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2005.05.18
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 鞄を手に取ろうと腰をかがめた島野の側に寄った。彼はわたしを振りかえり、いぶかしげに見上げた。
「少し話があるんだけど、いい?」
 島野は背筋を伸ばすと、ゆっくりとわたしの言葉を待った。わたしはちらりと後ろを見て、向けられた聞き耳がうっとうしかった。目で合図すると、黙って教室の外へ出る。少し歩いた階段に、屋上への扉があった。
 島野は静かに扉を閉めた。夏が近くて夕暮れは次第に長いけれど、大気の熱は力を失っていた。屋上の周りを囲うフェンスが、アスファルトの上に灰色に網を掛けている。校庭に面したベンチへわたしは座り、島野は側に立って下を見た。サッカー部が練習しているのが、蚊が水におぼれるように暗い華やぎをもって見えている。わたしはある風が収まるのを待って、
「八重草さんからの伝言なんだけど」
と言った。ようやく、島野はこちらを見た。ひどく真面目な表情だった。睨んでいるようにさえ見えた。わたしは言葉を続けようとして、自分がなにも考えていなかったことに気づいた。そして結局は、ひどく残酷なことを言った。
「本当は島野のこと、好きじゃなかったって」
 島野がゆっくりと右手をあげたとき、わたしは殴られようとしているとぼんやりとそれを見つめた。頬の痛みは一瞬でやってくるはずだった。けれどそうではなく、島野はフェンスに指を絡めて校庭の方へと眼差しを向けた手応えのなさに、かえってわたしがいぶかしかった。しばらくして、
「彩子が朝岡にそう言ったの? 俺にそう伝えてくれって」
と島野はようやく言った。
「あやこ?」
「八重草。朝岡と八重草、特に仲は良くなかったよな。朝岡が嘘をついてるとは思わない。そういう冗談を言うやつじゃないと思うし。だけど、八重草が俺のことを好きじゃなかったとは思わないよ。彩子は朝岡にそう伝えてくれって言ったとき、どんな風だった?」
 わたしは島野に尋ねられながら、ぼんやりと彼を見ていた。彼が慌てなかったのは、八重草から愛されていたという自信があったからなのだ。そして、わたしもそう考え始めていた。きっと八重草は、彼を強く愛していたのだろう。自分では別れを告げられないほどに。だから、しっかりとわたしは嘘をつかなければならない。(そのときのわたしは、愛されていたという島野の記憶を作り変えようとすることに、どのような気持ちを抱いていたのだろうか。苦しいものを耐えて、とそのときのわたしは考えていたように思う。今になって思い返すならば、その苦しさと矛盾しない暗い喜びを感じていたようにも思える。わたしには、愛されるということがわからない。そのときのわたしにも、もちろんわかっていなかった。持たないものは、持つものを妬む。たぶんわたしは、二人を妬んでいた。)
「昨日、手紙が来て。八重草さんと仲は良くなかったから、どうしてわたしなのかはわからないけど。仲が良くないからかもしれないけどね。わたしは八重草さんのことも、島野のことも知らないし、都合が良かったんじゃないかな。頼まれた理由はわからないけど、本気だったみたいだから、あんまり楽しい役目でもないけど、島野に伝えようと思って。一緒に日記が入ってたんだけど、それを読んだら、島野の嫌なところがたくさん書いてあったから」
 それ以上に島野の愛しい部分が書かれていたことは、わたしが心にしまった。それを伝えれば、島野を八重草で長いあいだ縛られるはずだった。わたしは島野の中の八重草を殺してしまおうと静かに決めていた。八重草は死んでしまったし、そして死んでしまった人間は蘇らない。過ぎ去った人間を忘れるには、嫌な思い出で飾るのが早い。わたしはひどく単純で、人が過去を美しい思い出にして忘れる方がたやすいことを知らなかった。手紙と日記を島野に渡せば、彼は自分のやり方で八重草に別れを告げることができたのかもしれない。なにが正しい方法で、なにが正しくない方法だったのか、わたしは今になってもわからない。たぶん、これからもわからないだろう。過去にあるのはわたしが選んだものだけなのだ。
「その日記、見せてくれるのか?」
 島野はなぜかうっすらと微笑んでわたしに尋ねた。指でつつけば割れそうな笑顔だった。彼が八重草を信頼する心が簡単に揺れていることに、わたしは胸が濡れるようだった。彼をそうしたところに追いこんだのはわたしなのに。わたしには嘘をつく必要がなかった。八重草が島野を愛していようが嫌っていようが、わたしには関係のないことだった。わたしは二人に無関心だった。そのことは、わたしの正直さを証明した。わたし自身でさえ、自分が嘘をついているとは思えなかった。
「八重草さんの望みで見せることはできないけれど、島野に一部を伝えることはできるよ。例えばこの屋上で。聞きたい?」
 島野はわたしの目を見ながら、小さく頷いた。わたしは薄くまぶたを閉じ、日記の文章を思い出し、そしてそれを元にして、彼を傷つける小さな言葉の塊を切り出した。
「このベンチで八重草さんが島野とキスをしたとき、島野の前歯が八重草さんの唇の端を強く切ったのよね。島野は小さく膨らんだその血を、舐めた。違わないよね? 八重草さんは、そのとき島野に汚さを感じたみたい。確かに、自分の血を舐められても嬉しくないよね」
 八重草は本当はそのとき、小さく震えたらしかった。血を舐められることは彼女にとっては、美しく小さな儀式だった。それは島野の愛の証しであり、彼女は喜びを感じた。日記にはそう書かれていた。わたしはその全てを包みこみ、島野に事実と嘘だけを与えた。島野はそれを聞いて、ゆっくりと目をつぶった。そのときのことを思い出しているようであり、わたしには聞こえない風の歌を聞いているようでもあった。どちらにしろ、わたしは彼の側にいるべきではなかった。教室へひとり戻る階段で、同じクラスの女の子と擦れ違った。彼女はわたしを冷たく見て通り過ぎていった。





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Last updated  2005.05.18 22:47:31 コメント(1) | コメントを書く


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ひみ@喉

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ゆう@ とうとう出ちゃったね うわさは本当だったよ。 <small> <a hre…
ミーシャ3216 @ ひみとさんへ 最後まで、楽しく読ませていただきました…
ミーシャ3216 @ ひみとさんへ 抱かれちゃうんだ・・。
ミーシャ3216 @ Re:『かなりあ』(11)(06/07) う。。どうなるのでしょうか・・(//・_・/…
ミーシャ3216 @ うん・・。 >とりあえず、わたしはでたらめだった。…

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