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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]ディランは外界からの刺激で歌を作る詩人なんですね。例の"Political World"も、現代のできごとがきっかけだったかもしれないと書いています。大統領選挙が過熱していたので、その情報がいやでも耳に入ってきたのだそうです。1988年の大統領選挙……ブッシュvsデュカキスですね。そんなに盛り上がったんでしょうか。あ、パパ大統領の方です。その次の1992年にクリントンがブッシュに勝ちました。しかし、パパブッシュが大統領にならなければ、今のこの戦争もなかったでしょうにね。誰が当選しても同じ、なんてことはないんですよ。-------------------------------------------------------The song is too broad. The political world in the song is more of an underworld, not the world where men live, toil and die like men. With the song, I thought I might have broken through to something. この歌が歌っている範囲は広すぎるものだ。この歌の政治的世界とは、人が人らしく生きて、苦労して、死ぬ世界のことではなく、ある地下の世界のことをより多く歌っている。この歌のおかげで、僕はあるところへ突破できたのかもしれないと思った。-------------------------------------------------------この歌のおかげで、ディランは眠りから目覚めることができたようだったと言っています。前にも書いたように、元の歌詞は二倍ぐらいありました。その削った部分が少し書いてあります。-------------------------------------------------------We live in a political world.Flag flying into the breeze.Come out of the blue -- moves towards you -- like a knife cutting through the cheese. 僕たちは政治的世界に暮らしている。そよ風の中にはためく旗。はるかかなたから現われて 君の方へ動く チーズを切るナイフのように-------------------------------------------------------恐いです。
2005.09.17
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二行空けて話が変わります。-------------------------------------------------------A song is like a dream, and you try to make it come true. They're like strange countries that you have to enter. You can write a song anywhere, in a railroad compartment, on a boat, on horseback -- it helps to be moving.歌というのは夢のようなものであり、人はそれを実現させようとするものだ。入って行かなければならない、見知らぬ国のようでもある。列車の客室の中でも、船の中でも、馬上でも、どこでも歌を書くことはできる。動いているというのが助けになる。-------------------------------------------------------歌を作ったことがないので、乗り物に乗っている時が良いというのは、よくわかりません。鉄道だと、あのレールの継ぎ目が立てるリズムは、邪魔になりそうな気がします。アトリエとか書斎とか、独りで集中できる場所がいいのだと思っていました。-------------------------------------------------------Sometimes people who have the greatest talent for writing songs never write any because they are not moving.歌を書く才能がとてもあるのに、移動することがないので一つも歌を書かない人も、時にはいるものだ。-------------------------------------------------------そうなんだ!「どうして旅に出なかったんだ」だから歌を書いてないんだな、私は。なんだか納得してしまいます。自分の外側に見聞きしたものが、歌に影響を与えるということですね。"Political World"に続き、ディランは短い期間に二十曲ほどを作りました。この期間には移動をしていないそうです。でも、心の中では旅をしていたというようなことを言っています。p.166に入りました。
2005.09.16
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p.165の冒頭で段落が変わります。-------------------------------------------------------The one thing that I had no strong desire to do was to compose songs. I hadn't written any in a long while, anyway. I had stopped doing that, just wasn't crazy for it. My last couple of record albums didn't contain many of my own compositions.歌を作りたいという強い欲求はなくなっていた。とにかくもう長い間一曲も書いていなかった。曲作りをやめてしまったのだ。熱意を失っていた。最新のアルバム2枚には、自分の作った曲があまり入っていなかった。-------------------------------------------------------"Oh Mercy"(1989)の前のアルバムですか。"Dylan & the Dead "(1988)を除外すると、"Down in the Groove"(1988)と"Knocked Out Loaded "(1987)ですね。確かに他の人の作った曲が多いようです。あと、合作も多いですね。 →bobdylan.com: Down in the Groove →bobdylan.com: Knocked Out Loaded-------------------------------------------------------As far as being a songwriter went, I couldn't have had a more casual attitude.ソングライターであるということに関するかぎり、僕はこのうえもなく無頓着な態度になっていた。-------------------------------------------------------とっくにたくさんの歌を作っていましたし、満足できる水準に達するものも多かったことでしょう。ちょっと思いついたからといって、わざわざそれをちゃんとした曲に仕上げようという情念が湧いてこなかったのです。ところが、みんなが寝静まった夜中に台所のテーブルに向かっていると、突然何かが変わりました。一気に書き上げた20連から成る歌詞は"Political World"と名付けました。"Oh Mercy"の1曲目に入った曲ですね。アルバムでは半分近くに減っています。 →bobdylan.com: Political World ♪ We live in a political world, ♪ Love don't have any place. ♪ We're living in times where men commit crimes ♪ And crime don't have a face 僕たちは政治的世界に暮らす 愛には場所なんてない 人が犯罪を犯す時代に暮らしているんだが 犯罪には顔がないそれから一ヵ月かそこらの間に、ディランは二十曲を書き上げます。音楽を捨てようととまで思い詰めた「休養」期間のおかげで、ディランの表現欲求が甦ったのでしょう。-------------------------------------------------------They were easy to write, seemed to float downstream with the current. It's not like they'd been faint or far away -- they were right in my face, but if you'd look too steady at them, they'd been gone.曲を書くのは簡単なことだった。流れに浮かんでやってくるようだった。かすかだったり、離れていたりもしなかった。僕の顔の真ん前にあったのだ。でも、しっかり見つめると消えそうだった。-------------------------------------------------------
2005.09.13
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手に怪我をして楽器が弾けないことで、ディランは落ち込みます。あるいは、多少やけになっていたのかもしれません。-------------------------------------------------------I began to see less and less of the daylight. I'd lay back in the chair to rest my eyes and then two or three hours later wake up -- go off to get something and forget what I went there to get.僕はだんだん日の光を見ることがなくなっていった。椅子で横になって目を休め、それから2、3時間して目を覚ます。何かを取りに行くのだけど、何を取りにそこへ行ったのか忘れてしまう。-------------------------------------------------------結局ディランから音楽を取り上げることはできないということですね。心の支えになっていたのは奥さんでした。ディランによれば、「一緒にいて、おおらかに自分のエネルギーを受け入れてくれる人がいる」というのは、とても大切なことなのだそうです。ディランの伝記的な事実を知らないので、この奥さんがどんな人なのか、私にはまったくわかりません。「サラ」ではないんですよね?-------------------------------------------------------One day when she was wearing metallic sunglasses I could see myself in miniature and thought how small everything had become.ある日、妻はメタリックのサングラスをかけていて、ちっぽけな自分が映っているのが見えた。何もかもがとても小さくなってしまったんだなと思った。-------------------------------------------------------映画の一場面のようです。フェリーニでしょうか。私も自分が本当にちっぽけな人間なんだなと思うことが時々ありますが、ディラン御大にもそんな時があったのですね。以前バスに乗っていて、「小人料金」にギョッとしたことがあります。小人は「こびと」か「しょうじん」だよなあ。大人は「おとな」「たいじん」「うし」ぐらいかな。 →松岡正剛の千夜千冊:芥川龍之介『侏儒の言葉』
2005.09.12
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とりあえず普通の生活(conventional life)を送ってみるのもいいかもしれないとディランは考えました。音楽業界とは縁のない生活です。-------------------------------------------------------I was thinking ahead. I called a fried of mine who put me in touch with a broker who bought and sold independent business. Starting one from scratch was out of the quetion. 僕は将来を考えていた。友人に電話をして、独立した企業を売買しているブローカーを紹介してもらった。まったくの最初から始めようなんてのは無理だ。-------------------------------------------------------あれま。起業家になろうとしたのではないのですね。これは資本家です。資本家ディラン。その人はあらゆる業種の業務案内のパンフレット(brochures)を持ってきてくれました。砂糖きび、トラック、トラクター、ノースカロライナの木製義足工場、アラバマの工場、養魚場、花卉農園……。実に圧倒的な量のパンフレットです。ディランは目の上が重くなってきました。だって興味ないんだもん。適当な企業を買い取るなんてのは、ディランに向いてなかったようです。
2005.09.11
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]>私のなかにあった「瞬間の王」は死んだ。谷川雁さんが国文社版詩集のあとがきに書いた言葉です。>人々は今日かぎり詩人ではなくなったひとりの男を忘れることができる。私は今、潮出版社版『定本 谷川雁詩集』でこれを確認しました。奥付では昭和53年(1978年)2月25日発行。潮出版社は創価学会系とされる出版社ですが、当時は精力的に「新左翼」系の本も出版していました。70年代、彼の政党は反戦平和勢力だったのです。詩を捨てて「人生」を選んだ、アルチュール・ランボーという永遠の青年のことも思い出します。もしかしたら書き殴っただけなのかもしれない断片の一行に、私たちは永遠を見いだしたりします。太陽と一緒に行ってしまった海を。-------------------------------------------------------Outside I heard a woodpecker tapping up against a tree in the dark. As long as I alive I was going to stay interested in something. If my hand didn't heal, what was I going to do with the remainder of my days?外からは、暗闇の中で啄木鳥が木を叩いている音が聞こえた。生きているかぎり、僕は何かに興味を抱き続けるのだろう。もしも手が癒えなかったら、僕は残りの人生をどうすればいいのだろう。-------------------------------------------------------手が痛くて、気弱になってしまったのですね。もしも演奏ができなくなったら、もう音楽の世界にとどまりたくはないと思ったようです。できるだけ音楽とはかけはなれた、遠い世界。そう、実業界に入ったらどうだろう。ディランは漠然と想像するだけでなく、実際にどんなビジネスがいいだろうと考え始めます。なんだかつげ義春さんのマンガのようでもあります。p.164に入りました。
2005.09.10
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改行して、話が変わります。テレビをつけると、ジョー・テックスが出ていたのだそうです。有名なソウル歌手なんだそうですが、私は知らないので検索してみました。 →"I Gotcha" Joe Tex1982年に亡くなっているので、ディランが手を怪我している時よりもずっと前のことですね。出ていた番組はジョニー・カーソンの「トゥナイト・ショー」。人気番組だったようです。「ガス灯」時代のディランはよくラジオを聴いていましたが、80年代には音楽番組をよく観ていたのでしょう。 →ジョニー・カーソン →The Official Tonight Show starring Johnny Carson web site番組のサイトを見ると、1969年から1992年まで放映していたようです。すごい長寿番組ですね。ジョニー・カーソンとゲストが楽しく話す番組なのに、ジョー・テックスは歌ってすぐに引っ込んでしまいました。ディランはこのことがとても気になったようです。-------------------------------------------------------Carson used to like to talk to his guests about golf and things like that but he had nothing to say to Joe. I didn't think he would have anything to say to me either. All of his guests tried to be funny, put on a happy face, not come unglued, be like Gene Kelly and go singing in the rain even during a big downpour. If I did that I'd get pneumonia.カーソンはいつもゲストとゴルフやなにかについて話をしたがったのだが、ジョーと話したいことなど何もなかったのだろう。僕と話すこともないのだろうと思った。この番組のゲストはおもしろいことを言おうとし、楽しそうな顔をして決して怒ったりせず、どしゃ降りの中でもジーン・ケリーのように雨の中へ歌いに行きそうだった。もし僕がそんなことをしたら、肺炎になってしまう。-------------------------------------------------------それはそうです。誰もディランに芸能番組の司会者やゲストの役回りなど求めていないでしょう。本人も言っているように、ディランはジョニー・カーソンよりもジョー・テックスの方に似ています。そういえば、あまり観たことはありませんが、日本では「スター千一夜」という長寿番組がありましたっけ。 →Wikipedia: スター千一夜ボブ・ディランは紛れもなくスターでした。実生活では、自分のヨットでカリブの島々を航行していました。でも、やっぱり「スター千一夜」に出る人ではないと思います。
2005.09.09
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ディランの船は岩に乗り上げた後に船体が傾き、結局は海の藻屑と消えてしまったそうです。-------------------------------------------------------In the ten years that I had her my family and I had sailed the entire Caribbean and spent time on every island from Martinique to Barbados. -------------------------------------------------------家族との思い出が詰まった船だったんですね。話のスケールが違いますが、これならわかるような気がします。 →地球の歩き方:マルチニーク →地球の歩き方:バルバドスマルチニークはフランスの海外県なんですね。そこでは「崩れたフランス語」とされるクレオールが話されています。宗主国にとっては「崩れた」言葉であっても、マルチニークの人々にとっては、それが母語です。『マルチニックの少年』といういい映画があったな。楽天広場にも蔵出しと称してアップしたような気がするのですが、どうにも見つかりません。幻泉館本館にあるオリジナルは簡単に見つかるので、しつこいですが再掲しておきます。【2003年6月20日付日録より】----------------------------先に0:00から始まった『マルチニックの少年』をPCのディスプレイで眺めながら、テレビではサッカーの試合が流れています。ああ、もう20年も前の映画になるのか。おばあちゃんと暮らす貧しい少年というだけで、もうダメ、泣いちゃいそう。カリブ海フランス領マルチニック島が舞台。監督のユーザン・パルシーさんは撮影当時27歳という黒人女性です。映画はジョゼフ・ゾベルという作家の自伝的作品らしい。土人の言葉、崩れたフランス語とさげすまれているクレオールで、詩的に植民地の生活を表現した『黒人街通り』。知らないよね。前半の牧歌的な少年たちの暮らしが実にいい。1930年代のマルチニック。当時の日本のことを思い浮かべれば、進学を志した少年と祖母の苦労は並大抵のものではない。ばあちゃん、洗濯女してがんばるですよ。最後がなあ、マルチニックの人々の苦難を象徴して終わるのが悲しい。それが現実なんだから仕方ないのだが。【2003年6月24日付日録より】----------------------------今夜も夜なべ仕事をしながら、コンフェデ杯のキックオフ待ち。初戦の夜に観た『マルチニックの少年』のサントラ盤が届いた。邦盤販売は「オーマガトキ」という不思議な名前のレーベルなので調べてみると、新星堂チェーンの運営する会社なのであった。逢魔が時?『マルチニックの少年』サントラ盤はフランスのサラヴァ(SARAVAH)が出しているもの。名盤『ラジオのように』(BRIGITTE FONTAINE / COMME A LA RADIO)なんかも、今はこのオーマガトキが出しているのですね。 →SARAVAH中にユーザン・パルシー監督の顔写真がありました。険しい表情で写っていますが、知的な美人なんでしょうね。映画の原題は"RUE CASES NEGRES"、邦題『黒人スラム物語』とされてますが、邦訳は出てないのかな?ジョゼフ・ゾベルが原作を発表したのは1950年。描かれている主人公ジョゼの少年時代は、1930年代初頭。貧しい黒人たちは、都会に出ると男も女も白い恋人の影を求めて、自己否定的な人種主義に陥ってしまう。このジョゼフ・ゾベルの十年後にマルチニックで育ったのが、あのフランツ・ファノンであります。
2005.09.08
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二行空けて、話が変わります。-------------------------------------------------------It was noontime and I was shuffling around in my old-fashion garden. Cutting around the vacant lot to a bank of field flowers where my dogs and horses were, the strangled cry of a gull came whipping through the wind. Walking back to the main house, I caught a glimpse of the sea through theleafy boughs of the pines. I wasn't near it, but could feel the power beneath its colors.-------------------------------------------------------自分の犬や馬が堤防にいるということは、そこも私有地なのでしょう。アメリカの古風な庭園などんな感じなのかよくわからないのですが、松の枝の間から海が見えるというくだりで、夕陽を見に行く千本松原を想像しました。ま、とりあえず大金持ちの家ですわな。ディランの手は大きく切れていて、感覚をなくしていました。-------------------------------------------------------Maybe it might not heal, never the same, and the sooner I believed it, the better. Oh, the wicked ironies of life. I'd gotten a cosmic kick in the pants. I probably should have been wearing steel underwear.-------------------------------------------------------もうダメかもしれないと思ったら、良くなったんですね。その後の比喩がまるでわかりません。人生の皮肉にショックを受けて、股間を蹴られたように感じたのでしょうか。鋼鉄製の下着を履いたディランとはなかなか想像できません。改行して、娘たちが出演する演劇を学校へ観に行ったことが書いてあります。さらに想像しにくい、お金持ちのパパ・ディランなんですが、その舞台上に見た創造的エネルギーのおかげで、自分の感覚が甦ったのだそうです。親バカと言うなかれ。きっとディランはおそろしく素直な感覚の持ち主なのです。こんな最中に、悲しい知らせが届きます。ディランの63フィート長のヨットがパナマで座礁したのです。へ?もう、想像を絶する世界です。63フィート(20メートル)長のヨットというと大型だと思うのですが、加山雄三さんの光進丸は100フィートあるそうなので、ディランがそれぐらいの船を持っていても、まったく不思議はありませんね。しかし……。p.163に入りました。
2005.09.07
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-------------------------------------------------------This was coming into my life at exactly the right time.これはまさにふさわしい時に、僕の人生にやってきた。-------------------------------------------------------私はディランが神秘主義者だとは思っていません。時々神がかったようなことを言いたがるのですが、行動原理として長続きするわけではないようです。自らが紡ぎ出す音楽、自らが歌う歌、具体的なその音が関心の中心となっている、リアリストの像が見えます。歌が神であるとか、音楽が神であるという言い様もあるのでしょうが、それは比喩にすぎません。ついつい、詩的な表現をしてしまうんですね。ディランは詩人だと思います。二十年以上も前に自分が書いた曲。その一曲をまったく同じように歌い続ける歌手もいれば、封印して捨て去ってしまった歌手もいます。ディランの場合は、できれば新しい生命を吹き込みたいと思ったのでしょう。ライブが命だというと、その都度の即興演奏(improvisation)を重んじる人も多いのでしょう。聖なる一回性という言い回しには説得力があります。ディランの場合、新しく発見した演奏法は、それとは正反対なのだと言っています。-------------------------------------------------------It doesn't on emotion. That was another good thing. I had been leaving a lot of my songs on the floor like shot rabbits for a long time. That wouldn't be happening any more.それは感情には基づかない。それもまたもう一つ良いことだった。僕は自分の歌を、仕留めたウサギのように床にほうっておいた。もうそんなことはなくなるだろう。-------------------------------------------------------ところが、ディランは片手に大怪我をしていました。せっかく発見した演奏法を、実際に行なうことができなくなってしまったのです。ただいまp.162です。
2005.09.06
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]改行して、また例のダイナミックな奏法のことを語ります。奇数を基にした展開と三連符という説明をされても私にはまだピンと来ていないのですが、わかったような顔をして読み進めます。-------------------------------------------------------I had too long been freeze frozen in the secular temple of a museum anyway. It's not a complicated thing. There are sousands if not millions of variations of these patterns so you never run out of ideas. You're always at some unexploited fix point.とにかく、僕はあまりにも長く、博物館のような非宗教的寺院の中で冷凍保存されて氷結していたのだ。複雑なことではない。このパターンは何百万とはいかないにしても、数千の種類があるので、アイデアが尽きることはないのだ。いつでもまだ利用されていないどこかの定点にいる。-------------------------------------------------------ディランの遣う言葉がおもしろいですね。やっぱりこの人は詩人なんだと思います。もちろんディランは象牙の塔なんて嫌いでしょうが、でも学問そのものに対する憧れのようなものはあるのかもしれません。-------------------------------------------------------I'm not good at math, but I do know that the universe is formed with mathematical principles whether I understand them ot not, and I was going to let that guide to me. My playing was going to be an impellent in equanimity to my voice and I would use different algorithm that ear is not accustomed to. It should be, but it's not.僕は数が得意ではない。でも、僕が理解していても理解していなくても、宇宙は数学的原理で形成されている。そして僕はその原理に導いてもらおうとしていた。僕の演奏は安定した配列を保って僕の声の推進力となり、聞き慣れたものとは異なるアルゴリズムを用いることになる。そうあるべきなのに、そうではなかったのだ。-------------------------------------------------------数学が苦手と言いながら、数学で遣うような言葉を連発しているのがおかしいです。数学的な考え方が好きなんでしょう。もちろんここで私が言う数学は、大学入試のための受験勉強とは異質なものです。たとえば、音階やリズムの分割を奇数と言いきれるような感覚の基礎となっているものです。「数学できんが何で悪いとや!」こんなキャッチコピーで宣伝していた映画がありました。石井聰亙監督『高校大パニック』(1978年)です。ん、日活の劇場版は沢田幸弘と共同監督か? →CinemaScape:高校大パニック高校の数学に関しては私もいろいろ思うところがあるのですが、ま、結局は自分があんまり努力しなかったということにしておきましょう。
2005.09.04
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ボブ・ディランの"No Direction Home"サントラ盤が届いたので、繰り返して聴いている。おなじみ"THE BOOTLEG SERIES"の第7集として発売された。日本版は9月14日発売で、定価が3780円(悪税込)。早い方がいいし、日本版のパンフレットの出来がどんなものかわからないので、輸入盤を予約しておいたのだ。ん、何よりも価格が違うか。1500円の差は大きいですわ。ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ vol.1』を読んでいるので、グリニッジ・ビレッジ時代のディランを想像したりする。ああ、この曲に歌詞付けたんだなあなどと、70年代初頭の高田渡さんも思い出す。タイトルは"Like A Rolling Stone"の歌詞から。リフレインのところだ。 →bobdylan.com: Like A Rolling Stone ♪ How does it feel ♪ How does it feel ♪ To be on your own ♪ With no direction home ♪ Like a complete unknown ♪ Like a rolling stone? ♪ どんな気がする ♪ どんな気がする ♪ ひとりぼっちで ♪ かえりみちのないことは ♪ ぜんぜん知られぬ ♪ ころがる石のようなことは (片桐ユズル訳)問題は本編のDVDだ。リージョン1の輸入盤しかないのだが、少し前にHDDレコーダーを買った時、リージョンフリーのプレイヤーを人にあげてしまった。ん?そうか、PCのドライブをリージョン1に変えてしまえばいいのか。テレビで見れないけど、予約しておくか。ブートレグシリーズだけに、中の写真もおなじみのものの別テイクだったりするのが楽しいです。楽天市場では、日本版しか見当たりませんでした。The Bootleg Series, Vol. 7: No Direction Home - The SoundtrackBob Dylan価格: ¥2,250(悪税込)[輸入盤の価格です。楽天ではありません。] Disc: 11.When I Got Troubles2.Rambler, Gambler3.This Land is Your Land4.Song To Woody5.Dink's Song6.I Was Young When I Left Home7.Sally Gal8.Don't Think Twice, It's Alright9.Man of Constant Sorrow10.Blowin' in the Wind11.Masters of War12.A Hard Rain's A-Gonna Fall13.When The Ship Comes In14.Mr. Tambourine Man15.Chimes of Freedom16.It's All Over Now, Baby BlueDisc: 21.She Belongs To Me2.Maggie's Farm3.It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry4.Tombstone Blues5.Just Like Tom Thumb's Blues6.Desolation Row7.Highway 61 Revisited8.Leopard-Skin Pill-Box Hat9.Stuck Inside Of Mobile With the Memphis Blues Again10.Visions of Johanna11.Ballad of a Thin Man12.Like A Rolling Stone
2005.09.03
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]60年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)がその奏法を教えてくれた時、ディランはロニーの言っていることがちんぷんかんぷんだったそうです。言葉の意味(etymology)はわかるのだけど、それを実際にどうやって使うのかがわからなかったのです。つまり、これを読んでいる私の状態ですね。まだなんだかぴんと来ませんわ。もちろん、1987年末のディランには、どうすればいいのかがわかっています。-------------------------------------------------------Now it clicked. Now I could start getting into it. With a new incantation code to infuse my vocals with manifest presence I could ride high, unconsciously drag endless skeltons from the closet. Thematic triplets making everything hypnotic. I could even hypnotize myself.-------------------------------------------------------「hypno-」というのは、「催眠…」という接頭辞です。例の三連符のおかげで、あらゆるものが、歌っている自分までもが催眠状態になると言ってます。前に書いていたのと同様、これなら毎晩でも繰り返せるし、疲労も感じないと続けて書いているのですが、これもよくわかりません。魅力的な上に楽ちんなんですね。それなら私もぜひマスターしたいものでありますが。-------------------------------------------------------My audience would stop being a shady army of faceless people. Of course, some of them would still only concentrate on the lyrics and they might be dismayed because the two-beat strum they'd been used to for so long would now be off rhythm, refocused and rushing the songs into the heart of unimagined territory.-------------------------------------------------------やっぱりディランの側の意識の問題みたいですね。ディランはそのころ観客を顔のない人々のように感じて、演奏が苦痛になっていたのです。「strum」というのは弦楽器をつまびいたり、軽くかき鳴らすことです。ダウンとアップで一つのセットとなるような2拍を基本とした奏法のことでしょうか。それがリズムを外れ、そしてまた戻るというのもよくわかりません。三連符と二拍のリズムはずれるんだけど、最小公倍数の6でまた振り出しに戻るということなのかなあ。ディランが、「歌詞のみに意識を集中するような聴衆」にうんざりしていたことは確かですね。まず何よりも自分は歌手なのだというのがディランの自己規定なんですから、言葉だけではなくて音楽を聴いてもらいたいのでしょう。そういえば、ジャクソン・ブラウンのことで誰かがそんなことを書いていました。思っていたよりもずっと「音楽的」な人だったというのです。ディランの場合は、もっと思い込みの強いファンが多かったのでしょう。ここまで書いて、突然PTANTAさんの「マーラーズ・パーラー」を思い出しました。PANTA&HALの「マーラーズ・パーラー'80」だと、こんな歌詞がありました。 ♪ 2拍3連の脈拍が ♪ どれだけ愛を訴えようと ♪ 君は浮気な李大白 ♪ つららの夢にしがみついたまま →楽譜基礎:2拍3連符ディランが言ってるのは、これじゃないんですよね?ついでにPANTAさんの『NAKED』(1993年)に入っている「マーラーズ・パーラーII」の歌詞を見ていたら、おかしい箇所を見つけました。これは90年代バージョンですな。 ♪ 風に吹かれ500マイルも吹き飛ばされた ♪ フォーク歌手に笑いころげて ♪ ギターをぶっ壊したのはそこの誰かさ ♪ E=MC2(2乗) ただいまp.161です。
2005.09.02
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「新しい奏法」を追究するうちに、ディランはリンク・レイのことを思い出します。-------------------------------------------------------Once I understood what I was doing, I realized that I wasn't the first one to do it, that Link Wray had done the same thing in his classic song "Rumble" many years earlier.-------------------------------------------------------おお、同じことをやっていた人がいた!これで奏法の雰囲気がわかりますわな。下の最初のリンク先で、"Rumble"の冒頭が聴けます。 →Wray, Link (RCS Artists Discography) →Guitarist Link Wray →Link Wray and his Ace-Menう~む。確かに三連符なんだが。あ、amazonでも試聴できます。有名な曲なんですね。-------------------------------------------------------I'd also thought I'd seen Martha Reeves do the same thing. I'd seen her in New York a few years ealier where she'd been playing with the Motown Revue. Her band couldn't keep up with her, had no idea what she was doing and just plodded along. She beat a tambouirine in triplet form, up close to her year and she phrased the song as if the tambourine were her entire band. A tamborine makes no melody lines, but the concept was similar.-------------------------------------------------------これはすごい話ですね。バンドと刻むリズムが違かったのでしょう。三連符を刻むタンバリンだけで、バンドから遊離して歌ったというのです。 →Martha Reeves "Official" Website →Martha Reeves マーサ・リーブス プロフィール
2005.09.01
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すごいよすごいよと、ディランは香具師のようにまくしたてるのですが、私には実際の演奏のイメージがつかめないので、そのすごさがわかりません。-------------------------------------------------------This is definitely a style that benefits the singer. In folk oriented and jazz-blues songs, it's perfect.-------------------------------------------------------う~ん、とってもおいしそうです。なんといっても完璧なんですよ。わからんなあ。ディランが考えていたのは、とにかく自分が歌う上で最も効果的な演奏法です。全音階であれ、5音音階であれ、偶数に基づいていては古臭い月並みなものになってしまうと感じていました。そこで、力強い効果を生むことができる演奏法に変えようとしたのです。でも、時間が足りないと感じていたようです。あの自信家ディランが、自分の楽器の音は周囲の演奏に埋もれて聞こえない方がいいのかもしれないとまで言っています。それは、歌の骨格から抜け出て自由に歌いたかったからなのです。-------------------------------------------------------Ideally, I would have liked to have taken a song, played it more than a few times for a musicologist who would then write the basic parts for an orchestrated version. The orchestra could even play the vocal line. I wouldn't even have to be there.-------------------------------------------------------これではもう本末転倒です。だいたい、ディランが満足するように編曲してくれる「音楽理論家(musicologist)」なんぞ、この世に存在しないでしょう。過去の自分の録音を振り返ります。どの曲にも動的なアレンジ(kinetic arrangement)がまったくなかったと反省します。スタジオでは、歌はざっとスケッチされるだけで、その影からは何も生まれませんでした。それに対してこのシステムは、と新しく採用する奏法をまた説明するのですが、ここでやっと具体的な描写が出てきました。-------------------------------------------------------The total effect would be physiological, and triplet forms would fashion melodies at intervals.その全体的な効果は生理的なものであり、時に三連符が旋律を形成する。-------------------------------------------------------やっぱり音程だけではなく、リズムにも奇数3が用いられるようです。p.160に入りました。
2005.08.28
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ディランは奇数に基づいた演奏法を讃えます。しかし、どうも具体的な部分がよくわからないんですわ。-------------------------------------------------------I'm not a numerologist. I don't know why the number 3 is more metaphysically powerful than the number 2, but it is.僕は数秘術師ではない。どうして理論的に3という数字が2という数字より強力なのかわからない。でも、そうなのだ。-------------------------------------------------------三位一体(Trinity)説以前に、ヨーロッパには3を神秘的な数とするが見方があるようです。ふっとピタゴラスの名前が浮かんだのですが、キリン秋味でいい気持になってしまったので、もう頭が回りません。ピタゴラス学派の禁忌に「豆」があったそうなので、それについて書いた寺田寅彦さんの随筆にリンクを張って、今夜はおやすみです。豆はいいよな、豆は。 →ピタゴラスと豆:寺田寅彦
2005.08.27
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「偶数と奇数」ということを読んでまず思い浮かべたのは、和音やハーモニーのことです。四弦楽器の一五一会はキーの第一音と、その五度上の音に合わせます。ギターは普通は「1・3・5」の音でコードを鳴らしますが、一五一会の場合は三度の音を省くので、長調(major)も短調(minior)もありません。でも、これは奇数が基本だから違うよなあ。と思って、成毛滋さんのギター教本を思い出したのでした。4ビートも8ビートも2の倍数ですから、偶数システムではなかろうかと。-------------------------------------------------------The system works in a cyclycal way. Because you're thinking in odd numbers instead of even numbers, you're playing with a different value system. Popular music is usually based on the number 2 and then filled in with fabrics, colors, effects and technical wizardry to make a point.-------------------------------------------------------"fabrics"や"colors"は「構造」や「音色」といった読み方もできますが、そのまま比喩として「織物」や「色」もいいですね。いや、比喩ですらなく、ディランは本当に質感や色を感じたりしているように思えるのです。「2」という数字を基本にすると、無難だけれど結果として貧弱なものしかできあがらなくなってしまった、もうそれでは懐古的なものしか作れないと言っています。あれあれ、ピッキングの問題ではありませんね。やっぱり音程を問題にしているようです。-------------------------------------------------------In a diatonic scale there are eight notes, in a pentatonic scale there are five. If you're using first scale, and you hit 2, 5 and 7 to the phrase and then repeat it, a melody forms. Or you can use 2 three times. Or you can use 4 once and 7 twice. It's infinite what you can do, and each time wouild create a different melody. The possibilities are endless.-------------------------------------------------------"diatonic scale"は全音階、"pentatonic scale"は5音音階のことです。あれ、全音階は7音じゃないのかな。ディランさん、頭の中で「ド」を二回数えてないですか。 →移調の限られた旋法可能性が無限に広がるというこの奏法、私にはまだ具体的なイメージがわきません。ただいまp.158です。
2005.08.26
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ディランはその奏法を自分で考え出したものではないと書いています。1960年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)が弾いているのを見たんだそうです。ロニー・ジョンソンは1930年代から活躍していたブルース・ギタリストで、ディランがグリニッジビレッジでレコーディングを夢見ていたころも、現役だったのです。 →ロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)ロバート・ジョンソンも、ロニー・ジョンソンから多くのことを学んだギタリストでした。 →ロバート・ジョンソン(Robert Johnson) そうそう、ロバート・ジョンソンは悪魔に魂を売り渡してギターの腕前を上げたという伝説のある人ですね。中島らもさんも芝居でそのネタを使ってましたっけ。ディランはロニー・ジョンソンから直接実際に奏法を教わりました。-------------------------------------------------------Lonnie took me aside one night and showed me a style of playing based on an odd-instead of even-number system. He had me play chords and he demonstrated how to do it. -------------------------------------------------------ロニーがいつもそういう演奏をしていたというわけではありません。プロですからいろいろな演奏を知っていて、その一つをディランに教えてくれたのです。「役に立つことがあるかもしれない」とまで言ってくれます。ディランは秘密を教えてもらったとは思ったのですが、歌を歌うためにギターをかき鳴らすということが必要だったので、当時はあまりそれが意味を持っていませんでした。しかし、「偶数ではなくて奇数に基づいた演奏法」とは何なんでしょうか。ピンと来ませんね。もちろん、その説明が始まります。たぶん。
2005.08.25
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怪我とか病気の時は気持が弱くなるものです。ディランも腕を怪我して、ずいぶん気分が落ち込んでいたようです。-------------------------------------------------------Now I was staring into the dark where all things seemed to be coming from. Like Falstaff, I'd been heading from one play into the next, but now fate itself had played a nightmarish trick. I wasn't Falstaff anymore.-------------------------------------------------------"Falstaff"という人物は誰なのかしらと思ったら、「リーダーズ英和」に載っていました。-------------------------------------------------------Falstaffフォールスタッフ Sir John Falstaff《Shakespeare の Merry Wives of Windsor および Henry IV に出る大兵肥満の騎士, 陽気で頓智があってずぼらな喜劇的人物》.-------------------------------------------------------別の劇に出ている登場人物なんですな。このキャラクターは知りません。ああ、順番が逆なんですな。『ヘンリー4世』に登場させた老騎士フォールスタッフをエリザベス女王が気にいって「彼の恋物語が見たい」と言ったので、『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれたんだそうです。きっとディランも好きなキャラクターなんでしょう。 →ウィンザーの陽気な女房たちさらに「リーダーズプラス」の方には、シェークスピアの劇を元にしたヴェルディのオペラも載っていました。-------------------------------------------------------Falstaffn. 『ファルスタッフ』 《Verdi の 3 幕のオペラ (初演 Milan, 1893); 台本は Boito, 原作は Shakespeare の Merry Wives of Windsor_ および King Henry IV》.-------------------------------------------------------ディランはうめくばかりでしたが、この辺りから具体的な演奏の話が始まります。自分の歌を再生するために一所懸命新しい歌唱法と取り組んでいたディランですが、ギターの奏法に関しても、何か新しい発見があったのでしょう。-------------------------------------------------------I played in the casual Carter Family flat-picking style and the playing was more or less put of habit and routine. It always had been clear and readable but didn't reflect my psyche in any way. It didn't have to. The style had been practical, but now I was going to push that away from the table, too, and replace it with something more active with more definition of presence.-------------------------------------------------------ちかごろ路上で弾いている人達はひたすらがちゃがちゃとストロークしていることが多いようで、カーターファミリーピッキングはあまり見かけませんね。ウッディ・ガスリーやボブ・ディランというより、なんといっても70年代初めの吉田拓郎さん、それから晩年の高田渡さん。カーターファミリーピッキングは私にとって、ギターの基本奏法であります。自分で夜泣きする時にかっこよくベース音が走ったりはしませんが、ドスンとベース音を弾いて、ちゃら~んとストロークさせています。 →カーターファミリーピッキングさて、もっと存在感をはっきり際立たせてくれる奏法とはどんなものなんでしょうか。ただいまp.157です。
2005.08.24
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ディランは「せめて二十歳若かったら」と、らしからぬ言葉を吐く前に、音楽ジャーナリストに対する不信を述べています。-------------------------------------------------------Most music journalists had become nothing more than a public relation staff anyway.-------------------------------------------------------音楽ジャーナリストのほとんどは宣伝マンにすぎないものになってしまっているので、新しくやりなおそうというディランは、観客の口コミに頼らざるを得ないのです。とにかく春まで待たなければなりません。学生時代同じサークルにいた人物のことを思い出しました。前にも書いたかもしれません。深夜番組で、数十秒の映画宣伝枠を賭けて何か必死にやっていました。「表現者」であったはずの彼は外国映画配給会社の宣伝マンでした。映画産業に関わることができて幸せだったのかしら。自分の映画を作るはずじゃなかったのかい。二行空けて話が変わります。-------------------------------------------------------Returning form the emergency room with my arm entombed in plaster I fell into a chair -- something heavy had come against me. It was like a black leopard had torn into my tattered flesh.-------------------------------------------------------そうそう、ディランは腕に怪我をしていたのでした。また豹が出てきましたね。最も身近な猛獣が豹だということでしょうか。"entomb"は"tomb(墓)"の派生語ですね。"tomb"は[tu:m]と読みます。"comb"は[koum](櫛)。"bomb"は[bam](爆弾)。英米語の綴りと発音の関係はまったくめちゃくちゃで困ります。"en-"を頭に付けて動詞化すると、「墓に入れる」。ここでは「閉じ込める」ぐらいの感じで使っているのでしょう。ギプスをはめられては、確かに使い物になりません。おまけにひどく痛むのです。"tatter"は「ずたずたに引き裂く」。"flesh"は「肉」です。"fresh"(新鮮な)とは違いますよ。そういえば、有名なSFマンガ"Flash Gordon"のタイトルをもじった、"Flesh Fordon"という映画がありましたっけ。1980年に"Flash Gordon"が映画化される前のパロディ版。実にばかばかしくもお下品な映画で、結構人気があったように思います。一説では"Flash Gordon"より面白いということになっております。 →Wikipedia: Flash Gordon →FLESH GORDON
2005.08.22
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ああ、あと二十歳若かったらなあ。およそディランの言いそうにないことです。ところが、一からやり直す決意をしたディランは、ふとそんな言葉をもらします。-------------------------------------------------------I wished I was at least twenty years younger, wished that I had just dropped on the scene all over again. But what could you do? I would have liked some help, but I didn't expect any.-------------------------------------------------------実際のディランは既に大御所で、名声を勝ちえています。だからこそ好きにツアーを組むことができるのですが、それでも以前のトラブルから、かかわりたがらないプロモーターも多かったそうです。当時のディランは四十代後半にさしかかったところです。そうか、今の私より若いんだ。全部ご破算にして一からやりなおしたいという気持はわかります。でも、既に頂点を極めたように見える人物が、同じ「歌」で最初からやり直したいというのは、想像を超えたところにあります。それも、岡林信康さんのように過去の自分を清算してしまおうというわけでもないようなのです。せめて二十歳若かったら。新しく登場したばかりだったらよかったのに。ディランがふともらした言葉が、妙に心に残りました。
2005.08.20
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]トム・ペティとのツアーを終えると、引退の意志は覆っていました。あの自然な歌唱法ではなくて、ロカルノ広場でひらめいた表現方法、それで一からやりなおそうという気になっていたのです。グレイトフル・デッドとのコンサートを突っ込んだエリオット・ロバーツと、ロンドンのセント・ジェームズ・クラブで会いました。トム・ペティとのツアーも、この人がやっていたんですね。 →The St James's Club-------------------------------------------------------I told him I needed to work two hundred show dates the next year. Elliot was pragmatic, said that I should take a couple of years off and then come back. " The picture is perfect like it is," he said. "Let it be." "No," I said. "It's not perfect and I have to correct this."-------------------------------------------------------日本語でも計画を立てることを「絵図を引く」と言ったりしますが、それに似てますね。しっかりと長い休みをとって、じっくり計画を練ってからツアーをすべきだとエリオットは言うのですが、ディランは聞きません。トム・ペティとのツアーが終わったのが12月。その直後に、二人はビールを飲みながら相談をしています。エリオットは、せめて春まで待てと妥協案を出します。確かに、エリオットに考えてもらう時間も必要でしょう。ディランはそれで納得します。エリオットはバンドを準備しておこうと言ってくれます。これにディランは喜んでいます。他の誰かが自分のためにバンドを用意してくれるなんて、考えたこともなかったのだそうです。アルバム"New Morning"を録音した時はおまかせだったような気もするのですが、スタジオ録音とツアーは違うということなのかしら。さらにディランは、その翌年と翌々年、つまり三年間に渡って同じ場所でコンサートを行なうスケジュールを要求します。年間200回のコンサートツアーを、三回繰り返すというのです。すごいですね。ディランの心積もりでは、最初の年にはまだ新しいことは始まらないのです。三年経てば、年配の古い観客が来なくなり、新しい若いファンに入れ替わるだろうと考えました。つまり、ディランは未来のことを真剣に考えるようになっていたのです。三年というのは、妙にリアリティがありますね。泉谷しげるさんのエレック時代の曲、「帰り道」を思い出しました。 ♪ 三年たったら楽になれるというから ♪ 僕はがまんして働いてきた ♪ いろんな人にどなられても ♪ こずきまわされても ♪ 三年たったらというから ♪ 三年たったのに 三年 三年たったのに ♪ もうもう三年たったのにつらい歌です。私の場合はだいたい三年ぐらいでいやになって会社を辞めることが多かったですね。ダメじゃん~。p.155に入りました。
2005.08.19
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引退するつもりで、それでも船を進めていたディランですが、突然その船がバラバラに壊れてしまいました。スイスでのコンサートの最中に、突然声が出なくなってしまったのです。-------------------------------------------------------Then, one night in Locarno, Switzerland, at the Piazza Grande Locarno, it all fell apart. For an instant I fell into a black hole. The stage was outdoors and the wind was blowing gales, the kind of night that can blow everything away. I opened my mouth to sing and the air tightened up -- vocal presence was extinguished nothing came out.-------------------------------------------------------あれま、例の歌唱法もまったく役に立たなくなっていたそうです。ところがところがぎっちょんちょん。3万人の観客の前で声が出なくなったディランは、ここでまた新しい技法を思いついて実行するのです。おお、何がなんだかわからんぞい。-------------------------------------------------------Everyhing came back, and it came back in multidimension. Even I was surprised. It left me kind of shaky. Immediately I was flying high.-------------------------------------------------------なんとも忙しい話でして、大観衆の面前でディランは大変身を遂げたのだそうです。三十年以上も歌い続けてきて、初めて見た地点でした。いったいディランに何が起きたのでしょうか。問題の場所グランデ広場は、ロカルノ映画祭が開かれるところですね。3万人の観衆はすごいと思います。
2005.08.18
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デッドとのコンサートで歌唱法に関して天啓を得た後、ディランは再びトム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーに戻りました。バンドのメンバーに、やりたい曲を聞きます。そして、イスラエル(テルアビブ、エルサレム)、スイス、イタリアと4回のコンサートで、重複せずに80曲を歌います。この技法を試すためでした。-------------------------------------------------------It seemed easy. The angles I was using were unwieldy but highly effective. Because of this different formulaic approach to the vocal technique, my voice never got blown out and I could sing forever without fatigue.楽に感じた。僕が採用した視点は扱いにくが、とても効果的だった。歌唱の技術に対する新しい新しい原理のおかげで、僕の声は消えることもなく、いつまでも疲れずに歌うことができた。-------------------------------------------------------まったく無理をせずに歌えるようになったということらしいですね。ディランはその時、歌うことで疲労を感じていたのです。技法を変えることで復活しつつありましたが、まだ観客との間に繋がりを見いだせずにいました。ツアーに客は入っていたが、どうせトム・ペティを観に来た人達だ、僕の聴衆などあまりいない……御大がそんなふうに感じていたとは驚きです。観客が射撃場の人形標的に見えたとさえ書いています。-------------------------------------------------------It had become monotonous. My performances were an act, and the rituals were boring me. コンサートは単調なものとなっていた。僕の演奏は演技であり、その儀式に僕はうんざりしていた。-------------------------------------------------------歌い方を変えたおかげで引退を決めた時のように歌って消耗することはなくなっていました。でも、ディランはツアーが終わったら引退するつもりでいました。-------------------------------------------------------I was sailing along.-------------------------------------------------------
2005.08.17
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ディランが天啓を得たのは、歌い方という技術的な問題でした。-------------------------------------------------------I used to do this thing, I'm thinking. It was a long time ago and it had been automatic. No one had ever taught me. This technique was so elemental, so simple and I'd forgotten.僕も昔はこうしていたのだと思う。ずっと昔のことで、自動的にやっていたのだ。誰にも教わったことはなかった。この技術はとても基本的なことで、とても簡単なことだったのだが、僕は忘れていた。-------------------------------------------------------「ズボンのボタンのかけ方を忘れてしまったようなものだ」とも書いています。そんなに基本的な技術を、いつのまにか忘れてしまうものなのでしょうか。改行して、ディランは何事もなかったかのように、リハーサルに戻ります。そして、早速あの年老いたジャズ歌手が歌っていたのと同じ方法で歌えるかどうかを試してみます。-------------------------------------------------------At first it was hard going, like drilling through a brick wall. All I did was taste the dust. But then miraculously something internal came unhinged.煉瓦の壁に穴を空けるように、最初はうまくいかなかった。埃の味しかしなかった。でも、それから奇跡的に僕の内部にあるものが外れたのだ。-------------------------------------------------------何か余計な技法を身につけてしまっていたということなんでしょうか。最初は思うように声が出なかったけれど、脳を経由せずに身体の下の方から歌声が出るようになったそうです。そういう言葉は使っていないのですが、なんだか「丹田」とか「チャクラ」とか言い出しそうです。これでディランは歌を、言葉の世界に限定することなく歌えるようになったんだそうです。デッドとのコンサートは、その転回点になったということですね。「もしかしたらデッドが僕の飲み物に何か入れたのかもしれない」という冗談まで書いています。この時のツアーのライブ盤が"Dylan & The Dead"(1987年)だと思うのですが、選曲はデッドのリクエストだったんですね。不思議なアルバムだと思います。amazpn.co.jpだと1279円(悪税込)で買えるので、お勧めです。試聴もできますよ。Dylan & The Dead [Live, 1987] [LIVE] [FROM US] [IMPORT]Bob Dylan / Grateful Dead1.Slow Train2.I Want You3.Gotta Serve Somebody4.Queen Jane Approximately5.Joey6.All Along the Watchtower7.Knockin' on Heaven's Door
2005.08.13
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リハーサルを抜け出したディランは、通りを少し歩いてから、ジャズコンボの演奏が聞こえるバーに飛び込みます。-------------------------------------------------------It was raining and there were few people inside. One of them was laughing at something. It looked like the last stop on the train to nowhere and the air was filled with cigarette smoke. Something was calling to me to come in and I entered, walked along the long, narrow bar to where the jazz cats were playing in the back on a raised platform in front of a brick wall. -------------------------------------------------------何かに呼び寄せられるように、ディランは中に入っていきます。ステージから4フィートもないところに立って、ジントニックを注文します。4フィートというと約120cmですから、ステージから1メートル程度と考えればいいのでしょう。その距離で歌手と向かい合います。-------------------------------------------------------An older man, he wore a mohair suit, flat cap with a little brim and shiny necktie. The drummer had a rancher's Stetson on and the bassist and pianist were neatly dressed. They played jazz ballads, stuff like "Time on My Hands" and "Gloomy Sunday." The singer reminded me of Billy Eckstine.-------------------------------------------------------ジャズミュージシャンはお洒落ですよね。「brim」というのは帽子の「つば」のことです。あたしはモヘアというのがよくわかっておりません。「Stetson」というのは商標で、縁の広いフェルト帽、つまりカウボーイハットのようです。 →モヘア&ウール"Time on My Hands"はamazon.co.jpでDuke Jordanの演奏が試聴できます。"Gloomy Sunday"は「暗い日曜日」ですね。自殺ソングとして有名ですが、ビリー・ホリデイもヒットさせたようです。 →Gloomy Sundayビリー・エクスタインは伝説的なジャズシンガーで、白人でいえばちょうどフランク・シナトラに相当するようなビッグネームです。 →Wikipedia: Billy Eckstineまるで気取ったところのない、おなじみの曲をどこかで聴いたような感じで演奏して歌ってくれる小さなジャズバーといったところでしょうか。-------------------------------------------------------He wasn't very forceful, but he didn't have to be.; he was relaxed, but he sang with natural power. Sudenly and without warning, it was like the guy had an open window to my soul. It was like saying, "You should do it this way." All of a suden, I understood something faster than I ever did before.-------------------------------------------------------明らかにディランの方が格が上だと思うのですが、こんなふうに天啓を受けてしまうのが、御大のおもしろいところです。もちろんディランは自分でディランを取り戻したのです。ただ、そのきっかけを求めていたのでしょう。
2005.08.12
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ディランとトム・ペティの18ヶ月に及ぶ長いツアーは、間に中休みの期間がありました。そこにエリオット・ロバーツ(Elliot Roberts)が、ディランとグレイトフル・デッドのツアーを突っ込みました。自分の歌に自信をなくしていたディランなのに、大変ですね。ロバーツは、ニール・ヤングのマネージャーをやってる人なのかな。 →The Official Home Page of Grateful Deadリハーサルのために、ディランはサンラフェルに行きました。リーダーズプラスより引用します。-------------------------------------------------------San Ra・fael1 サンラフェル 《California 州西部, San Francisco の北西にある住宅都市, 4.8 万; Dominican College of San Rafael (1890) の所在地, 北に Hamilton 空軍基地がある》-------------------------------------------------------軽い気持でリハーサルに行くと、デッドのメンバーはディランが予測していなかった数多くの曲を練習したがっていました。トム・ペティとのツアーでやっていない曲です。-------------------------------------------------------They wanted to run over all the songs, the ones they liked, the seldom seen ones. I found myself in a peculiar position and I could hear the brakes screech. If I had known this to begin with, I might not have taken the dates. I had no feelings for any of hose songs and didn't know how I could sing them with any intent.-------------------------------------------------------一度録音しただけで、ほっぽらかしていた曲です。いろいろな曲の歌詞が混ざってしまってさえいたそうなんです。もちろん気持を込めて歌うことなんてできません。そこでディランがとった行動が驚きです。ホテルに忘れ物をしたとか言って外へ出てしまいました。そのまま歩き出して、もう戻らないつもりでした。あれま。バックレちゃいましたよ。担当編集者にウソをついて外に出て映画など観に行ってしまった手塚治虫さんを思い出しました。p.150に入りました。
2005.08.11
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"Another Side of Bob Dyaln"の曲ができないことで苦しい言い訳をしながら、ディランはこう感じていました。-------------------------------------------------------Actually, I don't know who was making excuse, for I had closed the door on my own self. The problem was that relying so long on instinct and intuition, both these ladies had turned into vultures and were sucking me dry. Even spontaneity had become a blind goat. My heystacks weren't tied down and I was beginning to fear the wind.実際は誰が言い訳しているのかも、僕にはわからなくなっていた。というのも、僕は自分に付いているドアを閉ざしてしまっていたのだから。問題なのは、僕はとても長い間本能と直感に頼ってきたのだが、今ではこの貴婦人たちがコンドルに姿を変えて、僕を吸いつくそうとしていることだった。自然な行動も、目の見えない山羊になってしまっていた。干し草の山はほどけ、僕は風を恐れるようになっていた。-------------------------------------------------------実に詩的な表現なのですが、「vultures(猛禽)」や「goat(山羊)」にどのような寓意があるのかは、わかりません。まるでミュージシャンとしての自我が崩壊してしまったような書きぶりですが、でも今まで「本能と直感」に頼ってきたからいけないのであって、やはり技術的に解決できると言っているようにも見えます。技術の問題点はこの後に書いてあるのでしょうが、純粋に技術的な問題なのか疑問です。自分のやっていることが実感を失って、現実感が希薄になっていたのではないかなと思います。まあ、天才の考えることですから、凡人には結局わからないのかもしれませんが。ただいまp.149です。
2005.08.10
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テンチがディランにせがんだ曲は"Chimes of Freedom"や"My Back Pages"や"Spanish Harlem Incident"だったそうです。 →"Chimes of Freedom" →"My Back Pages" →"Spanish Harlem Incident"おやおや、例に挙げてあった曲は、3曲ともアルバム"Another Side of Bob Dylan"(1964年)に入っていた曲ですね。これはどういうことなんでしょうか。 →bobdylan.com: Another Side of Bob Dylanひとつは、テンチは他にも古い曲をやろうと言っていたのに、ディランの記憶が特にそのあたりに集中してしまったという可能性があります。"Another Side of Bob Dylan"を、ディランは自分の「フォーク時代」の象徴のように感じているのかもしれません。もうひとつは、実際にテンチがそのアルバムの曲をやりたがっていたということ。テンチは1953年生まれですから、私と同様にだいぶ後になってから"Another Side of Bob Dylan"を聴いたのかもしれません。ディランがライブで歌う曲は、20曲程度に限られていたそうです。その20曲以外は、もう自分の曲として歌う気がなくなっていたのです。テンチは、たとえば"My Back Pages"をディランが歌うところを見たことがなかったんでしょうね。レコードで親しんだ曲を、ディランと一緒に生で演奏したかったのだと思います。 ♪ Ah, but I was so much older then, ♪ I'm younger than that now. ♪ ああ、あの頃の僕より ♪ 今の方がずっと若いさ
2005.08.09
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トム・ペティ&ハートブレイカーズのベンモント・テンチは、よくディランの昔の曲をやろうよと言ってきたそうです。その度にディランは下手な弁解を考えるのです。 →The Unofficial Benmont Tench Site →Benmont Tench(日本語)キーボード奏者です。ベンモントというより、ビンマンに近い音らしいです。ツアーの曲なんてディランが勝手に決めてそうな気がするのですが、「マイ・バック・ペイジズ」やりましょうよとか言われて、しどろもどろに言い訳をしているディランを想像するとおかしいです。この人は1953年生まれですから、かなり私の年齢に近いですね。リンクは張っていませんが、あちこち覗いたサイトに書かれていることから読み取れるのは、ロックのピアニストとしてのキャリアが長く、なおかつ数多くのミュージシャンからリスペクトを受けていることです。二番目のリンク先はトム・ペティ&ハートブレイカーズのファンサイトなんですが、テンチの参加したセッションを掲載しています。 →Benmont Tench セッション参加作品すごい経歴ですわ。ああ、そうなんだというアルバムがいくつもあります。ディランだと"Shot Of Love"(1981年)にはもう参加してるんですね。私としてはU2の"Rattle And Hum"(1988年)や、ジャクソン・ブラウンの"I'm Alive"(1993年)、"Looking East"が「へぇ~」というところですが、たぶん他の皆さんの場合は別のセッションのところで「へぇ~」と思うのでしょう。というか、私がモノを知らないだけなんですな、きっと。ついつい辞書を引いてしまいました。-------------------------------------------------------tench n (pl ~, ~・es) 【魚】 テンチ《欧州産のコイ科の食用魚の一種》-------------------------------------------------------おぉ。「Tinca tinca」というやつですな。もちろん食べたことありません。 →Tinca tinca - Tench
2005.08.08
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トム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーは、ディランにとって精神的に相当きついものだったようです。-------------------------------------------------------Tom was at the top of his game and I was at the bottom of mine. I couldn't overcome the odds. Everything was smashed. My own songs had become strangers to me, I didn't have the skill to touch their raw nerves, couldn't penetrate the surfaces. It wasn't my moment of history any more.-------------------------------------------------------おれの時代は終わった宣言をしちゃってますな。このツアー終わったらお金をもらって引退だぜなどとも書いてます。これは、本当にそんな気持になっていたのでしょう。-------------------------------------------------------The mirror had swung around and I could see the future -- an old factor fumbling in garbage cans outside the theater of past triumphs.-------------------------------------------------------やっぱりディランの文章はおもしろいです。"fumble"というのは「手探りする」「探し回る」という意味なので、過去に数々の栄光を刻んだ劇場の外で、ごみ箱を漁っている老俳優なのだと言っているわけです。鏡が揺れて、その中にそんな自分の姿が見えるんですよ。なんだか身に覚えがあります。何かの折に、自分の未来の姿が見えることがよくありました。だいたい二つのパターンですね。一つは今で言うホームレスの姿です。もちろん私に過去の大勝利なんぞはありません。吾妻ひでおさんの『失踪日記』のようなことを自分がやっている姿が、ふと見えたのです。つげ義春さんのようなと言った方がいいでしょうか。それはとても恐いことなのですが、なんだかとても楽になれるような気もしました。ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィッチの一日』のような毎日かもしれません。ただただその日の食い物と暖を取ることだけを考えて、なんとか切り抜けようとする時間の連続なのです。もう一つの姿は、「平凡な家庭」を築いている自分の姿です。それも、老夫妻なのです。特に関わりもない女性と話をしながら、突然齢を重ねた二人が日の当たる廊下でお茶を飲みながら、「いろいろなことがあったねえ」などとしみじみしているのです。田舎町の食堂の親父かなんかになってる自分の姿なんてのがつげさんのマンガにありましたね。もちろんディランの場合は実現しなかった未来です。私の場合、このごろそんな想像はしなくなりましたが、これからどうなるのかまったくわかりません。
2005.08.07
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二行空けて話が変わります。-------------------------------------------------------I'd been on an eighteen month tour with Tom Petty and the Heartbreakers. It would be my last.-------------------------------------------------------最後のツアーになるのだと言っています。これでもうライブツアーは終わりにしようと思っていたのでしょう。歌が自分から離れていってしまったから。やっぱりトム・ペティが出てきましたね。私にとっての80年代のディランは、まさにこれです。他にはまったく聴いたことがありませんでした。トム・ペティというと私はなんだか若手のような印象があるのですが、1950年生まれなので、55歳になるんですね。お、穴沢兄貴や五黄の寅兄貴とタメですわ。 →トム・ペティ →TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS →WikiPedia: Tom Pettyよく参考にさせていただいている最初のリンク先サイトでは「過渡期的作品」と書かれていますが、"Southern Accents"が私には一番おなじみです。つまり「南部訛り」ですね。よくアメリカの小説の翻訳で南部の黒人言葉が東北弁らしきズーズー弁になっていたりするのが、実に不思議です。けっしてでんがなまんがな関西弁や、どってんばってん九州弁になっていたりはしません。農業や素朴さというステロタイプな思い込みが反映されているのでしょうか。それでいて南部の白人言葉、つまり「南部訛り」は「標準語」で翻訳されていたりするのです。以前深夜に見たタモリさんの番組に大叔父がアルベール・カミユだというセイン・カミユが出ていて、南部訛りの真似をしてくれました。とてもおかしかったので、よく覚えているのです。なんだかのどかな県のずらだら弁が少し酔っ払っているような感じでした。ただいまp.148です。
2005.08.05
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ディランのスランプの話が続きます。本当にそう思っていたのなら、おそらく引退を真剣に考えていたような内容です。今はツアーを続けていたので、その状態は脱したのでしょう。まだそこまで読んでいませんが、おそらくは"Oh Mercy"というアルバムはその立ち直りのきっかけとなったはずです。-------------------------------------------------------Many times, I'd come near the srage before a show and would catch myself thinking that I wasn't keeping my word with myself. What the word was, I couldn't remember, but I knew it was back there somewhere. I tried to figure this out, but there didn't seem to be any formula. Maybe if I had seen coming, I could have fixed it in its tracks, but I didn't.-------------------------------------------------------歌詞が、自分から離れてしまっているのを、ステージの直前に感じているのです。忘れてしまったというような書き方をしているのですが、実際は言葉を覚えていても、実感がなくなっていることに気づいたのではないでしょうか。今の日本のヒットチャートに名前が並ぶような歌手が、ステージに上がる前にこのような苦悩を感じるものなのか、私は知りません。でも、ディランのように歌詞を自分で生み出した歌手がステージの直前にこんなふうに感じることは、致命的だったのではないでしょうか。「僕は歌手だ」というのが、ディランの自己規定です。それが本当に「唄を忘れた金糸雀(かなりや)」になってしまっては、まさに自分の身を「後の山に棄て」なければならないと感じたことでしょう。 →金糸雀(かなりや)もちろんディランはそんなことはしません。自分の中で行方不明になった人物がいるので、その人を見つけなければならないと思っただけです。いいなあ、やっぱりポジティブだなあ。-------------------------------------------------------Wherever I am I'm a '60s troubadour, a folk-rock relic, a wordsmith from bygoine days, a fictious head of state from a place nobody knows. I'm in the bottomless pit of cultural oblivion. You name it. I can't shake it. -------------------------------------------------------なんだか前の章と似たようなことを言ってますね。結局ディランはデビュー以後、ずっと自分の虚像と戦い続けなければならなかったということなんでしょうか。
2005.08.02
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1987年の時点から"the previous ten years"をディランは振り返っています。-------------------------------------------------------I also knew that I had written perfect lyrics to complement the style of music that I played. The previous ten years had left me pretty whitewashed and waseted professionally.-------------------------------------------------------自分が演奏する音楽のスタイルに合わせて曲を書いて、うわっつらをごまかしてきたと言っています。"whaitewash"というのは、壁や天井などの上塗りに使う白い鉱滓、「のろ」のことですね。ちょうど私がディランを聴いていなかったころのことなのでよくわかりませんが、オフィシャルサイトbobdylan.comで、その時期のアルバムタイトルを見てみましょう。 →bobdylan.com: Albumsう~ん。順番をひっくりかえしてみましょう。まず、"the previous ten years"より前の時期。私が同時代に聴いた、私にとってのボブ・ディランです。私の耳に馴染んでいるだけでなく、傑作と呼んでいいアルバムが多いと思います。-------------------------------------------------------Blood on the Tracks - 1975The Basement Tapes - 1975Desire - 1976 Hard Rain - 1976-------------------------------------------------------次が、おそらく該当する十年間。オフィシャルサイトでも、ジャケット画像でちょうどこの部分が区切られています。私は"Slow Train Coming"のLPを買ったのですが、それでディランを「卒業」してしまいました。世に「ゴスペル3部作」という言葉があるようですが、その最初のところで私はくじけてしまったのです。-------------------------------------------------------Street Legal - 1978At Budokan - 1979Slow Train Coming - 1979Saved - 1980Shot of Love - 1981Infidels - 1983Real Live - 1984Empire Burlesque - 1985Biograph - 1985Knocked Out Loaded - 1986Dylan & the Dead - 1988Down in the Groove - 1988-------------------------------------------------------そして1989年に"Oh Mercy"が発表されるわけです。まだディランの真意はわかりませんが、この十年うまくいかなかったことが解決できるような啓示を受けたようなんですわ。ディランはまるで「うかつな十年一昔[(c)中山ラビ]」のような言い方をしていますが、その部分を別に隠そうとするわけでもありません。そんなことをするぐらいだったら、初期のフォーク時代のアルバムなど再発しませんわな。岡林信康さんも、過去をなかったことにするのではなくて、昔のアルバムをまたちゃんと復刻してもらいたいなと思います。それが歴史に対する、あの時代に対する岡林さんの義務なのではないでしょうか。
2005.07.31
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ウィスキーのボトル一本空になるような理由というのが、どうも他人にははかりしれないことのようです。-------------------------------------------------------Prior to this, things had changed and not in an abstract way. A few months earlier something out of the ordinary had occurred and I became aware of a certain set of dynamic principles by which my performance could be transformed.-------------------------------------------------------抽象的にではなく、つまりまったく具体的な演奏の技術として、ディランは自分の演奏を変えるような、ある原則に気づいてしまったのだそうです。「血の轍(Blood on the Tracks)」(1975年)や「欲望(Deisre)」(1976年)という傑作アルバム(だと思います)を生み出した後、ディランはいったい何をやっていたのでしょうか。私はその時期のディランをあまり知りません。前段落で"my complete recordings on disc for years"と書いているので、アルバムの録音そのものには満足していたようです。でも、気持が歌から離れていってしまったのです。なおかつ、演奏(歌唱)の技術的な問題として、あることに気づいたというのです。既に頂点を極めたように見えるディランが、本当にそんな技術的な問題を抱えていたのでしょうか。その具体的な点をまだ読んでいないのですが、実は他に問題があった部分を、技術的な問題だと考えようとしていたような気がします。ここで、好きな詩の一節を思い出しました。中原中也「帰郷」の結びです。-------------------------------------------------------あゝ おまへはなにをして来たのだと……吹き来る風が私に云ふ------------------------------------------------------- →帰郷前回のタイトル「歌のわかれ」は、中野重治さんの小説から採ったものです。短歌的叙情に対する「わかれ」とディランの「クロニクルズ」はまったく関係がないのですが、ディランは昔の自分の歌に、とっくに別れを告げていたのだなあと連想したのです。だからいつまでも「時代は変わる」や「風に吹かれて」を歌ってくれとせがまれても、困っただろうなと想像できます。
2005.07.30
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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]私にとって80年代のディランは空白だったと書きましたが、忘れておりました。トム・ペティとのツアーのライブ盤は買っています。ただ、どちらかというとトム・ペティ&ハートブレーカーズを聴きたかったからのような気がします。"New Morning"(1971年)を録音した時と同様、80年代のディランは何か壁にぶつかっていたのですね。「歌の内なる魂というものを捕まえていない」ということに関して、ディランの記述は続きます。おもしろい描写です。-------------------------------------------------------The intimacy, among a lot of other things, was gone. For the listeners, it must have been like going through deserted orchards and dead grass. My audience or future audience now would never be able to experience the newly plowed fields that I was about to enter. There were many reasons for this, reasons for the whisky to have gone out of the bottle. 他にも数多くのことがあるのだが、歌に対する親密さというものがなくなっていた。聴く者にとっては、荒れ果てた果樹園や枯れ草の中を通り抜けるようなものだったにちがいない。聴衆や、未来の聴衆は、僕が今まさに入ろうとしている、新しく耕した畑を経験することなどけっしてできないのだ。これには多くの理由があった。ウィスキーの瓶が空になってしまうほど、たくさんの理由があった。-------------------------------------------------------本人が何を言いだそうと、ディランの歌詞は詩だし、散文も十分に詩的でおもしろいものです。ディランという人は言葉が生み出す具体的なイメージをとても大切にしているようです。だから、こんな表現が出てきたら、本当にいちいち荒れ果てた果樹園や荒れ野を思い浮かべて、一緒に楽しんだ方がいいのだと思います。私が母語ではないアメリカ語で書かれたディランの文章を読む時は、かえってそのひとつひとつにじっくりとつきあえるようです。翻訳で読むと、これぐらいは0.5秒ぐらいで読みとばしてしまうことでしょう。もちろんべたべたと日本語に直して読んでいくわけではありません。最初のところは、ああ、"intimacy"がなくなったんだなあと読んでいくわけです。「歌に対する親密さ」という訳は良くありませんね。自分が作った歌が、よそよそしく感じられるようになったのでしょう。"intimacy"ですが、特に男女の仲に関して使われたりします。あの「親密さ」です。形容詞の"intimate"はクリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を捜査していたスター独立検察官の報告書(The Starr Report)に"inappropriate intimate contact"なんて言い回しで出てきました。 →Full Text of the Starr Reportそうそう、菅野ヘッケル先生の翻訳が手元にあるではないですか。該当箇所を見てみましょう。-------------------------------------------------------とりわけ、自分を大きくかかわらせて歌うということができなくなっていた。-------------------------------------------------------う~ん、なるほど。以前流行った「超訳」まで行ってしまってはダメだと思います。このぐらいならまずまずいい感じといったところでしょうか。
2005.07.29
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さて、第4章"Oh Mercy"です。なるべくディランの生の文章以外の情報を耳に入れないようにしていたのですが、月刊プレイボーイも買っちゃったし、WWWでもディランの名前を見かけると斜めに読んだり、いかんですなあ。さすがにこの章はアルバム"Oh Mercy"を作る時の話だというのが、わかっちゃってます。60年代初頭のニューヨークを描いて、70年代初頭の"New Morning"の話があって、今度は80年代後半。なんだ、ちゃんと「年代記」になってるじゃないですか。 →bobdylan.com: OH MERCY(1989) 私はただでさえディラン知らずなのですが、80年代は完全に空白の時代です。このアルバムが出た時には、私は東京で食うや食わずの生活をしておりました。下請けで本を作ったり、雑誌の原稿を書いたり、なんとか生きていけるだけのお金しか手に入らなかったので、CDなんてなかなか買えませんでした。仕事仲間で吉祥寺に暮らすハルホ氏(仮名♂)というおじさんがいました。私よりほんの少し年上。私同様にごくビンボーでしたが、下駄屋やMANDALA-2にはよく出かけているようでした。このハルホ氏が、興奮して言いました。「ディランの新しいレコードが出るんだよ!」一緒に喜んでほしかったのでしょうが、私の反応はいまひとつでした。私はもうボブ・ディランの新譜を聴かなくなっていたのです。今考えれば、あれが"Oh Mercy"だったんだな、というアルバムです。さて、ディランの言葉に戻りましょうか。1987年のことだそうです。日本では『サラダ記念日』や『ノルウェイの森』が売れて、日本シリーズで西武ライオンズが読売巨人軍を破って優勝しています。ディランは事故で手に怪我をしていました。春に連続ステージがあるけれど間に合うかどうかわからないと書いているので、年頭のことですね。-------------------------------------------------------The public had been fed a steady diet of my complete recordings on disc for years, but my live performances never seemed to capture the inner spirit of the songs -- had failed to put the spin on them.もう何年もの間大衆は僕から着実に、完璧にレコーディングしたディスクという献立を食わされていたのだが、僕のライブ演奏は歌の内なる魂というものを捕まえてはいないようだった。歌の上で空回りしているみたいだった。-------------------------------------------------------おやおや、どうしたんだ、ディラン御大。こと歌に関してはとんでもない自信家だったのではなかったでしょうか。
2005.07.28
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こうして1970年10月21日に、アルバム"New Morning"が発売されました。そう、国際反戦デーですね。邦題では『新しい夜明け』となっているようですが、私にはあまりなじみのないアルバムでした。もっと古い「フォークの王」や、逆に同時代に聴けた"Desire"のようなものの方がよく知っています。 →bobdylan.com: NEW MORNING(1970)-------------------------------------------------------Some critics would find the album to be lackluster and sentimental, soft in the head. Oh well. Other would triumph it as finally the old him is back. At last. That wasn't saying much either. I took it all as a good sign.-------------------------------------------------------"lackluster"というのは、輝きやツヤがないという意味です。批評家連中の言うことなど、とっくに予想できてしまう。酷評されようが、昔のディランが戻ってきたと大歓迎されようが、どうでもいいという気になれた。それが重要だったのでしょう。このアルバムは現実のアメリカに何も影響を与えるものではないけれど、自分にとっても確かに"comeback album"になったと書いています。このアルバムの元になったマクリーシュの劇「スクラッチ(Scratch)」は1971年5月6日にブロードウェイのセント・ジェイムズ・シアター(St. James Theater)で上演され、その二日後の5月8日に終演となりました。興業的には失敗作だったのでしょう。 →St. James Theaterこれで第3章が終わりました。章立てだと五分の三が終わったのですが、ページ数だとちょうど真ん中あたりです。
2005.07.25
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私はまったく知らないのですが、どうも今は記憶術で売っているらしいハリー・ローレイン(Harry Lorayne)という人は、ベストセラーを連発する有名人のようですね。改行して、突然マキャベリのことを書き始めます。ハリー・ローレインは、マキャベリほどではないというのです。この二人を普通に較べてしまうのが実にディランですな。そう、二十歳前にレイとクローイのところで厄介になっていたころ、ディランはマキャベリの『君主(The Prince)』を読んでいましたね。-------------------------------------------------------Most of what Machiavelli said made sense, but certain things stick out wrong -- like when he offers the wisdom that it's better to be feared than loved, it kind of makes you wonder if Machiavelli was thinking big. I know what he meant, but sometimes in life, someone who is loved can inspire more fear than Machiavelli ever dreamed of.-------------------------------------------------------最後の文は、人生を語る時のO.ヘンリーを思い出します。「愛されている者の方が、マキャベリが想像したよりもずっと大きな恐怖を煽ることがある」愛する人には、やはり愛されたいものです。それを失いそうになった時の、恐怖の目。遠い昔に見たことがあるような気がします。私もいつかそんな目をしたことがあるのかもしれません。なぜそんなことをという陰惨な事件が報道されると、きっとそんな目をして犯行が行なわれたのではないかと想像することがあります。1931年の満州事変(柳条湖事件)からの戦争を、15年戦争と呼ぶことがあります。恐怖だけで国民をそんな長い期間戦争に駆り立て続けることはできません。臣民が"The Prince"の慈愛を受けたいと思ったからこそ、侵略戦争は続いたのでしょう。
2005.07.24
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ジョンストンが入ってきた時にディランが"New Morning"のプレイバックを聴いていたために、アルバムのタイトルもそうなりました。プレイバックというのは録音直後の再生で、演奏を確認するものです。録音がうまくいって、アルバムのタイトルにしてもいいなと思っているところにジョンストンが来たのです。 →bobdylan.com: NEW MORNING-------------------------------------------------------"Man, you were reading my mind. That'll put 'em in the palm of your hand -- they'll have to take one of them mind-training courses that you do while you sleep to get the meaning of that." Exactly. And I would haveto take one of them mind-reading courses to know what Johnston meant by saying what he just said.-------------------------------------------------------おお、なんだかよくわかりません。よく俺の考えていることがわかったなということだと思うのですが、マインド・トレーニングの課程を履修するというのが、どうにも唐突な冗談です。その先に答えが書いてありました。ディランがハリー・ローレイン(Harry Lorayne)の『マインド・パワー(Mind Power)』という本をスタジオに持ち込んでいたのでした。何なんでしょうね。amazonで検索すると何冊も著書がヒットします。精神世界モノというよりは、もっとハウツーに近い雰囲気。今は記憶術の本が売れているんでしょうか。 →Harry Lorayne: Improve Memoryスタジオには雑誌や本をいろいろ持ち込んでいたのですね。状況はまったく違うのですが、いろいろな雑誌が転がってる様子から、ジャクソン・ブラウンの"The Load-Out"を思い出しました。 →The Load Out / Stay ♪ Now we got country and western on the bus, R & B ♪ We got disco on eight tracks and cassettes in stereo ♪ We've got rural scenes and magazinesこの曲から"Stay"に至る部分がいいんですなあ、"RUNNING ON EMPTY"。
2005.07.23
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プロデューサーであるジョンストンは、アルバムのタイトルに地名を入れるのが好きだったそうです。ジョニー・キャッシュがサンクエンティン刑務所で演奏した時のライブ盤が"Johnny Cash at San Quentin"ですが、ジョンストンが担当でした。ま、わかりやすいですよね。 →Wikipedia: Johnny Cash具体的なイメージを想起しやすいというのが、ジョンストンが地名を好む理由でした。だから、今度のアルバムにも世界で有名は地名を使おうというのです。パリ、バルセロナ、アテネ……。「旅行のポスターを集めないとな」などと言い始めます。まるで曲とは関係ない地名です。もちろん却下。そんな話をしていた時のことなのか、レコーディングの合間なのか、雑誌を読んで気を紛らわせた話が出てきます。アル・クーパーがおどけた様子で毛むくじゃらの犬の話をしています。ダニエルズがフィドルのスケール練習をしているのを聴きながら、いろいろな雑誌に目を通しています。-------------------------------------------------------Running across an article in Male magazine about a guy, James Lally, a radio man in World War II who had crashed with his pilot in the Phillipnes, I got sidetracked for a second. It was a gut crunching article, unfiltered. Armstrong, the pilot, was killed in the crash, but Lally was taken prisoner by the Japanese, who took him to a camp and beheaded him with a samurai sword and then used his head for bayonet practice.-------------------------------------------------------フィリピンで日本軍の捕虜になったジェームズ・ラリーという無線技師が日本刀で斬首され、その首が銃剣の的に使われたという記事です。ラス・カンケルが長椅子に腰を下ろし、目を半ば閉じて二本のスティックで軽くリズムをとっています。-------------------------------------------------------I couldn't stop thinking about Lally and felt like moaning in the wind.-------------------------------------------------------このごろはやたらに否定して回る者もいるのですが、日本軍の蛮行は事実でしょう。けっして消し去ることはできません。p.140です。
2005.07.22
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ジョンストンは録音に入る前に聞いてきたそうです。「今度のレコードのタイトルはどうするかね?」-------------------------------------------------------Titles! Everybody likes titles. There's a lot to be said in a title. I didn't know, though, and thought about it. -------------------------------------------------------ええ、タイトルは大切ですよ。いわゆるジャケ買いには、タイトル買いも含まれると思います。懐かしラベリング理論ではありませんが、ばっちり決まったタイトルが付いていると、中身も立派に思えてくるものです。ディランも歌ってました。人間が最初に行なったのは、あらゆる動物に名前を付けることだったのです。 ♪ Man gave names to all the animals ♪ In the beginning, in the beginning. ♪ Man gave names to all the animals ♪ In the beginning, long time ago. →bobdylan.com: Man Gave Names to All the Animals言葉を獲得したから人間は人間になったとも聞こえます。この曲はアルバム"SLOW TRAIN COMING"(1979年)に入っていたのですが、実は私、これを最後にディランを聴かなくなってしまったんですわ。このレコードに関しては、ディランはヴィクトリア・スパイヴィと一緒に写った写真を使おうと決めていました。でも、それ以外のことは何も決めていませんでした。 →Victoria Spiveyもしかしたら、この写真を使ったジャケットを頭に描いていたからレコードを作る気になったのかもしれないと言っています。あれま。門番を雇ったから門を作った、みたいな詩がありましたな。p.139に入りました。
2005.07.21
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コロンビアのスタジオで、ディランはマクリーシュの劇のために作っておいた曲の中からメロディが実際に付いていて、うまくいったものを録音していきます。何でも良かったという言い方をしていますが、本当に何でも良かったということではありません。-------------------------------------------------------Message songs? There weren't any. Anybody listening for them would have to be disappointed. -------------------------------------------------------とにかく政治運動の指導者というようなイメージを払拭したかったのでしょう。メッセージを求めて聴いてもがっかりするようなものを作ってやろうと思っていたのです。祭り上げられた偶像を自ら壊すというのは、大変な作業なんでしょうね。でも、隠遁生活をしていても自分はミュージシャンなんだとディランは考えていたのでしょう。新しいレコードを作らなければならないのです。-------------------------------------------------------But they weren't the kind where you hear an awful roaring in your head. I knew what those kind of songs were like and these weren't them. It's not like I hadn't any talent. I just wasn't feeling the full force of the wind. No stellar explosions.-------------------------------------------------------アルバムの中に良い曲はあるかもしれないけれど、聴く者の頭の中にとどろくような曲はないと言ってしまってます。まだリハビリ中、けっして才能が涸れてしまったわけでないけれど、力は出てこないといったところ。本来なら「星の爆発」に匹敵する力が出せるのだという自負も感じられます。レコード会社は「ボブ・ディランの復活」という売り方をしていたのでしょうか。本人がまだまだだぜと思っているんだから、奇妙なものです。確かにエネルギーに満ちあふれた力作というアルバムではないんでしょうが、実験的意欲作と言ってもおかしくないでしょう。本人は力が抜けてしまったようなことを言ってますが、やっぱり天才なのでしょうか、紛れもなく、変わり続けるディランです。
2005.07.20
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♪ 十年はひと昔、暑い夏 ♪ おまつりはふた昔 セミの声amazon.com十周年記念のイベントで、ボブ・ディランとノラ・ジョーンズのコンサートがありました。私はまったく知らなかったのですが、わざわざうちの掲示板に書き込んで教えてくださった方がいました。ストリーム配信のリピートには間に合いました。本当にありがとうございました。映像はまだちらりと観ただけなのですが、97年の東京国際フォーラムの時よりずいぶんと老け込んだディランに驚きました。うなるように、つぶやくように歌うディラン。声が出ないんでしょうか。キーボードに張り付き、時々ハーモニカを吹いてよちよちと歩き回ります。ギターも弾けなくなっているのかもしれない。歌詞も飛ばしていたのではないかと思います。この十年、ディランにとっても「クロニクルズ」を書いておかなければという十年なんでしょう。ノラ・ジョーンズを呼んで"I Shall Be Released"を歌うところではぐっと来てしまいました。ノラ・ジョーンズを検索してみました。ああ、そうだ、あのラヴィ・シャンカールの娘さんだと教えてもらったわ。日本語で検索したのが失敗。トップに中日スポーツの「胎教はノラ・ジョーンズで~す 谷亮子、ベビーは順調」なんてのがヒットしました。とほほ。故政子ちゃんが「セイリング」を熱唱しているところを思い出してしまいました。あ、他意はありません。
2005.07.19
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改行してレコーディングの話になるのですが、奇妙なことが書いてあります。-------------------------------------------------------Within a week I was in the New York Columbia studios with Johnston at the helm, and he's thinking that everything I'm recording is fantastic. He always does. He's always thinking that something is gonna strike pay dirt, that everything is totally together.-------------------------------------------------------"strike a pay dirt"というのは、掘出し物を掘り当てるということです。なんとなくダメ出しをするのがジョンストンの仕事であるような気がするのですが、「いいね、いいねえ」と盛り上げていって、本当に良いものに行き当たるというやり方だったのでしょうか。「何も良くないじゃないか」と、ディランは納得できません。アル・クーパーが、テディ・ウィルソン(Teddy Wilson)のリフをピアノで弾きます。スィング時代の古いジャズのフレーズということですね。聖歌隊(choir)から引っこ抜いてきたみたいなコーラスの女の子たち三人のうちの一人が、即興でスキャットを付けます。一発録りになりました。"If Dogs Run Free"という曲は、こうやってできたのだそうです。 →bobdylan.com: If Dog Runs Free種明かしをしてもらってとても嬉しいのですが、さて、この歌詞はいつできたものなんでしょう。言葉が変化していく様子が、実にうまい。各連の一行目だけ抜き書きするとこうなります。 ♪ If dogs run free, then why not we イヌが自由にはしるなら、なぜぼくらができない ♪ If dogs run free, why not me イヌが自由にはしるなら、なぜぼくができない ♪ If dogs run free, then what must be, イヌが自由にはしるなら、そのはずのものはまさかこれを即興でやったんじゃないでしょうな。ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』は、本人の気持ちの上では正直な記述だと思うのですが、どうも御大は言葉を大サービスしてしまうところがあるので、油断ができません。CDを発掘して聴いてみます。アル・クーパーが弾くテディ・ウィルソンのフレーズに合わせて、ラス・カンケルがジャズ・ドラマーに化けます。聖歌隊と言われたコーラスの一人マレサ・スチュアート(Maeretha Stewart)という人のスキャットは犬のうなり声みたいなのも入って、奇妙です。どういう人なのかしらと思って検索をかけてみたら、ジミー・ヘンドリックスがヒットしたので驚きました。ただ、ジミヘンの死後にオーバーダブされた部分に参加していたようです。 →>なんだ、「聖歌隊」の三人はちゃんと"SELF PORTRAIT"(1970)の時にコーラスで参加してるじゃないですか。あのアルバムもボブ・ジョンストンのプロデュースなんですよね。あ、ということは、私の好きな"All The Tired Horses"もこの「聖歌隊」の声なんだ。 →2005年6月21日付日録:ディランの自画像 CHRONICLES #164p.138に入りました。
2005.07.19
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親切な方がいて、amazon.comの十周年コンサートのことを教えてくださいました。今流しているんですが、ディランが出てくるのはまだまだ先ですな。改行して、アル・クーパーの話になります。そうですか、レーナード・スキナードを見いだしたのがアル・クーパーなんですね。「ロックの常識」みたいなものが皆無なんで、うなずくしかありません。googleで[アル・クーパー]を検索すると、実に詳しいサイトがありました。 →夜明けの口笛吹き:Column 12なるほど、ディランとの関わりがよくわかります。「オルガンが必要だ」と言って無理やりセッションに参加してしまうところなど、自称ピアニストとしてバンドにくっついていったディランの若き日を思い出します。そこでまたオルガンの音量を上げさせてあの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の音を作ったディランはさすがです。このサイト、他のページもおもしろいですよ。お勧めです。ずっとバークリー音楽院の先生をやっているというのは知りませんでした。さて、ディランの話に戻ります。このセッションに連れてくるようジョンストンにディランが依頼したのは、アル・クーパーだけなんだそうです。ずいぶん信頼していたんですね。-------------------------------------------------------He was a talent scout, too, he was the Ike Turner of the white world. All he needed was a dynamo chick singer. Janis Joplin would have been the perfect front singer for Al.-------------------------------------------------------ここは驚きです。ディランはこんなことを考えていたんですね。以前ディランのマネージメントを担当し、そのころジャニス・ジョプリンのマネージャーになっていた、あのアルバート・グロスマンにその二人を組ませるといいと、提案したこともあったそうです。グロスマンは一笑に付すのですが、ディランは今でも先見の明があったと自負しているようです。でも、不幸にしてジャニスが亡くなってしまいました。-------------------------------------------------------Sadly Janis would soon breathe no more and Kooper would be in eternal musical limbo.-------------------------------------------------------"in limbo"というのは、「忘れられた状態、どっちつかずの状態」を指します。アル・クーパーの才能を惜しんでいたのですね。「僕がマネージャーをやるべきだった」とまで言っています。 →Ike Turner, Official web site for the Father of Rock and Roll →The Official Janis Joplin Website →ジャニス・ジョップリン Janis Joplin
2005.07.18
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ディランのオフィシャルサイトbobdylan.comで"New Morning"のライナーノーツを見ると、ちゃんとチャーリー・ダニエルズが入っています。あら、ベース弾いてますね。ディランはダニエルズにフィドルを弾いてもらいたかったようですが、ジョンストンがそれを許さなかったそうです。ディランは元々ハーモニカでデビューしたりしているので、曲にハーモニカが入るととてもディランらしくなるのですが、自分が歌う時にフィドルをそんなふうに入れたかったのでしょうね。"Desire"(1975)で印象的なジプシーバイオリンを弾いているスカーレット・リヴェラをストリートで見いだしたというのは、けっして偶然ではありませんな。-------------------------------------------------------Bob Dylan -- Acoustic Guitar, Electric Guitar, Organ, PianoDavid Bromberg -- Electric Guitar, DobroHarvey Brooks -- Electric BassRon Corneliu -- Electric GuitarCharlie Daniels -- Electric BassBuzzy Feiten -- Electric GuitarAl Kooper -- Organ, Piano, Electric Guitar, French HornRuss Kunkel -- DrumsBilly Mundi -- DrumsHilda Harris, Albertine Robinsin, Maeretha Stewart -- Background Vocals-------------------------------------------------------上は"New Morning"のセッション参加メンバーです。セッションミュージシャンと呼ばれるような人達の名前を知らないのですが、それでもラス・カンケルの名前なんかを見ると嬉しいです。レコード屋さんで「ご自由にお持ちください」ということでもらったポスターに写ってたりしました。あれはイルカさんのポスターではなかったかしらん。80年代かな。拓郎さんのバックにも入ってたことがありますね。それは90年代でしょう。おお、書いてありました。チャーリー・ダニエルズは、オールマン・ブラザーズ(Allman Brothers)とレーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)の影響を大きく受けたようですね。 →Hittin' The Web with The Allman Brothers Band →Lynyrd Skynyrd Official Website
2005.07.17
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ジョンストンがセッションに連れてきてくれればいいなとディランが思っていたのは、チャーリー・ダニエルズでした。以前連れてきてくれたこともあるし、連れて来ることができなかったこともあるのだそうです。この人を知らないので、検索してみました。オフィシャルサイトもファンサイトも、なぜか星条旗です。カントリーの大御所なのかな。日本語のサイトでヒットしたところだと、「南部の巨漢」なんだそうです。つまり、おでぶ。 →CharlieDaniels.com →The Charlie Daniels Band Fan Page →なにくそ第6回 THE CHARLIE DANIELS BAND-------------------------------------------------------I felt I had a lot in common with Charlie. The kind of phrases he'd use, his sense of humor, his relationship to work, his tolerance for certain things. Felt like we had dreamed the same dream with all the same distant places.-------------------------------------------------------前にも似たようなことを書いていたことがありましたが、"his tolerance for certain things"というのは初めてのようですね。何に対する寛容なんでしょうか、ちょっと不思議です。当時ディランには専属のバンドがなかったので、必要があるとレコード会社の制作部員(a A&R man)やプロデューサーに集めてもらったのですね。チャーリーは若い頃、故郷の町でジャガーズ(The Jaguars)というバンドをやっていて、レコードを何枚か出していたそうです。それはちょうどディランが故郷の町でバンドを作って歌っていたころ。そう、偉大なレスラー、ゴージャス・ジョージに会って感激したりしていたころですね。ディランは演奏していただけなのにチャーリーはレコードまで作っていたと書いています。既に大御所となっていたディランなのに、「すげえな」とい言ってるのがおかしいです。サーフ・ロカビリー(surf rockabilly)と書いてあるんですが、いったいどんな音楽なんでしょうか。と思って[surf rockabilly]でgoogle検索したら、「Kamikaze Reccords」というのがトップに来てしまいました。なんじゃこりゃ? →Kamikaze Records HomeCDやDVDを出しているんですね。"BANZAI!"という雑誌も発行しているようです。マークがすごいですね。大日本帝国の海軍旗であった旭日旗に、旧日本軍の飛行機がコラージュされています。
2005.07.16
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今年の春一番では2日目に中川五郎さんが「ミスター・ボージャングル」を歌ってくれました。みんな高田渡さんのことを思い出していました。3日目には、なんと遠藤ミチロウさんが「ミスター・ボージャングル」を歌ってくれました。 ♪ 最期の言葉は ♪ 晴れ渡った春の空にゃ ♪ 届かないこの曲は本当にいろいろな人が歌っています。もう何年も前のことだけど、napsterか何かで検索した時は、こんな人の歌(演奏)がありました。Aretha FranklinBilly JoelBob DylanEsther PhillipsGlenn YarbroughHARRY BELAFONTEHarry ChapinHarry NilssonJerry Jeff WalkerJim CroceJim StaffordJohn DenverJohn HoltKing CurtisNeil DiamondNitty Gritty Dirt BandRobbie WilliamsSammy Davis Jr.Tom T Hallオリジナルはジェリー・ジェフ・ウォーカーですが、人によってお気に入りはニルソンだったり、サミー・デイビスJr.だったりするのでしょう。私の場合、ずっとおなじみだったのはニッティ・グリティ・ダート・バンド。ただ、いつのころからかボブ・ディランの「ミスター・ボージャングル」を好むようになりました。 →bobdylan.com: DYLANディランが歌う「ミスター・ボージャングル」はこのアルバム、"DYLAN"(1973年)にしか入ってないんですよね。本人が許可しないので再プレスできない盤になってしまいました。私もCDを買い逃したのに気づいてから、入手するまで少し時間がかかりました。アメリカのカセット版を買って聴いていたのですが、結局ヤフオクでオーストラリア版のCDを買いました。競争入札者がいなくて良かったわ。でも、再プレスを許可しないのに、オフィシャル・サイトでちゃんと試聴できるのは不思議。 ♪ He said I dance now at every chance in honky-tonks ♪ For drinks and tips ♪ But most the time I spend behind these county bars ♪ Cause I drinks a bit ♪ He shook his head ♪ And as he shook his head ♪ I heard someone ask please ♪ Mr Bojangles, Mr Bojangles ♪ Mr Bojangles oh dance ♪ 「一杯の酒が飲みたくて ♪ 今でも踊るのさ ♪ でも気がつきゃ いつもこのトラ箱の中 ♪ 一杯じゃすまないからね」 ♪ うなずき踊る爺さんに ♪ 誰かが叫ぶよ 「踊って」 ♪ ミスター・ボージャングル ミスター・ボージャングル ♪ ミスター・ボージャングル 踊って (中川五郎訳)トラ箱の中で踊る「ミスター・ボージャングル」は実在の人物なんですね。 →Mr. Bojangles 誕生の真相
2005.07.14
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このごろ枕元のステレオで鳴っているのは、"BOB DYLAN'S GREATEST HITS, VOL.3"(1994年)だ。長年食わず嫌いだった頃のアルバムからの曲もあるのだが、あらためていい曲だなあと思う曲が多くて、御大を見直した。"Changing of the Guards"が、その新たなお気に入りの一つ。マクリーシュが「衒学的に過ぎる」と言いそうな、象徴的な歌詞がとても良い。 →bobdylan.com: Changing of the Guardsいきなり ♪sixteen years♪ と歌われる、その瞬間がたまらない。1978年の"Street Legal"に入っていた曲なので、ディランにとってはプロになっての16年なのかもしれない。自分にとっての、この16年という時の流れの長さと短さが、咄嗟に頭に浮かぶ。他人にとっては、無為に過ごした時間に見えるだろう。俺の、この16年。ディランの声が ♪sixteen years♪ と聞こえると、その2秒の間に俺の16年も凝縮されているように思えるのだ。身近な人が何人も亡くなった。生きていたって、二度と会うことがなくなった人もいる。もちろん出会いもあった。人を愛しなさいと教えてくれた人もいた。ソ連が倒れ、唯一の悪の帝国が世界を支配するようになった。 ♪ Sixteen years, ♪ Sixteen banners united over the field ♪ Where the good shepherd grieves. ♪ Desperate men, desperate women divided, ♪ Spreading their wings 'neath the falling leaves. ♪ 16年、 ♪ 16の幟が野に一つとなった、 ♪ 善良な羊飼いが悲嘆する野に。 ♪ 絶望した男たち、絶望した女たちは分裂し、 ♪ 舞い落ちる木の葉の下にその翼を広げた。 (幻泉館主人訳)「善良な羊飼い」は明らかにイエスを指すのだが、そうでなくてもいいと思う。BOB DYLAN'S GREATEST HITS, VOL.31. Tangled Up In Blue2. Changing Of The Guards3. The Groom's Still Waiting At The Altar4. Hurricane5. Forever Young6. Jokerman7. Dignity8. Silvio9. Ring Them Bells10. Gotta Serve Somebody11. Series Of Dreams12. Brownsville Girl13. Under The Red Sky14. Knockin' On Heaven's Door
2005.07.13
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