Freepage List

2005.05.21
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類


 屋上で八重草からの頼みを果たしてから、わたしは真っ直ぐに家に帰った。着替えると、そのまま店へ出る。家から出るときに少し覗いたリビングで、母は幼い弟を胸に抱いていた。わたしと弟は、歳の離れた姉弟だった。わたしはたまに彼を母の真似をして胸に抱いたけれど、どこか落ちつかなかった。彼は弟というより、わたしの子供のようだった。彼はわたしが扱うには、あまりに脆いように思えた。それは愛おしさより、嫌悪をわたしに与えた。小さな弟への嫌悪ではなかったと思う。彼は単に無垢であり、無邪気に振舞っているにすぎない
 客の訪問を告げる小さな金属音が響いたとき、わたしはカウンターの中で戦争が終わってすぐ書かれた小説を読んでいた。父は奥で事務をやっていて、店にはわたし一人だった。島野はまっすぐとカウンターへやってきた。
「こんばんは」
 わたしは島野の挨拶を聞きながら、彼の顔を見つめた。屋上で見せた、苦い薬をこらえるような表情ではなかった。どこか研ぎ澄まされた感じがしていた。だから、わたしには彼がなにをしに来たかわからなかった。けれど、偶然ここに入ってきたには、できすぎていた。
「ここ、朝岡のお母さんに教えてもらった。すぐに話したいことなら、出かけて行ったらって」
「それで来たわけ? 学校で話せないことなの?」
「話せない、と思ったから。学校はゆっくり話すには、いろんなことが詰まり過ぎてるだろ? それに、夜じゃなきゃ話せないこともあるし」
 大人なのね、と皮肉ろうとして、わたしは口をつぐんだ。新しいお客さんが入ってきて、週刊誌と飲料水を無駄のない経路で取ると、レジへやってきた。よく来てくれる人で、暇なときなどに、わたしに話しかけてくれる女性だ。彼女はわたしが商品を入れて渡したビニール袋を握りながら、「彼氏?」と微笑んだ。わたしは苦笑いで首を振ると、
「同じクラスなだけです。単なる友達、でもないくらいの関係です」
と言った。彼女は信じるとも信じないともわからない曖昧な眼差しで、
「間違いを起こせるのは若いうちだけ。歳をとると、間違いを無理にでも本気にするようになるから」
と歌うようにして言って帰っていった。香水の甘い匂いだけが、彼女が去ったことを告げていた。わたしはぼんやりと、大人の女性は、コンビニに来るのにさえ肌に香水を落とさなければならないんだな、と考えた。島野は商品を見ている振りをしていた生活用品コーナーから戻ってくると、
「ここもあんまりゆっくりとは話せないみたいだな」
と言った。
「ゆっくりと話せるようだったら、うちの家計がまずいんだろうけど。今日はこれでもお客さん、少ないんだけどね。立ち読みでも誰かいてくれた方が、他のお客さんも来てくれるんだけど」
「ここ、何時に終わるの?」
 島野が言ったとき、奥からお父さんが戻ってきた。父は島野を見ると、わたしに「彼氏かい?」と訊ねた。わたしはまた苦笑いをして、首を振った。すると父は島野に、「きみは陽子の彼氏なの? 陽子はきみの彼女なの?」と楽しそうにたずねた。わたしは呆れながら島野の反応を見ていた。島野は少し考え込み、そしてこちらは真剣な表情をして、
「僕の彼女は死にました。そのことで、朝岡さんに用があってやってきました。朝岡さんの仕事が終わるまで、待っていてもいいですか?」
と言った。父はそれを聞いて、穏やかな人で柔らかく笑っていたけれど、そのとき不意に一瞬だけ、精悍な表情になったのをわたしは見た。それはわたしが見たことのない父の表情だった。父はわたしに片目をつむって見せると、
「陽子、きみに1時間の休憩を与える。好きなものを持っていっていいから、ゆっくり話してきなさい」
と言った。わたしはなにか言い返そうとしたけれど、結局は黙り込んだ。父の言葉には揺らぎはなかったし、島野のことも気になった。店の制服代わりの前掛けを父に渡すと、カウンターの外に出る。ペットボトルが並ぶ棚から適当に2本選ぶと、父に向かってそれを振って見せ、外へ出る。
 昼間には公衆電話の受話器にさえ指を絡めていた太陽の熱は、夜になってすっかり力を失っていた。ときおり拭きつける風に、肌寒いまでの月の下だった。綿毛が絡まったように、月光は県道を柔らかく照らしている。わたしたちはその中に2本の影を伸ばし、そっと辺りを見回した。座れるような場所はなかった。
「ここで話す?」
 わたしは振りかえり、島野に尋ねた。店の中から零れる光に、駐車場は明るい。
「少し歩くけど、いいか? 堤原公園に行きたいんだけど」
 わたしは店の明かりに逆光で暗い島野を見つめた。その公園の名前がどこに出てきたかは、すぐさまわかった。それは八重草の日記の最後のページに記されていた。わたしは島野が考えていることがわからなかった。風の冷たさにではなく、島野への期待にわたしの身体は震えた。わたしは歩き始めた彼の後に続きながら、ありそうでなさそうな様々なことを考えた。わたしの心は久しぶりに熱くなっていた。口の中が乾いて、うまく声をかけることができない。今になって思えば、わたしはある妄想に捉えられ、静かに興奮していたとしか思えない。島野が八重草の後を追い、その公園で死ぬのかもしれないという期待。あまりに感傷的すぎるその予想は、もちろん成立しなかった。けれど、島野の死を明確に意識できないところであるにしても考えたことは、わたしにさえ罪の切り傷をつけた。嘘をついていること、死を望んだこと、そうしたことを重ねているうちに、人は従順になっていくのかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2005.05.21 12:49:51 コメント(1) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

ひみ@喉

ひみ@喉

Comments

ゆう@ とうとう出ちゃったね うわさは本当だったよ。 <small> <a hre…
ミーシャ3216 @ ひみとさんへ 最後まで、楽しく読ませていただきました…
ミーシャ3216 @ ひみとさんへ 抱かれちゃうんだ・・。
ミーシャ3216 @ Re:『かなりあ』(11)(06/07) う。。どうなるのでしょうか・・(//・_・/…
ミーシャ3216 @ うん・・。 >とりあえず、わたしはでたらめだった。…

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: