思いつくまま

2025年01月22日
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カテゴリ: スポーツ
 マリンスタジアムで佐々木朗希投手が登板する日は、バックネット下のロート製薬の広告「ROHTO」が「ROHKI」に変わる。
 ロッテファンの私はロッテマリーンズのホームゲームをテレビでよく見ている。試合が始まり投手と打者が映る場面になるとその背後に”ROHKI”の広告が顔を出す。
 その佐々木朗希がドジャースと契約したと発表された。MLB20社による争奪戦となったが、私は佐々木は大谷のところに行きたいのじゃないかと思っていた。なぜなら前回日本で催されたWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで、佐々木は大谷に心酔しているように見えたからだ。ダルビッシュにも投球術を教わり師弟のようだったが、若い時から大リーグに憧れていた朗希は同じ岩手出身の大谷に憧れていたのだと思う。ポスティング制度での移籍も二人とも23歳と同じ年齢となる。
 佐々木朗希は、母親、兄、弟の4人家族で、父親は朗希が9歳の時に、東日本大震災の津波によって亡くなっている。また、祖父母も震災によって亡くなった。 震災後は母子家庭となり、4人家族で生活してきた。このような家庭環境から、朗希は早く大リーグで稼ぎ母親に報いたいとの気持ちがあったのではないだろうか。
 彼は日本プロ野球の慣習を破り、選手会を離脱したり、早くアメリカへ行きたいとロッテを悩ませていた。
 25歳以下での大リーグ契約では契約金や年俸が制限されるが、それでも日本プロ野球の水準を遥かに超える10億円という額でドジャースと契約している。ポスティングによるロッテへの譲渡金は2.45億円と山本の76億円と較べて大幅に少ない。
 高校卒業後にプロ野球のロッテに入団した朗希は、3年目の2022年に史上最年少で完全試合を達成したほか、プロ野球の日本選手最速に並ぶ165キロをマークし、輝かしい成績を残している。しかし、その後体調不全で登板数が少なかったり、最近は球速も以前よりは衰えていた。
 さてアメリカでの朗希のピッチングはどうだろう。ドジャースは選手育成には定評があり多くの新人を育ててきた。それでも支出に見合う活躍を球団は期待しているだろう。ロッテ時代の甘やかされから厳しいMLBのプロ生活が待っている。成功している2人の先輩がいるから心強いことだろうが結果は本人の努力次第だ。








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最終更新日  2025年01月22日 13時02分06秒
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