全33件 (33件中 1-33件目)
1
ハイデッガーによるとニーチェは真理よりも芸術を高位に置いたらしい。何故なら、芸術は生を高揚させるが真理はそうではないと。だが、それは、例えば、科学的真理に対する感性をニーチェが持たなかったからなのではないだろうか。それは、よくある文系人間の身贔屓ではないのか。もっとも、その傾向はどんな分野でも見られるが。
2018/01/31
コメント(0)
ヴィトゲンシュタインは、透明な白を想像出来ないことについて考察する。それは、一見、爆風スランプの歌詞に出てくるワニの腕立てが不可能なことと違うように感じる。しかし、そうだろうか。確かに、緑掛かった透明なガラスは想像出来るが白のそれは出来ない。だが、それは単に、それを誰も見たことがないからではないだろうか。もし、手の長いワニが居れば腕立ては可能だろう。当然、そんなワニは居ないし、誰も見たことがない。同様に、もし、透明な白いガラスがあれば、誰でも普通に想像出来るのではないか。だから、それは、論理、あるいは、文法の問題ではなく単に、物理の問題なのではないだろうか。
2018/01/30
コメント(0)
ハイデッガーの引用によると、ニーチェは芸術の古典的あるいは偉大な様式における文脈で「偉大な涜神者の理想化(彼の偉大さを認める感受性)は、ギリシャ的である。罪人に屈辱を与え、中傷し、見下すことは、ユダヤ教的=キリスト教的である」と述べたそうだ。なるほど。これが、キリスト教の道徳を弱者のルサンチマンと軽蔑し切り捨てたニーチェの心情か。この独善的かつ不遜な態度には、ヒトラーは勿論、坂口安吾、三島由紀夫、そして、現在では、百田尚樹、ビートたけし等に通ずるものがあるように感じる。
2018/01/29
コメント(0)
経済学は苦手だが、遂に「資本論」を読むことにした。どうやら、マルクスは相当な理想主義者のようだ。尤も、意外ではないが。それは「資本主義的生産様式の変革と諸階級の最終的廃止とを自分の歴史的使命とする階級ープロタリアート」という一文にも表れていた。それが実現すれば誠に喜ばしい。だが、現実には、少なくとも後千年経っても実現しないだろう。確かに、昔より、職業や結婚における選択の自由度は上がっているし選挙権も与えられてはいる。だが、社会を支配しているのは未だ一部の強者であることに変わりはない。ひょっとして、格差は昔の王様と庶民より広がっているのでないだろうか。まぁ、どう転んでも大差はないだろう。人間の優越欲求と支配欲は途方もなく強靭なのだ。
2018/01/28
コメント(0)
ニーチェは芸術の偉大な様式についてこう言う。「古典的趣味はいかなる土台の上で成育しうるのかを、偏見と柔弱さを排して考え抜くこと。人間の鍛錬、簡素化、強権化、非情化ーこれがみな必須条件である」と。しかし、これは売春宿通いの末、梅毒をうつされ、鞭打たれる馬を見て昏倒したニーチェと真逆の態度ではないのか。それは、現実では浮気者でギャンブル依存症だったドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」の中で、そのダメダメな人格を補うかのような聖人君子を描いたことに似ている。
2018/01/27
コメント(0)
在日コリアンに対し「ゴキブリ死ね」などと書くネット投稿の背後には「弱者利権」への憎悪があるらしい。それは、「生活保護」「沖縄」「LGBT」「障害者」「ベビーカー」等も含まれる。「女性専用車両」を含めても良いかもしれない。投稿者の人間像を「マジョリティとして満たされてないと感じている人々」と分析していたが、イマイチ、ピンと来ない。どうやら、貧困層ではないようだ。そして、体制支持派であるらしい。ともかく、差別される方が悪いと考えるようだ。そもそも、生活保護は、不正受給は論外としてもその金でパチンコをするのもどうかと思う。しかし、とことん困った人には必要だろう。それすらない社会は社会として成り立つのだろうか。沖縄の学校や住宅のすぐ傍に米軍基地があるのも明らか問題だろう。LGBTは性ホルモン分泌が原因であり本人の責任ではないようだ。生まれつきの障害が本人の責任でないのは自明だ。ベビーカーは混んだ電車や道で使う人間のモラルの問題だ。今更失くせはしないだろう。女性専用車両も知らない男に体を触られる女性の気持ちを考えれば仕方ないと思う。弱者利権という言葉によって差別を正当化する人間の愚かで残酷なエゴイズムが透けて見える。さて、国全体はこれらの問題を本気になって取り組むのだろうか。
2018/01/26
コメント(2)
今回も宣伝についてだった。曰く、「宣伝によってもたらされるものの内容を決して変えてはならず、むしろ結局はいつも同じことを言わねばならない」「最も簡単な概念を何千回も繰り返すことだけが、結局、覚えさせることが出来るのである」と。これはドイツ大衆をバカ扱いしていることに他ならない。だが、実際、そうだった。当然ながら、ベンツやポルシェを作り出している人間はごく一部に過ぎない。これは、どんな国にも言えることだろう。実際、現在、人類最強の国家アメリカにおいてもトランプなどという途方もなく下品な人間が大統領になれたのだ。
2018/01/25
コメント(0)
いつも昼寝をする時PCの曲をシャッフルで流している。今日、ふと、「そういえば、この頃エレカシが掛からんな」と思ったら、次の曲がエレカシだった。PCにはざっと1000曲入っているので約1000分の1の確率だ。宝くじに較べればかなりの高確率だが、そうあることではない。まさか、神様が「なんだ、聴きたいのか。じゃあ順番を変えてやろう」というはずもないし、私に予知能力があるとも思えない。そりゃまぁ、私に強い不快感を与えた人間を不運が襲うことはよくある。でも、それは、そういう態度で生きてる人間が不幸になり易いということだろう。多分、それは人間は近接して起こった出来事をひとまとめにする性質があるからだろう。しかし、それはある程度意識していることでなければならない。要するに、私はエレカシにかなりの価値を置いているということなのだろう。これまで、邦楽だけでもかなりの量を聴いて来たが、RCサクセション、ブルーハーツ、Xjapan、ARB等と並ぶバンドであることは間違いない。
2018/01/24
コメント(0)

梅田へ散歩に出掛けた。まず、ルクア イーレにある蔦屋書店に行った。お目当ての哲学書はあまり置いてなかった。しかし、ダークブラウンを基調にしたウッディな内装はオシャレだった。各所に座って本を読めるスペースがあり店内にスタバまであった。そのせいか、平日の午前中にも関わらず結構お客さんが入っていた。みんな、映画「You've Got Mail」の気分なのではあるまいか。お次は以前見付けられなかった焼賣太樓の桜橋店に行った。今度はバッチリ地図をプリントアウトして行ったのですぐ見付かった。お目当ての焼売とグリーンチャーハンは相変わらず美味しかった。しかし、残念ながら、店員さんが無愛想だった。おそらく、二度と行くことはあるまい。お次は阪急紀伊国屋書店へ向かう途中、内の夫婦の大好物御座候を買った。紀伊國屋に着くと、入り口にあった広辞苑の改訂版のキャッチコピーがなかなかイケていた。そして、哲学書コーナーは蔦屋より圧倒的に充実していた。だが、残念ながら、柄谷行人の「トランス・クリティーク」が無かった。次に欲しかった國分巧一朗の「ドゥルーズの哲学原理」も無かった。仕方ないので、イマイチ好きではない千葉雅也の「動きすぎてはいけない」にした。ともあれ、楽しかったのかどうか微妙な梅田散歩だったが焼賣太樓で飲んだ紹興酒でほろ酔い気分になり家路に着いた。
2018/01/23
コメント(0)

今日は、定年間近になりトランペットを始めた人と一緒だった。ジミヘンやツェッペリンが好きで男優のゲイリー・オールドマンが好きな所も一致したが、なんと、私と同じバードウォッチャーでもあった。だから、ほとんど、鳥の話で盛り上がった。いつも、カッコイイ、ワシタカが集団のカラスにやられているのが情けないと思っていたが、ハヤブサがカラスと1対1の勝負の時、すれ違いざま、一瞬で片羽を切り落とした話にはさすが猛禽の面目を感じた。他にも、チェット・ベイカーの映画が良かったことを教えて貰った。そのせいで、残念ながらマスターと深い話は出来なかった。だが、マスター自作のマイクは見せて貰った。SHUREのマイクを4本縦につないだもので1本1本の負荷が少なく済み離れた距離でも自然な音が取れるらしい。いつか、その前で演奏してみたい。CDはガトー・バルビエリを掛けて貰った。正統派ジャズファンからは顰蹙を買いそうなやや下品なラテンジャズだ。だが、ラテンも好きなので、時々、無性に聴きたくなる。ベースはジャコパスより好きなスタン・クラークだ。色気のある速弾きのグルーヴは圧倒的にジャコパスより良い。ガトーのテナーサックスはいつもより遠くに聴こえた。マスターによるとリバーヴを掛けるとそうなるらしい。ついでに、エコーとリバーブの違いも教えて貰った。どうやら、エコーはやまびこで、リバーブは洞窟での反響のようなものみたいだ。
2018/01/22
コメント(0)

嫁さんが大の銭湯好きなので、今年の誕生日はプレゼントはこれにした。案の定大好評だった。なにやら、風呂場の俯瞰図は勿論、ライオンやらなんやらお湯の注ぎ口や下駄箱のカギのイラストまで載っているというマニアックさだった。そもそも、風呂場の写真をFacebookに載せるわけにはゆかず、イラストでアップしていたのが好評で、あげくが出版という運びになったらしい。京都好きの嫁さんは遠からず入りにゆくことだろう。
2018/01/21
コメント(0)
天声人語がイーグルスで始まったので驚いた。なにやらイントロの話らしい。現在、イントロが短くなったそうだ。以前は平均20秒ほどあったのに現在は5秒だそうだ。イントロを飛ばす人も居るらしい。それだけ、世の中がせわしなくなったということだろう。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のイントロはなんと50秒だった。そして、話は生活のイントロに及ぶ。「1日の始まりに、窓を開けて光と風を入れる」「仕事の前に1杯のコーヒーを飲む」これらは、ブラック企業に勤める人やバイトを掛け持ちするシングルマザーや学生には難しいかもしれない。ともあれ、以前、100歳を越えた人同士の対談で「60歳までは人生の準備期間だった」と言っていたが私も漸く準備期間を終えた。思えば長い人生のイントロだった。
2018/01/20
コメント(0)
なにやら、トランプ大統領がツイッターで自分のことを「精神的にとても安定した天才」とつぶやいたらしい。これまでも、窓の外の雪をもって地球温暖化を科学者達のでっち上げと決めつけたり、メリル・ストリープを「ハリウッドで最も過大評価された女優」とこき下ろしたりと極めて愚劣な男だと思っていた。だが、このツイートには少々驚いた。しかし、心理学の調査によると、能力の低い人間の方が自己評価が高い傾向があるらしい。これは、「井の中の蛙大海を知らず」を科学的に裏付けていると言えるだろう。そういえば、どう見ても普通以下の知性しか持っていないようなおばちゃんが「今まで、私が1番頭が良いと思っていた」と言っていたこともある。自己評価が低過ぎるのもどうかと思うが過大評価は誠に恐ろしい。ブッシュのイラク戦争も大概トホホな汚点だった。しかし、トランプが引き起こすとんでもない災厄も近いのではないだろうか。
2018/01/19
コメント(0)
今回はヒトラーの悪魔的身勝手さが出ていた。それは宣伝手法についてだった。戦争の初期、ドイツ上層部によって宣伝された、「ただドイツだけがこの破局の勃発に責任があるのではない」という主張を根本的に誤っているとした。それは、たとえば、ある新しい石鹸を吹聴しようとしているポスターで他の石鹸の良質さに触れるような馬鹿げたことであると断じた。つまり、すべての責任を敵に負わせるべきだと言っているのだ。これほど、身勝手な考えはない。しかし、現代の日本でも、いじめた側の親が「被害者はこちらだ」と主張したり、「中国人や朝鮮人は息をするように嘘を吐く」などと言う極端な嫌中、嫌韓派にも通じる考えだ。ともあれ、これほど楽で、かつ、効果的な考えもないだろう。
2018/01/18
コメント(0)
カズオ・イシグロさんはコメディ映画「特急二十世紀」を見ていて、すぐれた物語は登場人物達の関係性が描かれてないとのめり込めないと気付いた。その映画は主人公と他の登場人物の関係性が面白くなかったのだ。これは実生活でもそうだろう。付き合う人間が面白くないと人生は全く面白くない。後、かつて長髪で、ロックスターを目指したこともあるイシグロさんが影響されたミュージシャンも興味深かった。ボブ・ディラン、ニーナ・シモン、レイ・チャールズ、ブルース・スプリングスティーンだ。レイ・チャールズはとてつもなく巧くて深みのあるミュージシャンだ。ボブ・ディランも変な歌い方とだみ声で誤解されることが多いが実は、シナトラ並みに巧い。そして、どちらかというと硬派だろう。ニーナ・シモンも間違いなく硬派。ブルース・スプリングスティーンも勿論そう。レイ・チャールズだけ、ちょっとばかし色が違う気もしないではない。でも、ジェームス・ブラウンに較べれば真面目な方か。
2018/01/17
コメント(0)
本谷有希子さんは募金をする時、同じ人間に同情とか憐みを感じる自分がとても不遜で恥ずかしいと思い、後ろめたくなるそうである。これがよく分からない。私はむしろ大した金額を寄付出来ない自分が情けなくはなるが自分が不遜だとは決して感じない。だって、人として当たり前のことだろう。例えば、エレヴェーターに乗っている時、降りる人の為に「開」のボタンを押すことや、物を落とした人に「落としましたよ」と声を掛ける行為と別に変わらない。どう転んでも大金を出す訳ではない。だが、彼女も親切をすると気持ち良くはなるそうだ。だから、基本、善人ではあるのだろう。ひょっとして、自分の優位性を恥じているのだろうか。いわゆる「上から目線」というやつだ。いやいや。それは気にし過ぎだ。「世の中、お互い様」なのだから。
2018/01/16
コメント(0)
私が嫌いだった四十代式守伊之助が十代の若手行司へのセクハラというなんともトホホな理由で辞めた。元々、前の三十六代木村庄之助さんと違い全く威厳がなかったし差し違えも多かった。内の家ではハラハラ行司と呼んでいた。木村庄之助さんは毎日筋トレを欠かさず蹲踞の姿勢も美しかった。結びの触れにも迫力があり自然に拍手が起こるほどだった。あまりにも情けない理由で唖然とするが辞めてくれてホントに良かった。
2018/01/15
コメント(0)
ヴィトゲンシュタインは、規則の恣意性について、既に自然数を理解している生徒に先生が+2の数列を書くように指示する例を挙げる。そこで、生徒は1000までは普通に書くが、何故か、1000から1004、1008、1012と続ける。つまり、足す数である2にも2を足した訳だ。そして、そのことで先生がいくら生徒を責めても生徒は理解出来ないだろうと指摘する。それはそうだろう。規則への従い方が違うのだ。そして、そのことの絶対的な基準は存在しない。ただ、何故かそんな生徒は通常居ないだけだ。もっとも、自分の子供が人の物を盗っても「盗れる所に置いた方が悪い」とか「ピーターと狼」の教訓は「最初の嘘が最も効果がある」と取る詐欺師も居る。ただ、ヴィトゲンシュタインが挙げた例には納得出来ない面もある。1000は確かに普通キリ番と呼ばれる特別な意味を持ってはいるがそこから足す数にまた2を足す理由は存在しない。これは規則の恣意性を無理に浮き上がらせる為の捏造ではないだろうか。実際、現実では、人々が無理やり規則を捻じ曲げる時、往々にして、自己の利益が絡んでいるものだ。
2018/01/14
コメント(0)
ネットのお友達とのやり取りで「神は人々の心」という言葉が浮かんだ。確かにそうかもしれない。ニーチェが「神は死んだ」と宣言した時、ヨーロッパ近代人の心は根底から分裂したのだ。無垢な人間の大勢の死を見れば、人間の願望を都合よく聞いてくれる神など手前勝手な妄言に過ぎない。それは、人間の願望の強さと不幸への恐怖の強さを表している。その延長線にあるのが理想の社会、つまり、天国なのだろう。だが、それぞれが理想とする天国の形態は異なる。だから、ユダヤ=キリスト教やイスラム教のような一神教より八百万の神をいただく多神教の方が現実的なのかもしれない。カントが唱えた世界連邦が実現するに越したことはない。だが、ナチス、大日本帝国、スターリン、毛沢東、IS等、性急な全体主義はしばしば地獄を現出させる。
2018/01/13
コメント(0)
ハイデッガーによる引用だが、ニーチェは芸術における三つの善いものについて、気品、論理、美を挙げる。これはまぁ良いだろう。しかし、ヴァーグナーの音楽について「偉大な様式からもっとも遠く隔たっている。彼の芸術手段の放埓な英雄気取りは、まさしく偉大な様式とは正反対のもである」とこき下ろす。これはどうだろうか。私はむしろニーチェの「ツァラストラ」にそれを感じる。人間、しばしば、その非難の言葉が本人を表す。他者を非難する時、よくよく言葉に注意しなければならない。
2018/01/12
コメント(0)
今回は宣伝の方法についてだった。それは、「すべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝がめざすべきものの中で、最低級のものがわかる程度に調整すべきである」とした。これこそ、ポピュリズムの神髄であり、日本のテレビや雑誌が長年やって来たことであり、現在、トランプがやっていることだ。
2018/01/11
コメント(0)
ベルクソンは心理的諸状態の強さである内包量と物理的外延量を峻別する。そもそも、非延長的な量は矛盾ではないかと。それは確かにそうだろう。しかし、心理的諸状態の強さは非延長的だろうか。現代科学では脳内信号における強度として計測可能ではあるまいか。何故そこまでベルクソンが量の質に拘るのかはまだよく分からない。ともあれ、神秘主義の匂いに気を付けて読み進めよう。
2018/01/10
コメント(0)
劇的な試合だった。全体にやや育英が巧く押し気味だったが両者ずっと無得点だった。ただ、育英の飯島と五十嵐にポストとバーに弾かれる惜しいシュートもあった。そして、育英の3本連続シュートをゴール前で弾き返した流経の守備も極めて固かった。だが、最もエキサイティングだったのは育英のエース飯島のマンマークを命じられた三本木と飯島のマッチアップだった。うるさい蠅を追い払おうとするかのような飯島の手ぶりが三本木のマークがいかに執拗だったを示していた。タッチライン際のボールの奪い合いは死闘のようだった。しかし、そんな三本木のマークも時折はがされる時があった。そして、後半アディショナルタイム、飯島が放ったシュートが三本木の腹に当たりこぼれたボールをゴール前に詰めた榎本が蹴りこんだ。さすがの三本木もこれは防げなかった。彼はこの瞬間を一生忘れないだろう。前回の決勝でシュートを放てず途中で下げられ0-5で負けた飯島は晴れやかに泣いた。インタビューで監督は言葉が出なかった。
2018/01/09
コメント(0)
ずっと電話の受信音が小さかった。それをIP電話のせいだと思っていた。しかし、ふと、別の耳で聴いてみたらよく聴こえた。左だけ聴こえにくくなっていたのだ。ひょっとして、この間のライヴのリハがボロボロだったのは、そのせいもあったかもしれない。早速、耳鼻科に行ってみると大物の耳垢が取れた。今まで、嫁さんとテレビを観る時、彼女がちょっとうるさいと感じる音量でしか聴こえなかった。だが、今では、彼女がちょっと物足りないと感じる音量でも十分聴こえる。歯医者は、時々、クリーニングの案内はがきが来るので行っているが年を取って来ると、体のあっちゃこっちゃでメンテナンスが必要だ。
2018/01/09
コメント(0)

今日はキース・ジャレットの名曲「Country」が入ったアルバム「My Song」を掛けて貰った。キースのピアノは勿論、北欧のコルトレーンと称されたヤン・ガルバレクの知的かつ温かいサックスがよく鳴っていた。今日はママさんが店を見ていたが彼女も「Country」を気に入っていた。他にも去年に知り合ったお客さんもいたのでマスター抜きでも結構話に花が咲いた。
2018/01/08
コメント(0)

あまり正月向きではないがビリー・ホリデイの名盤「Strange Fruit」を掛けて貰った。変幻自在の感情表現と凄みを感じる歌唱だがB&Wのスピーカーで聴くと温かみが加わった。そうこうしてる内に去年の暮れに友達になったトランペッターがやって来た。なにやら譜面の移調が出来ないらしいのでプロコルハルムの「青い影」の移調を私がやり一緒にやることになった。後、定年間近になってトランペットを始めた人とも話が合い友達になった。この店もいよいよ地域のコミュニケーションの場になってきた。
2018/01/07
コメント(0)

何年か一緒に暮らしたネコが子供の家に連れて行かれた。もう一匹いたネコもそうだったが、元々、子供が飼っていた。もう一匹は何年か前に死んだ。ノルウェージャン・フォレスト・キャットという血統書付きだった。そういうのは近親交配で弱いらしい。残った方も面食いの飼い主らしく横顔が滅法整っている。だが、ノルウェージャンに比べて臆病で泣き出したら大声でしつこくうるさい。だから、いなくなっても、それほど淋しくないと思っていた。だが、いなくなった途端もう一度撫でたくなった。
2018/01/06
コメント(2)
もう何度目になるか分からないが正月になると妙に観たくなる。面白いことに毎回泣けるシーンが微妙に変わる。今回は、ビトー・コルレオーネが父親の仇を討つ為、シチリアへ行き、縁者と酒蔵で乾杯するシーンで嗚咽した。若き日のゴッドファーザーを演じたロバート・デ・ニーロも見事だが、やはり、アル・パチーノの演技が圧倒的だった。彼のベストは「セント・オヴ・ウーマン」だと思うが、これの重厚な演技も格別だ。映画の作りも、情と度胸を兼ね備えたビトー・コルネオーネがのし上がる過程と、ファミリーを守る為とはいえ厳格になり過ぎたマイケルが、敵は勿論、ファミリーのメンバーや、果ては兄弟、妻とも断絶し孤立してゆく過程の対比が巧くハマッていた。厳しさもほどほどに言ってしまえば凡庸な教訓だが真実ではある。
2018/01/05
コメント(0)
ヒトラーは「ドイツ民族は人間的存在のための闘争を戦った」と言い、「生か死かの運命の問題が近づくならば、ヒューマニティとか、美とかの考量はすべて無に帰してしまう」と言った。更に、「残酷きわまる武器も、それがより迅速な勝利を条件づけるならば、人道的であり、国民に自由の尊厳を確保するのを助ける方法のみが美であった」と続けた。なるほど、それでポーランド、フランスを初め、各国に侵攻し、ユダヤ人やその他の少数民族を虫けらのように殺しゴミのように捨てたわけか。しかし、それほどまでの強い危機意識を持っていたヒトラー率いるナチスドイツがコテンパンに負けた後、今では、ヨーロッパ随一の経済大国になっているのは笑えない冗談でしかない。
2018/01/04
コメント(0)
興福寺の貫主である多川俊映さんが朝日新聞のコラムで日馬富士の暴行事件に触れていた。そこで引用した良寛さんの戒語によふてことはりをいふ(酔って道理をいう)はらたちながらことはりをいふ(立腹して道理をいう) とあった。ああ。この言葉を若い頃知ってたら。
2018/01/03
コメント(0)
今年も元旦早々深夜営業していた近所のカフェに行って来た。最初に居た男女のカップルが帰った後、暫く店主と話しているとシャイそうな年配男性が一人で入って来た。私が店主と映画の話をしていると「映画がお好きなんですか?」と聞かれたので、「音楽の次に好きです」と答えた。そこから、映画の話でひとしきり盛り上がった。最初は、キューブリックの話だったが、私がベルイマンが好きだというと、なんと、その人が映画にハマッたきっかけはベルイマンだった。「叫びとささやき」という難解かつ前衛的な映画を何度も観たというから恐ろしい。ジャズにも詳しくて、読売ランドで観たウェザーリポートが凄かったというから本物だ。これだから、世の中、ゆめゆめ侮れない。冒頭、「2001年宇宙の旅」に出て来た宇宙船のロゴがNASAではなくPAN AMだったので笑ったと言われたので、早速、家のビデオで確かめた。しかし、残念ながら小さなモニターでは確認出来なかった。
2018/01/02
コメント(0)
前半すぐ、左SB下平からの良いクロスを前線へ上手く抜け出した伊藤が胸で落としGKとの一対一を制し決めた。その後もマリノスの寄せが早くセレッソはリズムが出なかった。マリノスは右サイドのマルティノスや中盤のバブンスキーの動きが良かった。セレッソは前線の山村の動きがやや遅かった。後半、漸くセレッソが押し返し始め前線の崩しから山村が決めた。その後、マリノスはウーゴ・ヴィエイラが入ってセレッソはリカルド・サントスが入り、双方活性化した。曜一朗はやはり足が痛そうで替えられた。試合は拮抗したまま延長戦に突入した。延長前半、山村が左からファーへ上げたクロスを水沼が頭で決めた。1点先行されたマリノスに焦りが出た。特に、足が止まり出したマルティノスが熱くなっていた。こうなると、益々、セレッソが有利に見えた。延長後半、ウーゴによって何度か決定機が生まれたが決め切れなかった。前期J2だったセレッソが2冠を達成した。当初の目標は9位だった。おそらく、清武とユン・ジョンファンの采配が効いたのだろう。優勝インタビュー時、ユン・ジョンファンの目に涙が見られ通訳すら泣いていた。
2018/01/01
コメント(0)
例年通り、これといったパフォーマンスはなかった。だが、Xjapanは別格だった。YOSHIKIの気合はいつも通りだ。しかし、TOSHIが前より上手くなっていた。表現が豊かになり高音に艶があった。一時期、地獄を見たからだろうか。そして、新曲というと、大概、無理やり作ったような冴えないものが多いが、どこかしら新しい味のあるスケールの大きな曲だった。HIDEの自死は痛恨だが、Xjapanは進化し続けている。
2018/01/01
コメント(0)
全33件 (33件中 1-33件目)
1