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2ちゃんねるでの「レイプ疑惑事件」について興味があり、いろいろと見て回っているうちにこちらの更新がおざなりになっていた。御足労いただいた方々、申し訳ない。 上記事件の概要は詳しく知りたい方はここを。 最初に書いておくが、本件について私自身はまったく関わってなく、また概要を知ったのは昨日のことであってかなり周回遅れ気味であり、当然ネット内に出ている情報しか知らず、また2ちゃんには書き込めない環境にあり、事実2ちゃんに書き込んだこともなく、それはこれからもないだろう。 知り合いは「2ちゃんは日本が世界に誇る文化だ」と言っている。ホンマかいなと思うが、真剣にそれについて検討したことはない。 さてそのうえで、上記「レイプ疑惑事件」のおおまかな概要は以下のとおり。(1)2ちゃんねる「OFF板」にて定期的に開催されているオフ会が催される(2)オフ会終了後に、何度か2ちゃんでのオフ会幹事を務めた「坊主」(♂)が、こちらは何度めかの参加である「武者」(♀)を、「これからウチにDVDを見に来ないか?」と誘う(3)夜中であるが両親同居のアパートであるし顔見知りであることも安心感を誘い、武者は同意。2人で坊主の自宅へ(4)部屋で2人でDVDを見ていたが、酔っていたこともあり、坊主にうながされて武者は横になって寝てしまう(5)DVD終了後、坊主が武者にセックスを求める(6)武者(♀)は「とても嫌だったが、抵抗して何かされるのも恐くて何もしなければ早く終わるだろう、早く終わって欲しいと思うあまり」、坊主(♂)は「俺は“同意”だと確信してます」、「嫌がっているそぶり等は一切ありませんし」と後に証言しているが、ともあれ2人はセックスをする(7)行為の最中、坊主(♂)はそれを動画に録画(おそらくケータイで)(8)後に武者は行為を後悔し、動画を消去すべく坊主を呼び出し、ケータイを奪って水没させるが、動画はすでにPCにコピーされていた ハメ撮りってヤツですな。私はまったく興味ないし、やったことももちろんないんだけど、愛好者は多いようだ。自分の見て楽しいんかなあ。AVについてはガッツンガッツンに見ているわけだが(最近見てない)、これも男性視点でのカメラで撮られたものはちっとも面白くない。 えー……、話しが大胆にズレた。 事件の本質的な部分だけを抜き出せば上記のような流れだと思われる。(客観性を強めるため、かなり控え目に書いている。武者の日記(後述)を読む限り、セックスの現場でのやり取りはもっと凄惨ではなかったかと考えている) この後、事件後に武者とヨリを戻すことになる元カレ(ハンドルは「リシエ」)が登場したり、武者が水没させた坊主のケータイについての弁償を巡ってのやり取り、元カレと武者の土下座、「オフ板」とこのレイプ事件を報じる「ニュース速報板」との確執、「オフ板住人」のオフ会に関する認識、さらに「これは和姦か」、「いや強姦だ」という2ちゃん内での論議、などがあり、まあ既出の情報を追い掛けるだけでも軽く1日はかかる。 武者(♀)本人の証言はこちら。 坊主(♂)の証言はこちらとこちらを参照のこと。 いずれも本人のコメントと思って間違いなさそうだ。 本件については法廷に持ち込まれる可能性が高く(おそらく刑事事件)、司直の判断を待たずにどうこう言うのはどうかと思われるのではあるが、まあ上記の事件紹介も含めた私の論考は、すべて野次馬の勝手な推論をもとにしたものだ、ということをまずご理解した上で読んでいただきたい。 また、この日記で事件を知った方がなにがしかの判断をし、それをネット上であれリアルであれ、どのような形かで誰かしらに伝えるさいには、関連リンクをせめて飛んでみて読んでからにすることを強くお薦めしたい。これはあくまで「お願い」ね。 ちなみに本件はなお現在も2ちゃんねる、ニュース速報板でスレッドが進行中であり、現在(04/9/28,15:30)は「66スレッドめ」まで伸びている。今晩にもdat落ちしそうな気配だが、一応リンクしておくと最新版はこちら。 現時点で表に出ている情報を読む限り、この事件についてはいくつかの方向から考察が加えられるだろう。ザッと思いついただけで以下のとおり。(あ)男と女がセックスに及ぶときの機微と認識差について(い)ネットでの知り合いとオフラインで出会ったさいの関係性について(う)「2ちゃんねる」、特にオフ会の開催に特化した「オフ板」の存在意義(功罪)について また、以下は少し抽象的なきらいがあるが、(え)本件における、「2ちゃんねる」(「オフ板」でもよい)という掲示板運営・管理の責任について(お)【ネット場で実際の出会いを推進する場】の功罪について などが気になっている。 (う)については(お)の案件と直接的に関わってくるわけだが、いわゆる「出会い系サイト」の可否についての考察も含まれるので、あえて別項とした。これらについては後日、時間があればそれぞれについて、たぶん時間はないだろうから、結局はどれか特に気になる問題について、別途考察を加えてみたい。 また、本事件については2ちゃんねる内でかなり早い段階から、早稲田大学のイベントサークル「スーパーフリー」が巻き起こした集団レイプ事件との類似性が指摘されていた(9月27日に元代表和田被告の公判、判決は11月2日)。 「オフ板」では「古参固定ハンドル」と呼ばれるオフ会の幹事常連群(5~6名と思われるが不明)が各オフ会、各参加者に一定の影響力を持っており、そこにはローカルルールとしての上下関係が存在し、かつそれにともなう仲間意識が跋扈していて、さらには本件のようなレイプ疑惑が以前からあったとされている。その点についてが本事件と「スーフリ事件」の共通性と言えよう。 上記にあげた「上下関係」、「仲間意識」の存在が、本件関係者に対して一定の「権力効果」をもたらしていることは疑いようもなく(これは「これについて何か言うと迫害される」といった強度な権力作用から、「あいつとは知りあいだしな」といった緩やかな共同体意識まで含まれる)、それが本件について底が知れないような不安感と、「オフ板閉鎖要望」まで繋がる大きな批判に展開する要因をもたらすことになっているようだ。 私見ながら、本件とスーフリ事件については、共通性も多いが差異性もかなりある、と考えている。スーフリ事件については、報道された事実を読む限り、「天皇」とまで呼ばれた(不敬だ)「和田サン」を頂点とした、レイプシステムの構築にこそ事件の本質があると私は考えている。 しかしこの「2ちゃんオフ板レイプ疑惑事件」では、そうしたトップダウン式の命令系統は存在していない【と言われている】し、そのシステムの体現的象徴的存在はなかったと思われる(あったとすれば情報統制が稚拙過ぎる)。本件にあるのは、ただただ堕落した仲間意識と、それにともなう倫理観の喪失、そして痴情と、犯罪だろう。 ただし、一点付記しておかねばならないことがある。 本事件に関しては、現段階で2ちゃんねるの元管理者が「個々人の自己責任において事件に対処するものであり、オフ会については(「法」を含む社会規範に則ったうえで)各々の自治範囲内ではないか」と発言している。 「自治」とはなんぞや。そこには「個人として倫理を犯し、個人として道徳に反する自由」も含まれるのか(あえて「法的責任」はここでは問わない)。掲示板の「管理・運営」とはどこからどこまでを指すのか。「人と人との関係」に、管理者はどこまで、参加者はどこまで、ROMはどこまで、国家権力はどこまで、どのように関わることができるのか。関わるべきなのか。 飛躍を承知で書くが、本事件はネット内での「自由主義的思想」と「社会主義的思想」の分水嶺となっているような気がしてならない。探し物はまだ見つかってない。ちょっと疲れたし、なんだか少しムカついている。 余談ながら、武者(♀)は20歳の女子大生で、写真を見たが、かなり可愛い。
2004/09/28
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どうにも12月というヤツは公私ともチキチキバンバンに忙しいもんで、ありていに言うと日記とか書いてる場合ではないのであります。 というわけでよいお年を&メリークリスマス&ハッピーニューイヤー。 ついでにハピヴァースデイ俺。 悲しい時は空を見上げるショータですこんにちは。見上げても真っ暗なのは涙で曇っているせいでしょうか東京の空が汚いからでしょうかねえチルチル僕の青い鳥はどこで焼き鳥になってしまったの。 ※「22で結婚して25で離婚、いま26で独身の頃よりモテる」という女の子と仲よくなった。なんか知らんがメールのやり取りとかをしている。 3~4回メールが来たが、なるほどこの子はモテるだろうなあ、と思う。 冷静に読めば不特定多数に宛てている内容なのだが、ふと「自分だけに宛てられているような気がする」と読めてしまうのだ。 もちろんそれは誤解であるし、そもそも恋愛というのは自分も相手も誤解することでしか成り立たないものだから、なるほどこれは恐ろしい、と、いまどうやって返事を書こうか迷っているところ。「もう返事は出さない」という選択も含めて熟考中。 ※ 赤坂の飲み屋で仕事相手と夕飯がてら一杯やっていると、催眠術師のタマゴという人を紹介されて盛り上がってしまった。「相手も自分も、論理的に考えているうちは絶対に催眠状態になんかならない。催眠に掛けるときには相手の理性を溶かさなければいけないが、理性というのは段階的に、ゆっくりとしか溶けていかないし、相手側に“自分の理性を溶かそう”という(意識的にか無意識的にかを問わず)協力的な要素がなくてはいけない」 という話を聞く。大変興味深い。「それ、恋愛も一緒ですよね」 と言ったら「まさに」と同意してくれ、非常に盛り上がる。 よくTVなどで、催眠術師が「パチン」と指を鳴らすと被術者がストンと眠りに落ちる場面があるが、それはすでに入念に下準備がなされ、指を鳴らす前にすでに被術者は催眠状態にあるのだという。「ある日ある時突然に恋に落ちる」というのは、すでにその下準備としての素地が出来上がってないと為し得ないことなのだ。 容姿や性格、将来性や経済性、社会的地位、環境や家族構成、タイミングや相性など「恋の相手」を論理的に計る要素は非常に多い。それらにハードルを設けることで「論理的に“いい恋愛”をしたい」と望む人もまた多い。 けれどそれは原理的に難しい。「上手に騙されよう」と思っているうちはきっとまだまだダメなのだ。「上手に騙してよ」なんてのはもってのほか。 理性とか論理とかはもうデロデロに溶かし切った状態で相手を待つ! という、ほとんど矢吹ジョーのノーガード戦法みたいな状態がきっと、「最も恋愛しやすい状態」なのだろう。まあもちろん決してお薦めできる方法ではないし、そもそも恋愛なんてのは薦められてするもんでもないわけだけれどもね。 ※ 時間がない、と言いつつ、 友人に紹介されたり勝手に飛んでいったりして、ネット上で交わされている論戦をちょこちょこ覗いたりしている。内容は「ミラクル真央の五輪出場の可否」から社会心理学や法哲学までさまざまなんだけども、まあ興味深かったものもあれば阿呆かい、と思うものもあったり。 あー、ちょい前だったら喜び勇んで首を突っ込むだろうなあ、なんてのもあったけれども、今はその気力もなし。こりゃ歳だね。うん。オッサン化。 探しものは来年に持ち越す。 大掃除しなくちゃなあ。
2005/12/23
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人間「傷付いただけ、人は優しくなれるんだよね?」元天使「いや、傷付いたら傷付いただけやな奴になる奴もいる」(戯曲『天使は瞳を閉じて』鴻上尚史著より引用抜粋) コミュニケーションというのは難しいですね。 片方にはイヤミを言っているつもりでも気分を害するつもりでもなく、ましてや禅問答を投げ掛けているつもりなど微塵もないのに、そうとられることがあるわけで。で、きっとそれは傷つけたり傷ついたりすることも、あるいは「傷つけた」と思うことも「傷つけられた」と思うことも、同等に起こり得るのだろうな、と思います。 いまレスを拝読して思うのは、人間同士のコミュニケーションでは「そういうことはある」と。意図しないままで双方の感情がゆらゆらと揺れ、揺らし、誤解したかたちでしか理解し合えないのだろうな、ということです。(むうう。↑こういう書き込みが「禅問答」ととられるのだろうか) そうした誤解の上にしか成り立たないとしても、「コミュニケーションをとりたい」と願い続けるのは、(たとえ「誰と」であっても)それは人間の本能といって差し支えない部分であって、おそらくそこにおいて重要なのは「自分は相手を傷つけているのだろう」という想像力であろうな、と。そしてその想像力を支えるのものまた「誤解」でしかないのだろうな、と思うわけです。(念のために書いておきますが、↑これは「私はあっという間に傷つきますので、もっと私に気を遣ってください」ということです) ※ 冒頭の鴻上の著作からの引用は、別件で本棚をひっくり返したらでてきたものです。『天使は瞳を閉じて』という戯曲は、カンヌで最優秀監督賞を受賞した『ベルリン天使の詩』という映画を見て、それにインスパイアされて作られたそうです。 映画のほうは、人間に恋をして、「彼女をこの手で抱きしめたい」と願い、天使のダニエルが翼を捨てる決心をする静謐で美しいお話です。天使の世界はモノクロで、囁くように地上の人々の心の声が聞こえてきます。天使ダニエルが翼を捨てた瞬間、そのモノクロの世界はフルカラーとなり、コーヒーの苦さと温かさに感動し、彼女と手を繋ぐことができるようになるのです。 その映画を見て鴻上は、「すばらしい映画だけれども、けれど、大事なのは“そこから”だろう。人間になった元天使がフルカラーの世界を獲得し、彼女を抱きしめ、その世界と環境に慣れてしまって、そこからだろう。人間社会の苦しみも楽しみも、その先にこそあるだろう」という感想を持ちます。 当該引用台詞は、そんな「人間になった天使」の言葉なわけです。『天使は瞳を閉じて』の最後の台詞は、「おや、そこにいるね。さぁ、握手をしよう」です。フルカラーの世界に苦労をし、傷つき、それでも元天使はそう言うわけです。 イヤミを言ったわけではありませんし、何かを比喩したわけでもありませんのでどうぞお気になさらずに。 探しものはまだ見つかっていません。
2005/10/31
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仕事の合間に買い出しに出かけたコンビニでよくかかっている楽曲が気になっている。百万回の「愛してる」なんかよりもずっとずっと大切にしてるものがある♪ というヤツだ。 いまネットで調べてみたら、Aqua timezというグループの『等身大のラブソング』という歌だった。たいそう流行ってるらしいね。周回遅れですまぬ。 メロディや声が気に入ったということもあるのだが、なにより「恋愛において百万回“愛してる”って言うのより大事なことってなんだろう?」というのが気になってちょっと調べた。 歌詞全文はここらへんを参照。 どうやら「百万回“愛してる”ということ」よりも、「相手を抱きしめる」とか「そばにいる」ということのほうが大切だと説いているようだ。 いい曲であるし買おうと思っているのだけども、私は作詞者のその主張には首肯できない。そういうことは実際に百万回、いや百回でいいので言ってみてから主張してほしい。(「とっておきの言葉を 熱く甘い言葉を(言えないから)いつもの喋り言葉で」というあたりの意味がよく掴めないんだが、「大切だ」とか「そばにいてほしい」とかなら言える、ということなのだろうか?) ※ 私が「言葉による現実変成能力」という概念を知ったのは、内田樹の著作からだった。これは内田の造語なのだろうか。いくつか内田のブログから抜粋するが、まあちょっと読んでもらったほうが早いのでいくつかリンクする。「想像の力」「言葉の力」「配架の愉しみと語彙について」 真ん中のリンクにある、バートランド・ラッセルの言を引用しよう(『論理哲学論』(L・ヴィトゲンシュタイン著/中央公論刊)序文より引用抜粋)。 私たちが考えることのできないものを、私たちは考えることはできない。それゆえ、私たちが考えることのできないものを、私たちは語ることはできない。(・・・)世界は私の世界であるということは、言語(それだけを私が理解している言語)の境界が私の世界の境界を指示しているということのうちにあらわれております。形而上学的主体は、世界に含まれているのではありません。それは、世界の境界なのです。(引用終了) 上記はどういうことかというと、私たちが認識できる「世界」は、私たちが持っている「言葉」(語彙)の範囲でしかない、ということだ。(むうう、余計わかりづらくなったような気が) 試みに例を出すと、最近レミオロメンの『粉雪』という曲がたいそう流行っている(「それも周回遅れ」とか言わんで。竜宮城 人外魔境にいるんだ。許してくれ)。こなーゆき~ ねえ 心まで白く 染められたなら~♪ というアレである。「粉雪」という言葉に適応する英単語は存在しない。「powdery snow」という言葉があるが、それはあくまで「粉末状の雪」だ。スキー場で言う「パウダースノー」と同じで、「粉雪」という単語が持つ情感は含意していない(もちろん別の意味が含まれることは承知している)。「雪」は降るものだが、「粉雪」は降るものではない。 舞うのである。 もちろんイギリスだってアメリカだって、雪は降る。 上空から「snow」がチラチラと降りてくれば「It snow」(雪が降る)と表現するだろう。雪原に一陣の風が吹き、微量の雪が舞い上がって景色を白く染め、それを窓から見ていれば多くの英国人は「美しい」と思うはずだ。 しかしそれは「粉雪が舞う」という言葉を持つ日本人とは、別の感じ方なのだ。 なぜならそれを表現する言葉を、彼らは文化として持っていないから。 誤解してほしくないのは、それをもってして英語圏の文化が貧しいだとか日本語は豊かだとかを言うつもりは寸毫もない、ということ。雪に関しての日本語の語彙はエスキモーの語彙よりもずいぶんと少ない。砂やラクダに関する語彙はアラビア語に遠く及ばない。 さてここで、例えば「粉雪が舞う」という表現を知らない日本人がいたらどうだろうか? というのを少し考えてほしい。 粉雪では一般的すぎて想像しづらい、というのであれば、内田センセが例に出した「瀰漫」(びまん)という言葉でもよい。瀰漫とはじわじわと瘴気を撒きつつ世間や人々に広まっていく、という概念だ。 そういう言葉を知らない人、語彙に登録されていない人にとっては、その概念は存在しない。「瀰漫」という言葉が持つ、じわ~っと人々のあいだに広がるなんとも嫌な感じは存在しない。 概念が存在しないということは、「それについて考えることができない」、つまり「ないのと同じ」ということである。アラビア人にとっては「ラクダ」は数十種類が存在する多様で多彩な生物だが、日本人にとってはラクダはラクダだ。逆に「米粒には神様が宿る」という感性(概念)を文化として持たないアラビア人にとっては、米は米にしかすぎない。 ※「愛している」とは、口に出して言うべきなのだ。 それは「大切だ」でも「そばにいたい」でもいい。 百万回でも二百万回でも言うべきなのである。(言えるもんならな) そしておそらく、言い手が(「とっておきの言葉」や「熱く甘い言葉」を想像できるほどに)「言葉」にたいして敏感であり、かつ相手を強く強く想っているのであれば、言い手はその時、「言葉の領域」に出会うことになるだろう。 自分の目の前にいるこの人に対しての、いまの自分のこの溢れるような感情は、「愛している」という単語が持つ情感に、本当にぴったりと一致している感情なのだろうか……? と。 それは「愛している」なのか? 「大切にしたい」なのか? 「そばにいてほしい」なのか? 「好き」なのか? 「いとおしい」なのか? どれもこれも適当なようで、適当でないようで。「言葉はいつも思いに足りない」 とは鴻上尚史の言葉である。 それは「言葉」の限界/境界を示している。 もちろんその限界は、新たな「言葉」を登録することで、ほんの少しだが広げることができる。 それは同時にその人の「世界」が広がることを示している。 以前にも書いたが、「言葉による世界の限界/境界」を「恋愛」という場面で知る人は幸せである。 多くの場合、それは「言語差別」だとか「階級」だとか、あるいは「上司に話が通じない」だとか「最近の若者は何を言っているのか理解できない」だとか、もっというと「辞世の言葉」だとか、そういう切羽詰まった状況で発現する。 ※ なお、本稿について、「そうはいっても日本には古くから“言わなくてもわかるだろう”とか“野暮なことを言わせるなよ”とかいう伝統があるだろう」と反論される方がいらっしゃるかもしれない。 私はその主張に一定の理路を感じているし、便利な概念だとも思う。 けれどもこういった「言葉の現実変成能力」についての論考にてそういう考えを称揚する方は、残念ながらインターネット上では反論の機会を失うことになる。「言わなくてもわかるだろう」とお考えの方は、ぜひ何も言わずに私を納得させてみてください。 探しものは見つかっていない。「配架の愉しみと語彙について」の中段あたりにおいて、内田が警鐘を鳴らす「昨今の日本語の痩せ方」については、一点を除いて(後述)大いに同意する。たいていの親は子供がジャンクフードばかり食べたり下賎なTV番組ばかり見ていると注意し、キチンとした料理を幅広く食べさせようと努力するし高尚(と言われるよう)なメディアに触れさせようとする。 けれど、語彙溢れる豊穣な会話をしようと努力する親、というのはあまり見ない。 もちろん「したくてもできない」ということが最大の理由であろうが。 私だってそうだ。だからせめてそうした場面に立ち合うのならば、自身の限界を知り、高めるよう努力はしたい(食事やメディアだって同じである)。多くの親やメディア自身は、「言葉の境界」にまず自覚的になるべきだ。 ああそれと、内田センセ。(後述部分ね)「瀰漫」を「び漫」、「瘴気」を「しょう気」と表記することを忌避されるのであれば、ご自身もまず「子供」を「子ども」と表記することを止めるところから始めてはいかがでしょうか。子供の「供」はそれのみ単一で使う「従者」や「供物」といった意味ではありません。子供は「子」+「供」ではなく、「こども」という熟語にあてたセットの言葉です。 特別な主張があって「子ども」と表記しているのであれば、説明すべきです。
2006/03/02
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この日記は11月14日の日記にいただいたレスへの返答となっております。詳しい流れはそちらをご参照ください。>鳩さん さて、レスをお待たせしたわりにはまだ少し悩んでいる部分があります。いっそ「サイードもストロースも読まないで【未開】だ【文明】だ語るんじゃない」と書いてしまおうかとも思ったのですが、それも無責任のような気がするし、正直に書きますと、鳩さんが主にどのようなスタンスで米国の侵攻戦を支持しているのかわかっていない部分もあるからです。 まずですね、一応私が理解している部分から書きます。>テロリストといえども、兵站を無視して行動する事は出来ません。弾が無くなれば>買わなければいけないし、人員の補給だって必要です。 ファルージャにはザルカウィ一派の司令部があったようですね。CNNの画像で見た限りでは、三日もあれば再建できそうな「司令部」でした。こ、こんなところを抑えるために街をひとつ壊滅させたのかよ……と、正直絶句しました。 鳩さんはここ以下でも掃討戦の「効果」について説明してくださっていますが、それでどれくらいの「テロの減少」が見込める、と考えているのでしょうか? それは数字で表わせますか? それとも、そういうこと自体を考えてはいけないのでしょうか?「どれくらい減るのかなんてわからんよ」というのであれば、それはそれで結構です。「数的効果がわからないまま支持している」ということさえ納得しているのであれば、ね。>たとえテロで死ぬ人間が同じ数であったにせよ、>単発的なテロは、統治に与える影響は小さいのです。「同じ」ではありません。「死ぬ人数」が「25倍」になっているから問題にしているのです。 さらに一点。例えば現在、チェチェンでは民族独立運動が盛んに叫ばれておりますが、ロシア政府はこれを武力弾圧すべく動いています。「統治」の面から考えて、鳩さんはロシア政府がチェチェン独立派を皆殺しにしたほうがいい、とお考えですか? またチベットでは根強い独立運動が叫ばれております。これもシナ政府が人民軍の戦車でもって踏みにじることを、「統治」の面から考えて、よしとしますか? さて、上記へのご返答は別途いただくとして、懸案の「文明論」です。 まず>>現代の戦略も戦術も、もっと算盤勘定に長けているものだと認識しておりました。>>軍隊上層部というのは、曲がりなりにも各国のエリートがなるものだと思っていた>>ので(ああ権威主義さ)。それなのに、数量的計算ひとつ提示してくれないのはな>>ぜなんでしょうか。テロ対策の究極の「戦略目的」というのは「民間人死者を減ら>>すこと」ではないのですか? その可否判断はどうしてるの? という話しです。>私はそうは思いません。未開の十人よりは、文明化された五人の方が>将来的には、良いと思います。「国民」としての「意思」を有し、外部に表明出来る>能力を持った国家こそ、一人前の国家ですから。 私の読解力が乏しいのか、上記はサッパリ意味が掴めません。「テロ対策の戦略目的」は、「民間人死者を減らすこと」ではなく、「未開の十人より文明化された五人を残すこと」だという主張なのでしょうか?? まず「未開」という概念についてですが、これは前述に紹介したレヴィ・ストロースとサイードの仕事により、「西洋社会が暴力的に規定した一方的な幻想でしかない」ということに、少なくとも学術の分野ではなっています。それを否定できるほどのアイデアを鳩さんはお持ちなのでしょうか。 鳩さんは>統治というものに対しての無用の哲学的省察はむしろ害であるというローマ人>的な道徳律がありまして、統治はマキャベリズムに基づかなければ成し得ない>という基本方針は崩しようが無いからであります。という補足を入れてらっしゃいますが、私は「オリエンタリズム」や「文化相対主義」が哲学的考察であり、害であるという言説を聞いたことがありません(サルトルが「ブルジョワ・テクノクラートにすぎない」と批判した、というのなら読んだことがありますが)。 失礼ながら、鳩さんが信奉されている「ローマ人的な道徳律」、「マキャベリズム」なるものを説明してくださいませんか? 私の知る限り、マキャベリズムが説いているのは同文化内、同共同体内での君主論であり統治論であると理解していました。そしてそれは「方法論」であると同時に、正当性、正統性を兼ね備える必要があるとも。 それがなぜ、国連や米国が、まったく異なるイスラム文化圏であるイラクに持ち込み、敷衍し、「統治には犠牲が必要だから」という手前勝手な押し付けに正当性と正統性を持ちうるのか。私にはよくわかりません。 続いて後半部も謎です。なぜ「国民」、「国家」の概念がここに登場するのかサッパリわからない。一見するに福沢諭吉の近代論文明論あたりを参考にされているのかと思うのですが、ここでそんな「幻想」を持ち出して、何の意味があるのでしょうか?近代に想像し、創造された「国民国家」なる概念が、現在のイラクとアメリカと国連の関係性を語るのに、どのような手段となるのでしょうか? 大変お手数ですが、ぜひともご教授ください。 ああ、それから最後に。>文化的生活を志向する人間の本性を説明する事が出来ない。 自分たちも含めた「西洋文化」だけが「文化」だと思わないほうがいいですよ。 端的に言えば、最新の軍備でファルージャを破壊し、最新の爆撃機でモスクに空爆を加えている米軍は、紛れもなく「文化的生活」の破壊者です。米軍は自分たちの文化で、イラク人たちの文化を、取り返しのつかないほどに破壊しているのです。鳩さんの「文明論」では、この事象をどう説明するのでしょうか? とにかく「強いものが勝ちルール」?
2004/11/18
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ここ「楽天広場」には「テーマ一覧」という項目がある。楽天外の方も読んでくださっているようなので一応紹介すると、こんな感じ。ザッと目を通せばわかると思うが、この楽天広場というシステムのメインユーザー層は女性であろう、と見当がつく。以前私は楽天のシステム管理側に「この楽天広場にはどれくらいのサイトがあるのですか?」と質問を送った。その際に「男女比率は?」、「ID(ニックネーム)やサイト名での検索方法は?」、「サイト登録者の年齢構成比は?」といくつかの疑問点を合わせてメールで送ったのだが、回答は短かった。「すべてについて、お答えできません」とのこと。冷てー。なので、これは私の推測でしかないことをあらかじめ断っておく。メインユーザー層が女性であろうという根拠は、しょっちゅう盛り上がっているジャンルが「恋愛」、「育児」、「ペット」関連だからである。なんの因果かこのサイトによくいらっしゃるのが女性ばかりだから、というわけではない。(当サイトは男女分け隔てなく歓迎いたします。はい)いっぽうで、男が好みそうな「政治」とか「戦争」とか「学問」とか「アイドル」とかのジャンルは存在しない。男性主体であれば「秋葉原」とかのジャンルがあってもよさそうだが、もちろんない。あっても書かないけどね。簡単に言えば、「女性週刊誌の特集記事の羅列」っぽくはあるが、「男性週刊誌の記事の羅列」ではないのだ。(偏見か?)私は基本的に「男」と「女」の間にそれほどの違いはないと思っている。呉智英という評論家は「男がやることは女もやる」と書いていて、私はそれを支持している(ロシアなどでは女看守による男子囚人への強姦例があるそうだ。どうやってヤったんだ???)。「母性」、「父性」という概念は人間社会が近代に入って作り出された幻想だということは、わりとよく知られている。いわゆる「母性本能」というのは「幻想」でしかない、ということですな。この認識は私が勝手に言っているわけではなく、女性側から提出された概念なので、文句のある方はそちらへどうぞ(無責任)。私は「フェミニズム」という学問を信奉していないし、むしろ嫌いな分野ではあるけれども、その学問としての功績には敬意を払うし尊重もする。またそれとは別に、精神分析学の分野における「男と女の認識の違い」には一定の説得力を感じている。これは斎藤学という精神科医の先生が分析したそうなのだが、男女の認識学上の違いは「生きることの意味付け」に関して、より表面的になるそうだ。いわく、女性は子供を生む事ができる。自分のお腹のなかで「自分の子孫・別の生命」を育むことによって、「自分はなんのためにこの世に生まれてきたのか」というのを実感しやすい。それに対して男性はどう頑張っても妊娠、出産ができない。この「自分はなんのためにこの世に生まれてきたのかが、男は実感しにくい」という、「存在の根本的な不安」があるから、男は歴史的に戦争だの経済だの政治だの哲学だの、抽象的で不確実で時に破滅的なものに頑張っちゃうのだそうだ。多くの男が「国」なんていうよくわからんモヤモヤしたものに命を懸けてしまうのも、この「不安」があるからだとのこと。いっぽうで、「妊娠・出産・育児」があるから、女性は「目の前の具体的な事象」を大事にする傾向があり、ひいて、料理や炊事や身の回りの人間関係などに敏感になる。男性はそういったものがないので、政治とか経済とかいう「ずいぶん先の抽象的な事柄」に熱心になる、ということらしい。おいおい、じゃあ子供の産めない女性はすべて「存在の不安」を抱えているのかよ、とか、経済、政治、哲学などに女性の功績を認めないのか? とか、こちらもそれなりの説得力のある反論もある。もちろん「国」のために命を懸けるのは男だけではない。それは先の大戦でのひめゆり部隊や樺太真岡の九名の電話交換手を冒涜することになろう。(『氷雪の門』での「内地の皆さん、さようなら、さようなら」は何度よんでも泣ける)私は「だから女はダメなんだ」とかいう言い方が嫌いだ。男女の友情は成立すると思っているし、つまらない女性の数とつまらない男性の数は近しい数で比例するだろうと思っている。けれども、「男」と「女」は違っていたほうが面白いな、とも思う。男は男らしく、女は女らしく。そういう考え方が古くさくて手垢がついていて、しかもこういった「幻想」によって傷つく人たちが多いということは容易に想像できる。できるんだがしかし、それを押しても、「男と女って違う」という考えを持っていたほうが人生楽しいと思っている。「神」は幻想だ。でも「いる」と思っているほうが楽しい。「幽霊」は幻想だ。でも「いる」と思っているほうが楽しい。煎じ詰めれば量子力学だって宇宙物理学だって幻想ではないか。自然科学は「再現性」を重視しているはずなのに、誰もミクロの単位で飛び交う光子やブラックホールを見たことがないし、実験室で再現することはできない。「存在を証明できる」というのなら、いますぐ私の目の前に持ってきてくれ。誤解してほしくないのは、私は自然科学における偉大な功績の数々をバカにするつもりはまったくないということだ。科学が宗教を押しのけて発展したおかげで、私のような軟弱な男でもなんとか生きていける。「楽しいか/楽しくないか」についてだって、非ユークリッド幾何学の成立やフェルマーの最終定理の証明などはスリリングで非常に好きだ。最も自然科学的な学問と言われる数学や工学にロマンを感じた事は一度や二度ではない。けれども、「そう思っていたほうが楽しいなら、それでいいぢゃん」とは思う。男と女には、生物学的な違い以上の、もっと心の根っこのほうで違うものがある。ような気がする。あったらいいな。あるだろ、きっと。これについて私と別の信仰をお持ちであるならば、どうぞご自由に。代わりに私が楽しいと思うものに口出ししないでね、と申し上げるのみだ。東大医学部で解剖学を突き詰めていったら現代社会思想の最先端に行き着いて、『唯脳論』で現代哲学界を震撼させちゃった養老孟司氏は語る。==============(引用開始)================== 私のところにパンフレットを送ってくださる人がある。それに手紙が付いており、論評してほしいとある。ちゃんと返信料つきの封筒が入っている。パンフレットの表題には『霊魂の自然科学的証明』とある。そのまま放置するのも悪いので、「自然科学的に証明された霊魂など、面白くもおかしくもない、霊魂はもっと高貴かつ不可解なものであってほしい」旨、返事を書いて送った。そうしたら今度は、元のパンフレットの三倍以上の厚さの、同じ表題のパンフレットが送られてきた。まだ納得していないと思われたに違いない。また返信用封筒が入っている。これに返事を出すと、次回にはどれだけの厚さのパンフレットが返ってくるのか。それが恐ろしくて二度と返事が出せない。(中略) 先生は霊界があると思いますか。そう尋ねる人が多い。そういう時には「もちろんある」と胸を張って答える。そもそも「ない」ものについて語ることは不可能である。それなら、どこにありますか。頭の中にある。=========(『カミとヒトの解剖学』より引用終了)==========健全な科学とは、こういう思想をいう。男と女の性格的な違い? ありますよ。頭の中に。上記は良書ですので、探し物がある方は上記をお薦めします。何か見つかるかもしれません。
2004/08/12
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