学校の中の立場と、外の立場を行ったり来たりした寅さんは、
どうして、内と外で、こうも見方が変わるのだろうと、思っちゃいます。
さらには、優秀な先生が、どうして世間の見方に気づかないのだろうって。
なあるほど、と気づいたことがありますので、書いちゃいます。
セブン&アイ・ホールディング会長の鈴木敏文さんが、よく挙げる例ですが、
車を運転するとき、一年中、車内温度を25度に設定するとします。
春先に外気温が25度に上がったら、ものすごく暑く感じます。
しかし、車内では、同じ温度なのに、セーターを着てもさほど暑く感じません。
逆に夏は、気温が25度まで下がったら肌寒いのですが、
車内ではTシャツ1枚で大丈夫なのです。
つまり、車内という閉ざされた空間での感じ方は、車外という開かれた環境については
まったく通じないということです。
これは、学校という閉ざされた空間と社会の感じ方の違いにも言えることではないでしょうか。
学校は、何も変化をしていなくても、何も悪いことをしていなくても、
社会の環境が変化していると、外からは、全く違った印象で捉えられるのです。
同じイメージを維持するためには、逆に常に変化し続けなければならないのです。
で、実社会は、この変転極まりない皮膚感覚で動いているのです。
「だから、社会が悪い、保護者が悪い、生徒が悪い」と
言えるのかどうか、ということです。
よく、先生方は、自分たちは教育のプロであると、おっしゃいます。
確かに、大切なことです。
でも、それが、この通り教えれば、指導すれば間違いがない。
これが最善だ、となってしまっては、本来の意図するようには、受け取ってもらえなくなるのです。
しばしば、プロ意識は、素人の感覚を捨て去ってしまう傾向があります。
専門家になればなるほど、素人の一般社会の皮膚感覚を
忘れないように、意識的に努力しなければならないと思います。
ということは、どちらかと言うと、プロになど、なろうとせずに、
偉大な素人でい続けようとすることこそ、
大切で難しいことと言えるのではないでしょうか?
そう言う「ド素人」の科学寅さんも、
小さな成功に、ウハウハしてしまい、
科学教育のプロだなんて、思ってしまったら、
その瞬間から、浮いてしまう危険性があります。
注意しよう、注意しよう。
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