♪ 仕事でも義務でもなきに精を出すホモファーベルのホモルーデンスたり
ホイジンガが遊びに注目したのは、遊びが本来の生の形式ではないということにある。ありあまる生命力の過剰をどこかに放出するもの、それが遊びであった。
遊びがどこから始まるかと問うのは野暮になる。遊びは最初の最初から始まっているからだ。あえていうのなら、遊びは何かのイメージを心のなかで操ることに始まっているというべきなのだ。
だから「遊びは本気なものではない」とは言ってはならない。そう言ったとたんに、遊びを相手にすることはできなくなっていく。
遊びとは、遊び以外のあらゆる思考形式からも自由に遊びをまっとうできるような何かの行動なのである。その行動は、つねに一時的な自立領域をつくれるから、なんらかの時間的制約や空間的制約を受ければ受けるほど、遊びらしさを発揮する。
「遊びはものを結びつけ、また解き放つ」。人間が自分という存在をちょっとでも別のところに動かしたいと思うこと、それが遊びである。
「遊びは、本気でそうしているのではないもの、日常生活の外にあると感じられるものだが、それにもかかわらず、遊んでいる者を心の底まですっかり捉えてしまうことも可能なひとつの自由な活動である」。
また、「遊びは何ものかを求めての闘争であるか、あるいは何かをあらわす表現であるかのどちらかである」。
ホイジンガが言うように、人は遊ぶことが根本的に「生」に大きなウェートを占める生き物だ。遊びからモノ作りが始まったとは言え、ものを創出できるのが人間の人間たるところ。
道具を使う以前にそれを作る行為が先行するが、創作することに喜びを感じている私が、それらの様々な行為を通して遊んでいるのも事実。「作ること=遊ぶこと」でもあるのだ。
消費する事にのみ喜びを感じる人は多いと思うが、創作の喜びはそれ等を遥かに凌ぐものがあると私は確信している。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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