『とんとこひ・セクスアリテ』

February 19, 2008
XML
カテゴリ: ヒジリ地名図鑑

万華鏡花

言 狂 葉 照



 「ふむ、あんな奴《やつ》の敷《し》いたものに乘《の》つかる奴《やつ》が有《あ》るもんか。彼奴等《あいつら》、おい、皆 乞食 《みんなこじき》だぜ。踊《をど》つてな、謡唄《うたうた》つてな、人《ひと》に銭《ぜに》よウ貰《もら》つてる乞食《こじき》なんだ。内《うち》の父樣《おとつさん》なんかな、能《のう》も演《や》るぜ。む、謡《うたひ》も唄《うた》はあ。而《さう》して上手《じやうず》なんだ。而《さう》して然《さ》ういつてるんだ。眞個《ほんと》のな、お能《のう》といふのは男《をとこ》がするもんだ。 男《をとこ》の能《のう》は眞個《ほんたう》の能《のう》だけれど、女《をんな》のは 乞食 《こじき》だ 。そんなものが敷《し》いて寄越《よこ》した蒲團《ふとん》に乘《の》るとな、 汚《けが》れる ぜ。身《からだ》が 汚《けが》れ らあ。ひちりけつばいだ、退《ど》け!」



 踏《ふ》みこたへて、
 「何《なに》をする。」
 「何《なん》でえ、おりや士族《しぞく》だぜ。退《ど》け!」
 國麿《くにまろ》は擬勢《ぎせい》を示《しめ》して、
 「汝平民《きさまへいみん》ぢやあないか、平民《へいみん》の癖《くせ》に、何《なん》だ。」
 「平民《へいみん》だつて可《い》いや。」
 「ふむ、豪勢《がうせい》なことを言《い》はあ。平民《へいみん》も平民《へいみん》、汝《きさま》の内《うち》や藝妓屋《げいしやゝ》ぢやあないか。藝妓《げいしや》も 乞食 《こじき》も同一《おんなじ》だい。だから 乞食 《こじき》の蒲團《ふとん》になんか坐《すわ》るんだ。」


 われは恥《はづ》かしからざりき。娼家《しやうか》の兒《こ》よと言《い》はるゝ毎《ごと》に、不斷《ふだん》は面《おもて》を背《そむ》けたれど、恁《か》ういはれし此時《このとき》のみ、われは恥《はづか》しと思《おも》はざりき。見《み》よ、見《み》よ、一《ひと》たび舞臺《ぶたい》に立《た》たむか。小親《こちか》が輕《かろ》き身《み》の働《はたら》、躍《をど》れば地《ち》に褄《つま》を着《つ》けず、舞《まひ》の袖《そで》の翻《ひるがへ》るは、宙《そら》に羽衣懸《はごろもかゝ》ると見《み》ゆ。長刀《なぎなた》かつぎてゆらりと出《い》づれば、手《て》に抗《た》つ敵《てき》の有《あ》りとも見《み》えず。


足拍子踏《あしびやうしふ》んで大手《おほで》を擴《ひろ》げ、颯《さつ》と退《ひ》いて、衝《つ》と進《すゝ》む、疾《と》きこと電《いなづま》の如《ごと》き時《とき》あり、見物《けんぶつ》は喝宋《かつさい》しき。輕《かろ》きこと鵞毛《がまう》の如《ごと》き時《とき》あり、見物《けんぶつ》は喝采《かつさい》しき。重《おも》きこと山《やま》の如《ごと》き時《とき》あり、見物《けんぶつ》は襟《えり》を正《たゞ》しき。うつくしきこと神《かみ》の如《ごと》き時《とき》あり、見物《けんぶつ》は恍惚《くわうこつ》たりき。かくても見《み》てなほ 乞食 《こじき》と罵《のゝし》る、然《さ》は乞食《こじき》の蒲團《ふとん》に坐《ざ》して、何等疚《なんらやま》しきことあらむ。われは傲然《がうぜん》として答《こた》へたり。



 「可《い》いよ 乞食 《こじき》、 乞食 《こじき》だから乞食《こじき》の蒲團《ふとん》に坐《すわ》るんだ。」
 「何《なん》でえ。」

 國麿《くにまろ》は眼《まなこ》を圓《つぶら》にしつ。
 「何《なん》でえ、乞食《こじき》だな、汝乞食《さきまこじき》だな、む、乞食《こじき》がそんな、そんな縮緬《ちりめん》の蒲團《ふとん》に坐《すわ》るもんか。」


 「可《い》いよ、可《い》いよ、私《あたい》、私《あたい》はね、こんなうつくしい蒲團《ふとん》に坐《すわ》る乞食《こじき》なの。國《くに》ちやん、お菰敷《こもし》いてるんぢやないや。うつくしい蒲團《ふとん》に坐《すわ》る乞食《こじき》だからね。」
國麿《くにまろ》は赤《あか》くなりて、
 「何《なに》よう言《い》つてんだい。おい貢《みつぎ》、汝《きさま》そんなこと言《い》つて可《い》いのかな、歸途《かへり》があるぜ。」 ・・・
「へ、あやまるかい。うむ、あやまるなら可《い》いや。ぢやあ可《い》いから、な、其座蒲團《そのざぶとん》に一寸己《ちよつとおら》をのツけてくれないか、其處《そこ》を退《ど》いて。さあ、」


 國麿《くにまろ》はヌと立《た》ちつゝ、褄取《つまと》りからげて、足《あし》を、小親《こちか》がわれに座《ざ》を設《まう》けし緋鹿子《ひかのこ》に乘《の》せんとす。止《や》むなく、少《すこ》しく身《み》を退《ひ》きしが、唯見《とみ》れば足袋《たび》を穿《は》きもせで、そこら跣足《はだし》にてあるく男《をとこ》の、足《あし》の裏太《うらいた》く汚《よご》れて見《み》ゆ。こゝに乘《の》せなばあとつけなむ、土足《どそく》に此《こ》の優《やさ》しきもの踏《ふ》ますべきや。
 「いけないよ。」
 「何《なん》だ ‥‥‥ 」 ・・・


「もし、旦那樣《だんなさま》、あの、乞食《こじき》の蒲團《ふとん》は、否《いや》です、私《わたし》が貴方《あなた》にや敷《し》かせないの。私《わたし》の蒲團《ふとん》です。渡《わた》すことはなりません。」
 と聲最《こゑい》とすゞしくいひ放《はな》てり。



 「よく敷《し》かせないで下《くだ》さいました。お前《まへ》さん、何處《どこ》も何《なん》ともないかい。酷《ひど》いよ、亂暴《らんばう》ツちやあない。よくねえ、よく庇《かば》つて下《くだ》すツたのね。樂屋《がくや》で皆《みんな》がせりあつて、やう/\私《わたし》が、あの私《わたし》のを上《あ》げたんですもの。他人《ひと》に敷《し》かれて堪《たま》るものかね、お歸《かへ》りよ、お歸《かへ》り遊《あそ》ばせよ。あなた!」
 「何《なん》でえ、乞食《こじき》の癖《くせ》に、失敬《しつけい》な、失敬《しつけい》ぢやあないか。お客《きやく》に向《むか》ツて歸《かへ》れたあ何《なん》だい。」


 「おからだの 汚《けがれ》 になります。ねえ。」
 とわが顔《かほ》に頬《ほゝ》をあてゝ、瞳《ひとみ》は流《なが》るゝ如《ごと》く國麿《くにまろ》を流眄《しりめ》に掛《か》く。國麿《くにまろ》は眉《まゆ》を動《うご》かし、
 「馬鹿《ばか》、年増《としま》の癖《くせ》に、ふむ、赤《あか》ン坊《ばう》に惚《ほ》れやがつたい。」
 「え、」
 と顔《かほ》を赧《あか》らめしが、
 「何《なん》ですねえ、存《ぞん》じません。何《なん》の、贔屓《ひいき》になすつて下《くだ》さるお客樣《きやくさま》を大事《だいじ》に為《し》たつて、何《なに》が、何《なに》が、をかしうござんすえ。」
 「をかしいや、そんな小《ち》ツぼけなお客樣《きやくさま》があるもんか。」


 「あら、私《わたし》ばツかりぢやありません。姉《ねえ》さんだツて、然《さ》ういひました。そりや御贔屓《ごひいき》になすツて下《くだ》さるお客《きやく》も多《おほ》いけれど、何《なん》の氣《き》なしに唯《たゞ》おもしろがつて見《み》て下《くだ》さるのは此《こ》のお兒《こ》ばかり。あなた御存《ごぞん》じないんでせう。當座《こちら》ではじめてから毎晩《まいばん》、毎晩來《まいばんき》て下《くだ》すつて、あの可愛《かはい》らしい顔《かほ》をして傍見《わきは》もしないで見《み》て居《ゐ》て下《くだ》さるぢやありませんか。此《この》お年紀《とし》で、お一人《ひとり》で、行儀《ぎやうぎ》よく終番《しまひ》まで御覧《ごらう》なすつて、欠伸一《あくびひと》ツ遊《あそ》ばさない。



 手品《てじな》ぢやアありません、獨樂廻《こままは》しぢや有《あ》りません。球乘《たまのり》でも、猿芝居《さるしばゐ》でも、山雀《やまがら》の藝《げい》でもないの。 狂言 《きやうげん》なの、お能《のう》なの、謡《うたひ》をうたふの、母樣《おつか》さんに連《つ》れられて、お乳《ちゝ》をあがつて在《い》らつしやる方《かた》よりほか、こんな罪《つみ》のない小兒衆《こどもしう》のお客樣《きやくさま》がもウ一人《ひとり》ござんすか。



 目《め》につきました、目立《めだ》ちました。他《ほか》のお客樣《きやくさま》には何《ど》うであらうと、此《こ》の坊《ばつ》ちやんだけにや飽《あ》かしたくない。退屈《たいくつ》をさしたくない、三十日《にち》なり、四十日《にち》なり、打《う》ち通《とほ》すあひだ來《き》ていたゞきたい、おもしろう見《み》せてあげたいと、然《さ》う思《おも》つたが何《ど》うしました。‥‥‥



 眞個《ほんたう》に藝人冥利《げいにんみやうり》、恁《か》ういふ御贔屓《ごひいき》を大事《だいじ》にするは當前《あたりまへ》でござんせんか。しのぶも、小稻《こいな》も、小幾《こいく》も、重子《しげこ》も、みんな弟子分《でしぶん》だから控《ひか》へさして、姉《ねえ》さんのをと思《おも》つたけれど、私《わたし》の方《はう》が少《わか》いからお對手《あひて》に似合《にあ》ふといふので、私の座蒲團をあげたんですわ。何も年増《としま》だの、何のつて、貴方に、そ、そんなことを言はれる覺えはない!」
 と太《いた》く氣色《けしき》ばみ言ひ開きし。・・・




 旧の彼の酒屋の土蔵の隣なりし観世物小屋は、あとも留めずなりて、東警察とか云ふもの出来たり。・・・
 何か苦しかるべき。この姿して、この舞台に立ちて、われは故郷の知人に対して聊かも恥づる心なかりしなり。
 されども知りたるは多からず。小路を行交ふ市人も凡てわが知れりしよりは著しく足早になりぬ。活計(たつき)にせはしきにや、夜毎に集ふ客の数も思ひ較ぶればいと少なし。・・・
















※補足

『文明開化と差別』
著者: 今西一
出版社: 吉川弘文館
発行年月: 2001年10月





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  February 19, 2008 05:34:03 PM
コメント(0) | コメントを書く
[ヒジリ地名図鑑] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

himeda

himeda


© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: