを作ろうとしました。牧師の娘に生まれながらクリーヴランドで「白雪姫(Snow White)」という通り名を持つようになった娼婦が、客たちを怪奇的で醜悪な方法で殺したという事件です。この事件が気になったのですが、どうもわかりません。「クリーヴランド」「殺人事件」などと検索すると、19世紀イギリスの切り裂きジャックや、「マッド・ブッチャー」はヒットするのですが、白雪姫が出てきません。う~ん。ディランは「警察週報」といったようなタイトルの新聞で事件のことを読んだそうです。 →Wikipedia: Police Gazetteディランの曲作り。既存の曲を雛形にして、短い言葉を組み合わせます。自由な形式で6番ぐらいまで作って、リフレインには"Frankie & Albert"の最初の二行を使いました。 →bobdylan.com: Frankie & Albertおや、歌詞が違いますね。"CHRONICLES"ではこうです。 ♪ Frankie was a good girl. ♪ Everybody knows. ♪ Paid a hundred dollars for Albert's new suit of clothes. ♪ フランキーは良い娘だった。 ♪ 誰もがみんな知っている。 ♪ アルバートの新しいスーツに100ドル払ってやった。----------------------------------------------I liked the idea of doing it, but the song didn't come off. I was missing something.僕はこういうやり方が気に入ったのだが、結局うまく歌を作ることはできなかった。何かが足りなかったのだ。----------------------------------------------ただいまp.276です、
2006.12.01
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→夕陽が好き! 2006年 > 11月 No.3 →Chapter 5: River of Ice人々(人民/人間)に対する愛を感じないのに、なぜ「海賊ジェニー」に引き付けられたのか。ディランはその分析をします。----------------------------------------------Later, I found myself taking the song apart, trying to find out what made it tick, why it was so effective. I could see that everything in it was apparent and visible but you didn't notice it too much. Everything was fastened to the wall with a heavy bracket, but you couldn't see what the sum total of all the parts were, not unless you stood way back and waited 'til the end. It was like the Picasso painting Guernica. 僕は後でこの歌をばらばらにして、どうしてこの歌がこんなふうに機能するのか、そしてどうしてこんなに効果的なのかを知ろうとした。この歌の中ではあらゆるものがはっきりとしていて目に見えるのに、それがあまりわからない。すべてのものが壁に重い腕木でしっかり留めてあるのだが、後ろに下がって最後まで待たないとわからない。まるでピカソが描く「ゲルニカ」のようだった。---------------------------------------------- →Wikipedia: ゲルニカ →Wikipedia: Guernica (painting)英語版Wikipediaの方が、ずっと詳しいですね。スペイン内乱の際に、フランコ将軍の側についたナチスドイツがバスクの町を無差別爆撃しました。その時のピカソの絵です。 →ゲルニカを忘れないで 加藤尚武「海賊ジェニー」の分析から「ゲルニカ」を連想するのが、ディランです。唐突な気がしますが、読んでいくと納得できます。この歌の形式は非常に自由なのだそうです、よくわからんのですが。各連の関係も自由で、音楽的な構造も、いわゆる常識を無視しています。非常に斬新な形式で作られた歌が「海賊ジェニー」だということです。独特な音楽構造と歌詞を持っているがゆえに、「海賊ジェニー」は並外れた力を持っています。ディランは、自分もまたその鍵を使いこなしたいと思いました。あれあれ、この歌には愛がないと言いながら、ディランは「海賊ジェニー」の影響を大きく受けているのですね。
2006.11.23
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→Chapter 5: River of Iceやがてディランは霧笛のことを忘れ、「海賊ジェニー」の世界に浸って想像を広げます。下働きの女が抱く敵意に、客たちは気づきません。「黒い貨物船」は、何か救世主のようなものの象徴(some messianic thing)ではないかと言っています。----------------------------------------------"every building ... a flat one, the whole stinking place will be down to the ground."「どの建物もぺちゃんこに潰れて、このおぞましい場所はまるごとたたきつぶされる。」----------------------------------------------町がつぶれ、下働きの女がいる建物だけが残りますが、ベッドに眠るはずだった「紳士たち」の運命は、女の手にゆだねられています。暴力的な呪咀の歌です。ステージで劇がクライマックスに達してこの歌が歌われると、観客は反応できなくなります。演劇を観に来ている観客は、歌の中で呪われている「紳士たち」だからです。----------------------------------------------This piece left you flat on your back and it demanded to be taken seriously. It lingered. Woody had never written a song like that. It wasn't a protest or topical song and there was no love for people in it.この曲は聴いている者の背にのしかかり、真剣に考えることを要求した。ずっと心に残った。ウィディだったら、こんな歌は書かなかっただろう。これはプロテストソングでも、トピカルソングでもなく、そして人々に対する愛がまったくなかった。----------------------------------------------すごいですね。「海賊ジェニー」が持っている圧倒的な力を認めながらも、人々(人間とも人民とも訳せます)に対する愛情がまったくないと、喝破しています。愛の人ウディ・ガスリーなら作らない歌だと。共産主義者が資本家への憎悪を増幅して、闘争心をかきたてる。そういう憎悪をディランは不快に感じるようです。
2006.11.19
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→夕陽が好き! 2006年 > 11月 No.2 →Chapter 5: River of Ice霧笛の音を比喩に遣ったことで、ディランは故郷の町を思い出します。育った鉄鉱の町ヒビングではなくて、生まれたダルースの町です。----------------------------------------------Duluth, even though it's two thousand miles from the nearest ocean, was an international seaport. Ships from South America, Asia and Europe came and went all the time, and the heavy rumble of the foghorns dragged you out of your senses by your neck. ダルースは海から2千マイルも離れているのだが、国際港だった。いつも南米やアジアやヨーロッパの船が行き来していて、重い霧笛の音が響くので人は首のところから意識が惑う。----------------------------------------------霧笛の音を聴くと、人は正気でいられなくなるということでしょう。ダルースはスペリオール湖に面した港町だそうです。だから外国船が出入りするんですね。霧が深くて船体が見えなくても、その重厚な霧笛の音で船が通るのがわかります。それを「ベートーベンの第五のように轟く」と、ディランは表現しています。最初の音が長い、二つの音の組み合わせ。ファゴット(basoon)のように鳴り響くというのです。やっぱりディランの書くことはおもしろいですね。----------------------------------------------Foghorns sounded like great announcements. The big boats came and went, iron monsters from the deep--ships to wipe out all spectacles. As a child, slight, introverted and asthma stricken, the sound was so loud, so enveloping, I could feel it in my whole body and it made me feel hollow. Something out there could swallow me up.霧笛は大きな声明を発しているかのようだった。深淵から鉄の怪物が……大きな船が現われて行き来した。船は風景をすべて拭い去った。僕がちっぽけで内向的な喘息持ちの子供であった頃、その音は僕の身体の中でいっぱいになって、自分が空っぽであるように感じた。外にある何かが、僕を飲み込んでしまうみたいだった。----------------------------------------------青年ディランも、ちょっとそんな面影を残していましたが、小柄な喘息持ちの子供だったんですね。霧の中から聞こえる大きな音を、多感な少年が身体全体で受け止めていたのです。
2006.11.16
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→Chapter 5: River of Iceさて、私は『三文オペラ』を観たことがないのですが、なんとなく歌曲は知っています。「海賊ジェニー」なあ。そうだ、お登紀さんが歌っていたんだわ。80年代前半、本郷にある零細企業で働いている時、真砂図書館でレコードを借りて聴いたのだった。『愛はすべてを赦す』(1982年) →加藤登紀子 ディスコグラフィー →愛はすべてを赦す →愛はすべてを赦す坂本龍一さんのピアノで加藤登紀子さんが昔の曲を歌っているのです。映画『会議は踊る』の「唯ひとたびの」が印象的でした。原詞を検索してみると、ニーナ・シモンのサイトに掲載されていました。たぶんこれでいいのだと思います。 →The Nina Simone Web - Pirate Jennyディランが言うように、歌詞に「海賊ジェニー」は出てきません。ただ、「雑用をする洗濯女のような衣装を着て(dressed up like a scrubbing lady who performs petty tasks)」という部分は、この歌詞に由来するのではないかと思いました。佐藤信さんの翻訳ではこんな感じになっているようです。 →ブレヒトソング-KONTA the Knife----------------------------------------------4.海賊ジェニー 三文オペラより作曲/Kurt Weill・訳詞/佐藤信 「三文オペラ」でマックの愛人の娼婦ジェニーが歌います。宿の女中って、みんな私をこき使うけど、誰も私の正体を知らないわ。ある日海賊が港にやってくれば、みんな捕らえられるのよ。海賊は私に聞くわ「どいつをばらしやしょう?」私は言うわ「みんなよ」。首が次々落ちるわ。そして私は海賊と一緒に港から去るのよ。という内容の歌。----------------------------------------------ところで、Googleで「海賊ジェニー」を検索すると、幻泉館日録@So-netが最初の方にヒットするようです。これはちょっと変だなと思いました。ご存知のように、幻泉館日録は自前サーバ幻泉館本館の他、@楽天、@goo、@livedoor、@So-net、@Teacupといったところに同じ内容をアップしています。今まではGoogleで検索すると、だいたいそんな順に表示されていたのです。ところが、ここのところ急に@So-netが飛び抜けて上位に表示されることが多いようです。So-netで何かあったのかな。
2006.11.13
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→Chapter 5: River of Iceリース劇場の小さなステージには、雑然とした世界が詰め込まれていました。力強い言葉をもった歌を、泥棒や屑拾い(scavengers)ややくざ者(scallywags)が怒鳴るように歌います。ディランが一番強烈な印象を受けた歌は、「黒い貨物船(A Ship the Black Freighter)」というバラッドでした。----------------------------------------------Its real title was "Pirate Jenny," but I didn't hear that in the song so I didn't know what the real title was. It was sung by some vaguely masculine woman, dressed up like a scrubbing lady who performs petty tasks, goes about making up beds in a ratty waterfront hotel. What drew me into the song at first was the line about the ship the black freighter, that comes after every verse. That particular line took me back to the foghorns of ships that I'd heard in my youth and the grandiosity of the sounds had stuck in my mind. Seemed like they were right on top of us.その本当の題は「海賊ジェニー」というのだが、その中に「海賊ジェニー」は出てこなかったから、本当のタイトルが何なのかはわからない。なんだか男まさりの女が歌っていた。みすぼらしい港の宿屋でベッドメイクのような雑用をする洗濯女のような衣装を着ていた。最初に僕が引きつけられたのは黒い貨物船を歌った一行で、各連の後に繰り返された。この特別な行を聴くと、僕は小さな頃に聴いて心にずっと残っている船の霧笛を思い出した。僕たちの頭の真上で響いているみたいだった。----------------------------------------------船の霧笛!ディランが好きな音ですね。静かな夜中に遠くから聞こえてくる汽笛はとてもいいものですが、ディランが言っているのはとても大きな迫力のある音のようです。ただディランの耳は私とはだいぶ違うようなので、小さな音でもそんなふうに感じることがあるのかもしれません。おっと。このエントリーのタイトルを「遠くで汽笛を聞きながら」にしようと思ったら、既に使っておりました。 →遠くで汽笛を聞きながら CHRONICLES #319しかたがないので、「霧笛が俺を読んでいる」。よくわかっておりません。 →CinemaScape: 霧笛が俺を呼んでいる
2006.11.12
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------I went there to wait for Suze and was aroused straight away by the raw intensity of the songs... "Morning Anthem," "Wedding Song," "The World Is Mean," "Polly's Song," "Tango Ballad," "Ballad of the Easy Life." Songs with tough language.----------------------------------------------おやおや、本当に「牛にひかれて善光寺参り」です。並んでいるのは、やはり『三文オペラ(The Threepenny Opera)』の曲ですね。ディランは並んだ歌曲を"Songs with tough language"と表現しています。これは文字どおり「たくましくて乱暴」という意味でしょう。つまり、オペラやミュージカルよりも、フォークソングに近い歌だと感じたようです。フォークソングより洗練されている(sophisticated)けれど。特に輸入盤でいろいろな録音が出ているようです。amazonだと試聴できます。 The Threepenny Opera (1954 New York Cast) Music From the Threepenny Opera →三文オペラにハマる →三文オペラ 資本主義の矛盾をおちょくるマック・ザ・ナイフ観てないんですが、これは観たくなりますな。あら、黒テントの『三文オペラ』観たかったなあ。 →三文オペラ 新装黒テント版私の場合は開高健さんの『日本三文オペラ』に親しんでいたのでした。全然違うのにね、観た気になっちゃってたみたい。 →くいだおれ大阪どっとこむ! 「日本三文オペラ」開高健 日本三文オペラ 三文オペラ
2006.11.08
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→Chapter 5: River of Iceとりあえずオリジナル曲ができたのですが、ディランはこれを堂々と自分の曲だと言って歌うことはありませんでした。当時ディランは古いフォークソングやウディ・ガスリーの曲を歌っていたのですが、その中に紛れ込ませて歌いました。ウィーバーズの曲だと言って歌ったりしたそうです。照れ臭かったのでしょうか。でも、嘘はいけませんね。当時のディランはよくいろいろな嘘をついていたようです。 →Folk Music Archives: The Weavers一行空けて、話が変わります。そんなディランの状況を変えたのは、意外にもブレヒトの演劇でした。もちろん、スージーの影響です。リース劇場(the Theatre de Lys)で上演された音楽劇に、スージーが関わっていたそうです。 →Lucille Lortel Theatre/Theatre de Lys, 1952-1999----------------------------------------------It was a presentation of songs written by Bertolt Brecht, the antifascist Marxist German poet-playwright whose works were banned in Germany, and Kurt Weill, whose melodies were like a combination of both opera and jazz. Previously they had had a big hit with a ballad called "Mack the Knife" that Bobby Darin had made popular. You couldn't call this a play, it was more like a stream of songs by actors who sang.---------------------------------------------- →Wikipedia: ベルトルト・ブレヒト →Wikipedia: クルト・ワイル →松岡正剛の千夜千冊:『クルト・ヴァイル』 →Bobby Darin / ボビー・ダーリン「マック・ザ・ナイフ」はおなじみの曲です……あれ?歌としてはあまり聴いたことがありません。ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)の名盤、"SAXOPHONE COLOSSUS"で一番よく聴いたのかもしれません。このアルバムでは"Moritat"というタイトルになっています。友人の一人がロリンズの大ファンだったので、よく聴きました。私はコルトレーンの方が好きでした。つまり、私の場合は本来の「歌」ではなくて、ジャズのスタンダード・ナンバーとして馴染んでいたんですな。70年代半ばによく行った吉祥寺のジャズ喫茶を思い出します。 Saxophone Colossus
2006.11.07
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Ice「自分の生き方を貫いて死なせておくれ(Let Me Die in My Footsteps)」の後、ディランは核シェルターの話を始めます。ディランの故郷であるミネソタ州の北東部、アイアンレンジ(Iron Range)と呼ばれる地域では、そんなものまったく売れなかったという話です。U2のボノが訪ねてきた時の話で、「メサビ鉄鉱山地、アイアントレイル(the Iron Trail, the Mesabi Iron Range)」という言い方をしていた地方のことでしょう。日本で言えば、「筑豊」といった感じに近いでしょうか。 →巨人の地 CHRONICLES #250 →Wikipedia: Iron Rangeアイアンレンジでは、近所で一軒だけ核シェルターを持っているという状態を、皆が嫌ったのだそうです。人間関係が壊れるのを恐れたのですね。核攻撃に対する恐怖は確かに存在しました。でも、なんだかピント外れな感じがします。ディランは"CHRONICLES"の最初の方でも書いてましたね。 →CHRONICLES #16 (Bob Dylan)そうそう、アトミックカフェ。 →アトミック・カフェ - THE ATOMIC CAFE -代わりによく売れたのは、ガイガー・カウンターだったようです。近未来を描いた映画『マッドマックス』のシリーズでも、出てきましたね。ディランも、ニューヨークのアパートに1台備えていたそうです。ガイガー・カウンターを楽天市場で検索したら扱っている店がありましたが、日本ではあまり売れなさそうですね。 アトミック・カフェ
2006.11.04
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→Chapter 5: River of Iceディランは当時の自作自演屋としてレン・チャンドラー(Len Chandler)が好きだったそうです。何度か出てきた名前ですね。 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった →夕暮れ CHRONICLES #112 →仲間たち CHRONICLES #424レン・チャンドラーの歌は彼の個性を反映したものなので、それはあまりお手本にならなかったとディランは言っていますが、実際はかなり影響を受けていたようです。創造は模倣から始まるものです。もちろんウディ・ガスリーが一番のお手本でした。絵を描いていた同じテーブルで、ディランは歌を書くようになります。最初に作ったのは、"Let Me Die in My Footsteps"という、ちょっと皮肉な歌(a slightly ironic song)でした。"BOB DYLAN / THE BOOTLEG SERIES VOL.1-3"に入ってますね。元歌はロイ・エイカフ(Roy Acuff)の古いバラッドだそうです。 →bobdylan.com: Let Me Die in My Footsteps →Roy Acuff: Making Hillbilly Music Respectableおやおや、おもしろいことが書いてあります。日本軍が突撃する時に、「ベーブ・ルースと地獄に落ちろ! ロイ・エイカフと地獄に落ちろ!」と叫んだという伝説があるそうです。もちろん嘘です。"Let Me Die in My Footsteps"は「立ってるところで死なせてくれ」ぐらいの意味でしょう。中川五郎さんは、「自分の生き方を貫いて死なせておくれ」と訳しています。いいなあ。第一連だけ引用しておきましょう。----------------------------------------------I will not go down under the ground"Cause somebody tells me that death's comin' 'roundAn' I will not carry myself down to dieWhen I go to my grave my head will be high,Let me die in my footstepsBefore I go down under the ground.ぼくは地下には潜らない死の恐怖が迫っていると誰かに言われたからといってぼくはむざむざと死んだりはしない墓に入る時はこうべを高く上げていることだろう自分の生き方を貫いて死なせておくれ地下に潜ったりする前に (中川五郎訳)----------------------------------------------もちろんこれは東西冷戦下、アメリカで核シェルターが売れたころの歌です。 The Bootleg Series, Vols. 1-3
2006.11.02
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Iceいいなあと思うと、自分でもやってみたくなるものでございます。だいたい音楽もそれで始めたのがディランでした。----------------------------------------------About that time I began to make some of my own drawings. I actually picked up the habit from Suze, who drew a lot. What would I draw? Well, I guess I would start with whatever was at hand. I sat at the table, took out a pencil and paper and drew the typewriter, a crucifix, a rose, pencils and knives and pins, empty cigarette boxes. I'd lose track of time completely. An hour or two could go by and it would seem like only a minute. Not that I thought that I was any great drawer, but I did feel like I was putting an orderliness to the chaos around--something like Red did, but he did it on a much grander level. In a strange way I noticed that it purified the experience of my eye and I would make drawings of my own for years to come.その頃僕は自分でも絵を描き始めた。実際は、たくさん絵を描いていたスージーの習慣を真似して覚えたのだ。何を描こうか? そう、とりあえず手近にあるものを何でも描いたのだと思う。僕はテーブルに向かって座り、鉛筆と紙を手に取って描いた。タイプライター、十字架、薔薇、鉛筆やナイフやピン、タバコの空き箱。時が経つのをまったく忘れたものだった。一時間から二時間が過ぎ去っても、一分ぐらいにしか感じなかった。自分がすごい絵描きだとは思わなかったが、レッドがやったように、周囲の混沌を秩序あるものにしているのだと感じた。レッドはそれをずっと壮大な水準でやったのであるが。僕は奇妙なことに、それで自分の目が経験したことを純化されることに気づいた。そして、それから何年も僕は絵を描くことになる。----------------------------------------------鉛筆デッサンですね。目が捕らえた情報は膨大なものですが、鉛筆で紙に描き出すのは、そのほんの一部です。余分なものをできるかぎり削ぎ落とす。これが絵です。身近な言葉を遣い、身近なものを描写して、自分の世界を創り出す。歌を作る時の指針を、ディランはデッサンから学んだようです。早川義夫さんが歌ってました。 ♪ 足りないのではなくて ♪ 何かが多いのだ 「いつか」 →坊さんごっこ:早川義夫一見乱雑に詰め込んだように聞こえる"Desolation Row"のような曲も、削りに削った結果なのでしょう。
2006.11.01
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→Chapter 5: River of Iceスージーにひかれて美術館参り。ディランはスージーと同様にすっかりレッド・グルームズのファンになりました。ここで重要な点は、ディランがまだ本格的に歌作りを始める前だということです。レッド・グルームズの作品は、どのように作品世界を創り上げるかというお手本になりました。----------------------------------------------He incorporated every living thing into something and made it scream--everything side by side created equal--old tennis shoes, vending machines, alligators that crawled through sewers, dueling pistols, the Staten Island Ferry and Trinity Church, 42nd Street, profiles of skyscrapers. 彼はあらゆる生き物をひとつに組み入れ、何もかも平等に並べて叫び声を上げさせた。古いテニスシューズ、自動販売機、下水を這うワニ、決闘のピストル、スタテンアイランドのフェリー、42番街、摩天楼の輪郭。---------------------------------------------- [リーダーズ英和]----------------------------------------------duel pistol 決闘用ピストル《銃身が長い》Staten Islandスタテンアイランド《1) New York 湾内の島 2) 同島を含む New York 市南西部の自治区 (borough), 38 万; 旧称 Richmond; 略 SI》.Trinity Churchn. トリニティ教会 《(3) New York 市 Wall 街のいちばん西の起点, Broadway に面して立つ, ゴシック風の尖塔をもつ教会; Richard Upjohn_ の設計で, 1846 年建立; 墓地には, New York の有名人の墓がある》----------------------------------------------下水を這うワニや決闘のピストルがニューヨークの日常風景なのか大いに疑問ですが、コラージュとしてはおもしろいですね。そういえば、東京をコラージュした、パンタさんの「マーラーズ・パーラー」という曲がありました。 →「マーラーズ・パーラー」(1976年) →PANTA & HAL 1977-1981レッド・グルームズのコラージュはまだ続きます。----------------------------------------------Brahman bulls, cowgirls, rodeo queens and Mickey Mouse heads, castle turrets and Mrs. O'Leary's cow, creeps and greasers and weirdos and grinning, bejeweled nude models, faces with melancholy looks, blurs of sorrow--everything hilarious but not jokey. Familiar figures from history, too--Lincoln, Hugo, Baudelaire, Rembrandt--all done with graphic finesse, burned out as powerful as possible. I loved the way Grooms used laughter as a diabolical weapon. Subconsciously, I was wondering if it was possible to write songs like that. バラモンの聖牛、カウガール、ロデオの女王、ミッキーマウスの頭、城の小塔、オリアリー夫人の牝牛、変態男、不良少年、奇人変人、宝石を付けてニヤリと笑うヌード・モデル、憂鬱な表情の顔、ぼんやりとした悲しみ……どれも陽気だけれど、ふざけてはいない。歴史上のおなじみの人物もいる。リンカーン、ユーゴー、ボードレール、レンブラント。すべてが本来の姿で描かれ、可能なかぎり強力な印象を与えている。僕はグルームズが笑いを悪魔のような武器として用いる、その手法が大好きだった。僕は知らず知らずのうちに、そんなふうに歌が書けるのではないかと思っていた。----------------------------------------------オリアリー夫人というのは、シカゴ大火災の火元となった家の夫人のことで、童謡まであるそうです。 →医学都市伝説:シカゴ大火災勃発の日ディランは実際に自分でも絵を描き始めるのですが、それでもう一つ、歌作りに必要なことを学んだようです。ただいまp.270です。
2006.10.31
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→Chapter 5: River of Iceスージーが好きだからということで、ディランもレッド・グルームズが好きになりました。 →Red Grooms Online----------------------------------------------I loved the way everything he did crushed itself into some fragile world, the rickety clusters of parts all packed together and then, standing back, you could see the complex whole of it all. Grooms's stuff spoke volumes to me. He was the artist I checked out most. 彼が描くあらゆるものはある種の脆い世界に詰まっていく、そのありさまが僕は大好きだった。その世界には今にも崩れそうなそれぞれの集まりがすべて詰め込まれていて、それから少し下がって見ると、複雑な全体が見える。グルームズの作品は僕に多くのことを語りかけた。僕が最もよく見た画家だった。----------------------------------------------クレヨン、水彩、グワッシュ(不透明水彩)、彫刻、コラージュ、どんなものでもグルームズが作品をまとめる手法が気に入ったそうです。----------------------------------------------There was a connection in Red's work to a lot of the folk songs I sang. It seemed to be on the same stage.レッドの作品と、僕が歌っている歌の多くには、つながりがあった。それは同じ舞台に立っているようだった。----------------------------------------------フォークソングが歌詞で歌っている内容を、グルームズの「歌」は視覚的に描いていました。浮浪者と警官、大騒ぎ、路地裏。お祭りのような生命力です。レッドは美術界のアンクル・デイヴ・メイコン(Uncle Dave Macon)だったと、ディランは言っています。 →THE DAYS OF UNCLE DAVE MACON →Wikipedia: Uncle Dave Maconう~む、アンクル・デイヴ・メイコン、陽気そうなおっさんです。
2006.10.21
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→Chapter 5: River of Iceスージーの手引きで美術の世界に触れることによって、ディランは精神世界が広がったと感じたそうです。早い時間からアップタウンの美術館に出かけました。そこでは大きな油絵の作品を見ました。 →Wikipedia: ディエゴ・ベラスケス →Web Callerry of Art: VELAZQUEZ, Diego Rodriguez de Silva y →Wikipedia: フランシスコ・デ・ゴヤ →the Artchive: Francisco de Goya →salvastyle.com: ルーベンス →WebMuseum: Rubens, Peter Paul →salvastyle.com: エル・グレコ →CGFA: El Greco古典的な絵画もよく見ていたんですね。もちろん、現代作家の絵も見たそうです。 →Wikipedia: パブロ・ピカソ →Pablo Picasso : Le site officiel →ジョルジュ・ブラック →the Artchive: Georges Braque →ワシリー・カンディンスキー →WebMuseum: Kandinsky, Wassily →ルオー展 →Wikipedia: ジョルジュ・ルオー →Georges Rouault Online →Wikipedia: ピエール・ボナール →Pierre Bonnard Onlineやはりこちらの方がおなじみです。「ルオー爺さんのように ね」スージーは、レッド・グルームズが好きだったそうです。 →Red Grooms Onlineディランもレッド・グルームズが好きになりました。だって、恋しているんだもん。ただいまp.269です。
2006.10.20
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------We went to see Comedia Del'Arte, a storefront on the Lower East Side that was built into a small theater with enormous puppets as big as people that jiggled and swung. I saw a couple of plays, one where a soldier, a prostitute, a judge and a lawyer were all the same puppet. 僕たちはコンメディア・デラルテを観に行った。ロワーイーストサイドにあるビルの一画を小さな劇場に改装してあり、人間ぐらいの大きな人形が体を揺すったり、あれこれと動き回ったりした。僕は何回か観たのだが、同じ一体の人形が兵士と娼婦と判事と弁護士を演じたのもあった。---------------------------------------------- リーダーズ英和+プラス----------------------------------------------commedia dell'arteコンメディア・デラルテ《16-18 世紀のイタリアの即興喜劇; 筋書だけで演じられ, Scaramouche, Pantalone など決まった名前・衣裳・性格の人物が登場する》.[It=comedy of art]----------------------------------------------Lower East Siden. ロワーイーストサイド 《New York 市 Manhattan の南端地域の東半分を指す; 多くの移民たちが, アメリカでの生活を始めた超過密アパートのひしめくスラム街として有名であった; もはや移民であふれてはいないが, 荒廃したままとなっている; バザールの様相があり, 他地区の店が閉まる日曜日は, 買物客でごった返す》---------------------------------------------- →Wikipedia: コメディア・デラルテ本来は仮面劇のようですが、ディランが観たのは人形劇になっていたんですね。人形がばかでかいのと、場所が狭いのとで、なんだかとても奇妙な雰囲気だったそうです。ちょっと気持ち悪かったようですな。そうではない、おなじみの大好きな人形として、ディランはチャーリー・マッカーシー(Charlie McCarthy)の名前を挙げています。これはエドガー・バーゲン(Edgar Bergen)という腹話術師の人形だったそうです。 リーダーズ英和+プラス----------------------------------------------Bergenn. バーゲン(2) Edgar (John) Bergen (1903-78) 《米国の腹話術師・コメディアン; 人形 Charlie McCarthy と国内・ヨーロッパ各地をまわって成功; 1937 年からラジオ番組 `Chase and Sanborn Hour' をもち, 10 年以上にわたって人気を維持した; 1938 年の映画 A Letter of Introduction で Oscar を獲得》---------------------------------------------- →腹話術 KACHI & LEO: Edgar Bergen & Charlie McCarthy →Wikipedia: Edgar Bergen腹話術の人形というのも、ちょっと気持ち悪いんだけどなあ。『新青年』の香りがします。エドガー・バーゲンの人気ラジオ番組は、人形のチャーリー・マッカーシーと一緒にやっていたんですね。下のリンク先で少しだけ聴けます。ラジオで腹話術というのも、なんだか不思議です。 →Radio Hall of Fame つげ義春全集 (2) 三橋一夫ふしぎ小説集成 (1) 魔法人形
2006.10.18
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→Chapter 5: River of Iceディランがスージーと観に行ったオフブロードウェイの演劇には、リビング・シアター(the Living Theater)の『営倉(The Brig)』もありました。といっても、私には何のことかわかりませんがな。 →Wikipedia: The Living Theatre →The Living Theatre公演がドキュメンタリー映画で残っているようですね。 →作品紹介:営倉(The Brig) 広辞苑第五版----------------------------------------------えい‐そう【営倉】兵営内にあって犯則者を拘置した施設。また、そこに入れられる罰。陸軍懲罰令では重営倉と軽営倉との別があった。----------------------------------------------リビング・シアターの『営倉』は、合州国海軍の営倉を舞台としているようですね。野間宏さんの『真空地帯』を思い出しました。ん?前にも書いたことがあるような。あ、これですね。 →幻泉館日録:真空地帯他に、スージーとは、芸術家が出入りするような場所に出かけました。 →Caffe Cino →Aegis Galleryもう一つ書いてある"Camino Gallery"は見つかりませんなあ。これは別物かしら。 →GALLERY CAMINO REAL 真空地帯 上巻
2006.10.17
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→Chapter 5: River of Iceディランはスージーと一緒に、ゲルバー作のジャンキー劇(junkie play)『ザ・コネクション』を観に行きました。 →The Connection 「リーダーズプラス+」----------------------------------------------connectionn. [The C_] 『ザ・コネクション』 《米国映画 (1962); 女流監督 Shirley Clarke_ の長編第 1 作; 1959 年に off Broadway で反響を呼んだ Jack Gelber (1932- ) の舞台劇の映画化; ジャズメンたちの練習風景をドキュメンタリー風にとらえて, Hollywood のタブーであった麻薬中毒者たちを正面から描いた, off Hollywood_ 映画の中の New York 派を代表する作品の一つ; 公開後, 無罪とはなったが, 風俗を乱すという理由で告発された; カンヌ映画祭に非公式参加し, 国際映画批評家賞の対象になった》.score a connection _《俗》 麻薬の売人に会う, コネをつける.----------------------------------------------"connection"は麻薬の売人や、密輸組織などの流通ルートを指します。私の場合は、ジーン・ハックマンが主演した映画『フレンチ・コネクション』(1971年)を思い出します。悪役の黒幕フェルナンド・レイがいいですなあ。 →Wikipedia: The French Connectionしかし、麻薬はいけませんや。ジャンキーは、人間やめちゃった人たちです。当時ニューヨークで、ジャズ・ミュージシャンがことごとく麻薬中毒になったのを利用したような演劇ですね。私は映画も演劇も観ていません。あ、『てなもんやコネクション』という映画もありましたな。あれはナチュラルでハイになっちゃってる人たちの映画です。
2006.10.12
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外に開いていない、閉じたサイトからのリンクは御遠慮願いたい。たとえばこちら。 →http://mixi.jp/view_diary.pl?id=237912711&owner_id=2374136 →Chapter 5: River of Iceニューヨークにやってきて一年近くが経ってから、やっとディランは自分の部屋を借りました。さあ、これで正々堂々スージーと……おやおや、いちゃいちゃしていただけではないようです。----------------------------------------------Suze and I were spending more and more time together, and I began to broaden my horizons, see a lot of what her world was like, especially the Off-Broadway scene . . . a lot of LeRoi Jones's stuff, Dutchman, The Baptism.スージーと僕はますます多くの時間一緒に過ごすようになって、僕の地平が広がっていった。彼女の世界がどんなものかがわかってきた。特にオフブロードウェイの情況が。リロイ・ジョーンズの『ダッチマン』と『バプティズム』といったものをたくさん観た。----------------------------------------------スージーはオフブローデウェイの演劇に関わっていたんですね。元々ブローデウェイの商業ベースに乗った興行を嫌って地区街で実験演劇を始めたのが、オフブロードウェイです。グリニッチビレッジは、まさにそのオフブロードウェイでした。 →The Beat Page: LeRoi Jones →Wikipedia: LeRoi Jones →Official Web site of Amiri Barakaディランはおそらくその頃まではただ歌の好きな、気のいい兄ちゃんみたいなものだったのではないでしょうか。スージーは前衛演劇や絵画の世界をディランに教えます。田舎者のディランには、とても眩しかったことでしょう。げに恐ろし……偉大なる、女の力であります。だってディランは恋してるんだもん。
2006.10.11
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→Chapter 5: River of Iceディランは自分の部屋を持つ決心をします。スージーのお母さんとの戦いに嫌気がさしたのでしょう。そろそろ潮時だと。だいたいディランは、他人の家を泊まって歩くのが好きだったのです。その方が気楽だったから。レイのところのように、本やレコードがたくさんあれば、暇潰しには事欠きません。そんな暮らしを一年近く続けていたそうです。ん~、わからんでもありません。学生時代に一ヵ月近く、ほとんど下宿に帰らなかったことがあります。飯+風呂。これで知人の8ミリ映画制作を手伝って回りました。ディランの場合は、ステディができたので、自分の部屋がないと都合が悪かったのでしょう。スージーの家に行けば、どうしてもその母親とぶつかります。いらいらするようになったので、結局自分の部屋が必要になりました。----------------------------------------------Not having a place of my own now was beginning to affect my supersensitive nature, so after being in town close to a year, I rented a third floor walk-up apartment at 161 West 4th Street at sixty dollars a month. It wasn't much, just two rooms above Bruno's spaghetti parlor, next door to the local record store and a furniture supply shop on the other side.----------------------------------------------部屋代は月額60ドル。ちょうど「ガス灯」での週給に相当する金額です。分相応といったところでしょうか。一階がスパゲッティ屋とレコード屋だというのは、便利ですね。"furniture supply shop"は、家具屋さんというよりも、日曜大工の道具を売っている店のようです。ディランは引っ越すとすぐに下の店で材料を買って、いろいろなものを自分で作ったそうです。テーブル二脚、戸棚、ベッド。ディランさん、すごく器用じゃありませんか。こういう作業が好きなんですね。----------------------------------------------I purchased a used TV, stuck it on top of one of the cabinets, bought a mattress and got a rug that I spread across the hardwood floor. I got a record player at Woolworth's and put it on one of the tables. The small room seemed immaculate to me and I felt that for the first time I had a place of my own. 僕は中古テレビを買って戸棚の上に積み、マットレスを買って、敷物を手に入れて板張りの床に敷いた。ウルワースでレコードプレイヤーを買ってテーブルの上に置いた。小さな部屋が完璧に見え、僕は初めて自分の場所を持ったのだと感じた。---------------------------------------------- 「リーダーズ英和+プラス」----------------------------------------------Woolworth1 ウルワース F(rank) W(infield) Woolworth (1852-1919) 《米国の実業家; 1879 年廉価販売の雑貨店 (いわゆる five-and-ten) を起こして成功; 1911 年 F. W. Woolworth を創立し, 翌年他の雑貨店チェーンを吸収, 没するまでに米国とカナダに 1000 店以上の店舗をもつ大企業に発展させた; 英国にも 1909 年進出》.2 ウルワース(社) (~ Corp.) 《米国の総合小売りチェーン; バラエティーストア Woolworth, Woolco (カナダ), 靴小売店 Kinney を経営; 1911 年 F. W. Woolworth_ が設立; 本社 New York 市》.---------------------------------------------- →Wikipedia: F. W. Woolworth Company二部屋あったけれどとても狭くて、夜には暖房が切れます。ディランは台所のガステーブルに火を付けて部屋を暖めたそうです。私も狭い四畳半の下宿で経験しました。小さなガスコンロでお湯を沸かして、部屋を暖めたものです。とろ火、とろ、とろ。私の城、大四畳半でした。
2006.10.10
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→Chapter 5: River of Iceディランは恋人スージーの母親に嫌われてしまいました。彼女のとってディランは「言語道断な暮らし方(nameless way of life)」をしていて、「誰一人として養ったりはできない人間」だったそうです。そう言われたんですね。もっとひどいことも言われたようです。口にタバコをくわえたまま、ディランに喧嘩腰でいちゃもんをつけてきたそうです。彼女にとってディランとは、夫を亡くした少し後に、とても大切にしていた娘のところに現われた疫病神といったところだったのでしょう。----------------------------------------------"How much did that guitar cost?" she asked me once. "Not much." "I know, not much, but still something." "Almost nothing," I said. 「そのギターはいくらしたの?」と、ある時僕に尋ねてきた。「あんまり高くないです。」「高くないのはわかってるけど、それでもいくらかしたでしょ。」「ほとんどただみたいなもんです」と、僕は言った。----------------------------------------------どうもディランも良くないですね。この時ディランが持っていたギターは、ミネアポリスで手に入れたMartin 00-17から次の機種に変わるかどうかといった頃でしょう。 →ディランのMartin 00-17 CHRONICLES #373それまで持っていたエレキギターを売り払い、変わりに手に入れたギターです。ボトムエンドのモデルだと書かれていますが、別に安物でお話にならないというギターではありません。 →Maritn 00-17Martin 00-17は現行機種ではありませんが、D-28が25万円だとすれば、10万円ぐらいに相当すると思います。ディランが入手した00-17は中古でしたし、ヴィンテージと称してふっかけられたようでもないので、今の日本でだと5万円ぐらいで買った中古という感じでしょうか。ピアノやバイオリンに比べればギターはかなり良いものでも、意外に手ごろな値段です。それでも、当時のディランにとっては唯一の財産です。ディランはむしろギターは「魔法の杖」だと自負していたはずです。値段をストレートに尋ねてくる母親もアレですけど、"Almost nothing"とだけ答えるディランも、なかなかですな。結局母親はあらゆる手段を使って娘のスージーとディランを引き離そうとします。ただいまp.267です。と、ここまで書いて今日のタイトルを「セヴンティーン」にしようと思ったのです。大江健三郎さんの小説を思い出しました。「セヴンティーン 第二部」に当たる「政治少年死す」。Googleで検索したら、不思議なサイトがありました。 →紙 魚 の 筺お・は・や・め・に。 →林光一さん、深沢七郎さん
2006.10.05
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→Chapter 5: River of Iceディラン青年の恋の苦悩は、一週間ぐらい続きました。----------------------------------------------As fate would have it, I ran into Carla again and asked about her sister. Carla asked me if I'd like to see her. I said, "Yeah, you don't know how much," and she said, "Oh, she'd like to see you, too." Soon we met up and began to see each other more and more. 運命の定めにより僕はまたカーラに出くわしたので、妹のことを尋ねた。カーラは会いたいかと訊いてきた。「ああ。どれだけ会いたいかわからないぐらい」するとカーラは言った。「あら、妹もあなたに会いたがってるのよ」----------------------------------------------ということで、すぐにうまく行ってしまったのです。な~んだ。ディランの場合は、スージーにキューピッドのような姉さんがいたのであっけなく成就(?)しました。今の若者は……携帯電話のおかげで話が簡単なんでしょうね。昔は大変だったんですよ。家に電話をかけて、呼び出してもらうんですから。普通は男の子が女の子の家に電話をかけて、一番煙ったいのは彼女のお父さんでしょうね。以前書いたと思いますが、中学生の時にクラスの連絡網で、つまり電話をかけ継ぐ順が決まっていて、次々に伝言をしていくのですが、建設関係のおうちの女の子の家に電話をかけて、非常に恐い思いをいたしました。何も悪いことしてないのに。元々手の速いディランは、あっという間にスージーといい関係になりまして、音楽以外の生活はスージーと一緒にいることが中心ということになりました。二人は魂の友だったのだろうと、ディランは言っています。----------------------------------------------Her mother Mary, though, who worked as a translator for medical journals, wasn't having it. Mary lived on the top floor of an apartment building on Sheridan Square and treated me like I had the clap. If she would have had her way, the cops would have locked me up. でも、医学雑誌の翻訳の仕事をしていた彼女の母親、メアリーはそんなふうに思っていなかった。シェリダン・スクェアのアパートの最上階に暮らしていて、僕を淋病持ちみたいに扱った。もしも自分の好きなようにできるのなら、僕を警察に捕まえてもらっていたことだろう。----------------------------------------------また極端な言いようです。どうしてそんなに嫌われたのでしょうか。シェリダンスクェアの写真を探していたら、あら、ディランが写ってます。グリニッジビレッジの通りですね。 →Shridan Square/Christopher Park
2006.09.29
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→Chapter 5: River of Ice初めて出会った後、ディランはスージーのことで頭がいっぱいになります。----------------------------------------------For the next week or so I thought of her a lot--couldn't shut her out of my mind, was hoping I'd run into her. I felt like I was in love for the first time in my life, could feel her vibe thirty miles away--wanted her body next to mine. Now. Right now. 次の週かそこらの間、僕は彼女のことをとても思っていた。頭から彼女を追い出すことができず、偶然出会わないかと思っていた。生涯で初めて恋をしたみたいに感じた。30マイル離れていても彼女の霊気を感じた。彼女の身体が僕の身体のすぐ横にいてほしかった。今だよ。今すぐに。----------------------------------------------恋ですねえ、恋ですわ。ドキドキしてるんですね。「霊気」なんて訳にしましたが、「ドキドキ」ぐらいの方がいいんでしょう。「待ち伏せ」ではありませんが、好きな人の現われそうなところをうろうろしたりなんて感じを思い出します。一歩間違えるとストーカーですが。どれが初恋だったのか。実はよくわからなかったりするものです。ほのかな慕情も入れていいんですよね。でも、いつまで経っても「これが初恋」っていうのも、手だとは思います。我らがディラン君の場合、少しはスージーを頭から追い出そうと思って、映画を観に行くことにします。その少し前に『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』と『聖衣(The Robe)』を観たばかりだったけれど、映画を観ようと思い立ったようです。 →Wikipedia: クォ・ヴァディス →クォ・ヴァディス(1951・米) →聖衣(1953) →Wikipedia: The Robeどちらも宗教映画ですね。何年も前の映画なので、2本立てで観たのではないでしょうか。大作なのでちとキツイですなあ。気分転換しようと今回観に行ったのは、『謎の大陸アトランティス(Atlantis, the Lost Continent)』と『キング・オブ・キングス(King of Kings)』でした。 →SF MOVIE DataBank: 謎の大陸アトランティス →Wikipedia: Atlantis, the Lost Continent →キング・オブ・キングス →King of Kings(1961)先に『キング・オブ・キングス』を観たけれど、物語に入っていけなかったそうです。そりゃそうだ。次に『謎の大陸アトランティス』。もしかしたら最高におもしろい映画だったのかもしれないけれど、集中できなかったそうです。そりゃそうだ。映画に誘えばいいのに。
2006.09.27
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→Chapter 5: River of Ice四十年以上前の恋の様子が続きます。スージーは17歳。東海岸の左翼家庭で育ちました。工場に勤めていた父親は最近亡くなりました。スージーは絵を描いたり、オフ・ブロードウェイの劇場の仕事をして、公民権運動の委員会の仕事をして……とにかくいろんなことをしていました。----------------------------------------------Meeting her was like stepping into the tales of 1,001 Arabian nights. She had a smile that could light up a street full of people and was extremely lively, had a particular type of voluptuousness--a Rodin sculpture come to life. She reminded me of a libertine heroine. She was just my type. 彼女に会うのは、アラビアンナイトの千夜一夜の物語の一つに足を踏み込むようなものだった。彼女の微笑みは大通りいっぱいの人を明るくするとだってできたし、そしてとても活発な人で、独特な艶めかしさがあった。ロダンの彫刻が生命を持ったようだった。彼女を見て、僕は奴隷から解放された物語の主人公を思い出した。彼女はまさにぴったり僕のタイプだった。----------------------------------------------ディランさん、恋に舞い上がってるんですが、妙にエッチっぽいですね。正直者なんでしょう。シンドバッドやアラジンやアリババといった、小さな頃に絵本で親しんだ物語を、中学生ぐらいの時にバートン版の日本語訳か何かで少し読んで、びっくりした覚えがあります。テレビで放送できないような言葉がたくさん並んでいたのです。 →Wikipedia: 千夜一夜物語 →Wikipedia: The Book of One Thousand and One Nightsロダンの彫刻というのも、リアルな肉体描写で有名だったのですから、いきなり何かとても官能的な回想です。 →Wikipedia: オーギュスト・ロダン →[ musee RODIN ]ふと思い出しました。ロダンの「考える人」のレプリカは、日本に何体あるのでしょう。いえ、思い出したのは、小さな頃に見たアメリカのテレビドラマです。お金がない青年が、アルバイトに励みながらニセ学生を続けるといったようなお話。コメディです。このドラマに、毎回ロダンの「考える人」が出てきたのです。キャンパスの通路みたいなところだったでしょうか。タイトルも何も忘れてしまったのですが、検索しまくって発見しました。動画も見ることができます。 →[ Hank ]「考える人」は、ハンクが憧れた大学生活の象徴だったんですな。そうか、彼の両親は自動車事故で死んだという設定なのか。妹を養って、それでニセ学生として大学の授業を受けて。最終話で奨学金を獲得するといったようなこともまったく覚えていません。努力すれば報われるのだという、アメリカンドリームを語ることでドラマが成立した、最後の時代だったのかもしれません。邦題は「学園は大騒ぎ」で、1966年(昭和41年)に放映していたようです。
2006.09.22
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→Chapter 5: River of Iceカーラは黒髪でしたが、妹のスージーはジャケット写真でおなじみのように、金髪でした。必然的に肌も白い(fair skinned)のです。もっとも、今の日本には肌が黄色いのに頭が金髪という人が結構たくさんいます。不自然ですなあ。この姉妹はまじりっ気のないイタリア系でした。----------------------------------------------The air was suddenly filled with banana leaves. We started talking and my head started to spin. Cupid's arrow had whistled by my ears before, but this time it hit me in the heart and the weight of it dragged me overboard.突然空気がバナナの葉でいっぱいになった。話を始めると、僕の頭はぐるぐる回り始めた。以前はキューピッドの矢は僕の耳をひゅーとかすめていたのだが、今回は心に当たったので、僕はその重みで夢中になってしまった。----------------------------------------------バナナの葉の比喩はよくわかりません。トロピカルなムードになったんでしょうか(なんのこっちゃ)。ちなみにバナナの皮といえば、お約束のつまずきを意味します。バナナで、「白人べったりの東洋人」ですね。つまり、自民党に率いられた日本人。だめじゃん。キューピッドはもちろんローマ神話で愛の神。[リーダーズ英和]----------------------------------------------Cupid1 【ロ神】 クピードー, キューピッド 《Venus の子で, 翼の生えた裸の美少年が弓矢を持つ姿で表わされる恋の神; ギリシアの Eros に当たる》.2 [c-] 愛の使者, 《まれ》 美少年.[L (cupio to long for)]----------------------------------------------Eros1 【ギ神】 エロース 《Aphrodite の息子で恋愛の神; ローマの Cupid に当たる》.2 【精神分析】 生の本能, エロス (=life instinct) (cf. →THANATOS).3 [Oe-]a 官能の愛, 性愛, 欲情 (cf. →AGAPE).b 熱望, 渇望.4 【天】 エロス《太陽に近い小惑星》.5 エロス《London の Piccadilly Circus の中心にある, キリスト教でいう charity を表わす天使の像》.[L<Gk er_t- er_s sexual love]----------------------------------------------ギリシャ神話のエロースと同じはずなんですが、だいぶ印象が違います。「エロい」なんて言い方は、キューピッドの場合はされません。やっぱりキューピー人形を思い浮かべるからでしょうか。 →Wikipedia: キューピーマヨネーズを作っている会社は、読みは同じなんですが、綴りは「キユーピー」です。キャノンが実は「キヤノン」なのと似ていますね。以前、キューピー人形の著作権侵害を争った裁判があったと思うのですが。おお、これこれ。 →キューピー事件すっごくわかりにくいんですが、控訴棄却でキユーピー社が勝ったということですよね。良かった、良かった。おかげで「♪た~らこ~♪」を楽しめるわけです。 →たらこキユーピー 音量注意!おっと、作曲は上野耕路さんなんだ。 たらこ・たらこ・たらこ
2006.09.21
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→Chapter 5: River of Ice一行空けて、話が変わります。----------------------------------------------Backstage the humidity was soaring. Performers came and went, waited to go on and milled around. As usual, the real show was backstage. I was talking to a dark-haired girl, Carla Rotolo, who I knew a little bit.楽屋では湿度が急上昇した。演奏者が出入りし、出番を待ってうろうろしていた。いつものことだが、本当の見ものは楽屋だった。僕は少しだけ知っていた黒髪の娘、カーラ・ロトロと話をしていた。----------------------------------------------カーラ・ロトロ?そうです。ディランのアルバム「フリー・ホイーリン(The Freewheelin')」(1963年)のジャケットでおなじみの、スージー・ロトロのお姉さんです。ここからスージーの話になります。みうらじゅんさんがNHKの「ロック誕生50年」で、このジャケットのことをこう言ってました。----------------------------------------------フリーホイーリンの、二枚目の21歳の時のジャケットからして、当時つきあってた素人の女の方とジャケットに写って、世界中に撒くと。みずからフライデーってやつですかねえ。---------------------------------------------- The Freewheelin' Bob Dylanサントラ盤CD"NO DIRECTION HOME"のパンフレットには、このジャケット写真と同じ時に撮った写真が使われています。何よりも、映画"NO DIRECTION HOME"にスージー御本人が出てきたのには驚きました。実年齢よりもかなり若い感じのする人です。カーラはアラン・ローマックス(Alan Lomax)の手伝いをしていたそうです。私設秘書みたいなものかしら。アラン・ローマックスはほれ、「偉大なる民俗文書館員」とディランが呼んでいた人ね。国会図書館のリサーチで、フォークソングを収集していました。そして、カーラが妹のスージーを紹介してくれたのです。スージーは本当は"Susie"でしたが、"Suze"と綴っていたそうです。以前「スーズ・ロトロ」なんて訳を見かけたことがありますが、そのせいですね。ディランはいきなりすごいこと書いてますよ。----------------------------------------------She was the most erotic thing I'd ever seen.----------------------------------------------う~ん。ただいまp.265です。
2006.09.18
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→Chapter 5: River of Iceヴァン・ロンクの妻テリはディランに他の町での仕事を探して来てくれましたが、ディラン本人はニューヨークから出たいと思っていませんでした。もしも外へ行きたいと思っていたら、初めからニューヨークに来たりしなかっただろうと言っています。----------------------------------------------I was fortunate to have the regular gig at the Gaslight and wasn't on any wild goose chase to go anywhere. I could breathe. I was free. Didn't feel constrained. Between sets I mostly hung out, drank shooters of Wild Turkey and iced Schlitz at the Kettle of Fish Tavern next door and played cards upstairs at the Gaslight. Things were working out fine. I was learning all I could and stayed keyed up.僕は幸運にも「ガス灯」で定期的に演奏できるので、当てもなく雁を追うような真似はまったくしなくて済んだ。僕は息をすることができた。僕は自由だった。束縛された感じはしなかった。ステージの幕間にはたいてい外へ出ていって時間をつぶした。隣のケトルオブフィッシュという酒場でワイルドターキーや氷で冷やしたシュリッツを飲んで、ガス灯の二階でカードをやった。すべてうまく行っていた。自分が学べるものはすべて学んでいたし、緊張した状態を保っていた。----------------------------------------------ニューヨークに今も"Kettle of Fish"という酒場があるようですが、違う店でしょうかね。 →Kettle of Fishワイルドターキーは、もちろんバーボンですわね。もう長いこと飲んでいませんが、日本のオフィシャルサイトを見ていたら、飲みたくなりました。あ、キャンペーン、終わってる。 →ワイルドターキー[リーダーズプラス]----------------------------------------------wild turkeyn.1 【鳥】 ゴウシュウオオノガン (plain turkey).2 [W_ T_] 【商標】 ワイルドターキー 《米国 Austin Nichols Distilling 社製のストレートバーボンおよびライ麦ウイスキー; ともに 101 proof, 8 年熟成で, 1855 年より販売》.----------------------------------------------「バーボン」の地名は、独立戦争の際アメリカの味方をしたフランスの「ブルボン朝」に由来するそうです。シュリッツというビールは飲んだことがありませんが、よく冷えたやつ、うまそうですね。「ミルウォーキーを有名にしたビール」だそうです。 →Schlitz Beer →Wikipedia: Joseph Schlitz Brewing Company[リーダーズプラス]----------------------------------------------Schlitzn. 【商標】 シュリッツ 《米国の Stroh Brewery 社製 (もと Joseph Schlitz Brewing 社製) のビール; キャッチフレーズは `The Beer that Made Milwaukee Famous'》.----------------------------------------------ただいまp.264です。喉が渇いたな。
2006.09.15
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→Chapter 5: River of Iceヴァン・ロンクの妻テリは、夫のステージ契約をきりもりしていました。----------------------------------------------Terri had managed to get Dave booked in places like Boston and Philly . . . even as far away as St. Louis at a folk club called Laughing Buddha. For me, those gigs were out of the question. You needed at least one record out even if it was on a small label to get work in any of those clubs.テリはボストンやフィラデルフィアのようなところでの出演契約を取っていた。はるばるセントルイスの「弥勒仏」というクラブの出演契約もあった。僕に関しては、そういうところに出演するのは問題外だった。そういったクラブはどこでも、仕事をするにはたとえ小さなレーベルからでも、少なくとも一枚のレコードを出していなければならなかったから。----------------------------------------------それでもテリは頑張って、ディランに仕事を見つけてきてくれました。ありがたいことですな。もっとも、ディランはあまりニューヨークから外に出たくなかったのだそうです。さて、"Laughing Buddha"という不思議な名前のクラブが出てきました。辞書を引くと、一応「弥勒仏」なんだそうです。あれ?弥勒菩薩は笑っているでしょうか?微笑んでいるのなら、わからんでもないんですが。どうやら中国の弥勒仏とは、日本では七福神でおなじみの布袋さんを指すようです。なんだかおかしい感じがしますが、私は弥勒や布袋に関して何を知っているわけでもありません。布袋は実在した禅僧です。 →The Laughing Buddha リーダーズ英和(プラス)----------------------------------------------Laughing Buddha n. [the ~] 《中国の》 弥勒仏 (=→MI-LE-FO_).Mi-le-fo n. 弥勒仏 (=→MAITREYA_) 《中国では布袋(ほてい)和尚が弥勒の化身とされたことから, 布袋像が弥勒仏の像となっており, これは英語で Laughing Buddha とも呼ばれる》Maitreya n. 【仏教】 マイトレーヤ, 弥勒(菩薩), 未来仏 (future Buddha) 《「慈氏」とも漢訳される; 釈迦に次いで仏になることが約束された菩薩; 釈迦没後 56 億 7 千万年後に仏となって人びとを救済するとされる》.---------------------------------------------- 広辞苑第五版----------------------------------------------ほてい【布袋】後梁の禅僧。明州奉化の人。名は契此かいし、号は長汀子。四明山に住み、容貌は福々しく、体躯は肥大で腹を露出し、常に袋を担って喜捨を求め歩いた。世人は弥勒の化身と尊び、その円満の相は好画材として多く描かれ、日本では七福神の一とする。( ~917)----------------------------------------------『ぼくたちの疾走』(山本おさむ)というマンガがあります。80年代に週刊漫画アクションに連載されました当初はスチャラカな高校生の日常を描いていたのですが、途中から暗い部分も出てくるようになりました。マイトレーヤと聞くと、そのマンガを思い出します。西海岸発の原始仏教ブームを気取った連中が、主人公たちをひどい目に合わせるのです。私も下北沢あたりで、「マイトレーヤ」などと言いたがる、似たような人たちに嫌な思いをしたことがあります。オウム真理教事件の時、高橋和巳『邪宗門』とともに、このマンガを思い出しました。
2006.09.10
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Ice一行空けて、ヴァン・ロンクの妻の話に変わります。----------------------------------------------Van Ronk's wife, Terri, definitely not a minor character, took care of Dave's bookings, especially out of town, and she began trying to help me out.ヴァン・ロンクの妻テリが控えめなタイプではないことは明らかで、デイヴの出演契約を管理していた。特にニューヨーク以外の場所での公演は彼女の担当で、私の契約も取ろうとしてくれた。----------------------------------------------TerriはTheresaの異形だそうです。姐御ですね。ディラン青年、大いに世話になってます。ヴァン・ロンクと同様にはっきりものを言う人で、特に政治に関しては自説を曲げなかったそうです。知的で話についていくのが難しかったと言っていますが、難解なものの言いよう(highfalutin')に、ディランは閉口していたのかもしれません。----------------------------------------------Both were anti-imperialistic, antimaterialist. "What a ridiculous thing, an electric can opener," Terri once said as we walked past the shop window of a hardware store on 8th Street. "Who'd be stupid enough to buy that?" 二人とも反帝国主義者で、反物質主義者だった。「何て馬鹿なものを、電気缶切りだって」八番街の金物屋のショーウィンドーの前を通りかかった時にテリが言った。「あんなものを買う馬鹿がいるの?」----------------------------------------------「反唯物論者」とも読めるんですが、文脈からは「反物質主義者」の方が良さそうです。しかし、電動缶切りとはどうなんでしょう。便利なような、不便なような。少なくともアウトドアや非常時には向きませんね。検索したら、ありました。電池で動くようです。
2006.09.06
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------He also never phrased the same thing the same way twice. Sometimes I'd hear him play the same song that he'd done in a previous set and it would hit me in a completely different way. He'd play something, and it was like I'd never heard it before, or not quite the way I remembered it.彼はまた、同じものを二度同じように歌うことがけっしてなかった。前の出番で歌ったのと同じ歌を演るのを聴くことがあったが、僕はまったく違う印象を受けたものだ。彼が何かを演ると、それは僕が一度も聴いたことのない曲のようだったり、僕が覚えているのとまったく違ったりした。----------------------------------------------「フレーズ」なので、言葉の遣い方にも、楽節の動きにも取れるのですが、とりあえず「歌い方」と考えておきましょう。伴奏のリズムやコード進行まで含めるとわかりやすいですね。あの長調の「朝日のあたる家」を短調に作り替えたのは、劇的でした。でも、ここでは歌唱力のことだけ言っているように思います。目を見つめて少しずつ声を変え、ヴァン・ロンクは聴いている者を催眠術にかけます。----------------------------------------------He was built like a lumberjack, drank hard, said little and had his territory staked out--full forward, all cylinders working. David was the grand dragon. 彼は材木伐り出し人のような頑丈な体格で、大酒のみだった。口数は少なく、自分の縄張りはしっかりと杭で囲っていた。前に突進し、いつもエンジンがフル回転だった。デビッドは、堂々としたドラゴンだった。----------------------------------------------念の為に辞書を引いてみると、Ku Klux Klan の州組織の首領が"grand dragon"と呼ばれているそうです。「ドラゴン」は「ドン」ぐらいの感じで言っているのかもしれません。ウディ・ガスリーが商業的成功を捨てたように、ヴァン・ロンクも操りに人形になることは拒んだようです(No puppet strings on him ever)。まるで巨人の国から来た人のようだったとディランは書いています。だから、亡くなった今もニューヨークで愛されているのでしょうね。 →dave van ronk unauthorizedただいまp.263です。
2006.09.05
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Iceヴァン・ロンクの話が続きます。----------------------------------------------One of his patented dramatic effects would be to stare intently at somebody in the crowd. He'd pin their eyes like he was singing just to them, whispering some secret, telling somebody something where their lives hung in the balance.彼が始めた劇的効果としては、聴衆の中の誰かをじっと見つめるという手がある。その人のためだけに歌っているかのように視線を固定して、何か秘密の話をするかのようにささやきかけ、人生がどちらに行くのか秤にかかっているところで誰かに大切なことを教える。----------------------------------------------これは演技なんですね。大きな舞台では難しいですが、ライブハウスといった雰囲気のところでは特別な効果がありそうです。ロバート・アルトマン監督の傑作映画『ナッシュビル』に、ちょうどそんなシーンがあります。キース・キャラダインが客の目をじっつ見つめながら歌います。前にどこかで書いたな。ああ、これこれ。 →幻泉館日録:ナッシュビル(1975年)ウディ・ガスリーを演じたデヴィッド・キャラダインの弟、キース・キャラダインが、自作の曲を弾き語りします。これがいいんですわ。そりゃ、じっと見つめられたらイチコロですわな。何のこっちゃ。ああ、DVD発売してください。ロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』!
2006.09.02
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ディランの新譜が届いた。今回はおまけDVDの都合上、日本盤を注文。夏の終わりに届くんだなあと思っていたのだった。夏が終わった。「☆ボブ・ディラン・直輸入スペシャルグッズプレゼント!」という、妙なシールが貼り付いている。グッズって何だ?当たれよ!帯荷は\3,150-(悪税込み)となっているんだけど、アマゾンだと\2,520-(悪税込み)です。不思議。CDは再販価格制度外れてたんだっけ。本末転倒だけど、そのおまけのDVDをまず観る。#1 Blood In My Eyes (1993年) これは変。#2 Love Sick (1998年) 不思議な空間だと思ったら、グラミー賞受賞式のステージ。 乱入男"SOY BOMB"の映像はカットしてほしくなかったなあ。#3 Things Have Changed (2000年) これも変。 PVや口パクが似あわない人だなあ。#4 Cold Irons Bound (2002年) 『ボブ・ディランの頭のなか(Masked And Anonymous)』撮影時の演奏。 固定した広角撮影が面白い。そうそう何回も観るものではなさそうなので、やっぱり輸入盤で良かったのかなあ。さて、肝心の新譜。1曲目はディランがしわがれ声で静かに歌うロックンロール。懐かしいメロディに、ディランらしい言葉が載せてある。 ♪ Gonna make a lot of money, gonna go up north ♪ I'll plant and I'll harvest what the earth brings forth ♪ The hammer's on the table, the pitchfork's on the shelf ♪ For the love of God, you ought to take pity on yourself ♪ 金儲けをしよう、北へ行こう ♪ 種を蒔いて、大地がもたらすものを刈り取るんだ ♪ テーブルにはハンマー、棚には乾し草用フォーク ♪ 神への愛のために、身を哀れに思うべき "Thunder On The Mountain" 山上の雷鳴ははは、何だかわからんですな。米国盤オリジナルジャケットに日本語パンフレットを挟み込んだ、ディランものとしては珍しい体裁です。中川五郎さんの訳詞は付いていますが、元の歌詞が載っていないのは残念。ちょっとがんばってほしかったなあ。
2006.08.31
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→Chapter 5: River of Ice----------------------------------------------Van Ronk's voice was like rusted shrapnel and he could get a lot of subtle ramifications out of it--delicate, gentle, rough, explosive, sometimes all within the same song.ヴァン・ロンクの声は錆びた榴散弾のようで、それを少しずつ変化させて様々な声を作り出すことができた。やわらかい声、穏やかな声、荒々しい声、爆発するような声。時には同じ歌の中でも使い分けた。----------------------------------------------"shrapnel"は「爆弾の破片」でも良いのですが、辞書に載っていた「榴散弾」という言葉を遣ってみました。漢字のおかげ想像できるのですが、正確には何なのかわかっていません。こんなものでした。 →榴散弾(榴霰弾)それにしても、やっぱりよくわからない比喩です。ウディ・ガスリーの時にも出てきましたが、いろいろな声を操ることのできる歌手を、ディランは尊敬しているようです。実際、ディランもいろいろな声で歌っていましたね。私がこんなことを言うのも変ですが、ディランはとても歌の上手な人なんだと思います。----------------------------------------------He could conjure up anything--expressions of terror, expressions of despair. He also was an expert guitar player. All that, and he had a sardonic humorous side, too. I felt different towards Van Ronk than anyone else on the scene because it was him who brought me into the fold and I was happy to be playing alongside him night after night at the Gaslight.彼は魔法で何でも作り出すことができた。恐怖の表現も、絶望の表現も。また、ギターの名手でもあった。そのうえ、茶化すようなユーモラスな側面もあった。僕はそのころの他の誰に対するのとも違う思いを、ヴァン・ロンクに感じていた。その仲間に入れてくれて、毎晩「ガス灯」で一緒に演奏させてくれているのがとても嬉しかったから。----------------------------------------------「ガス灯」は本物の客がいる、本物のステージでした。そこでは、本物の歌が歌われているのです。仲間入りができて、本当に嬉しかったのでしょう。ヴァン・ロンクのアパートにはいつでも泊めてもらえたり、ジャズを演奏している店にあちこち連れていってもらったり、ヴァン・ロンクには本当に世話になっていたそうです。当時連れていってもらったジャズ・クラブの名前としては、こんなものが挙がっています。Trudy Heller's, the Vanguard, the Village Gate, the Blue Note →The Village Vanguard Web Site →The Village Gate →Blue Note Jazz Clubただいまp.262です。
2006.08.28
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!] →Chapter 5: River of Iceポール・クレイトンの友人は他所から来た人たち(out-of-towners)でした。クレイトンと同様に、みな階級から離れたところ(caste apart)にいようとするのです。一般的な社会規範から外れ(nonconformists)ているのですが、ケルアックのように自分の活動を世間に認めさせようとするわけでもありません。クレイトン以外にフォークの連中はいなかったようですが、ディランはこの人たちがとても好きだったそうです。それはそうですよね、宿無しのディランを自分の部屋に泊めて好き勝手やらせてくれたレイのような人たちなんですから。その連中の仲間ではありませんが、クレイトンはデイヴ・ヴァン・ロンクとも仲の良い友人でした。 →dave van ronk unauthorized →Wikipedia: Dave Van Ronk当時、ヴァン・ロンクは最高のフォークシンガーでした。----------------------------------------------I was greatly influenced by Dave. Later, when I would record my first album, half the cuts on it were renditions of songs that Van Ronk did. It's not like I planned that, it just happened. Unconsciously I trusted his stuff more than I did mine.僕はデイヴに大きな影響を受けた。後に最初のアルバムを録音することになった時、その半分はヴァン・ロンクの解釈によるものだった。そういうつもりだったのではなくてそうなってしまったのだ。知らず知らずのうちに、僕は自分の曲よりも彼の曲を信頼するようになっていたのだ。----------------------------------------------"No Direction Home"の中で、ヴァン・ロンクが怒ってみせていましたね。「朝日のあたる家(House of the Rising Sun)」の短調(マイナー)によるコード進行は、ヴァン・ロンクが作ったものです。それを先にレコードにされてしまったのです。もう自分はそのコード進行で歌うことができなくなってしまったと。それが1962年。元歌は高田渡さんが「朝日楼」というタイトルで好んで歌っていたように、長調で知られていたのでしょう。このマイナーのコード進行を元にアニマルズが「朝日のあたる家」をブリティッシュロックに仕立て上げて大ヒットさせます。それが1964年。東京オリンピックの年です。これでディランも「朝日のあたる家」が歌えなくなったんだとヴァン・ロンクは大笑いしていました。でも、その大ヒットのおかげでディランがロックに回帰するきっかけができたのだから、わからないものですね。 →bobdylan.com: Albums →幻泉館日録:朝日楼
2006.08.18
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→I Love Sunset! →Chapter 5: River of Ice「ガス灯」には、ポール・クレイトン(Paul Clayton)も時々出演していました。 →The Bob Dylan Who's Who: Clayton, Paul →Paul Clayton Discographyこの名前も、前に出てきました。インテリで、学者で、詩人。ディランがその部屋に居候することになったレイ・グーチ(Ray Gooch)を紹介してくれた人です。若いディランをずいぶんかわいがってくれたんですね。 →CHRONICLES #14 (Bob Dylan) →CHRONICLES #57 アヘン吸飲者レイ →
2006.08.11
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→I Love Sunset! →Chapter 5: River of Iceロード・バックリーはディランがニューヨークに出る前年に亡くなったので、ステージを見ることができなかったそうです。レコードで親しんでいたのですね。「ガス灯」の他の出演者としては、他にハル・ウォーターズ(Hal Waters)、ジョン・ウィン(John Wynn)、ルーク・ファウスト(Luke Faust)、ルーク・アスキュー(Luke Askew)の名前が挙がっています。ハル・ウォーターズはいいサイトが見つかりませんでした。ルーク・ファウストは「アパラチアン・バラッドを歌う」と書いてあるのですが、「Insect Trust」というバンドがヒットします。ルーク・アスキューは後に俳優になったそうです。 →John Wynn Home →The Insect Trust- Tribute →the insect trust - hoboken saturday night →ルーク・アスキューおっと、出演者の名前はまだまだ続きます。 →Illustrated Len Chandler discographyレン・チャンドラーは前にも出てきました。3回目ですね。ディランは、レン・チャンドラーが好きだったんですね。 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった →夕暮れ CHRONICLES #112
2006.08.10
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→Chapter 5: River of Ice当時の「ガス灯」の出演者に、ヒュー・ロムニーという人物がいました。いつもブルックス・ブラザーズの明るいグレーのスーツを着ている真面目な雰囲気の独演者(monologist)です。 →Brooks Brothersそれでいて、うちとけた雰囲気の話し方で、反体制的な話をするのです。レニー・ブルース(Lenny Bruce)みたいなものでしょうか。同じ時代ですね。 →The Complete Lenny Bruce →Wikipedia: Lenny Bruceディランによれば、ロムニーはロード・バックリー(Lord Buckley)の影響を受けていたけれど、まだまだその域ではなかったそうです。あら、リンカーンの首が挿げ替えてあるわ。 →Lord Buckley.comヒュー・ロムニーは、後にサイケデリック・ピエロ(psychedelic clown)のウェイヴィ・グレイヴィ(Wavy Gravy)になりました。サイケデリック・ピエロというのを初めて聞いたのですが、本人のサイトがありました。確かに、サイケなピエロです。強烈よ。 →Wavy Gravy's Homepage
2006.08.08
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「ガス灯」では、ノエル・ストーキー(Noel Stookey)がMCをしていました。PP&Mに参加して「ピーター」を名乗る前ですね。アルバート・グロスマンの誘いをヴァン・ロンクは断り、そしてストーキーが受け入れて「ピーター」になりました。グロスマンは聖書のイメージを利用するために「ピーター」が必要だったのです。 →PP&M誕生 CHRONICLES #136 →Noel Paul Stookey「MC」というのは「emcee」と綴ることもありますね。"master of ceremonies"の頭文字だそうで、つまり司会のことです。日本だと少し違う意味で遣ってるかしら。演奏の合間のトークみたいな感じかな。若き日の坂崎幸之助さんは、林家三平師匠の噺を聞いてトークの勉強をしたそうです。高田渡さんは、あれは元々の才能でしょうか。そういえば渡さん、お酒や演奏(高座)途中の居眠りは、五代目志ん生にそっくりですな。 →Wikipedia: 古今亭志ん生 (5代目)-----------------------------------------------He worked in a camera store during the day. At night he was dressed in a neat three-piece suit, was immaculately groomed, a little goatee, tall and lanky, Roman nose.彼は昼間カメラ店働いていた。夜には三つ揃えを完璧に着こなしていた。あごの下にやぎのような髭を少し生やし、背が高くひょろりとして、ローマ鼻をしていた。-----------------------------------------------え~っと、ローマ鼻というのは鼻梁が高い、いわゆる鉤鼻ですな。-----------------------------------------------He could imitate just about anything--clogged water pipes and toilets flushing, steamships and sawmills, traffic, violins and trombones. He could imitate singers imitating other singers. He was very funny. One of his more outrageous imitations was Dean Martin imitating Little Richard.彼は何でも真似することができた。詰まった水道管にトイレで水を流す音、蒸気船と製材所ののこぎり、車の通る音、バイオリンとトロンボーン。歌手が他の歌手の真似をしているところも、物真似することができた。とてもおもしろかった。一番すごい物真似は、ディーン・マーチンがリトル・リチャードの真似をしているところだった。-----------------------------------------------ディーン・マーチンの物真似というのは、よくありましたね。しかし、ディーン・マーチンがリトル・リチャードの真似をすると、どうなるんでしょう。 →Dean Martin Fan Center →Little Richard News
2006.08.06
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→Chapter 5: River of Ice-----------------------------------------------New York City, midwinter, 1961. Whatever I was doing was working out okay and I intended to stay with it, felt like I was closing in on something. I was playing on the regular bill at the Village Gaslight, the premier club on the carnivalesque MacDougal Street. ニューヨーク市、1961年真冬。僕のやっていることは何もかもうまくいき、そして何かに近づきつつあるのを感じながら、これを続けていくつもりだった。カーニバルのようなマクドゥーガル街の一級クラブ「ビレッジ・ガス灯」へ定期的に出演して演奏していた。-----------------------------------------------当時の「ガス灯」のオーナーは、ジョン・ミッチェル(John Mitchell)という伝説的な人物でした。ディランはミッチェルにはほんの数回会っただけでした。ジャック・ケルアックが小説で描いたエキゾチックな風貌の女性のモデルとなったガールフレンドがいたそうです。地元のマフィアにみかじめ料を払わなかったので、「ガス灯」は警察や消防や保健所から嫌がらせを受けていたようです。弁護士を立ててがんばっていたようですが、ある日突然ミッチェルは「ガス灯」を売り払って、外国へ行ってしまいました。なんだか興味深い人物です。その後どうなったんでしょう。検索したら、不思議なサイトがヒットしました。 →COLUMN SIXこの時に、ディランが受け取っていた報酬は、週に現金で60ドルでした。ミネアポリスで歌っていた時は、一回で3ドルから5ドルです。ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時には、100ドルを前払いで受け取っています。「ガス灯」の週60ドルは、悪くない金額だったようですね。ただいまp.259に入ったところです。
2006.08.05
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