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飛び石連休にたまったマイレージを使ってどこかに行こうと思って空席をみてみたら、大阪-大分便が空いていました。大分空港は、大分市から離れた場所にあって、国東半島の隅にちょこんとあります。国東半島は、奈良時代から平安時代にかけて六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄えたところです。石仏や磨崖仏など、今もその遺跡が半島の至る所に散在しています。ということで、この日の遺跡めぐりでは「仏の顔も三度まで」というわけにはいきません!午前8時45分に大分空港に到着。レンタカーの手続きをして、すぐに出発です。まず国東半島の最深部・岩戸寺に向かいました。誰もいない、閑散としたところでした。百年経っても景色が変わらないような感じです。こうやってみると、石の仁王像というのは、風化した後のディテールの粗さがかえって周囲の環境と一体化してきて、それが味になっているような気がします。向かって右側にあった像は、1478年に造られたもので、在銘丸彫り仁王像としては日本最古だということです。導かれるように参道を奥へと進んで行くと、国東半島で最古の宝塔という国東塔がありました。あまりにもひっそりと建っているので、これが重要文化財だとは気づかないほどです。茅葺き屋根のお堂も、鄙びた感じで、このお寺の雰囲気にピッタリでした。続いて向かったのが、文殊仙寺(もんじゅせんじ)。カーナビに行き先を入力しようと思ったら、寺の名前が案内リストにないことが発覚!ナビ頼りだったので、看板を見逃すなどして道を2度間違え、30分も迷ってしまいました。電話番号を104で聞けばよかった...着いてみると、やはり参道の両脇に立派な仁王様がお出迎え。石段を上がり、奥に進むと、表情の豊かな石仏が並びます。苔むした感じがまた風情を増しています。両子寺(ふたごじ)では初午大祭が行われていました。正午の餅撒きにちょうど間に合いました。自分もひとつだけCatchできました!このお寺で最も印象深かったのは、ふもとの参道です。仁王像と並木と仁王門と石段、その並びが荘厳な印象を与えます(中に入ると、くだけた感じになりますが...)富貴寺。九州最古の木造建築という国宝・大堂のバランスの良さに惹かれます。雨の日は中に入ることができませんが、この日は快晴。わずかに残された内側の壁画を見ることができました。お堂の周りには、様々な石像美術があります。無造作に、それでいて周囲と溶け合っています。元宮磨崖仏は、偶然通りがかりました。これは薄い石板に薄く彫られていました。ギリシャ彫刻のような感じさえします。あいにく、真木大堂は、改修中のため閉鎖されていました。石仏ばかり見ていたので、このへんで9体の木像仏像群を見たかったのですが、残念。そして、最後に、熊野磨崖仏。鬼がわずか一夜で築いたという伝説の石段を登っていきます。この険しさは、まるで新宮の神倉神社のようです。99段あります。石段を上っていくと、突然、巨大なふたつの磨崖仏が現れます。その迫力に、思わず「おおっ」と声をあげてしまいました。右手奥に高さ約6.8mの大日如来、左手前に高さ約8mの不動明王がそびえます。不動明王の表情がどことなく柔らかく、探せばいそうな顔で親しみやすい感じです。この巨大な磨崖仏、今からおよそ900年前につくられたとされています。それにしても、なぜこの国東半島には石仏がこうも多いのでしょうか? 周囲は緑豊かで、木で仏様をつくることだって充分にできたはずです。近畿地方ではほとんど見られません。近くには神仏習合の発祥地、宇佐神社があります。つまり、神でも仏でもいいから助けてほしい、それだけこの土地の人々は、今の痛みや苦しみから逃れたいという思いが強く、その思いの強さが岩を削るという行為に発展させたのかもしれないと、勝手に想像するのでした。その石仏が風化を重ねて、今日のマイルドな姿にかわり、周囲の風景に溶け込んでいるところに、味わい深さを感じるのでした。
2008年03月20日
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いま、金刀比羅宮で「金刀比羅宮 書院の美」展が開かれています。円山応挙や伊藤若冲の襖絵が、描かれた当時をほぼ再現するように展示されています。2年前、奥書院が125年ぶりに公開された際に、その価値がわからずに行かなかったことを悔いていたので、今度こそはと意気込んで行くことにしました。讃岐うどん巡りとあわせて、お腹と眼を満たす日帰りの旅です。新大阪を9時51分に出発する「のぞみ7号」に乗車。行楽日和のせいか、自由席は満席...立ったまま岡山に到着しました。岡山発のマリンライナーへは乗換時間わずか7分。坂出に着いたのは11時22分。これが大阪から最短のルートでしょう。坂出からレンタカーに乗り、まずは讃岐うどん巡り。うどんは午前中が勝負...という割には、到着がゆっくりめになってしまいました。讃岐うどん巡りはこれが2回目。前回同様、店のロケーションと営業時間、自分の好みの麺とだしの味などを考えながら、コース設定しました。今回は、金刀比羅宮周辺のお店に絞りました。ということで、まず向かったのが、宮武うどん店。讃岐うどんの代表的なお店です。「ひやあつ 小」を注文。冷たいうどんに、熱いだしをかけたものです。手打ちならではのゴワゴワとした麺。うどんが冷たいと、このゴワゴワ感がしっかり伝わります。うどん巡りの一軒目ということで、気分もお腹もハイになっていたため、思わずゲソ天をとってしまいました。これがデカイ!まずはすっきり一軒目をクリア。つづいて、ユニークな立地で知られる、やまうちうどんへ。カーナビの指示に従って、店の近くまで行くと、こんな看板が見えてきます。素朴ですね~小高い山の上に、お店はあります。昭和を思わせる店構え。うどんだけでなく、外観も、いい味出してます。「あつあつ 小」を注文。麺はねじれて、エッジが立ってます。が、歯ごたえはやわらか。このギャップがいいですね~。2杯いただいたところで、午後1時を過ぎました。腹ごなしも兼ねて、金刀比羅宮へ。うどんで膨れたお腹を持ち上げるように階段を上がって行きました。「金刀比羅宮 書院の美」展は4カ所に分かれて展示されていますが、円山応挙の襖絵がある表書院と伊藤若冲や岩岱(がんたい)の壁画や襖絵のある奥書院へ直行しました。書院には円山応挙や伊藤若冲の襖絵や壁画が当時を再現するように置かれてます。これが書院の空間に見事にピッタリ合うのです。薄暗い空間に金色の襖、そこに鶴や虎、滝が浮かび上がります。若冲の壁画も、金色のベースに白い花が立体的に浮かびます。上段の間の床の間にダイナミックな構図で描かれたり、壁面いっぱいに整然と花の絵が並んだりするのを見ると、掛け軸や花、器も必要なくなってきます。豪快です。東京の美術館で見るよりも、ピッタリとフィットします。あるべきところに収まっている感じがありありと伝わります。見終わった後で、図録をチェックしましたが、図録の解説も丁寧ですごくわかりやすいのですが、やはり肉眼で見た印象が圧倒的に良すぎます。建物との調和、空間から浮かび上がる絵、言葉では言い表せない良さがあります。1月いっぱいまでやってますから、もう一度、行こうかな。眼福ごちそうさまでした。こんぴら参りをすませた後で、締めくくりのうどん。向かったのは、小縣家(おがたや)。製麺所が午後2時ごろに店を閉めてしまうのに対して、午後6時まで営業しているのがいいですね。「しょうゆ小」を注文。うどんがゆで上がるまでの間、大根を自分ですり下ろします。うどんは、しょうゆのかかっていない状態で出てきます。ここにすり下ろした大根と、すりごまと、ネギをかけ、すだちを搾って、しょうゆをかけます。これで生醤油うどんの出来上がり!これが本当にさっぱりとしてうまい。ぶっかけとは違う、さっぱり感です。これにおでんを自分でチョイスして皿にのせてくることもできます。お腹もすっかりふくれたところで、坂出駅へ。17時25分発のマリンライナーに乗車、夕暮れの瀬戸内海を横目に岡山へ。岡山18時17分発の「のぞみ」で、新大阪に戻りました。慌ただしくも、充実した日帰りの旅でした!
2007年10月20日
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きもの好きなら誰もが憧れるという、履き物専門店「ない藤」。履き物といっても、靴やサンダルではなく、草履や下駄、木履(ぽっくり)が専門。客の足に合わせた完全オーダーメイド制で、顧客にはお茶の家元や女優さんなどが名を連ねます。今回、伝統未来塾の授業に参加して、その深い履き物の世界の話を聞くことができました。やはりプロの職人さんの話は面白かった!今回、話を聞いたのは「ない藤」5代目の内藤誠治さん。去年5月に先代が亡くなって、後を継いだばかりです。「ない藤」のポリシーは「売らない・つくらない・捨てない」。最初の2つは逆説的に聞こえますが、「売らない」は売り手の論理を客に押しつけないという意味で、「つくらない」は客に合ったものしかつくらないという意味で使われるのだそうです。真っ白な草履や、東大寺のお水取りで僧侶が履く下駄など、様々な履き物を見せてくれました。側面に和紙を貼ったものや、漆を塗ったもの、全面に金箔が貼られたものなど、高い質感を感じさせるものばかり。これを履き物で使うなんて、もったいないように感じました。「ない藤」の履き物は鼻緒や台を修理して使い続けることができます。例えば、真っ白な草履が汚れてきて、すり減ってきたら、台を取り替え、漆を塗ると、全く別の草履に生まれ変わります。良いものを丁寧に長く使い続けることで、さらに価値が出てくるという好例です。内藤さんは、足を見ただけでその人の人生がある程度わかると言います。今まで見た最も美しい足は、岐阜の農村のおばあちゃんの足。その足に感動した内藤さんは「おばあちゃん、よく働いたんだね」と、しみじみ話しかけたのだそうです。逆に、とある令嬢の足は、あまりにもふにゃっと柔らかく、将来が案じられるということでした。顔の骨格と足の骨格にも関連があるのだそうです。先代は、顔を見ればその人の足がわかったと言います。その道を究めた職人ならではのエピソードですね。今から足を鍛えるにはどうしたらいいのでしょう? 「歩き出しの5歩でいいから、指先を感じて歩いてほしいということです。足の指先に力が入るようになれば、立ち上がるときによろめくことが少なくなります」「草履を履くと、所作がきれいになります」内藤さんは「履き物は3足で充分」と言います。1足目は「格調が高くて、自分が主役のとき」の真っ白な草履。2足目は「格調が高くて、自分が脇役に回るとき」の黒い草履。3足目は「格調が高くて、自分が気楽に履けるもの」。こうすれば、着物の色に合わせて何足も持たなくて済みます。履き物をつくる際には、どういう立場、どういう場面で使うかをはっきりさせること。色やデザインの好き嫌いではなく、格調の高さで選ぶこと。洋服のように好きな色で自己主張するのではなく、帯の格調を決めてから、着物、履き物を合わせていく、和服のコーディネートの仕方でいくとよいのだそうです。自己主張の欧米型と、周辺から調和させようとする日本型、足下のファッションにも文化の違いが出てくるようです。内藤さんは、今になって、先代の言うことが少しずつわかるようになってきたと言います。「履き物づくりは伝承でないといけない」。その美意識や精神性は、マニュアルでは伝わらないからです。履き物とは「家を出てから目的地まで自分を運ぶ仮の住まい」であり、「将来の自分のイメージ」を表すもの。そういう意識をもって履き物を選び、使ってほしいということでした。「ない藤」で注文すると、背丈や体重、体格と顔の形、用途など、事細かに聞かれ、完成までにおよそ1ヶ月かかるそうです。自分はあまり履き物に詳しくなかったのですが、つくり手の意識の高さに感銘を受けました。足下をおろそかにしてはいけない、と思いながら、汚れた靴をしんみり見つめてしまいました。
2007年02月03日
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「関西にいるうちに、一度は祇園で花街体験をしてみたい」という夢がついに叶いました! 伝統未来塾の特別授業という形で、お茶屋さんで舌鼓を打ちながら楽しい時間を過ごすことができました。しかも、この日は年に1度のスペシャル・デーで、特別な出し物がたくさん見られました。満足、満足!この日の会場は、祇園甲部のお茶屋さん「桝梅」。ここは舞妓さんが暮らし働く「置屋」の機能と、お客さんが遊ぶ「お茶屋」の機能の両面を兼ね備えています。あの大石内蔵助が通ったという「一力」はお茶屋の機能しかありません。さて、桝梅は、祇園の中心通り、花見小路のすぐ近くにありました。門の右上に小さく「お茶屋」の板がかかっていました。入口からほどよく打ち水がされて、雰囲気満点です。まず、体験の前に、花街の仕組みや客としての心がけなどについて、解説をいただきました。・京都には5つの花街がありますが、どこかひとつの花街に通い始めたら、浮気することはできません。・「芸者」はNGワード!この単語を使うだけで、花街に通う資格がなくなります。舞妓さん、あるいは芸妓さんと呼ばなくてはいけません。・舞妓さんは、デビューから4~5年目まで。デビューは10代半ば以降がほとんどです。カツラは使わず、地毛で髪を結います。そのため、一度髪を結ったら、1週間は洗うことができません(夏は5日)。・舞妓さんの中でも、1年目はかんざしからこめかみに花がプラプラと下がるものを使います。新人の襟は赤く、経歴を重ねていくにつれて白くなっていきます。・舞妓さんは、正式に芸妓さんになる前に「襟かえ」といって、置屋でお礼奉公をします。・芸妓さんは、島田のカツラを使い、衣裳は自前。生活は自立していますが、夜遅くまで働いて、午前中は踊りやお茶の稽古があります。それぞれ一ヶ月に7回は行くそうです。・結婚したら、即退職。花街は「いちげんさんお断り」の世界です。信頼で成り立っている仕組みなので、それを壊すような言動を慎むことが求められます。酒癖が悪かったり、他人の悪口を言ったり、口が軽かったりすると、本人だけでなく、紹介してくれた人の評判に傷がつきますし、結果として遠ざけられていきます。お金はかかりますが、お金がすべてではなく、客としてのマナーや教養が求められます。その代わり、客として定着すれば、サービスは「あ・うん」の呼吸で行われ、支払いは後日請求なので手ぶらで気楽に行くことができます。この日、節分の日は、花街にとって特別な日です。芸妓さんが2~3人一組で仮装して、お座敷をまわり、寸劇や踊りを披露する「お化け」が行われるのです。節分の厄落としのために行われている風習だということです。確かに、花見小路にはカメラマンが何人かいて、仮装した芸妓さんたちをパチパチと撮っていました。宴席は午後6時に始まりました。地方さん(三味線2人)と芸妓さん1人で1曲、次に舞妓さん2人が登場して1曲「祇園小唄」を舞っていただきました。さすがに祇園小唄は2回ほど聴いたことがあって、「月はおぼろに東山~」などと口ずさむことができました。さて、そうこうしているうちに、早速、一組目のお化けが登場しました。しきたりとして、「お化け」が登場したら、拍手喝采で迎えます。出し物が終わったところで、盛大に拍手! さっきまで寸劇を披露していた「お化け」が近づいてきますので、お酒をいただいたり、差し上げたりします。芸妓さんがすごいのは、差し出されたお酒を必ず一気に飲み干していたことです。踊ったり演技をしてはお酒をぐいっと飲んで、次のお座敷へ回って行く。これを夜中まで繰り返すのですから、大変な体力とアルコール分解能力があると言えます。お茶屋は場所としての機能だけなので、食事は近所の料理屋さんが厨房でつくったり、仕出しの弁当を持ってきてもらったりします。今回は、お料理屋さん(“たん熊”さんでした)がお茶屋の台所でつくった暖かいものをいただきました。なんとも贅沢な体験です。食事をいただき、きれいな舞妓さんや芸妓さんにお酒をいただくと、さすがに気分上々になってきます。いやー、きょうはいい日だ、という感じ。そうこうしているうちに、また次のお化けがやってきます。食事・お酒・お化けが交互にどんどん出てきます。「金色夜叉」をベースにしながら、ライフカードのCMのアイディアをパクって、「愛」「お金」「勉強」と書かれたトランプの中からひとつをお客さんに選ばせて、選ばれたストーリーだけを演じたり、「たらこキューピー」を踊りの中に加えたり、殺陣のシーンの最後にQUEENの「We will Rock you」をもってきて盛り上げたり。それぞれ凝った趣向のものばかりでした。この日、祇園甲部では7組のお化けがいたそうですが、このうち5組を見ることができました。結構忙しく、あっという間に3時間半が過ぎました。この日は特別な日なので、お座敷はフル回転。部屋を開けなくてはなりませんでした。行ってみて思ったのは、やはり常連の方が圧倒的に楽しいだろうな、ということです。舞妓さんは常連を見つけると「あっ、△さん、来てくれはったの?」という具合にテンションは上がるし、話題に継続性があるから、深みがあって面白いし。彼女たちにとっても、経済的に豊かで知識のある常連さんは勉強になることも多いらしく、会って話すのがうれしいそうです。自分が期待(?)していた「こんぴらふねふね」や「虎拳」などのお座敷遊びは、次回のお楽しみとなりました。いつ次回があることやら...でも、とても楽しく、幻のようなひとときでした。ちなみに、このような花街の特別な夜は、この節分の日と、祇園祭の宵山の夜、午前0時30分~「手打ち」と言って、花街総出で盛り上げるのだそうです。中には入れなくても、見に行ってみようかな。
2007年02月03日
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