川本美器のお買い物ブログ

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2009年12月06日
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京都は紅葉シーズンもそろそろ終盤。


さて。
京都市左京区一乗寺といえばいまや「京都ラーメン」のメッカです。曼珠院道を西へ向かえば、ラーメン店が密集する通称『ラーメン通り』へ行きつけます。
通を東へ行けば、「一乗寺 中谷」さんという和菓子屋さんが有名です。もともとでっち羊羹の老舗が和と洋のコラボスイーツをはじめて、これが大好評です。ここの豆乳プリンは一度お試しの価値ありです。

それはさておき、元々、この地には「一乗寺」というお寺がありました。
天台宗・比叡山延暦寺の末寺で、天元4年(981)山門派と寺門派の対立の中、寺門派の僧『穆算』が難を逃れて当寺に住んだことや、永延2年(988)円融法王が一夜を宿したことなどで知られていますが、南北朝の動乱以後に衰えて廃絶してしまいました。
この寺が地名の由来であります。
古くから、京都から比叡山や近江国へ至る交通の要所である一乗寺下り松には、由緒や逸話が数多くあります。

そして、最も有名な伝説が宮本武蔵決闘の地ということです。

「一乗寺下り松の決闘」といえば、
慶長九(1604)年、吉岡道場一門との一対七十余人の対決。
二十一歳のとき上京した武蔵は、名門吉岡道場の門をたたきます。門弟との試合では六人を倒し、二人を死なせました。その後、当主の清十郎、弟の伝七郎が相次いで武蔵に挑みますが、あえなく倒されます。
面目をつぶされた吉岡一門は、清十郎の子、又七郎を名目人に立て、弓、鉄砲も携えた七十人余人のも門弟たちで遺恨試合に挑みました。
といっても、実はこの決闘は武蔵自身の著述には一切書かれてされていません。
しかも、決闘の地は修学院に近い一角だったとも。
旧白川道の四つ角に「宮本 吉岡決闘之地」と刻まれた石碑と松の木が立っています。或いは、武蔵側にも十数人弟子が加勢したという説もあったり、諸説紛々として謎が多いのです。
それでも、「八大神社」は吉川英治の小説では、武蔵が神頼みを思い立ち、「士道には神頼みなどない」と悟った地とされ、お参りする人が絶えません。
宮本武蔵は謎だらけの人物です。
生地さえ、播磨か美作かはっきりしていません。

中国自動車道の美作ICを下りて、左手に進むと「宮本武蔵生誕の地」という看板が掛かっています。
焼酎にも武蔵人気が浸透していますよ。

山都酒造「二天一流 宮本武蔵五方の形」

五方の形は二天一流の基本の形であり、一本目は中段、二本目は上段、三本目は下段、四本目は左脇、五本目は右脇、ラベルにはこの五方の形がデザインされています。
「芋焼酎」は水形の構、「そば焼酎は重機の構、「麦焼酎」は義談の構、「米焼酎」は喝咄切先返。





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最終更新日  2009年12月06日 12時03分39秒


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