全227件 (227件中 1-50件目)
3年あまりにわたって使わせていただいた楽天ブログですが、昨今の画像に頼る日記がたたって、画像ファイルが一杯になってしまいました。よって、ブログを楽天から移転することにしました。タイトルも「関西ひとりジョーズ紀行」から一新します。「しゅんでる!」いま移転作業を行っています。ブログを始めた当初に添付しなかった画像を付け加えたり、撮りためたビデオを動画ファイルに変換して載せたりして、過去データも充実させていきます。今までお世話になりました。そして、これからもよろしくお願いします。
2008年04月09日
コメント(0)
「立っているだけで感動する」と言われる、20世紀最高のバレエダンサー、ユダヤ系ロシア人のプリマ、マイヤ・プリセツカヤと、能楽界の第一人者・梅若六郎の一夜限りのコラボレーション。舞台は世界遺産の上賀茂神社です。なんだか、最高の食材を寄せ集めて、骨董の鍋で煮込んだらどうなるか、というような(めちゃめちゃ例えが悪い)イベントにも見えますが、果たしてどうなることやら。数少ないプラチナチケットを友人が取ってくれました。立っている姿を見るだけで感動するという人が生で見られるというだけでわくわくします。ところが、賀茂別雷大神のお力も届かず、天候は雨。しかも、気温は明らかに10度を下回ってます。会場は上賀茂神社の細殿で、観客席にはテントがなく、配られた雨合羽と毛布で耐え忍ぶしかない、という最悪のコンディションでした。風がなかったのがせめてもの救いでしょうか。内側にステテコとジジシャツという完全防備で臨みました。これなら大丈夫なはず。上賀茂神社の細殿前には、パイプ椅子がザザッと200席くらい、並んでいました。NHKのハイビジョンカメラが4カメくらいいたでしょうか。テレビの撮影があるだけあって、照明はバッチリです。演目は、1)能「羽衣」2)「アヴェ・マイヤ」:曲は「アヴェ・マリア」で、それをマイヤ・プリセツカヤ向けに振り付けして、編曲されたもの。今回は両手に紅白の扇を持っての上賀茂バージョンでした。3)笛の独演(曲名は何だったのか、わかりません)4)ボレロ:能の舞いとバレエのコラボレーション。このコンディションのため、間に休憩はなく、一気に上演されました。やはり、印象に残ったのは、マイヤ・プリセツカヤの凛々しいお姿です。今年で83歳になるとは到底思えない体のライン。スラリと伸びた背筋、スッキリとした首筋、昔と変わらぬ(過去の名演をYouTubeで予習しました)しなやかな動き。衰えを感じさせないどころか、逆年齢詐称ではないかと思えるほどです。森光子や由美かおるも及ばない、段違いのアンチエイジングぶりです。確かに「立っているだけで感動する」の意味がよくわかりました。マイヤ・プリセツカヤのスゴさは、そのストイックな自己管理だけではありません。1943年にモスクワのボリショイ・バレエ団に入団後、父親をスターリンの迫害で亡くし、母親も地方に追放されてしまいます。自らも、共産党体制の圧力の中でもがき苦しみ、海外公演に出てもホテルに監禁されるかのような自由のない生活(ドッグフードを食べさせられたことも時折あったのだそうです)を強いられました。その生き様をどのように想像したらいいのか。僕らの想像を遥かに超えるものでしょう。そういった背景も、オーラに変換してしまったような舞台でした。ボレロでは、能の装束をふわっと両腕にかけて舞います。そのアレンジも上品で無理のないものでした。途中、向かい風で右腕から装束が外れてしまいましたが、踊りのしなやかさが失われることはありませんでした。午後6時半開演で、午後8時過ぎに終了しました。見とれているうちに、あっけなく終わってしまいました。周りはあまりの寒さに途中退席する人が続出しましたが、最後まで見れば、そのオーラに感じ入った人は多かったはず。できれば良いコンディションで見たかったなあ。でも、あの83歳はありえない...背筋を伸ばし、徹底的な自己管理をすることの素晴らしさを教えてくれたように思いました。感動しました。
2008年03月30日
コメント(2)

飛び石連休にマイレージを活用してふらっと九州を旅することにしました。九州は去年2月に高千穂の夜神楽に行って以来です。また歴史ある神社を訪れようと、3日間で九州を縦断する旅にでました。まず初日、宇佐神宮へ。この日は大分空港に着いた後、しばらく国東半島の石仏めぐりをしていたので、車で着いたのが午後3時30分ごろでした。宇佐神宮とは、725年に建立された、全国4万社あまりの八幡宮の総本宮です。一之御殿に応神天皇を、二之御殿に比売大神(ひめのかみ)を、三之御殿に神功皇后を祀ります。八幡信仰は仏教文化と神道の融合と考えられ、そのために神仏習合の発祥地とされています。また、東大寺大仏殿の建立に際して、宇佐の女祢宜である大神社女が、八幡神を擁して紫の神輿に乗って奈良に入ったことから、神輿発祥の地とも言われています。伊勢神宮が外宮→内宮の順に参拝するように、宇佐神宮は上宮(じょうぐう)→下宮(げぐう)の順で参拝します。もっとも、伊勢神宮とは違って、上宮と下宮はすぐ近くにあります。こちらは上宮。左から一之御殿、二之御殿、三之御殿となっています。本殿は八幡造りで国宝に指定されています。「おや?」と思ったのは、拝礼の方法です。二礼、四拍、一礼。つまり出雲大社と同じ方法なのです。これを採用しているのは、全国でも出雲大社と宇佐神宮だけなのだそうです。しかもその由来は不明なのだとか。日本史のルーツにもからんだミステリーが、ここにありそうです。上宮の奥には、ご神木のクスノキが立っています。社殿と比べると、その大きさがわかります。お土産に「鳳凰ネクタイピン」を購入しました。本殿の外陣と内陣にある襖に描かれた鳳凰からデザイン化されたもので、これぞ宇佐神宮オリジナルのおみやげです。でもネクタイピンを使うことなんてほとんどないんですけどね。いつ使うかな?つづいて、下宮へ。こちらは産業発展の発展や農業の充実を願う神様がいて、上宮よりも身近なはずですが、立ち寄る人影は、上宮と比べてまばらでした。上宮と下宮の分かれ道はこんなところにありました。深々とした森の中にある、宇佐神宮。鮮やかな朱色の社殿や鳥居に歴史の重みを感じる訳ではありませんが、神社らしく、しんと静かで清浄な空間を充分に感じることができました。
2008年03月20日
コメント(0)

飛び石連休にたまったマイレージを使ってどこかに行こうと思って空席をみてみたら、大阪-大分便が空いていました。大分空港は、大分市から離れた場所にあって、国東半島の隅にちょこんとあります。国東半島は、奈良時代から平安時代にかけて六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄えたところです。石仏や磨崖仏など、今もその遺跡が半島の至る所に散在しています。ということで、この日の遺跡めぐりでは「仏の顔も三度まで」というわけにはいきません!午前8時45分に大分空港に到着。レンタカーの手続きをして、すぐに出発です。まず国東半島の最深部・岩戸寺に向かいました。誰もいない、閑散としたところでした。百年経っても景色が変わらないような感じです。こうやってみると、石の仁王像というのは、風化した後のディテールの粗さがかえって周囲の環境と一体化してきて、それが味になっているような気がします。向かって右側にあった像は、1478年に造られたもので、在銘丸彫り仁王像としては日本最古だということです。導かれるように参道を奥へと進んで行くと、国東半島で最古の宝塔という国東塔がありました。あまりにもひっそりと建っているので、これが重要文化財だとは気づかないほどです。茅葺き屋根のお堂も、鄙びた感じで、このお寺の雰囲気にピッタリでした。続いて向かったのが、文殊仙寺(もんじゅせんじ)。カーナビに行き先を入力しようと思ったら、寺の名前が案内リストにないことが発覚!ナビ頼りだったので、看板を見逃すなどして道を2度間違え、30分も迷ってしまいました。電話番号を104で聞けばよかった...着いてみると、やはり参道の両脇に立派な仁王様がお出迎え。石段を上がり、奥に進むと、表情の豊かな石仏が並びます。苔むした感じがまた風情を増しています。両子寺(ふたごじ)では初午大祭が行われていました。正午の餅撒きにちょうど間に合いました。自分もひとつだけCatchできました!このお寺で最も印象深かったのは、ふもとの参道です。仁王像と並木と仁王門と石段、その並びが荘厳な印象を与えます(中に入ると、くだけた感じになりますが...)富貴寺。九州最古の木造建築という国宝・大堂のバランスの良さに惹かれます。雨の日は中に入ることができませんが、この日は快晴。わずかに残された内側の壁画を見ることができました。お堂の周りには、様々な石像美術があります。無造作に、それでいて周囲と溶け合っています。元宮磨崖仏は、偶然通りがかりました。これは薄い石板に薄く彫られていました。ギリシャ彫刻のような感じさえします。あいにく、真木大堂は、改修中のため閉鎖されていました。石仏ばかり見ていたので、このへんで9体の木像仏像群を見たかったのですが、残念。そして、最後に、熊野磨崖仏。鬼がわずか一夜で築いたという伝説の石段を登っていきます。この険しさは、まるで新宮の神倉神社のようです。99段あります。石段を上っていくと、突然、巨大なふたつの磨崖仏が現れます。その迫力に、思わず「おおっ」と声をあげてしまいました。右手奥に高さ約6.8mの大日如来、左手前に高さ約8mの不動明王がそびえます。不動明王の表情がどことなく柔らかく、探せばいそうな顔で親しみやすい感じです。この巨大な磨崖仏、今からおよそ900年前につくられたとされています。それにしても、なぜこの国東半島には石仏がこうも多いのでしょうか? 周囲は緑豊かで、木で仏様をつくることだって充分にできたはずです。近畿地方ではほとんど見られません。近くには神仏習合の発祥地、宇佐神社があります。つまり、神でも仏でもいいから助けてほしい、それだけこの土地の人々は、今の痛みや苦しみから逃れたいという思いが強く、その思いの強さが岩を削るという行為に発展させたのかもしれないと、勝手に想像するのでした。その石仏が風化を重ねて、今日のマイルドな姿にかわり、周囲の風景に溶け込んでいるところに、味わい深さを感じるのでした。
2008年03月20日
コメント(0)

「街全体が映画のセット」...そう呼ばれるほど、美しい町並みで知られる尾道。大林宣彦監督の尾道三部作から20年あまり経ちますが、いまだにロケ地巡りをする観光客が絶えません。大阪からは新幹線と在来線を乗り継いで、およそ1時間半で着くほどの近さ。春の暖かい日差しとともに歩いてみることにしました。午前9時11分新大阪発の「ひかりレールスター」に乗り、福山で在来線に乗り換えて、尾道に着いたのは10時40分過ぎ。あっという間でした。まずは、尾道ラーメンを体験しようと、最も有名なお店の「朱華園」へ。11時開店のはずが、11時過ぎには、すでにお店の前には長い行列ができていました。回転が早く、あまりイライラと待つような時間はありませんでした。鶏ガラベースに、豚の背脂が浮かびます。基礎となる味は醤油味。スッキリとした味で、秋にいただいた福島の郡山ラーメンに少し似ている...と思ったら、あとでガツンと背脂が効いてきて、口の中に脂っこさが少し残りました。もう少しあっさりしていたら、一日で2~3杯いこうと思っていたのに....お腹を満たしたところで、早速、寺巡りをスタート。普通なら尾道駅の近くから進むところを、駅から最も遠い浄土寺から駅に向かうルートにしました。これは浄土寺に向かう階段。すぐ上をJRが走っています。まずは、浄土寺。飛鳥時代に聖徳太子が創建した真言宗の名刹で、本堂は国宝に指定されています。小津安二郎監督の「東京物語」のロケ地にもなりました。おびただしい石仏群が、奥にありました。なかなかの迫力です。道しるべに忠実に進んで行くと、西国寺に着きます。仁王門の巨大なわらじが目につきますね。さらに階段を上がって行くと、国の重要文化財に指定されている三重塔があります。その優美な形が特長です。つづいて、御袖天満宮(みそで)。映画「転校生」で、主人公の2人が抱き合って転がり落ちていくうちに、男女が入れ替わるという場面に使われた石段がこちら。きれいな一枚の石段がずーっと続くから美しい。ところが、最上段の一部にだけ、あえてひび割れが入っています。これには人間のつくるものに完璧はない、という教訓が入っているのだそうです。御袖天満宮の由来は、菅原道真が太宰府に左遷される途中で、尾道に休憩に立ち寄り、人々の優しさに感動した道真が、自らの着物の袖を破いて自分の姿を描いて渡したというエピソードにあります。天満宮を下りて脇道に入った先に、道真が腰掛けたという石がありました。そのすぐ近くには、大林監督から、観光客へのメッセージがありました。すんごく地味な場所でびっくり。艮(うしとら)神社。ここは映画「時をかける少女」で回想シーンに出てきます。ご神木のクスノキ、かなりの迫力です。さらに、尾道駅に近づき、千光寺へ。尾道で最も有名なお寺で、ロープウエーで上がります。往復440円。脳科学者の茂木健一郎さんも、ここでビールを飲むと気分転換になるのだとか。確かに、この景色は美しい!切り立った崖の途中に、朱色のお堂が建っています。さながら、プチ清水寺のようです。千光寺から尾道駅に向かう小道は、石畳で、いい感じに狭く、絵になる場所がとても多いのです。役者さんがちょっと通るだけで映画のワンシーンになってしまいそう。絵になる町には、動物の姿も絵になるようです。志賀直哉旧居前でオレンジを一心不乱につついていたうぐいす。この日の暖かさにつられて、猫も犬も...尾道は、山と海に挟まれた地形が、神戸とよく似ています。お金持ちになると、家をどんどん坂の上に建てるところも同じ。しかし、いま、この坂の途中に家を建てることは、非常にお金がかかります。地元の人によると、平地で800万で済む工事が、坂の途中だと2100万円もかかるのだそうです。愛着とこだわりを持って住むうちはいいのですが、坂が歩けなくなると、家や土地を明け渡してしまうのだそうです。たまに空き地が見られるのは、そのためです。尾道の人は、とても親切でした。これでもかというくらいに懇切丁寧に教えてくれます。歩き疲れてたたずんでいると、声をかけてきてくれて、尾道の歴史やら実情を延々と語ってくれたり、降りるべきバス停が近づくと、5回くらい教えてくれたり...地元の人に紹介していただいた漁師の店と呼ばれる食堂では、獲れたての魚をさんざん食べて飲んでひとり2500円という驚異的なお値段。彼らの優しさの根源はいったい何か、ということを考えているうちに、あっという間に大阪に戻る終電の時間になってしまいました。21時46分発の在来線に乗って、新大阪には23時25分に着きました。片道100円という渡船にも乗っていないし、しまなみ海道を自転車でわたってみる、ということにも挑戦していないので、尾道にはまだまだ行きたくなる要素がたくさんです。そのときに、また考えてみたいと思います。
2008年03月16日
コメント(0)

本州最南端の町、和歌山県串本市は、大阪から特急で3時間もかかります。沿岸沿いをくねくねと走らざるを得ない紀伊半島の地形のせいで、日帰りをするには何とも遠いのです。でも、この町には、国の重要文化財に指定された長沢蘆雪のダイナミックな襖絵があって、ぜひ一度現地で見てみたいと思っていました。それに、春を感じるなら、関西で最も温暖な場所にいきたいと思い、季節の変わり目、しかも天気予報は完璧な晴れ予報のこの日、急遽行くことにしました。ちょっと寝坊してしまって、天王寺午前10時20分発の「くろしお」に乗車しました。串本に着くのは13時22分。出るのが遅かったと、ちょっと後悔。まずは昼ご飯。駅前の食堂で、地元の人がよく食べるという「かつお茶漬」をいただきました。串本では一年を通して鰹が獲れるのだそうで、漁師たちが海に出る前にご飯に載せて、そこにお茶をかけていただくのだそうです。ちなみに、お店でいただいたものは、特製のたれがかかっていました。それほど見栄えのいいものではありませんでしたが、コクがあって、かつおは素材の良さを感じさせるまろやかさ。ぶりしゃぶのような食感でした。駅に戻ってレンタサイクル。4時間で600円と手頃な価格です。駅員室から自転車が出てきたのには少し驚きました。さっそく、今回の旅の目的地、無量寺へ。自転車だとあっという間に着きます。入口にソテツがドンと生えていて、南国情緒を感じます。門をくぐって右手に、小さな美術館「応挙芦雪館」があります。1961年11月に開館した当初は、「日本一小さい美術館」として知られたのだそうです。確かにこぢんまりとしていますが、中身はギュッと詰まっていました。入館料1000円を払って中に入ると、伊藤若冲や円山応挙の掛け軸がトントンと並べられていました。杉板の襖の両面にかすかに残された絵も展示されていました。なぜ串本にこのような名画が残されているのでしょうか。津波で流された無量寺が再建されたとき(1786年)の住職・愚海和尚と円山応挙が、京都で仲良しだったのがきっかけです。応挙は新築祝いに本堂を飾る12面の障壁画などを寄贈しました。弟子の長沢芦雪は、本堂の有名な襖絵「竜虎図」12面などを描きました。当時、芦雪は32~33歳で、1年足らずの間に、串本のお寺や旧家などにおよそ270点の作品を残したのだそうです。こうして、江戸期を代表するような画家二人のコレクションが、ここに集められているのです。さて、応挙芦雪館の中央にはレプリカの虎図が置かれています。かつて虎図が大英博物館に貸し出されたときに、その代わりとして作られたものです。つづいて、平成2年に建てられた収蔵庫に移動します。ここに、国の重要文化財に指定された、長沢芦雪の「竜虎図」の襖絵の本物があります。収蔵庫は、晴れた日にしか開かれないのだそうです。串本の激しい雨にあたると、襖絵はあっという間に劣化してしまうからです。それぞれの絵の一部は、こちら。何と言っても印象深いのが、虎図。当時は毛皮を見て、想像で描かれた動物です。どこかキュートな顔に、襖3面いっぱいに手足がスッと伸びています。すごい迫力です。虎の目は、どこから見ても、こちらを見ているように感じられます。伊藤若冲のコレクションで知られるジョー・プライス氏は、この虎図を見て、感動の余りしばらく動かなかったそうです。やがて絵が描かれた当時と同じように、周囲の照明を消して、ろうそくの明かりで鑑賞し続けたそうです。プライス氏だけでなく、東京から来て3日間ずっと、この絵を鑑賞しつづけた女性もいたということです。自分もずっと一人で虎図、竜図、唐子琴棋書画図などを独占することができました。これが東京や京都の展覧会だと、絶対にこうはいきません。贅沢なひとときでした。続いて向かったのは、串本海中公園。無量寺からおよそ5km離れていました。海沿いを走って、かなり気持ち良かったのですが、自転車で行くと少し遠く感じました。ここでは、串本近辺のサンゴや、ウミガメ、サメ、ヒトデなどを見ることができます。中でもユニークなのは、サメやエイ、ウミガメが悠々と泳ぐところを見られる水中トンネルです。まるでダイビングしながら見ているような感覚でした。沖合140m、水深6.3mに設置された海中展望塔。丸い窓を覗き込むと、メジナの群れを目の前に見ることができます。閉館(16時30分)間際に駆け込んだため、「ステラマリス」という海中観光船に乗ることはできず、あまりゆっくりと鑑賞することはできませんでしたが、ダイビングができなくても、気軽に水中体験ができて、串本の多様な海の生物を目の当たりにすることができていいな、と思いました。串本から大阪に戻る最終の特急は18時46分。それまで2時間近くあったので、「せっかく本州最南端に来たのだから」と10km離れた潮岬を目指すことにしました。これが大誤算!かなりの上り坂を進まなければならず、苦労しました。潮岬の灯台に着くまで、およそ50分。ああ、これならレンタカーを借りればよかったかも。着いたのは17時30分頃。すでに灯台は閉門して、最南端から海を眺めることはできませんでした。代わりに、潮御崎神社にあいさつしました。そろそろ戻らなければ、と焦って、串本駅へ。うかつなことに「本州最南端の地」の看板を見ることなく、あの辛かった坂を一気に下りてしまいました。下り坂は時間がかからないので、寄ってからでも充分間に合いました。これには後悔したなあ...最終の特急「オーシャンアロー36号」で、天王寺には21時30分頃に着きました。めまぐるしい日帰りの旅でしたが、美術あり、水中体験あり、ハードなサイクリングありと、充実した旅でした。
2008年03月15日
コメント(2)

毎年3月2日に行われる小浜のお水送り。今年は週末と重なったことで、初めて行くことができました。せっかく小浜に行くなら、鯖街道を北上して国宝の眠る寺を散策しようと、日帰り凝縮バージョンにしてみました。鯖街道とは、若狭地方で獲れた魚を京都に運ぶまでの道のことです。特に鯖が多かったことから「鯖街道」と呼ばれました。主に、国道303号線と367号線を乗り継いでいきます。この日はまだ寒い冬晴れ。途中の滋賀県高島市近辺は冷え込みが厳しく、夜には氷点下になります。路面凍結対策として、レンタカーのタイヤはスタッドレスにしました。実際に行ってみると、道の両脇にしっかりと雪が残っていて、ここが滋賀県とは思えないほどの積雪量でした。1mを超えていたと思いますが、地元の人によると、例年よりも少ないのだそうです。琵琶湖の西側を北に向けて走って行くと、鯖寿しを売りにするお店が点在することに気づきます。最初に開店したと言われる「栃生梅竹」で高級鯖寿しを購入しました。お水送りを見終わった後のお夜食として食べようと考えたのです。道幅はそれほど広い訳ではありませんが、車の通行量がそれほど多くないので、困ることもなくスイスイと進みました。途中、「道の駅 くつき新本陣」の日曜朝市に立ち寄ります。地元のドライバーで混み合って、駐車スペースは常にほぼ満車でした。売られているものは、鯖寿しやしいたけ、餅、パンなど。素朴なものが目につきました。自分は焼き鯖寿しを購入。車内でいただきましたが、思ったより脂が強かったです。さらに北上を続けると、江戸時代の宿場町の面影を残す熊川宿にたどり着きます。道の駅「若狭熊川宿」で車をとめて、茶色く舗装された一帯を歩いてみます。かつて通り沿いに立っていた電柱を町並みの裏手にまわしたことで、昔の宿場町の情緒がよく残されるように見えました。ひときわきれいに整備された民家がありました。逸見勘兵衛(へんみ・かんべえ)家の住宅で、伊藤忠商事二代目社長の伊藤竹之助の生家でもあります。3年かけて改修し、平成10年から一般公開されています。入館料は200円。中をちょっとだけ覗いてみると、力強い梁など日本の伝統的民家の良さを残しながら、吹き抜けあり、トップライトありと、かなりモダンにつくりかえられていました。断熱材を入れたりして、防寒対策もバッチリだそうです。民家の保存のあり方として、いくつもの提案がちりばめられていました。続いて、小浜の明通寺へ。本堂と三重塔が国宝に指定されています。いずれも鎌倉時代に建てられたもので、高い木立の間にどっしり根を下ろしたかのように安定感を感じさせます。お寺の拝観時間が16時までのところが多かったので、19時スタートのお水送りまで時間がたっぷりありました。そこで、16時に小浜港を出発する遊覧船「蘇洞門めぐり」に乗船しました。「蘇洞門」(そとも)とは、小浜湾の東側の海岸6kmにわたってできた海蝕洞で、花崗岩が日本海の波の作用で削られてできました。昭和9年に国の名勝に指定されています。岩が網の目のように亀裂が入った「あみかけ岩」同じような大きさの亀が重なっているように見える「夫婦亀岩」遊覧船の目的地「大門・小門」。この日は風が強く、残念ながら、近くに降り立つことはできませんでした。右手の小門でも、大人の背丈の3倍はあるそうです。所要時間およそ50分。船内にはたえず観光のアナウンスが流れ、お客さんを飽きさせないようにしていました。でも2,000円の料金は高いような気が...日本海の厳しい荒波にもまれながら、江戸時代にエンジンなしで航海術を発展させた高田屋嘉兵衛はエラいな、とつくづく感じました。このあと、オバマブームのいまを見に行きたいと思ったのですが、町中を見渡すかぎり「ちりとてちん」関連の掲示の方が圧倒的に多く、とても短い時間の中で見つけることはできませんでした。お水送りが終わって、夜中の鯖街道は真っ暗でした。途中、朽木周辺で、鹿が車に向かって突進!目が合ったときには「鹿を轢いてしまうのではないか」と正直焦りました。結局ギリギリですれ違って事なきを得ましたが、人里離れた夜中の道路は、何が出るやら...鯖街道には、文化と交易の歴史が残されていて、非常に面白かったです。京都や奈良と、文化的に関連していることがよくわかりました。本来ならもう少し時間をかけて味わった方がいいのかもしれませんね。
2008年03月02日
コメント(0)

東大寺の「お水取り」は古都・奈良に春を呼ぶ行事として有名ですが、その10日前の3月2日に、小浜では「お水送り」が行われます。「お水送り」と「お水取り」はパスの出し手と受け手のようなものです。いままで「お水取り」には3度行きましたが、「お水送り」はまだ。年に一日しかなく、今年は日曜日にあたることから、絶好のチャンスです! お水送りのルーツは、なんと1250年あまり前にさかのぼります。752年、東大寺に全国の神様を招いて開かれた修二会(しゅにえ)に、若狭の遠敷(おにゅう)明神が漁に夢中になったために遅刻してしまいます。そのおわびとして、遠敷明神は、二月堂の本尊に供える閼伽水(あかすい・清浄聖水)を若狭から送ると約束します。その神通力が発揮されると、地面が割れ、白と黒の二羽の鵜が飛び出て、穴から清水が湧き出たというのです。古来、小浜と奈良は地下で結ばれていると信じられてきたのだそうです。清水の元となった場所は「鵜の瀬」と呼ばれ、「お水送り」の行事の行われる場所となり、この湧き水が出た場所は「若狭井」と名付けられ、「お水取り」ではそこから閼伽水を汲み上げ本尊にお供えされます。こうして、お水送りとお水取りは、小浜と奈良で離れていながらも、切っても切れない行事になったのです。さて、お水送りの終了予定時刻は午後9時過ぎ。この時間には大阪に戻るバスも電車もない...ということで、今回はレンタカーで向かうことにしました。夕方、小浜駅前の観光局に問い合わせると、毎年3000人近い客でにぎわうので早めに会場に向かったほうがいいということでした。あわてて、午後5時30分過ぎに臨時駐車場に着き、シャトルバスに乗り換え(運賃100円)、神宮寺に入りました。境内の入口では、たいまつを売っていました。1本1000円。マジックで願い事と氏名を記入します。この日は1600本用意され、そのほとんどが売れていました。松明を買わない人も多く、2000人から3000人の参拝客がいたことになります。階段をあがると、すでに多くの参拝客が、本堂前を埋め尽くしていました。こういうときのためにと、持参したステップスツールが活躍してくれました。本堂が暗くなり、達陀(だったん)が始まりました。マイクを通して、暗くつぶやくようなお経が聞こえてきました。やがて、お堂の中のシルエットが明るくなったり、暗くなったり。たいまつを大きく振られるのがわかるとどよめきが起こります。「おおお、お堂が燃えてしまうのではないか?」...赤装束の僧が振り回す巨大なたいまつは、本堂の正面に出てきます。東大寺のお水取りのように、手すりに乗せるようにお堂の左右に大きく動き回ります。続いて、たいまつは、砕氷船が流氷を割るかのように、本堂前の参拝客をかきわけて、境内の大護摩壇に進みます。ここで大護摩法要。いつ大護摩が燃え上がるのかと、カメラを手に待ち構えていましたが、法要は粛々と丁寧に進められていました。いよいよ、護摩焚きのスタート。点火と同時に、煙がもうもうと立体的に上がります。たいまつの強いにおいがして、上空には灰が上がります。頭や肩に降る灰を振り払う参拝客はほとんどいません。「お水取り」と同じように、この灰をかぶれば一年間無病息災でいられるという期待があるのかもしれません。ほどなく、松明行列が始まります。順序はすべて決まっていて、山伏が法螺貝を吹きながら先導し、6人の和尚が大籠松明をもってこれにつづきます。つづいて、山伏姿の行者や、神宮寺関係者、手松明を持った一般参加者の順で、松明行列は鵜の瀬へと向かいます。今年らしく、参加者の中には「I Love OBAMA」の鉢巻姿の人もいました。自分も、行列の最後の方に加わりました。これは護摩壇から松明に点火するところです。寺の階段を下りると、たいまつの列が非常に美しく見えます。1.8kmの火の帯ができていました。鵜の瀬までの美しい列が蛇行します。自分のたいまつは、神宮寺を出たところで強風にあたって一気に燃えあがりました。しまった!これでは鵜の瀬に着く前に燃え尽きてしまう...と、沿道に置かれたバケツや、道路脇の残雪を使って、火の勢いを弱めてみました。が、あまり効果がないまま、あっという間に残り30センチくらいに。泣く泣く消すことにしました。消えた残りを手に、早足で鵜の瀬へ。鵜の瀬の鳥居前で、参加者全員がたいまつの火を消しますが、階段の前で参加者がたまったまま動けなくなっています。境内が狭くて、人の整理がつかないと、中に入れないというのです。かなりの時間、待ちました。鳥居をくぐり、階段をおりると、奥に遠敷川が流れ、手前の河原で大護摩が焚かれていました。僧侶や行者が取り囲むように、お経をあげ、鈴を鳴らしていました。大護摩のオレンジの明かりに包まれて、神秘的な雰囲気に包まれます。遠敷川に燃えかすが落ちるように、大きなたいまつが置かれていました。冷たい水と燃えさかるたいまつ...すごい煙に包まれて、むせかえります。ちょうど、自分が入って5分くらいすると、注目の送水神事が始まりました。僧侶や行者が遠敷川をわたります。向こう岸で神事を行っているのがはっきりと見えました。白装束の水師が刀で水を切るような仕草をしたあと、送水文を読み、竹筒をかたむけ、御香水を川にそそぎました。写真は送水文を奉上しているところ。これから、御香水は10日間かけて、若狭から大和の国に向かいます。神事が終わったのは、午後9時15分ごろ。鵜の瀬前のバス停で延々とシャトルバスを待ちました。近くの国道までは一本道で混雑しているようで、小浜駅行きと、駐車場行き、いずれも迎えのバスがなかなか来ませんでした。駐車場に戻ったのは午後10時過ぎです。結局、2度の休憩をはさんで、大阪に戻ったのは午前1時過ぎでした。「お水送り」はとても日本らしい、神仏習合ともいえる行事です。見た目にも神秘的で幻想的。自分でたいまつを手に持ち運ぶことができるので、参加意識も高まります。寒くて不便で大変ですが、とにかく見に行ってよかった、と思いました。ぜひオバマ候補にも見てもらいたい、火と水の織りなす美しいお祭りでした。
2008年03月02日
コメント(0)

関西ならではの鍋といえば、てっちり、クエ鍋、ハリハリ鍋などがありますが、自分にとって最後(!?)の未体験鍋がぼたん鍋です。ぼたん鍋とはイノシシの肉が入った鍋のこと。肉を薄切りにして牡丹の花のように皿に盛りつけることにちなんで、名付けられたのだそうです。発祥地は丹波篠山地方ですが、今回は「ぼたん鍋ならココ」と評判の、大阪にある奈良県十津川村の郷土料理の店でいただくことにしました。ということで、まずはぼたん鍋の煮込み前の様子。ぼたん鍋の味付けは、味噌がベースになっていました。醤油ベースというところもあるそうです。猪肉は、豚肉よりも硬くて臭みのあるようなイメージがありましたが、実際にいただいてみたら、まったくそんなことはありません。食感は、豚よりもムチッとした感じです。このお店の猪肉は和歌山県と奈良県の境で捕獲されたあと、飼育して大きくなったものを殺し、冷凍保存したのちに出されます。お店の人によると、天然ものは血が多いと臭みが強くなってしまい、撃たれた部位によっての肉の質の善し悪しがまったく違うのだそうです。飼育してからだと、こめかみに一発なので、血が体中に回ることがないといいます。いただく前に、念入りに合掌。勢いに乗って、ぼたんのしゃぶしゃぶもいってみました。豆腐がとろけて、白濁してきます。この店のオリジナリティは、十津川村の温泉水(重曹炭酸水)で炊かれること。これが鍋のうまみを効果的に引き出してくれるのだそうです。お茶に使うと、渋みが強すぎるのだそうです。ほかにもユニークなメニューがありました。まずは熊野牛のたたき。さらには鹿肉のユッケ。卵とにんにくとねぎで味わいが豊かになります。ぼたん鍋を食べにいったら、十津川村のジビエを一気にいただいたような感じになってしまいました。味わいが実に豊かです。またひとつ奥深い食文化を味わうことができました。
2008年02月20日
コメント(0)

胸毛のハダカ男の写真が不快感を与えるとして、JR東日本が岩手県の蘇民祭のポスターを撤去したことが大きな話題になったことで、今年は裸祭りに注目が集まっています。この時期は全国各地で裸祭りが行われますが、その代表格と言えば、何と言っても岡山の西大寺会陽(さいだいじ・えよう)です。時折、死者まで出る激しさ...いったいどういうことが起きているのか、この目で見てみたいと思いました。西大寺会陽は日本三大奇祭の一つと言われます。裸の男たち8,000~9,000人が、激しく一対の宝木(しんぎ)を奪い合います。宝木を持ち帰った者は、その年の福を得られると信じられているため、奪い合いは真剣そのもの。このあたりの福男争いは、有名な西宮神社の徒競走や和歌山の神倉神社の山下りなどにも見られますね。西大寺会陽のルーツは奈良時代にまでさかのぼります。旧正月の大祈祷が終わる日に渡される護符(牛玉)を受け取った信者が、豊作になったり、厄を免れたりしたことから、年々希望者が増えて取り合いになりました。取り合いになると、牛玉の紙ではちぎれるということで、1510年に木製の宝木に代わり、現在の形になりました。祭りのクライマックスは午前0時の宝木投下。ということで、その1時間ちょっと前に着くことを想定しながら、午後10時に岡山駅前のビジネスホテルを出ました。会場(西大寺観音堂)へは、駅前からのシャトルバスで向かいました。10分間隔で運行されていて、運賃は250円。通常よりもぐっと安く、お得でした。30分以上かかりましたが、会場のすぐ近くまで行ってくれます。バスを降り、会場に向かうと「わっしょい!わっしょい!」という掛け声が聞こえてきました。門前の商店街に入ると「西からラグンが来ます。お気をつけ下さい!」...ラグン? 聞き慣れない言葉だな...ああ、裸の群れね。なんて考えてると、ふんどしに足袋姿の男たちが肩を組んで、次々と通り過ぎて行きます。相当寒そうです。この日はとりわけ寒く大きな声を出さないと体が温まらないだろうなあ...参加資格は特に決まっている訳ではないのか、外国人男性が物見遊山的にふんどし姿で盛り上がって、観客とハイタッチを繰り返していました。会場に入ると、本堂の正面の特別観覧席がスタンドになっています。なんと一席5,000円。早々に売り切れたそうです。500円の立ち見ゾーンもありますが、無料の観覧ゾーンよりも本堂から遠いのが難点。確かに少しだけ高い位置にあるので、見やすいことは確かですが、ちょっと遠すぎ。でも、無料の観覧ゾーンは目の前に警官が立ちふさがって、視界不良。しかし!こんなときのためにと用意した、祭り見物必須アイテムのステップスツールが活躍してくれました。周囲に迷惑がかからないように、警備本部を背にしながら、他より頭一つ抜けて見物することができました。会場では、裸の男たちの隊列が、左から右へと規則正しく誘導されていきます。本堂に入る前に、水垢離(みずごり)をしなくてはなりません。次々と入っていきます。水垢離を終えた隊列からは湯気が立ち上っていました。本堂は大床から裸の男たちがはみ出そうなくらいに混み合ってます。時を追うほどに、密度が濃くなっていきます。一番外側にいる男たちは、風がもろに当たるので、腕組みをして寒さをしのぎます。本堂内側ではもみ合いがおこります。肌と肌がくっつかないように、天井から水が撒かれます。すると、男たちから立ち上る熱気が見えます。自分は警備本部のすぐ前にいたので、死者が出ないようにと神経を尖らせる警察の動きがリアルタイムで伝わりました。面白かったのは、警備本部のアナウンス。言葉が独特なのです。「警備本部から第6中隊に告ぐ。西側第二の柱でハダカが倒れている。大至急、救出せよ」「ハダカはもみ合いをやめて、救出にご協力ください。救出が終わるまで、宝木は投下されません」「警備本部からハダカの皆さんにご連絡します。負傷者は無事救助されました。ご協力ありがとうございました」「警備本部からハダカに連絡する。けんかはやめなさい!」「ハダカ」は単数も複数も一緒なんですね。救出に向かう警官の数も半端ない。白い群れが一気に裸の男たちをかきわけていきます。倒れた男が救出されるとハダカの男たちから拍手が起こっていました。こうして裸の群れに圧倒されるうちに、午前0時を迎えます。混乱の中、本堂の電気がふっと消えました。その間、15秒。住職によって宝木が投下されます。一面真っ暗になるかと言えば、そうではなく、カメラのフラッシュでいっぱいでした。宝木の大きさは直径約4センチ、長さ約20センチ。しばらく騒然となって、激しい取り合いが起きましたが、遠くからは、どこに宝木があるか、まったくわかりません。わかるのは、ハダカの男たちが激しくもみ合う姿です。あとで聞いたところ、個人で宝木を持ち去るのはほぼ不可能で、ラグビーのモールのように、グループで宝木を守りながら運んで行くのが成功の秘訣なのだそうです。個人が宝木を持てば、その場でボコボコにされてしまうのがオチなのだそうです。恐ろしい...5分もすると、宝木はもうなくなったかな、という雰囲気にすらなります。ところが、本堂前の広場で、まだもみ合いが発生したり。どうなっているの?なんだかわからないうちに、本堂の大床から、ハダカの男がいなくなり、観客は家路につきます。会場のすぐ近くに設けられた事務所の前に、テレビカメラがいましたが、おそらくここに福男が宝木を持ってくるのを待ち構えているのでしょう。自分は体の芯からすっかり冷えてしまったので、早々に引き揚げました。岡山駅へ向かうシャトルバスですが、しばらくは祭りの観客のマイカー渋滞に巻き込まれていました。岡山駅前のホテルに着いたのは、午前1時50分頃でした。さすが日本三大奇祭と呼ばれるだけあって、すごい迫力です。外国人観光客が多いのにも驚きました。確かに、これは見応えのある祭りです。でも参加するのは寒そうだなあ...
2008年02月16日
コメント(0)

毎年2月11日に行われる砂かけ祭りは、大和の奇祭として知られています。その遠慮のない砂の舞いっぷりに、新人アナウンサーのレポートには格好のイベントとして、テレビ取材がよく来るのだそうです。いったいどのようなすさまじさなのか、実際に行ってみることにしました。砂かけ祭りが行われる廣瀬神社は、JR法隆寺駅からおよそ5kmの場所にあります。近くを走る路線バスもなく、砂かけが始まる午後2時まで時間がなかったため、タクシーを利用しました(計970円。帰りは歩いてかなり時間がかかりましたので、もし来年以降、行かれる方は駅前のレンタサイクルがオススメです)。地元では人気のお祭りらしく、神社の近くの道路が少し混み合っていました。この砂かけ祭り、その歴史はかなり古く、日本書紀の記述によれば、675年に天武天皇が五穀豊穣を祈願する「大忌祭」(おおいみのまつり)を行ったのが始まりだそうです。砂を雨に見立てて、多く舞うほどによい、というわけです。神社に着くと、すでに多くの参拝客が祭りの開始を待ち構えていました。雲一つない空の下、雨合羽をかぶり完全武装の参拝客ばかり。子供たちは水中メガネまでかけるという、かなりシュールな景色が広がります。カメラマンは、カメラにビニール袋をかぶせていました。嵐の予感...普通の神社とは異なり、境内は一面の砂。砂遊びをする子供たちの姿が目立ちます。拝殿前に4本の竹が立てられ、注連縄が張られます。砂プロレスのリングのようにも見えますが、これで田んぼを表しているのだそうです。太鼓の合図で、全身キルト地の白装束の男(=田人)が一人やってきました。田んぼのふちを一周し、所定の儀式が終わると、男は持っていた細長い鋤(すき)にたんまりと砂を乗せ、高々と空高く振り上げ砂が一気に舞います。子供たちを中心に、男めがけて砂をぶつけます。砂で雪合戦をしているような感じです。もうもうと砂ぼこりが舞います。男は田んぼを離れ、アクティブに周囲に活動範囲を広げ、砂をまき散らします。砂がかかった大人たちは「うわっ」という声をあげ、子供たちは「キャー!」と歓声をあげながら、男に向かって砂をもって立ち向かいます。境内は一気に混沌とします。しばらくすると、再び太鼓が鳴り、男が引き揚げます。これが3回繰り返されます。4度目は、白装束の男の前に、牛のかぶりものをした黒装束の男が現れました。砂かけの前に、田んぼで土を耕したり、田植えの所作をします。やがて、今までと同じように激しい砂かけが始まります。今度は2カ所で大きな砂ぼこりが舞います。これまた3回あります。7回目からは、登場人物が3人に。もうこうなると、わやくちゃです。暴れ方が華やかであるほど、雨が降り、豊作になるということで、羽目の外し方もハンパない感じです。自分もすっかり砂をかぶってしまいました。これも、3回繰り返されます。最後の二回は、参拝客の方が疲れていたような印象でした。続いては、早乙女が登場、田んぼに稲を植える所作を行います。最後は、広場中央に台が移動して、参拝客に松苗と田餅がばらまかれます。松苗は、松の葉を藁で巻いたもので、中に籾が入っています。これを玄関口に刺しておくと、厄よけのお守りになるのだそうです。松苗は2束ゲットできました。田餅は、持ち帰って家でいただくと、一年間無病息災でいられるとか。周りには、大きな袋をもってきて、そこに次々と獲得した松苗や田餅を放り込んでいく人もいました。がめついというか、欲深いというか...帰路につくと、鞄には砂がたくさん入り、頭や顔、体には砂ぼこりをたっぷりかぶりました。でもどこか童心に返ることのできる、無邪気で楽しいお祭りでした。
2008年02月11日
コメント(0)

関西の節分は、関東に比べると、様々なイベントが行われます。大阪では恵方に向かって太巻きを丸かぶり。祇園では芸舞妓さんが「お化け」に扮して、特別な出し物を披露します。それにならって、北新地でも「お化け」があります。各寺社では様々な節分祭が行われますが、中でも京都の吉田神社には、およそ100万人と実に多くの参拝客が訪れます。2月4日の夜11時には幅5m、高さ5mの巨大なとんど焼きが行われるということで、見に行くことにしました。午後9時、神社の入口に着くと、多くの参拝客が吸い込まれるように神社に向かいます。それを迎え撃つように、参道には延々と屋台が続きます。700軒もあるということですが、そんなにあるかなぁ...今宮戎神社の「えべっさん」に似た賑わいです。京都らしいのは八ツ橋の屋台があること。鳥居をくぐった境内にも、屋台が所狭しと並んでいました。境内の一角に、大きな「商品陳列所」があります。時計に洗剤に海外旅行に...実に種類が豊富で、物欲をあおるかのようで、神社らしくない光景です。これは、抽選券付きの福豆を買って、後日の抽選で当たるともらえるということです。早速、自分も運試しとして、和服姿の女の子が売っている福豆売り場でひとつだけ買いました。本宮でお参りを済ませ、さらに屋台の並ぶ坂を右手にしながら、お菓子の神様を祀るという「菓祖神社」へ。スイーツ好きは必ず訪れたい神社です。ここで豆茶をいただくことができます。冷えた体にはとてもありがたい接待です。続いては、料理・飲食の神様を祀る山蔭神社へ。吉田神社の創建(859年)に貢献した藤原山蔭卿が、調理・調味に秀でたとされることに由来しています。ここはグルメな人は必ず訪れたい神社です。目の前のテントで、河道屋が年越しそばを出しています。節分で年越しとは、新しい感覚です。ここで、そばをいただき(600円)、さらに体を温めます。さらに屋台の並ぶ坂を上がります。屋台は、お酒や恵方巻き、干物に土手焼きと、独特のバリエーションです。やがて、そこを一回りすれば日本全国の神社をお参りしたのと同じことになるという、大元宮(だいげんぐう)へ。普段、ここは門が閉ざされていて、入ることができません。中央に八角形の本殿があって、それを囲むように全国3132座の神々が祀られています。この変わった形で、大元宮は重要文化財に指定されています。参拝客は多いのですが、本宮よりも厳かな空気が流れていました。再び、屋台の道をもどり、節分大祭のなかでも最も重要な儀式のひとつ、火炉祭の行われる、直径5m、高さ5mの巨大な八角形の火炉の横へ。参拝の順序としてはおかしいのですが、なにせ祭は夜11時スタート。儀式を見届けてから参拝すると、終電に間に合いません。神様のルールも大切ですが、こちらにも事情がありまして...火炉は、絵馬やお守りなどがギッシリ積み上げられる形になっています。このひとつひとつに願いがこめられていると思うと、ズシッと心に響く重さを感じます。午後11時、神事が始まりました。神職がお祓いをするなどの儀式を終えた後に、火炉にたいまつの火が近づけられ、点火されます。火炉は下から上に向かって燃え広がりました。目の前で立っていると、熱くて溶けそうです。寒くて冷えきった体が、表面だけ強烈にあぶられたような感じになります。巨大なキャンプファイヤーのようにも見えて、近くの酔っ払った学生が「よいさー!」と叫んでいました。火の勢いは強いのですが、燃え広がらないように、火炉の上に網がかけられていたり、横から水がかけられたりします。火にみとれていると、あっという間に11時30分。終電が危ない。店じまいを始めた屋台街を横にみながら、ダッシュで家路につきました。これだけの人出と、屋台やイベントの充実ぶり、厄よけにも歴史と文化を感じさせる、実に京都らしい行事でした。
2008年02月03日
コメント(0)

紀伊半島の南東に位置する、尾鷲。大都市圏からのアクセスが遠く、旅行ガイドに詳しい情報が載らない町です。そんな町が一気に熱くなる「ヤーヤ祭り」が2月1日から行われています。1661年(寛文6年)に始まったという歴史があるにもかかわらず、「なんじゃそりゃ?」と言いたくなってしまう祭りの名前。「紀州の奇祭」として有名で、ホームページの動画を見てみると、若者から大人までが白い祭り装束で真剣におしくらまんじゅうをしていました。これはツッコミどころ満載ではないか?奇祭ウオッチャーとしては、どれだけ迫力があるものか、やはり生で見たい!アクセスが悪くても一度は行かないと何も語れない、ということで、行ってみることにしました。この日は2日目です。午後7時から3カ所の会場で同時に行われます。地区ごとにわかれた、およそ30人の男たち(=練り子)同士が「練り」(激しいおしくらまんじゅう)を繰り広げます。「ヤーヤ」の由来は、戦国時代に武士がいくさで名乗りを上げるときの「やあやあ、我こそは...」の「やあやあ」だというのです。祭りの前に、町の中心にある「まちかどHOTセンター」でオススメの場所を聞いておきました。道幅が狭く、練りの迫力を感じやすい北浦町の会場を薦められました。幅4mほどの道路に、丸太の足場がつくられていました。テレビの取材クルーが2組、新聞のカメラマンが2人、脚立を立てて場所取りをしていました。取材班が来るということは、場所選びとしては正解だったと言えるでしょう。祭りに行くと必ずといっていいほど目障りに動き回るカメラオヤジがほとんどいないのが良かったです。会場の中央で、町の重鎮らしきオジサンがマイクで練り子をコントロールします。「そろそろ、××町の衆がやってきます。みなさん、用意はいいですか~」「はいはい、ずーっと下がって。力を充分にためないと、良い練りにならないよ」「じゃ、いくよ!『チョーサじゃ~!』」すると、ビジターとホームで道路の両端に分かれた練り子たちが呼応します。練り子の中にはかなり酔っぱらっている人もいました。「チョーサじゃ~」と繰り返し叫びながら、じりじりと中央に寄っていきます。はやる気持ちを押さえきれない、という感じで、ハッピを着た制止役を振り切ろうとします。このへんの加減が難しそう。「チョーサじゃ!」...リサーチャーやマーケッターが聞いたら青ざめるような言葉ですが、その由来には「私はことし丁歳(ちょうさい=15歳:ヤーヤ祭りに参加できる年齢)を迎えました」とする説と、「新年おめでとう(超歳:年越し)」とする説があるそうです。そういえば、姫路の魚吹八幡神社の秋まつりでも同じ言葉が使われていましたね。両端からにじり寄ってきた練り子がぶつかると(このへんは相撲の立ち合いによく似てます)、しばらくおしくらまんじゅう。一斉に入り乱れながら「はいっ、はいっ」と声を合わせ、同じタイミングで小刻みにジャンプします。10秒~30秒くらい続きます。仕切り役が鳴らす鐘の音で、練り子たちは分かれます。良い練りになるかどうかは、両側からぶつかるタイミング、力強さ、双方の息が合っているかどうかが、ということにかかっているようです。「練り」は3度ほど行われると、次の練り子集団がやってきます。すると、さっきまでビジターだった練り子たちは、ホーム側に加わります。こうして、練りは時が経つほどに規模が大きくなっていきました。人数が多いほど、練りは迫力を増します。熱気も増して、練り子たちは汗でびっしょりになっていました。そういえば、地元の観光ガイドさんが「昔は8日間やって、毎日足がたたなくなるほどに練りを繰り返したな~」などと話していました。練りは午後8時15分に終了。合計何回あったかな? 練り子たちは列をなして漁港に向かいます。何が行われるかと思って見ていると、何人かが素っ裸で寒い海に飛び込んで行きました。うわー、めちゃめちゃ寒そう。心臓とか大丈夫なの?これは、練り子グループの幹部たちが尾鷲神社に参拝する前に、身を清めるという意味があるのだそうです。飛び込む人数は、地区によって異なりました。3人のところもあれば、12人のところもありました。海から上がった彼らは、祭り装束に再び袖を通しながら、唇を紫色にして「あー、さぶっ!」と全身で震えていました。彼らの勇気に拍手です。ヤーヤ祭り、神輿も山車もありませんが、港町のお祭りらしく、威勢が良くて、豪快で見応えがありました。間近で見られたのもよかった。アクセスの悪さを乗り越え、見に行った甲斐がありました。
2008年02月02日
コメント(1)

三重県尾鷲。紀伊半島の南東部に位置する小さな町です。紀伊半島は山と海が接するようにつながっていて、少ない平地に人間が肩を寄せ合うように暮らしています。道路や鉄道が谷を縫うようにくねくねと通っているために、大都市圏からのアクセスが悪く、名古屋からでも列車で2時間半近くかかります。この町を紹介する旅行ガイドブックはほとんどなく、ネットを通して手がかりを探るのがやっと。そんな町が一気に熱くなる「ヤーヤ祭り」が2月1日から行われています。名前からして面白そう。しかも、この日は月に一度、地元や付近の買物客でにぎわう「イタダキ市」の開催日! 一日に二度おいしい、尾鷲にとってイベント満載の一日。いくら遠くても一度は行かなくては、この町を語ることはできない、と思い、行ってみることにしました。1)イタダキ市毎月第一土曜日に行われるという「尾鷲イタダキ市」。地元の人たちから、県外の客まで買い出しにやってくるという、お得度満載の臨時マーケットが昼過ぎまで開かれているというのです。これに間に合わせるべく、午前8時30分難波発の近鉄特急に乗車。松阪でJR特急「南紀」に乗り換えて、尾鷲に着いたのが11時43分でした。大阪からはこれが最短です。駅で地図やパンフレットをかき集め、足早に「イタダキ市」の会場へ向かいます。通りには人が少なく、本当に月に一度のマーケットは開かれているのか...港までの徒歩10分あまりが長く感じました。漁港の水揚げ場に、地元の魚屋やら、寿司やら、パンやら、いろんな出店が並んでいます。20軒以上は出ているのではないのか、というくらいにひしめきあっています。これは楽しそう!と、勇んでマーケットに入ってみると、名物のさんま寿しは売り切れ、ほかの店先も品数が少なめでした。さすが月に一度、バーゲンの戦いが終わった後のような雰囲気が漂っています。そうは言っても一軒一軒を覗いてみると、魚の呼び名が変わっている。カサゴは「ガシ」、カワハギは「ハゲ」...値札は地元の呼び名でしかついてないので、なんだかわからないことも。「バチマグロのブロック」「ウツボ」や「マンダイ(マンボウの一種)の干物」「からすみ」などを即決で買ってみました。一角には宅配便の受付まであって、東京や大阪まで750円で配送するとのこと。これだと県外の人でも買いにくるかもしれません。12時30分にもなると、店をたたむところが続出。あっという間にモノと時間がなくなった感じです。もう少しゆっくり見たかったなあ。客がごった返して活気あふれるところも見たかった...*後日、地元の人しか食べないという、ウツボの塩焼きを食べてみました。ゴムのようにしっかりとした肉は、筋肉質のかたいタラのようでした。「独特の臭みがある」ということでしたが、それほど感じませんでした...2)尾鷲を散歩する「ヤーヤ祭り」は午後7時開始。それまで時間があるということで、尾鷲を散歩してみました。まずは祭りを主催する、尾鷲神社へ。正面の鳥居のそばに、樹齢数百年にもなるという立派なクスノキがありました。まだ午後1時すぎだというのに、どこに行ったら面白くなるか、わからなくなって町の中心部にある観光情報スポット「まちかどHOTセンター」へ。イタダキ市で買った炊き込みご飯を食べながら、地元のガイドさんと話しました。「今夜はひょっとしたら雨だな」「そうなったら、お祭りはやるんですか?」「うーん、どうだろ。どしゃぶりになったらわからんね」「え~、大阪から見に来たのに~」「こっちの雨はすごいんだよ。それを体験するのも面白いよ」「どれだけスゴいんですか」「土砂降り。ここに尾鷲名産の傘があるんだけど(と言って開いて見せる)、表裏二重に生地が張っていて、しかも骨の数が多い」豪雨が観光名物というのも面白い気はするけど、祭りのほうが見たいなあ。暑い季節の豪雨なら、雨でシャンプーできるか試してみるとか遊べるけど、この寒さだと辛すぎる...結局、どこを回ったら面白いかは自分で判断することにして「熊野古道センター」行きのバスに乗ろうと、バス停で待っていると、回送車が来ました。そこで思いがけない運転手さんの一声がありました。「お兄さん、この後のバス、日曜は運休だよ」「ええええ? 次は1時間後?」「そう」困ったことに、尾鷲にはレンタカーがありません。イタダキ市に間に合わせるべく、鉄道を乗り継いだために、足がなくなってしまったのです。あわてて再び「まちかどHOTセンター」に行って、レンタサイクルを利用(これも、16時には所定の場所に返却しなくてはならない...)することに。2時間で210円(だったかな?)。自転車は熊野古道センターの隣の「夢古道・熊野」という施設にも返却できるということで、時間に余裕ができました。そこで、近くの熊野古道「八鬼山越え」の道を1時間だけ歩いてみることにしました。「八鬼山越え」とは、熊野古道で最も険しい道で、今までに7人がこの道中で亡くなったそうです。途中には供養塔があります。標高600mあまりの山を上って下りるのに、5時間半もかかるそうです。ママチャリで上がるには少し辛い道をのぼると、スタート口があります。初めての熊野古道。歩みを進めて行くと、気持ちが少し改まったような気がします。ところが、蛍光スプレーでの心ない落書きが目立つ箇所がありました。道ばたの石や木に次々と落書きをしているのです。「たかりユネスコ」「たかり文化庁」などと書かれてました。なんのこっちゃ。せっかくの世界遺産が台無しです。なんでこんなしょうもないことをするんだろう? ともあれ、熊野古道は空気もきれいだったし、寒いけどいい運動になりました。カラダが暖まった感じです。尾鷲の中心街に戻るバスの時間を逆算して(なにせ1時間に1本しかない。しかも運休してたりする)、熊野古道センターを見学。熊野古道の歴史や文化、周辺の自然がわかりやすく展示されてました。バスに乗って、とりあえず、港の近くのビジネスホテルにチェックインしました。夜のお祭りに備えて、少し休憩です。(その2につづく)
2008年02月02日
コメント(0)

白身魚なのに旨みが濃厚なクエは、ゼラチン質が多く「美肌効果」もあると、近年人気上昇中です。大きいものは体長1m以上になり、獲るのが難しく、希少価値の高い魚です。しかも関西や九州でしか食べられません。今が旬の高級魚・クエを、鍋や刺身でフルにいただく、美味しい機会に恵まれました。今回うかがったのは、大阪で最もおいしくクエがいただけると評判の「九絵家」。和歌山直送のクエを使っていて、知る人ぞ知る名店。大企業の接待によく使われるのだそうです。店舗構成もユニークで、狭いビルの1階の入口を開けると、いきなりお座敷があってかなり面食らいます。このようなマンションの一室を改築してできたようなお座敷が3部屋、掘りごたつの部屋、椅子席の部屋などが点在しています。奥の部屋に向かう壁に埋まるように大きな水槽があり、ふてくされたような口をした大きなクエが悠々と泳いでいました。さてさて、このお店でいただいたものを以下に記しましょう。クエの薄造り。フグよりも肉厚で、甘みがあります。ブリの刺身。天然ものかな?それほどしつこくなく、非常においしかったです。クエの肝と胃袋。コリコリとした食感。オコゼのから揚げ。骨が硬い!クエの煮込み。骨までとろとろ。越乃寒梅が入って、風味豊か。メインのクエ鍋。3人では食べきれないほどたくさん!白身は肉厚なのに締まっていて、ほろほろと崩れません。皮についたゼラチン、骨をしゃぶると旨みがギュッと搾り出されて、お酒が進みます。最後は雑炊で締めます。海苔の香ばしさが効いてます。もう「クエない!」というくらい、胃袋いっぱいいっぱいまでいただきました。食べごたえ、食べ方、部位ごとのバリエーションの豊かさなど、これはフグを上回るかもしれません。ふう~、大満足!
2008年01月28日
コメント(0)

「おいしい京野菜を食べたい」。京都に遊びにくる友人・知人からよくリクエストされます。京野菜のおいしいお店、あるようでいて、意外と見つけづらいのです。ランチなら錦市場近辺をオススメするのですが、夕飯となると「おばんざいの店」は観光色がつきすぎる気がするし、居酒屋でも案内するにはちょっと...ということで、食通の友人にすがってみると「野菜のみのコースがあるフレンチ」を教えてもらいました。早速、予約して行ってみることにしました。お店は、地下鉄烏丸線の北の終点、国際会館駅から歩いて10分弱のところにある「エヴァンタイユ」というフレンチです。お店の近くには京野菜を育てる農家が多く、野菜のコースを出すだけの食材が確保できるという環境が後押ししているようです。では、早速、いただいたものを順に紹介しましょう。カリフラワーのムース、ウニ乗せ。野菜のとりあわせねぎの温製スープ、大徳寺納豆入りえびいもと赤ねぎのココナツソースかけ。上にのっているのはアンデスポテト。ビーツ(赤甜菜)のリゾット堀川ごぼうのローストとぶりのソテーゆずのムース苺のタルト、キャラメルアイス、堀川ごぼうと豆のテリーヌ誘惑に負けて、野菜のみとはいかず、ぶりをつけてしまいました。純粋な野菜のみも大丈夫。野菜の風味や土の香りが心地よく活かされていて、楽しくいただくことができました。「最近食べ過ぎだけどいいところに連れて行かなくてはいけない」とか「太り気味だけど何かおいしいものを食べたい」とか、ベジタリアンを連れて行くときには、絶好のメニューだと思いました。
2008年01月26日
コメント(0)

食通の間では超有名な岐阜の中華料理店。そのシェフの私邸で行われる伝説の食事会(ランチ)に参加することができました!これぞまさにレアな機会です。イタチザメのふかひれスープ。固めのコリコリとした食感。きぬがさ茸が入ってます。冷製ビーフンにカスピ海の最高級キャビアをのせたもの。キャビアの塩分は2.3~2.6%です。器はロイヤルコペンハーゲンのフルレース。うにと帆立のラビオリ。中にオイスターソースとバターが入って濃厚な味。とらふぐの白子。塩と唐辛子とねぎの香ばしいハーモニー。ふかひれのステーキ。厚さ1.5~1.8cmはあろうかという肉厚!それでいて繊維が細い!器はロイヤルコペンハーゲンのホワイトシリーズ。あわびとブルターニュ産のラングスティーニ。肝ソースをくるんだスティック。程よい磯の香りがします。シャラン鴨のたたき。季節の野菜添え。野菜は、トランペット茸、ザーサイ、銀杏など。鴨は6分間焼いた後、わらでいぶして香りをつけます。皮がパリッとしてます。脂身もしつこくなく、スッと入りました。金華豚と新たけのこのタンメン。キャベツとザーサイも入ってます。しょうゆと酒のスープ。ウーロン茶のシャーベット&ウーロン茶の飴炊き。口の中に残る、ウーロン茶の苦味が心地よかったです。汲み上げ杏仁豆腐。透き通るような、スッキリとした後味。サッパリします。お店でいただくときも、うなるほどおいしいのですが、このお食事会は、さらに精度の高い味になっていました。もちろん、器もグレードUP!まさに人生最高の中華でした。あ~シアワセ!
2008年01月21日
コメント(1)

白川郷ライトアップをきっかけにした冬の北陸1泊2日の旅。せっかく金沢まで来たなら海の幸を楽しもうと、富山県の氷見へ行きました。去年4月に能越自動車道の氷見ICができたことで、金沢からの所要時間は1時間あまりと、ぐっと便利になりました。氷見といえば、やはり寒鰤(かんぶり)。沿岸から急に深くなる海底の地形と、対馬海流の暖流のおかげで、富山湾は「天然のいけす」と呼ばれるほどですが、中でも氷見は大陸棚が発達していて、天正年間(1573年~)から定置網での漁業が行われてきました。冬にはぶりを始めとして、フグ、カワハギ、マダラなどが獲れるそうです。この日のお目当ては、ぶりしゃぶ。そもそもは、ぶりの脂のしつこさを何とかしたいと思った旅館の女将さんが考案したものだそうです。この冬、「キリン一番絞り」のCMに登場したこともあって、注目が集まっています。氷見でも「本場!ぶりしゃぶ祭り」と銘打って、2月いっぱいまで観光PRをしています。そんなこともあって、氷見に行けば簡単に食べられるだろうと気安く考えてました。(これが後々の誤算につながるのですが...)。朝に獲れたぶりをお昼にいただこうという狙いで、当日、金沢出発前に電話予約。たまたま、そのお店が、氷見でとれた天然ものしか扱わないという職人気質のお店でした。過去にはフレンチや和の有名料理人が来店したことがあるそうですが、ご主人は「あの人らも、本当には魚を知らないね」と言ってました。これは期待できそうです。ちなみに、これはあじのにぎり。珍しい!まずいただいたのは、おまかせにぎり。何といっても、ぶりのにぎりがスゴイ。天然ものらしく、すっきりとした脂。まるでトロのようです。あっという間に平らげてしまいました。引き続き、ぶりしゃぶをいただきはじめました。ところが、地元の常連さんから「ぜいたくだね...」「ま、いろいろ食べ比べてくれればいいんじゃない?」という声が聞こえました。明らかに「ぶりの天然ものを鍋に突っ込むなんて…」というニュアンス。アウェーのピッチに立つサッカー選手のような心境になりました。確かに、天然ものは、今まで自分が食べてきた養殖ものと明らかに異なり、くどさや嫌みが全くありません。確かにこれをしゃぶしゃぶにするのはもったいないというのも理解できました。ということで、途中から、刺身としていただきました。続いていただいた、ぶりの塩焼きも絶品でした。脂が落ちて、スッキリとした味。ぶり大根は、とれたてのぶりを血まみれのままグツグツと煮て、大量にでる灰汁をすくいとった末に出来上がります。灰汁の存在が信じられないほどに澄んだ色と味でした。お店にねっちり3時間滞在して、アウエーな空気を覆し、常連さんが今朝釣ったばかりのオニカサゴの肝(絶対にお店で売っていないもの)をちょっとだけいただくことができました。こちらはオニカサゴのヒレ。ヒレ酒の香ばしい香りがお店に充満していました。氷見では、ぶりの漁獲量が減ったために、仲買とそれにつながる料理屋・旅館の間で、生き残りをかけて熾烈な競り合いと駆け引きが毎日行われているそうです...お店の方もぶりを手に入れるのに相当苦労しているようでした。お店としては、1週間前に予約すると助かるということでした。いまや、ぶりは高級食材。無邪気にぶりしゃぶを食べるのではなく、天然ものをじっくりと味わうのがいいようです。ごちそうさまでした。おいしかった!
2008年01月20日
コメント(1)

しんしんと降り積もる雪に、埋もれるようにひっそりとたたずむ合掌造りの家、窓からもれる暖かい明かり...日本の原風景ともいえる世界遺産・白川郷のライトアップは、一年に7日しか行われません。このため、非常に人気があり、混雑回避のため、観光バスは完全予約制、マイカーも駐車場が満車になれば入村お断りという制限つき。比較的空いているのは、毎年ライトアップ初日ということで、スケジュールが合ったので行ってみることにしました。白川郷は岐阜や高山から山間部をくねくねと北上するイメージがありますが、金沢から行けば、北陸自動車道で小矢部砺波JCT経由、東海北陸自動車道で白川郷ICまで、およそ1時間あまりで着きます。とはいえ、バス路線は便数が少ないので、レンタカーで行くことにしました。金沢を出たのは、午後3時30分過ぎ。白川郷までの道路は、長いトンネルがいくつも続き、この地域の厳しい地形と工事の難しさを想像させます。車はスタッドレスタイヤに4WDと雪道仕様でしたが、道路に積雪や凍結はなく、活躍の機会がないほどでした。途中休憩ありで、白川郷に着いたのは午後4時45分でした。すでに村の中心部に車は入ることができず、マイカー用の臨時駐車場(寺尾臨時駐車場)に誘導されます。このとき、ライトアップ協力金500円を支払います。寺尾臨時駐車場からライトアップ会場にほど近い白川診療所までは、約15分おきに無料シャトルバスが運行されていました。バスの運転手さんは「今年は雪が少なくてねぇ...」と言っていました。ライトアップは17時30分~19時30分の2時間です。バスの運転手さんによると、集落全体を見渡せる絶好の撮影スポット・萩町城跡の展望台は、何時間も前からアマチュアカメラマンが陣取っていて混んでいるとのこと。ということで、展望台は後回しにして、集落の中を歩き回ることにしました。まずは、村で最も大きく、代表的な合掌造りとして知られる和田家住宅へ。国の重要文化財に指定されています。江戸初期の建築文化を残していて、一階には立派な欄間が見られました。およそ60度という急勾配の屋根は、雪を落とすためではなく、床面積を最大化するための工夫なのだそうです。2階以上は養蚕が営まれたことがわかるように、展示されていました。白川郷の集落は、山の風向きに直面しないように、住宅の屋根がほとんど同じ方向を向いています。これに、釘を一本も使わずに茅葺き屋根をたばねて、柱にむすびつけられます。したがって、風に強い構造になっているのです。つづいて、村内のライトアップされた地区を回ります。通行人が多く、やはりライトアップは人気があるのだな、と実感。多くのカメラマンや携帯を持った人たちが立ち止まったところがあれば、そこは撮影ポイント(のはず)。ということで、いろいろと撮影してみました。これは明善寺鐘楼。ほぼ一通り歩いたところで、いよいよ展望台へ。車は通行禁止なので、雪で凍りついた坂を歩いて上っていかなくてはいけません。雪国で暮らした経験のない人には、非常にすべりやすく、かなり歩きづらい道です。坂の下には「徒歩40分」などと書かれていますが、実際には20分ほどで上がるはずです。展望台では、恐れていたほどカメラマンが多くいるわけではありませんでした。というのも、展望台のすぐ近くに設けられた撮影スタンドから集落を見下ろすと、アングルが限られることがわかります。ズームを変更して撮るくらいしかできません。このような制約のおかげで、立派なカメラを抱えたオッサンたちに不愉快な思いを感じることなく、ゆっくりと写真を撮ることができました...が、自分のデジカメではなかなかいい写真が撮れません。光の調節が難しく、ズームも不充分。こんな感じになってしまいました。ということで、これは肉眼でしっかりと目に焼き付けた方がいいだろうということになります。空気が冷たくて、透明感すら感じます。屋根に残る雪と、一軒一軒の明かり、合掌造りの屋根の形が折り重なるように迫ります。これが、日本の原風景なのか、と静かな感動を覚えました。なんといっても、チープな広告やネオンがないのがいい。奇抜な形の建物もない。合掌造りが同じ方向で立ち並ぶだけ。ゴツゴツとした地面は雪が隠してくれます。素朴で力強い印象が残ります。ヨーロッパの都市と同じように、美しい景観にはネオンと広告と建物を徹底的に規制する必要があるのでしょう。そんなことを考えながら、凍結して滑りやすい坂を、転ばないようにゆっくりと下りました。ライトアップが始まって1時間半。ツアー客も、マイカー客も、約1時間で帰っていく人が多いようで、人通りが少なくなっていきました。静かな白川郷は、さらに透き通るような純朴な感じがしました。雪は少ないものの、寒さは確実に自分の体にしみこんできていました。
2008年01月19日
コメント(0)

京都の新春イベントとして、二条城で放鷹(ほうよう)術の実演が行われました。放鷹術とは、鷹狩りに使われる鷹のトレーニングのことを言います。現代の鷹匠(たかじょう)とは、どういう人たちなのか、鷹はどのようにして飼いならされるのか、その断片を見ることができました。放鷹は、約1700年前に中央アジアで生みだされ、日本には約1500年前、仁徳天皇の時代に、百済から伝わってきました。当初は公家たちに広まりましたが、戦国時代に信長や秀吉、徳川家康など、戦国武将の余暇の過ごし方のひとつとして好まれるようになりました。江戸時代には、全国各地の大名が。見事な鷹を捕らえては、鷹狩りに使えるように馴らしたうえで、将軍家に献上するという形のコミュニケーションができていたようです。城下町に鷹匠町という町名が多いのは、そのためです。武士の時代が終わると、明治時代には鷹匠の技術は宮内省に保護されますが、戦後は有志が伝承する形で、現代まで細々と続いてきました。さて、イベントはまず、サッカーのピッチほどの大きさの敷地で、鷹匠たちが左手に鷹をのせてぐるぐると何周もまわるところから始まりました。これは「輪まわり」と言って、臆病で神経質な鷹を人に慣れさせるための最初の訓練です。本日の実演に参加した鷹匠は8人。鷹匠はビジネスにはならないため、本業は公務員、医師、動物園勤務など多士済々です。ただ仕事をしていると、良い鷹は育たないのだそうです。人間と同じで手間をかけないとダメということなのでしょうか。今回の実演に登場した鷹は、3種。ハリスホーク、オオタカ、ハヤブサです。ハリスホークは美しい茶色の毛並み、オオタカはグレー、ハヤブサは一回り大きい印象です。種類によって、飛び方やスピード、訓練方法が異なります。特にハヤブサは行動半径が広く、広い敷地でないとトレーニングにならないのだそうです。まずは、二人の鷹匠の間を鷹が行き来する「ふりかえ」。鷹に対して背中を見せ、左腕をまっすぐ横に伸ばして、手首の部分に餌を置き、合図をすると鷹が低空飛行で飛んできます。つづいて、鷹匠が鷹を空に羽ばたかせる「わたり」。合図とともに戻ってきます。慣れない鷹は、上空にあがったまま、2時間ほど戻ってこないこともあるのだそうです。鷹が飛んでいるところを撮るのは難しい! フレームにおさめるのも難しいし、うまく入ったとしてもぶれてしまいます。これはようやく撮れた1枚。鷹は時に悠然と、時には猛然と、自在に高度とスピードを変化させて飛んでいました。観客や子供をフィールドに招いての実演もあって、会場は和やかな雰囲気に包まれました。このあと「展示・収蔵館」で、狩野探幽の描いた「松鷹図」の特別公開を拝見しました。太い松の幹と、もりっとした枝、それに雄々しい鷹の姿。鷹狩りは武家社会にぴったりの余興だったのかもしれません。そう考えると、徳川慶喜が大政奉還をした場所で、放鷹術の実演をするというのは「なるほど」と納得してしまいますね。
2008年01月05日
コメント(0)

サッカーの世界クラブ選手権、決勝戦と3位決定戦の2試合が続けて行われました。ACミラン対ボカ・ジュニアーズのガチンコ対決に加えて、日本で最も人気のある浦和レッズが参戦するということで、2試合とも満席。貴重でユニークなダブルヘッダーを見に行くことができました。そこで見たのは、日本のチャンピオンと世界チャンピオンの間に横たわる、容易には越えがたい「壁」でした。席は西ゾーンの2階席の24列と上のほう。席の幅が広く、前の列との高低差もあって、非常に見やすかったです。全体のフォーメーションを見るには非常に良い席でした。以下、決勝戦と3位決定戦を見ての感想を箇条書きで記します。★3位決定戦:浦和レッズvsエトワール・サヘル・結果は2対2でしたが、試合自体は単調に見えました。・数的有利が作り出せるわけでなく、決定的なパスが出るでもなく、圧倒的な個人技で抜き去っていくわけでもないため、ハラハラ感を感じませんでした。・個人のボールキープ力が今ひとつでした。2~3人に囲まれると、あっという間に取られてしまいます。・レッズは選手交代がないため、こう着状態になった試合をどう打開するかが、見ているほうからわかりにくいように感じました。案の定、結果はドローでPK戦にもつれこんでしまいました。・その保守的な試合運びは、2ゴールを挙げたワシントン選手が監督批判をしながら離日したのがうなずけるような内容でした。・レッズサポーターの応援は素晴らしかったです。この声援で動かない選手は、どのチームに行ってもダメではないかと思えるほどです。★ACミランvsボカ・ジュニアーズ・パスが速く、トラップの精度が高い。糸で引くようなパスが出ていました。・0対0でも緊張感を感じました。というのも、あと少しパスが通れば決定的なチャンスになるというところにパスを出そうとしているのがわかります。それが紙一重でカットされて通らない。そういう緊張感によって、目が離せない展開になるのです。・ボールを持った選手が2人~3人のディフェンダ-に囲まれても、ボールキープを続けられました。選手個人の局面打開力が高く、戦術もそれをベースに組まれていました。・結局、4-2でACミランが勝ちました。・中でも。MVPに選ばれたカカの実力は群を抜いていました。ステップが細かくて、しかも走るスピードが速い。ボールキープ力も高いので、ペナルティエリアに入ると、ディフェンダーが2~3人で囲まないとシュートに持ち込まれてしまいます。しかし、逆に周囲にパスを出されると、それで決定的なチャンスを迎えました。準決勝で戦った浦和レッズはこのパターンで点を取られました。ボカ・ジュニアーズの3点目の失点は、カバーが少なくてカカの個人技にやられていました。4点目の失点は、準決勝のレッズの失点と似たパターンです。・ボカ・ジュニアーズのサポーターも非常に熱のある応援ぶりでした。本当に地球の反対側から来たのかな?両手をテンポ良く挙げるところなど、ドイツでアルゼンチン戦を見たときの雰囲気と同じ。南米らしい熱さを感じました。やはり、決勝戦と3位決定戦のレベルの違いを痛感しました。個人の高い能力をベースとした戦術、見ごたえがありました。ブラジルではボールを持ったときの体の動きを「ジンガ」と呼ぶのだそうです。重心を落として、体を揺さぶる動きのことです。サッカー少年のポテンシャルは、足の速さでも、キックのうまさでもなく、「ジンガ」の良し悪しで判断されます。カカの動きを見て、他のボカ・ジュニアーズの選手と比べても圧倒的な「ジンガ」の良さを感じた観客は多かったのではないかと思います。この大会は、サッカーの本場、ヨーロッパや南米から離れているため、ファンやメディアの視線の厳しさが和らぎ、ともすればコンフェデレーションズ・カップのようなエキシビションマッチのようになってしまう可能性があります。この大会が日本で行われることは、とても貴重で、すばらしいことだと思います。が、「本物のガチンコ世界一決定戦」を見るには、日本のサッカーファンがサッカーを見る目を肥やし、大会を盛り上げ、選手に緊張感を与えていかなくてはいけない、と思いました。その意味で、レッズが3位に入ったことは素晴らしいことです。Jリーグのチームが毎年アジアチャンピオンになって大会に出場しつづけ、ACミランが社交辞令ではなく本気で「やばい」と思えるサッカーができるようになってもらいたいものです。それにしても、16時から5時間30分、体の芯から冷えました...
2007年12月19日
コメント(0)

コーヒー好きが家でコーヒー豆を挽くように、お抹茶好きがお茶を挽くことはできないものか...と思っていたら、そういうレアな機会が訪れました。場所はお茶の本場、宇治の老舗、中村藤吉本店です。今回は、社員の方にご案内いただいて、特別に体験させていただくことができました。中村藤吉本店はJR宇治駅から歩いて3分ほどのところにあります。漢数字の十を丸で囲った屋号がピッタリとはまります。早速、店内の奥座敷に通されると、抹茶挽きの道具(石臼)がありました。地元の「宇治石」でできているそうです。もう今は宇治石が取れないので、新しい石臼がつくられることはありません。もっとも、今は電動で挽いているそうですが...円形の中心にふわっと碾茶(てんちゃ)を乗せて、反時計回りにゴリゴリと回していきます。碾茶は中心の穴に少しずつ落ちてきて、石臼にすりつぶされ、細かい抹茶になって外側に押し出されてきます。分解してみると、このようになっています。単純な作業ですが、実際にやってみると、これが結構重たいのです。慣れてくるとスムーズに回りますが、それも束の間のことで、二の腕がずしりと重くなってきます。速く回しても粗く挽けてしまうし、遅いと鮮度がなくなってしまいます。しばらくすると、挽きたてのお抹茶の新鮮でさわやかな香りがしてきました。昔のお茶人は、こうやってお抹茶ができあがるまでのプロセスをじっくりと楽しんでいたのかもしれません。お座敷の隣には、300年前のお茶室があって、そこでお濃茶とお薄をいただくことができました。このときにはすっかり昔にタイムスリップです。苦みが心地よく、背筋がしゃんと伸びます。眺めの良い平等院支店に場所を移して、スイーツで締めくくり。オススメの「抹茶ぜりい」をいただきました。ゼリーは濃茶をゼラチン化したような感じでちっとも甘くないのですが、粒あんと抹茶アイスの甘みで、口の中で上品に溶け合いました。
2007年12月09日
コメント(0)

明治から昭和初期にかけての数寄屋建築は、古風なだけでなく、ちょっとモダン。基本をふまえていながら、ちょっとした意匠がシャレていて、見ていてとても面白いのです。吉田山荘や四君子苑など、わずかながら京都市内で見ることができます。この日は伝統未来塾の授業で、普段は入ることのできない明治の名建築「廣誠院」を見学することができました。日本の茶室研究の第一人者、中村昌生先生の解説つきです。廣誠院は、木屋町二条下がる、高瀬川沿いにひっそりとありました。通常は非公開なので、看板もありません。近くには高瀬川の起点、一之船入があります。現在、廣誠院は臨済宗の寺ですが、もともとは鹿児島の門閥から官僚・軍人を経て実業家として活躍した伊集院兼常(いじゅういん・かねつね)の屋敷でした。伊集院兼常は裏千家の茶を嗜み、建築や造園にも優れた審美眼を発揮して「近世の(小堀)遠州公」と呼ばれたそうです。この建物は明治25年(1892年)頃にできたもので、彼にとって13軒目の住宅だったとか。それだけ経験を積んでいれば、洗練された建物ができそうですよね...まず目に飛び込んでくるのは、長い土間庇です。3m以上も出ています。しかも、その庇を支えるのが、実に細い丸太なのです。見ているこっちが不安になるほどの細さですが、それが全体に軽やかな印象を与えているのです。軒下には見事な紅葉が広がります。日本の住宅の大きな特徴は「庭屋一列」といって、庭と住宅が一体となって空間をつくっているのが良いとされることです。屋根の中に自然があるように見えます。室内に目を転じると、床柱がしぼり丸太で数寄屋風。書院でも格式ばった角柱ではないところが江戸時代と違うところです。小壁の欄間も、普通は左右に分かれるのに、ここでは一枚板の透かし彫りと、新しい試みがなされています。和室は照明が難しいのですが、このように実にモダンな工夫がされてます。茶室も宙づりになったような軽やかさ。人数制限5人までの見学です。円窓から外を眺めると、船に乗っているような気分になりました。裏千家12代又妙斎(ゆうみょうさい)の作です。表に出て、庭から建物を眺めます。眼下の池は、高瀬川から水をひいています。細長い石橋が絶妙です。最後に、中村先生のお話で印象に残ったメモの抜粋です。・明治から昭和にかけては大工の技術が発展した時代です。この時代の数寄屋の名建築は、電動工具に慣れた今の大工では建てられません。もし技術があったとしても、建ぺい率や耐震、防災上の規制などで難しいのです。戦後、何千万円出しても買えないような材料が使われた建築が古いというだけで無惨にも壊されてきましたが、近年、ようやく文化庁がその価値に注目し始めました。・名建築は、教養豊かな富豪が、建築家を介在させず、職人と直接コミュニケーションしながら建てたケースが多いですね。南禅寺界隈にも名棟梁・北村捨次郎が関わった別荘などがあります。「普請道楽」の結晶は素晴らしい! 知性と資本の融合が形になって現れています。これが現代の建築技術ではつくることができないなんて、実に残念です。戦後、ニッポンの建築界はゼネコンばかりが栄えて、技術を引き継ぐことを忘れてしまったのでしょうか。経済合理性の末に文化が廃れるなんて、現代ニッポンの問題そのもののように感じます。*廣誠院は事前に封書で申し込んで認められれば参観可能だそうです。
2007年12月01日
コメント(1)

この季節のおいしい食材と言えば、何と言っても蟹。そのなかで「幻の蟹」と言われるほど希少価値の高いのが、間人蟹(たいざがに)です。その間人蟹を、食通の間では知る人ぞ知る、予約至難な京都のとある割烹にていただくことができました。ずわい蟹は獲れた地方や漁港によって呼び名が異なります。丹後・山陰地方では「松葉蟹」、福井・石川県では「越前蟹」、兵庫県の香住で獲れた蟹は「香住蟹」となります。間人蟹は、丹後半島の間人港で水揚げされたずわい蟹のことを指します。間人漁港には小型の底引き網船が4隻しかありません。12月~2月の海の荒れる時期には漁に出ることが少なくなりますから、獲れる蟹の量が限られてきます。さらに、間人港は蟹の漁場に最も近いため、底引き網船は基本的に日帰りで、蟹の鮮度が良いうちに水揚げされ、流通に回ります。蟹は時が経つほどに小さくなっていくのだそうです。では、その日いただいた、蟹の入ったお料理や、調理中の蟹を以下に掲載します。まずは、椀ものから。つづいて、メスの甲羅にオスの実が乗った、お寿司。一緒にいただいた、淡路のうにも素晴らしい!ここであえて、甲羅酒を注文すると、出てきました!お酒の香りより、蟹の香ばしさの方が強く香ってきました。最後も、蟹でだしをとった、蟹雑炊が出てきました。食べ終わってから、全身が蟹を焼いたあとのような、香ばしい香りがしました。蟹の香りが強いので、食べ過ぎて、胸焼けを起こしそうになっている人もいました。あの香ばしさ、ふわっとした歯ごたえ。これが忘れられなくて、ふだん仕事しているのかもしれない。そういう思いにさせていただいた、割烹のご主人の腕前と、立派な蟹に感謝です!
2007年11月27日
コメント(3)

華やかな芸妓・舞妓さんの世界で、茶道や舞、音楽などの諸芸に特に秀でているとされる太夫。いま5人しかいません。そのうちの1人の芸を見て、さらに直接お話できるという会に参加することができました。もちろん「一見さんお断り」。そのディープな世界は、現代ではどうなっているのでしょうか?いま、太夫を置く「置屋」は「輪違屋」のみです。輪違屋は、元禄元年(1688)に京都西部の遊郭エリア、島原地区で創業した置屋兼揚屋(大規模な茶屋)です。この地区にいるので、太夫は「島原太夫」と呼ばれます。その建物は、江戸末期の置屋建築として京都市指定文化財に登録されています。浅田次郎原作の時代小説「輪違屋糸里」は今年9月にTBSで2夜連続ドラマとしても放送されました。場所は阪急大宮駅からタクシーで5分ほどのところです。「西陣」と同じように、京都に「島原」という地名は実際にはなく、あくまで通称です。1867年に建てられたという、とても雰囲気のある島原大門をくぐると、すぐに着きました。まずは、太夫の「道中」を見学です。頭は3kg、着物は20~30kg、履物(三つ足)は片足2kgという重さの衣装を身につけて、前には禿(かむろ)という小さな女の子を、後ろには傘持ちを従えて、半円を描くように一歩一歩進んでいきます。あれだけ重い衣装、独特の歩き方なのに、下を向いてはいけないのでしょう、前をキリリと見据えて歩いて行きました。つづいて、置屋建築の中をぐるっと見学します。何と言っても有名なのは「傘の間」です。紅葉が漆喰の中に埋め込まれています。味わいがあります。約150年前につくられたという、打ち掛けも見事!続いて、太夫のショータイムに入ります。まずは打ち掛けを使っての舞。ろうそくの明かりの中で舞うので、写真になりませんでしたが、とにかくあでやかで、ゾクゾクとするような色気を感じました。郷ひろみのジャケットプレイの元祖はここにあるのかも!? 引き続き、お抹茶を点てます。裏千家の点前です。流れるような所作でした。つづいて、再びろうそくの明かりに囲まれながら、胡弓の演奏です。弓ではなく、本体を動かすことによって音を出すのが新鮮でした。さらには、舞。文を書くようなアクションも。ショータイムが終わると、お食事です。太夫もお酒をもって近くに来てくれました。せっかくなので、話しかけてみました。「お稽古大変でしょう?」「そうどすな。昔は、7つ習っていましたが、身につかないので、今はお茶、舞、胡弓、書の4つにしています」「イブの予定って、どうなってます?」(周囲「なんてことを聞くんだ!」と騒ぐ)「空いてますえ。よろしくお願いします(微笑)」ひととおり、参加者にお酌をしたところで、太夫は退席。代わりに、芸妓さん、舞妓さんがお一人ずつ入ってきて、引き続きお酌。背中が若いな、と思って聞いてみると、舞妓さんは17歳です。なかなか共通の話題が見つけられないので、どうしても会話はインタビューのようなQ&Aになってしまいます。やはりお茶屋遊びは常連が楽しいのです。そうこうしているうちに、毎度おなじみ、祇園小唄の時間です。「月はおぼろに、東山~」楽しい時間もあっという間。3時間以上たっていました。参加者一同が席をたつと、部屋の隅に、新撰組の近藤勇の書を屏風にしたものが見つかりました。輪違屋には、バーが併設されています。ここには数々の文化人や経済人、政治家もやってくるのだそうです。ここでテンションの高いご当主が登場。深夜までご機嫌なトークで楽しませていただきました。教養のある人が楽しめる空間とはいいものだと思いました。キャバクラではこうはいきませんからね。ただ、ある程度リーズナブルでないと、行きたくても行けないな...残念です。
2007年11月23日
コメント(0)

今月はなぜか歴史的建造物の屋根とご縁があるようで、奈良の平城宮大極殿、唐招提寺金堂につづいて、園城寺金堂の屋根の修理現場が公開されました。公開期間は、この日を含めてわずか4日間。しかも、今までの瓦葺(かわらぶき)と異なり、今回は日本古来の檜皮葺(ひわだぶき)の屋根に急接近できる貴重な機会です。園城寺(=通称・三井寺)は、京阪京津線の三井寺駅から徒歩10分弱のところにあります。JR琵琶湖線から離れていて、ちょっと不便です。大阪からJRで行く場合、山科から乗り換えるのが便利です。園城寺(おんじょうじ)は天台寺門宗の総本山で、天皇の産湯に用いられた霊泉(御井=みい)があることから、三井寺(みいでら)と呼ばれています。672年に創建され、古くから名刹として知られます。今回、檜皮葺の屋根が修理される金堂は、豊臣秀吉の正室、北政所によって1599年に建てられたものです。23m四方の大きな仏堂で、内陣に床を張らず土間で構成されるところが大きな特徴です。檜皮葺の屋根は、やわらかい感じが特徴です。修理現場に着いたのは、午後2時20分頃。ちょうど10分後からの見学ツアーの申し込みの締め切りがあと3人となっていました。見学は団体行動だとは知らなかったので、ちょっと驚きながらも、そそくさと申し込みました。ツアーは40人程度で一グループ。全員ヘルメットをかぶり、かばんは入口で預けて、カメラと貴重品とメモを手に現場に入っていきます。坂を上っていき、屋根が見えてくると、その迫力に驚きます。カメラの画角に入りきらないほどの広がり、檜皮の厚み、暖かみのある色が一体となって迫ってきます。社寺建築は屋根の稜線美を見るべし!この緩やかなカーブがなんとも美しいですね。金堂を半周したところで、現場担当者から、修理についての説明をいただきました。檜皮葺(ひわだぶき)とは、ヒノキの立ち木から皮をはいで、それを屋根の材料に使う技法のことをいいます。日本でしか見られない屋根で、飛鳥時代に始まり、鎌倉時代には今日見られる技法が確立したそうです。屋根に使われる皮は、樹齢100年以上の檜から、原皮師(もとかわし)という職人が採取します。原皮師は、いとも簡単に檜を登っていって皮を切り取るのだそうです。そうして取れた皮は、「拵え(こしらえ)」という作業によって、厚みや形が整えられます。膨大な下準備の後、初めて檜皮葺の作業が始められるのです。檜皮は竹釘で固定されます。鉄の釘を使うと錆びてしまい、そこから屋根が腐食してしまうのだそうです。竹釘は、これまた専門の職人・竹釘師が製造しています。檜皮を湿らせた状態にしてから、屋根葺き技能者が竹釘をテンポ良くたたいて留めていきます。実際に近づいて見ると、檜皮の厚みが印象に残ります。間に入っているのは銅板。これだけの檜皮を葺くのは大変な労力が必要なことがわかります。でも耐用年数は40年ほど。材料を確保するのも大変ではないかと、素人ながら心配になってしまいます。屋根の頂点近くまで近づくことができました。作業を間近で見られます。高所恐怖症の人には務まらない任務です。見学を終えた後に、檜皮葺体験コーナーで、竹釘をたたいてみました。竹釘を何本も口に入れておき、そのうちの1本を出して、専用のかなづち(檜皮金槌)の中心に持ってたたきますが、これが難しい!口の中で竹釘が踊るうちに、ザラザラしてきます。このほかに、柿葺き(こけらぶき)の技術を紹介するコーナーもありました。それにしても、緻密に皮を積み上げて、屋根にしてしまうという発想もすごいし、形も美しい。飛鳥時代から積み上げられてきた、日本の建築技術の高さに感銘をうけました。それに、国宝の修理現場を間近で見て、職人の技術を体験できるのは、非常に興味深いし、良い企画だと思いました。
2007年11月17日
コメント(0)

芸妓の世界で最上級の遊女を「太夫」と呼びます。太夫は芸事だけでなく、上流階級のお相手を務めるだけの教養(茶・花・和歌など)を兼ね備えているとされます。京都で有名なのは、島原太夫(島原という花街の太夫)です。江戸初期の島原の遊女・夕霧太夫は、才色兼備で当代一の人気を集め、近松門左衛門の歌舞伎や浄瑠璃のモチーフにもなりました。この日、嵯峨・清涼寺では夕霧供養が行われ、現役の島原太夫が参加します。法要から墓参りまでの道中では、一般の人間も近づいて、ご尊顔を拝することができるということで、行ってみることにしました。午前10時30分過ぎ、清涼寺に到着すると、本堂ではすでに法要が始まっていて、中の様子を見ることはできません。本堂前には10人以上がカメラを手にぶらぶらとしています。これはいわゆるひとつの「出待ち」みたいなものでしょうか。何の案内もありませんが、その場で自分も待つことにしました。小雨に降られながら待つこと40分あまり、ようやく島原太夫が登場しました。どんな美女が出てくるのでしょうか?太夫の両隣にいる少女二人は「禿」(かむろ)と言います。さすが、太夫、遠くからカメラ目線をいただくことができました。え?目が合ってない?写真撮影が終わって、墓地までの道中に向かう、島原太夫。足下はこんな具合になってます。足下を見つめずに歩く太夫。一歩一歩、半円を描くように前に歩みを進めていきます。やがて、太夫はカメラの放列に取り囲まれます。動揺一つ見せず、まっすぐ前に視線を向けて、口元に笑みを絶やさずに歩く姿は凛としてます。さすがです。夕霧太夫は、なんと26歳の若さでその生涯を閉じたのだそうです。花の命は短いのですね~。だからこそ、こうやって今でも供養するのでしょう。芸妓さんの日常を聞くと、彼女たちが日々、舞やお茶の稽古、お座敷に追われて、いかに忙しいかに驚きます。太夫の日常はどうなっているのでしょうね? 振り返って、我々の社会では、教養が軽んじられるようになって久しいのではないかと思います。資産さえあればセレブ扱い。六本木ヒルズに住み、キャッシュフローを稼いだ者が勝ち組扱い。江戸時代は、富と地位のある人たちでも、馬鹿にされないようにと教養を磨いたのではないでしょうか。太夫の姿を見て、現代ニッポンの軽さを憂いてしまうのは、考え過ぎなのかなあ。
2007年11月11日
コメント(0)

日本の美術史上、最も豪華絢爛な桃山時代に活躍した絵師・狩野永徳。当時「天下一」と言われたにも関わらず、その作品の多くは戦火で消失、「彼の作品に間違いない」というものは10点しかないと言われます。展覧会をするには致命的なほどの少なさです。今回の展覧会では永徳の代表的な作品がほぼすべて集まり、「30日間、京都限定」で行われます。この貴重な機会、少しでも興味がある者としては行ってみたくなるものです。その結果が、最長120分待ち(!)という過熱ぶりになって現れています。そういえば、相国寺で行われた伊藤若冲展は最長5時間待ちでした。こうなると、朝一番か閉館間際が一番良い、ということで、今回は延長された閉館時刻(20時)に見終わるように行ってみることにしました。京都国立博物館に着いたのは、午後5時40分。このとき「30分待ち」の表示が出ていました。博物館の外のテント下に4列で並びました。数十人ずつ入っていっては、列が止まりました。結局事前のお知らせよりは早めに、博物館には午後6時少し前に入れました。音声ガイドを借りて、入館。まず、眼に飛び込んでくるのは、大徳寺・聚光院の花鳥図や琴棋書画図です。お茶会に行ったときなどによく見ていたのですが、こうやって美術品として展示されると、改めてその美術的価値の高さに驚きます。永徳24歳のときの作品です。線の一本一本が力強いのが印象に残ります。展覧会の中心部分には、目玉の展示品「洛中洛外図屏風」があります。永徳23歳のころの作品です。ここには人だかりができて、なかなか近づくことができません。なにせ、一枚の屏風に2500人近くの人がいきいきと描かれるという細かさですから、みなガラスケースに目を近づけてゆっくりと見てしまいます。実際見てみても、筆で書いたとは思えない細さです。鉛筆で書けるかどうか、という感じです。背後からは「動きながら見てください」と誘導の声がかかりますが、なかなか思うように動いてはくれません。展示の終盤は、桃山時代らしい、豪華絢爛でスケールの大きい絵が登場します。絵柄も松の木の直径が1m以上と大きな描き方のものが数多く見られました。信長や秀吉など、多くの戦国武将に重用された狩野永徳は晩年、さばききれないほど多くの発注を受けていました。戦国時代は「描けません」と言うと、あっという間に首を飛ばされてしまうので、発注を受けざるをえません。当然、細かい絵を描く時間はなく、スケールの大きな絵が中心になってしまったのでしょう。永徳は結局、過労のために亡くなったという説があります。確かに、これだけの作品が一度にそろうのは、大変なことです。作品の出身は、アメリカのメトロポリタン美術館や、フランク・ロイド・ライト財団、宮内庁三の丸肖蔵館、東京国立博物館に、米沢市上杉美術館、南禅寺などなど、すごいところばかりです。見る側にとっては、永徳の作品を一度に見ることで、彼の人生と作品、それに時代背景がシンクロしてきて、非常に面白くわかりやすかったです。もちろん、絵も迫力、見応え満点でした。結局、京都国立博物館を出たのは、午後7時45分。閉館15分前でした。
2007年11月10日
コメント(0)

平城宮跡に続いて、唐招提寺金堂の平成大修理を見に行くことにしました。こちらも11月2日から3日間だけの特別公開。「天平の甍(いらか)」と親しまれている国宝の屋根に近づけるチャンスは、これが最後ということで、先ほどの平城宮跡よりも多くの見学者がやってきていました。近鉄西ノ京駅を降りると、そのほとんどの客が、唐招提寺に向かって歩いて行きます。これは大変な混雑になりそう...と恐れながら、拝観料600円を払って、中に入ります。2階中央に、いきなり左右の鴟尾(しび)がお出迎え。そのどちらかが、鑑真和上が持ってきたという天平時代のものだということのようですが...本当かな?屋根のコーナー下部分に多くの人が群がり、写真を撮っています。「金堂の隅鬼」を撮影しているのです。これは軒下の隅尾垂木と隅木に挟まれた部材に施された鬼型の彫刻です。「邪心を持った者は建物に近づくな、清らかな心で参拝せよ」と四方に告げているのだそうです。普段は尾垂木があるために見ることのできないものです。それにしても、1200年あまりの屋根の重さに耐えながら、睨んでいるのか、笑っているのか...鬼瓦も変わっています。瓦の横には、元禄時代に焼かれたものだという記載があります。唐招提寺の金堂は、元禄と明治に2度の大解体修理をしているのだそうです。鬼瓦は、明治の改修時には変更されなかったということでしょうか。屋根を間近で見る機会は、ほとんどありません。ましてや、1日に2度つづけて、大きな屋根を見ることができるとは! 唐招提寺の屋根は、著名な宮大工がいうように、美しいカーブが見られました。それに加えて、国宝の重みを感じました。
2007年11月04日
コメント(0)

3年後の2010年、奈良は平城京遷都1300年を迎えます。それに向けて、平城京の中央に位置した「平城宮」を復原させようというプロジェクトが進んでいます。その目玉が、平城宮の中心となる大極殿(だいごくでん)の復原です。11月2日からの3日間、その工事現場が特別公開されました。今回が通算6回目の特別公開です。完成してからでは近づけない部分を間近で見ることができる貴重な機会ということで、行ってみることにしました。平城宮跡は(へいじょうきゅうせき)は、奈良に向かう近鉄電車の車窓から見られます。朱雀門だけが建っている状態で、周囲はがらーんと広大な空き地のようになっています。当時の平城宮の大きさがわかるというものです。ここに、こつ然と巨大な建築現場があるのです。実際に行くには、大和西大寺駅からバスで5分ほどでした。大極殿は東西約44m、南北約19.5m、高さ約27mにも及ぶ、巨大な木造建築です。東大寺大仏殿よりも小さいものの、竣工当時の715年の技術やマンパワーを考えると、壮大な建築物であることが想像できます。中に入ると、まずはパネル展示で工事の概要説明がありました。発掘調査からわかったことや、法隆寺金堂や薬師寺東塔を参考にしながら、当時の構造や意匠を、できた当時(奈良時代)の姿に忠実に復原しようとしていることがわかります。その一方で、当時の技術だけでは耐震性に問題があるので、柱の下には免震装置が取りつけられていることが写真で紹介されていました。パネルの反対側には、足場に囲まれた大極殿の姿が。つづいて、大極殿内部に入ります。まだ骨組みだけのスケルトン状態ですが、すでに当時のきらびやかな世界をほうふつさせる雰囲気がでています。格子型の天井の内側には、ひとつひとつに蓮の絵が描かれています。このあたりの華やかさは、平等院鳳凰堂の完成当時のCGと似ているように感じました。2階に上がり、瓦が乗せられる前の屋根を拝見します。屋根には何本も鉛筆で線が引かれていて、これからどうやって瓦を並べ、垂木をとりつけるのかが指示されているように見えました。さらに3階に上がると、すでに瓦ののった屋根を間近で見ることができました。瓦が実に見事に並んでいます。以前、テレビで宮大工のドキュメンタリーで、このような建築の美しさを決めるのは、屋根の曲がり具合だと、棟梁が語っていました。幾何学的にも美しいです。屋根の下には、尾垂木木口金具が取り付けられていました。錺(かざり)金具がつくと、建物にぐっときらびやかさが増します。大極殿を下りて、別のプレハブ会場では、奈良時代の技術をつかっての、瓦の制作や、木材のかんながけが実演されたり、奈良時代の様々なのこぎりや大工道具が展示されています。見学者が、軒丸瓦の型押し体験をするコーナーもありました。1000円で体験できて、しかも焼き上げた後で自宅まで送ってくれるということで、自分も喜んで挑戦しました。これが意外と難しくて、型押しの力が強すぎて、型に粘土が残ってしまう失敗を2度も犯してしまいました。裏面に名前と制作年月日を記入しました。12月末にできるということで、楽しみです。この特別公開、国家的プロジェクトを理解してもらうために行われているようですが、宮大工の技術や寺社建築に興味のある人には非常に楽しめる内容になっていますし、そうでなくても楽しめる仕掛けになっていました。3日間しか公開されないのが惜しいです。*型押しして、焼いていた瓦が届きました! 12月10日ごろでした。直径およそ10cm、アイスホッケーのパックのようですが、なかなか上出来です!
2007年11月04日
コメント(0)
京都の名刹は、多くの国宝や重要文化財を所有していますが、それらが展示されたり、美術館に貸し出されることは少なく、蔵の中に眠っています。そのお宝を見る機会が、年にたった一度「曝涼展」(=虫干し)として訪れます。大徳寺の場合には10月第一週の日曜日、そして妙心寺は11月3日を含む2日間です。2年越しに訪れた、この貴重な機会を逃してはならじと、朝から行ってみました。この曝涼展は、それほど積極的に宣伝されているわけではありませんが、知る人ぞ知る展覧会なのか、ぱらぱらと訪れる人がいます。妙心寺本坊で拝観料500円と1000円のパンフレット代を支払って入ります。本坊の中には、掛け軸が並びます。さすがに仏画が多いです。十六羅漢像、涅槃図、布袋図、寒山拾得図などなど。このほかに、妙心寺の山内に玉鳳院を建てた花園法皇の肖像画、妙心寺を開いた関山慧玄が大徳寺を開いた大燈国師から「関山」の道号をもらった墨跡(国宝)などなど、国宝や重要文化財が惜しげもなく並んでいました。なんと、第一会場と第二会場の間で、お抹茶と和菓子をいただくことができます。もちろん無料。これも普通の美術館では考えられないところです。展示物の中には、もちろん狩野探幽や狩野山楽の虎や龍の絵もあるし、海北友松の屏風絵、それにお茶会で掛けたら参加者が卒倒するほどの名墨跡も並んでます。よくよく考えると、すんごい価値のあるものが、実に無造作に掛かってます。説明は至ってシンプル。禅問答のようです。だから「曝涼」なのか。もう少し価値がわかるようにしてくれればいいのに。実にお寺の展覧会らしい、渋さ満点、価値満点の展覧会でした。
2007年11月03日
コメント(0)

桂離宮に耽溺する一日。写真の撮り過ぎで後半にもつれこんでます。笑意軒(しょういけん)。茅葺き屋根にこけら葺きの庇(ひさし)がついた、田舎屋風の茶室です。笑意軒中の間。障子の下の腰壁の大胆なデザインに注目!実に斬新でモダン。笑意軒のふすまの引き手は、遊び心たっぷりです。笑意軒の前に敷かれた延段。「草の飛石」と呼ばれます。桂離宮の中枢、御殿です。左奥に向かって、古書院・中書院・楽器の間・新御殿が雁行して並びます。残念ながら、中には入れません。御殿から見た庭。静かな水面に、真っ青な空が映えます。最後の茶室は月波楼(げっぱろう)です。こけら葺きの屋根、船底天井がユニークです。御輿寄(おこしよせ)。左手の大きな白川石の沓脱ぎは、同時に6人分の沓を並べられる「六つの沓脱」と伝えられています。御輿寄に至る石畳は「真の飛石」と呼ばれます。最後にくぐるのが、中門です。あっという間、見どころ満載の60分間でした。その美しさを的確に表現する言葉を探し出せないまま、ひたすらデジカメで撮影していました。桂離宮を見た、ある人が"where is the palace?"(宮殿はどこだ?)とツッコミを入れたそうです。わかってないなぁ。料亭や割烹に行って"which one is the main dish?"と言うのと同じ発想です。重厚長大、豪華絢爛を良しとする考え方、確かに、日本にも桃山時代に見られましたが、本流は違うと思うのです。桂離宮の良さは、大きいもの、華麗なものにとらわれず、シンプルな中に端正な美を追求しているところにあると思うのです。伊勢神宮も同じ。こういう美的感覚を共有し、後世に伝えることが、日本人に必要なことではないかと思うのでした。
2007年11月03日
コメント(0)

日本文化の神髄が形となって現れている桂離宮。スカッとした秋晴れのもと、友人の手配のおかげで、見に行くことができました。桂離宮は、17世紀に八条宮家の別荘として造られたもので、江戸初期の建築や庭園が、そのままの形で残っています。昭和初期に、この地を訪れたドイツの建築家、ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛したことは有名です。桂離宮へは、最寄の阪急・桂駅から徒歩15分以上かかります。今回はタクシーで向かいました。入口では、申し込みをした人が、申込証か宮内庁から返送されてきた葉書を提示すると、中に入ることができます。集合時間の10分前から、桂離宮の概要と行程が紹介する映像が流れます。時間ギリギリに来ると見られないので要注意です。見学は、ボランティアガイドについていくツアーの形をとります。一回あたりの参加者数は約40人。最後尾にSPがつきます。所要時間はおよそ60分。自由行動はなし。ツアー行程中の写真撮影は自由ですが、柵を乗り越えたり、苔を踏んだりしないように、と注意があります。時間きっかりにツアーが始まります。のっけから、その美しさに息を呑みます。御幸道。砂利道は水はけをよくするために、道の中央が盛り上がっています。御腰掛。左側の木戸の奥には砂雪隠(トイレ)があります。御腰掛の前に広がる、蘇鉄山。蘇鉄は島津家から献上されたものだそうです。御腰掛前に横たわる延段(のべだん)。石畳のように見えますが「行の飛石」と呼ばれています。蘇鉄山を過ぎると、いきなり視界が広がります。奥の建物は松琴亭。洲浜。黒く平たい石が半島のように広がり、先端には灯台のように小さな灯籠が建ちます。いよいよ、松琴亭に着きます。桂離宮で最も格の高い茶室です。にじり口から、茶室を拝見してみました。松琴亭一の間。L字型の11畳。何と言っても、チェッカーフラッグ模様=市松模様の青が実に上品な色です。当時、青は金よりも貴重な色だったそうです。一の間の右手には石炉があります。松琴亭二の間。松琴亭の前庭松琴亭から見える庭の眺め。画角が切れてしまうのが惜しいくらいの美しさです。松琴亭から賞花亭に向かう途中の土橋。丸みを帯びた形にもグッときます。桂離宮で最も標高の高い賞花亭から眺めた庭。ちょっと修学院離宮にも似た眺め。賞花亭前の手水鉢。茶入れのようなふっくらした形に暖かみを感じてしまいます。園林堂(おんりんどう)の前から見た、庭園。水面が美しく反射してます。石灯籠のバリエーションも豊かです。調子に乗って写真を掲載していたら、一回あたりの制限文字数を突破することが必至となりました。続きは後編で!
2007年11月03日
コメント(0)

日本人の多くが、経済成長や現代の便利な生活の中で忘れ去ってしまったことが、京都には残されているように思うことがあります。それは何かをハッキリということは難しいのですが、だからこそ京都に行くとホッとする気分になったり、厳粛な気持ちになったりするのだと思います。この日、伝統未来塾の「長艸刺繍工房の世界」の授業にも、その「忘れ去ってしまった何か」の断片があったように思います。長艸(ながくさ)刺繍工房は、京都・西陣でいま最も旬な京刺繍の工房です。京刺繍は、能装束や、懸装品、緞帳、調度などを華やかに飾るものですが、長艸刺繍工房は和装の範囲を超えて、2002年にはパリコレのオートクチュールに登場するなど、ヨーロッパにも注目されています。今回の授業では、ご主人の長艸敏明さんに、現在の活動と、京刺繍の世界の一端をうかがいました。以下、授業のメモです。*****現在の仕事の柱は、三つ。1)国宝「天寿国繍帳」の修復「天寿国繍帳」は日本最古の刺繍として知られます。飛鳥時代につくられた旧繍帳と、鎌倉時代に模造した新繍帳を、江戸時代に合わせて1面の繍帳にしたものです。聖徳太子が往生した天寿国の様子を表現したものです。興味深いのは、飛鳥時代の刺繍の方が、鎌倉時代のものよりも、色が鮮明に残っていることです。これは、飛鳥時代の技術は渡来人が持ち込んだもので、強い撚り糸で刺繍されているのに対して、鎌倉時代は刺繍が日本で浸透した結果、平糸で刺繍したほうが色が鮮やかであることを重視した形になっています。鎌倉時代の刺繍は糸が腐食することを考えられていないため、結果として強い糸が使われた飛鳥時代の刺繍の方が鮮やかに残っているのです。 このように、工芸は出来上がったときを頂点として、時の経過とともに劣化していくものです。これに対して、民芸は使うほどに味が出てきます。「馴染む」という言葉の方がピッタリくるかもしれません。 復元にあたっては、刺繍の技術だけでなく、素材のことを知っていなくてはいけません。もちろん、繍帳ができた当時の歴史や、完成に至る経緯なども知っていないといけない。2)小袖の復元 刺繍が面白いのは、室町時代の終わりから江戸にかけて。慶長・寛文・元禄時代が、衣装としては面白い。桃山時代の刺繍を研究すると、生地の中に和紙が入っていることもあるのです。慶長時代の刺繍には撚り糸が残っています。 刺繍は、世界中にそれぞれの形で残る工芸です。日本の刺繍が、諸外国と異なることは、大まかなところと細かなところが同時に発揮されることです。例えば、中国の刺繍なら、繊細なのはどこまでも繊細。大ざっぱなのは最初から最後まで大ざっぱ。日本のは、バランスがいいですね。細やかな国民性なのでしょうか。3)能装束のひとつ、かずら帯の制作 はちまきのように、額に巻いて、後ろに長く垂らす帯です。帯に描かれる刺繍文様の数は、着物と同等か、それ以上になることもあります。刺繍文様ひとつ仕上げるのに、1日かかるものもあります。胴箔の上に刺繍をしたり、文様ひとつ1日1万円だと計算すると...かずら帯は数十万円することもしょっちゅうです。 刺繍は「主」ではなくて「従」です。刺繍そのものをすごいものにすることはなくて、着る人に合わせて、その人がさらに映えるようなものをつくります。それも、お客様の想像を超える、よいものをつくらなくてはいけません。長艸は卸や問屋を経由せずに、お客様と直接話しながら、商品を制作・納品・アフターケアまで行います。 お客さんの想像を超えるためには、「箱」(引き出し)をいっぱい持っていなくてはいけません。職人は絵が描けなくてはいけません。糸や布のことだけでなく、紙や木のことも知らなくてはいけない。能装束をつくるなら、その装束がどのような場面で使われて、役者がどのような動きをするかを知っていないと、いいものはつくれません。いろいろな勉強を重ねなくてはいけないので、職人が一人前になるには、若いうちに始めないとダメですね。大成するのは「箱」をたくさん持とうとした人です。言われたことだけをやってきた人間とは大きな差が出てきます。最近は、男性よりも女性の方が忍耐力があって、いい職人になりますね。*****作り手の気概が伝わってくる授業でした。工房の中にあった刺繍は、大胆な構図と鮮やかな色が印象に残ります。冒頭で述べた日本人が忘れてしまったことの断片は、卸や問屋を介在させない勇気、幅広い教養と知識を活かした商品、顧客との長い付き合いにみられるように思いました。
2007年10月27日
コメント(0)

秋祭りダブルヘッダーの後半は、兵庫県の網干(あぼし)で行われる「提灯祭り」。ふんどし姿の男たちが提灯を激しくたたき合う「提灯練り」で知られます。姫路周辺のお祭りは、灘のけんか祭りのように、勇壮で豪快なものが多く、今回もビジュアル的に激しいものになりそうです。祭りのハイライト「提灯練り」は午後7時スタートです。ところが、午後6時、JR網干駅に降りてみると、祭りの華やぎが全くありません。祭りは本当にやっているのか...不安になりながらタクシーに乗り、魚吹(うすき)八幡神社に向かいました。タクシーで近づけたのは会場から数百メートル離れた場所。臨時バスくらい、運行してくれてもいいのに。午後6時半、祭りのメイン会場の神社の楼門前に近づくと、デコトラのように、イルミネーションで彩られた3基の神輿が視界に飛び込んできました。「屋台練り」が盛り上がりを見せていたのです。「わっしょい!」と元気な掛け声が聞こえます。「ええのか、ええのか!」という叫ぶ声もあちこちからあがります。先ほどの加茂大祭と比べると、ヤンキーな雰囲気が濃厚に漂います。ほどなく「チョーサ!」という掛け声とともに、神輿が高く掲げられました。これが屋台練りの見せ場。観客から一斉に「いいぞ!」「がんばれ!」と声がかかります。このかけ声の由来はなんでしょうね?祭りの舞台となる魚吹八幡神社ですが、西暦202年に神功皇后がこの地で神のお告げを聞き、319年に仁徳天皇が夢を見て、父・応神天皇の祖母をこの地に祀るべし、と命令を下したという神話にもとづいています。日本の神社でも有数の歴史を誇るのかもしれません。魚吹(うすき)は、魚が群れをなして砂を吹き寄せてこの地ができた、という伝説が元になった名前です。提灯祭りの由緒も古く、神功皇后、応神天皇、玉依姫命が乗り移った三基の神輿が、お旅所にわたる際に、道中の灯りにと御旅提灯を差し出されたのがはじまりだとされています。それで提灯には「御神燈」と書かれているわけです。提灯練りが激しさを増したのは戦後以降だということです。午後7時、いよいよ提灯練りが始まりました。楼門前に近隣の氏子地区の提灯行列が一地区ずつ出てきます。提灯練りは、練り子たちが威勢良く伊勢音頭を歌いながら、あるフレーズに達したところで、中心の大きな提灯に向かって突進し、青竹についた提灯を激しくぶつけ合います。竹がぶつかるのではなく、バスッ!バスッ!と提灯のクッションがぶつかる音がします。上空には埃と煙が立ち上ります。観客からはどよめきがおこります。1分くらい叩き合うと、笛や拍子木でストップの合図が入ります。男たちは再び輪になって伊勢音頭を歌いだします。そして、また同じフレーズになると、中心になって突進していき、青竹を叩き合います。提灯がボロボロになって、青竹だけになっても、時間がくるまで激しく叩き合います。もちろん、練り子たちはお酒でかなりハイになってました。合わせて7地区が登場しましたが、地区によって目玉となる提灯の形に工夫が凝らされたり、たたき方の勢いが違います。練り子もふんどし一丁の男たちだけであったり、20代の女の子が入った地区もあったり。提灯も、小島よしおが描かれた巨大提灯や、星やハッピの形をした提灯などなど、多彩なバリエーションが楽しめました。こんなにいろいろな提灯が見られるのは、このお祭りだけでしょう。それらが一瞬のうちに壊れてしまうのも。見ているこちらもスカッとするような、激しいお祭りでした。提灯練りがすべて終わったのは、午後10時過ぎでした。あたりはすっかり寒くなっていました。JR網干駅へ向かう人はほとんどなく、あれだけ多くの観客はどこへ行ってしまったのか、不思議な感じがしました。
2007年10月21日
コメント(3)

今週末は秋祭りウィークエンド。全国各地で様々な秋祭りが行われます。祭り好きにはわくわくする週末。しかも天気は快晴。この日はユニークで迫力のある、2つの祭りをハシゴしました。まず、向かったのが、岡山の加茂大祭。岡山三大祭りのひとつで、およそ950年前(社伝によると1053~1058年に始まったとされます)に疫病退散祈願のために始まって以来、戦国時代の約200年を除き、昔のしきたりをそのまま踏襲する形で続いています。旧加茂川町内の8つの神社プラス地元の総社宮が集まって行われる寄宮祭です。電車とバスを乗り継いで、祭り会場へ行くのは難しそうだったので、岡山駅でレンタカーを借りることにしました。ところが、祭りの会場とされる「総社宮」へカーナビを頼りに向かうと、誤って総社市の総社宮に着いてしまいました。カーナビの「総社宮」は一箇所しかなかったのです...あわてて、吉備中央町へ方向転換。役場に電話をして位置確認をしました。結局、会場に着いたのは、祭りがクライマックスを迎える直前でした。すでに臨時駐車場には100台を優に超える自家用車が停まっていました。加茂市場の総社宮は、樹齢400~600年のスギやヒノキ、銀杏の大木が並ぶ中にあります。この巨木が総社宮に神々しい雰囲気を醸しています。こぢんまりとした社殿があって、その両脇にハンドボールのコートくらいの境内が広がります。自分が着いたときには、すでに見物客で一杯! 笛や太鼓のおはやしが響き渡ります。広場の中心では「お遊び」という神事が行われていました。そのひとつ「継ぎ獅子」は神社ごとに獅子舞の高さを競います。屋根にまで迫る勢いです。これも「お遊び」のひとつ、棒使い。きょうは、混雑時のお祭り見学アイテムとして、近所の雑貨店で買ったステップスツールを持参したところ、非常に効果的でした。周囲に迷惑のかからないように、背面に壁または高い土台のある場所をキープしました。クライマックスの「ご神興」は12時30分ごろ。合図の花火が上がったのち、8つの神社が横並びで神輿を高々と持ち上げます。それぞれの神社の氏子たちが、「うぉー」「わー」などと大声を出します。金色に輝く神輿がこれだけ並ぶのは、さすがに迫力があります。午後1時半からは、還御(かんぎょ)の行事に移ります。各神社が総社宮を離れて、地元に戻っていきます。そのための儀式。総社宮の正面で、獅子舞や棒使い、奴が、それぞれのしきたりに合わせて、演武を披露したあと、神輿が精一杯高く持ち上げられました。つま先立ちにビックリ!演武が終わると、各神社の隊列がそれぞれ「家路」につきます。祭りが終われば、総社宮はあっという間に元の静かな姿に戻っていきました。1000年近く前のお祭りが、当時のしきたりを残したまま続いているというのは、素晴らしいことです。獅子舞、奴、棒使い、神輿と見どころの多いお祭りで、たっぷりと楽しむことができました。
2007年10月21日
コメント(0)

いま、金刀比羅宮で「金刀比羅宮 書院の美」展が開かれています。円山応挙や伊藤若冲の襖絵が、描かれた当時をほぼ再現するように展示されています。2年前、奥書院が125年ぶりに公開された際に、その価値がわからずに行かなかったことを悔いていたので、今度こそはと意気込んで行くことにしました。讃岐うどん巡りとあわせて、お腹と眼を満たす日帰りの旅です。新大阪を9時51分に出発する「のぞみ7号」に乗車。行楽日和のせいか、自由席は満席...立ったまま岡山に到着しました。岡山発のマリンライナーへは乗換時間わずか7分。坂出に着いたのは11時22分。これが大阪から最短のルートでしょう。坂出からレンタカーに乗り、まずは讃岐うどん巡り。うどんは午前中が勝負...という割には、到着がゆっくりめになってしまいました。讃岐うどん巡りはこれが2回目。前回同様、店のロケーションと営業時間、自分の好みの麺とだしの味などを考えながら、コース設定しました。今回は、金刀比羅宮周辺のお店に絞りました。ということで、まず向かったのが、宮武うどん店。讃岐うどんの代表的なお店です。「ひやあつ 小」を注文。冷たいうどんに、熱いだしをかけたものです。手打ちならではのゴワゴワとした麺。うどんが冷たいと、このゴワゴワ感がしっかり伝わります。うどん巡りの一軒目ということで、気分もお腹もハイになっていたため、思わずゲソ天をとってしまいました。これがデカイ!まずはすっきり一軒目をクリア。つづいて、ユニークな立地で知られる、やまうちうどんへ。カーナビの指示に従って、店の近くまで行くと、こんな看板が見えてきます。素朴ですね~小高い山の上に、お店はあります。昭和を思わせる店構え。うどんだけでなく、外観も、いい味出してます。「あつあつ 小」を注文。麺はねじれて、エッジが立ってます。が、歯ごたえはやわらか。このギャップがいいですね~。2杯いただいたところで、午後1時を過ぎました。腹ごなしも兼ねて、金刀比羅宮へ。うどんで膨れたお腹を持ち上げるように階段を上がって行きました。「金刀比羅宮 書院の美」展は4カ所に分かれて展示されていますが、円山応挙の襖絵がある表書院と伊藤若冲や岩岱(がんたい)の壁画や襖絵のある奥書院へ直行しました。書院には円山応挙や伊藤若冲の襖絵や壁画が当時を再現するように置かれてます。これが書院の空間に見事にピッタリ合うのです。薄暗い空間に金色の襖、そこに鶴や虎、滝が浮かび上がります。若冲の壁画も、金色のベースに白い花が立体的に浮かびます。上段の間の床の間にダイナミックな構図で描かれたり、壁面いっぱいに整然と花の絵が並んだりするのを見ると、掛け軸や花、器も必要なくなってきます。豪快です。東京の美術館で見るよりも、ピッタリとフィットします。あるべきところに収まっている感じがありありと伝わります。見終わった後で、図録をチェックしましたが、図録の解説も丁寧ですごくわかりやすいのですが、やはり肉眼で見た印象が圧倒的に良すぎます。建物との調和、空間から浮かび上がる絵、言葉では言い表せない良さがあります。1月いっぱいまでやってますから、もう一度、行こうかな。眼福ごちそうさまでした。こんぴら参りをすませた後で、締めくくりのうどん。向かったのは、小縣家(おがたや)。製麺所が午後2時ごろに店を閉めてしまうのに対して、午後6時まで営業しているのがいいですね。「しょうゆ小」を注文。うどんがゆで上がるまでの間、大根を自分ですり下ろします。うどんは、しょうゆのかかっていない状態で出てきます。ここにすり下ろした大根と、すりごまと、ネギをかけ、すだちを搾って、しょうゆをかけます。これで生醤油うどんの出来上がり!これが本当にさっぱりとしてうまい。ぶっかけとは違う、さっぱり感です。これにおでんを自分でチョイスして皿にのせてくることもできます。お腹もすっかりふくれたところで、坂出駅へ。17時25分発のマリンライナーに乗車、夕暮れの瀬戸内海を横目に岡山へ。岡山18時17分発の「のぞみ」で、新大阪に戻りました。慌ただしくも、充実した日帰りの旅でした!
2007年10月20日
コメント(0)

10月、全国各地のワイナリーで収穫祭が行われます。自分は3杯も飲めばへべれけになってしまうほどの下戸ですが、ワイナリーの収穫祭にはどういう楽しみがあるのか、ぜひ一度味わってみたいと思い、友人の誘いに便乗させていただきました。タケダワイナリーは、山形県の国産ワイナリーの名門として知られます。場所は、かみのやま温泉駅からタクシーで10分ほどのところにあります。収穫祭は今年で7回目で完全招待制です。ソムリエ協会の名誉会長、著名な脚本家などなど、全国のワイン愛好家や流通関係など、260人あまりが参加しました。午後4時からの収穫祭に先立って、午後1時30分からセミナー、その後に、ぶどう畑と工場見学があります。ワインコンサルタント・田中康博さんによるセミナーでは、タケダワイナリーの名作ワインをいただきながら、ワインができるまでの工程、タケダワイナリーの魅力、今年の新製品が紹介されました。タケダワイナリーの特徴は、・祖父・父・娘、三代にわたって、酸性の土壌を改良しつづけていること。・標高190mから260mの斜面に広がる畑を、土質と日照、標高などにより区画わけして、品種をかえて植えていること・減農薬、有機肥料栽培農法を実践していること。つまり、土壌から、ぶどう栽培、ワインができるまで、可能な限り自然志向で取り組んでいるということで、「農家のつくる、率直なワイン」というのが特徴です。ワインの日持ちをよくしようと、普通は酸化防止剤が入れられるのですが、タケダワイナリーの商品には入っていないということです。ワインの産地にとっても、地球温暖化の影響はあるようで、国産ワインの産地、甲府や勝沼は、最近、4月1日から10月31日までの期間の気温(華氏)の合計が4000度前後にまで達して、ワインの名産地としては最も温暖なエリアに分類されるようになりました。暖かくなると、酸味の弱い甘いワインができるのだそうです。逆に、山形のように寒暖の差が激しい場所では酸味の強いワインが生まれます。ちなみに、フランスでも、ぶどうの収穫時期が早くなってきているのだそうです。今回のセミナーのテーマは、スパークリングワイン。今年発売された「サン・スフル」は微発泡のワインです。「地元のぶどうの特徴を生かした、安くておいしいワインを作れないか」という思いをもっていた岸平社長が、「酸の多い山形のワインは発泡酒にしても味が落ちないのではないか?」と考えて生み出された商品です。瓶の中に滓(おり)が入ったままなので、濁っています。さわやかなどぶろくみたいな感じ。セミナーでは、タケダワイナリーの代表的なスパークリングワイン「ドメイヌ・ヨシコ」の、2003年収穫のものと、良年(1992年)産をいただきました。香りが高く、泡立ちが細やか。本格的なスパークリングワインでした。新商品の「サン・スフル」とあわせると、テイスティングだけで4杯もいってしまいました。早くも僕のアルコール分解能力は限界に近づきました。続いて、ぶどう畑へ。タケダワイナリーの畑は東京ドーム3個よりも広い面積があるそうです。ぶどうの木の下に雑草がたくさん生えていますが、これはタケダワイナリーの狙いでもあるのです。岸平社長は「毎年、畑で同じ作物をつくることは、自然界にとっては不自然なこと。畑が活性化するには、雑草のバリエーションが自然界と同じように豊かでなければならないのです」と言います。いろいろな雑草がつけば、ぶどうに有害な虫や微生物が移らないかと心配になりますが、冬に積もる雪で見事にリセットされるのだそうです。自然界を再現させた畑は、土がふかふかとして、実にやわらかい。ぶどうの実は小さくて、皮が厚いのが特徴的でした。小さくてしっかりとしたぶどうですが、この大きさで収穫間近なのです。岸平社長の説明によると、酸味のあるワインをつくるときは早めに収穫し、たっぷりとふくよかなワインをつくるときは遅めに収穫するのだそうです。収穫の時期は、その年のぶどうの特徴を、日々ひたすら観察することによって判断する、ということでした。ぶどうは、木を植えて3年~5年目から収穫を始めるのですが、古木ほどよい味わいが出るのだそうです。今度は、工場へ。茎と実を分ける機械がこちら。赤ワインは実ごと発酵させます。実をプレスして、果汁をとる機械がこちらです。ここから白ワインが出来上がります。地下には、樽の列があります。気温は15度±5度。湿度80%になっています。樽はすべてフランスの樽メーカー(ナタリエ)から直接買い付けた、ホワイトオークの樽です。メーカーによって、乾燥のさせ方や、焼き方が違うために、最終的な完成度が全く違うのだそうです。ひとつの樽に250リットル、750mlの瓶が300本分も入ります。ワイン作りは、機械に頼ることなく、すべてが手作り。工場をみていると、オートメーション化されていないさまがよくわかります。東京ドーム3個分を越える畑の管理から、ワインの醸造、蔵の管理まで、9人の現場スタッフが行っているのです。雪が溶けたら畑に出て、冬のうちは瓶詰め。忙しい一年を送っています。タケダワイナリーの岸平典子社長は、3代目にあたります。およそ5年間フランスに留学し、醸造の勉強をしていたそうです。帰国後、その知識を活かして、醸造責任者に就任、2年前から社長に昇格しました。去年はぶどうが不作で例年の7割しかとれませんでした。問い合わせを受けても、出荷できるワインがない。そんなときに「外国からぶどうを仕入れて、ワインを作ればもうかる」と各方面から助言されましたが、悩んだ末に誘惑を断ち切ったそうです。そのときに社長の意思を固めたのは「地元でできるぶどうから、ワインを作る」という、父から受け継いだポリシーでした。とにかく真面目です。あざとさのない、まっすぐなワイン。安易に商売に走らない、作り手のこだわりを聞くと、心から応援したくなります。ちなみに、今年は、日照不足の7月を補って余りある8月の猛暑(少雨)のおかげで、当たり年だそうです。よかった、よかった。収穫祭は、さわやかな秋晴れの空の下で、ワイン畑を眺めながら、ワインと、豚の丸焼きと、ローストビーフと、塩焼きそばをいただきます。例年よりも食べ物の減りが早かったそうですが、肉は大きく豪快にカットされて出てきて、塩こしょうだけでも充分にいけるおいしさでした。ワインも樽から直接出てくるワインをピッチャーに入れて、いただきました。テイスティングで一度限界を迎えましたが、畑と工場見学で歩いたことで、またアルコール分解能力が復活してきました。渋くてカッチリした味で、僕のような素人には難しい味でしたが、それまでの説明で、このワインが土地と自然が一体化したものであることを知っているので、どこか納得できるものがありました。おおらかで温かさを感じる収穫祭。幸せなひとときでした。また来年来られたらいいなと、心から思いました。
2007年10月07日
コメント(0)

10月7日、山形のタケダワイナリー収穫祭に前後して、東北食いだおれの旅を決行しました。実によく食べました~1)郡山ラーメン巡り郡山駅から徒歩15分ほどのところにある「三善」(さんぜん)の支那そば。実にあっさりとして、透き通るような味。水がきれいだからなのか? この透明感はすばらしい!郡山ラーメンのルーツとも言える「ますや本店」。さかのぼると、130年前の「ますや食堂」が起源です。このお店の電話番号は、ガイドブックにも、タウンページにも掲載されませんが、住所を頼りに歩いて行きました。「元」「伝」「新」の3通りの味が楽しめます。魚介のだしがきいた、黒醤油ラーメンです。どれもおいしい!のですが、「伝」が最もスッキリした味だと思いました。2)米沢牛かみのやま温泉の中心街から少しはずれたところ、精肉店の隣に焼肉店「かかし」があります。まずは、米沢牛のたたきから。タン。やはり焼き肉のスターターの定番です。つづいて、ロース。ハラミ。やわらか~い。極上カルビお店のご主人が畑でつくったものを、焼かせてもらいました。紅芋と、ニンニクが乗っかってます。3)原口そば店かみのやま温泉駅から、タクシーで10分あまり。民家風の一軒家です。もりそば。こしがしっかりとしてます。鰹だしの効いたタレがうまい!そばがき。そばとは対照的に、ババロアのようにやわらかい。黒ごまのタレは甘いので、デザートのような感覚。4)仙台の牛タン「一仙」真トロタン焼き。このお店の名物である。文字通り、トロのようなやわらかさ。タンシチュー。フレンチ出身という、お店のご主人の腕がいかんなく発揮された、コクのあるドミグラスソースがすばらしい!それにしても、実によく食べ、よく飲んだ3日間でした。これだけ食べたら、ちゃんと働かないとね。
2007年10月06日
コメント(0)

神輿が担ぎ手ごと海に飛び込むという勇壮なお祭りが、紀伊勝浦にあります...神輿が川を渡るお祭りはいくつかありますが、丸ごと海に飛び込むとは実に荒々しい! どんなものか、この眼で確かめようと思いました。それにしても、この夏は強引な遠距離日帰りの旅が、非常に多い....自業自得ですが。大阪から紀伊勝浦へ向かう最も早い列車は、天王寺8時2分発の特急「オーシャンアロー」。発車15分前に自由席の入口に並び、以前に乗車した時の教訓から、進行方向右手窓側の座席を確保しました。紀伊半島の先っぽ、海岸沿いをひたすら走るので、窓から太平洋が広がります。この特急が紀伊勝浦に着くのは11時35分。乗車時間3時間35分!特に白浜を越えてから、海岸線を走る時間がかかるのです。紀伊半島は広くて、難しい地形であることを痛感します。紀伊勝浦駅に着くと、町内をくまなく動くために、レンタサイクルを考えました。駅の観光案内所に問い合わせると、近くの自転車屋さんを紹介してもらい、そこで1日500円でママチャリを借りることができました。祭り見物の前に、紀伊勝浦名物のマグロで腹ごしらえ。カマトロの握りです。実に肉厚で旨い! お値段は3巻2000円と高め。祭りのメイン会場は、勝浦八幡神社です。社務所で、お祭りの概要とスケジュール、地図が書かれた紙を1枚もらいました。そこのおばちゃんに祭りの楽しみ方を訊くと、「このお祭りはね、舟渡御がいいのよ。午後6時前に、あの場所から見ると最高ね」と神社から100mあまり離れたカーブミラーを指差しました。なるほど~。この例大祭は、海の安全と大漁を祈願して行われるもので、勝浦の住民数百人が参加するということです。午前中に神事が行われ、町内の行進や、ハイライトとなる神輿の飛び込みは午後から夕方になります。神社の境内には「手踊り」を踊る女の子や「子供神輿」を担ぐ男の子が多数。顔には黒い墨がいたずらのように塗られていました。神社の周囲には、黄色や青、白、などの色のハッピを着た男たちが、酒のにおいを振りまきながら気勢を上げていました。この一帯は、祭りならではの華やぎとテンションの高さに満ちていました。午後2時、子供たちを先頭に、町内を行進。神輿は威勢よくかけまわります。他のお祭りで見る神輿よりもふた周りほど小さい印象です。その分、神輿の上げ下げには勢いがありました。町内のところどころに水の入ったバケツがおいてあって、神輿が通りかかると、住民たちがバシャッとかけていきます。神輿も担ぎ手もびしょ濡れです。午後4時すぎ、勝浦港の中を5隻の船がグルグルとまわる櫂伝馬(かいれんま)行事が始まります。中学生くらいから、30代くらいまでの男性が、年代ごとにグループにわかれて、乗船します。掛け声がなんとも郷愁を誘います。午後4時40分、ついに神輿が海に飛び込みます!まずは「大黒天」という小さな神輿。担ぎ手の足音の地響きとともにバシャーン!すごい迫力です。午後5時過ぎ、まさに夕方の満潮時。今度はメインの神輿が2度飛び込みました。しかも岸から50m以上は離れたはず。担ぎ手は神輿と一緒に泳いでいるのでしょうか?気持ち良さそうに見えます。神輿が海に飛び込むのは禊(みそぎ)としての意味があるのだそうです。それにしても豪快です。フィナーレの舟渡御は感動的でした。5隻の櫂伝馬を先頭に、祭りに参加するすべての船が連なって、最後尾の神輿を先導するように漁港内を進んでいきます。港内には朗々と舟歌が流れます。確かに、お昼過ぎに神社で聞いた通りです。午後5時55分、神輿が神社に戻っていきました。出る時の威勢の良さとは違って、静かなご帰還でした。海の男の荒々しさが出た、非常に見ごたえのあるお祭りでした。マグロもおいしかったし、あともう少し時間があれば、温泉に入ったのに....残念。合間に足湯につかっただけでした。所要時間がかかるとは言え、あと1時間遅くならないと、落ち着いて日帰り観光ができません。あとは自由席2両のうち1両が喫煙車両というのも、ぜひ改善していただきたいと思いました。例えば、JR四国みたいに1両の半分で喫煙と禁煙を分けるとか。紀伊勝浦は、温泉がマイルドで、マグロが絶品なので、もっと利便性があって快適ならば、観光客がさらに増えて、地域振興につながると思うんですけどね.....
2007年09月09日
コメント(0)

毎年9月1日、東西二つの集落が里芋の長さを競い合うという珍しいお祭りが、滋賀県日野町で行われます。このお祭りは、平安時代末期から800年以上にわたって、地元の住民が親か子へ、子から孫へと伝えて来たということで、平成3年には国の重要無形民俗文化財に指定されました。これに似た祭りは全国どこにもなく、奇祭と呼ぶにふさわしいお祭りです。奇祭好きとしては、要チェックです!最寄駅の日野駅へは、大阪から新快速に乗り、京都を越え、草津で乗り換えて貴生川(きぶかわ)へ。貴生川から近江鉄道に乗り換えます。近江鉄道は1時間に約1本という、実にのどかなローカル電車。西武鉄道のお下がりの車両を使ってます。大阪からは1時間40分余り、12時12分に着きました。(午後1時からの祭りに間に合うには、この電車が一番近い時間なのです)日野駅から、儀式が行われる熊野神社、ならびにメイン会場の野神山へは約3km。バスは一日に3本しか走っていないし、タクシーもまばら。どうしたらいいものかと思ったら、駅前の食堂でレンタサイクルがあることがわかりました。なんと1時間100円! お店の人によると、自分以外にも、このお祭りを見るために借りた人が5人いたそうです。観光案内所で地図をもらって、ママチャリで向かいました。お祭りに先立って、熊野神社で儀式が行われます。神社はこぢんまりとしています。祭りで使われる神饌が並べられていました。気づかぬうちに、社務所の広間で儀式が始まりました。裃を着た少年たちが、盃をかわします。この少年たちは、中山地区の東西から7人ずつ選ばれ、山若と呼ばれます。最低年齢は16歳。盃に酒を入れる時のアクションが大きくて独特です。ん?ホントに酒飲んでるの?ところで、このお祭りは、なぜ里芋の長さを競べるようになったのでしょうか? 神社で購入したパンフレットによると...「だだぼし」という大男が里芋の芋茎でできた天秤棒をかついで、この中山地区にやってきたところ、天秤棒がポキリと折れてしまいました。代わりの芋はないものかとあちこち探しまわったものの、結局見つけることはできず、運んでいた土は山になってしまいました。「だだぼし」が里芋の芋茎を探したことが伝説となり、祭りになったということです。儀式が終わると、少年たちが2組に別れ、孟宗竹(もうそうだけ)にくくりつけられた里芋を神社から運び出しました。この里芋は、中山地区の東西で栽培されたもののなかで、最も大きいものを選んでいます。里芋は東西別々の道を通って、野神(のがみ)山へと運ばれていきます。山と言っても、そんなに高いわけではなく、ビルでいうと3階くらいの高さでしょうか。山上には祭場がつくられていました。小石がぎっしりと敷き詰められ、竹で囲いがつくられた、この斎場は、8歳~14歳の子供たちが8月下旬から前日までかけてつくりあげるのだそうです。祭場では、神を拝み、三三九度の盃をかわし、神饌が備えられます。さらに、角力(すもう)が奉納されます。勝敗がつくようなものではなく、あくまで儀式的なものです。約2時間儀式が続いたあとで、最後にメインの芋の長さ競べが行われます。「じょうじゃく」というものさしで芋の長さを測るのだそうですが、これが全く厳密なものではありません。長さを測る東西両地区の三番丈(担当者)の意見が一致してはじめて優劣が決まります。それまで何度も測り直しです。今回は、東の方が明らかに長いのに、西の三番丈が意地を張って敗北を認めず、延々と測り直しが続きました。このへんが、少年に進行をまかせるリスクというべきか。会場には「空気読めよ」という冷ややかな視線と、「まあ意地っ張りな男の子だね」という温かい視線が交錯していました。囲いの外から、西の三番丈のお父さんが「そのへんにしとけ」とささやいたあとに、ようやく東の勝利が決まりました。西が勝つ年は豊作で、東が勝つ年は不作、という言い伝えがありますが、今年はどうなることでしょう?芋の長さを競べることのドラマ性はあまり感じませんでしたが、脈々と受け継がれるお祭りの素朴さに、「ああ、日本人は農耕民族なのだな」と実感を深めました。
2007年09月01日
コメント(2)

「世界陸上、やってるな」と思っていましたが、大阪に暮らしていて、あまり大会が盛り上がっているとは思えず、しかも連日の猛暑、まったく行く気がしませんでした。ところが、友人から「きょうのVIP席、チケット2枚あるんだけど」と話を聞いて、急きょ行ってみることに。もらったチケットはなんと5列目!かなりの良席です。テレビで見るのとは大違いの数々に、戸惑ったり驚いたりの連続でした。競技開始は19時30分。しかも最初の競技が、日本人アスリートとして数少ないメダル候補・室伏広治選手が出場するハンマー投げ決勝ということで、急いで競技場へ足を運びます。ところが、最初に入ろうとしたゲートで入場拒否。「このチケットは入口が違います」。急いでVIP席のゲートに回り込むと、再び「このチケットは入口が違います」...どーなってるの? 会場を回り込んで、競歩のように早足で歩くこと15分、やっと正規のゲートを見つけました。駅からゲートまでの全体的な案内図がないまま、たらいまわしにされて汗だく、かなりフラストレーションがたまりました。急いで席に向かうと、そこには空席にちゃっかり座る外国チームのスタッフの姿。「ここは僕の席です」と言って、丁重にどいていただきました。その席は、なんと前から5列目。前の列はスポンサー接待の席らしく、白髪の紳士と、スーツ姿の営業マン、秘書らしき女性らが一列に整然と座ってました。ゴールラインが目の前にあります。こんな感じ。会場の半分は空席が目立ちます。あれだけ事前に宣伝がされていたというのに...世界陸上を9日間するよりも、阪神タイガース9連戦や、高校野球の方がお客さんが入るのではないかと思うのです。関西人には、馴染みのないスポーツに金をかけて見に行くほどの甲斐性というか、好奇心がないのでしょうか。誘導はイマイチ、客は入らない、これでは五輪もサミット招致もうまくいかないはずです。それとも、ただただ暑すぎるのか...席についた時、すでにハンマー投げは始まっていました。室伏選手が投てきのサークルに入っていくと、会場には大きな声援と拍手がわきおこりました。室伏選手は胸板も厚くて、他の選手と遜色のない立派な体格ですが、自分の席からはかなり遠くに見えました。結局、室伏選手は6位に終わりました。勝ったのは、ベラルーシのイワン・チホン選手。ハンマーを投げた直後に叫ぶ姿が印象に残りました。「行けー!行ってくれ!」と叫んでいたのでしょうか。勝利への執着を感じさせました。表彰式。振り袖姿のコンパニオンが先導したり、メダルを運んだりします。彼女らも暑いだろうな、と思うのですが、この振り袖の趣味が非常に悪いのです。エメラルドグリーン、黄色、赤...普通の和服では考えられない、どぎつい色ばかり。和服本来の奥ゆかしい、上品な色が一切出てきません。世界に向けてアピールすべき場面で、これでは逆に日本文化の否定ではないかと思います。着物業界は怒らないのでしょうか。この日の競技は、ハンマー投げ、女子3000m障害、男子1500m準決勝、女子400m準決勝、男子三段跳び、男子10,000m、女子100m準決勝&決勝でした。どのタイミングでトラックを見ればいいのか、フィールドを見ればいいのかわからないまま、競技が進行していきます。場内のアナウンスは響いてよく聞こえません。馴染みのない客が見やすいような工夫は、必ずしも充分ではなかったように思います。それでも、テレビでは見られない面白さが随所にありました。一番顕著なのは、選手の体格です。たとえば、男子10,000mのアフリカ人選手のひょろっとした体、動物に例えるとキリンみたいです。女子400mのジャマイカの選手の足の長さに注目!彼らに比べると、日本のトラック選手の間には、努力だけでは埋めがたいような、遺伝子の違いを感じざるをえませんでした。まるでサラブレッドやチーターが、柴犬と競争しているような感じなのです。走り方も実にしなやかでリズミカル。体のバネを感じさせます。上半身の揺れや、体の上下動がなく、脚力が見事に推進力に換わっていました。写真は女子400m準決勝。最後尾が日本の丹野麻美選手です。見ていて面白かった競技は、男子10,000m、男子1,500m、女子100mです。男子1,500mは、見ていてすごい迫力とスピードです。しかも集団での競り合いが激しい!選手たちの上半身がたくましいのは、競り合いで負けないためなのでしょう。ラスト1周に入ったところで靴が脱げる選手も。男子10,000mは、トラックを25周するわけですが、最後の3周の駆け引きが実に激しいのです。5人の先頭集団から、まずケニアの選手が仕掛けます。本命のエチオピアの選手2人がついていき、3人に。続いてエチオピアの若手が仕掛けて、エチオピア勢2人のデッドヒート。最後はベテランのベケレ選手が、まるで1500mの選手のような猛スピードで後続を振り切りました。「どこにそんな力が残っていたの?」というほどの速さ。驚きを通り越して笑ってしまいました。女子100m決勝は大激戦! 5人が同着したようにも見えました。いったい誰が勝ったのか、見ている誰もがわからず、選手たちも電光掲示板を見つめて、会場はしばし時が止まったよう。競馬の写真判定待ちのような感じです。結局、勝ったのはジャマイカのキャンベル選手。ウイニングランで近づいてきたときに見えた、足のたくましさ!すごい迫力でした。競技が終わったのは午後10時40分。前列の接待席は、ハイライトの女子100mを見ることなく帰っていきました。オッサンがそろいもそろって、何を見に来たのでしょうか。実にもったいない。世界陸上の特等席は、発見がたくさん、運営に対するツッコミもたくさんでした。実際に行ってみなければ知らなかったことばかり。ともあれ、チケットを譲ってくれた友人に、感謝、感謝です!
2007年08月27日
コメント(0)

四国の中心にある渓谷、大歩危・小歩危。大股で歩いても小股で歩いても危険、という意味をもつ、険しい土地です。自然がとにかく豊かで、付近を流れる吉野川は透明。酷暑が続く中、ラフティングにはもってこいの条件が重なり、祖谷のかずら橋と合わせて、大阪からの日帰り旅をしてみました。新大阪駅を出る、7時46分発のひかり。岡山で、中村行き特急「南風」に乗り換えます。大歩危に着いたのは10時38分。大歩危駅は、映画「スタンド・バイ・ミー」のような、圧倒的な自然と線路との調和が印象に残ります。★かずら橋へ★大歩危駅10時52分発のかずら橋行きシャトルバスに乗車。このシャトルバス、今年から運行されている、とても便利な路線だと思うのですが、あいにく車内はガラガラです。20分あまりで、かずら橋バス停につきました。バス停からかずら橋までは、5、6分ほど坂を下りていきます。マイカーやバスで来た観光客が多く、橋を渡るのに列ができていました。かずら橋は、弘法大師が訪れた際につくられたとも、讃岐屋島の戦いに敗れた平家の落人が源氏の追手から逃れられるように、断ち切りやすい橋をつくったとも言われています。標高1,000m以上の高山に自生する直径8cmのシラクチカズラを使って作られます。昔は太いかずらを使っていましたが、今は細いかずらがほとんどで、ワイヤーで補強しながら、3年に一度かけかえられます。すぐ隣に、コンクリの橋があるので、かずら橋はあくまでも観光向けです。かずら橋の通行料は1回500円。片道通行です。全長45m、幅2mと、それほど大きな橋とは言えませんが、これが結構恐ろしいのです。足場は鉄道の細い枕木があるだけで、足元はスカスカ。14m下の岩場がよく見えます。しかも、よろけたときに支えになるはずの手すり部分もぐにゃっとたわむので、全く頼りになりません。そのうえ、オッサンが「揺れてないと面白くないやろ」とばかりに、橋をわっさわっさと揺すります。さすがに、これには悲鳴が上がっていました。渡ったあと、少し歩くと琵琶の滝があります。ここだけ、周囲より一段と涼しくなってました。マイナスイオンを一身に浴びます。水もスッキリ透明!地元名産のメニューで昼食をとりました。「祖谷そば」そばがきを細く切り落としたようなそば。麺というよりも、荒削りで細いマカロニみたい。「でこまわし」味噌田楽。左から、じゃがいも・豆腐・こんにゃくの順。大きさがダイナミックです。「アマゴの塩焼き」地元の人によると、これは養殖ものだそうです。アマゴはてんぷらで食べたほうがおいしいそうです。かずら橋からは13時ちょうど発の、阿波池田行きバスに乗車。13時25分に大歩危駅に到着。★ラフティング@大歩危★13時30分、大歩危駅にラフティングツアーの主催する、モンベルのドライバーさんが、迎えに来てくれました。ここからモンベル岩原店へは約10分の道のりです。濡れてもいい運動靴、水着着用。ピチピチのウェットのようなシャツをもらって、更衣室で着替えます。ヘルメットとパドルを借りた後、ラフティング中の安全確保のため、15?20分レクチャーを受けます。パドルの持ち方や、川に流されたときの姿勢、ひものつかまり方などなど。ひととおり理解したところで、バスに乗り込み、上流に向かいます。半日コースのラフティングの行程はおよそ4km。4ヶ所の瀬を下ります。水量も多すぎず、少なすぎず、適量。天気は晴れ。実に穏やかなコンディションです。早速川に入ると、少しひやっとするくらいで、気持ちいい! ゴムボートの縁に座って、全身を使ってパドルを漕ぐわけですが、背筋フル活用です。およそ1時間あまり、ゴムボートから飛び込んだり、泳いだり、少しの間、童心に返りました。きれいで冷たい川に体を浸し、すっかりデトックスです。上がったあとは、ザッとシャワーを浴びて、スッキリしました。16時40分には、雄大な風景を眺めながら、ベンチで高知県特製のアイスクリン(アイスクリームのこと)を食べてました。再びドライバーさんに大歩危駅まで送ってもらい、17時51分発の特急「南風」に乗車。多度津乗り換え、高松へ。19時28分に到着。讃岐うどんをたくさんいただきました。高松から大阪に戻るための終電は、21時43分発のマリンライナーに乗ること。22時38分に到着。22時54分発の「のぞみ」で新大阪へ。一日フルに動き回って体はヘトヘトでしたが、充実感が残りました。
2007年08月26日
コメント(0)

街の中心から離れたところにありながら、一日一組しかお客をとらず、予約が難しいという敷居の高い茶懐石のお店が、京都にあります。「大原・卯庵」。茶室から掛軸、器まで、すべてが人間国宝クラスの「ほんまもん」ばかり、というすごい世界を体験することができました。今回、友人を介して、京都の老舗履物店の若旦那さま主催の会に入れていただきました。参加者は自分を含めて8人。スタート時間は午後1時。京都駅から車で40~50分、大原に向かう途中の道を少し入ったところ、山に囲まれた土地に、お店はひっそりとありました。卯庵には、本格的な茶事のコースと、比較的カジュアルな茶懐石の2つのコースがあります。きょうは後者のコース。まずは控え室に通されて、鞄を置き、衣服を整えます。続いて、待合で、地元の新鮮な水を一杯。この水を使って、本日の料理を作っています、と説明がありました。「用意ができました」と案内をいただき、草履を履いて、露地を歩き、食事の部屋に通されます。部屋のあちこちに「卯庵」にちなんで、うさぎのオブジェが各所に見られます。釘隠し、引き手、欄間などなど。床の間には、北大路魯山人が書いたという「寒山拾得」の掛け軸がかかっていました。寒山拾得とは中国の唐の時代の末期、天台山の国清寺に住んでいた2人の隠者のこと。よく画題として用いられます。座布団に座ると、まず、お酒がでてきます。北大路魯山人がつくった織部の徳利などが出てきます。お猪口は、各自でセレクト。僕は、人間国宝・清水卯一の師匠の...(ああ、名前を忘れてしまった!)、粉引のお猪口を選びました。器が素晴らしいというだけで、お酒もより一層おいしく感じられるというものです。さて、お食事はまず、八寸。これは珍しい、穴子の刺身。椀物は鱧とまつたけの出会いもん。人生最大の岩牡蠣!五島でとれたものです。豪快な「海のミルク」です。食事が中盤まで進んだところで、茶室へ案内されます。20年前に日本一の数奇屋大工に発注したという茶室ですが、4畳半の広さがありながら、部屋は暗くなってます。ご主人によると、利休好みにしたといいます。ここから先は撮影禁止。茶室の掛軸は、江戸初期の著名な文化プロデューサー、本阿弥光悦の直筆のもの。お茶碗は、江戸時代の楽茶碗が主茶碗、人間国宝の作品が替茶碗として出てきました。茶杓は蟻腰といってグラマーに折れ曲がった、珍しい茶杓が使われます。こういう「ほんまもん」が、当たり前のように、スッと目の前に出されます。こういうときに、きちんとリアクションが取れるかどうか、道具を用意する側の演出意図を汲み取れるかどうか、亭主と話を深めることができるかどうか、教養が試される場面です。干菓子と抹茶をいただきながらも、緊張する時間でした。食事は後半の部に移り、場所も大きな囲炉裏のある部屋に移りました。まず出てきたのは、うなぎの白焼きと蒲焼。四万十川でとれた天然もの。今までいただいたうなぎとは、歯ごたえがまったく違います。感激!つづいて、猪肉の味噌?焼きご飯はスッポンの雑炊でした。最初はあつあつで、少しずつさめてくると、とろーりとした食感が出てきます。コラーゲンたっぷり。山椒か黒胡椒をかけると、不思議なくらいにおかわりを重ねてしまいます。また、最初に食事をした部屋に戻って、デザート。桃のスムージーのような感じ。ブランデーが少し入ってます。器はもちろんバカラのグラス!眼福プラス満腹で、心身ともに充足感にあふれました。畳の上に寝転がりたい衝動をおさえるのに必死でした。最後のトドメは男性用アサガオ便器。北大路魯山人が自ら作ったという陶器が使われていました。すべてのサービスがおわって、お店を出たのは午後5時前。晩御飯はどうしたらいいのやら...日本の伝統工芸の多くや、数寄屋建築は、利休の茶の湯から発展してきたものです。卯庵の茶室、しつらい、器、料理、いずれも絶妙そのもの。彼らが提供するサービスにどれだけ感じて反応できるかで、桃山時代以降の歴史や文化に対する自分の教養が試されます。そうは言ってもテストではないので、リラックスした雰囲気のなかで、お店で文化的な香りを味わうのです。知れば知るほど面白くて、奥行きが深い。一緒に行く人と知識を深めることもできるし、感動を共有することもできます。とても知的な食事を満喫することができました。
2007年08月24日
コメント(2)

奈良県南部にある大台ケ原は、年間降雨量5000ミリと世界有数の雨量を誇ります。最寄り駅まで1時間半はかかるという人里離れたロケーションで、コケの多い林、水量豊かな渓流など、手つかずの自然に満ちたところです。この大台ケ原に入ることが許されるのは、4月中旬から11月末まで。(冬はドライブウェイが閉鎖されてしまいます)大台ケ原のトレッキングには東コースと西コースがあります。東コースは、初心者向けて、一番の名所、絶壁の大蛇?(だいじゃくら)などがあります。これに対して西コースは霧などで道に迷いやすく、ベテラン向けといわれます。ところが、西コースは9月から日本初の登山者の利用調整が行われ、2週間前までに入山申請を出さなくてはいけません。この雨の多い場所で、2週間前に予約を入れるのは覚悟が必要です。1)晴天予報の週末、2)予約なしで入れる最後の機会、3)街は酷暑、という3条件が重なり、西大台コースに行ってみることにしました。大台ケ原へは、近鉄上市駅からバスで1時間40分、あるいは自家用車で向かいます。バスの時間にとらわれないように、ということで、今回はレンタカーを選択しました。午前8時20分に大阪を出発。途中、大台ケ原ドライブウェイからの景色が、実に素晴らしい! クーラーも不要で窓を全開にして走りました。結局、お盆の渋滞に巻き込まれながら、現地に着いたのは11時30分でした。まずは大台ケ原ビジターセンターで情報収集。腹ごしらえと水分確保をしたうえで、12時ちょうど、西大台のコースに入りました。いきなり現れるのは、9月からの利用調整を示す看板。早めに来ておいてよかった~分岐が現れます。どっちに行けばいいのかわからないまま、左を選択。しばらく坂を下りていくと、巨大な岩がゴロゴロと積み重なる場所に。雨が降ると、ここを水が流れるのでしょうか?平坦な道に出て安心。涼しくて、空気がおいしい! 何度でも深呼吸したくなります。ところどころに沢があります。透き通って、ひんやりとしていました。鉄の橋がかかるところも。この鉄はどうやって運んできたのでしょう? 午後1時40分、目的地の「展望台」に到着です。展望台といっても、大台ケ原ドライブウエイほど見晴らしが良いわけではありません。20分ほど休憩して出発です。中間点の「開拓分岐」から、しばらく平坦な道が続きます。沢をわたると、青々とした苔がこんもりと覆う倒木。京都の寺では見られないような濃い緑色です。後半の道は上り坂が続きます。時折、足跡がなくなり、どれが道なのかわかりにくくなります。すれ違う人影もまばらで、ちょっと不安になります。それにしても、植生に詳しくないのが残念! このコースには、ブナの原生林やヤブレガサの谷、バイケイソウの大群落があるのです。どれがなんだかわからないまま、涼しさとおいしい空気を満喫して、午後3時50分に駐車場に戻りました。帰りは再び大台ケ原ドライブウエイ。標高1500mの景色は素晴らしかった!
2007年08月12日
コメント(0)

比叡山延暦寺。天台宗の総本山です。788年、この地に最澄が開山していらい、日本の仏教史における中心的な存在です。山の上にあることから、夏はとりわけ涼しく、お盆のころのライトアップは、訪れるには絶好の機会です。酷暑で苦しむ今年はまさにピッタリということで、行ってみる事にしました。公共交通機関を使って比叡山へ行くには、JR湖西線の比叡山坂本駅からケーブルカーで上がる方法と、叡山電車の八瀬比叡山口からケーブルカーとロープウエーを乗り継いでいく方法の二つがあります。行きは最も早い前者の方法をとりました。坂本ケーブルで上がると、眼下に琵琶湖と周辺の町の夜景が広がります。僕のデジカメでは小さな光の粒になってしまうので、まぶたに焼きつけるようにじっと眺めました。都会の夜景と違って、周囲が暗い分だけ、明かりが鮮やかでした。標高800mのケーブル山頂駅に到達すると、やはりさすがに比叡山、ひんやりとしていました。根本中堂まで10分の徒歩が実に気持ちよかった!根本中堂は赤く照明があたっていました。京都のお寺のほんのりとしたライトアップと違って、カラフルで色がきつい。それはそれで、戦国時代「山法師」と呼ばれる僧兵を養い、時に権力と戦いつづけた、比叡山の激しい歴史を物語っているようにも感じました。根本中堂の正面には、1200年絶やすことなく燃え続けたご神火を種火にして移されたろうそくがきれいに並んでいました。内側で護摩行にいそしむ僧侶の姿を見ながら、根本中堂とライトアップについての説明が行われます。文珠楼や阿弥陀堂、東塔も、赤くライトアップされました。それにしても、照明が赤いですね。お寺のライトアップといえば、京都の青蓮院が人気ですが、あれくらい上品に照らしてくれるといいんですけどね...京都への戻りは、比叡山頂からバスを利用しました。運賃は750円。三条まで所要1時間ほどで、効率がよかったです。
2007年08月11日
コメント(0)

関西には「伊賀」とか「甲賀」といった、「賀」のつく地名がところどころにあります。これらは忍術と関わりの深い土地であったといいます。これは、戦国時代からの名残り。特に、甲賀は忍者屋敷が唯一残っているということで、一度行ってみたいと思っていました。忍者屋敷ホームページには「JR草津線甲南駅下車 約2km」と書いてあるものの、バス運行されているのか、わかりません。ということで、レンタカーで行きました。現場は県道から民家をぬって少し入ったところにあります。平屋建てのような低さですが、実は二階建て。ひなびた風情がいいですね。600円を払って入ると、ガイドさんが屋敷内のからくりを説明してくれました。この屋敷の名前は「甲賀流忍術屋敷」。「忍者」ではなくて「忍術」なんです。そこがポイント。忍者は要するに戦国時代のスパイ。暗殺者というイメージがありますが、実際にはそれほど人殺しをするわけではないのだそうです。この屋敷はおよそ300年前、江戸時代(元禄年間)に建てられたものですが、当時を思わせる仕掛けが屋敷内のところどころに残っています。たとえば、・刀を振り回せないように、天井までの高さが異様に低い中二階がある・少し力を入れるだけで壁が180度回転する「どんでん返し」・異様に重い引き戸・隙間に紙を入れれば、閉まっていたように見えた「からくり窓」から脱出できる・屋敷全体の地下に張り巡らされ、外につながっている地下通路などなどです。日本建築というと、書院造や数寄屋造、寝殿造、といった様式が基本ですが、忍者屋敷はそのどれにもあたりません。随所にちょっとした工夫が凝らされているのは、非常にユニークです。敵の襲撃を想定して、様々な逃げ道を想定しています。落とし穴の底に竹やりが刺さっているというような、ベトコンのトンネルのようなことはなく、陰湿で残忍なトラップがないのがよかったです。甲賀は、信楽焼の産地のすぐ近く。帰りがけに、たらこキューピーのように均一に並ぶたぬきを見ながら「陶芸の森」を見学しました。
2007年08月05日
コメント(0)

日本一の広さを誇る、十津川村。関西の秘境と言える、人里離れたロケーション。日帰りドライブは盛りだくさんの旅になりました。☆恐怖の「野猿」☆村の最北端にある谷瀬の吊り橋から最南端へ、細い国道を40分以上走った先に手動ロープウェー「野猿」があります。猿が木のつるをわたって行くさまに似ていることから、名づけられたそうです。これで川を渡ることができます。今は近くに橋があるので観光客向けの素朴なアトラクションです。見るよりもやってみないと、ということで早速一人乗りの籠に乗り込ました。自分でロープを手繰り寄せることによって前に進みます。純粋に腕力だけで進むわけです。最初は快調そのもの、スイスイ進んでいきます。が、そもそも腕力に自信があるわけではないので、中間地点より少し先に進んだところでUターンしました。ところが、復路のあと5mくらいのところで、突然、腕が疲れて動かなくなりました。目の前には次に乗り込もうと待ち構える親子連れ...全身から冷や汗が出てきました。まわりの景色を撮影するふりをして、時間稼ぎをしてみましたが、そんなことで腕力は回復してくれません。なんとか最後はボートをこぐような要領で、足と腰を総動員して、スタート地点まで戻りました。はぁ~しんどかった。本当の汗と冷や汗で全身汗でぐっしょりです。ロープが細かったので、人差し指の皮がむけました。もし野猿にトライしようという人は、軍手を持ってきたほうがいいかもしれません。☆これぞスピリチュアル!玉置神社☆「野猿」から10kmあまり、ほとんど対向車が来ない、ひっそりとした山道をひたすら登っていった先、標高1000mをこえたところに玉置神社があります。駐車場から境内まで、深い木立の中を約10分ほど歩きますが、これが実に気持ちいいのです。空気はきれいで、日陰では少しひんやりとするほど。歩くだけでかなりリフレッシュします。さらに進むと、境内が見えてきます。ひっそりと静かに鎮座する様子に圧倒されます。その存在感は大峰山寺や三徳山投入堂に似ています。それもそのはず、7世紀後半に大峰山が修験道の本拠地になってから、修験者の拠点として栄えたのだそうです。修験道の厳かな空気に満ちていました。玉置神社には、神武天皇が熊野に上陸したあと、八咫烏に導かれてこの地を訪れ、神宝を鎮めて武運を祈願した、という紀元前の言い伝えがあるほどの歴史があります。858年には神仏混淆となり、その後も天武天皇や後白河院などが参拝、弘法大師が修行したとも伝えられます。周囲には誰もいないので、柏手の音が周囲に響き渡ります。この玉置神社の雰囲気を神秘的にしているのは、樹齢3000年ともいわれる杉の巨木が境内に点在していることです。代表的なのが、神代杉(じんだいすぎ)。高さ28m、太さが胴まわり8.4m。周囲を柵で囲っているために、直接触れることはできませんが、とにかくずっしりとした存在感です。同時に圧倒的な生命力を感じます。そのすぐ近くにある、夫婦杉(めおとすぎ)。こちらも別れることがなさそうな(!)安定感と迫力です。このほかにも常立杉や磐余杉と名づけられた巨木があり、国の天然記念物に指定されています。広大とまでは言えない境内に、これだけ立派な杉が点在することに畏敬の気持ちすら生まれます。玉置神社の社務所も必見です。国の重要文化財に指定されていて、杉の一枚板に描かれた襖絵が有名です。行ったのが午後4時半ごろで、そろそろ閉めようかという時間でしたが、お願いして入れていただくことに。拝観料は300円です。襖絵を見た瞬間に「入ってよかった!」と実感。襖は樹齢600年前後に相当するという、現代ではありえないほど立派な一枚板が並びます。そこに鶴や鶏、松などの花鳥図が生き生きと描かれていました。(もちろん、撮影はフラッシュなしです)この襖絵ができたのは1745年頃、狩野派の絵師・橘保春らが描きました。これだけの一枚板に絵を描くというのはあまりにも大胆です。人里離れた山奥に、これだけ立派な神社があることは驚きです。杉の巨木と、生き生きとした襖絵...熊野信仰の奥深さをひしひしと感じました。☆温泉「泉湯」☆十津川村では「源泉掛け流し」以外は温泉と認めない、というストイックなルールがあります。これなら安心して純粋な温泉を楽しむことができます。村には「湯泉地」「上湯」「十津川」の3つの温泉があり、それぞれ泉質が違います。今回は時間の都合で、「湯泉地」(とうせんじ)温泉の公衆浴場、泉湯のみに立寄りました。この湯泉地温泉、古くは1581年に戦国時代の武将、佐久間信盛が訪れたという記録が残っているほどの歴史があります。源泉温度が60度と高いので、恐る恐る湯船に入ってみると、これがなんとも良い湯加減で気持ちいいのです。同時に入っていた地元のおじさんは「水入れ過ぎや」とボソッと言ってましたが、自分にとっては本当にちょうど良い感じでした。とてもスッキリしました。関西の秘境、一日強行軍の旅、帰り道も、山道をくねくねと走りました。道幅の狭いところあり、山道あり、これがなかなかしんどいのです。大阪に戻ったのは午後11時ですが、着くとさすがにぐったりときました。が、自然を満喫し、温泉に癒され、とても良い一日で、心地よい疲れでもありました。
2007年08月04日
コメント(0)

日本一広い村といえば、奈良県十津川村です。そのスケールの大きさは、都市に住む自分にとってはケタ外れです。たとえば、・村の中心から最寄り駅まで車で1時間以上!・温泉は「源泉かけ流し」のみ!・コンビニなし!・普通自動車の対面通行が難しいほどの狭い国道が延々と続くまさに関西の秘境です。この日、村が誇るもうひとつの日本一、「谷瀬の吊り橋」で夜に行われる「揺れ太鼓」を見るために、大阪から片道3時間、うち半分近くが山道という日帰りドライブ強行軍の旅に出かけました。午前10時30分、大阪市内を出発。カーナビの指示の通りに、渋滞もなくスイスイと進み、最初の目的地には午後1時過ぎには着きました。ただ、着くまでには山をひとつ越え、対面通行が難しい国道を進んでいかなくてはなりません。衝突を避けるための注意がとりわけ必要で、到着すると少しぐったりします。☆日本一!谷瀬の吊り橋☆まず到着したのは、谷瀬の吊り橋です。長さ297m、高さ54m、日本一の吊り橋として有名です。夜のイベントの前に一度渡っておくことにしました。「20人以上が同時に渡ってはいけない」という横断幕が緊張を誘います。橋は真ん中に板が渡されて、板の両脇から真下が見えます。高所恐怖症にはたまらない光景が足下に広がります。時折吹く横風に、橋がゆらっとする瞬間があり、恐怖を増幅させます。自分も高いところは得意でないので、風が吹くと結構ビビりました。慣れている地元の住民や、高いところも平気だという人はスイスイと歩いていきますが、横風を受けるたびに「ひえー」という女性の悲鳴が聞こえてきます。中には、ご主人と息子さんがスイスイと渡ってしまったために、ひとり恐怖に耐えて涙を流しながら橋を渡る奥様もいらっしゃいました。一度渡ると、帰りは少し慣れます。この細い板の上をバイクで渡ってしまうという猛者が地元にはいるそうです。もしバランスを崩したら,,,と考えるとゾッとします。☆揺れ太鼓その恐怖の橋の上で、和太鼓を披露するという勇敢なイベントが、夜7時から行われました。「橋」にひっかけて、毎年8月4日に、地元の太鼓倶楽部のメンバーが日頃の練習の成果を披露します。和太鼓は大きいのが5台、演目に応じて小さな太鼓3台と銅鑼が登場しました。まさに「揺れ太鼓」、演奏のボルテージがあがると、橋が激しく揺れます。「橋の上で動揺して叩けなくなるんじゃないか」と見ている方が心配してしまいますが、彼らにとっては慣れたもの、全くそのような素振りはなく、一心不乱で緊張感のある音が一帯にこだましていました。演奏は約20分で終了しました。終わると、橋の下でキャンプをしている人たちからも拍手が聞こえてきました。十津川村の圧倒的な自然と和太鼓が心地よく融合したユニークなイベントでした。
2007年08月04日
コメント(0)

伊勢神宮では、20年に一度、社殿から神宝まですべてを新しく造り替える「式年遷宮」が行われます。次回の式年遷宮は6年後、第62回。単純計算で1240年前から営々と受け継がれてきた、日本の伝統そのものです。その20年に一度のビッグイベントに向けて、伊勢神宮とその周辺では様々な行事が行われています。「お木曵」は、社殿の建て替えの際に使われる御用材(御神木)を、地元の住民たち(神領民)が伊勢神宮に運び入れる行事で、去年が第一次、今年が第二次と、2度にわたって行われます。「お木曵」には「陸曵き」と「川曵き」があって、道路上を進んでいくのが「陸曵き」、伊勢神宮の横を流れる五十鈴川を進んでいくのが「川曵き」です。先週と今週の週末に行われるのは「川曵き」で、この日は一連のお木曵行事の最終日になります。一週間前には皇太子殿下が訪れ、実際に参加されたほどの行事。しかも次回見られるのは20年後!これは絶対に見逃せません!まずは、朝一番の近鉄特急で、9時に五十鈴川駅に到着。お木曵の開始は10時30分と聞いていたので、それまでに伊勢神宮を参拝していこうと思いました、通常の参拝順路は、外宮→内宮ですが、友人は「その前に猿田彦神社に行かないと」とアドバイスしてくれました。本当かな? とりあえず友人を信じて、内宮の近くの猿田彦神社にも立ち寄りました。芸能の神様や縁結びの神様などがいらっしゃいます。念入りにお参りしました。つづいて、外宮をお参りし、内宮に向かったのが午前10時30分頃。内宮の手前で渋滞発生。路線バスを途中下車して歩いていると、視線の先に人だかり。それはすでに始まっていたお木曵きを見ようという人たちでした。早速、近くまで行ってみると、御神木2~3本をソリにのせて、それを2本の縄で数百人が「エンヤ!」という掛け声とともに引っ張っていきます。広がりがあって、迫力のある光景です。ソリが橋の下を通る時は、上の道路が通行止めになります。御神木に対する敬意が感じられます。御神木はいずれも太くて立派なひのきです。ソリの装飾や引っ張る時の踊り、掛け声などは、地区によって少しずつ異なります。それにしても重そう。ソリの前にたまる石をどけながら引っ張っていきます。この日は合わせて5地区が川曵きに参加しました。一地区あたりの参加者は400~700人とかなりの規模。参加者は老若男女さまざま。外国人男性の姿も見られました。全体の進行はとてもゆっくりしていて、よく止まります。止まるたびに、曵き手たちはお互いに川の水をかけあっていました。この日はとても暑い日だったので、気持ち良さそうです。見どころの一つは、堰越え。ゴツゴツとした岩の上をソリが進みます。当然、岩に引っかかって止まったりするわけですが、梃子をつかって障害をよけていきます。午後2時をすぎると、ソリが次々と伊勢神宮に引き上げられていきます。坂道を一気に曵き上げていきます。伊勢神宮・参集殿には、川曵きで運ばれた御神木が次々と置かれていきました。木には4桁の番号がつけられていて、どの場所に使われるのか、すでに決まっているような感じです。曵き手たちのさわやかな表情が印象に残りました。次は20年後と思うと、感慨もひとしおです。考えてみると20年というのは絶妙な期間設定で、伝統と習慣が滅びないギリギリの長さなのではないかと思います。20年後、自分は何をしているのか、世の中はどう変化しているのか、あるいは変わらないのか、いろんなことに思いをめぐらせながら、最後に内宮を参拝しました。
2007年07月29日
コメント(0)
全227件 (227件中 1-50件目)


![]()