先生の研究授業には、お偉い大学の先生が来ます。
接待されて、授業を見た講評をし、講話を話されて
高い講師料をもらって帰ります。
え~、寅さんは、自分の守備範囲から、はみ出すことは、
できるだけ謙虚に?、発言しないようにと思うのですが、
(これまで、これで、手を広げすぎて、痛い目にあってきた)
先の投稿への自己レスだけ許してもらいます。
(さっきの投稿も、逸脱だったよな)
教育学者は、自分で授業のシナリオを書いているのだろうか?
先生方が、忙しい中、四苦八苦して授業を作ったものを
批評するわけですが、
学者は、自分の理論に基づいた授業シナリオを作って、
それを先生方に試してもらうのが、本筋です。
で、研究授業は、本来、大学教授の理論の検討会になるべきです。
あの先生のシナリオは、ここがおかしい。
こういう問題点が出てきたと。
先生方は、特別、学者の研究に協力してやるのです。
それで、有効が実証されれば、みんなで使いましょうということになります。
授業のシナリオは、現場の先生しか、書けないというのは、幻想です。
逆に、現場の先生は、毎日、毎授業、別のことをしなければならないので、
一つの授業を、追い続けることは、不可能です。
一つの授業を完成させるのは、学者の仕事です。
その実証を先生に依頼するわけです。
先生方は、俳優なのです。
俳優としての、技術は試されます。
しかし、シナリオの欠点は、シナリオ・ライターの非なのです。
これは、一つのシナリオを多くの先生に試してもらうことで
実証できます。
8割方の授業で、成果を上げれば、有効としていいとか、
2割で成果を上げなければ、それは「役者の問題」だとか
特殊事情があるんじゃないかとか、分析できるわけです。
でも、もう、こんな寅さんに関係ないことを書くことはやめよう。
もっと、自分の実になることを書くことにします。
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