もう昨年の話になりますが、以前に三谷幸喜監督の清須会議という映画を観ました。 たしかに歴史上、清須会議はあったのですが、三谷作品はあくまでも面白おかしく作ってあるので、実際の清須会議とは違うと思います。

ところで、清須会議の実際はどうだったのか、と思っていたのですが、そんななか本屋さんで見つけたのが「誰も書かなかった清須会議の謎」という本です。

作者は日本史のなかでも戦国時代を専門としており、NHKの教養番組などでも良く出演している静岡大学名誉教授の小和田哲男氏です。
小和田氏といえば、僕のような日本史好きから見れば神様のような人であり、本当に信頼することのできる人です。そういう人が書いた本ですから買わないわけにはいきません。
まずは、清須会議の出席者ですが、映画の中では、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉そして池田恒燠となっており、通説もこの通りのようなのですが、文献の中には堀秀政という武将も出ていたという説もあるそうです。
また、本来出席してもおかしくない織田家宿老のひとりであった滝川一益ですが、出席していないことは間違いないようですが、出席しなかった理由は良くわからないらしいです。映画の中では、会議に遅れたことになっていましたが、そもそも出席を辞退したという可能性もあるようです。
なお、映画の中でバカ殿として描かれていた織田信雄ですが、意外と長生きをしていて関ヶ原では西軍に加わったふりをして徳川家康と内通していたらしく、関ヶ原の後で、いったんは家康から改易させられますが、しばらくして5万石の大名として復活しています。
一方、優秀だとされていた織田信孝ですが、こちらは柴田勝家の側についたため、柴田勝家が滅亡した際に切腹させられて、若くしてあえなくこの世を去っています。
また、清須会議の時には子供だった三法師ですが、成長してからは織田秀信と名乗り、美濃の国13万石の大名となりましたが、関ヶ原の戦いで西軍につきます。ちなみに織田信雄のように徳川家康に内通することなく、東軍の福島正則らと戦って敗れ、関ヶ原後は高野山に追放されたそうです。
清須会議での織田家の主人公たちですが、一番生き残れそうになかったバカ殿の織田信雄が、結局最後まで生き残ったのは、面白いですね。
とまぁ、こういうふうに清須会議に出席した人物たちの清須会議後の人生まで教えてくれる興味深い一冊でした。
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