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毎日、琵琶湖を眺めて仕事をしているのだが飽きない。むかし金塊を積み上げて銃撃戦をするという映画があった。自分にはこの湖が金塊の山積のように思われる事がある。これは「水」などと言うようなものではなく、巨大な富の塊のようなものだ。それが体感できないのは、滋賀県民が狎れきってしまっているからに過ぎない。この21世紀は、まさしくこの水を踏まえて銃撃戦を行うという世紀となる。それはほぼ間違いない。この日記の読者も、自分が琵琶湖の話題ばかりするので激減しているようだ。滋賀県民も、それら読者も物事を「みている」ようでいて、実際の処では案外なにも「考えて」はいないのである。今年はカラ梅雨ということで、雨が本当に降らない。福岡、北九州、佐世保、鳥取、愛知、徳島、高知、、もういずこでも渇水で大騒ぎである。この国で渇水が騒ぎになるのだ。世界中の水騒ぎの深刻さは、想像を絶するにあまりある。中国経済は、「いつ」破綻するのか? ↑クリックでジャンプします。6年前、アリゾナ大学のAnthony Allan教授はVirtual waterという注目すべき概念を提唱した。東京大学・生産技術研究所などでも、これに呼応した追従をしている。水は、哀しいかな良い意味でも悪い意味でも人間を支配している。金銀は程なく枯渇するだろう。いくら高騰しようが存在しなくなる物質は、議論をしても詮無い。しかし水は我々が生存するためには必要欠くべからざるものだ。水は間違いなくわれわれを支配している。Virtual water 説によれば、精米1Kgを生産するにはほぼ8tもの水を必要とする。小麦粉の1Kgを作るには4t以上の水が投じられているとか。牛肉では、肉の1Kgに対して70~100tもの水が地球環境上では消費されると推定するらしい。吉野屋の牛丼を一杯つくるのに、なんと水換算で1890Lもの水がその肉と米に蕩尽されているのだというわけだ。自分は、毎日ミネラルウォーターを1L飲むように心がけているのだが、1890Lの水というと飲み干すのに軽く5年以上もかかるという計算になる。たかだか一杯の牛丼の存在が膨大な水を地球上で消費して世に存在している。我々日本人は、この地球上でもっとも贅沢に水を使用し続けてきたが無意識の内に日々生活するたびごとに相当量の水を使用している。トイレを使用する。あの排便後に使用する水が一回で10Lぐらいだという。地球上では、人が一日にどうしても生きてゆくためにほぼ30Lの水が必要だという。ところが我々日本人では、一日一人当たりなんと2000Lの水を消費してしまうのだという計算がある。日本では馬鹿な子どもは、トイレのたびに2度も、3度も水を流すがその無駄が地球上ではどれぐらい異様な無駄づかいであるのか、親もけして教えていない。そのため日本人は、世界でもっとも水資源を無駄遣いする習慣を身につけているらしい。日本社会は、年間生活用水を総消費規模でおよそ890億tもの規模で蕩尽している。ところが、Virtual water 説によれば、その1.15倍もの規模の水を別途輸入しているのだという。つまり食糧自給率の低いわが国では、牛肉、小麦、大豆、豚肉、とうもろこしなど飼料穀物にいたるまで外国産品に依存している。それらを生産するに際して消費された背景にある水消費を我々の社会が地球環境で最終消費しているのであるから、この水消費を加算して行くと我々日本人は、年間で1.925億tもの水を地球上で消費しているというのだ。これは狂気の沙汰である。借金大国の日本は、赤字国債を発行してまで世界中に多額の金員を配給している。そんな現実とは裏腹にわれわれ日本人は「生命の水」を今日も暴走特急のように大量に無駄遣いして躊躇が無い。さきに触れた食物連鎖とは、また違ったもう一つのピラミッドの頂上に我々日本人は位置しているらしい。
2005年06月27日
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ここの処、スクーターの走行距離が凄い。一ヶ月で4000キロぐらい。自動車では珍しくないが、二輪でこれだけ走る人間も滅多にいないのではないか。DS4に放火されて、購入したマジェスティーだ。ホコリをかぶせておくわけには行かない。今日も、軽く200キロを走っている。おかげで楽天日記はお留守がちだが、読者のことは忘れているわけではない。走っている方が、もっと楽しいだけだ。CLXXVIII There is a pleasure in the pathless woods, There is a rapture on the lonely shore, There is society, where none intrudes, By the deep Sea, and music in its roar; I love not Man the less, but Nature more, From these our interviews, in which I steal From all I may be, or have been before, To mingle with the Universe, and feel What I can ne’er express, yet cannot all conceal. 18歳の頃から、バイロン主義者で生きている。いまもバイロンの精神で生きているつもりだ。大阪弁でいうと「すかたん」である。琵琶湖の周りを走っていると、そんな十代の頃に読んだバイロンの叙事詩の一節が脳裏に浮かんでくる。「琵琶湖は、海だ」まさか、と誰しも思う。しかし、広くて楽しい。湖北の琵琶湖は、大阪人が一度見知ってしまうと魅了されてしまうそうだ。実は、自分がこちらに越してくる前に友人が湖岸のドライブにはまっていると言っているのを聞いた記憶がある。なんのことはない、自分も轍に嵌った。「ごきぶりを叩くすかたんすかたんを」 小寺 勇西堀栄三郎の「石橋を叩けば渡れない」の中に、「あるとき、大阪に住んでいる親戚が、ひょっこり大学の私の研究室にやってきました。「お前は、ここで、いったい何をしているのだ」と聞くので、「研究をしているのだ」と答えると、「それは儲かるか?」と、また聞きます。儲かるわけはない。また、儲けようと思ってやったおいぼえもない。もちろん、大阪の人間にしてみれば、「儲かりまっか?」ということは、「お早う」とか「今日は」とかいう程度のきわめて軽い気持ちでいったのでしょう。これは私にしてみると、これは相当ショッキングな質問でした。「いや、ぼくは別に儲かると思ってやってはいない」「それなら、お国のためになるのか」「さあ、お国のためになると思って、やったおぼえもない」「それなら、人類のためになるいのか」「いや、そうも思わない」「それじゃあお前は、どういう気持ちで、昼も夜も、三日も四日も夜通ししたりして、一生懸命研究しているのか」「さあ、私にもようわからんけれど、何か心の中から、ムラムラと出てくるものがあって、その気持ちに動かされているようなもので、まあ、しいていうならば、子供がおもちゃで遊んでるようなものかな」三高、京大出の秀才。あのアインシタインを京都で出迎えた時には、案内方に抜擢されたほど近在に鳴り響いた西堀栄三郎が、必要に応じて大学へ再度研究に足を向けた時期の逸話だそうだ。大西堀にして、親戚は研究の正体を「子供のおもちゃ」だという西堀の韜晦表現を真顔で額面どうりに受け止め、激怒して帰宅したそうである。スクーターで今日も走りながら、思い起こすことがある。オヤジも、その親族もこの湖の南部でなりわいをしていた。私が一向儲からないテーマで愉しく暮らしているなど、彼らの眼には、非国民だか、極道のようなものに映るらしい。事実、ここ数十年なんら音信もない。オヤジは、その親族の長男で本来は墓守りを主宰するべき立場だったが出奔して大阪で商売を始めた。儲かることが愉しい、と田地田畑をほり出して大阪の闇市に跋扈したのである。その息子が、儲け度外視して愉しくくらしているなど、仰天ものらしい。ヤクザ A broader-based gangになりさがった従弟がいたとしても、わたしよりも遥かに理解がしやすいものらしい。「儲け度外視」というのは、極道のさらに外部(ばけもの)、ギャング以下なのかもしれない。しかし、自分にいわせればバイロン主義者というものはこういうものなのである。西堀栄三郎の研究ですら、親戚が激怒する。ましてスケールが遥かに矮小な自分が、親族から口もきいて貰えないのは考えてみれば当然なのである。そういえば、むかし関経連の外郭団体だった阪神淡路産業復興推進機構の調査役に紹介されたイスラエル政府経済担当公使Levy Elad氏。氏がニューオータニに宿泊したときに時間をくれるというので駆けつけた。彼は、冒頭から「モウカリマッカ」と口火を切った。ほどなくモウカラナイかもしれないビジネスプランを持ち込んだ私よりも、そんな奴を紹介した阪神淡路産業復興推進機構に呆れたらしい。考えれば、近江商人もユダヤ人も儲からないことは蛇蝎のように嫌う。そんな滋賀の風土が西堀や自分のような極楽トンボを産み出すのも玄妙である。
2005年06月26日
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たまゆら1/fさんとスカイプして、寝ようかと思っていたら突然にジャーマンフライポテトを作りたくなった。おかしなことに、冷蔵庫に材料がみな揃っている。こんな夜遅くに食べるわけでもないが、プラモデルとおなじようなものであると作ってみたくなる。フォンカーウェイ「恋する惑星」が、どうたらこうたらという誰かのブログを読みながらフライパンをイジッていたらほどなくできちゃった。明日、これをそのまま弁当箱に詰めていこうか。おや、もう3時だ。も、一回寝よ。
2005年06月23日
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土日曜、ふたたび大阪へ。連日走行距離は250キロ近い。いくら走っても250CCのスクーターは高い燃費効率で負担は少ない。大阪をつぶさに観察して、色々面白いことが眼にはいる。たとえば寒天である。滋賀ではまったく棚に置いていない。大阪では、かならずあると思っていた信頼できる市場に無い。オヤジさん達に聞いてみると、やはりプロである。詳しい。テレビの影響が以前から凄いと思っていたが、今回の寒天は業務用にも影響がでるほど途切れてしまったらしい。しかし、自分はちゃんと400gほどの寒天を手に入れた。大阪でも入手が困難な寒天を、プロの卸売のオヤジさんが困っている寒天を走れば手に入れる事ができる。大阪は懐が深いという事だろう。さっそく、色々試してみたがカゴメの「きれいに赤」というジュースで寒天をつくったのが今日は一番美味しかった。シャルドネさんはクールなイメージがあるので、”寒天ダイエットするんだw”ってちょっと意外で、親しみを感じました。私も続けられるようにガンバリマス。mikawannkoさん ダイエットにこだわるのがおかしいと、笑われそうだけれども実は45歳ぐらいから医師には減量しろと言われていた。理由は、体重が増えるとインシュリン代謝の効率が悪くなり糖尿病になる可能性が飛躍的にあがるのだという。しかし、それほど確実に脂肪を落とすのは難しいものだと思う。やはり規則正しい運動以外にないのだろうと思わないでもない。これまで成功したのは、ビール酵母ダイエットである。あれは見事。体重は100キロ近かったが、78キロぐらいまで絞れた。ただ、まずい。愉しんで摂食できるものではない。医師によれば、人間の骨格は18~22歳ぐらいに完成していて当時の体重以上に肥満すると骨には負担になるそうだ。22歳ぐらいでは自分の体重は72キロぐらいだっただろうか。健康面では72キロ前後を目指すのがいいのではないか、という。高校時代は、格闘技系の部活をやっていたが体重は68キロぐらいだった。YA体のスーツをもう一度着ようとは思わないが、せめて70キロ中盤ぐらいに戻さないと医者は評価してくれないようだ。母親は、やや血糖値が高くなりかけているらしい。寒天ダイエットの話をしてみたら試してみるという。そこで、大阪で手に入れた寒天を母親にも分けて帰ってきた。確か、血糖値を下げる力もあると言っていた記憶がある。実は、NHKの放映時点では買占めていたが実行をしていなかった。フジの放送が始まって渋々試してみたというのが事実。これがなかなか調子がいい。13日から週末の17日までのあいだにベルトの穴が2つ短くなった。実家の体重計は、ドイツ製で信頼しているが軽く4キロ程落ちている。しかし平素と変わらない食事をしているので、体調はすこぶる快調である。これは自己記録では、ビール酵母ダイエット以来の好成績である。実は、前回ビール酵母ダイエットを途中でやめたには理由がある。男は、女性とは違うのである。ロバート・デニーロや自分のように体重を平気で演出できる奴は男性社会ではけして評判が良くない。事実、周囲の社長さん連中からぼろぼろに言われた。「君は、ベンチャーなどやっとるから相当大変だとは思っていたがそこまでとは思わなかった」なるほど。こちらは摂食しているつもりだったのだがあちらには絶食していると言う風にしか見えないものらしい。ただの「食い詰め」に見えたのだろう。
2005年06月19日
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寒天がブームらしい。いや、ただしくは寒天ダイエットのブームというものだろう。言うまでもなくあの「発掘!あるある大事典」の恐るべき猛威はここ湖北の地でも相当なものである。もう、食品店の寒天の商品棚はカラ。棚ひとつをまるまる寒天製品シリーズで対処していた店側も豪快な売れ方に焦ったのではないだろうか。たまたま地元の大手スーパーに出向いて買い物中だった私は高校生の群れが食品棚の寒天売り場に群がっているのを見かけた。当然ながらまったく在庫がないわけで、致し方なく寒天加工製品を買い求めて埒をあけていたようだ。実は、今回のブームは読めていたので自分はあらかじめ購入しておいた。備蓄量は、わずか100gほどのものなのだ。しかし、寒天という素材をよくご存知の方はご理解いただけると思うが、寒天の保水力はほぼその自重の100倍だそうで、100gの寒天だと10リットルの水に相当する規模で内臓部で肥大化するそうだ。ウーロン茶を1ケース購入したようなものなのだろう、と勝手に素人判断した。実は、あのNHKの「ためしてガッテン」というやつで先行してそのパワフルなことは概略で知っていたので日曜日以前に買いだめしていたのである。子供の頃は、寒天菓子は好きだった。こんにゃくが苦手なのになぜか寒天が好きで親から不思議がられた。微妙な舌先の感覚の違いが自分の好き嫌いの判別に関わっているのだろう。こんにゃくの場合は、糸こんでも嫌だ。血糖値は、高くないとかかりつけの医師が言っていた。肥満傾向は、千里の病院でも言われていたので気がかりだが無理に運動をすれば尿路結石になりかねないので自分なりに気遣いしている。これまで成功したダイエットといえば、ビール酵母ダイエットだけである。あれは極めて有効な方法だと思うし、栄養価も高い。しかし決定的に不味いのが難点だ。毎日食べていても、楽しみというには程遠い。自分は、一昨年にビール酵母でほど8キロほど体重を絞った。今回は、寒天をどのように摂食しようかと色々考えてみたがすぐにタネがつきる。そこで台所の引き出しをながめていると、ごろごろ出てくるのがインスタント食品のおまけについているスープ類の封入された残りである。とかく思い切りが悪いため、捨てることに踏み込めずついつい溜まってしまっている。これを片っ端から寒天でかためて食事前に食べてみようと思った。トマトジュースで寒天ゼリーにするのが流行っているらしいが、すぐに飽きた。ジュール類も、甘いとおやつにはいいのだろうが食事前にはどうかという気分だ。自分は、コンソメを寒天で固めて食べてみたり味噌汁をつかったり三度の食事と馴染みのいいもので続けてみようと思う。結構頑固な体質なのか、それほど便通が良くなったとかウエストまわりが短くなったとかはまだ無い。しかし、体調が良いような気がする。同時に水分摂取はこころがけている。これは医者からも進められている。結石ができやすい体質なのだから、水分摂取は意識して心がける必要があるのだ。流行するダイエット法は、なんでも一度試してみたくなるという自分は一体なんなのだろう。気分は、地元女子高校生と大差ないのである。↑次の日曜日には、これに挑戦してみたい。
2005年06月13日
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梅雨の合間を縫って、東近江市の「探検の殿堂」西堀栄三郎記念館を訪ねてきた。しかし、分かりにくい場所だ。電話で説明を受けただけで順路が分かる人は、多分地元の東近江市のひとだけであろう。他府県から人を呼ぼうというのならもっと分かりやすく案内をして貰いたいものである。記念館へ足を運ぶだけで「大探検」になりかねない。↑クリックでジャンプします。はじめて遠景に、この建屋が視野に見えてきた時には正直ホッとした。少なくともあの南方熊楠記念館よりは新しく立派な建造物だ。しかし、画像モニターをみているかぎりでは西堀栄三郎の業績の凄みはあまり伝わってこない。館内で売られていた西堀栄三郎を顕彰しようとする絵本(西堀榮三郎ものがたり700円)も正直あまり感心できない。この記念館のミニチュアのようなものだ。館内の画像モニターは、偉人列伝のようなもので「なぜ」このような偉業が為遂げられたのかという内面の動機を想像させるような知的な示唆はあまり受け取れない。少なくとも和歌山の南方熊楠記念館には、偉人熊楠の内面へ迫る姿勢が展示物を通じて訪問者には伝わってくるものがある。建物の旧い新しいではないのだと痛感した。遠路を尋ねてきたというのに、南極関連のモニターの一部が地元の小学生のための学習スペースに転用されていて閉め出しを喰らった。あれ、あれ。そんな勝手な真似を良くできるものだ。館の運営側に緊張感がなさ過ぎる。来訪者は一期一会の思いでやってくるのだ。東京からこの記念館を訪問してきた人が「残念、次回には是非拝見しよう」などと考えて再訪するなどというような事がある筈がない。館内にやってくるこうるさいガキどもの声が館内で反響してモニターがまったく聞き取れないのにも閉口した。引率者が子供のくだらないワイワイを一向に諌めないのにも呆れた。自分は、子供は好きである。モニターをみながら静かに自分と一緒に座って西堀の足跡を辿ろうとしている子供たちも幾人もいた。ところが肝心の児童を引率してきた間抜けな男が、モニターの内容を退屈だからと子供たちに移動を促して、わたしは二重に騒音で悩まされることになった。なんの事はない、引率者がもっともガキなのである。わざわざこの記念館に子供たちを連れてくる児童教育者の考え方が、わからない。どうやら「ドキドキ南極体験ゾーン」という仕掛けだけが売り物のようだ。ばかばかしいと言うしかない。ここは南極記念館なのではなく、西堀栄三郎記念館なのではなかったのか。ネットで検索して訪問した人たちは、余程我慢強い人でなければおそらく二重三重に裏切られた思いが湧くのではないかと思う。記念館の売店においてある著書を購入して帰れば十分だ。日本規格協会「西堀流新製品開発」1800円を買い求めて帰宅した。内容は、個別に知的刺激を放っていると感じられる。どうしてどうしてその内容はけっして古びてはいない。この時代は、まだ西堀の述べている域に辿りつけていないでいる。これからの研究技術者は、いろいろな技術能力を発揮しなければならない。従来、専門家がいいという迷信が災いしている面が多かった。専門家は技術開発に対してむしろマイナスに働く。誰かがいい案を持ってきても、その人がいわゆる専門家面して排他的になり、ほかの人の案を退けて殻の中に閉じこもって、その殻が職業的な自己防衛という形で現われる。こういう意味の専門家=プロというものを私は否定するし、みんなで打破しなければならないと思う。 西堀栄三郎 日本規格協会「西堀流新製品開発」
2005年06月12日
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西堀栄三郎は、京都の人だけれども滋賀とも縁が深い。京都で丹後縮緬の製造販売を行っていた父親の出身が滋賀だったらしい。幼少時には相当な事業規模になっていて、使用人も多く恵まれた家庭環境とか。あの今西錦司とか桑原武夫とは1922年頃に受験した旧制三高での交流という。実は、旧制三高には二度受験で失敗している。入学した時に、今西錦司が留年中で、同時に三高入りした桑原武夫と同級生となって、三者それぞれ京大のボス的存在になった。ボスになろうが、なるまいが彼らの仕事はいずれもそれぞれ魅力的だ。九歳の時、西宮の鳴尾まで一人で飛行機見物に出かけたという。時代がのどかだったとはいえ冒険家の資質は備わっていたのだろう。聞けばその二年後にあの白瀬中尉の講演会に参加して強い印象を受けたらしい。中学時代、すでに今西錦司と昆虫採集に明け暮れて京都の山は無論の事中央アルプスを足を向けた。あの手塚治虫も、養老孟司も昆虫採集が趣味だというのは有名だ。昆虫オタクたちがこの国では一時代を画したという印象がある。ファーブルの「昆虫記」がどこの小学校にも置いてある理由が分かるような気がする。知らなかったが西堀栄三郎の内儀は今西錦司の妹で美保子。閨閥の萌芽と言えばそんな気もする。知の閨閥が血に誘導されるというのは戦後的に顕著だ。ただ彼らの世代は、ナイーブにも内なる意欲に誘導されていたのだろう。高校時代の教科書にも載っていたが旧制三高時代に校長と対立するなどというストライキ闘争を指導して、その際バイクで構内を走りまわっていたという逸話は自分達の69年を重ねあわせて笑える。学生の闘争などとは所詮学校当局との駆け引きに端を発した無邪気なもので擱ければ楽しい思い出に封じ込められることもが大抵である。私が、アメリカに留学していたとき、土曜、日曜の休日に何をして過ごそうかと考え、「そうだ、南極へ行ったことのある人を訪問してやろう」と思いつきました。アメリカにはバードさんなどと一緒に南極に行ったことのある人がいますから、その人たちに会ってみようと思ったのです。これがひとつの分かれ道といえますが-----その人たちに会ってみると、とても親切で、いままで何年もつきあってきたようです。全く人種を越え、歴史を越えて、私たちは大変親しくなりました。その中には、犬ひきがいる、コックさんがいる。そういう人たちは”偉い人”ではありませんから、南極のことで訪ねられることもないのに、日本からわざわざ訪ねて来てくれたというので、とても喜んでくれ、親しくすることができました。 西堀栄三郎「石橋を叩けば渡れない。」西堀が、白瀬中尉とであったのは11歳だ。アメリカ留学は、1939年12月。西堀が36歳の頃。なんと太平洋戦争の2年前ではないか。そして驚くべきことに彼が初代南極越冬隊長となったのは、1957年、西堀53歳の時代である。実は、この自分と同年。この年齢にしてあの酷寒の南極へ出向くという感覚に震撼する。恐ろしいオヤジがいたものだと思わずにいられない。
2005年06月12日
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トマトが豊富な時期か。食べやすいから、おやつ感覚で齧る。街の暮らしの癖でトマトジュースを買ったのが何の意味があるのか。いつも大阪で習慣になっていたが、よく考えれば濃縮還元のジュースなどここでは必要ないではないか。自分が言うトマトとは、あの都市部の軟弱な消費者の病的な嗜好に過剰適応したあの桃太郎のことではない。きちんと酸味も味わいも維持された懐かしいトマトがたっぷり食べられる。桃太郎は、あのタキイ種苗がヒットさせた謀略的な品種であれのおかげで料理家のメニューがどれだけ貧困になったことだろう。毎日の手抜き系豪快料理もすこぶる快調で、いい暇つぶしになる。野菜をふんだんに摂れるのがいい。けして菜食主義でもないが肉食に興味が湧かない自分には有難い。友人のドクターがIP電話がついたかと電話をしてきてくれた。自炊生活で、チゲ鍋が旨かったといったら自炊のプロである彼(彼は医師の一家の長男だが、一度も結婚をしたことがない)が「手の込んだ料理をつくるものだね」という。下手な調理師に負けない腕前の料理家の彼が、チゲ鍋で手が込むとは意外な意見だ。もっとも激務の医師で独り者でいると、勢い夕餉は簡単手間なし系に流れるものらしい。土曜日に雨。予定は、また順延になる。
2005年06月11日
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事前に3~4ヶ月待ちといわれたのに、もう光ファイバーが来た。それは大歓迎。それから1週間以上待ちといわれたIP電話も翌日に来た。(笑)みな良い方に裏目なのでいいのであるが、なぜか到着したモデムやIP電話アダプターが常時電気使用をするという仕組みになっている。なるほど電力屋さんの「陰謀」は、常時接続のネット利用者らは、節電の思想に馴染まない輩と見限っているらしい。しかし、環境負荷低減のためには当然パソコン電源を切れば関連の電力消費が落ちるようにできないと駄目だ。一方平素から電話はネット利用時以外でも使用する道具だ。パソコン止めたら電話使えないなどというのも困る。パソコン依存型の通信は、電話の場合なにかと不便なものだと思う。なんだかんだと言ってパソコンほど消費者の快適な生活を配慮しない道具も珍しい。
2005年06月08日
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たまゆら1/fさん、驚いたよ。あのフュージョンがスカイプと提携するらしい。IP電話をつかっていると、受けた代表電話が判断して自宅のスカイプや指定の電話へ「振り分け」するらしい。当然ノートパソコンで話することもできるだろうね。当然、携帯へ電話転送を指定することもできるのでしょう?それとも自宅のパソコンのスカイプが判断して自分のPHSに転送するとか?ああ、話が複雑でややこしい。スカイプからIPにコールしたら、スカイプに転送されたりして。なんのこっちゃ。(笑)
2005年06月07日
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光ファイバーが架設された。この件、お話しただろうか。日曜日の夕方、トラックを従え4人も京都の宇治方面からお越しになった。関西電力からは3~4ヶ月ぐらいはかかると聞いていた。依頼してからわずか2週間ほどで工事着手をしてくれている。なんという迅速さだろう。推量するに、いきなり大阪本社側の担当者に直談判した事が大きいのではないか。この手の交渉には、つねに本社側を突き個人名を聞きだし、そして間歇的に当方の窮状を述べる。そして、その利用に際してこの地域の利用者拡大に多大の貢献が生じるであろう、と示唆するのである。その手の表現についてのトークは矢鱈とコレクションがある。それぐらいが自分の唯一の財産のようなものだ。しかし、大工事だった。大阪の高層アパートの場合とは分けが違う。これまでADSL信号も利用するものがいなかったような地方の個人の部屋に、いきなり唐突にも光で通信するというわがままな男がやってきて周囲がそこそこ困惑しているのが分る。NTTは、わずか3週間ほどの利用でこのADSLモデムを突き返されてしまうのだ。気の毒な気がしないでもない。しかし高額な電話代や@niftyの支離滅裂な電話口での高慢ちきな語り口をもう2度3度も聞きたくもない。どうか過去に蓄えた大切な既存顧客を失い続けていただきたい。
2005年06月07日
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大阪と湖北をピストンしているとはいえ、週の大半は琵琶湖の涼風を浴びているようなものだ。次第に都市の消息には関心が薄くなって、仕事と開発テーマに集中できるというのは健康的でいい。確かに田舎ではあるが、プロジェクトの中心はヨーロッパのメーカーから来ている技師達を取り囲む若い技術職ばかりで日常は結構高いテンションで維持されている。気が散りやすい都会よりも、目の前のテーマに集中できる環境として言えばこちらも中々豪奢なものだ。自分の周りのオヤジたちもさまざまな社会的経験値を持ち合わせていて話していても濃縮された高度なスキルと強い士気が交歓されていて気持ちがいい。日曜日には、京都の社長さんが滋賀県人を酷評しているのを耳にした。しかし、京都も関西では大概評判が宜しくない。関西で、これほど京都人が悪評紛々だということは関東では知る人が少ないかもしれないが、これは間違いなく事実だろう。ところがその悪名高い京都人が酷評するのだから、滋賀県人は相当なものなのかもしれない。くだんの社長の意見では、滋賀県人は態度が豹変するというのだ。京都人ではどうなのだろう。関西では相互に酷評しあっていて、あまりほめられた府県はないように思う。奈良県人も大阪ではあまり芳しくない。他ならぬ大阪人の悪評は全国に鳴り響いているのではないか。要するに関西は、生活圏に熾烈な応酬が絡んでいるのか他府県人について点が辛いようだ。面白いことに、その社長さんは湖北を偏愛している。(笑)実は、ブラックバスを湖北で釣っているフィッシングマニアでビール片手に湖岸に立って過ごしている時間が至福の時なのだという。可能ならば湖北に住みたい、などと口走っていた。滋賀県人は嫌いだが、琵琶湖は好きでいて事と次第では滋賀県人になりたい、みたいな事を言う。この分裂気味な感覚は、われわれ関西人同士でなければ理解できないのかもしれない。
2005年06月06日
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この地域は、猛烈に環境意識が高い。自分は、朝昼晩と3食自炊でまかなっている。昼は、自分でつくった弁当で外食は皆無という具合だ。当然、皿洗いから洗濯、部屋掃除、部屋の内外の環境づくりまで眼が回るほど忙しい。これは大阪では絶対に経験できない境地である。大阪市内では、府知事公舎に近いアパートに住んでいた。食べるものに不自由はないし、朝といわず夜といわず24時間コンビニ店で必要なものは揃えられる。買い物も全国的にみても便利な方でランキングに入るだろう。ゴミ捨ても天国で、13階立てのアパートの住民は、ほぼすべて好きなときにゴミをアパートの専従管理人の収容スペースにほり込んで済ましていた。自分は、ゴミをあまりださない生活をしていたがゴミの収集日を意識する必要はまったくなかった。ご当地では、そういうわけにはゆかない。自分の生活は、ほとんどゴミの仕分けに当てているような気分である。まず、ペットボトルはすべてキャップとフィルムと本体ボトルに3分割しなければならない。ボトル内部は内容の水洗いが必須である。こんな事何度もやっているうちに自分はもうペットボトル入りのお茶を買おうという意欲が失せてきた。毎日、金属製胴体の保温瓶で自分でたてたお茶を持ち歩きしているのである。生ゴミは、まったくゴミに出さない。すべて植栽に埋め込んでいる。フライパンの油汚れもスクレイパーでこそぎおとして土に返している。自分が出すのは燃えるゴミぐらいだが、最近は賢くなってきて購入店で包装やパッケージを剥き出して脱落させている。自宅にゴミを持ち帰らないという戦法である。しかも、その燃えるゴミを滋賀県スタイルの透明袋にかならず入れなければならない。そのゴミ袋が眼をむく程高額である。ばかばかしくて2度と購入する気持ちが失せるほど高い。そのゴミ袋には、毎週月曜日と水曜日の朝に自分の名前を記入して指定のゴミ捨て場に持参しなければならないのである。今日も琵琶湖岸をスクーターで駆け抜けた。朝6時頃から所用で大阪へ。折り返し京都、そして湖北まで。往復所用時間9時間、走りづめに走っていた。しかし、使ったガソリンは6リッター。その価格は@106/Lである。636円。230キロ以上も走行してこれほど移動経費の安い生活も滋賀独特のスタイルである。帰路道中。琵琶湖博物館の前、自分で持参した弁当を食べた。一切ゴミは出していない。道中に、美しい公園があったが、そのトイレのエコシステムをみて驚いた。滋賀県は、たぶんエコロジーに淫している。いうならばエコロジーカルトという域である。しかし、6月というのに気温は17℃。バイクの体感では14℃ぐらいだろうか。
2005年06月05日
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大阪と週末往還を繰り返していたが、週末の雨の事とて地元散策に充てることにした。湖東の西堀栄三郎記念館「探検の殿堂」の訪問は順延することにする。何年もこの機会を待っていたのだから、特段焦ることはない。天気の良い日にはあの聖徳太子が帰化人のために建立したと伝承のある百済寺(ひゃくさいじ )などとともにじっくりと近隣を巡ってみようと思う。しかし、この東近江市の関係者はなにをしているのだろう。ネット検索をしてもこの記念館の所在がすべてサイト情報で旧住所になったままだ。この国の偉人の記念館ともなれば、立派な観光資源だろうと思いきや随分粗略に扱われているものだと思ってしまう。あの「世界の知性」南方熊楠の記念館が和歌山では嘆息ものの扱いを受けているのは、仕方がないという気もしないでもない。しかし滋賀の民度は、和歌山とは少しは違うのではないかと思っていたが西堀栄三郎先生への配慮がまだ緩いのは危惧されるところだ。× 滋賀県愛知郡湖東町大字横溝419番地○ 東近江市横溝町419↑クリックでジャンプします。ご存知の方には、蛇足のような話であるけれども西堀栄三郎先生といえばこの国のエンジニアにとっては神様のような存在である。ネット上にも色々と逸話が散在しているのだけれども、明治の人はやはり昭和生まれの軟弱な我々とは相当違う。自分がバイクに乗り始めたのも西堀栄三郎先生の影響は濃厚である。たしか高校時代の教科書に京大の構内を学生時代の西堀先生がバイクで疾走していたとの回想談が掲載されていたと記憶している。桑原武夫氏のエッセーだったように思う。ランパルやニコレの師匠だった、マルセルモィーズもバイクに執心してフルート使いのかたわらで常にバイクをいじっていたそうだ。酔いどれさんのサイトがなかなか詳しい。真空管の発明。統計的品質管理手法を日本の産業界に定着させる。日本におけるQCサークル運動の「開祖」。日本山岳協会会長。第一次南極越冬隊隊長。昭和55年チョモランマ登山隊総隊長。「雪山賛歌」作詞者。植村直己氏の「後見人」表面の業績だけでも、相当なものだけれども自分などが先輩から耳にした「こぼれ話」がまた凄い。ネットで拾えるものも、面白いけれどもまだまだ蒐集されていない逸話が先生の場合には、ゴロゴロあると思う。1934年 比良山スキーツアー中、イノシシと格闘。新聞記事になる。この事件、イノシシを追いかけて飛び乗り、両目をつぶし、組み敷き、その後、大勢で殴り殺したというもの。今だったら、動物虐待で、警察に逮捕されちゃうかも・・・(ノД`)ちなみに、当時の新聞タイトルは「昭和の仁田四郎 大猪に飛び乗って遂に殴り殺す 京大西堀講師の武勇伝」だそうだ↑クリックでジャンプします。とにかく、フツーの人ではない。ところで、こちらは大阪育ちには途轍もなく不便な地域なのだが図書館があるらしいので小雨の中を取りあえず出向いてみた。しかし、予期せず近隣で見出したそれは予想を越えた綺麗な建造物である。田園風景の中に忽然とポストモダンな装いで現れた図書館は、ここ5年ほどの新刊本で埋め尽くされている。これは驚いた。ほとんど貸し出しされたとか、閲覧されたという気配を感じない書籍が広い敷地の棚の中に並んでいる。いや、これは凄い。少なくとも、大阪市立中央図書館のあの不便さ。大阪府立中央図書館の「ご乱心」みたいなロケーションを考えれば利用に際しての便利さは、こちらとは比較にならない。爽やかな風を浴びて閑散な田道を少々バイクで疾駆しただけでこの図書に辿りつく。実態でその蔵書はすべてシャルドネさまの書庫のようなものだ。豪勢なことに、ありとあらゆるジャンルの音楽CDが唸るほど所蔵されてあるし、ビデオソフトだってしばらく見飽きるぐらいにある。館内を歩き回って、しばし茫然とした。次回は、弁当持参で来ることにした。この地域の住民は、この凄い図書館をまったく利用していないのだろうか。いや、農産地のことだから人口密度が図書館の規模が想定しているものを遥かに下回っているのであろう。いや、驚いた。これならば書店などまったく必要ではない。特殊な書籍も、アマゾンなどを利用すれば十分だ。
2005年06月04日
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昨日もたっぷりとスカイプで鍛冶屋の息子さんと盛り上がった。湖北と福岡という遠隔地であっても気心の知れた楽天仲間がいるからまったく寂しいなどという感じはない。そもそも、飯屋がないのだから毎日夕方から缶ビールを飲みながらキッチンでたっぷり調理に時間をかけている。たいしたものができる分けではないが週刊ポストの「男の料理」を通読して永年憧れていたような奴を少しづつ試してみるわけだ。しかし、この国は泥棒だらけだ。鍛冶屋の息子さんだけが義憤に燃えているわけではない。ご当地の駅で拾ったタクシーの運転手だって「子供から老人まで国民全員が700万円も借金しているって、いつのまにそんな金額の借金をつくってくれたのか知らないのをいいことにこの国は酷い真似しますわなあ」って愚痴を言う。まあ、酷いのを数えているとキリがないが真面目にモノづくりしている人達のあいだに混じいって暮らしていないと心の平衡を維持するのは本当に難しい時代である。さて、明日か明後日には西堀栄三郎記念館にでも行ってこよう。京都大学理学部卒業後、京都大学理学部講師、助教授を経て、1936年33歳の時、民間企業(東芝)に移った。そこで真空管を発明し天才技術者と言われた。1949年46歳で東芝を退社し、統計的品質管理手法(SQC)を日本の産業界に持ち込み、その普及に努めた。これが後のQCサークル活動として日本中の企業で取り入れられることになる。デミング賞も受賞している。今西錦司、桑原武夫ら京都グループの主要メンバーの一人である。1956年53歳で京大の教授となり、翌年の1957年2月15日から翌年2月24日のまる一年をかけて行われた「第一次南極越冬隊」の隊長を務めた。
2005年06月03日
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