♪ 過去になるその日に向かひ露を食む命ほろほろ桐の一葉
全身ガンであることを告白している樹木希林(72)が登場して、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」と、訴えるのだから確かにインパクトがあった。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」
人は必ず死ぬというのに。
長生きを叶える技術ばかりが進歩して
なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。
死を疎むことなく、死を焦ることもなく。
ひとつひとつの欲を手放して、
身じまいをしていきたいと思うのです。
人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。
それが、私の最後の欲なのです。
<樹木希林さんのコメント>宝島社の企業広告はこれまで目にしたことがあり、かなり記憶に残っています。それはすごいことだと思い、お受けしようと思いました。
「生きるのも日常、死んでいくのも日常」。死は特別なものとして捉えられているが、死というのは悪いことではない。そういったことを伝えていくのもひとつの役目なのかなと思いました。
「人は必ず死ぬというのに、長生きを叶える技術ばかりが進化してなんとまあ死ににくい時代になった事でしょう。死を疎むことなく、死を焦ることもなく、ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです。」
宝島社は制作意図を、長く生きることばかりに注目が集まり、どのように死ぬかを考える人が少ない現状を踏まえ、「いかに死ぬかは、いかに生きるかと同じであり、それゆえ、個人の考え方、死生観がもっと尊重されてもいいのではないか、という視点から、問いかけています」と説明する。
同社の担当者によると、「安楽死や尊厳死の問題が取り沙汰される中、すごく共感した」「樹木希林さんの考えについて、掘り下げて知りたい」「死に方について考えた」との声があったという。
言わずと知れた、イギリスのラファエル前派のジョン・エバレット・ミレイの代表作、「オフェーリア」。ハムレットに翻弄され、狂乱の果てに入水するオフェーリア姫を描いた傑作のパロディー。知っている絵だかろこそ伝わってくるものがあった。
必ず死ぬと分かっているのに、人は死を忌み嫌い遠ざけようとする。
死んだら死んだで、大袈裟な葬儀を行う。葬式は、元々は寺が僧侶が死んだときに行う儀式だったものを、金儲けのために一般に広げたものだという。
お寺にカモにされているにも拘らず定着したのは、仏教が教える死者の魂云々が知識のない民間人を納得させるだけの説得力があったのだろう。災害や飢饉、疫病などで死が日常的だった人々にとって、死者を弔い残された人の安寧を願う思いに乗っかることで受け入れられていったのだろう。
戒名だの、成仏させるための手続きを複雑にし、その後も何十年にもわたって年回忌法要をし、先祖の供養だのとその都度つどに金を巻き上げる。寄ってたかって墓相だの墓の形式や格式、吉凶などで脅し信仰心を煽る。しない事への罪悪感まで持たされて・・。
日常の延長線上にある死を特別なモノに仕立て上げられて、死が恰も悪い事のように思わされているというのは、全く不幸なことだと思う。
悲しみは悲しみとして、死が生と同じくらいに自然な事だと思える様になる日が来るのだろうか。
老人が世に溢れ、財政がひっ迫して来ている今、無意味な延命などしないで自然な形で元の自然に帰ることが本望なのだと、ようやく言われるようになってきた。
◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。
◆2014年10月23日から「一日一首」と改題しました。
◆2016年5月8日より「気まぐれ短歌」と改題しました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
☆ 短歌集 「ミソヒトモジ症候群」 円居短歌会第四歌集2012年12月発行
● 「手軽で簡単絞り染め」
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