夕方の日が落ちるまではまだ少しある時間、夕涼みを兼ねて車で6キロほど先の人造湖に行ってみた。その公園になっている湖畔には、コンクリートのベンチが幾つも設置してある。
西日が木陰で遮られているベンチを選んで、仰向けに寝転んでみた。遮るものは何もなく、視界の中は全天の空だ。
梅雨の晴れ間の空には形の定まらない雲が、右から左へゆっくりと姿を変えながら流れてゆく。
♪ 梅雨晴れの空は饒舌つぎつぎと姿を変えて雲流れけり
その雲の流れる空の一点を見つめていると、広い宇宙に吸い込まれるような、浮遊していくような感じがしてくる。
六〇〇〇〇〇〇〇〇〇キロを旅して帰って来た「はやぶさ」が脳裏に浮かび、宇宙飛行士の地球を巡っている時の心持を想像したり・・・・・。
♪ 全天の空眺むれば3億キロ彼方にこころ放たれてゆき
目をつむって寝ころんでいると、様々な音が聞こえてくる。
遠く東の方角からは鶯の声。南西には離陸したらしいジェット機の、低くくぐもった音。
後ろの少し高い位置にある遊歩道からは、散歩中らしい夫婦連れの声。
ベンチのすぐ横には、散歩中の人が色んな音を響かせて通り過ぎていく。足音、犬の鼻息、鼻歌。ここを通る人は犬同伴か一人らしく、話声は聞こえない。
それにしてもこの時間帯(5時半ごろ)にウォーキングしている人が存外多い。次つぎ通る足音を聞きながら、ウォーキングはヨーロッパ並みに定着したなあと感心している。それも6時ごろになると、さすがに歩く人もいなくなった。
初め聞こえていた波の音も止んで、風の音だけが聞こえてくる。
鳥たちが、そろそろ帰ろうかと話し合っているような気の抜けた声が、遠くのやまからぽつぽつと聞こえてくる。
耳は眼よりも先に発達した器官のため、眼からの情報よりも格段に多くの情報を得られる。見えないものを音で知るには想像も働かせながら、全身の感覚を総動員している。
肌で感じ、嗅覚を使い、記憶をたどり、想像を働け施て情報を分析する。実際には観る事の出来ない、視界の向う側にあるものまでを知ることが出来る。
♪ 目を閉じて湖畔にい寝る夕暮れは音ちくちくと消えてゆきたり
ここに寝そべる事の楽しさを知って、時々来たいと思った。
もう少しすると夕日が沈む。その夕日が沈んだ直後の「マジックアワー」を楽しんでもみたい。
真夏の夜の夕涼みに天の川を眺めるのも良い。タイミングを調べれば 「宇宙ステーション(ISS)」 だって見られる。
秋の夕暮れも良いだろう。
空と湖と里山には、詩情そのものが溢れている。
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