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MLBの野球はやはり面白かったし感動も味わった。NHKが全試合を生放送したことで、テレビの前に長い時間釘付けとなり、目も腰も疲れ果てたし、家事はなおざりになったが。 MLBのワールドシリーズ(WS)とは、メジャーリーグベースボール(MLB)における優勝決定戦で、毎年、ナショナルリーグとアメリカンリーグの全30チームが目指す頂点であり、その年のワールドチャンピオンを決定するものだ。 この30チームの中で唯一の国外チームがカナダのブルーレイズで、今年はロサンゼルスを本拠地とするドジャースと覇権を争った。カナダのトロントでの4戦は、熱狂的なファンで埋まりブルーレイズを応援した。何しろ32年振りにチャンピオンの座を得られるところまで来たのだ。ファンの熱狂もわかる。テレビに映ったバックネット裏の女性は両手でサムダウンしドジャース選手を睨み付けていた。結局、昨年のヤンキース戦に引き続き今年もドジャースがチャンピオンとなり初めて2連覇を果たした。因みにヤンキースは1950年前後に5連覇を果たしている。、ところで、北米内のシリーズなのに最終シリースを世界大会と呼び。MLB勝者をWorld Championとはよく言ったものだ。が、1903年からのMLB歴史を考えるとそれも頷けると言うものだ。国別対抗戦となると歴史は浅いがWBC(WorldBaseballClassic)があり、過去6回の大会で日本は3度優勝し、アメリカは1回しか優勝してない。これはMLBには有力外国人選手が多く在籍しているからだ。 さて、ドジャースが優勝できたのはなぜだろうか。ブルーレイズはよく打っていたし、投手成績もブルーレイズの方が優っていたい。チームの7試合総得点数で見ると、ドジャース26-34ブルージェイズと大きな差をつけている。投手成績は防御率で、3.95ー3.21とブルーレイズが下回っている。打撃成績では、打率は203ー269、OPSは658ー746とブルーレイズが上回っている。(OPS:総合的な打者の攻撃力を示す指標) ドジャースはホームランだけが3本多いだけだで他のデータは全てブルーレイズが上回っている。 それなのに、なぜドジャースに屈服したのだろうか。ここにデータでは測り得ない野球の醍醐味がある。結局、ドジャースの粘り強さに勝負運がつながったとしか言いようがないだろう。そして、7戦を戦い、18回と11回の2度の延長戦など、2025年のWSはアメリカ野球史上に残る名勝負だったと言えるだろう。NHKは大きく視聴率を稼いだろうが、MLBに年間125億円の放映権料金が支払っているそうだ。NHKの受信料収入は約7000億円で、MLB放映権料はその約1.8%に相当する。この125億円の7割が大谷選手関連の放送に充てられる、と生成AIは報告している。 紅葉のアメリカハナミズキ
2025年11月06日
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例年のごとく、今年も作品展を実施したが、出展数が過去の最低を若干下回り、今後の課題となった。私が出せるのはいつものように写真だが、今回は趣向を変えてモノクロ写真を出した。と言ってもモノクロで撮影したものではなくて、過去のカラー画像をPhotoshopでモノクロ化したものだ。A3の額にA4を2点入れ、計8点の出展となった。見学者たちには珍しいモノクロ画像で、いろいろと質問され、モノクロもいいねと見ていただいた。 毎年、出展者の作品を撮影して渡していたが、今年は趣向を変え、作品展全数の記録冊子8ページを作成し、印刷所に出して製品化し出展者や関係者に配布した。印刷所に出したと言っても本式の写真集とは異なり簡易式冊子なので、自家印刷より少し上回るぐらいのコストで作成できた。 長らく本ブログをアップしてこなかったし、言い訳ばかり述べているが、Edgeで広告カットの方法も見つかり、もう少し続けてみようかという気分になっている。別途計画中だった海外旅の記録のホームページが、老人会イベントや体調不良や大谷野球で、またホームページ作成の理解不能で、途中で止まってしまっている。これも何とかしたい気持ちはあるが、壁にぶつかるとやる気が萎えてしまう、そんな老人になっている。 作品展出展の一部
2025年11月03日
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最近、ブログが止まっているが大丈夫か、と電話が数本かかって来た。具合が悪いのか、あるいは死にかているのか、と心配してくれているのだ。 現時点での最終記事は6月23日となっていた。今年のことなのだが、今まで20年間途切らさずに続けてきたブログだからこその確認電話なのだ。老人見守りにもなっていたとは。“ありがた山の寒がらす” 止まっている特別な理由と言うほどのものではないが、ブログに広告が入って来ていやだなと思っていた。別に収入を得るアフィリエイターでもないので、画面は直截に見られるに越したことはない。スマホでもどうしても本文に辿り着けないような広告があり、操作が間違っているのかも知れないが、本文が主か広告が主かわからないものが多い。そこで広告の入らないホームページを作成してみようと思ったのが躓きの初めだった。 世界に名の通っているWordPressと契約し広告の入らないホームページを作成し始めたが、しかし最も単純なものでも私にはお手上げだった。YouTubeでも習ったがうまくいかない。ここに至り思考表現能力の劣化をまざまざと思い知る結果となった。そこで別のWixと契約した。Wixは5年前に老人会のホームページをすんなり作成できて評判がよかった。だが、調べるとこのページを開いて見る人があまりに少ないので経費が無駄だと止めてしまったことがある。でWixならと思ったが、これも以前ほどスムーズに行かないじゃないか。またもや老化を嘆くこととなる。 されど時間をかけて何とかホームページの体裁が整ってきた。近々には公開に至りそうだ。このタイトルは”Memories of Overseas”とした。主として私の海外の思い出だが、退屈凌ぎの続き読み物としてでも楽しんでもらえれば幸せの至りだ。 尚、従来の楽天ブログも可能なかぎり続けたいと思っているので、閑な時間にちょっと覗いて見てください。 なお、広告の件だが、MicroSoftのEdge利用者なら、拡張機能で広告ブロックソフトが利用できるのを知り利用し始めた。ただ、どのような弊害があるのか心配なのでChatGPTに聞いてみたが、問題はないようだ。あるいはEdgeの3点リーダーから設定に入り、広告をブロックすることも可能だが、ちょっと面倒だ。 午後の公園
2025年08月31日
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最近、かつて私が経験した事件を思い出すようなことが2件起きている。一つは、韓国前大統領による戒厳令の実施であり、もう一つは、イスラエルによるイラン攻撃だ。 昨年の12月、尹大統領が何を血迷ったか、戒厳令を発布し軍隊を議事堂に派遣した。結果、国民の多数から反感を買い大統領の座を追い出された。韓国は昔軍出身大統領による圧政で苦しんだ経験があり、戒厳令にはとても敏感なのはよく知っているはずなのに。 46年前、1979年10月に私は出張でソウルに一週間いた。この当時は朴大統領が戒厳令を敷いており、夜は外出禁止となっていて、夜居酒屋で韓国人と一杯やっていても、もう時間だからと店を追い出され、そそくさとホテルに引き揚げたものだ。 そして、1979年12月26日に朴大統領が暗殺される事件が起きた。 朴大統領が暗殺される2カ月前に私がソウルにいたと言うことだけの話だが。韓国とは浅からぬ因縁のある私としては濃い記憶の一つだ。 二つ目は、今年の6月13日にイスラエルがイラン各地を空爆し、イランもイスラエル領にミサイルを発射した。その後関係は更に悪化し、テヘランの日本人は避難し始めた。 51年前、1974年にイランの石油化学コンビナート建設準備のために、私はテヘランに駐在していた。 当時、イランはパーレヴィ国王の圧政でイスラム信者たちの暴動が各地で発生し、事態は悪化しつつあった。更に危機的状況が迫っているとの情報があり、私たち日本人はテヘランから脱出した。 その後落ち着いているとのことで、再び建設工事が始まったが、今度はイランイラク戦争が勃発し、建設地が戦闘区域に近かったために、再び建設要員は引き揚げ、結局この三井グループの計画は中止となり、数年後に韓国が引き継ぎ完成させている。 私はと言うと、テヘランから脱出後、のんびりする閑もなく別のプロジェクトに編入され多忙を極めていた。しかしだ、テヘラン在任時に工事に必要な機材を調達するためにジュネーブ経由でイタリアに飛んだ。そこで数日の休暇を得、ローマとカプリの観光をしてきた。 1979年11月には、イランによるアメリカ大使館人質事件が起こり、アメリカは1980年4月にイランに国交断絶を通告し、それ以降米イの関係はこじれたまま今日に至っている。 長らく、本ブログを休止していたが、実は最近の楽天ブログの広告多発に嫌気が差し、広告の入らないブログに切り替える準備をしていたのだが、前頭葉と左頭頂葉の劣化はいかんともし難く、ニューブログ作りに苦心している。 巡航
2025年06月23日
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わが町の中央にある犢橋貝塚公園は町の中央部にあり、史跡公園として保存されている。犢橋はコテハシと読み、犢は子牛を意味する、が牛の売買の意味があるのではないか、と私は思っている。 貝塚は発掘が始まってから今年で100年になるのを記念して、100年記念祭を催すことになった。 主催は町の公民館だが、その一環として貝塚公園の四季折々の写真を公民館で上映することになった。そこで写真提供の声がわれわれ!にかかった。 公園の写真は、もともと老人会の私と友人が数年前にアルバム化して、好評を得ていたのでその写真に更に追加し、注記を入れてスライドショー化することとなった。スライドショーソフトや上映は公民館側で実施することとになっている。 私と友人は、追加の写真を撮り、選定し、メモリーに収めて公民館の担当職員に渡した。 その上映日は町の福祉協議会が主催する福祉まつりの日で、6月1日となっている。鑑賞した町民からどんな反応があるか楽しみにしている。 12月の貝塚公園
2025年05月19日
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一昨日からインターネットでWEBページが開けなくなった。Edgeでは「DSNアドレスが見付からないので接続できない」と宣告され、他のWEBサイトも同様の有様だ。同じWiFiを使っているスマホは問題なく開くことができる。 あっちこっちいじってみるが、回復不可能でついにプロバイダーのJComに電話で助けを求めた。JComの窓口はああしろこうしろと指図するが一向に埒が明かず、誰かに聞きに行っていたが、これはWiFiの問題ではないので、パソコンメーカーか セキュリティソフト会社に聞いてくれとなった。 パソコンメーカーのLenovoに電話したらサポート窓口に、保証期限が切れているので有料になる、と言われたので、それではいいです、と電話を切った。 次いで、Norton(セキュリティソフト会社)に電話した。ここには年払いで金を払っており、以前にウイルスに侵された時、丁寧に応対してくれた実績がある。今回も担当者はベテランらしく丁寧に対応してくれた。しかしその前に出て来た2人はガキの使いで、ああだこうだと宣うがさっぱり埒が明かず、結局ベテランに回されてきたのだ。 さて、このベテラン、こちらの話を聞いてから、一度Nortonのソフトを削除して見て、それでも回復できないのならNortonソフトの問題ではない。もしそれで回復できたのならNortonの問題だからと言い、リモート操作に切り替えてNortonソフトを削除した。 その結果は削除で見事に回復し正常に戻った。その後再びNortonソフトを再インストールしたが問題は起きなかった。リモート操作なのでそれら一連のワークはあっと言う間に終わってしまった。 結果がNorton側の問題だったので、その担当者は平謝りに謝っていたが、なぜこのような症状が発生したのかは不明だと言う。が、私が思うに、この症状は私以前にもあったのではないかと推測している。なぜなら症状を聞いて直ちにソフト削除に至ったからだ。 Nortonのベテラン女性担当者は、今後もパソコンに何らかの不都合が発生したら、例えセキュリティ問題だけでなく、何でも相談してください、とうれしい言葉があったので、今回のNortonの不祥事は不問に付すことにした。 落花
2025年04月16日
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最近、Microsoftの生成AIソフト”Copilot(コパイロット)”を利用することが増えて来た。Microsoftでは生成ソフトと言わず、生成アシスタントと呼んでいる。WEBブラウザとしてEdgeを利用しているのでCopilotの利用が身近に利用できるからだ。更にCopilotは自社ソフトWord、Exel、PowerPointへの連携が可能となっており、文書アシスタントとしての利用価値が大きい。Copilotは、OpenAIが開発した大規模言語モデル「GPT」を基盤にしており、Microsoft365利用者は無料で有料版も利用できる。 元祖とも言えるChatGPTは無料版にかなり制限がかかっていて使いにくいようなので、無料で容易に利用できるCopilotを使っているが、ChatGPT無料版より確実性があるか否かはわからないし、勿論ChatGPT有料版の方が使用価値は大きいと思う。 あるときCopilotに次のような質問をしたことがある。Microsoftは「CopilotはAIを利用しています。間違いがないか確認してください。」と言っているが、どうやって確認したらいいのか教えてください。 これに対する回答の梗概は”Copilotが生成した内容が正確かどうかを確認するためには情報源を確認する、複数の情報を比較する、最新の情報か確認する、専門家の意見を聞く、と回答されたので、再度質問を続けた。「copilotの情報はこれらの再確認はされてないのですか?」 これに対する回答は次の通りだった。「Copilotは情報を生成する際に、可能な限り正確で最新の情報を提供することを目指しています。しかし、その情報が常に完全に正確であることを保証することはできません。そのため、ユーザーが最終的な判断を下す際には、追加の確認を行うことが重要です。」 ユーザーがCopilotよりも最新で正確な情報を得ることができるとは到底思えない。これはMicrosoft社の逃げ口上だが、そんなことは保険の約款のごときが社会には山ほどある。冷凍食品では「加熱後は熱くなっているので火傷にご注意ください」とあるが、これだって利用者が火傷しても、取説にちゃんと書いてあるでしょう、と逃げられるわけだ。 夕陽の並木道
2025年04月03日
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スマホ機能よりもカメラ機能を重視する私にとって、本体にシャッターボタンが付いているかいないかはスマホ選びで主要な要素となっている。 現在使用中のスマホXperia1Ⅱを3年前に選んだ際も、このスマホにシャッターボタンが付いていることが選択の大きな要素となっていた。当時、シャッターボタンのあるスマホは他になかった。 シャッターボタンの利点はいくつかあるが、最初の全押しでカメラを立ち上げ、半押しでオートフォーカス作動、全押しで撮影、と本来のカメラ機能と同じような一連の流れ作業が可能だ。それにスクリーンでタッチするよりも手振れ防止になり、更にスクリーンと実景の両方に目を向けられる。これはカメラで撮影時にファインダーを覗きながら反対の目で被写体を確認する動作に似ている。 ということで今回のスマホ新調でも、レンズや撮像素子、画像処理エンジンに加えてシャッターボタンの有無が要素になるはずだったが、あまりにもライカブランドに拘り、シャッターボタンの有無が購入要素から忘れ去られていた。 最近、カメラスマホとして優秀な4機種についてあるカメラ好きが評価していた。最高点を得たのはXperia1Ⅵ、次点がOppoFindX8、3位がXiaomi14Ultra、4位がAquosR9Proだった。選者の拘りがあるから真の評価とは言えないが一つの指標とはなっている、この4機種の中でシャッターボタンが付いてないのはXiaomiだけだ。 Xiaomiはライカ、Aquosもライカ、Oppoはハッセルブラッド、Xperiaはツァイス、と全てヨーロッパ諸国の技術が採用されている。Xiaomi14Ultraには付属としてフォトグラフィーキットがありそれにシャッターボタンがあるが、スマホとキットを持って歩くのは、スマホとカメラの両方を持ち歩くのを止めたい者にとって選択外となる。AquosR9Proはカメラのシステムが評判が悪かったが、その後2度のバージョンアップを経てかなり改善されたようだ。OppoFindX8はカメラ機能が好評だし、他の3機種と比べると価額が安い。 ライカを使いたい、シャッターボタンが欲しい、価額的にリーズナブルといった3点要求を満たす機種は現在のところ見当たらない。4月になると続々と新機種が出てくるようで、世界的にカメラスマホは人気があるようだ。 そのうちに希望に近いものが出てくるだろうと今日もSNSを見ている。 逆光の木蓮
2025年03月25日
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締め切り迫る確定申告を4日前3月14日に何とか間に合わせた。今回はスマホ連携のパソコンでの申告に挑戦した。多くの人が利用している申告方法だが、保険関係をスマホで証明書獲得するのに難儀し、申告が遅れてしまった。還付金も僅かながら得られたし、何より来年から申告手続きが楽になると期待している。別にパソコンやスマホを使わず手書き申告でもいいのだが、頭の体操と思ってe-Taxの申請に取り組んでいたのだ。政府が巨額を投じて立ち上げたマイナンバーカードシステムだが、今でも評判が悪い。マイナカードを撤退する人も増えているらしい。私は常時マイナカードを持ち歩き、利用度の多い病院でも何ら問題なく使用している。多分この制度は無くならないだろうから慣れておく必要があると信じている。また社会的にもスマホ利用は増える一方だろう。今回のスマホ利用のe-Taxでは、何回無駄にマイナカードでマイナポータルに入ったことだろう。老人会では、パソコンとかスマホに通じていると思われているようだが、実はそうでもないことを自分が一番よく知っている。そして今回、e-Taxの処理で自分でも嫌になるほどもたもたしていることで、脳と指先の劣化が更に進んでいると思い知った。さて来年は定額減税がなくなれば還付金はなくなるのだろうか。 2本の梅の競演
2025年03月17日
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毎年恒例の老人会企画によるコンサートが終わった。今回で10回目となる節目のコンサートであり、初めて邦楽の津軽三味線演奏が催された。男女2人の演奏で、各地民謡18曲を2時間の熱演だった。 テレビなどで見かけたことはあったが、実演は初めてだった。そこで予めYoutubeで全国大会優勝組などの演奏を見て、その超絶技巧ぶりがヴァイオリンやギターにも劣らない演奏であることに感じいっていた。 大会優勝者などと比べると、今回の演奏はそこまではいかないが、それでも演奏を目の前で見るとその技巧と音色に圧倒されるものがあり、速弾きで聴衆が惹きつけられ拍手を得る場面が何回もあった。また、二人羽織などの変則的な演奏も演じて見せてくれた。 ついでにWiqipediaで三味線について調べる。その起源は中東にあり、インド、中国を経て日本に伝わり、次第に現在の形となり、江戸時代に当時最北端の津軽にて門付け芸に津軽三味線の原型があることを知る。更に三味線の材料がスリランカ産の木材、絹糸、犬や猫の皮、象牙、黒檀など、また撥には鼈甲が使われるが、象牙や鼈甲などは動物保護から入手が困難となり、プラスチックなどの代替品が利用されるようになっている。それでも高級品は音色に勝る従来材料が使われているようだ。密輸品なのだろうか。 津軽三味線演奏会
2025年02月14日
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現在はフィルムのクラシックカメラが愛好家に持て囃され、古いカメラが高額で取引されている。ニコンS2が、良品であれば935千円だとカメラ情報誌に出ていた。若い頃、私が初めて購入した高級カメラだ。 大学を出て会社勤めとなったころ、仲間とよく呑み歩いていたが貯金もしていた。給料は1万円だったが、会社の寮に入っていたので寮費も食費も無料だった。なので生活は割と余裕があったのに田舎の親に仕送りもしない親不孝者だった。しかし貯金は少しづつ続けていた。 貯めていたのはカメラが欲しかったからだが、1年後遂に念願のカメラを手に入れた。当時最高級のカメラとして人気のあったニコンS2で、5万円だった。写真家も使用していたカメラだった。全てが手動だったので撮影の基本が習えた。 当時、ニコンS2が発売される直前にドイツのライカM3が発売された。新機能を採り入れたライカM3は世界的に人気商品となり多くのカメラマンや報道写真家に愛用された。それまでに販売されていたカメラは前世代品となってしまった。そこでニコンS2も改良を加えて1954年全世界に売り出し人気商品となった。ライカに性能は近く、より安価だからが人気の理由だ。 更にニコンはライカM3の機能を採り入れニコンSPという新型機を発売した。しかし、どうしてもレンジカメラではライカM3に勝てないとわかり、1960年に一眼レフのニコンFを送り出して人気を獲得し、今度はライカM3を前世代のカメラとしたのだ。 その後継機NikonF3は1980年に発売されている。私が1983年にトルコへ長期出張となった時、この歴史ある地の風景や人物を撮りたい思い、このNikonF3を購入し持参した。イスタンブルからイラクにかけてのアナトリア半島は、多様な遺跡と人種が撮影対象として期待通りだった。 そして帰国となった時、仲良くなったトルコ人がこのカメラを欲しいと言うので安く譲ってあげた。彼は大喜びだった。 カラーフィルムが出たのは1970年ごろからで、既に私もカラーフィルムを使用していたが、トルコでもカラーフィルムは販売されていた。 例のニコンS2はその後の新しいカメラの採用でお蔵入していたが、その後入手したキヤノンの一眼レフカメラで、望遠レンズが欲しくてカメラ屋で交換し処分していた。 懐かしいNikonS2
2025年02月01日
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マリンスタジアムで佐々木朗希投手が登板する日は、バックネット下のロート製薬の広告「ROHTO」が「ROHKI」に変わる。 ロッテファンの私はロッテマリーンズのホームゲームをテレビでよく見ている。試合が始まり投手と打者が映る場面になるとその背後に”ROHKI”の広告が顔を出す。 その佐々木朗希がドジャースと契約したと発表された。MLB20社による争奪戦となったが、私は佐々木は大谷のところに行きたいのじゃないかと思っていた。なぜなら前回日本で催されたWBC=ワールド・ベースボール・クラシックで、佐々木は大谷に心酔しているように見えたからだ。ダルビッシュにも投球術を教わり師弟のようだったが、若い時から大リーグに憧れていた朗希は同じ岩手出身の大谷に憧れていたのだと思う。ポスティング制度での移籍も二人とも23歳と同じ年齢となる。 佐々木朗希は、母親、兄、弟の4人家族で、父親は朗希が9歳の時に、東日本大震災の津波によって亡くなっている。また、祖父母も震災によって亡くなった。 震災後は母子家庭となり、4人家族で生活してきた。このような家庭環境から、朗希は早く大リーグで稼ぎ母親に報いたいとの気持ちがあったのではないだろうか。 彼は日本プロ野球の慣習を破り、選手会を離脱したり、早くアメリカへ行きたいとロッテを悩ませていた。 25歳以下での大リーグ契約では契約金や年俸が制限されるが、それでも日本プロ野球の水準を遥かに超える10億円という額でドジャースと契約している。ポスティングによるロッテへの譲渡金は2.45億円と山本の76億円と較べて大幅に少ない。 高校卒業後にプロ野球のロッテに入団した朗希は、3年目の2022年に史上最年少で完全試合を達成したほか、プロ野球の日本選手最速に並ぶ165キロをマークし、輝かしい成績を残している。しかし、その後体調不全で登板数が少なかったり、最近は球速も以前よりは衰えていた。 さてアメリカでの朗希のピッチングはどうだろう。ドジャースは選手育成には定評があり多くの新人を育ててきた。それでも支出に見合う活躍を球団は期待しているだろう。ロッテ時代の甘やかされから厳しいMLBのプロ生活が待っている。成功している2人の先輩がいるから心強いことだろうが結果は本人の努力次第だ。 朗希と「ROHKI」
2025年01月22日
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ユニクロは今年大学新卒の初任給を33万円に上げると公表した。昨年度が30万円だったので10%のupとなる。三井住友海上は令和8年度から新卒初任給を41万円にすると打ち上げた。これは転勤手当を含めてのこととある。いずれも優秀な人材を集めるためにと平均的なベースアップを大きく上回っているが、更に高額初任給は増えることだろう。 2003年に大卒初任給は20万円に達したが、その後10年以上横ばいの状態が続いていた。そして2024年度の大学卒初任給平均は239,078円となっている。 そこで老人は思った。俺の初任給はいくらだったっけ。実は、今でもはっきり覚えている。きっかり1万円と覚え易い数値だから忘れないのだろう。当時の大卒初任給の平均値がどれくらいだったか、と厚生労働省の賃金統計を見ると1968年で3万600円とあるが、これより前のデータが見つからない。 そこでAI検索のCopilotに調べてもらうと、1957年は9700円だったと教えてくれた。私の初任給は略平均値だったわけだ。 消費者物価指数で見ると、1957年が30、2024年が260なので8.6倍になっている。それに対し大卒初任給のアップ率は24.7倍にもなっている。これについてはCopilotは幾つかの理由を挙げて解説しているが、これはまた別の機会にしよう。 不穏な空模様
2025年01月15日
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人生の幸福のピークは82歳だった!と週刊誌の広告記事にあった。その週刊誌は見てないので内容は不明だし、どなたのことかもわからないが、それでは自分の場合はどうなんだとふと思った。 そこで自分にとっての人生の幸福のピークはいつだっただろうか、と昔を振り返ってみた。 会社員時代はストレスで胃潰瘍になったりした時もあったが、割と自分に合った仕事で、人生を左右するような大事もなく、こき使われながらも楽しく過ごしていたと思う。外国へもよく行かされ楽しんでいた。 だが、やはりこの後に述べる時代と較べると自由に生きるという点で及ばないと思った。その間の家族や趣味での満足感もあったがそれらも幸福のピークとは言い難い気がする。 結局、年金生活に入ってから、それも60代はまだ暮らしや遊興費を補う必要があり日本語教師で補ったり、大腸癌手術もあったりで良き年代とは言い難い。70代前半は股関節手術や前立腺癌、など不調続きだったが、後半には韓国や道東へ撮影旅行に行っていた。しかし再び股関節再手術が必要となり、そのリハビリに長期間を要した。。 80代に入ると心身共快調が続き、国内各地に毎年撮影旅行に出かけ、近隣へは車で走り回っていた。 80代後半には妻の大腸癌手術、私がコロナ感染や帯状疱疹など平穏とは言えない時期が続き、体力的にも下降傾向となり、車も処分し遠出しなくなって現在に至る。 この遍歴を見るに、なんと82歳ごろが何の束縛もなく経済的にも過不足なく、杖は突いているが心身共に問題なく好きなように動き回って、撮影と観光に明け暮れていた時代だ。それに老人会でも必要とされそれなりに活動し自己満足していた時でもあった。 人に因って何が幸福かはそれぞれだと思う。私にとっての、人生の幸福のピークは82歳だった、と言えるのではないだろうかと思った。 初詣の三社神社
2025年01月10日
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今年も師走を迎えたが、日常生活は何ら変わりなく、ただただ日が過ぎていく。押し迫って来たので年賀状を例年の如く書き、元日に間に合うようにと思っていたが、取っ掛かりが遅かった上にプリンターが不調、更にインクを切らしてしまった。ということで、予定より2日遅れの27日に投函したが間に合っただろうか。 出す賀状は以前から見るとずいぶん少なくなっている。最近の傾向で賀状を出さない人が5割を超えたとのデータもあるが、私は近況報告のつもりで事情が許す限り止める考えはない。 賀状には一年恙なく過ごせたと記したが、その直後胃腸の不調が発生し、食事が通常通り食べられない状況に陥っていた。よって老人会の忘年会も欠席し、明けてからの町会の新年会もどうだろうと迷っている。インフルエンザもコロナも流行り始めているので出ない方が正解かも知れないなんて思ったりしている。ただ私は両方ともワクチン接種は終わっているのだが。 現在、来年2月に催す老人会企画のコンサートのポスター制作に集中している。今回のコンサートは津軽三味線の演奏会だが、参会者がどれくらいになるか気懸りだ。 正月料理は全て通販に頼っている。おせちも年越しそばも、しめ飾りもお供えもしかり。冷凍が多いので冷蔵庫に入りきるか心配だ。だったがやはりおせちの重箱は入らず、パルが老いていった保冷ボックスに入れ、保冷剤をあるだけ入れておいたがどうだろう。3日ごろにはすき焼きをやる慣習で、この時は息子の車でマルエツまで仕入れに出かける予定だ。 12月に老人会主催で、地域警察の交通課による老人の交通安全についての講習会があり、そこで敏捷度を測る器具でのテストが行われた。どれだけの精度があるか?だが、そのテストであなたは80歳相当だと結果が出たことで気分よくしている。 老化状況測定器で
2024年12月30日
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DIC(旧大日本インク化学工業)の佐倉市にあるDIC川村記念美術館が来年の3月に閉鎖されるとあった。所在地は佐倉と言うより八街に近いが、広大な敷地に美術館、館外には彫刻も展示され、白鳥のいる池などの庭園があり素晴らしい環境の美術館だった。 私は2回訪れているが、外国の著名な絵画や私の知らない国内外の画家の作品などその所蔵品は日本でも有数の美術館だと言われている。世評では西の大原東の川村とも言われている。訪問者が少なく、静かにゆっくり見られる環境は素晴らしいと思ったものだが、観覧者よりも警備員の方が多いなどとその運営には以前から問題視されていたようだ。 今回発表された計画によると、所蔵品を100億円程度売却し、現在の四分の一ぐらいの規模の美術館を都内で開館する予定だと言う。DICが保有する384点の時価は1千億円超との見方もある。これほどの作品は2代目社長・川村勝巳氏らが蒐集したものだという。 美術館の風景
2024年12月28日
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アメリカの2018年制作ドラマ「イエローストーン」全53話のうち、シーズン4までの39話までをようやく見終わった。近々シーズン5の14話が始まるはずだ。 イエローストーン国立公園はワイオミング州、アイダホ州、モンタナ州に跨り、最北辺に位置するモンタナ州でイエローストーン公園に隣接し、美しい自然が残る地の牧場主一家の物語だ。 12月に入ってから見始め、散歩を減らし、読書時間を縮め、就寝時間を遅らせ、11日間かけて悦楽の時を過ごした。テレビドラマは面白くなくちゃ。 「イエローストーン ダットン牧場」の物語は、ネオウエスタンと称され、時は現代となる。、時代の変化に抗らって先祖代々の牧場を護る牧場主一家、荒くれカウボーイ、牛泥棒、土地を取り戻そうとするインディアン、牧場を乗っ取ろうとする都市開発会社、などなど盛り沢山のドラマに次のまた次のストリーへと引き込まれていた。 主役のケビンコスナーが頑固な老牧場主を演じ、その他一癖も二癖もある脇役たちも気に入った。自家用ヘリを操縦し、ベンツを乗り回し、スマホを操る現代の物語とは言え、馬を乗り回し牛を追いやる日常に殺人や暴力が絡み、政治と大手企業に翻弄され、家族やカウボーイが崩壊し復活し、ドラマは新しいシーズンへと入って行く。 日本では既にWOWOWで放送済みだが、私はJComの契約を変更して、パラマウント映画が見られるようになり、最初はシルヴェスタ・スタローンが演じるクライムアクションドラマ「タルサ・キング」を見ていたが、もう一つ気に入らなくてケビンコスナーに切り替えて満足していた。 このドラマはアメリカでも人気があり、牧場開始までの前日譚や21世紀の現在の物語となる後日譚などのドラマが既に配信されているようだ。これらにはもちろんケビンコスナーは出て来ない。 夕陽が照らす小公園
2024年12月14日
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洋画離れの次は外国小説離れだ。原文での洋書ではなく、翻訳された海外小説のことだが。 新聞には下欄に最近発行された書物がよく紹介されているが、時期ははっきりしないが、この欄での海外小説がほとんど見られなくなった。私の読むサスペンスに限らず、全てのジャンルの海外小説がほどんど見られなくなったのだ。 なぜ海外小説が紹介されなくなったのかと言うと、読む人が少なくなった、即ち購入する人が少なくなったということだろう。 私はよく新聞で海外小説の文庫本を見付け、Amazonで中古とかKindle版を探していた。しかし中古やKindle版はすぐにAmazonには出て来ないので数か月遅れ、時には1年以上経ってからしか入手できない。どうしても読みたい場合は諦めて新刊を買う時もある。 近年はフランスや北欧のサスペンスが好みで、掘り出し物、と言っても私の趣向に合ったということだが、に出会うのも一つの楽しみだ。好みの作家が見付かると次も続けて読みたくなる。北欧物は「ノルディック・ノワール」と言われけっこう人気は衰えていないそうだが、日本に出回る新作は少なくなったと感じている。 昔、日本人の内向き志向が問題になったことがあったが、景気の拡大に伴い出張や旅行で海外進出は大幅に伸びたころから海外志向が強くなり、それにつれて海外小説の出版も多くなっていた。現在はあながち内向き志向とも言えないらしい。若者の小説離れがよく言われるが、彼らはSNSやインターネットでけっこう海外に通じているという説もある。 先行の一葉を見付けた
2024年11月28日
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団地の隣の田畑、昔水田だったが現在は無耕作地もしくは貸農園となってしまった、に秋を見付けに散歩してきた。陽が傾き全ての草木が濃く影を宿している。ススキが輝き、コスモスが咲き乱れ、赤く熟れた烏瓜の実が一つぽつんとぶら下がっていた。 秋色
2024年11月17日
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今年のバスツアーは、東京の新名所に行くことになった。新名所とは豊洲卸売市場であり、併設された先客万来で江戸前を味わい土産を買う、予定だったが。 先客万来とは豊洲場外江戸前市場と温泉宿泊設備の万葉俱楽部を擁する複合施設のことで、江戸前市場は築地の場外市場を受け継ぎ発展させたものとかで、江戸風の施設に飲食や雑貨の老舗が軒を連ねている。万葉倶楽部は箱根の湯を日々運び込んでいるそうだ。多分に外国人観光客を目当てとした観光施設という感じがする。事実外国人が多い。 江戸前市場は諸品高騰にて手が出ない。つまみ食いも後に控える「すしざんまい」での寿司コースを考えるとあまり手が出ない。結局場外市場をさっさと廻り、魚市場へと向かった。先客万来と卸市場は連絡道でつながり10分ほど歩き、市場見学通路に至る。しかし、魚市場は既に競り市もマグロ解体ショーも終わって、後片付けでターレが走り回っているだけだった。 2時間後バスで築地へ向かう。運河一つ隔てた向かい側なのであっと言う間に到着。昼食前に、築地場外市場に向かう。ちょうど昼飯時のこともあり、外国人が豊洲よりも多い。昔ながらの店が連なる通りをいろいろな外国語が飛び交い、賑わっている。 男の子が道端に座ってスマホでゲームをしていたので、傍らにいた祖母らしき女性に許可をもらい少年にカメラを向ける。祖母らしき女性に少年の名前を訊ねたが発音が理解できない。彼らはエストニア人でエストニア語での発音は難しいからとと英語で言いながら、自分のスマホで日本語(ひらがな)に直して「ぱるてる」君だと教えてくれた。バルト3国はロシア語に近いらしいが、エストニア人と会話したのは初めてだった。彼ら外国人はこのようにスマホで日本語を自国語に訳しながら旅しているのだなと思った。 昼食は最近名が売れている「すじざんまい」の新館でツアー客用のコース料理で握りを頂く。ツアー料金の中に含まれているとは言え、コース料理とはこんなものかと思える程度だった。過去のツアーでも食事にはいつも不満が残った。今回のようなツアーでは豊洲でも築地でも飲食店が多数あるので、自分で好きな食事をしたほうがいいように思ったが老人が多いから問題があるかな。 昼食後、羽田空港へ向かう。最初に予定していたJALの整備工場とミュージアムの見学は1か月前の抽選会で外れてしまっていた。人気コースなのだ。 代わりに国際線第3ターミナルへ向かう。折から雨が降り出し駐車場から建物まで歩いて少し濡れる。2階の到着ロビー、3階の出発ロビー、4階の江戸小路を抜けて5階までエスカレーターで、お上りさんよろしく団体で昇って行く。5階の展望デッキで飛行機の離着陸をバックに集合写真を撮る予定が、雨のために軒下で、撮影条件の難しい撮影となった。後にアルバムを作成し全員に配る予定であり、集合写真は表紙を飾る重要な写真だが、不満の残る画像となった。 再び4階に降り、昨年開業した「エアポートガーデン」へと向かう。日本全国の逸品や名産品を集めた専門店と日本各地の名店グルメが80店ほどが連なっている。ここも値段が高いので我々は見るだけのウインドウショッピングだ。日本人も外国人も客が少なく、これでは各店は立ち行かないのではと心配になるほどだ。そしてバスは帰途に就いた。幸い行きも帰りも渋滞に巻き込まれることもなくすいすいと帰宅できた。私のお土産は結局、豊洲での丸武の卵焼きと羽田エアポートガーデンでの追分団子とローソンで夕飯を購入しただけだった。 豊洲・築地・羽田
2024年11月06日
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恒例の老人会による街の作品展がこの土日曜日に催された。老人会の3大イベント、コンサート、バスツアー、作品展、の内の最初の催しだ。 作品展では、私は毎年写真を5点出展している、今年も過去の所蔵品の中から選び、A3で4点、四切1点の計5点で、自家印刷し額装して出した。が、今年は作品選びに時間がかかった。やはり決断力が衰えているようだ。 今年の出展で目立ったのは、3年かけて作成された首里城模型と、亡くなったお母さんの遺作品という刺繍アートが素晴らしかった。私の写真も足を止める人が多かった。2日間とも好天で入場者は当団地外からも大勢の方が来訪された。鑑賞後は隣室の臨時カフェでわいわいと批評と談笑の時を過ごしていた。最後に、出展された各作品を撮影しプリントし、毎年出展者に渡しているが、これも私の仕事だ。 10月末には日帰りバスツアーがあり、既にバス手配、参加者予約、そして今回の昼食は築地市場内「すしざんまい」で予約済。他に豊洲市場と羽田国際線ターミナル内のエアポートガーデン見学と予定が組まれている。実はJAL整備工場とミュージアムを予定したが、人気コースで抽選で外れてしまったのでエアポートガーデンとなったものだ。。コンサートは来年2月に予定しており、現在のところ津軽三味線が企画されている。 写真室
2024年10月24日
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朝日新聞に、洋画離れ止まらず加速、とあった。今年上半期にヒットした映画を見ると、邦画が5本、洋画が3本とあった。その邦画5本のうち4本がアニメだった。 洋画の凋落も気になるが、アニメの一人勝ちが気になる。日本のアニメが世界的に好評だとは知っていいたが、マンガのみならず、かくも映画界を席巻しているとは。 それに対し、骨のある映画らしい映画そして魅力ある俳優が少なくなったような気がする。私の言うところの骨のあるとは一般的ではないかもしれないが・・・。 例を挙げると、アメリカ映画ではゴッドファーザーのアルパチーノや西部劇のアランラッド。フランス映画では何と言ってもジャンギャバンだ。ヌーベルバーグからギャングものといったかつて世界を風靡したフランス映画はすっかりなくなってしまった。 いずれにしろ私は日本映画をほとんど見ないし、アニメも「千と千尋の神隠し」を見ただけだ。このアニメは面白かったけれどそれでは次もとはならなかった。洋画を見る方が忙しいのだ。 私が見るのは洋画でありサスペンスでありSFだ。日本で洋画が衰退したとか言われても気にならない。NetflixでもAmazonPrimeでもJComでも見切れないほど新旧の洋画が溢れている。 見てない昔の映画も多く、既に見た映画を忘れて再び見ることもあり、気になった映画をまた見ることもある。2001年宇宙の旅は3回も見てしまった。AIコンピューターHALが操縦士の唇の動きでHALを破壊することを知り反撃に出る、なんて最初気が付かなかった。 どうせ人生の最後までに見たい映画を全て見ることは叶わないだろうから、ほんとに見たい映画をリストアップしながら、55インチTVで少しぼやけて来た眼で鑑賞している。 電波塔
2024年10月16日
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新スマホをどうしようかと未だに迷っている。若い時はもっと決断力があったのに・・・。この齢で高価なスマホを買ってもコスパ(費用対効果)が得られるわけがない、がライカスマホが欲しい、とまた堂々巡りをしている。 勿論、コストでは測れないものがあることも知っている。そのスマホを使って得られる効果は金に換えられるものではないし、満足度なんて言うものは数値で測れるものではない。 しかし最近、体調からと思われる弱気が嵩じており、思考がどんどん内向きになっていることを感じている。それは単にスマホの問題だけではなく、全てのことで起こっているように感じる。これもフレイルの一症状かと思い悩む。 それでもまた、希望の機種が半値ぐらいで入手可能であれば気が変わるのだが、と未練たらたらだ。 現在私が利用中のXperia1Ⅱの最新版Xperia1Ⅵが販売中だ。auショップでは3年前と同じように半額近くで入手できるのだろうか。このスマホは当時SonyCameraの技術を取り入れ、撮影機能がトップクラスだったし、スマホ本体にシャッターボタンが付いているのが気に入っていた。その4代後の最新機になるが、慣れて来た使い易さは継承されており、カメラ機能も刷新されている。望遠レンズが光学ズームとなり、マクロ撮影のテレマクロ機能が面白そうだ、と心変わりしそうだ。 Xaomi14Ultraのプライスダウンを待っていたら、Amazonで価額を下げた並行輸入品が出てきて、下がってきたが買わないかとメールが届いた。次いで、Xaomi15Ultraが来春に発売されるとのニュースが入ってきた。カメラ機能が数段上がるらしい。 スマホやパソコンは次々と新機種が発売され、その度に機能が上がり価額が上がっていく。最新機能をと次を待っていたらきりがないし、出費も目が飛び出るほど上がっていく。 踏ん切りのつかない悩み多き老人は今日もウエブページを漁っている。 花見川の釣り人
2024年10月01日
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ネットで見た読売新聞オンラインの書評で、岸恵子さんのエッセーについて以下のごとく書かれていた。 女優岸恵子さんのエッセー『91歳5か月』が目に留まったのは、数字を使った題名のためです。よく人生は、数字の2乗の年齢で節目を迎えると言います。 1歳から2の2乗(4歳)までが幼児期、3の2乗(9歳)までは子供期。4の2乗(16歳)までが思春期で5の2乗(25歳)が青春期。以下、36歳、49歳、64歳……と続きます。何となく9の2乗(81歳)で一段落な感じはしますが、その先にどんなステージが待つのか興味を覚えました。(不肖ながら私はそんな二乗の節目なんて知らなかったので気にかかったものだ) 新著は、過去に交流があった人のことを記します。「初恋」の相手だった俳優の鶴田浩二、母親が亡くなったとき見舞いに来たという萩原健一。ノーベル文学賞作家の川端康成に元首相の中曽根康弘。岸さんは24歳のとき、結婚のためフランスに渡り、後に離婚しました。長く日仏を行き来し、様々な出会いの中で女優を続けました。誰もまねできない人生の記録が面白くないわけがありません。「年をとることは、やりきれなく切ない」……女優岸恵子さんの胸を打つ本の中の一言 けれど本当に胸を打たれたのは日本に帰り、ある街の高台の家で一人暮らしをする近況を書いた「終わりに」の文章です。<年をとることは、やりきれなく切ない>。著者ははっきりと言います。大事な旧友が難病になり、転んで骨折をして、一人での散歩をやめ、自然とテレビを見る時間が長くなる。9の2乗から10の2乗へと向かう人生のステージは、かくも過酷なものなのでしょうか。 どんな生き方をしても人間は、日暮れのときが来ます。老いとはy=x2の加速度曲線を描くように、人生の大切なものを大急ぎで神様に返す日々なのかもしれません。その姿はきっと、やがて私たちが迎える日でもあるのです。(加速度の式はy=x²あるいはy=x^との表記が正しい) 5月14日トーハンの週間ベストセラーが発表され、エンターテイメント部門6位に『91歳5か月 いま想うあの人 あのこと』が登場した。。女優で作家の岸惠子さんがこれまでの人生で出会って別れた人々との心の交流を描いたエッセイ集。日本映画界を代表する女優でありながら、ベストセラー作家としても活躍し、激動の時代を駆け抜けてきた岸さん。エッセイでは鶴田浩二、萩原健一、中曽根康弘、石原慎太郎、瀬戸内寂聴、原田芳雄、佐田啓二、中井貴一、三國連太郎、佐藤浩市、小津安二郎、美空ひばり、力道山、川端康成ら、そうそうたる面々とのエピソードが綴られる。なかには岸さんと噂のあった男性も含まれており、彼らとの邂逅と別離を感慨を込めて振り返っている。以上 5カ月年長のお姉さんであり、二乗の節目を教えられ、多感な女性の生き様を思い、多くの著名人と付き合いがあり、面白そうだとは思ったが、私は他人の人生本にはあまり興味がないので読まない。 私が知る岸恵子さんは、まだ学生だったころ一世を風靡した「君の名は」のラジオ番組だ。この時間には風呂屋が空になり、映画化されて真知子巻きが流行った時代だった。 団地沿いの銀杏並木
2024年09月18日
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Microsoft beingの商品広告で、新潟県津南町の「かたくりの宿」が紹介されていた。懐かしい宿が目に入ったので昔のことに思いを馳せた。ところで最近のウエブページはほんとに広告が多くなったものだ。 2009年秋に新潟県の清津峡から秋山郷を通り長野県の野沢を抜け、最後に戸隠の鏡池に映る秋色の撮影、と紅葉を満喫しながらのドライヴと撮影を楽しんだ。 この旅の最初の宿が「かたくりの宿」だった。廃校になった小学校を温泉宿に衣替えしたもので、珍しさと安さに惹かれて予約していた。日本で1,2を争う豪雪地帯のこと、元校庭に差してある竹尺の遥か上に過去の積雪量を示す赤リボンが結んであり、4mぐらいとのことだった。 客は私1人だったからか、若い女性二人で、接客から食事まで切り盛りしていた。夜半の静寂の中、学校の怪談話を思い出し、深夜の共同トイレはちょっと気味が悪かった。 当時ビール1本飲んで1万円弱だったが、最近紹介されていた料金は1.25万円と、最近の観光地での値上がりとはかけ離れた僻地の宿を偲んだ。 朝日を受け輝く黄葉が水面に映える、後ろが戸隠山
2024年09月15日
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街の老人会は10月に2大イベントがあるので役員は忙しい。作品展とバスツアーがあり、9月から参加者募集案内を配ったり、ポスターを作成し掲示板に貼付したり、個人的には自分が出展する写真を選び印刷し額縁に収める必要がある。 10月に入ると作品展での作品の配置を計画し、必要な資材を調達し、前日に各作品を配置し名札を付ける。開催日は土日2日間で日曜日夕方は後片付けでまた大童だ。 バスツアーでは、ツアー中の動向を撮影し、後日旅のアルバムを作成印刷して参加者全員に配り好評を得ている。私の腕の振るいどころだ。 今年のバスツアーは東京の豊洲市場先客万来での見学買物、築地場外市場の「すしざんまい」で昼食、その後羽田空港へ行きJAL整備工場(SkyMusium)見学、と近場巡りだがツアー費用は例年より13%も値上がりした。 因みに、老人会の3大イベントの一つコンサートが2月に控えている。 10号去りし日の夕暮れ
2024年09月11日
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最近、バングラデシュの学生暴動の記事が新聞紙面を埋めていた。暴動の原因は、50年前の独立戦争時に戦った軍人関係の遺族に国家公務員の特別採用枠を30%与える、という法律に反対するものだった。2018年に一度この法律は改定され採用特別枠はなくなったが、その後も採用枠は継続されていたという不可解な行政。最近その決定がまた法的に復活されたために暴動に至ったものだ。暴動によって学生が200人ほど犠牲になったという大惨事だ。その結果採用枠を3%まで縮小して、一応暴動は収まったかに見えた。 しかし、根本的な問題は大学卒業者を吸収できるほど経済が発展してないことであり、その結果公務員が安定した職業になっており志願者が多いのだと言う。 そして再び暴動が始まり学生と呼応した野党と便乗した大衆が加わり、擾乱はますます激しくなっていった。今回は15人の死者が出たという。 経過を注目していたら、突然ハシナ首相がインドへ逃亡してしまった。 独立戦争後、国民は自由を得たが、その代償として疲弊した経済が長らく国民を苦しめていた。その後、安い賃金による縫製産業や電子部品工場が発展して順調に発展してきていると思っていた。ハシナ首相は貧窮のバングラデシュを現在の位置まで高めた功績があったが、その過程で歪みが出ていたようだ。縫製とか部品工場では増えて来た大卒者を吸収できなかったのだろう。 因みにハシナ首相は、独立戦争の指導者で初代首相となったムジブル・ラーマンの長女に当たる。 独立戦争当時かの地にて騒乱に巻き込まれ。引き揚げて来た者であり、この国と関わってきた者として気にかかる問題だった。独立はインドの助勢を得て勝ち取り、民政による新政府が発足した。しかし国内は安定せず、14年後再びこの地を訪れたときは軍政となっており、ゴルフ好きの軍人大統領が造らせたという手入れされたゴルフ場でゴルフを楽しんできた。 8年前にダッカでテロ事件があり、日本人7人を含む20人が殺害された。その時市内の状況が報道されていたが、その写真には洒落た街並みにレストランやカフェなどが写っていた。現場はグルシャンという街で昔から外国人が多く住む地域だったが、ずいぶん発展したものだと感じていた。しかしダッカ中心街の近年の状況は昔とあまり変わらず、多くのリキシャ(人力車)が、増えて来た車の走行を妨げ渋滞は日常的だし、オールドダッカと呼ばれる旧市街は相も変わらずカオスの街のようだ。 お気に入りの散歩道
2024年08月28日
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暑さが引いてきた夕暮れ、いつもの順路を歩いていたら、薄暗くなった公園に白い花がほの白く光っていた。百合の上に被さる他の枝振りもいい。 ポケットからスマホを取り出し、光量を変えながら数枚シャッターを切った。気に入った一点をPhotoshopに取り入れ、これをスマホライカで撮ったらどんな写真になったのだろう、と思いながら補正しブログ用にサイズを落としていった。 未だぐずぐずと決断し切れず、指を咥えてXaomi14Ultraの値下がりを待っている。
2024年08月22日
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中文新書「老いの深み」を読了した。このエッセイは作家(黒井千次)が読売新聞に連載していたものをまとめて新書版としたもので、これ以前にも3冊「老い本」を出していた。 予想していた通り、90歳前後の身体的不都合についてあれこれ述べている。吾が身と較べ、この点は俺の方が優っているな、などくだらない優越感に浸ったり、面倒をみてくれる家族がいていいよな、などと僻んでみたり、さすが文筆家だけあって状況描写がうまいな、などと感心したりしながら読み終えた。老いに関するこれらの本が売れるのは、吾が身と比較してああだこうだと感じるために買われるのではないとは思うが、読み終わってみればそうなっている。 この本を読んでためになったと感じることはあまりないだろう。エッセイだから別に身体のためになる書と期待して読むわけではないが、銭を払って求めたからには何らかの収穫を期待してもいいだろう。他の人はいざ知らず、私にとってこのエッセイ集は、銭と時間の無駄遣いだった。強いて言えばエッセイの書き方が参考になったか、ちょっとだけ。 私が愛読する海外サスペンス物は収穫があると考える。それは読むときの没入感と同時に海外の歴史や地理が楽しめること、それに登場人物の名前を覚えるのが脳にいいと思い込んでいる。 今年は初めて3輪の開花を見た
2024年08月13日
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シンスマホの機種は決まった。シンゴジラのシンとは、同音の「震」「神」「真」の意味が込められているそうだ。このシンスマホのシンは神、真、新が込めてある、 そのスマホは"Xiaomi14Ultra"。国内で販売が始まったら、カメラマンを始め多くの批評がべた褒めしている。カメラのいいスマホとして今や№1になったと言えそうだ。スマホ機能としても最先端だ。本来このようなカメラはソニーが造るべきだったとの声もある。 このスマホの評判がいいのは、「ライカと共同開発したクアッドカメラシステムを採用したフラッグシップスマートフォン」と宣伝されている通りだ。フラッグシップとは勿論全スマホに対してではなく、シャオミとしてのと解する必要がある。 とは言え、兎に角カメラ機能がスマホとしては頭抜けている。なにしろライカのカメラなのだ。ライカのカメラはアンリやキャパも傑作を残しており、多くのカメラマンの垂涎の的てある。私も一時は憧れたものだが、とても私などに手の届く代物ではなかった。そのころ既に100万円近くの価額だった。プロやハイアマは別として、写真を知らない大尽や芸人などが所持し見栄を張れるカメラなのだ。カメラがよければいい写真が撮れるわけではない。しかし、カメラがよければ才能にプラスされるものがあると言える。 このスマホであのライカの画質に近付くことができる。勿論スマホカメラの性能はカメラとは違うが、可変絞りなど今までのスマホでは不可能だった機能も盛り込まれている。更にこのスマホカメラには、カメラに近い操作を得られるアタッチメントが付いているのも魅力だ。 スマホカメラと言えど、これで若き日の夢がちょっぴり叶うじゃないか。 そう言うわけで、このスマホカメラにぞっこん惚れてしまったと言うわけだ。 ところが残念ながら、今のところこのスマホカメラを安く入手する手段は限られている。電話会社を変えても、料金システムを変えても1割ぐらいしか安くならない。その上にこの機種は限定生産で、近いうちに在庫が底を突くという噂もある。 現在の高値でも若き日の夢がちょっぴり叶うならばいいじゃないか。 現状、写旅にも出られず、撮る機会が少なくなり。シャッターチャンスに出会う機会もないそんな昨今だが、いいじゃないか、街の作品展への発表の機会もあり、ブログフォトに載せることもできる。自室の壁に展示し悦に入っている自分でもいいじゃないか、それにライカ自慢のモノクロ写真が撮れるのだ。余生を楽しめそうじゃないか。何を迷っている。 小学校と中学校の間の路地(東北大震災時ここを歩いていて思わずこの柵に掴まった)
2024年07月30日
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現在使っているソニーのXperia1Ⅱが3年半を過ぎた。カメラのいいスマホとして思い切って奮発したものだ。とは言っても、乗り換えとか幾つかの割引などを利用して半額近くで購入している。しかし、3年経つとバッテリーの寿命もさることながら、飽きてくると言うか、より進化した新型スマホに目移りしてしまう。 現在の生活では、新しくカメラは買わない、旅行には行かない、車を持たない、ゴルフをしない、外食はほとんどしない、酒は呑まない、スーツはいらない、とお金を使う機会が少なくなった。生きていく楽しみが少なくなっているのを感じる。1年に一足スニーカーを新調するぐらいしか楽しみがない。時には電気機器やガス器具の取り換えがあるが、これらは生活必需品で、人生を楽しませるものではない。 そこで、3年に一度ぐらい高額スマホを手に入れてもいいじゃないかと考える。なにしろ現在もっとも楽しんで活用している道具なんだから。と言うわけで購入する機会を窺っている。早くしないとスマホさえ使えなくなってしまうぞと内なる自分が迫ってくる。 と言うことで、機種の選択に入った、と言うより、もう機種はほぼ決まっていて、いかに安く手に入れるかを調査中なのだ。また前のように半額ぐらいで手に入れたい。ヨドバシとかビックに現物を見に行ったが置いてなかった。あまり多く出回ってないようだ。定価ならAmazonですぐ手に入るのだが。 ビックカメラ千葉駅前の通り
2024年07月23日
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出版界には題目に「老い」と銘打った書籍がずらりと並んでいる。老いは怖くない、老いの上機嫌、老いは楽しい、老いてからスマホ、老いたら好きに生きる、こうして人は老いていく、美しい老い方、老いの落とし穴、老い方上手、老いの品格、老いの贅沢、等々。 各界の老いた著名人が、随筆として、あるいは処世術として、あるいは医者として、その他諸々、老いについて書いておられる。 ちらっと表紙や目次を見ると、だいたいが、くよくよしないで気楽に生きるのが長生きの極意だと。そんなことはわかっている。それができないので苦労しているんだ、とひねくれ者の私はつい思ってしまう。 それにしても、これだけ次々と老いの本が出てくるということは、かなり売れ行きがいいからだろう。樋口恵子さんも、次々と出版し、いずれも売れ行きがよく、けっこうな収入を得ていることだろうと推測している。 本を買って読む人、つまり金銭的に余裕のある閑人で、老いてからの生き方に迷っている者、と読者の顔が浮かんでくる。 そんな折、朝日新聞の新刊案内でまたも”老いもの”を見付けた。「老いの深み」は90代に入った作家が書いている。広告の添え書きに、「次第に縮む散歩の距離、抜け落ちる暗証番号、勝手に転がり去る錠剤、少量の液体にむせ、なんでもない一歩にコロケ、中腰に恐怖し・・・」とある。私と同じように悩んでいるようだ、とこのエッセイを読んでみる気になった。私も本を買える閑人なのだ。 本は届いたがまだ読んでない。今ギャングものを読んでいるので、その後に読む予定だ。その後読後感想文を書く予定だ。たぶん、そうだそうだと頷きながら、そんなことは言われるまでもない、と時間を無駄に過ごしたことを悔やんでいる姿が浮かぶ。 カフェの時計
2024年07月17日
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羽田よりジャカルタに向かう。夕刻、屋台で殻を足元に投げ捨てながら旨いが辛い蟹で腹を満たす。2泊後、スラバヤへ飛ぶ。ホテル代わりの貸別荘で次の便を待ちながら3泊する。頭に果物篭を載せて来るお姉さんの新鮮な果物で朝を迎える。日本人墓地でカラユキきさんのお墓に手を合わせたり、乗馬を楽しんだりで時間を過ごす。3日後飛び立った双発プロペラ機は機体に全日空と書いてある中古貨物機だった。青い海に白いサンゴ礁が連なるフロレス海を眼下に、スラウエシ島のマカッサルへ向かう。 マカッサルからはヘリコプターでボニ湾を北上し、島の中部にあるポソ湖近くのニッケル精錬工場事務所に至る。つい先日他のヘリが海に墜落したばかりだ、とオーストラリア訛りのヘリの操縦士が私と同僚を怖がらせる。1泊後再びヘリでトラジャ地方へ向かう。幻のコーヒーと言われたトラジャコーヒーの産地だ。トラジャ族は舟形家屋や断崖のミイラ墓地など独特の風習を守っている。数時間の見学後、今度はジープでトラジャを後に海岸線を南下しマカッサルへ戻った。そしてマカッサルの茜色に染まる夕焼けに浸り、ビールと地方料理で強行軍の疲れを癒した。 翌日マカッサルからスラバヤを経てジャカルタへ戻り、再びかのチリソースの蟹を貪る。翌朝、ジャカルタを離れ、世界一と言われるボゴール植物園の一部を回り、次いでデビ夫人がいたと言う白亜の大統領別邸に案内される。ジャカルタで2泊後羽田へ戻った。 1971年のことだった。
2024年07月06日
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「たいへん遺憾に思います」日本の政治家がよく使うセリフだ。いかにも謝っているように見える。 最近、沖縄でのアメリカ兵士による少女暴行事件で、米軍幹部(嘉手納基地司令官)が沖縄県に謝罪した折、その幹部が「遺憾に思う」と言ったと報道されていた。この「遺憾に思う」は英語でどのように発言されたものか、どのような考えで発言されたものかが気になった。 この場合軍幹部が「遺憾に思う」と言った言葉の英文は「regret」と発言されていたようだ。この単語は、何かがうまくいかなかった時や、過去の行動を後悔している時に使用されるもので、特に、自分の選択や行動に対する後悔を表す際に適しており、したがって、報道された翻訳に問題はないそうだ。エバンス准将は「県民に心配をかけていることを遺憾に思う」とした一方で、県や被害者に対する謝罪の言葉はなかったと解説されていた。 蛙天国(病院の待合室で)
2024年06月29日
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毎朝(土日以外)ベッドの中で森本毅郎のラジオ番組「スタンバイ」をradikoで聞いている。CMとか交通情報とか聞きたくない部分とかを飛ばし、2時間番組なのだが1時間ほど聞いている。毎日日替わりで出演するコメンデーターも博識であり、聞き応えがある。 最近はテレビやラジオの出演者の喋りが早くなっており、難聴気味の老人には聞き取りずらくなっている。老化での必然現象かもしれないが、森本さんと遠藤泰子さんお二人の発声は昔ながらに聞き取りやすいし、従って楽しい。 今朝も通常通りradikoで聞いていたら、ガザの人質救出作戦で多くの民間人が殺傷されたが、イスラエルの人質4人が救出された件について報じていた。最近はイスラエルの攻撃による死傷者の増大や国境封鎖による救援物資の滞りによる飢餓の問題がクローズアップされ、イスラエルは世界中で叩かれている。しかし最近、ハマスが民間人あるいは病院を盾にして人質を匿い戦っていることに対し、ネット上でも多くの反発が出ていると報じていた。 私が前から不思議に思っていたのは、ハマスが人質を全て解放し、それによって停戦とする交渉をなぜパレスチナも中東諸国も欧米からも出て来ないのかだった。その件をAI(Copilot)に聞いてみたら、次のように言っていた。 この紛争は非常に複雑で感情的な問題であり、多くの人々に影響を与えている。両国の人質や停戦、戦後処理などで駆け引きがあり難しい問題だ。現在、アメリカが提案した停戦案が中東や欧州で受け入れられ、交渉が進められているが、イスラエルには根強い攻撃支持派がおり、ハマスは人質解放後のイスラエルの行動に不安を抱いていて交渉が難航しているらしい。 そして更に私が思うに、人質の中には死亡した者もいるのではないか、それをハマスは知られたくないし、それが判明するとイスラエルは更に硬化するのではないか。当然この問題は検討されていると思うが、人質の生存、死亡についてCopilotに聞いても何にも教えてくれない。と言うことは不明なのか、機密事項なのか。 緑陰の下で珈琲を(町の福祉まつり)
2024年06月11日
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作家五木寛之は、私より5カ月前に生まれた同年齢。現在の北朝鮮で国民学校(戦時中の小学校)に通い、戦後苦労して引き揚げている。日本では貧困な生活を過ごした。終戦時に北朝鮮で母を亡くしている。 少年時代から小説が好きだった。当時の人気作家だった山中峯太郎、南洋一郎、佐々木邦、江戸川乱歩などの人気作品を読んでいた。私も読んでいた。娯楽小説好きは同じようだ。私は小学高学年時には中里介山の「大菩薩峠」など大人の時代物も読み耽っていた。身体が虚弱だったせいでもある。と、ここまでは私と同じような人生を歩んで来ている。中学、高校に至ってからは彼とは較べようもない。彼は高校時代にはロシア文学を読んでいたそうだが、私はスポーツに明け暮れ、身体は丈夫になったが読書からは離れていった。 彼は小説家に留まらず、随筆、戯曲、作詞、更にテレビやラジオに出演し、その活躍のほどは限りがない。ジャズと流行歌を愛し、外国に興味を抱き海外に渡航してる。そこらは相通じるものがある。 彼のその後の人生は私とは大違いだが、私が彼に勝るものはスポーツぐらいだろう。彼が子供や孫に恵まれなかったことは較べるべきものではないが、人生の過程においてその違いはあったと思う。 そして現在、彼のトレードマークである豊かに波打つロマンスグレーの髪、も私と同じだが私の髪は硬く苦労している。彼は頻繁に床屋に行っているのだろうと推察している。 これからの余生も異なるものだが、さて末期も少しは似ているな、となるのだろうか。 因って、五木寛之には親近感を覚えているが、彼の小説が特に好きと言うわけでもない。それどころか青春物とか恋愛物がどだい好きじゃなく、五木さんにはそんな作家というイメージがありまったく読んでない。 サツキ叢の小径
2024年06月01日
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「うまずして何が女性か」と上川外相が発言。「子供をうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言だ」と批判される「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と選挙応援で言った前文を含む言葉。 ここで「うまず」を「産まず」と取り、出産しないととった者が多いのではないか。私も最初はそう受け取り、これは大臣としてまずい発言だと思った。 しかし、その後、前文が省略されており、実際は、「この人を女性が応援して知事に当選させよう」と言う言葉だったと知った。文章や言葉の前後を悪意をもって省く、マスコミとかSNSでよく使うやり方に最初は引っかかったと思った。 だけど、「産む」とは多くの場合出産を意味する。上川さんはこの場合女性に訴えているので「産まず」と捉えられてもしかたがない。失言とは言わないが、適切ではなかった、と発言撤回もやむを得なかったろう。 自民党の過去の暴言、失言は枚挙にいとまがないが、政治家は発言が仕事だから、よくよく気を付けないと揚げ足を取られる。 最近人気上昇で、総理にとの声も上がっている方だ。この方は法務大臣時代に16名の死刑執行を命じた硬派であり、外務大臣としても評判がいいが、今まで国民に向かい合う場が少なく、経験不足とも言われている。一方アメリカ政治にも詳しく英語が堪能な、自民党でも数少ない存在だ。 貝塚公園の伸びた草
2024年05月21日
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JComの映画で見たいものが少なくなったので、Netflixを見ることが多くなってきた。見るのは全て洋画で、それも活劇、SF、犯罪、スリラーなどと決まっている。それにJComは途中で何回もコマーシャルが入るが、Netflixではそれがないことが大きな違いだ。NetflixのOriginalものはけっこう骨太で、私の趣向に合っているものが多い。しかしウエスタンがないな、と思っていたら、ありました。さっそくその「Godless」(邦題:神の消えた町)を開いて見たら、重厚なストリーで私を満足させてくれた。しかし映画だと思っていたら、各70分前後のドラマ仕立てになっている。Episode7まで2日で見終わった。このドラマは7までだったが、長いのになると20以上も続き、見るのに草臥れてしまう。因ってドラマより映画がいいのだが、ドラマでも「Godless」の如く面白ければこれぐらいの長さなら楽しめる。このドラマは西部劇だが、Netflixでのジャンル付けではヒューマンドラマとなっており、そこにはウエスタンのジャンルがないじゃないか。しかし、Wikipediaでこのドラマを調べると、2017年制作の西部劇とあり、名の通った脚本家が監督も兼ねていた。 NetflixのGodless紹介・さつき街のサツキも既に終わりぬ
2024年05月12日
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最近、日本に居住するクルド人の問題が報道でよく取り上げられている。昨朝も朝日新聞の社会面で取り上げていた。日本人との間でトラブルが起きているというのだ。だが問題は、クルド人と日本人にとどまらず、クルド人とトルコ人、クルド人とクルド人、とその関係は多岐に亙り、問題は複雑なようだ。 現在日本に居住するクルド人は2000人以上と言われ、主にトルコ系で、埼玉県に多く居住しているらしい。彼らの多くは難民申請で来日するが、ほとんどが申請を認められていないそうだ。トルコ政府の圧政で避難してきたのか、単に生活のために避難してきたのか、犯罪を起こし逃げてきたのか、判定は難しい。 もう40年前になるが、クルド人がいるトルコ東部地方に駐在していたので、彼らとも仕事をし、彼らの町デヤルバキルを訪れたこともあり、クルド人のこととなると、関心を寄せてしまう、何かしたいわけではないのだが。 ここまで書いて、以前にブログで書いたことがあるような気がしたので読み返すと、これから書こうかと思ったことが過去のブログで書いてあった。 何十年もブログを綴っていると、同じことを再び書き込むことがある。これは日記との違いだ。初めてこのブログを見る人もおられるやと思うので、重複してもいいかと思うのだが、少ないとは言えフォロワーにしてみれば、前に読んだことがあるぞとなってしまう、が既にそんなもの忘れているかも知れない。 因って、今回はクルド人について興味のある方は、昔の記事をどうぞと参照ページを記すこととする。これがまた、日記と異なり、過去記事を容易に引き出せるブログの利点だ。★:日記でカテゴリ別記事から海外を選択、2019年11月11日「クルド人」。2019年12月9日「クルド人の町デヤルバキル」を参照願います。 クルド人とアラブ人のハーフの女児
2024年05月03日
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皐月前だが、今やわが町はサツキの花盛りだ。町名ともなっているだけに、この季節ともなると町中至る所で咲き誇っている。散歩に出かけたこの日はあいにく曇り日だったが、散歩の最終コースで団地に至り、華やかな彩りにカメラを向けた。 カメラと言っても、スマホしか携帯しておらず、スマホカメラになるが、最近はスマホでの撮影が多くなった。カメラをぶら提げての散歩撮影はほんとに少なくなった。それほどスマホカメラは進歩してきたと言える。現在使用しているスマホはXperiaで、カメラ仕様はかなりいいが、そろそろ満足できなくなってきた。 そこで次に狙っているのが、Xiaomiスマホだが、ライカ仕様となっており、カメラ性能を重視した最先端スマホだ。中国製ということと高価額がネックとなっている。最近の上位スマホの高額化は天井知らずで、とても手が届かない範囲に来ている。しかし、やりようによっては半額近くまでのプライスダウンが可能だ、とヨドバシカメラでau販売員は言う。が、もう少し様子を見ることにした。 欲しいものは手に入れろ、先は短いぞ、と悪魔の囁きが聞こえる。 サツキ見頃
2024年04月28日
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初めての海外出張は、1969年に東パキスタン(現国名はバングラデシュ)へだった、当時のことはよく記憶に残っている。初海外もさることながら、当時世界最貧国の一つであったこと、滞在中に独立戦争が勃発し一時避難で引き揚げたこと、そして東パキスタンからバングラデシュへと独立し、工場の再建に携わったこと、などなどいろいろあり、で結局足かけ3年の滞在となった。が、私としては念願の海外であり、出発時には心が弾む気分もあったのを覚えている。 社宅にタクシーが迎えに来て、空港では旅行会社の社員が待っていた。当時の海外出張はビジネスクラスだった。1ドル360円の時代だ。外貨持ち出しは500ドルまででトラベラーズチェックだった。日本円は帰国時の土産代で外貨の不足分を補うぐらい持って行った。現地での生活費は全て会社負担で、小遣いも現地通貨での支給であり、従って日本の給料はそっくり家族の元へ入った。 休日には、近郊の村を訪ね歩いたり、野原で打ったゴルフボールを子供に集めさせたり、時々ダッカまで出かけゴルフ場で楽しんでいた。たまにはおかま劇団がやって来て村人と一緒に見ていた。 当時は日本からの直行便がなく、香港かバンコックでの一泊乗り換えだった。香港では、そんな日本人を上得意とするガイドが待っていて、免税店に案内してくれた。当時の香港は免税品が安いことで人気があった。スイスの時計とかアメリカのゴルフクラブなど、安さに誘われ真偽のほどもわからず購入していた。 私が初めてダッカの空港に到着した時のカルチャー・ショックは大変なものだった。初めての海外ということもあったが、やはりこの国ゆえの独特なものがある。見る、匂う、味わう、そして聞こえる音、全てが強烈だった。しかし、その後この国に慣れるまでにそんなに時間はかからなかった。そしてここでの数年の経験が、その後いかなる国へ行っても驚かない下地を作ってくれた。 この国のことは、今では全てが、たとえ子供に石を投げ付けられたことすら、懐かしく思い出されてくる。 Bangladesh農村の夜明け
2024年04月23日
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Amazon Kindleで「すごい宇宙講義」を入手し、3時間×4日の一般公開講座を受講することにした。最近読んだ宇宙物のSF小説で、知識不足のために理解できないことが多かったからだ。暗黒物質やヒッグス粒子など、宇宙の根源的な謎がいま明らかになりつつある。研究の現場で何が起きているのか?基礎となる理論から最新の実験・観測の方法まで、異端の素粒子物理学者が100を超えるスライドと共にわかりやすく語った講座、とあり、わかりやすさに期待している。講師は、多田将(タダショウ)。現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所助教。Amazonでの宇宙学天文学での売上順位では147位とあまり人気のない講座だ。 しかし、テキストは揃えたが、未だ受講に至ってない。その後学ぶ気力が湧いてこないのだ。それにしても僅か数日後にこの心境の変化は何なのだ。これは老化の進行なのか、と自問自答している。 キンドルはモノクロなので、宇宙の画面がカラーで見られない。そこでタブレットで見てカラー画像が見られることも確認したのだが、それからサボっている。 タランチュラ星雲(星雲とは宇宙塵や星間ガスなどから成る天体)
2024年04月12日
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先日、通院の帰りにデパートの食堂街に昇り、迷った末に台湾の名店京鼎楼で焼きそばと小籠包のランチセットと決めて待ち6人目で入店した。京鼎楼は小籠包が有名な店で、日本でも人気の名店だ。しかしランチセットとは言え、名店なのに、焼きそばの白菜も筍も硬くて残し、小籠包は肉がパサつきで熱い肉汁の代わりにスープが入っている感じだった。後にこのスープが絶品と知るが、私は気に入らなかった。昔、錦糸町の小さい小籠包専門点で味わった熱々の肉汁が溢れる小籠包が忘れられないのだ。 京鼎楼の発音はジンディンロウ。鼎は音がテイ、訓がカナエ。中国で祭りに用いる三本脚の器を指す。これから3人での会話を鼎談と呼ぶようになったと知る。更に、鼎(カナエ)の軽重を問う、と言う熟語もある。 デパートは今売り上げが伸びていると言うが、千葉そごうは10階の昼飯時の食堂街と8階のロフトと、1階雑貨売り場は混んでいたが、男性物売り場も女性物売り場も4階のブランド品街も空いていた。疲れたので地下食品館までは確認できなかった。 千葉そごうは日本一の規模を誇る百貨店と聞いたが、現在売上減少で身売り話があり、ヨドバシカメラ提携話があり、といい話はない。しかし、今年は全館改装して再出発するそうだ。 京鼎楼入口の待ち椅子で
2024年03月30日
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すべての随筆(エッセイ)は自慢である、という格言を井上ひさしが残していた。確かに、こんなことをしたとか、こんな体験をしたとか、こんな文章を書けるとか、などなど。例え不幸な体験でもそれをエッセイにすれば不幸自慢になるのだ、と最近読んだ雑誌kotobaの「エッセイを読む愉しみ」の中でエッセイスト酒井順子は述べていた。 エッセイの達人はそのことを知っているので、自慢話を消すべく様々な工夫を施している、とも言う。そこで、ブログや老人会季報に載せている自分の記事(エッセイと言えるかどうか)を見返すに、なるほどと納得するところ多々である。 それでは如何に自慢話を消すのか、となるとこれは難しい。文章を作成するのに四苦八苦し、それが自慢話になっていないかと再チェックし、もう一度書き改める、と時間を消費するし、ストレスにもなる。しかし、どこまで対応できるかわからないが、世の名エッセイストに少しでも近づけるように努力しよう。なんて、これがまた自慢話に聞こえるではないか。 公園の午後四時
2024年03月26日
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日本の漫画作品ドラゴンボールの作者鳥山明氏が亡くなった。『週刊少年ジャンプ』にて1984年51号から1995年25号まで連載された超人気作品だ、そうだ。 私は漫画を見ないので、彼も、勿論彼の作品も知らなかった。彼が亡くなってから、新聞でもネットでも毎日のように頻出するので否でも作者名と作品名を知るようになった。 そしてある日、ネット記事を見ていたら、ドラゴンボールフュージョンなるものが出ていた。待てよ、これはどこかで見たことがある、と記憶を手繰り、そして思い出した。 2022年に散歩途中で、2人の小学生が手を組んで輪を作っているのを見て、スナップした。何をやっているのかわからなかったが、面白そうなので撮らせてもらったものだ。この写真をブログにも載せた。2022年2月26日のことで、やけに2の多い日だった。 そして今日、それが何を意味するか初めて知った。ドラゴンボールのフュージョン(合体)だったのだ、に違いない。 冬の公園で頑張る男
2024年03月12日
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2月は街の老人会の催しで、コンサートに続き、最近人気のeスポーツの体験会があった。千葉市の老人クラブ連合会から健康ゲーム指導士なる方に来てもらい、eスポーツなるものを教わり体験した。 若者に人気のテレビゲーム(コンピューターゲームとも言う)の対人型競技で、eはエレクトロニックを意味し、スポーツと言っているが、身体は頭脳と手の指先を使うだけで、健康麻雀と似通った競技だ。まぁ、ゲームに勝てば立ち上がって「勝った!」と万歳する動きもあるだろうが。またソフトによっては身体を動かすものもあるようだが、主としては反射神経による競技になる。 eスポーツは今や世界的競技としてプロが高額賞金を争う競技となっており、パリオリンピックにも、と話題になったほどだ。 この競技を高齢者向けに易しくしたゲームが、脳と指先の運動で認知症にいいと高齢者に推奨されるようになり、全国老人会の推奨競技となった。その効果としては、体を動かす、頭を使う、新しいことに挑戦する、他人とつながる、趣味を持つ、笑う、観戦し応援するなど盛り沢山に挙げられている。 今回老人会用として用意されたゲームは、ナムコが開発した「太鼓の達人」で、二人でリズミカルに太鼓をたたいて点数を争う初心者向け競技で、全員が参加し男女を問わず楽しんでいた。 私は、もともとテレビゲームには興味がなく、従って、任天堂のSwitchやソニーのPlaystationなど見向きもしなかった。それは私の趣味として写真があったので、パソコンはゲームより画像編集に多くの時間を費やしていたこともある。 老いてからは、動きの早い画面は目が疲れるのであまり見なくなった。テレビでのスポーツ観戦は野球はいいが、サッカーはボールの行方を追っていると疲れるし、眼科医院では視野検査のときもすごく疲れる。医者から次回は視野検査をと言われて、もっと間隔を開けてくれと注文を付けたこともあった。 と言うわけで、テレビゲームには関心がなかったが、老人会主催の体験会となると、役目柄出ないわけにはいかない。そしてeスポーツの体験結果は、けっこう楽しんではいたが、やはり私の柄ではないと感じていた。それに何万円も出してゲーム機を買うのならば、私はその分をカメラかスマホに注ぎたい。 eスポーツ体験会
2024年02月28日
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nVIDIAというアメリカの半導体会社が昨日の新聞を賑わしていた。日本の株式が29000円を30年ぶりに超えたと大騒ぎしている時だ。この会社がアメリカの株価を引き上げ、それが波及して日本の株価にも影響しているとのことだ。 このnVIDIAは、私のパソコンにもシールが貼ってある。半導体メーカーで特に画像関係の半導体に優れ、今流行の生成AIの発達によって需要が急上昇した、とある。新聞記事によると、直近3ヵ月の売上高は3.3兆円、純利益が1.8兆円、とその利益率の高さがひと際目を引く。株価もこの1年で3倍以上と急騰している。 東証プライムでは、最高益はアステリアの116%、2位が全国保証80%、3位が手間いらず72%とあった。だが、ここでいう利益率は営業利益率で、nVIDIAの純利益とは比較にならない。因みに、アステリアはソフトウエア開発会社だが、アメリカ企業に投資して一時的に大幅な利益を生んだもの、全国保証は住宅ローンの保証会社、手間いらずは宿泊予約業務だった。 nVIDIAの部品がなぜ私のパソコンに入っているかというと、新しくパソコンを探しているときに、特に画像が鮮明に出るものと条件を付けていたら、Lenovoの営業が注文に見合う物として見つけてくれたからだ。しかし、これは動画編集とかグラフィックデザイナーなどの要求に見合う物で、私にとってはいささか高級過ぎたようだ。 冬の貝塚公園
2024年02月24日
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老人会が毎年年に1回催している街のコンサートが盛況裡に終了した。毎年、頭を悩ます企画だが、最後にアンコールもあって無事終わればほっとする行事だ。演奏家や声楽家は、予算の都合上アマチュアの方に限られている。従ってその条件で来演していただける方を探すのはなかなか難しく、探し出しても日程が一致しない場合もある。 今回は、千葉市文化振興財団の「アーティストバンクちば」に登録されているユニットにお願いして来演していただいた。そのポップスユニット「くるみボタン」は、ヴォーカルにアコースティックギターとキーボードというトリオ構成だ。 昭和の名歌曲を中心に12曲歌っていただいたが、来場者はお年を召した方がほとんどなので、昔懐かしい歌にマスクの内で口ずさみながら、若き時代の感傷に浸ったことでしょう、私がそうだったように。 私はいつものように、ポスターやプログラムや会場の垂れ幕などを作成し、裏方として動いている。しかし、もう先が見えているので後継者を探しているが、パソコンを使える人が少ないので悩んでいる。 ポスター、演奏者
2024年02月15日
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巨匠小澤征爾が亡くなった。彼のLiveを一度だけ聴きに行ったことがある。場所は彼が23年間も音楽監督を務めたボストンコンサートホールだった。時は1996年9月、定年後の自適生活の折に、ボストンに在住していた息子夫婦の元を夫婦で訪ねた時だ。帰国後に紀行文を書いていたのでパソコンのモニターに引き出し、当時の想い出に耽った。 「ボストンの秋の音楽は小沢征爾指揮によるボストン交響楽団の演奏で始まる。 シーズン初日、シンフォニーホールの控えの間では、正装して集まったボストン子が開演前のひとときを、 振る舞われたシャンペングラスを片手に雑談に興じていた。舞台では団員が楽器の調整に余念がない。日本人奏者も二人ぐらいいるようだ。やがて6時30分、ライトが一段暗くなると、ざわめいていた座席が一瞬シーンとなる。 舞台奥から小沢が出てくると、場内には割れんばかりの拍手。 それに軽く会釈した小沢が壇上に上がり、 聴衆に背を向け、タクトをさっと一振りすると、ベルディのオペラ序曲が流れ始めた。 ある時は激しく、ある時は流れるように小沢の躰が軽快に動く。 やがて一演奏が終わると、聴衆が立ち上がって続ける拍手に小沢は再び舞台に現れて挨拶する。23年間ボストン子に愛されてきた「セイジ・オザワ」の人気はまだ衰えを見せない。 今夜は小沢の他に二つの目玉がある。今世紀最大のバイオリニスト、アイザック・スターン。そして、韓国の天才少女チャンのチェロ演奏。76歳のスターン、13歳のチャン。二人の華麗なる演奏に、聴衆は息を潜めて聞き惚れ、酔いしれていた。 二人に対する場内の拍手は小沢に優るとも劣らないものだった。ベルディに始まり、最後のドボルザークでの三者の共演までの6曲に満足した2時間だった。美術と音楽は、スポーツもそうだが、言葉の壁がないだけに外国人とも共感できるが、曲の合間でスターンが小沢やチャンについて語り、それに反応する聴衆の一員となり得なかったのはちょっと残念だった。」 この文を読み返すと、当時の情景が蘇る。セイジ、スターン、チャンが目の前で語り笑いあっている。、ボストンシンフォニーオーケストラの素晴らしさ、またホールの音響効果も世界トップクラスだとあるが、、それを聴き分ける音感を持たない私でも感動を得られたことは確かだ。ステージ近くの2階席だったが、よくチケットが取れたものだと今更ながら感謝している。 ボストンシンフォニーホール
2024年02月10日
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最近、宇宙もののSF小説に興味を持ち、ホーガンの小説の次にアンディ・ウィアーの「プロジェクト・ヘイル・メアリー」を読み始めた。ヘイル・メアリーとは、アメリカンフットボールのヘイルメリーパスのことで、試合終盤において、負けているチームが一か八かのロングパス(タッチダウン)を狙うプレイとあった。小説での題名としての意味は、宇宙船「ヘイル・メアリー」で、人類を救うためのミッションに挑むストーリーである。 これら宇宙小説を読むときは出てくる星の名前を覚える必要がある。恒星、惑星、衛星、彗星、小天体、準惑星など中学理科を復習し、太陽系は8惑星だが、小惑星は64万もあると知る。星の名前を見ていたら、太陽系惑星の記号が出て来た。ギリシャ神話とローマ神話から名付けられた名前とギリシャ文字からの記号がある。名前でわかったのは月のルーナと海王星のポセイドンは映画から、ガイアはガイアの夜明け(NHK)からだけだった。記号でわかったのは☾だけで。オス♂とメス♀が火星と金星とは何故・・・。しかし現在は星の名前は英語名でSun、Moon、Neptuneなどが用いられているそうだ。 太陽系外惑星が正式に確認されたのは30年ほど前からでつい先ほどのことだ。それでいて、現在は5,607個の太陽系外惑星が確認されており、恒星は4,135個が確認されている。 銀河系に2,000億個の恒星があると仮定すると、潜在的に居住可能な惑星は銀河系内に110億個存在していると見積もられているそうだ。 これら惑星の中に、たとえ人的形状でなくとも、何らかの生命体がいるのだろうか、と興味は尽きない。天文学者の多くが、「この宇宙のどこかに生命がいるのだろうか」とはもう問わなくなっているそうだ。代わりに研究者の頭の中にあるのは「我々が生きているうち、もしかしたら今後数年以内に、生命のしるしを検知できる」と前向きに考えているそうだ。 NASAは地球から39光年離れた場所にある恒星の周りに、七つの地球サイズの惑星を発見したと発表した。そのうち3個は生命に必要な液体の水が存在する可能性を示した。
2024年02月08日
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