はにわきみこの「解毒生活」

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2005.01.26
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 明けて金曜日。私は重い足取りで会社へと向かった。
 茶のタートルネックのセーターに、ベージュのパンツスーツを合わせる。胸元には愛用のコインのペンダントを下げた。脚と腕はしっかり隠れた。問題は手の甲と顔だ。一晩寝ても発疹は引かなかった。肌はちくちくと痛がゆく、集中力は散漫になる。

 しかし、熱があるわけでもなければ、体を動かせないわけでもない。ましてや
人にうつる病気でもないのだ。会社を休む理由にはならないだろう。
 無遅刻無欠勤を誇る私には、具合が悪いから会社を休むなんて、口が裂けても言えない。
自己管理のできない人間はクズだ。 断じてこの症状は病気ではない。

 だいたい、会社を休んだところで何をする? 私は今の仕事が好きだ。全身全霊を傾けられる仕事に対して、皮膚の発疹がブレーキになるわけはない。サングラスとマスクを装着し、深くマフラーを巻き付けてできるだけ顔の露出を減らすと、私は車を降りて電車に乗り込んだ。こんなに混んだ電車の中で、他人の顔に興味を示す人物がいるとも思えない。気にしない、気にしない。

 私は始業30分前には会社に着くようにしている。タイムカードを押す時間が、9時ギリギリ、バタバタと駆け足で席に着くというスタイルはどうも好きになれないのだ。ゆっくりと余裕を持って一日を始めるのが私流。コートをロッカーに置くと、白衣をはおり、給湯室でお湯を沸かす。コーヒーメーカーに豆と水をセットし、流しに腰を預けて今日一日のスケジュールを頭の中で組み立てる。ノルマをきちんと予定通りにこなすことが何よりの喜びなのだ。

 私のいる部署は新製品の試作と臨床の窓口になっている。発売目標に間にあうように製品化するのは、正直いって難しい。しかし、発売日がずれ込むのは、あくまで真面目に実績を積み上げた上でやむなく、でなければならない。作り手の私たちが手を抜くことは許されないのだ。終わってみたらムダだったと思われる行程であっても、やらずに結論を出すわけにはいかない。



「おはようございまーす。あっ、亜南さん! コーヒー1杯もらってもいいですか?」
「ありゃ、亜南さん、そのお顔、カニにでもあたったんですか?」
 隣の部署の仲良し二人組、真理と香苗だった。25歳というのはここまで屈託なく明るいものなのか。先週結婚式を挙げた美咲もたしか、彼女らとおない年だったはず。

「真理ちゃん、コーヒーはもう少し待って。10杯分作ったからあと2分はかかる予定。顔はね、そう、アレルギーなの。心配しないで」

 真理は、長い黒髪をかき上げながら、小首をかしげた。
「いつもすいませーん。本当なら私たち後輩がやる仕事ですよね、こういうのって」

「いいのよ。女性のための商品を作ってる、女性が中心の会社なんだから。せめ
て世間一般に言われているお茶くみなんて制度に踊らされるのはやめよう、私た
ちの世代がそう運動を起こしたの。欲しい人が、自分でお茶をいれる、それが我
が社のスタイルってね」

「ここまで話が分かる先輩がいる会社って、他にないですよー」


「ねっ、亜南さん、美咲ちゃんてもう休みに入ったんですよね?」
「そう、昨日から新婚旅行に出たわ。確か、行き先はモルジブ」
「じゃ、これ彼女のデスクに置いといてもらえませんか? 頼まれてたんです、留守の間に発売になるから買っておいてって」

 香苗が手にしているのは、月2回発売の女性誌だった。ファッショントレンド、成功した女性のインタビュー、恋愛相談に占い、といった他愛もない内容だ。我が社の広告も入れているので、ユーティリティルームにいけば、好きな時に閲覧できる雑誌のひとつでもある。わざわざ買わなくても良さそうなものだが、と首をひねった。

「なんかねー、この号で取り上げられるイケメン占い師の記事が大事らしいんですよー。美咲ちゃん、見てもらったことがあって、すごく惚れ込んでるの。で、その人を雑誌に紹介するべきだって投書したら、ホントになったっていうんですよー。美咲ちゃんのコメントも載ってるんだって」


 二人は顔を見合わせてきゃっきゃと笑った。
「はいはい、わかりました。後で見てみるわ。それよりほら、早く行きましょ。あと5分で9時よ」
「はあ~い」
 二人はパタパタと軽い足音を響かせて廊下を駆けていった。私の手元には1冊の雑誌が残された。


 本誌厳選の8人を徹底レポート」


 はあ。占いね。全くもってくだらない。人生を切り開いていくのは自分自身でしょ? そのためにアカの他人からなんのアドバイスが欲しいって言うの?
 ため息とともに、マグを片手に私はデスクへと急いだ。

「あらっ! 阿南ちゃん! どうしたのそのお肌!」
 ドアを開けたとたん、武岡の声が裏返った。

「いやだ、試作品に問題でもあった? 成分的には問題でるわけないんだけど」
 巨大なターコイズブルーの石が入った指環の光る人差し指が、私のあごをクイと持ち上げた。しぐさのひとつひとつがクネクネしている武岡は、ゲイと間違われることが多い。ガタイはいいし、黙っていれば一種の色男なのだが、口を開けばおネエ言葉がほとばしる。

「昨日は何ともなかったじゃない? あなたエビとかカニにアレルギーあった?」
 両手を胸の前で合わせてもみしぼる姿は、おカマバーのママを連想させた。白衣よりも胸元のボタンを3つくらい開けた派手なブラウスのほうが似合いそうだ。

「ええ、昨夜遅く発疹がでまして。実は子どもの頃から、たまにこういう症状が出るんです。他に具合が悪いところはないですし、うつる病気ではないので…」
 最後まで説明する前に、武岡の指は電話の短縮ダイヤルボタンを押していた。

「清水先生ですか? 研究室の武岡です。うちの研究員の一人が今、顔にブツブツが出てて、大変なんです。診ていただけませんか? ええ、保険証を持たせますので。12時過ぎですね? わかりました。ありがとうございます!」

 デスクからくねっと振りむくと、武岡は断固として言った。

「うちの大事なリトマス試験紙がそんな状態じゃ困るのよ。あなたの肌がOKを出した製品はどれも大ヒットしたこと、わかってるでしょ。すぐに治してもらって」
「そういっても。今まで、薬で治ったことはないんです」
 私は説明を試みた。どの医者もお手上げだったのだ、このナゾの発疹には。

「専門家に診てもらわなくちゃ、わかんないでしょ! とにかく、そんな状態じゃ困るわ。肌を治すのが第一の使命よ。お昼休みには清水先生の所に行ってちょうだい。ちゃんと手みやげ持って行ってよ、先生にはお世話になってるんだから。銀の葡萄でケーキを6個以上偶数、領収証を忘れないで」
「はい」

 病院ほど嫌いな場所はない。しかし後には引けない。武岡はああ見えても私の上司なのだ。しかも、とても目を掛けてくれている。そう、少し暑苦しく思えるほどに。バッグを探って保険証を確かめると、断る理由は何ひとつなかった。

 考えてみれば、社会人になってからこの発疹は出たことがなかった。武岡の言うように、専門医に診てもらうチャンスかもしれない。清水医師は仕事で提携関係にある、敏感肌のエキスパートだ。何か有益な対処法が見つかるかも。昼からの診療ならば、午後の何時間かは仕事にならない。今のうちに作業を進めておかなくては。





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最終更新日  2005.01.26 09:58:49


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