♪ 逃したる魚は今も生きていて時々吾を惑わせに来る
桜が咲く4月2日に家を出て、放浪の旅に出たのが1970年の万博の年。大阪からフェリーに乗って九州へ向かい、桜と共に北上した、あの青春の思い出の旅。
行き当たりばったりの体験旅行は、自分と向き合い続けた旅でもあった。帰宅した当初は、8カ月間の旅で得たものは何もなかったと思っていたが、月日が経つうちに心の奥に少しずつではあるが変化が出て来たのを思い出す。
その足跡が写真と共にアルバムに事細かく書きこんで記録してある。
5万円ぽっきり持って、1年間帰らないつもりで家を出た。親には突然の事で、3兄弟の真ん中のひねくれ者の行動を訝っていたかもしれない。
ヒッチハイクも随分やった印象があるが、この地図を見ると大した距離はやっていないように見える。長距離のトラックは面白くないので避けていたせいだろう。稼いだ距離は短いかも知れないが、ヒッチハイクに関しては薀蓄を傾けるだけの自信は有る。
どこに立ってどう車を停め、どうやって乗せてもらうか。実体験としてのノウハウが色々あって、今この歳でも車を停めて乗せてもらう自信はある。
旅の後も、事ある度にヒッチハイクもどきで随分助けられたものだ。終電を乗り越して終点まで行ってしまってヒッチ、バスがなかなか来ないのでヒッチ、雨が降って来たのでヒッチ、ガス欠になって車を捨ててヒッチ。ゴールデンウィークに新穂高ロープウェーから上高地までヒッチしたこともある。
親には一切無関係で出て来ているので資金が足りない。大阪の万博会場で2か月、東京周辺で3か月、資金調達のためのアルバイトをしている。
学生という身分が随分助けになった。当時は学生運動の真っただ中だったが、学生に対しての世間の目は暖かかった。
最近は、世知辛い世の中になって迂闊なことは出来なくなったが、地方へ行けばまだまだ人の心はやさしさに満ちている。「可愛い子には旅をさせよ」という言葉は、いつの世になっても生きていると思う。
桜の花を眺めながら、「不易流行」という言葉に思いを巡らせている今日この頃です。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。。◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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