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放課後になって島野に呼び出された。彼に連れられて教室を出ようとするときに後ろを振り返ると、例の3人組がにやけながら手を振った。 この前は夏の面影を残していた屋上は、すっかり肌寒い場所になっていた。学校のどこも温かいわけではないけれど、風を遮るものがなくただ吹き抜けるだけのここは、最初に冬が訪れそうな気配だった。わたしと島野は透明な匂いのするフェンスの側に、自然と寄り添うようにして立った。 島野はわたしを忘れたようにして、遠くに沈もうとしている夕陽を眺めていた。一日が終わろうとしている時間で、フェンスの向こうには昔と変わらない様子でサッカ-をしている人たちが薮蚊のように散っていた。なにも変わらないようで、わたしを押しやる確かさをもって季節は流れていた。「朝岡って、俺のこと好きなの?」 急に切り出した島野の素直さに、わたしは小さく笑って見せようとして、喉がひきつるのを感じた。笑みにはならずに、わたしを押し流そうとした動きは消えていった。島野の鈍さにわたしは苛立っていた。それなのに、わたしは自分の感情すら知らなかった。「島野はわたしのこと好きなの?」 首を振ったように見えて、「わからない」 深く尋ねようとは思わなかった。島野があっさりとわたしを好きと言ったなら、悲しかっただろうから。けれどどうしてか、望んでいたはずの島野の答えにも頷けなかった。それきり言葉は途絶えて、しばらくしてから島野は思い出したように、わたしを抱きしめた。 わたしと島野は、恋人のようなものになった。島野は八重草を忘れたように見えたけれど、わたしたちの間で一言も八重草の話が出なかった。そうしたことがわかるはずもなく、死んだ恋人を裏切ったように見える島野に、同じクラスの女の子たちは近く遠くに悪口を囁くようになった。島野は気にしないようだったし、わたしも元々から彼女たちと疎遠だったから、たいした問題ではなかった。 わたしたちは街の至るところでデートを重ねていった。わたしは八重草の日記に出てくる場所を街の地図の上に赤いペンで印をつけ、そしてわたしと島野がデートした場所に青い印をつけていった。そして八重草と同じように、わたしも島野に関する日記をつけ始めた。卒業するまでの間にわたしは1冊のノートを島野のことで埋めた。 島野が東京の大学に通うために引っ越しをする日、わたしは八重草のノートとわたしのノートを島野に渡そうとした。島野は最初の数ページを適当にめくって眺めてから、わたしに2冊のノートを返した。わたしも、あえて島野に渡そうとは思わなかった。わたしには最後まで、島野が八重草を忘れたかどうかはわからなかったから。彼はわたしを見ているようで、向こう側に八重草を見ていたような気がする。わたしは生きているのだから、ある場所では八重草は消えていったのかもしれない。けれど、わたしはそのことで島野を問い詰めるほどには、幼くはなれなかった。言うことのできなかった問いを残したまま、島野は東京に行き、わたしは小さな街に残った。 別れてから2年目の秋に、島野もまた死んでしまった。友達と飲みに行った店で、他の酔っ払いと喧嘩して頭を打ったらしかった。ひっそりと行われたお葬式に、わたしは母から借りた黒いスーツを着て出かけた。とても退屈な式だった。わたしは笑うことも泣くこともできず、花で埋められた祭壇に飾られた島野の写真をぼんやりと見つめてばかりいた。 わたしにはそのとき既に新しいボーイフレンドがいたけれど、島野の死は身体の奥深いところで確かな痛みを与えた。わたしはそのときまで島野のことをあまり思い出さなかった。新しい恋人ができてからは、たまに彼の言葉や行為に島野の影を重ねることはあったけれど、すぐに消えていった。島野は過去の人間になっていたはずだった。 島野の葬式から帰ってわたしはすぐに部屋に篭もり、1週間の間、水だけを飲んで暮らした。そんなことをしても島野が生き返るわけでもなかったけれど、わたしにはどうすればいいのかわからなかった。わたしは2冊のノートを何度も読み返し、読むのに疲れると、腹筋運動を繰り返した。不思議と、空腹は感じなかった。わたしの部屋の天井はとても薄暗くて、夜になると、わたしごと地面の深いところに埋められてしまったようだった。 1週間たっても、なにも変わらなかった。わたしは相変わらず生きていて、島野は相変わらず死んでいた。2人の立場が逆転することはなかった。わたしは夜中に部屋から出ると、ポタージュスープを飲んでから、ボーイフレンドの家に出かけた。そして何度もセックスを繰り返した。食事の足りないわたしの身体は眠ったままで、なにをしているか良くわからなかった。ただ、意識だけがひどくはっきりしていて、身体を動かしている彼の顔を丁寧に見ていた。 わたしは彼が眠りについたのを見届けてから、シャワーを浴びて外に出た。涼しげな風が通りぬけて、わたしの髪を乾かしていった。わたしはどこかの喫茶店が店の外に並べているテーブルの椅子に腰掛けると、人の姿が絶えた通りを眺めた。こんなことをしていても、なんにもならなかった。大学もいつまでも休んでいるわけにはいかなかった。決して、どこかへ旅立ちたいなんて思わなかった。 わたしは椅子の足をいくつか浮かせて空を見上げながら、これからのことを考えた。わたしは大学を卒業すると、あまり大きくない会社の事務員になる。数年して結婚し仕事を辞め、二人の子供を産む。夫ではない何人かの男性に心ひかれるけれど、全てが小さな遊びのまま消えていく。子供は大きくなっていき、わたしはそれに小さな悲しみの混じったたくさんの喜びを感じる。毎日は何度も繰り返していく。大きな事件もなく、子供たちはそれぞれの人生を選んでいく。わたしと彼らの生活は時に交じり合い、それでも一つになることはない。わたしは少しずつ老いていく。砂の城が少しずつ、風に流れるように。そして静かに消えていくだろう。 わたしは目をつむると、街の中に広がる音を聞こうとした。闇はその深さを何層にも重ね、わたしを包んでいる。その中を貫くようにして、わたしは聞こえないはずのものを聞こうとしていた。わたしが愛した人は、壊れやすくできていた。島野に消えることのない傷をつけたのは八重草なのだろう。わたしが気にすることはないのかもしれない。それでもわたしが掴んだと信じようとしたものが壊れてしまったことは。どうしてだろうか、機械的な水の冷たさを頬に感じた。指の流れをたどると、眼の縁が柔らかな温かさに濡れていた。目はつむっているはずなのに、その冷たさは消えることはなかった。わたしは彼が壊れた音を聞き集めようとしていた。けれど朝になっても、わたしには生きた世界の音しか聞こえてこなかった。
2005.06.12
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そして結局、わたしはなにも言えなかった。やすい方をわたしは選んだ。言葉は難しく、島野の手に自分の手を重ねることは簡単だった。島野の指が優しいことが、わたしを苛立たせ、そして悲しかった。島野は八重草ではない数多くの女性をこれから抱いていくのだろうと、薄い汗が匂う島野の喉へ頬を寄せながらわたしは考えていた。せめて島野が壊れた鍵のように荒れていたなら、わたしは名前を持つことができた。けれど島野は優しくて、わたしの方が彼を必要としていた。わたしはわたしではなく、八重草ではない女として島野に抱かれようとしていた。それは終わりではなく、始まりだった。ゆっくりと傷を癒していくだろうね、とわたしは痛みとともに胸の中で島野に言った。 わたしは長いあいだ島野に抱かれていた。ベッドで、わたしはゆっくりと動けなくなっていった。もちろん、わたしの身体だけが勝手に。わたしもなにかをやろうとしたけれど、足がうまく動かなかった。ただ、島野が唇を重ねてくることには応じることができた。島野がなにかをするたびに、わたしは水に濡れていった。島野には欲望の気配がなくて、ゆっくりとわたしを愛撫するその手は、まるで墓を掘る人のようだった。わたしの身体は狂いそうだった。熱を帯びる肉体の中で、わたしの言葉は閉じ込められていた。 長い時間をかけて1度目が終わって、わたしはトイレに行って黙ったまま涙をこぼした。それは嬉しさでもなく悲しみでもない、名付けられることのない感情がわたしを動かしたにすぎなかった。涙は便器に溜まっている青い洗浄水の中に、音もなく混じっていった。上を向くと、白い電燈が綿のようにぼやけて見えていた。頬から喉へと涙は流れ落ち、薄い胸までもその涙は落ちていった。わたしは自分に涙を流せとも命じなかった。手のひらでそれを擦ってなかったことにすると、わたしはベッドに戻った。 わたしたちは島野が用意した紅茶と苺ジャムを塗ったクッキーを食べ、再び身体を重ねた。それは朝まで何度か繰り返された。わたしは乾くことを知らなかったし、島野も絶えなかった。そしてカーテンの隙間が白じむころになって、わたしたちは抱き合ったまま眠りに落ちた。そして、それぞれ違う夢のなかにわたしたちは吸い込まれていった。 目覚めた時に、わたしはべっとりと汗をかいていた。シーツが肌にはりつき、カリカリと音をたてながらわたしはそれを剥がしていった。白い光が床を埋めて、熱が厚く部屋に篭もっている。わたしは窓を開けるためにベッドから降りようとして、島野の指が手首に絡んだ。それを振り払って、「八重草さんが書いてたのは本当だったんだ。島野はこういうとき、優しいね」まぶたが落ちそうになるのを堪えた。八重草のノートにはそんなことは書いてなかった。彼女が残したノートには島野が書かれていたけれど、このことだけはすっぽりと抜け落ちていた。もしかして恥じらいが、たぶん書ききれないということが、彼女のペンを止めてしまったのだろう。島野は黙ってわたしを見つめ、それから光を支えきれないカーテンへと眼差しを移した。わたしはベッドから降り、カーテンを大きく開いた。落ちていきそうな青い空が広がっていた。「もしかして、それを言うために?」それを言うために? しばらくして島野がぽつりと言ってきたことがなにを指しているのか、わたしにはわからず、ゆっくりと記憶をたどった。こういうとき島野が優しい、とわたしは言ったのだった。わたしはこれを言うために? 島野はどういう表情を浮かべていたのだろうか。(しっかりと思い出せ、という声がどこかから聞こえてくる。だけど、人の表情はとても曖昧で、そして嘘をつくことができる。)島野が笑っていたなら、わたしは怒ることができたかもしれない。そして、見下すことができて、やっぱり馬鹿な男だったと終わらせることができたはずだ。けれど、わたしがそのときのことを思い浮かべると、どうしても島野は笑っていることができない。島野はたぶん、思いついたままに問いを口にしたのだ。わたしはなにも否定せず、そして認めなかった。 夕方になって島野から離れた。家に帰ったわたしを、両親は咎めはしなかった。わたしにはいつのまにか、友達の家に泊まったというアリバイが作られていた。知らないところで増えていく借りに薄く笑いながら、ぼんやりと島野の身体を思い出していた。何気なくソファーの上の弟を抱いて、彼は小さな塊が溶けるように激しく泣き始めた。そんなことは今までなくて、母に弟を任せて自分の部屋に帰ると、鏡の前に立った。わたしのどのような小さなところも、昨日となにも変わっていないように見えた。少なくとも、自分では見つけることができなかった。
2005.06.12
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誰が言ったわけではないけれど、不意に帰る時間になった。わたしたちはそれぞれ島野に適当な別れの挨拶をして、部屋を出た。広がっている街は、薄暗い煙の中で暮らしている老人のようだった。闇を編んでいる粒がわたしたちをほぐしたのだろうか、帰りの道は誰とも身体がぶつからなかった。自然と話が途切れるようになって、わたしは小さく呟いた。「忘れ物したから、戻る」「島野の家? それじゃ、戻ろうか」と誰かが言って、3人が道を引き返そうとするのをわたしは押し留めて言葉を重ねた。「1人で行くから」 その言葉の意味を探るように3人は黙り込むと、お互いに顔を見詰め合った。わたしの言葉に含意を読み取るのは容易かったし、わたしも特に隠そうとしていたわけではなかった。既に決めていたのだし、3人がなにを言おうと変えることはもうなかった。「1人じゃないと駄目なの?」 頷いたわたしに、3人はなにも言わずに再び歩き始めた。わたしも、彼女たちとは逆の道へと引き返していく。少ししてから、彼女たちの1人が走ってきてわたしを呼び止め、「私も彼氏いるから」と言うと、小さな箱をわたしに手渡してまた走り去っていった。街灯の下でその箱を開けてみると、中にはコンドームが入っていた。外装には12個入りと書いてあり、残っていたのは8個だった。わたしは不思議な生々しさを感じた。口の中に苦い草の味が広がり、その箱を投げ捨てようとした。けれど、指が離れなかった。わたしはなにかを道に捨てることに慣れていなかったし、島野とセックスをするならそれが必要だった。 わたしは島野の家へ戻って、なにをするつもりだったのだろう? そのときのわたしは、なにも準備をしていなかった。そもそも島野の家へ行ったことも、偶然だった。ただ、わたしの中でずっと溶けないで残っていたもの、剥がれ落ちた爪のような朗らかさと痛みの混じったもの、その部分、それがわたしを静かに引いていた。どこへ? それはわからなかった。ただ、島野になにかを言わなければならないという感触だけがわたしを包んでいた。 引き返す道は、わたしの中で言葉をまとめるには短すぎた。そして、一度でも躊躇すればその道は長すぎるということもわたしは知っていた。なにかを考えようとして、電灯の光が届かぬところで静かに声を立てる闇のように、すぐに思考は不定形になり、霧散し、湧きあがった。オートロックのインターホンへ呼びかけるときに、その闇は明確な形をとった。忘れ物をした、というわたしの言葉に、島野は素直に扉を開いた。1人には広いエレベーターには、さっきは気づかなかったかび臭さが漂っていた。 島野はソファーにもたれかかり、テレビの画面へと目をやっていた。二人組みのお笑い芸人が、透明なコップを手にして、よくわからない会話をかわしていた。わたしは黙ってテレビの画面を見つめた。ときおり、笑い声がどこからか聞こえては、場面が次々と移り変わっていく。わたしはしばらく気づかれなかった。ニュースへとうつったところで、ようやく島野はわたしを振りかえった。わたしはその間に、言葉を無くしていた。「来てたのか。なにを忘れた?」わたしは目を細めて、ゆっくりと考えた。そして、「なにも」と答えた。わたしの中でしっかりとした形を持っていたものは、すぐに壊れていった。たぶん、島野が好きだ、と言うことはできた。けれどなにも言わずに、彼の隣に座った。ソファーに二人並んで、わたしは島野を見ることができなかった。唇を開くことさえ、熱い鉛に包まれたような重さを感じた。自分の吐息が熱く、それが自分が野蛮なものであることの印のようで恥ずかしく、島野に気づかれないように鼻の裏でそれを押し殺した。言うべきことを決めていたつもりでそれは簡単に消えてしまい、ただわたしの身体だけが残っていた。死んだ人だって、身体は残るというのに。
2005.06.07
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夏はいつまでも続くわけではなく、白いブラウスの袖が、手首まで細く覆うようになった。その上に紺色のブレザーを重ねるには早く、ある人はまだ夏の名残を引きずって二の腕までを見せていたし、日差しの陰にふとした風を感じる人たちは腕を隠した。健康ではあるけれど寒さに弱いわたしは、早々と長袖に衣替えしていた。たぶん、四季の狭間に休符のように訪れるこうした数日だから、わたしは島野に愛することが可能だった。半袖のブラウスは軽すぎるし、長袖のブレザーは重すぎた。たぶん、愛することができたのだから、愛さないこともできたと思う。正直に言えば、愛していたと言うことすら不安だ。4つの海に対してその中で泳ぐ人魚ぐらいには、無関心に愛が混じっていたのかもしれない。突き動かされていたけれど、情熱ではなかった。一番近い言葉を選ぶなら、義務、なのだろう。果たすべき約束を果たそうとする、義務だ。けれど誰が与えた義務なのかを、わたしは知らない。 その日、としか今になっては思い出せない。数日に渡って続いていたテストが終わり、ぽっかりと空いた午後を、例のグループの3人とわたしは、街を遊び歩いていた。日差しは柔らかく穏やかで、誰もが幸福そうに見えた。テストの結果がどうであれ、わたしも息を吐いて楽しんでいた。次の日は休日だったし、なんの心配もなかった。そのなかで、不意に書店に入っていく島野をわたしたちは見つけた。彼が店に入っている間に、3人の間に奇妙な目配せが交わされ、誰からともなく島野の家に行こうと言った。出てきた島野をつかまえて、あっさりと願いは叶えられた。両親は今日は帰ってこないから、と言った島野に、それなら泊まりだね、と3人は騒いで見せた。島野はわたしの方を見て、小さく苦笑した。わたしものんびりと微笑みかえした。いくらか綿の飛んだタンポポの湿り加減がわたしたちを包んでいた。ぬるま湯のような微笑、深く思考することができなくなってため息をつくことができない時間のなかにわたしたちは落ち込んでいた。手を伸ばしても肌は麦穂色のヴェールに包み込まれるだけで、歩くことさえ緩慢になっていく。わたしたちは野良犬の胃で溶かされるのを待っている羊肉のように身体をぶつけ合いながら道を歩いた。同じ匂いをみなで擦りつけあっているようだった。 島野の家は街の中心から少し外れたところにあった。マンションの6階で、その高さに慣れないわたしは伏目がちに下を見た。落ちたら死ぬだろう遠さだった。こうしたところに生きるためには死を忘れているか、常にそれを意識していなければならないように思えた。うっかり転がり落ちていきそうな手すりの高さだったけれど、それでもわたしの胸まであって、乗越えるためには少しぐらいの意図が必要だった。静かに眺めていたわたしの腕を、島野がゆっくりと引いて部屋のなかへ導かれた。わたしたちは綺麗に透明な水槽に手のひらをあてて中の金魚を見つめてみたり、ソファーの上に置かれた週刊誌を手に取ったり、テーブルの椅子に座ってキッチンでなにかを探している島野の背中を見つめてみたりした。島野がお盆の上にジュースとお菓子を載せて戻ってくると、わたしたちは特に面白いわけでもない話を始めた。その脇では、島野のお母さんがコレクションしているアクション映画のDVDを文句を言いながら見ていたし、週刊誌の袋とじのページを覗きこもうとしていたりした。金魚は水の中をゆっくりと泳いでいるし、細く開いた窓からは秋風が柔らかく吹き込んで髪を揺らしていた。わたしが知らない外国人の俳優の白黒のポストカードがソファーの下から出てきたし、冷蔵庫の中には色々なチーズがぎっしりと詰まっていた。島野の部屋に入っていって見つけた薄い革のアルバムにはやはり八重草の写真が多くて不意に沈黙を運んだし、ベランダにはアロエの鉢植えが幾つか並んでいた。夏みかんはわたしの唇に冷たいのだ。わたしたちは島野の家で、あるなにか、わたしが今でも名付けることができないそのなにかの周りを、ゆっくりと回りながら色々なことをしていた。中心になにかがあることに気づいたとしても、それがなんであるかは語ることができなかった。わたしはテーブルの話に笑いながら自分の笑顔がつまらないと感じたり、話から外れて黙って金魚を眺めながらなぜか満ち足りた。その充足の思いはまた空しくなった。どこにも行くことができない、とわたしは感じた。生まれてからなにひとつ満足できることをしてこなかった、と考えたときに、島野が頼んだ宅配ピザが届いて、チキンの脂に唇を濡らしてわたしは満足した。とりあえず、わたしはでたらめだった。悲劇を歌い続ける張り詰めた喉は、きつい匂いのワインによって潤うのだ。なにも必要としないのは、死人だけだった。
2005.06.05
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島野はその日から、わたしにも分かるほどに大人びた表情をするようになった。彼をそうした方向へ導いたものが、悲しみであるとは言えない。その前にも、朝岡の死によって悲しみは彼に与えられていた。たぶん、わたしが島野を導いた。漠然とした悲しみは、わたしによって毒となり、島野を蝕んでいた。わたしの精神が毒でなかった、とは言えない。災いより、すべてのものを災いとして解釈する装置が毒として人々を傷つけていく。 島野はよく空を見るようになった。本当に空を見上げてなにかを観察しようとしていたのかもしれないし、そうではないものを見ようとしていたのかもしれない。わたしが彼になにを見つめているのかと問うことはなかった。わたしは彼を見るだけで話しかけることはなく、島野も話しかけてこなかった。ただ、ときおり目が合って、わたしはその度に胸の内側に流れるわけのわからないものを塞がれた気がして、目を逸らさなかった。もちろん、それは愛情ではなかったと思う。 島野の表情が変わったことは彼の周りの状況を変え、そしてわたしの状況までも変えた。落ち葉が土にゆっくりと溶けていくように、島野は教室の影に潜むようになった。そのことは彼をクラスの声の大きな男の子から遠ざけていき、そして女の子たちを引きつけた。彼女たちの玩具として、彼は扱われた。どこかしら変わっていて、それなりに魅力的で、そして美化されうる噂の登場人物として。島野を好きだということが、それが彼女たちにとってどれだけ本当かどうだったかは別として、クラスの中での流行になった。恋人を持たず、片思いの相手に恵まれない女の子たちは、試験的に島野を好きだと言った。結局は彼女たちの誰もが、島野を手に入れることはなかった。最初から、そうした方向への可能性は閉ざされていた。彼女たちが本気でなかったからというわけではない。島野は既に、八重草に所有されていた。だから、他の誰も彼を手に入れることはできなかった。もっと正確に言えば、島野は自分が八重草のものだと信じていた。死んだ人は生きている人間を所有することはない。それは、単に死んだ人を自分が愛しているということにしかすぎない。 わたしも島野を取り囲む好意のイミテーションの輪に、ゆっくりと縛られていった。わたしがクラスの中で興味を感じていたのは島野ぐらいだったし、それが恋愛感情であると周りが思うことも当然だった。わたしを屋上に呼び出し3人で罵った女の子たち、彼女たちがそのグループへとわたしを引き込んだ。彼女たちは、自分たちだけが本当に島野のことを心配していると言った。それがつまり、わたしを罵った理由への釈明らしかった。面倒だったので適当に頷き適当に答えているうちに、彼女たちは納得した。前はわたしの無関心が軽蔑だと勘違され、今ではわたしの無関心は、島野への真剣な思いだと見なされてしまった。結局は彼女たちもわたしに無関心だったのだろう。いつのまにか彼女たちと一緒にお弁当を食べトイレに行き、街を歩くようになった。たまに誰かから打ち明け話として、抜け駆けして島野と話したことや遊びに行ったことなどを聞いた。結局は、誰も彼もがそれなりに善人だったのだろう。少なくとも、わたしの周りには、ひどい悪人はいないようだった。だから、島野はいつまでも誰のものにもならなかった。そしてそのなかでわたしの行為も、なんの意味も持たなかった。
2005.05.28
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次の日、わたしはクラスメイトと小さな揉め事を起こした。屋上に連れていかれ、3人の女の子に色々なことを言われた。島野を気落ちさせたということから始まって、わたしが彼女たちを馬鹿にしているということへ繋がっていった。それは全く違っている。わたしはただ、無関心なだけだった。わたしは罵られながら、彼女たちの髪が綺麗だと感じていた。美しい髪と人を罵ることが暖かい夕日の下で同じ場所へ広がっているのが、わたしにはなんとなく楽しい。わたしはきっと、小さくほほえんでいた。。 日曜日はゆっくりと時間がすぎていく。わたしは弟を胸に抱くと、あやしていた。ソファーはわたしに弟を重ねて深く沈んでいた。ベルが響いて、母は含み笑いで受話器をわたしに渡した。わたしは程よく冷房の効いた部屋から、燃え上がる草のような日差しの中へ呼び出された。 島野が待っていたのは、駅の近くにあるファーストフードの店だった。ガラスの向こうに島野を見つけ近づいていったときのわたしは、傍目から見ても不機嫌だったと思う。昼にそうめんを食べて、借りてあったCDを聞きながら本を読もうと思っていた午後の計画はあっさり壊れた。けれど、わたしは島野の呼び出しを断ろうと少しも考えなかった。夏の太陽が肌を焼くような自然さで、島野は唐突だった。頼みごとを断れないというのとは違う。わたしは嫌なことは嫌と言えていた。そのときのわたしは、島野に嫌ということを考えもしなかった。単純に、夏だったこともわたしの一部を緩ませていた。暑い夏、恋人が死んだ男、青すぎる空、日曜の午後、そうめん。わたしは自分が冷静であると考えていたけれど、それは単に情熱を自分に与え得ることを避けていたにすぎないに思えた。綺麗に茎をカットされた花束のように、わたしはすぐにも飾られえるようだった。だからわたしは島野とのことが終わったあとで、自分の忍耐を信じなくなった。 島野は椅子に窮屈そうだった。公園で隣に並んでいた姿を思い出して、わたしは苦笑する。眼差すことができないものへ、人は美しい期待をもつものだ。陰りのない日差しの中、目の前にいたのはわたしと同年の普通の男の子だった。情熱は肉を奪われて、立ち尽くす古椅子となっていた。わたしは自分を取り戻し、椅子を引いて島野に向かい座った。島野は指に残っていたソースを舐め取り、紙ナプキンで唇の周りを拭いた。「昼飯たべた? 朝岡はあんまり、こういうのは好きそうじゃないけどさ」「好きじゃない」とわたしは気だるさを隠さずに言った。食べ損ねたそうめんを思い出していた。ファーストフードは、舌の裏に残る油の匂いが濃くて眩暈を起こしそうになる。島野はぼんやりとわたしを見て、「なにが食べたいんだ?」 そうめん、と答えたわたしに、島野はメニューを手で擦りながら眺めた。もちろんそうめんはなかった。「別にここで食べたいわけじゃない。お母さんが作ってたから、ただ言っただけ」「わるいな。なにか食べたかったら俺がおごるよ。休みに呼び出してるわけだし」 頷いてメニューを見たけれど、ハンバーガーのどれもが胸をもたつかせそうだった。どうしてこんなものが食べたいのだろうか。ひとつひとつ名前を確かめていって、結局は選びきれなかった。わたしは悪意を持たずに、「八重草さんはなにを食べていたの?」「色々食べてたよ。昼飯、ここで食べること多かったし。できれば、八重草が本当はなにを考えていたか知りたいんだ、俺と会っててさ。この店とか、他のとこでもさ。そうしたら、彩子が俺のせいで死んだのかどうかも、納得できると思うし」「それはこの前、聞いた」 短く押し返すと、わたしはなにかを注文しようと席を立った。全ての言葉がしっとりとした匂いをこぼす夜は既になく、わたしには島野が滑稽に見えた。怒りすら感じていたのかもしれない。生きているときに八重草を理解していなかった島野が、どうして彼女の死を理解できるのだろう? けれど、今になって思い返せば、わたしも島野と同じもの、八重草が死んだ理由を見ていたのだ。島野は自分が愛されていなかったと考えることで彼女の死の理由を見つけようとし、わたしは島野が八重草に愛されていたと考えたから、八重草の死を理由づけようとしなかった。人は誰かを愛する理由を説明できるだろうか? 人は誰かが死ぬ理由を説明できるだろうか? わたしはぼんやりと、挟まれているレタスが王冠のように立派なハンバーガーのセットを頼んで席に戻った。島野が待ちうけていた性急さで、「ここで彩子はなにを考えていたか、書いてあったか?」と言った。わたしは八重草の日記を何度も読み返していて、該当する部分をすぐに思い浮かべることができた。日記にはこう書いてあった。なにかを食べている島野はとても可愛くて、私が食べさせてあげたくなると。しばらく間を置いて、その文章を作り変えていく。わたしは、八重草の言葉を演じようとする。「島野がなにか食べているところを見るのが、八重草さんには嫌だったみたい。スプーンを取り上げたくなる、って書いてあったかな。八重草さんは上品そうだったし、マナーとかに厳しかったのかもね」 島野は目を細めて黙り込んだ。その店を出てからも、こうした会話が街のあらゆるところで繰り返された。雑貨屋、駅、ゲームセンター、蕎麦屋、コイン式の駐車場、書店、デパート、カラオケ、幾つかの公園、ボーリング場、雑居ビルの休憩所、お好み焼き屋、レンタルショップ。そのそれぞれで、わたしは八重草の言葉を作り変えていった。そうしてその度に、島野は黙りこんだ。わたしはあるところから、自分がなんのためにこうしたことをやっているか、わからなくなってきた。島野に八重草を嫌わせて忘れさせること、と心の中で呟くことはできた。けれど、島野はわたしの言葉になんの反論もしなかった。ただ受け止めていた。わたしが作り変えた言葉は彼の中に、八重草の言葉として溜まっていっていた。夜になって家までわたしを送ってくれた島野の表情は、闇の中でひどく白かった。
2005.05.26
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公園は人の気配に溢れていた。真ん中に大きな池があり、それを囲んでランニングコースが敷かれている。深夜になれば人の姿も減るけれど、日が落ちて仕事も終わった時間帯には、若さを失った人たちがなにかを求めてランニングなりウォーキングなり、それぞれに身体を動かしていた。運動する人々を後ろにして、池に面してぽつりぽつりと設置されたベンチには、恋人たちの姿が多かった。わたしと島野は、空いていたベンチによくわからない関係のままに座った。もちろん恋人ではなく、友人でさえなかったし、けれどただのクラスメイトにしては、八重草によって繋がり始めていた。 島野はわたしが渡したペプシコーラに軽く口をつけてから、「夕方は悪かったな」と言った。わたしはその言葉の意味を掴めず首を傾げたが、島野は気づかなかった。わたしたちは二人とも池を眺めていたし、電燈は距離をおいて並んでいたけれど、ベンチの周りは闇が深かった。「なにが?」とわたしは尋ねかえしながら、闇についてぼんやりと考えた。闇の中で人は、はっきりと語らなければならない。二人がお互いに触れられる関係なら触れることで語り、触れられない関係ならば声で語らなければならない。「朝岡に言われて、俺、黙り込んだだろ。なにか言わなきゃと思ったけど、なにを言っていいかわからないし、よくわからなかったからさ。今、思い返すと、なにがショックであんな風になったかわからないけどな」「わたしは二つのことしか言わなかったと思う。島野と八重草さんがキスしたこと、八重草さんが島野に不潔さを感じたこと。ショックを受けるなら、後の方だと思うけど」「そうだな。八重草とキスしてるところを見られても、恥ずかしいけど、あんなにはならないはずだからな。不潔、というのはきついよな。意識してやったわけじゃないんだけど。女って、血を舐められるのって嫌なものか?」 島野は饒舌だった。どうして彼がそうしているかはわからなかった。わたしはしばらく考えてから、「知らない。けど、八重草さんは嫌だったんでしょ」 そう答えて、わたしならどうだろうと考えた。八重草も、日記には嫌悪より嬉しさが勝っていた。わたしも、嫌だとは感じないように思えた。(あのころ、わたしはただの少女だった。自分の美しさに気づかず、醜さに押し潰されそうな薄い胸をしている少女だったのだ。自分が醜いと考えていて、たまに悪くないと思うこともある、ありふれた少女だった。実際は凡庸であるけれど、自分を特別だと思いたがるような。) 島野は黙り込んだ。暗さに目が慣れて、池の遠くまで見渡せた。ときおり闇が揺れるのは、池鳥が泳いでいるらしかった。見えないところから、鳥たちの鳴き声がたまに聞こえてきた。声だけが可愛らしかった。「朝岡って、彼氏いるの?」 ようやく島野が繋いだ言葉は、わたしを混乱させた。島野を横目で眺めたけれど、変わった様子はなかった。息をゆっくりと吸いこんで、話の流れを思い出していく。八重草の話がどうしてわたしの彼氏の話になるのだろう?「いないけど、どうして?」「そっか。俺は八重草がどう思っているかあんまり気にしてなかったと思ってさ。嫌そうな仕草したら俺でも気づくけど、表情も変えずにさ、嫌な気持ちを八重草は我慢してたんだな。はっきり言ってくれたらな」「言えるわけ、ないんじゃない?」 わたしはそう答えながら、島野の声に硬い響きを聞いた。わたしの嘘は、見破られることなく彼の目を覆ったようだった。そしてそれは、決して島野を救うことではなかった。彼の中で、八重草の死によって広がった深く暗い裂け目に、わたしは今までとは違う名前をつけたにすぎなかった。八重草は島野を愛し、島野は八重草を愛してた。彼はそう考えていた。わたしは八重草から島野への矢印を書き換えて、彼が愛されていなかったことにした。それでも人は、自分を愛さないものでも愛することができる。 わたしの言おうとする言葉、言わなければならない言葉、そして黙り込むという言葉、すべてがわたしの中で絡み合い、喉を塞いだ。本当のことを言おうとする衝動、それを優しくなだめる島野のための嘘という題目、二つはお互いに相手を食い尽くそうとする違う色をした二つの苔のように交じり合った。遅くはなかった。このとき、わたしが島野に本当のことを打ち明けて、そして八重草の日記を彼に見せてしまえば楽になれたはずだった。たぶん、島野もわたしも。死んだ人間の苦しみをわたしは理解できず、そして島野は隣で苦しんでいた。わたしは、島野の苦しみを少しは和らげることができるはずだった。そしてもともと、八重草が島野を愛していたことは本当だった。わたしがそのことを歪めて、作り変えていた。「朝岡、起きてる?」「寝るわけない。それで、島野は、八重草さんのことを」 ことを? わたしはそこで途切れた。暗い感情が額の裏側に染み込んで、わたしを気だるくさせる。島野をわたしはどうしたいと思っているのだろうか。八重草さんのことを嫌いになった、まだ好き、忘れたい、覚えていたい。わたしは薄く笑ってそのまま口をつぐんだ。(わたしには、自分の意志で本当に悪いことができなかった。わたしが本当に悪いことをなしえたとしても、それはわたしが意図しないところで起った。)島野は自分から、言葉を繋げた。「まだ好きだな。彩子が俺を嫌いだったとしても、俺が好きだったことには変わりないよ」「それはどうでもいいけど。頼まれたから、伝えているだけで。島野が覚えているなら、それでもいいんじゃない?」 わたしはなにがしたかったのだろう。言ってから、自分の言葉が疑問になった。八重草は島野が自分が忘れることを望んだ。島野は、八重草を覚えているだろう。わたしは八重草に頼まれたはずなのに、島野に味方をしていたり、どうでもいいと思ってみたりだ。「朝岡はかっこいいよ。俺もそういう風に、クールになりたい。なにがあったって、自分は自分みたいな」 島野がからかっているのか本気でそう言っているのか、良くわからなかった。わたしは少し考えて、「それで、話ってなに? 八重草さんへの気持ちを話したいなら、他の女の子の方がいいんじゃない?」と言った。あんまり長く島野の言葉を聞いていると、水の中にゆっくりと引きこまれそうだった。わたしは八重草の言葉を知っていた。そこに島野の言葉が加われば、わたしはゆっくりと引き裂かれていくだろう。島野の前で、それをしてはならなかった。「その日記に、彩子が死のうと思った理由って書かれてたか?」「書いてなかったと思う。日記を分けていたのかもしれないけれど、書かれていたのは島野とどんな話をしてどこへ行ったとか、そういうのばっかりだったし」 言ってから、ひやりとした。嫌いな人間のことを、それだけ続けて書くわけがなかった。幸いか不幸か、島野はその矛盾に気づかず、ひとりで黙り込んだ。わたしは目を閉じて、暗闇に耳を澄ます。靴が地面と擦れ、人々は遠くで笑い合い、水鳥たちは皮袋を揉むような鳴き声を重ねる。自分の首に手のひらを当て、指の腹で太い血の流れを探す。静かにわたしは動いている。どこまでも沈黙するようであり、どこまでも雄弁だった。わたしは声もなく、確かなものへ叫び続けていた。「俺はわからないんだ。どうして彩子が死んだのか。それを知りたいんだよ」「もしかして、島野が理由だと思ってる?」「少し。朝岡はどう思う?」「傲慢だと思うけど。本当のことは八重草さんしか知らないわけだけど、わたしなら島野のためには死なない。よくわからないけど、そんなに単純じゃないと思う」 島野はまた黙り込んだ。わたしは残酷だったのだろうか。恋人が自分のために死ぬのと、自分のためにではなく死ぬのと、どちらが人を楽にするだろう。自分のために恋人が死んでしまったのなら、その影はずっとわたしに付きまとうだろう。けれど、愛されていたということは信じることができる。他のなにかのために死んでしまったのなら、ただとり残されたという感覚が残るのかもしれない。どちらにしろ、わたしは苦しむだろう。その苦しみの中で、どちらを選びうるのだろうか。 足元近くで水鳥が声高く鳴いた。思わず覗きこんで、島野を振り返る。島野も身を乗り出して、池の縁を眺めた。灰の色をした鳥が2羽連なって、水面を揺らしている。「餌やりたいね」と、わたしはなにかに土をかけて隠すように言った。島野は少し考えて、「草、食べるんじゃ? 昼間は、餌を売っている人がいたんだけどな」「そこらへんの草? 食べないと思うけど」「そうか? 俺は自分の食べたいものしかわからないな」 そう言って島野は不意に立ちあがった。ランニングコースの内側に入ると、ジョギングする人たちの邪魔にならないように端を、反時計回りの順路に歩いていく。繋がったふたつの木の実のように、わたしも後ろに並んで歩いた。そのまま公園を出て、コンビニへと向かっていく。もう少しで到着というときの信号待ちで、島野は不意に言った。「日記は俺に見せれないとしてさ、それなら、朝岡が話していいと思ったところだけ教えてくれないか? 彩子が俺をどう思ってたか知りたいから」「別にいいけど。だけどさ、色々ありすぎて話しにくいんだけど」 日記のすべてが島野に関することだった。付き合い始めた日から、最後に会った日までの島野とのことが事細かに書かれていて、わたしの恣意でなにかを抜き出すことは不可能だった。島野はなにかを考えているようで、コンビニの前で黙ったまま、小さく手を振って別れた。島野の自転車が闇に溶けていくのを見送りながら、わたしの身体は震え始めていた。
2005.05.23
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その夜はひどく静かだった。わたしの父が経営していたコンビニ、その前を横切る県道はいつも騒がしかった。昼夜とも途切れることなく車両が走り、コンビニはよく賑わっていた。だから、逆に鮮やかに覚えているのかもしれない。島野が店にやってきたのは、8時になろうとするころだった。 屋上で八重草からの頼みを果たしてから、わたしは真っ直ぐに家に帰った。着替えると、そのまま店へ出る。家から出るときに少し覗いたリビングで、母は幼い弟を胸に抱いていた。わたしと弟は、歳の離れた姉弟だった。わたしはたまに彼を母の真似をして胸に抱いたけれど、どこか落ちつかなかった。彼は弟というより、わたしの子供のようだった。彼はわたしが扱うには、あまりに脆いように思えた。それは愛おしさより、嫌悪をわたしに与えた。小さな弟への嫌悪ではなかったと思う。彼は単に無垢であり、無邪気に振舞っているにすぎない 客の訪問を告げる小さな金属音が響いたとき、わたしはカウンターの中で戦争が終わってすぐ書かれた小説を読んでいた。父は奥で事務をやっていて、店にはわたし一人だった。島野はまっすぐとカウンターへやってきた。「こんばんは」 わたしは島野の挨拶を聞きながら、彼の顔を見つめた。屋上で見せた、苦い薬をこらえるような表情ではなかった。どこか研ぎ澄まされた感じがしていた。だから、わたしには彼がなにをしに来たかわからなかった。けれど、偶然ここに入ってきたには、できすぎていた。「ここ、朝岡のお母さんに教えてもらった。すぐに話したいことなら、出かけて行ったらって」「それで来たわけ? 学校で話せないことなの?」「話せない、と思ったから。学校はゆっくり話すには、いろんなことが詰まり過ぎてるだろ? それに、夜じゃなきゃ話せないこともあるし」 大人なのね、と皮肉ろうとして、わたしは口をつぐんだ。新しいお客さんが入ってきて、週刊誌と飲料水を無駄のない経路で取ると、レジへやってきた。よく来てくれる人で、暇なときなどに、わたしに話しかけてくれる女性だ。彼女はわたしが商品を入れて渡したビニール袋を握りながら、「彼氏?」と微笑んだ。わたしは苦笑いで首を振ると、「同じクラスなだけです。単なる友達、でもないくらいの関係です」と言った。彼女は信じるとも信じないともわからない曖昧な眼差しで、「間違いを起こせるのは若いうちだけ。歳をとると、間違いを無理にでも本気にするようになるから」と歌うようにして言って帰っていった。香水の甘い匂いだけが、彼女が去ったことを告げていた。わたしはぼんやりと、大人の女性は、コンビニに来るのにさえ肌に香水を落とさなければならないんだな、と考えた。島野は商品を見ている振りをしていた生活用品コーナーから戻ってくると、「ここもあんまりゆっくりとは話せないみたいだな」と言った。「ゆっくりと話せるようだったら、うちの家計がまずいんだろうけど。今日はこれでもお客さん、少ないんだけどね。立ち読みでも誰かいてくれた方が、他のお客さんも来てくれるんだけど」「ここ、何時に終わるの?」 島野が言ったとき、奥からお父さんが戻ってきた。父は島野を見ると、わたしに「彼氏かい?」と訊ねた。わたしはまた苦笑いをして、首を振った。すると父は島野に、「きみは陽子の彼氏なの? 陽子はきみの彼女なの?」と楽しそうにたずねた。わたしは呆れながら島野の反応を見ていた。島野は少し考え込み、そしてこちらは真剣な表情をして、「僕の彼女は死にました。そのことで、朝岡さんに用があってやってきました。朝岡さんの仕事が終わるまで、待っていてもいいですか?」と言った。父はそれを聞いて、穏やかな人で柔らかく笑っていたけれど、そのとき不意に一瞬だけ、精悍な表情になったのをわたしは見た。それはわたしが見たことのない父の表情だった。父はわたしに片目をつむって見せると、「陽子、きみに1時間の休憩を与える。好きなものを持っていっていいから、ゆっくり話してきなさい」と言った。わたしはなにか言い返そうとしたけれど、結局は黙り込んだ。父の言葉には揺らぎはなかったし、島野のことも気になった。店の制服代わりの前掛けを父に渡すと、カウンターの外に出る。ペットボトルが並ぶ棚から適当に2本選ぶと、父に向かってそれを振って見せ、外へ出る。 昼間には公衆電話の受話器にさえ指を絡めていた太陽の熱は、夜になってすっかり力を失っていた。ときおり拭きつける風に、肌寒いまでの月の下だった。綿毛が絡まったように、月光は県道を柔らかく照らしている。わたしたちはその中に2本の影を伸ばし、そっと辺りを見回した。座れるような場所はなかった。「ここで話す?」 わたしは振りかえり、島野に尋ねた。店の中から零れる光に、駐車場は明るい。「少し歩くけど、いいか? 堤原公園に行きたいんだけど」 わたしは店の明かりに逆光で暗い島野を見つめた。その公園の名前がどこに出てきたかは、すぐさまわかった。それは八重草の日記の最後のページに記されていた。わたしは島野が考えていることがわからなかった。風の冷たさにではなく、島野への期待にわたしの身体は震えた。わたしは歩き始めた彼の後に続きながら、ありそうでなさそうな様々なことを考えた。わたしの心は久しぶりに熱くなっていた。口の中が乾いて、うまく声をかけることができない。今になって思えば、わたしはある妄想に捉えられ、静かに興奮していたとしか思えない。島野が八重草の後を追い、その公園で死ぬのかもしれないという期待。あまりに感傷的すぎるその予想は、もちろん成立しなかった。けれど、島野の死を明確に意識できないところであるにしても考えたことは、わたしにさえ罪の切り傷をつけた。嘘をついていること、死を望んだこと、そうしたことを重ねているうちに、人は従順になっていくのかもしれない。
2005.05.21
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恋人が死んだ男は、人気があるものらしい。島野の周りには休み時間ごとに女の子が集まり、なにやら話しかけていた。彼女たちは八重草の死に、幻想的なものを見ているようだった。島野は小さく微笑みながら、痛ましい表情を浮かべる女の子たちを相手していた。わたしは彼に話しかける隙をうかがいながら、男の子は大変だと考えていた。島野の悲しみは彼女たちより強いものであるはずなのに、彼は気弱な表情を見せなかった。話しかけられないまま島野を見ているうちに、放課後になった。 鞄を手に取ろうと腰をかがめた島野の側に寄った。彼はわたしを振りかえり、いぶかしげに見上げた。「少し話があるんだけど、いい?」 島野は背筋を伸ばすと、ゆっくりとわたしの言葉を待った。わたしはちらりと後ろを見て、向けられた聞き耳がうっとうしかった。目で合図すると、黙って教室の外へ出る。少し歩いた階段に、屋上への扉があった。 島野は静かに扉を閉めた。夏が近くて夕暮れは次第に長いけれど、大気の熱は力を失っていた。屋上の周りを囲うフェンスが、アスファルトの上に灰色に網を掛けている。校庭に面したベンチへわたしは座り、島野は側に立って下を見た。サッカー部が練習しているのが、蚊が水におぼれるように暗い華やぎをもって見えている。わたしはある風が収まるのを待って、「八重草さんからの伝言なんだけど」と言った。ようやく、島野はこちらを見た。ひどく真面目な表情だった。睨んでいるようにさえ見えた。わたしは言葉を続けようとして、自分がなにも考えていなかったことに気づいた。そして結局は、ひどく残酷なことを言った。「本当は島野のこと、好きじゃなかったって」 島野がゆっくりと右手をあげたとき、わたしは殴られようとしているとぼんやりとそれを見つめた。頬の痛みは一瞬でやってくるはずだった。けれどそうではなく、島野はフェンスに指を絡めて校庭の方へと眼差しを向けた手応えのなさに、かえってわたしがいぶかしかった。しばらくして、「彩子が朝岡にそう言ったの? 俺にそう伝えてくれって」と島野はようやく言った。「あやこ?」「八重草。朝岡と八重草、特に仲は良くなかったよな。朝岡が嘘をついてるとは思わない。そういう冗談を言うやつじゃないと思うし。だけど、八重草が俺のことを好きじゃなかったとは思わないよ。彩子は朝岡にそう伝えてくれって言ったとき、どんな風だった?」 わたしは島野に尋ねられながら、ぼんやりと彼を見ていた。彼が慌てなかったのは、八重草から愛されていたという自信があったからなのだ。そして、わたしもそう考え始めていた。きっと八重草は、彼を強く愛していたのだろう。自分では別れを告げられないほどに。だから、しっかりとわたしは嘘をつかなければならない。(そのときのわたしは、愛されていたという島野の記憶を作り変えようとすることに、どのような気持ちを抱いていたのだろうか。苦しいものを耐えて、とそのときのわたしは考えていたように思う。今になって思い返すならば、その苦しさと矛盾しない暗い喜びを感じていたようにも思える。わたしには、愛されるということがわからない。そのときのわたしにも、もちろんわかっていなかった。持たないものは、持つものを妬む。たぶんわたしは、二人を妬んでいた。)「昨日、手紙が来て。八重草さんと仲は良くなかったから、どうしてわたしなのかはわからないけど。仲が良くないからかもしれないけどね。わたしは八重草さんのことも、島野のことも知らないし、都合が良かったんじゃないかな。頼まれた理由はわからないけど、本気だったみたいだから、あんまり楽しい役目でもないけど、島野に伝えようと思って。一緒に日記が入ってたんだけど、それを読んだら、島野の嫌なところがたくさん書いてあったから」 それ以上に島野の愛しい部分が書かれていたことは、わたしが心にしまった。それを伝えれば、島野を八重草で長いあいだ縛られるはずだった。わたしは島野の中の八重草を殺してしまおうと静かに決めていた。八重草は死んでしまったし、そして死んでしまった人間は蘇らない。過ぎ去った人間を忘れるには、嫌な思い出で飾るのが早い。わたしはひどく単純で、人が過去を美しい思い出にして忘れる方がたやすいことを知らなかった。手紙と日記を島野に渡せば、彼は自分のやり方で八重草に別れを告げることができたのかもしれない。なにが正しい方法で、なにが正しくない方法だったのか、わたしは今になってもわからない。たぶん、これからもわからないだろう。過去にあるのはわたしが選んだものだけなのだ。「その日記、見せてくれるのか?」 島野はなぜかうっすらと微笑んでわたしに尋ねた。指でつつけば割れそうな笑顔だった。彼が八重草を信頼する心が簡単に揺れていることに、わたしは胸が濡れるようだった。彼をそうしたところに追いこんだのはわたしなのに。わたしには嘘をつく必要がなかった。八重草が島野を愛していようが嫌っていようが、わたしには関係のないことだった。わたしは二人に無関心だった。そのことは、わたしの正直さを証明した。わたし自身でさえ、自分が嘘をついているとは思えなかった。「八重草さんの望みで見せることはできないけれど、島野に一部を伝えることはできるよ。例えばこの屋上で。聞きたい?」 島野はわたしの目を見ながら、小さく頷いた。わたしは薄くまぶたを閉じ、日記の文章を思い出し、そしてそれを元にして、彼を傷つける小さな言葉の塊を切り出した。「このベンチで八重草さんが島野とキスをしたとき、島野の前歯が八重草さんの唇の端を強く切ったのよね。島野は小さく膨らんだその血を、舐めた。違わないよね? 八重草さんは、そのとき島野に汚さを感じたみたい。確かに、自分の血を舐められても嬉しくないよね」 八重草は本当はそのとき、小さく震えたらしかった。血を舐められることは彼女にとっては、美しく小さな儀式だった。それは島野の愛の証しであり、彼女は喜びを感じた。日記にはそう書かれていた。わたしはその全てを包みこみ、島野に事実と嘘だけを与えた。島野はそれを聞いて、ゆっくりと目をつぶった。そのときのことを思い出しているようであり、わたしには聞こえない風の歌を聞いているようでもあった。どちらにしろ、わたしは彼の側にいるべきではなかった。教室へひとり戻る階段で、同じクラスの女の子と擦れ違った。彼女はわたしを冷たく見て通り過ぎていった。
2005.05.18
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朝から教室は騒がしかった。それは学期が始まったり終わったりする日の朝に繰り返されているものに似ていた。なにかが始まり、終わったのだろう。窓に肩を預けカバーをつけた文庫本を読んでいるわたしの耳にも、八重草が亡くなったらしいことが霞のように聞こえてきた。泣き出している女の子さえいた。けれどそれは、悲しい映画を見て眼の縁から頬へと伝う、機械的な水でしかないように思えた。友人がなくなる、学校の生活をともにしていた人が急にいなくなる。それは確かに悲しいことだろう。けれど、クラスメイトたちを見ていると、彼らがなにを悲しんでいるかが分からなくなった。彼らのうちの何人かは確かに涙を流していたけれど、それは誰のための涙だったのだろうか? 彼らがとても正しいことをしているのは、わたしには理解できていた。みんなは正しかった。そしてその正しさは、誰に対しても捧げられるものだった。クラスメイトたちより、わたしの方が八重草を理解していた。少なくとも、理解していると思えた。託された手紙と日記は、わたしを不意に八重草に近づけていた。 わたしは本のページをおろそかにめくりながらクラスメイトたちを観察し、教室の扉の方を見張っていた。島野がやってくるのを、待っていた。彼は恋人が死んだことをどのように表現するのだろうと、わたしは待ち受けていた。もっと正確に言えば、彼がわたしがイメージするように振舞うことを期待していた。その点では、わたしがどのような自分のイメージを持っていたにしろ、クラスの女の子たちとわたしは似たり寄ったりだった。彼女たちが島野に悲しみを、わたしは彼に平穏を期待していた。島野は突然、扉を開いて姿を見せた。 彼の席は教室の最前列に並ぶ机の、いちばん窓側だった。島野の顔を丁寧に見つめたのは、わたしに初めてだった。今になれば、彼は可愛い顔をしていたと思う。顔の部分それぞれがつるりとした感触をしていて、幼く見える。けれど昔のわたしは、その時の彼に、なんの興味を感じもしなかった。島野は静かに席に座り、鞄を脇に掛けると窓へと顔を向けた。わたしは島野がなにを考えているかと怪しんだ。彼は静まった教室の中で、危うく超然としていた。しかしそれは、崩れやすいようにも見えた。彼の側に立っていた女の子が見られていることを意識した声色で、島野に声をかけた。もっとも、会話にはならなかった。「島野くん、八重草さんが」とだけ彼女は言うと、黙り込んで手で顔を覆った。島野は座ったまま彼女を見ていたが、不意に視線を泳がせるとわたしの方を見た。薄いもやの中に光が篭もるようにして、彼の顔の片方だけが白く照らされていた。彼がそのとき、わたしに特別な注意を払っていたとは思わない。わたしは島野と話したことはなかったし、単に泣いている女の子をなだめてくれそうな人間を探して、不意に目が合ったのだろう。けれどわたしには、見咎められた感触が残った。わたしは人を眺めることはあったけれど、見つめることはなかった。わたしは本を読み、空を見上げ、水の流れに目を注ぎ、揺れる空気の振動に目を打たれた。けれどそれらは決して見返してはこなかった。人を見つめれば、その人は見返してくるものだった。わたしは目を伏せ、眼差しの縁を紺のスカートが流れていった。クラスの女の子が島野に近づき彼に柔らかく微笑むと、泣いている女の子の肩を抱いてなだめ始めた。島野がわたしを見ていないことを確かめて、自分の前髪をそっと確かめた。その荒れ方は、馬に噛み切られた干草のようだった。 クラスの担任教師がやってきて、八重草の死は公認のものになった。教室に小さな啜り泣きが聞こえた。やはり、わたしにはそれは機械的な響きをもって届いた。そしてやはり、わたしはなにが悲しむべきか分からなかった。そうしたわたしでさえ、その小さな音で響く涙の合唱に巻き込まれそうになった。もともと、悲しいものに弱いのだ。けれど、悲しい映画や小説がわたしたちを導く涙と、八重草の死によってもたらされた涙が同じものであるならば、わたしは決して泣きたくなかった。筆箱から小さな鉄の定規を取り出すと、その角で親指の縁に強く引いた。皮は裂けずに、赤い痛みだけが残った。
2005.05.17
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わたしは手紙を脇に置くと、ノートをぱらぱらと捲っていった。それには八重草から島野への愛情や不安や怒りや悲しみが綴られていた。二人が付き合っていることはクラスメイトと断線しているわたしも知っていた。けれど、わたしが知っている他の恋人たちと同じように、視界の外に溶けていた。どうして、他人の恋愛がわたしに関係があるのだろう。けれど、日記に綿々と書かれている八重草の文字は、わたしを二人の世界へと引きずり込んでいった。わたしが日記を読み進める軽さは次第にその歩みを重くして、1字1字を確かめるようにして字面を追っていくようになる。わたしは誰に対しても愛するという感情を抱いたことがなかったので、八重草が島野に感じているものから、わたしは薄い壁で隔たれていた。わたしがあのころ、明確に意識しないにせよ自分のことを特別だと考えていたことに、なんの根拠もなかったのだ。無経験でありそれなりに美しくそれなりに醜い、どこにでもいる少女でしかなかった。(けれどわたしは、わたしでしかなかった。)経験されたもの、わたしが知らないもの、いずれわたしも手に入れるものへの興味がわたしを駆りたてていたにすぎない。 読み終わって顔をあげると、2時になっていた。わたしに音が戻ってくるけれど、注意を引くような強いものは聞こえてこない。静かな夜で、網戸の隙間から細かく吹き込む風がカーテンを小さく揺らしていた。わたしはノートを閉じると、ベランダに出た。わたしの家は高台に建っていて、昼には明るく、夜には暗く、街の全景が見渡すことができた。月は浮かんでいるけれど、透明な羽が大気を包んでいるかのように、地上の多くの部分が闇に沈んでいた。その中から、わたしは八重草の日記に出てきた場所を指差した。何度か繰り返すうちに、街の至るところが印付けられていた。いろいろな場所へ、八重草と島野は出かけていた。それは、島野が街のどこにいても、八重草を思い出す契機に包まれていることだ。 島野が思い出す、と考えたことに気づいた。思い出されるものは、既に失われたもののはずだった。人は目の前にあるものを思い出すことはできない。わたしは八重草が失われたことを確信していた。八重草が書いているように、わたしと彼女は似ているのだろう。八重草が路端で踏み潰される若芽のような脆い理由で、彼女を必要とする人を手放すことがないということはわたしにはわかった。(八重草がわたしに似ていたように、わたしは八重草に似ていた。わたしは生き続け、つまらない男に何度も時間を取られた。彼らを切り落とす強固な理由を、わたしは持つことができなかった。愛されることではなく、必要とされることがわたしを海辺へ引いた。) わたしは暗い砂の向こうに沈んでいる街を見つめながら、なにかを小さく呟いた。「難しいな」や「どうする」と、はっきりとした目的を持たない、泡のような言葉だったと思う。とにかく、わたしがなにを呟いたにしろ、八重草には、人を見る目があったのだ。わたしはいつのまにか、八重草の頼みを聞き入れる気になっていたのだから。
2005.05.16
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とにかく、わたしは封筒の端を小さく摘んで2階へとあがると(2階にわたしの部屋があった。物がほとんどない、簡素な部屋だった。人であれ物であれ、なにかが多い場所は息をすることが苦しかった。)、机の上に置いて着替えた。すぐに開けようとしなかったのは、重要なものではないと考えていたからなのだろう。どこかの学習塾からの勧誘だと考えていたのかもしれない。あとできちんとその封筒を見てみれば、切手さえ貼られていないのだから、普通の郵便物ではないと気づけたはずだったのだけれど。わたしは濡れた服を着替えると、そのまま下へ降りて夕飯を食べ、わが家のコンビニへと向かった。雇っていたバイトさんが続けて急に辞めてしまったので、勤務のシフトのところどころが欠け、それを埋めるために、わたしが手伝っていた。働くことは嫌いではなかった。忙しく身体を動かしている間は、自分を忘れることができた。わたしは他人だけではなく、自分さえ煩わしかった。 わたしが自分の部屋へ戻り封筒を開けたのは、日付けが変わる頃だった。表にはわたしの名前だけが書いてあり、裏を見ても差出人の名前も書かれていなかった。封をするためのシールが赤い林檎の形をしていて、可愛らしく場違いだった。振ると確かに中身が入っているようで、乾いた重さがあった。 わたしは机にその封筒を置くと、開けるのをためらった。なんの心当たりもなかった。手がかりは表に書かれたわたしの名前の文字なのだけれど、見覚えがない。たぶん女の子が書いたのだろう、丸い柔らかさは見て取れた。けれどわたしには手紙をもらうような女の子の友達はいなかった。しばらく考えてから、わたしは素早く封筒を開いた。 手紙とノートが入っていた。そのノートはわたしのものではなかった。淡い水色の便箋は、どこか抜けた印象の文字で埋められていた。『朝岡さんに手紙を書くのは初めてだね。もっとお話してみたかったけれど、それが朝岡さんだと思うから。お話しなかったから、こんなお願いをする気になったのかもしれません。私は島野くんと付き合っています。私がいなくなったら、たぶん島野くんは悲しんでくれる。私のことを覚えていて、苦しむと思います。朝岡さんには、島野くんに私のことを嫌いにさせてほしい。ノートは私の日記です。いろんなことが書いてあるけれど、島野くんに感じた嫌なことも書いてあります。それを島野くんに伝えてくれたら、私を嫌いになってくれると思います。突然のお願いでごめんなさい。朝岡さんが思い浮かんだから。私と朝岡さん、似ていると思っています。 八重草彩子』 なにも考えずに、手紙の文字に目を通した。読み終えると、ゆっくりともう一度文字を追った。内容を把握して、わたしは嫌な気持ちになった。その不快さを手紙のどこに感じたものだったのかは、今でもわからない。いきなり手紙を送ってきて頼みごとをする不躾さ、自分がやるべきことを人に任せる身勝手さ、わたしは確かにそれを感じていた。けれど、たぶんそんなことではなかった。手紙の内容が暗示する、得体の知れない八重草の行末がわたしの気を滅入らせたのかもしれない。
2005.05.15
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もう遠い昔の話だけれど、わたしは自分が柔らかな毒だと考えていたことがあった。わたしに触れた人間は、わたしに深く触れた人間はみんな死んでしまう、そうしたことを真剣に思っていた。もちろんそれは父が経営していたコンビニで店番をしながら、人の姿の見えない外の通りを眺めている静かな夜に、ふいに思いついては消えていく類の妄想にすぎなかった。ただ、他のさまざまな思いつきは一度きりわたしに浮かんではすぐに消えていったけれど、それは何度も浮かんでは沈み、そしてまたわたしの中に現れた。わたしの肉体が毒だった、とは言えない。不自然なほどに、わたしは健康な身体をしていた。けれど、わたしの精神は毒ではなかった、と言うことはできないかもしれない。わたしが愛した人は、壊れやすくできていた。 記憶の中にぼんやりと残っているものは、少しずつその形を失っていく。手触りさえ浮かび上がるほどに確かなものだった美しい記憶も、時が重なるにつれてあちこちに穴ができてしまう。隅々まで丁寧に思い出そうとすればするほど、自分がどこかを忘れてしまっているということに気づく。そのうえで、自分が若かったころにどのように感じていたかさえも思い出そうとするなら、それはわたしに苦しみを強いる時間になる。けれど、わたしは書かなければならない。誰からも忘れられた過去は、なかったことになってしまうから。そしてなかったことにするには、わたしがそれをやりそこなったという思いは激しすぎるから。 雨が降っていた、と思う。それすらも確かな記憶ではないことを、わたしは認めなければならない。記憶はたやすく捏造される。とにかく、雨が降っていたことをわたしは思い出す。わたしが家に帰って大きな封筒を母から渡された時に、それに触れるのをためらったから。汗まで焼いてしまうような夏の空は、夕暮れになって急に雨を降らせた。わたしはバス停から家まで雨の中を走った。バス停で雨宿りをしている人たちから逃げるようだった。わたしはバスでどこに行っていたのだろう? わたしにはわざわざバスで出かけるような場所は多くなかったはずなのに、うまく思い出すことができない。
2005.05.13
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幼い生徒が帰った部屋で、わたしは一人で静かだ。テーブルは彼が帰る間際に元通りに隅へ折り畳まれ、この部屋にわたし以外の誰かがいたという記憶を部屋は失っていく。少年は清潔な匂いがしていた。彼が身につけていた服に溶け残る洗剤、それとも髪に洗い流されない石鹸の匂いだろうか。どちらにしろ、わたしはもう、その匂いを思い出すことはできない。綺麗に洗い流されたものはいつも力を失う。清潔な匂いはわたしを震わせない、だから彼に勉強を教えるのは夕方なのだろう。直人に与えられたものに、幾重にも砂をかけるための儀式の一つとして。 夜の窓は冷たくわたしに触れる。首筋が濡れるようだけれど、それはわたしの汗ですらない。カーテンを閉じようとして、夜が目に入る。夏は日が暮れるのが遅いはずなのに、ベランダから手を伸ばせそうな木々の茂りには、太陽の陰は既にない。 わたしは不意に、「おひさまは、もうねむってしまいました」と呟きたくなる。その言葉がどこから飛び出してきたかを、わたしは闇の中に探る。部屋の明かりを映えて、硬く尖った葉が集まって人の指のように光を包んでいるのを見つめる。しばらく考えて、わたしはその塊に指を伸ばす。ベランダの手すりで身体を支え、下へ落ちる水に抗う人のように腕は硬くなる。触れようとしたところで、わたしの指はとまる。薄い葉が重なった小さい塊は、触ろうとするわたしの指に硬いように思える。けれど、夕方に流れていた大気は、夜になって立ち尽くしている。額に落ちた前髪さえも撫でようとしない、その穏やかさの中でそれはわたしの前にあった。わたしはなにも残さずに、その指の形をした葉に触れられるだろうか。 わたしは指を折り曲げて、そして腕をへその上に被せるようにしてしまった。風が吹くまで待とうと思った。指の形をした葉から、奥になって次第に闇が濃くなる木々の根元へと眼差しを落としていく。下の階、そしてその下の階の部屋と続いて漏れている光に、木は肌を照らされている。根から土へ、土から土を囲っている赤レンガの囲いへと目で探っていく。わたしは闇を探していた。小さく、確かな暗さをもった闇だ。けれど、わたしが求めているものは見つからない。幼いわたしが見ていた闇はもっと深く、そして冷たかった。そうした闇は、ここには近づいてこないらしい。 顔をあげた時には、指の形をした葉は消えていた。どの葉たちがそれを形作っていたかさえもわからなくなっていた。風が吹いただろうかとわたしは薄い闇へ向かって腕を伸ばしたが、手のひらにはなにも触れなかった。一足に部屋に入ると、窓を閉めて両側から引いたカーテンを強く合わせる。ひじの裏がすっかり冷えていた。 クローゼットの隅に押し込んでいたダンボール箱を引きずり出すと、ひとつずつ中のものを出していく。お菓子のおまけやジュースに付いてきた小さなキャラクターグッズ、高校の時のアルバム、使い忘れていた目覚し時計、そうしたものが次々と床に並んでいく。奥の方に、わたしが探していた本が横たわっている。めくったページの最初に、「おひさまは、もうねむってしまいました」と大きな文字で書かれていた。わたしは、「もうねむってしまいました」と繰り返した。
2005.03.07
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夏の夕暮れは足が重くて、わたしは倒れそうになる。手の届く所に頼るものがなくて、ゆっくりと立ち尽くす。そして空を見上げる。伸びた首筋から背骨の方へねじれながら、柔らかな無為が流れていく。それを直人がなぞった唇のあとだというには、わたしの身体はもう冷たすぎる。降り積もった苔のような奥深い山の裾へと落ちていく夕日は、わたしを刺し通して散っていくけれどなにも残さない。汗ばむことなく、風は流れている。夏の風は空を高く吹き上げて、そしてまた朝には落ちてくる。わたしが昼の間にすごしたことを、夕暮れは奪ってしまうのだ。だからわたしが直人と身体を重ねるのは、いつも日が沈まない時間で、そして直人の部屋だ。わたしは眠れない夜に直人の匂いを持ちこみたくはない。幸福であったという記憶は、鮮やかであればあるほどわたしの夜を長くする。 空はシーツに残ったわたしの血のように赤い。それは肌から零れてすぐの、わたしを掻きまわし眩暈を起こさせる鮮明さではなく、乾いた柔らかさの色だ。だから、わたしは眺めていられる。熱は散ってわたしの肌を飾る甘さは溶けていく。その甘さが誰を味わったものかを、わたしは忘れてしまう。少しずつわたしは記憶を失う。もっと正確にいえば、まだ形を持たない塊に似た記憶の予感を、わたしは一つずつ奥深い庭へと飾っていく。そしてゆっくりと目を閉じる。まだわたしは、直人によって奪われていない。直人と重なっているときは、離れようとは思わない。けれど、こうやって離れてしまうと、少しずつ直人が怖くなる。だからわたしは律儀に約束を守っている。わたしの夜を直人に与えてはいけない。 部屋の灯りをつけると、そこに直人の匂いがないことに安心する。鍵は開けたままにしておく。6時になれば、わたしは2時間の間、直人を考えないための理由を与えられる。小さな生徒がわたしの部屋にやってくる。少年は幼いけれど、わたしを決して退屈させない。 わたしはなにも敷かずに床に座ると、窓に背中を押し付ける。そして掛け時計の振り子が鳴らす音を聞きながら、じっと玄関の扉を眺める。6時から5分と違わずに、少年は姿を現す。「こんにちは」と、扉を開いたままに窓辺のわたしへ彼は挨拶する。わたしは小さく頷くと、彼がきちんと靴を揃えて近づいてくる様子を眺めている。彼は小学生にふさわしくない機能的な革の鞄を壁に立て掛けると、部屋の隅に折り畳んである小さなテーブルをわたしの前に広げる。そうして、わたしの家庭教師としての時間は始まる。 授業は1時間半ほどで終わり、残りの30分はだいたいお喋りとなる。彼は間違えるべきところで間違えるので、わたしはいつも微笑みを押し殺すのに苦労する。わたしがペンを操って彼の解答を正していくその筆跡を彼は真面目に見つめているが、彼は解答をというよりわたしの指を眺めている。ただ、それを気づかせないほどには、彼は年齢を重ねていない。わたしじゃなくて、もっと教えることに熱心な人間なら騙せたのだろうけれど。彼は家庭教師に教えるべきところを教え、わたしはそれを彼が既に理解していると知りながら教えていく。それはおそらく、あまりに囁かれすぎた愛の告白に似ている。 授業のあとのお喋りでも、彼は前日から煮込んでおいた野菜料理のような告白を、コンビニエンスストアの気軽さで打ち明ける。クラスメイトの女の子と夏祭りに行くのだけれど、二人きりで上手く話せるかどうか不安だ、というような。わたしは彼に、からかいと注意と期待と悲しみの混じった言葉でアドバイスをする。つまり、わたしは彼にアドバイスを与えているつもりで、彼にわたしを教えている。未経験な少年を導こうとする言葉には、いつも自分がやり損なったことへの後悔が含まれているものだ。
2005.03.01
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夏の、というよりは7月の太陽はうっとうしい。もともとわたしは、太陽に照らされることが嫌いだった。小さな頃からずっとそうだったし、だから小さな頃の写真を見ても、わたしはいつも置き去りにされた犬の腹のような白さの肌をしている。それはこの年齢になっても変わらない。そしてこの年齢になると、逆に日に焼けていないことが羨ましがられる。わたしは大学生になってやっと、自分が日に焼けたことのないことを悔やむようになった。その肌を日にさらしたことのない人間は、やはりどこか大切な部分を崩していくのだ。太陽は労働であり、健康であり、幸福であり、ゆっくりと伸びた地平線であり、清浄だった。わたしは太陽をうとましいものと思いながら、それゆえに憧れる。 そうだ。いつも太陽はわたしの側をすり抜けて地へと落ちる。それはこのベッドの上でもそうだ。窓を覆ったカーテンはうまく太陽の光を受け止めて、色の抜け落ちた陰だけを部屋の中に広げている。その陰の中でわたしは絡め取られる。この部屋はあの部屋のようには暗くない。わたしは肌を撫でる直人の指の形を見てとれるし、わたしの瞳を覗きこむ直人の瞳の揺れさえ見抜くことができる。けれどわたしは、この部屋ではなにも見ていない。直人の指はわたしを濡らすのがうまい。もちろんわたしの性器だけをではなく、わたしが彼を見つめようとするその瞳や、直人を受け止めようとする肌が濡れる。そしてそれが悲しいのは、わたしは濡れすぎるために直人を知らないからだ。わたしの瞳は世界のすべてを折り曲げて、直人を忘れさせる。わたしの肌は直人のすべてを滑らせて、わたしに残るのは熱だけだ。 わたしは見つめられて目を覚ます。始まりを知らないように、終わりすらわたしにはわからない。わたしはたいてい、直人の腕に抱かれている。直人の腕は硬く、わたしの枕にするには金属的すぎるのだけれど。わたしが目を開くと、天井か、直人の顔が見える。その目は優しく、わたしが目覚めたのに気付くとゆっくりと微笑む。それはゆっくりと大木が朽ちてできあがった、柔らかく濃い匂いのする大地の層に似ていると思う。わたしはすべてを直人に預けていたことに、満ち足りて快楽を知ったことに気づく。そして、それはとても悲しいのだ。直人の前では、わたしはなにも言うことができない。わたしはあまりに自分の不幸せを語る言葉に慣れているので、うまく自分が満足していることを伝えることができない。 だからわたしは、直人の微笑みに合わせるように微笑み返す。その笑顔に含まれている嘘にわたしは気づいている。わたしの幸福は笑顔の中にあるのではなく、別のものによって伝えられる。それがなんなのか、わたしにはわからない。ただわたしが微笑むと、直人は「喉、乾いてない?」とだいたいは訊ねる。わたしは喉が乾いていない時でも「乾いている」と答える。直人はわたしの頭の下から腕をゆっくりと抜くと、寝室から出ていく。わたしはその間に下着をつけてシャツを羽織り、ベッドの縁に座って彼を待つ。しばらくすると直人は十六茶のペットボトルとグラス2つを持って戻ってくる。そして、わたしの隣に座り、わたしにグラスを渡す。十六茶は綺麗な色をしている。わたしは、こういう色の宝石を耳に通したいと思う。「昨日の夕方、どこに行ってたの?」と直人が訊ねた。わたしはグラスの縁から唇を離し、シャツの袖で水気を落とす。わたしは直人の瞳を見つめた後、「うちに来た?」と訊ね返した。直人は首を振ると、「うちの近くで見かけたから」と言った。「朝倉が紹介してくれた、セラピスト、みたいな人のところに行ってた時だと思う。そういえば、直人の家の近くだし」「そうなんだ」と直人は言うと、ゆっくりとグラスのお茶を飲んだ。わたしには、直人がなにを考えているかわからない。だから、じっと直人の言葉を待つ。直人はお喋りではなく、わたしは枝を折るようにして待っている。直人は太陽の匂いがする。それはわたしにも移っているのかもしれない。ただ、直人の匂いは揺らぐことなく強いので、わたしはその匂いに染まっていないのだと思う。同じ匂いを分かち持っているならば、それは消えてしまうはずだ。
2005.02.23
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その部屋はわたしを凍えさせる。だから、わたしは不器用に扉を閉めてしまった。扉が噛み合って耳障りな音が響いたけれど、その音がどのくらい続いたのかさえわからなかった。暗い部屋、音のない部屋。窓はなく、わたしが通った3つの扉は閉じている。男の人の匂いが乾いた部屋に僅かに匂っていた。 暗闇は少しずつわたしを受け入れるのだけれど、部屋の中にはわたし以外の人はいない。少なくとも、わたしは見ることができない。本当は、暗闇に彼がいるはずだけれど。わたしは部屋の中にいる誰かに向かって声をかけようとして、喉が乾いているのを感じる。ぎこちなく、開いた唇を閉ざす。唇は柔らかく、わたしは乾いていない。本当は喉は乾いていず、すらすらと喋ることができる。暗闇はわたしを狂わせようとしているのだろうか。 わたしは手のひらを目の前にかざす。影が黒の中に白く浮かび上がるはずなのに、なにも見えない。かろうじて、わたしの息が手首を撫でる。それだけがわたしの手を教える。全ては闇に溶けている。 珍しい人だね。 わたしは声が響いた方へ顔を向けた。わたしが頭の中で作り出した声じゃなかった。わたしの聞いたことのない、男の人の声だ。彼なんだろう。 これまで僕が会った人たちは、だいたいはすぐになにか言ったから。なにがいるかわからない部屋で、ただ黙っているのは辛いよ。 わたしはなにを答えていいかわからずに、扉に背中を押し付けて部屋の奥を見つめる。なにも見えないけれど、彼の周りの闇が動いているような気がする。気のせいかもしれない。世界の闇はわたしによって動くのだから。 人間は視覚に頼るところが大きいからね。ライトの光の色を変えるだけで、料理が美味しく感じたり不味く感じたりする。もちろん明るすぎるのも駄目だけれどね。なにをするにも、それに応じた明るさというものがある。 この暗闇は、どんなことにふさわしいんですか? 多くのことにふさわしくないね。伝票計算するのも駄目だし、走り高跳びをするにも暗すぎる。薔薇の模様を刺繍するには手元が見えないし。テレビは画面が明るいから見れるだろうけど、そうするとこの部屋はこの部屋じゃなくなるからね。 わたしは自分がこの部屋で伝票計算をしたり、走り高跳びに挑んだり、薔薇の模様を刺繍するところを想像してみる。確かに、この部屋でそうしたことをやるのは難しいだろう。 ただ、どんなに暗くても話すことはできる。逆にいえば、話すことしかできない。だけど、見えないとしても僕はここにいる。それが電話とは違うところだね。それなのに、僕はどこにもいないようだ。電話でしばらく黙ったとしても、相手が本当はいなかったとは思わないだろう? 電話では沈黙にも意味がある。この部屋で相手が黙ってしまえば、本当は自分は一人で喋ってたんじゃないかと思えてしまうんだね。 そう、でしょうね。 わたしは彼の言ったようにすぐにもなっていくのを感じる。明るいところでは世界を見ることができるけれど、この暗闇の中では世界を確かめることができない。だから、たやすく自分を見失う。闇はいつのまにかわたしの中にしのび込んで、わたしと世界の関係を奪ってゆく。わたしは自分がここにいることさえも忘れてしまいそうになる。わたしは小さく笑った。 だから、ここを僕と話す場所というよりは、自分の暗い部分を自分へと語りかける場所と思った方がいい。これは誰にでも言うんだけれどね。王様の耳はロバの耳、って知ってる? 王様がロバの耳を持っているのを美容師が知ったけれど、誰に言うわけにもいかないから、それをどこかの穴に話すんですよね。だけど、その穴が美容師の言葉を国中に聞こえるように大きく叫んで。ハッピーエンドだったと思いますけど。 その話だね。きみは暗闇に向かって話したいことを話す。暗闇からなにか言葉が返ってくるかもしれないし、ただ暗闇に消えていくかもしれない。それで少しは楽になるならまた来ればいいし、つまらないなら来なくていい。きみの友人は一回で来なくなったしね。 朝倉は流行ってるから来ただけみたいですから。それで、問題児のわたしのところに回ってきたんです。クラスの女の子のみんなが納得して。 そこで彼は小さく笑った。わたしも笑おうとしたけれど、形にはならなかった。この部屋では、誰もわたしが笑っていないことに気づかない。それはとても悲しいことなのかもしれない。とても楽しいことなのかもしれない。まだ、よくわからない。 それから少し話をして、わたしはその部屋を出た。テレビのニュースで話題になっていることをたわいもなく話しただけだった。彼は自分のことを話さず、わたしも自分のことを話さなかった。ただ、わたしが部屋を出ようとした時に彼は一言だけ、彼自身に関係しているように思えることを言った。僕を見ようとしないでね、と。わたしは暗闇に向かって頷くと、今度はゆっくりと静かに扉を閉ざした…『暗い部屋』(2)へ続く…
2005.02.17
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わたしが伸ばした手を、冷たい手が掴んでいる。見なくても、誰の手かはわかる。そして、その手の冷たさが意味することもわたしは知っている。その手にわたしは少しだけ時間をあげる。目をつむったままでも、朝になっていることはわかった。下ろしたでもまぶたの向こう側は、明るい。それはわたしが生きている証だ。そしてわたしが握っている手の冷たさ、それは彼が生きていない証、だ。 わたしは天井を見上げる。白くて、硬い。たぶん、硬い。触れたことはないけれど。天井に手を触れるには、わたしの背は低すぎる。わたしが触れられるのは、冷たい彼の手ぐらいだ。それぐらいなら、しっかりと握ることができる。 エアコンは動いていない。だから、部屋は冷えている。それは、死んだ人のための冷たさだ。人が生きているためには、冷たすぎる。ベッドの脇のテーブル、その上に置いたリモコンのボタンを押す。すぐに暖かいものが部屋に広がっていく。それは作られた暖かさで、彼の温もりとは違う。そして彼の温もりは、わたしを温めない。彼は冷たくなったのだから。 睡眠薬は溶け残るようにして、頭の奥に小さな粟立ちを残している。それは目覚めることを拒否するように、重く鈍い。もしかして、わたしは風邪を引き始めている。だけど、それはたいしたことじゃない。わたしが自分に与えた時間は昨日まで、そして+今日なのだから。今日を終わらせるのは、わたしだ。 わたしは彼の手を離すと、ゆっくりと身体を起こした。そのまま身をよじって、彼の顔を眺める。綺麗な顔をしていると思う。青ざめた頬、血の色を失った唇、僅かにも動かない喉。清潔な人なんだと思う。最後の夜に、わたしを抱こうとしなかった。それはわたしに裏切りを許した。もし彼がわたしを抱いていたなら、わたしは幼い青葉のように彼に全てを託しただろう。 昨日の、とわたしは呟くようにして声には出さない。昨日の夜は、遠い。やり直しがきかないことは、ずっと遠い。わたしがまず、白い錠剤を飲んだ。人を死に追いやることだけを目標にした、揺るぎのない薬、のように見えるもの。わたしはそれを摩り替えている。ただの睡眠薬、眠り、そして次の朝に目を覚ますためのものへ。だからわたしは目覚め、彼は目覚めない。 彼はわたしを信用していた。わたしが裏切るとは思わなかったのだろうか。その信頼は半分当たり、そして半分外れていた。わたしは1日だけ、彼より生き延びることを選んだ。カレーが食べたかった、のだ。できれば、チーズの溶けた、とろとろのカレー。彼は死のうとする夜にカレーを食べるには、清潔で、そして真面目すぎた。 わたしは彼の額に落ちていた髪を指で梳いた。柔らかくて、癖がない。彼が死んでも、その髪には変わっていることがなかった。わたしは彼の髪が好きだった。そしてそれは、彼の頭を抱きかかえることを意味していた。彼の背はわたしよりずっと高かったけれど、わたしは胸に彼を抱くことが好きだった。けれど、今はそうする気分じゃない。死んだ人間の身体への恐怖じゃない。死んだのは彼なのだ。ただ、彼が美しく死んでいるのを乱したくなかった。だから、抱きかかえる代わりに、わたしは彼に唇を重ねた。彼の唇からは、それでも死んだ人の香りがしている。 わたしは薄い毛布で彼の肩に揃えると、ベッドから足を下ろした。床は裸足のわたしに冷たい。立ち上がって足を伸ばす。ふくらはぎが溶けるようにして、ゆっくりとその冷たさに馴染んでいく。やがて、わたしは自分の足を忘れる。わたしの足、を忘れて初めて、わたしは歩くことができる。歩き始めたなら、それはもうわたしの足ではなくなる。 喉が乾いていた。わたしが飲みこんだと正確に覚えていたのは、彼の唾液だった。わたしたちのキスは肌に歯の跡を残すようにしっかりと始まって、そして短かった。目を細めて、わたしは彼のまつげの形を見ていた。彼のまつげは色濃く、わたしの好きな色をしている。見ているだけで、それに絡め取られてしまいそうだ。けれど、彼はしっかりと目を閉じて、わたしを見なかった。だからわたしは、ゆっくりと逃げることができた。 わたしは立ち止まる。寝室のドアは開きかけている。きちんと閉じていなかったのかもしれない。ベッドを振り返る。彼は死んでいるようには見えない。だからわたしは彼の唇を確かめる。ふやけた色。それは言葉を紡ぐには柔らかすぎる。わたしは俯いて目を閉じると、ゆっくりと顔をあげる。彼のまぶたを確かめる。閉じているかどうかではなく開いているかどうか。開いていないのだから、彼はわたしを見ていない。 わたしは首を振ろうとして、喉がぎこちないのに気づく。この部屋は生きているにはやはり冷たい。そして、ベッドには彼が眠っている。永遠の、とわたしは呟きかけてやめる。わたしは永遠を知らない。永遠の誓いだけではなく、永遠の眠りも。永遠の回転、永遠の振動、永遠の落下、永遠の孤独。永遠に、言葉を繋げる。どれもしっくりと来ない。わたしはなにかを言おうとして、やはり言葉は止まる。わたしは素早く寝室から出て、ゆっくりと背中でドアを閉ざす。消えていった言葉の代わりにわたしは新しい言葉をなぞる。永遠の、カレー。 テレビをつけると、ソファーに沈み込む。画面には、古びた2階建ての家が写っている。マイクを持ったアナウンサーがこちらに向かってなにかを言っているけれど、その声は聞こえない。ぼんやりとそれを見つめたまま、カレーのことを考える。じゃがいもと玉ねぎは多めに、牛肉とにんじんは少なく。そして刻んだチーズ。
2005.02.01
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ほどには、私はもう若くはないのかもしれないな。若かった頃には、次の日に自分で読むのさえ気恥ずかしい文章を書いていたような気がする。成長したのではなく、私の情熱はあらゆる既知によって串刺しにされてしまっているのか。 昨日の日記を(というか妄想の羅列を)読み返してみた感想。どこかで読んだ文章をまた読まされたという感じ・・・自分が書いたんだから既読感はあるはずだが、そうではなくて他人の文章を書き写した感触。 それは、私が普通の人間たちの一人であることの証明なのだろうから、悪くはないはずなんだけれど。それこそ正に、自分が交換可能である予感を抱かせる。どのような人も、自分を交換可能ではないが。 自分の考えていることを全て書き出そうとしてみること。自分の記憶、自分の思想、知っている名前、その他全て。それは自分を書き記すことにはならないけれど、自分の心を書き記すことに近い行為なんじゃないかと思った。言葉にできない感情はある。しかし言葉にできない感情なら、具体的な行為に移しえない。不安は、ここでないどこかへさ迷うことを導くのかもしれないけれど。けれどそれを不安と名付けた時には、既に立ち止まっているのではないか。怒りを喜びと名付けたならば、人は嬉々として他人を殴りつけるのだろうか? それはともかく今日の日記。雨が降っている。冬の雨は嫌いだ。冷たくて寒い。夏の雨はそんなに嫌いじゃない。濡れても寒くない。 プールになんて数年来行ってないけれど、ある情景を思い出す。水の中に潜っているときに、水面を見上げる。水面には雨が作り出す点描が散っている。水の中には音がない。 これはこれで他愛のない記憶だ。しかし人が生き延びるためには、世界が美しいと自分が信じた記憶が必要なのかも。幸福であったという記憶ではなく。それは悲しいことなのかもしれないけれど。
2005.01.29
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言ったような気がするし誰も言ってないような気もする。聞いたことはあるけれど、誰が言ったのかわからない。というわけで、たまには日記をつけてみる。 久しぶりに、というか、激しく調子が悪い。気を抜くとそのままどこかの世界に飛んで行きそうだ。こういう時に精神を安定させる方法がないのが残念だ。長い長い日記をつけてみようと思う。といっても、楽天日記は半角で10000字までらしい。全角で5000字、原稿用紙にすれば12枚ぐらい。書き切るのも無理ではないはずだ。(現在午後1:11) というわけで、とりとめもなく書いてみようと思う。日記というか妄想の羅列になるかもしれないが、気分が悪くなる前に読むのを止めて置いたほうが懸命だろう。そのうちに眠くなって、目覚めたら自分の愚行を笑うかもしれない。ただ、こういう狂った夜も私には必要なのかもしれない。 人の命は地球より重い、というけれど、私が死んでも世界は変わることはない。もちろん、私を知っている人たちは悲しむのかもしれないけれど、それをカッコに入れておく。私が死んでも世界は滅びない。(当たり前だが)だが、私の世界は無くなる。私はどのような神も(現在のところ)信じていない。死後の世界というものも、信じていない。死んでしまえば、無だと思う。暗闇ですら、無いはずだ。それは無なのであり、私はそれを想像できない。そうだとしても、私が死んでも世界が滅びないことは重要だ。気休め、というか、それは救いだろう。私が死んで人々が悲しむにしても、人々の世界は私がいないという形で続いていく。 ちなみに、この文章は順序が崩壊しているはずだ。思いついたままに書いていく。段落ごとに一応まとまるかもしれないが、たいして重要ではない。読む必要すらないのかもしれないが、私と、あと1人ぐらいは読んでくれるだろう。 自分が狂っているのかもしれない、と考えたことがある。しかし最近では、自分はまだ狂っていないと思っている。もちろんいつそうしたところへ引き寄せられるかわからないし、今もいい感じに調子が悪い。だが、狂気は秩序の混乱ではない。たいていの人々が持っているのとは違った秩序を手に入れることが狂気なのだろう。混乱は不安ではあるけれど、不安は狂気ではない。 ちなみにこの文章に書かれることの科学的な裏づけは全くない。よって科学的な知識は専門家に聞いてみよう。ただ読んでなにかしら得るものがあれば幸いである。 というか、他人の文章に影響を受けやすい人は読まない方がいいかもしれない。こんな注意書きを入れるなんて、気弱な私。 最近読んだ本のこと。もう誰かには話したけれど、書いてみよう。本の題名は『知った気でいるあなたのための構造主義方法論入門』。構造主義の入門書としても良いが(と言いつつ、私は完全には理解していないと思うし、構造主義を良く知っているわけでもないが、あれです。構造の主義)、一番気になったのは「無意識は説明概念である」ということ。どういうことか? 無意識は実在するかもしれないし、しないかもしれない。ただ、外部からは観察できないし、無意識を言葉にすることもできない。(意識が及ばないところだから無意識なのだろう)。外部から観察できないもの(ここでいう外部は単に外ではない。科学的に、ということ)があるかどうかを問題にすることはできない。だが、無意識という概念はある。それはなぜか? それは、観察できるものをうまく説明できるためである。本当は12人の小人が脳の中に住んでいて脳を叩いたり削ったりして意識を操作しているのかもしれないが、それは問題ではない。無意識という概念を心理学に…というか、精神医学に導入したのはフロイトだが、それは単に無意識という概念を導入することで、様々な問題行動を一括して説明できたからだ。だから、無意識があるかどうか、ということは問題ではない。それはおそらく確かめ得ない。 私はこの本を読むまで無意識を漠然とではあるが、実在として想定していたような気がする。(もちろん、実在というよりは構造としてだろうが。)それは重力や位置エネルギーにも言える。重力がなんであるかは問題ではなく、それを仮定することで現象が説明されるにすぎない。 派生として。すると、心も説明概念にすぎないのだろうか。哲学者にヒュームというのがいるが、彼は、「心とは比較的まとまった志向性の束にすぎない」と言った。つまり現象に対してある反応をする選択肢の束の集まりが心、ということだ。おそらく、外から観察したらそうなのかもしれない。心は説明概念として? 養老猛という脳生理学者がいるが、彼は上のように考えるのかもしれない。彼は大脳一元論だろうから、全ての心的なことを脳によって説明するはずだ。確かに、脳が部分的に破壊されると、感情を失うということがありうる。そうすると、脳が我々の心(のように見えるもの)を作ることに関与しているのも本当なのだろう。足を切断しても意識はありうるが、脳を切断したなら意識は消滅するだろう。 生命とは、意識とはなにか。我々は父親の精子と母親の卵子の結合によって誕生した。しかし、精子や卵子は最初からあったわけではない。父親や母親の体内である時点で物質的に作られたもの、それらの結合がわれわれを誕生させる。そこには物質から生命への飛躍がある。(これを単純に神の意志だー、と言ってしまうのは悲しいような気がする。我々にわからないことは多いけれど…) ある形式。詩と小説の違い。詩は天才にしか書き得ないのではないか? 詩は散文を飛び越える。散文は冗長にある一点を描き得るが、詩はある一点において無限なる物を書く。 私は私の手を見る。皮膚は赤く、肌の下には血管が走っている。女性用の雑誌に載っている化粧品のモデルは、その肌に染みの一点も無い。(コンピューターで画像を加工しているのだろうが。)それが美であるならば、男は正方形を愛するべきであろう。正方形は美しい。人間に存在する脈絡のない凹凸がなく、その面は一様であり、歪むことを知らない。 目をつむるべきである。世界には見えない物が存在している。 コーンポタージュスープが自動販売機に売ってある。おしるこもある。おでんもどうやらあるようだ。味噌汁、味噌汁の自動販売機は? またはジャガイモのスープ。私はお腹が減ってきているのかもしれない。 地球は丸い。私が地面に立っている。私の足元から地球の裏側に抜けたところに、誰かが立っているとする。私と彼は、足を向かい合わせている。私は地面に立っている。すると、彼は地面にぶら下がっているのか? そうではなく、私も彼も地面に立っている。私が地面にぶら下がっていて彼が地面に立っていると考えるよりは、2人とも地面に立っていると考える方が優しい。 2歳以前の記憶は、成長すると無くなるようだ。幼児性健忘と言うらしい。私がもっとも昔にさかのぼったと信じる記憶。私は父と大きな滝の縁に立っている。それは実際にどこかにある滝なのか、私が記憶の中で作り出した滝なのかはわからない。だがそれは、大きく深かった。 夕日の記憶。夕日は悲しい。そういえば、私は太陽を見ることはできるけれど、太陽に触れることはできない。熱いらしいし。だから悲しいのだろうか。だが、昼間の太陽は特に悲しくない。手は届かない。 バナナにしょうゆをかけるとウニの味というが(違ったかもしれない)、私はうにを好まない。メロンは好きだ。メロンにハムで、メロンハム。(やはりお腹が空いているようだ) 本当は、という言葉には悲しい響きがある。 今になって思い返すと、運動会の行進の練習、あれはなんだったのだろうと思う。よく逃げ出さなかったものだ。私がもっと素直だったなら、仮病を使って休んでいただろう。 そういえば、ノストラダムスの大予言というものが20世紀の終わりに流行っていた。確か、「恐怖の大王が7の月に大きな器で味噌汁を人々にかぶせるだろう」とかそうした内容だった気がする。だが、世界は滅びず、こうして私は日記を書いている。子どもだった私は…おそらく小学校の低学年から中学年ぐらいだと思うが、真剣にノストラダムスの大予言を信じて恐れていた。眠ることが怖かった。眠っている間に、世界が滅びるのではないかと恐れていた。 朝方に眠り目覚めると2005年1月28日の午後2時辺りになっていた。世界は私が眠る前と変わっていない。少なくとも、私の部屋の様子は変わっていない。私の知らないところで世界は変わるにしても、目覚めたら乾いた砂の上に寝ているよりはましだ。 自分が死ぬ理由を、人が納得する必要はない。もしくは、人が納得する理由で自分が死ぬ必要はない。私の死は儀礼によって人々のものになるだろうけれど、私が死ぬまでは私だけのものだ。私の死は、他人の死とは決定的に異なる。数十億という単位で他人が死んだとしても、そしてそれを私がどれもを粒やかに知っているとしても、私は自分の死を知ることはできない。知ることができないものを恐れることは不合理である。だが、私は死を恐れる。知ることと体験することは違う。知っていることは言葉にできる。体験されたことは、言葉にできないものを含む。 単純に生物の進化論を信じるならば、人間もいずれは新しい生物によって克服されるはずである。それは救いであるか。私は支配されることを受容するか。理論が現実に適用されたならば、それは私の生活を変える。その未来を想像できなければ、私はどうなる? 特異な体験をしたものが、必ずしも新しい眼差しを獲得するわけではない。どのように特異な体験をしたとしても、それを自分にオリジナルな眼差しで見ることができるものは少ない。(もっともオリジナルなものがあるかどうかということは問題である。比較的にオリジナルな、と言い換えても良いだろう。)もしくは、その体験を受容できない。特異な体験をオリジナルな眼差しによって見ることができるのは、天才だけだ。(人々の多くは凡人であるし、天才は極めて少数だ。この割合が逆になったとすれば社会はうまく続かないだろうし、天才は多くは必要ない。)だから普通の人々にとっては、他人に理解されない言葉というものはない。誰も私を理解しない、ということはない。理解されない、ということは語る言葉が少ないか、語りかける相手が少ないということだ。 自分らしい、ということはどのような意味を持つか。それは決してオリジナルなものを自分が作るということではなく、ある選択肢から自分が望むような選択肢を選ぶことにすぎない。人は生きている場所から、突出することはできない。選択肢は既に用意されている。 その選択肢は選択肢であるが故に、隠された選択肢を探すことへ注意を向けることを妨げる。ある場所において、たいていの人が選んできた選択肢がある。それは常識と呼ばれるのだが、そうした常識は場所によって異なる。ある場所にない選択肢を、他の場所から借りてくることはできる。 二つのうちのどちらかを選ぶこと、そうした選択は拒否しなければならない。二つの選択肢のどちらかを選ぶ、その選ぶことには選択するものの意志が関わっているように見えるだけになおさら悪い。二つしかない選択肢、というものは我々の行為においてはない。もちろん、「明日、郵便局に行く」ということに関しては、行くか行かないかの二つしかない。けれど、「明日行かないけれど、明後日に郵便局に行く」ということと「明日行かないで、ずっと郵便局には行かない」ということは異なる。二つの選択肢のうちのどちらかを選ぶにしても、その二つの選択肢にはどちらにも様々な濃度がある。「明日行かないけれど、明後日には郵便局に行く」ということは、「明日、郵便局に行く」ということとほとんど同義であることもある。(10日後までにハガキを出さなければならないような場合。) 結構あっさりと全角5000字に近づいてきた。所要時間は3時間半ぐらい。ここまで読んでくれた方、ありがとう。まぁ、いるとしたらだが……自分でも読み返したくないな(笑)
2005.01.28
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逢いたい人を指折り数えて、という言葉が某歌う人の歌にあります。逢いたい人に逢えない時にあなたはどうするのでしょうか? 現代なら電話するなりメールするなり、離れていても連絡することができるわけですが…それでも連絡できない時はあって、じっと耐えたり耐えることができずに窓ガラスの掃除をしたり。ガラスは透明になるけれど、わたしの思いは透明にはならないのるるる。 それはさておき。そうした時にあの人からもらったピアスを耳に下げてみる。そのシルバーの冷たさがわたしにあの人の指を呼び起こす、ということがあったりなかったり。ある物がある人を思い出させる、ある物がある物を思い出させるということ。 思い出させるということとの関連のある物として。亡くなった人の遺品を継承する、形見ということ。物理的なモノとしては数あるのだけれど、それだけが特別な意味をもって自分に迫ってくる。例えば、亡くなった父親が愛用していたティッシュカバー。そのティッシュカバーは父の手作りというわけではないけれど、特別なものだとわたしが感じる。 (物)-(物の意味)、の繋がり。 (物)の分類。 直接性(ある人と直接に関連しているものであるかどうか。直接性のあるものは、ある人がそれを使用した、それがある人から生じたというような関連を持っている。⇔直接性のないもの。それがある人に似ている、というような物の意味を決定するのがわたしであるような場合) 直接性の分類。1、使用(例として、ある人の形見)。2、生起(例として、ある人の匂い、体温などが残っているもの)。←多くの場合、使用によってありがたい物が生じるのではないか。 幾つか例を出して考えてみる。 ある芸能人のサイン。これはその人によって書かれたという直接性があり、かつ生起されたものである。(筆跡という形で、本人の跡が残っている)。では、サイン会に自分で行って手に入れたサインと、ネットオークションかなにかで間接的に手に入れたサインは同じ意味を持つか。前者と後者の違いは、目の前で本人にサインを書いてもらったかどうか、ということ。目の前で書いてもらったサインは、目の前で書いてもらったという過去を想起させる。それは直接性とは異なる。 芸能人のサインと関連させて。ある人が母親の使っていたライターを形見としてもらったとする。その人が母親がそのライターを使っている場面を知らなければ、それは形見として機能しないか? 直接に知っている必要はないが、使っているところを想像できなければ意味は失われる(のかもしれない)。 更に関連させて。ある人が父親から大きな宇宙船を受け継いだ。その人の父親は実は宇宙の治安を守るパトロール隊の一員だったのだ。(ある人は父親がスーパーを経営していると思っていた)。その宇宙船は形見として機能するか? 形見と遺産の違い。交換されることを前提とした貨幣は、形見として機能するか? (父親の心臓めがけて放たれた銃弾を受け止めた500円硬貨は形見として機能する。しかし父親の財布に残っていた1万円札は形見として機能しない)。(おそらく明日へ続く)
2005.01.15
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あなたは劣等感を感じたことがあるか、と問われる経験。駐車場の隅で、コンビニの肉まんケースの前で、人通りの多い交差点で、あなたの胸の中で。(ここまで頻繁に問われることはないか…)わたしは劣等感を感じたことがあるか? あの人は自分より頭が良い、あの人は自分より美しい、あの人は自分より運動ができる、あの人は自分よりお金を持っている、と感じたことはある。そうした時にある劣等感を感じる、ということはあったように思う。(…あの人は自分より優しい、あの人は自分より謙虚だ、ということでは劣等感を感じたことはないと思う。劣等感は自分の中の価値を明白にする?) ただ、そうした劣等感の萌芽が、持続し、強いものになったことはなかったと思う。事実として自分より頭の良い人、自分より美しい人がいることは確かだ。そうした事実と、劣等感は異なるのだろう。劣等感には、自己否定が伴うのではないか。 レストランに行った時に、いつも自分より100円高い定食を注文する友達には劣等感を感じるかもしれないが、ビル・ゲイツ(マイクロソフトの創設者。個人資産では世界一で、産総額は推定で480億ドル)には劣等感を感じないのではないだろうか。比べる気にもならなければ、自分が劣っていると感じることもない。 わたしが劣等感を感じない理由は比べる気にならないからなのかもしれない。だが、比べる気にならない理由は、差が大きすぎることだけにあるわけではないと思う。 例として自分より頭の良い人のことを考えてみる。その人が自分より頭が良い、とわたしが感じる。劣等感が形成されるとすると、自分よりその人は頭が良い→自分はその人より自分は頭が悪い→だから自分は駄目だ、という流れになるだろう。わたしは自分より頭の良い人を知っているが、そのことから自分が駄目だと思うことはあまりないように思う。(少なくとも自己嫌悪の海に陥る強さまでにもは) 劣っていることによって自分が否定されるには、その劣っていることの分野において、すぐれているものが良いものであり、劣っているものが悪いものだ、という判断をしなければならない。逆にいえば、そうした判断が成り立たないところでは劣等感は生まれない。 例えば、某野球団体の巨人軍。巨人の一軍メンバーを何人言えるだろうか。わたしが思い浮かぶのは、(たぶん)上原…あとは、松井はもういない、清原は…移籍したのかな、というぐらい。だが巨人ファンにとっては、一軍メンバーを全員言えなければ劣等感を感じるのではないだろうか。だがわたしは、そのことでは劣等感を感じえない。 わたしが(自己嫌悪まで強まる)劣等感を感じないのは、そうした理由からではないだろうか。劣等感を感じるためには、その優劣の基準が自分にとって大事なものでなければならない。わたしにはそうした基準を強く信じる力が欠けているのだろう。誰よりも頭が良く美しく運動ができ財産があるならば、それはそれでいいことだと単純には思うけれど。そうした価値を生の目標に据えることができるのは、目標を見失うよりはいいのかもしれない。 あなたは劣等感を感じたことがあるか、という問いへの答え。感じたことはあると思う、けれどそれが自己嫌悪にまでは高まったことはないかな。(自己嫌悪することはあるけれど) ある価値を信じることは大事だよね…それが今は達成されていないにしても、達成された時には幸せになれるはずだし。(それが達成されないので自分を苦しめることはあるだろうけれど) たぶん俺はそれが達成されて本当に幸せになれるのか、と考えてしまうのかもしれない。たいぎぃことですわ。
2005.01.13
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善と悪が存在するためには? 一つの方法として。一本の棒を想像する。片方の端に善を、他方に悪を置く。善と悪がそうしたものであるならば、中間においては善と悪の混合がある。例として、黒と白をそれぞれの端に持ち、中間において灰色のグラデーションが存在している。…(1) もう一つの方法。ある一点に最高の善がある。それから遠ざかることを悪と呼ぶ。例として、太陽に近づくこと。近づくほど熱く、遠ざかれば寒い。熱がないことを寒いと呼ぶ。 (1)の場合…色ならば、黒、白、灰色、そうした色のある一点に決定される。しかし人が善と悪(と呼ばれるような相反する2つの性質)を持つとして、善人には悪の可能性がないのか。人が行う実際の行動には、以下のパターンがあるのではないか…1.大善をしか行わない人、2.小善をしか行わない人、3.大善と大悪を行う人、4.大善と小悪を行う人、5.小善と小悪を行う人、6.小善と大悪を行う人、7.小悪をしか行わない人、8.大悪をしか行わない人、9.なにも行わない人。 善と悪が色のようなものであるならば、3.と5.は同一の濃度になる。多くの黒と多くの白を混ぜたものと、少しの黒と少しの白を混ぜたものは、同じ程度の灰色になる。しかし実際には、3.であるものは英雄、5.であるものは小市民と呼ばれ区別される。 数を例としてみる。善を+1~+100、悪を-1~-100の幅をもつと考えてみる。人は善と悪を連続して行い得るのだから、ある固定した性質に留まることはできない。行為の幅として、+100~-100を持ちうる。 善をしか、悪をしか人が知らないのなら導かれる答えは単純なのだろう。だが人は天使でもなく、悪魔でもない。 罪とはなにか。悪だけが存在するならば、罪はありえない。善を前提として初めて罪は可能となる。悪はそれ自体では罪ではなく、善へと向かう意志が悪を罪と呼び、そして嫌う。嫌うことは、罰へと繋がりうるか?
2005.01.06
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吐き終わると楽になる。だが、洗面台の底に詰まった嘔吐物はHを気落ちさせる。指でそれをすくい水が流れるようにするけれど、更に水にさらわれずに残ったのは余計な物を洗われて剥き出しになった食物のかけらだ。Hはそれをそのままにして、シャワーを浴び、その湯で口の中をゆすぐ。やはり苦く、Hは目を細めるが、吐き気はすっかり去っている。浴槽から出てタオルをとり、身体を拭く。さきほどまでタオルを動かすのさえ億劫だったのをHは思い出す。吐くことは集中を要する。 薄い服をかぶり蒲団へ寝転がる。眠気はない。だが、腹部でにじんでいる痛みをHは感じる。胃、というものを漠然と想像する。肉体の内部に深い興味を持たないHには、それは胃腸薬のCMにおける細部を切り落とされ単純化されたイメージでしかない。その単純化された胃が、空である。Hは外に出る、そこは寒い。震えながら近くの自動販売機で、オレンジジュースを買い、プルタブを開ける。空の胃は、そこにオレンジジュースが滑り落ちたことを知らせる。Hは満足して空き缶を側のゴミ箱に捨てるが、部屋に帰って腹の底から漏れた吐息、その嘔吐物の匂いに気が滅入る。口の中の匂いは簡単に消すことができるけれど、肉体の中の匂いは変えるのに時間がかかる。 頭の痛みは残っているけれど、吐き気は無くなっている。酒を飲まなければ良かったと悔やむ。(だがHはすぐにまた飲み始める。Hは反省せずに、再び二日酔いに落ちていく。)蒲団に転がる。眠気はないけれど、まぶたを下ろしているうちに思考と外界の刺激が混ざっていく。Hはいつのまにか眠っている。
2005.01.05
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(前回のあらすじ:動かなくなった右腕の湯治を求めて東北の温泉町を訪れたHは、雪山に前人未踏の秘湯を探し歩くうちに、小規模ではあるが抗しきれない量の雪崩に巻き込まれる) 便器に座ったまま洗面台の縁にもたれかかり、口を開いてみる。嘔吐の気配、僅かな兆しはあるのだけれど、それがどのような形を取るか予想がつかない。Hはすぐに吐くことを諦めると、浴槽の中に戻り再びシャワーを浴びる。だが、気持ちの悪さにお湯に漬かっていられない。床に座りこみ、便器の縁に手を突き、口を開く。 少しずつ吐き気が強まっていく。なにも考えることができず、吐くこと、それも吐き気に伴う肉体の動きに突き動かされて、口を開いては押し出そうとする。けれど、肉体から水分が失われて、唾液すらたいして出てこない。だが、自分が吐くことをHは確信している。そして、急に嘔吐は進展する。 それまでの、自分が吐こうとする口の動きとは異なった質の、喉の奥から押し上げるものがある。1度目ではまだ、硬く収束した吐息しか出てこない。少し間が合って、2度目の衝動。唾液が喉から唇の裏までを満たして、そのまま便器に流れ落ちる。喉を保護する自然の働きか、それとも単に胃液に混じった水分が先行するのか。Hは少し顔をあげて、自分が吐くことはここで終わったのだと考える。 そして3度目。Hは吐く。何の色だろうか、嘔吐物は赤い。そして所々に黒いものが混じっている。荒く摩り下ろした果実のようだ。一回の嘔吐で、Hの気分は少し上向く。自分が吐いた物に酒が混じって排出されたかと思うと、幸せさえ感じる。だが、それをじっくりと見ている間もなく、4度目の衝動とともにもう一度吐き出す。便器に広がる吐瀉物は広がって、窪みに溜まった水へと滑り落ちていく。目元をじんわりと濡らしながら、Hはそれを見る。 たまに道に広がっているものと違って、Hはそれに汚さは感じない。Hは、自分を形作る臓器の一部、それも綺麗な色をした物が流れ出したようだと思う。細かに観察すると、吐く前に食べた物が見て取れる。全体としてはHはそれにマイナスの印象を持たないが、食物の欠片である物には嫌悪を感じる。 Hは洗面台で口をゆすぎ、便器の水を流す。何度かうがいをしてみるが、喉の奥に残る苦さは消えることはない。たまに零れて来る欠伸じみたものに混じる匂い、それを嘔吐物の匂いだと感じてHは眼を細める。口の中は水によって流されたが、肉体の内側には嘔吐の名残がしっかりと残っていることをHはその匂いから感じる。 身体を拭き浴室から出ようとするが、頭の痛みは残っている。Hはそのまま浴槽へと戻り、シャワーのお湯で口をすすぐ。肉体の部分が引き伸ばされただるさ、新たに加わって断続的に湧き起こる腹部の痛み。浴槽の栓をしているために、皮膚を流れ落ちた湯は少しずつ溜まっている。Hは尻を浴槽の隅に押し付けるようにして、たわいのないことを考える。肌の内側には血液が流れている、肌の外には水が流れている。その二つは交じり合うことなしに一方はいずれは下水へと消えていくし、もう一方は肉体の中を巡っている。それほどに血と水は遠いものなのだろうか。 しばらくそうしているうちに、考えることが再び妨げられていくことにHは気づく。Hは自分が既に吐き終えたと思っているので、その感覚に戸惑う。浴槽に溜まったぬるいものに、Hは腹部を圧迫されていると感じる。気分の悪さは増していき、Hは自動的と言える速やかさで便器に座り、洗面台にもたれかかる。自分がなにを吐くのだろう、唾液しか出てこないのではないかとHは不安に思う。だが、すぐに肉体の動きにHは身を任せる。そしてもう一度、嘔吐は繰り返される。≪更に? 『吐くこと3』へ続くのかもしれない≫
2004.12.30
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さてさて今年も残り僅かになりました今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか? 12/31から1/1と日付けが変わっただけで、なにか荘厳な変化が起こったような気持ちになり、新たな年を祈りとともに予感するものです。 年始と言えば忘年会に新年会と、暴飲暴食に明け暮れていらっしゃる方々もいらっしゃることでしょう。特に交友関係の広い僕ではないのですが、忘年会に行ってさっくりと吐いてまいりました。もっとも吐いたのは家に帰って倒れこむように眠り、数時間後に目覚めてからなのですが。 酒だけではなく、傷んだ食事をとって、あるいは他の理由から吐く。吐いたこと自体が僕にとって久しぶりのことでした。普段は意識しないけれど、僕には吐くという機能が備わっています。では、吐くということはどのようなことなのでしょうか? 生理学的な知識として。人がなにかを食べると、口→食道→胃→腸という形で消化が進んでいく。この際に胃から腸へと進まずに、胃→食道→口と後戻りするのが吐くということ。 僕の体験として:行為者【H】:場所【某県某市某アパートのユニットバス】 Hは目覚めると、頭の内側に走る鈍い痛みに気づく。彼は蒲団に横たわったまま、眠りにつく前のことを思い出す。小雨の中ふらふらと家に辿りつき、そのまま倒れこんだこと、そして自分が飲んだ酒を思い出す。1次会では、2次会では、3次会では……。Hは頭痛の中で酒に対する呪いの言葉を吐き続ける。 Hは痛みを和らげるために、シャワーを浴びることを決心する。彼は服を脱ぎ、浴室の鏡の前に立つ。練り上げられた銅のような、硬く若々しい己の肉体にHは自負の混じった嘆息を漏らす。「悪くはない……悪くはないな」(文章の一部に誇張と妄想が混入していることをお詫びいたします) Hは浴槽の中に座り込み、壁に固定したシャワーからの湯を受け止める。頭の痛みが少しずつ和らいでいき、Hは落ち着きを取り戻していく。けれど、その安定は長くは続かない。痛みではない、息の詰まるような気持ちの悪さがHを襲う。しばらく我慢してシャワーを浴びているが、ゆっくりと浴槽を出て隣の洋風の便器に座る。(Hの住みかは、一室に浴槽、便器、洗面台がこじんまりと集まっている。)自分が吐くのではないか、という予感をHは抱く。 便器に座ったまま洗面台の縁にもたれかかり、口を開いてみる……≪長くなりそうなので、この辺りで中断。第二章『僕らの街では鮭が川を上る』を(もしかして)ご期待ください。≫
2004.12.29
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椅子が壊れてしまった。多くの椅子は道外れた使い方をしなければ、なかなかに壊れる物ではない。椅子は雨を受け止める道具でもなく、乾いた大地を掘り進むためにあるわけでもない。 それでも僕はその椅子に座っている。壊れたといっても全く機能を失ったわけではない。座っていると不安定で常にバランスを気にしなければならないのだけれど、それでも座っていることができる。油断して床に落ちる、あるいは机に慌てて手をつくということを気にしなければ。 壊れた椅子に座って僕は考える。本来の、昨日までは十全に本来の役目(人に座られること)を果たしていたマビタ(と、便宜上、この壊れた椅子を名付けてみよう)は既にいない。マビタはどう変ってしまったのか。 昨日までは、僕がマビタに座っていてその存在を意識することはほとんどなかった。そこにあり、意識せずに座り、そして離れる。肌に馴染んだ服を身につけていても意識しないように、または、人が人であることを忘れているように。馴染むこと、慣れることは人にとって重要な仕組みだ。 だが突然にマビタは壊れる。マビタは不安定なものになり、僕はマビタに座っていることを意識するようになる。名前のないもの、椅子としてさえ意識されていなかったものから→壊れた椅子→マビタへと変化する。 マビタがその部分へと分解して、座ることを全く拒否するようになってしまったならば容易であった。マビタは捨て得るものであり、僕はそうすることもできた。けれど、僕は今もマビタに座っているのだ。 破壊すること、破壊されることには程度がある。その機能を完全に失ってしまうことから、機能の一部を失ってしまうことまで様々に。マビタは労苦なく僕が座っていられるものから、座ることにある集中を要する存在になってしまった。 では、なぜ僕がマビタを捨てないのか? 捨てようかと思い、それでも捨てないことを選択したからだ。最後にある作家の文章を借りてこの日記を終わろう。 捨てることは捨てないことの対極としてではなく、その一部として存在している。
2004.12.27
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めしや丼、それは関東、関西、九州の一部の街で(たまに)見かける飲食店。めしや丼では朝食、定食のライスがおかわり自由である。 まぁ、それはいいとして今日の日記。夜ご飯を食べに友人とめしや丼に行ってきました。僕はチキン南蛮と塩豚カルビ、友人は洋風チキンステーキをそれぞれ頼んだわけですが。 めしや丼には(一部の人間の)暗黙のルールとして、ご飯を2杯以上おかわりしなければならないというものがあります。普段から爽やかな汗を流しつつ丼に山盛りのご飯を食べているサッカー部の美青年ならなんということはないだろうが、文系虚弱な僕にはある種の試練なのです。 1杯めは速やかに、2杯めはゆっくりと、問題は3杯め。めしや丼の場合、おかわりは店員に頼むのではなく自分で直接に大きな保温器からつぐのですが。店員におかわりの盛りを任せるならば、それは抗いようのない運命と呼べるのかもしれない。けれど己の手を白く染めて道を切り開こうとするならば、それは試練である。 3杯めというのは、僕には苦しい。もはや食べたいという衝動は消えて、硬い器の底に溶け残った太陽のように沈んでいる米粒を口に押し込み歯を噛み合わせる、あるいは味噌汁に押し流されるようにして。 どうして人は、少なくとも僕は3杯めに挑むことになるのか。それが自分にとって苦しく、そしてそれが達成されたとしても益というよりは害であることを耐えるのか。 結果としては2つの可能性があるはずです。つまり、達成するか失敗するか。達成された場合、3杯めを食べたという満足感が、失敗すれば自分の力を見誤ったことへの深い後悔が待っています。 端からすれば、めしや丼でご飯を3杯食べるかどうかということは、どうでもよいことです。しかし僕にとっては、ある試金石となる、そこには自律的な目標設定及びその達成願望(つまりは自分ルール)があるのです。 そのルールがどのように定められるかは、もちろん自分の意志による場合もあれば、そこに押し流されるようにしての半強制的な場合もあります。目標とされるものは、この場合はあまり関係ない。目標はそれを欲する人の全体性の結果として定められるのであります。 つまり僕が言いたいことは、日記はまず更新されるべきであって、そこに書かれた、結果としての日記の内容は無問題だということです。┐(´д`)┌ ヤレヤレ
2004.12.26
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