『とんとこひ・セクスアリテ』

December 22, 2008
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カテゴリ: ヒジリ地名図鑑


クール増補版覚書(昭和十八年六月)よりの抜粋にてご紹介・お薦めに代えさせて頂きます^^



妙清 は王宮に仕へてゐる 白寿翰 といふ者と、予てより親しくしてゐた。それでこの寿翰を通じて、 仁宋王 に「一度 西京 へ行幸なさるやうに」と、お勧めした。
寿翰も同じ 西京 の生れである上に、やはり 陰陽 で禄を食んでゐる日官であつた。 陰陽師 が二人がかりで、方角がどうの、吉凶がどうのと、説きたてるのだから訳はない。王も嘉納して、五年の二月、つひにこの行幸が実現された。



西京 へ迎へられた王は、そこへ五ヶ月もとどまつて、その年の七月、都の 開城 へ還御された。ところが、この行幸は、 妙清 寿翰 にとつては、まだほんの小手調べに過ぎなかった。



〈王都には色々と禍がつづき、宮殿まで殆ど焼かれてしまつた。この機会に王室を説き伏せて、都を 西京 に移すことが出来れば、その手柄によつて自分たちは功臣に列なり、子孫万代に至るまで栄耀をきはめることが出来る〉
 これが、二人の 陰陽師 の謀し合わせた本当の胆であつた。



 この計画は目立たぬやうに、ごく慎重に進められた。大臣の中に 西京 出身で 鄭知常 といふ者がゐたが、 妙清 たちは、やがてこの 知常 を味方に引入れた。
知常 は、悪企みといふよりも、二人の口車をまる呑みに信じてしまつた。それに功臣になれるといふことが、まづ何よりも心を惹いた。
知常 の口から説かれて、 金安 洪い 李仲俘 などの近臣、それに 文公仁 林景清 などといふ大臣たちが、つぎつぎと抱き込まれた。



「宮室が灰になつたといふのも、つまりは都の地勢が衰へてゐるからである。 西京 は王城の地として申し分のないところ、それに、 妙清 こそは 人ともいふべき人で、この人が説くからには万々誤りはない。王様にお勧め申して、是非とも王都を 西京 へ移すやうに計らうではないか」



 誰もが 陰陽説 に惑はされてゐた時だから、かういふ風に説き立てられて反対をする者はない。
「よろしうござる」「結構なことで---」と、即座に意見がまとまり、最後に王に奉る建白書へ一人一人が名を書くことになつた。
ところが、重臣の中で、 金富軾 と、あと二人の人が反対して聴かない。
已むなく三人の反対者を除いて宮中の緒も重立つた臣下は全部署名を済ませ、これが王の前に差し出された。



to be continued.








































出版社 発行所=天佑書房
著 者 金素雲
発行年月 1943(昭和18)年1月1日


手書きハート内容情報
確かな史眼と熱情で語る高麗・李朝の一千年の歴史。

高麗の建国;
千秋太后;
灰になった宮殿;
西京の乱
武臣天下二百年;
贈送蓮花片;
高麗最後の日;
善竹橋の血痕;
李太祖と無学大師;
端宗六臣;
恵みの雨;
柳の葉;
隣の柿;
刑場の志士;
紫衣娘子;
宣祖から正祖まで;
摂政大院君




金富軾 (きん ふしょく 1075年 - 1151年)








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Last updated  December 24, 2008 01:42:37 PM
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