1

顕正会員の時に数珠に関しては、∞(無限大)の形となるから、すごい力があると教わりました(笑)世間でいう、百八の煩悩との関係は、どうなっているか、日蓮正宗(当時は、顕正会を日蓮正宗だと思ってました)では、そんなことはないのかとの疑問でしたが。難しいことは解らなくても、よいとのことでした。まぁ、大事にしなさいという指導は、正しいかったのですが。(苦笑)しかし、開眼供養をしていない数珠は無限大ではなく、無間(無間地獄)では、ないでしょうか。では、御宗門では、どうかと言いますと、結構深い意味があるんですよ。1.念珠について 数珠とは、私達、末法の衆生を仏法僧の三宝に引き合わせ、修行を成し遂げる大切な法具であります。数珠はそのまま妙法の五字、妙法を信ずる者の一身、仏を表しております。 数珠の左右の大きな珠は「親珠」と申しまして、左を「父珠」右を「母珠」と申します。またこの二つの珠は、境と智、妙と法を表しております。 百八の珠は人間の百八の煩悩を表し、その中の小さな四箇の珠は上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩の徳(常・楽・我・浄)を表し、煩悩の中にこの四大菩薩があることで煩悩即菩提を表します。左右の房の長きことは、一閻浮提広宣流布して、この妙法を一天四海へなびかす意であります。 数珠の珠が丸いことは、法性の妙理、大圓鏡智を表しております。 数珠の掛け方は、左手中指に房二本の方を掛け、中央で交差するよう、内側にひねって、右手中指に房三本の方を掛けます。 古来、「数珠は仏の如くせよ」と示されております。大切にいつも身に付けておくことが肝要であります。決して畳の上に置いたりしてはいけません。又、もむことも避けた方がよろしいでしょう。 数珠は必ず開眼供養をしてから使用すべきであります。開眼供養の際は必ずお寺にご持参ください。引用(1)『戒法門』「態(わざ)と妄語(もうご)をさせて世の中を損じさし、人をも悪道に堕さん料(りょう)に、天狗外道平形の念珠を作り出だして、一遍の念仏に十の珠数(たま)を超(くり)たり。乃至一万遍をば十万遍と申す。是れ念珠の薄く平き故也。是も只(ただ)申すにあらず。念珠を超(くる)に平念珠を禁(いまし)めたる事諸経に多く候。繁(しげ)き故に但一二の経を挙(あ)ぐ。数珠経に云わく、応(まさ)に母珠を越ゆべからず諸罪に越ゆ数珠は仏の如くせよ。勢至菩薩経に云わく、平形の念珠を以る者は此れは是れ外道の弟子なり我が弟子に非ず。我が遺弟(ゆいてい)は必ず円形の念珠を用ゆ可し。次第を超越する者は因果妄語之罪に依って当に地獄に堕すべし云云。此等の文意を能々(よくよく)信ずべし。平たき念珠を持て虚事(そらごと)をすれば、三千大千世界に人の食(じき)を奪ふ罪也。其故は世間の人の虚事をする故に、春夏秋冬たがひて世間の飢渇(けかち)是より起り、人の病これより起る。是れ偏(ひと)へに妄語より始まれるなり。」 (新19)引用(2)『当家三衣抄』(第二六世日寛上人)「問う、数珠の由来(ゆらい)如何(いかん)。答う、夫れ数珠とは此れ乃(すなわ)ち下根を引接して修行を牽課(けんか)するの具なり、木?子経(もっけんじきょう)に云わく、昔国王有り、波流梨(はるり)と名づく、仏に白(もう)して言(もう)さく、我が国辺少にして頻年(ひんねん)寇疫(こうやく)し穀(こく)貴(き)く民困しむ、我常に安じぜず、法蔵は甚広なり、偏(あまねく)行うを得ず、唯(ただ)願わくば法要を垂示したまえ、仏言さく、大王若(も)し煩悩を滅せんと欲せば当に木?子(もっけんじ)一百八箇を貫き、常に自ら身に随え志心に南無仏・南無法・南無僧と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子を過ごすべし云云。応(まさ)に知るべし木?子(もっけんじ)の円形は是れ法性の妙理を表すなり、玄文第一に云わく理は偏円(へんねん)を絶(た)つるも円珠に寄せて理を談ず云云、弘五上に云わく、理体欠くる無し、之れを譬うるに珠を以ってす云云、土宗の平形大いに所表に違うなり、一百八箇は百八煩悩を表するなり、数珠は須臾(しゅゆ)も身を離す可からず、故に常自随身と云うなり。南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用(じじゅゆう)報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。南無本門の寿量品の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体事の一念三千無作本有、南無本門戒壇の大本尊。南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人、南無一閻浮提座主、伝法日目上人、嫡々(ちゃくちゃく)付法歴代の諸師。是(かく)の如き三宝を一心に之れを念じて唯(ただ)当(まさ)に南無妙法蓮華経と称え乃(すなわ)ち一子を過ごすべし云云。行者謹んで次第を超越する勿(なか)れ、勢至経の如きんば妄語の罪に因(よ)って当に地獄へ堕(お)つべし、亦復(またまた)母珠を越ゆること勿(なか)れ、数珠経の如き過(とが)諸罪に越ゆ、数珠は仏の如くせよ云云、母珠を越ゆるの罪何ぞ諸罪に越ゆるや、今謂(い)わく、蓋(けだ)し是れ名を忌(い)むか、孔子勝母(しょうも)に至り暮る而(しか)も宿らずして過ぐ、里を勝母を名づくれば曽子(そうし)入らず等云云、外典尚(な)お然(しか)り、況(いわん)や仏氏をや。」『迦陵頻伽声』(1頁)より?の部分は変換できませんでした。
2007年01月04日
閲覧総数 2051
2

通夜・葬儀までの準備 この世に生をうけた以上、誰人にも臨終の夕べはやってきます。このことは頭では判っていても、いざ死を知らされたり、死に立ち会ったりしますと嘆き悲しむのは凡夫としていたしかたのないところでありましょう。臨終の際の悲しみについて宗祖大聖人様は『上野殿後家尼御返事』に次のように仰せです。 「世間のならひとして三世常恒の相なれば・なげくべきにあらず・をどろくべきにあらず、相の一字は八相なり・八相も生死の二字をいでず、かくさとるを法華経の行者の即身成仏と申すなり、故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし、さのみなげき給うべからず、又なげき給うべきが凡夫のことわりなり」(全集 一五〇六ページ) 身内の臨終に直面すると、あわてふためくのが凡夫の常です。しかし、身内に死者が出ると嘆き悲しんでばかりもいられません。遺された者は葬送の準備にかからねばなりません。死去の連絡も、臨終後なるべく早いうちに寺院・講頭・親戚に知らせます。 ◇ 喪主 ◇ 死者が出た喪家では、遺族の代表となる喪主を決めます。 一般に喪主は、一家の主人が亡くなった場合は、成人した長男が多いようですが、核家族化が進む現在では配偶者である妻が喪主となる場合も増えてきました。長男といっても遠方に住んでいたり、別居であったり、誰が適任かは家によってまちまちですので、よく話し合った上で決めればよいでしょう。 喪主は、自治会や親族と話し合って、受付などの係を決めて葬儀の準備をします。 信心の上からいって大事なことは、喪主が正宗の信仰に則って末永く忌日等の追善供養をしてあげることです。 そのためにも、葬儀は遺族にとって、法統相続の良い機会です。 講中の人にあっては、みんなで遺族の信心が少しでも深まるよう気を配ってあげましょう。 ◇ 枕経 ◇ 枕経とは、その名の通り、臨終後すぐに遺体を北枕にして即身成仏の御経をあげることです。 枕経の配置は、図のとおりです。 枕辺には三具足・鈴を置き、御焼香のできるようにします。 北枕にする所以は釈尊の涅槃が「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうぎょうが)」であったことからきているようで、北は御本尊まします処と理解して行えばよろしいかと思います。枕の方角は、部屋の状況等により、変わっても差し支えありません。 枕経は、御住職が導師御本尊をお寺より奉持して執り行います。 御住職不在の場合は、家族で方便品・自我偈・唱題を行い、成仏を祈念します。 順次、次のように枕飾りをします。 ○「お水」…きれいなコップに樒一葉を入れて中央に供える。 ○「枕飯」…故人が使っていた御飯茶碗に丸く盛りつけ、それに故人の箸をそろえて垂直に立てる。 ○「枕団子」…米の粉等で作った団子を蒸すか茹で、皿に中高に積み上げる。(これは地域によって供えない場合もある) ◇導師曼荼羅について◇ 葬儀のおり御安置される御本尊を、導師曼荼羅と申し上げます。死者を霊山浄土に導く師、即身成仏の導師となる御本尊の意味です。 『妙法曼陀羅供養事』に 「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども三世の諸仏の御師一切の女人の成仏の印文なり、冥途にはともしびとなり死出の山にては良馬となり・天には日月の如し・地には須弥山の如し・生死海の船なり成仏得道の導師なり」(全集 一三〇五ページ) と、また『持妙法華問答抄』には、 曼荼羅を「無為の聖衣(しょうえ)」と説かれ、「死後の耻(はじ)をかくす信楽慚悔(しんぎょうさんげ)の衣」との示し書きもあります。すなわち、生前の宿業を覆い隠して、自らの非を恥じ仏道を志す印となる衣との意味もあります。 ◇ 諸注意 ◇ ここでは具体的にいくつかの注意事項を挙げてみましょう。 ○通夜・葬儀・初七日の日程等は寺院に相談してから決めること。 ○役所への死亡届と火葬許可証の交付を受けること。 ○葬儀社に、日蓮正宗式の祭壇を準備してもらうこと。特に、導師御本尊をお掛けしやすいように御厨子とその位置に注意する。祭壇の側に供える華も、常住をあらわす樒のみを使うよう指示すること。(色花は見た目には華やかですが、無常をあらわします) ○喪主や親族が、寺院に申し込みに行く際、白木の位牌を持参し、故人の氏名、享年、生年月日、入信年月日、亡くなった日時、喪主の住所、氏名、電話番号、通夜・葬儀の時間と場所が判るようにしておくこと。 また、通夜・葬儀に御住職が御本尊を奉持して出向きますが、もし何かの都合で導師御本尊をお貸し下げ願うならば、印鑑を持って責任ある方に同伴してもらいます。 導師曼荼羅奉掲の際には、手を洗い、口をすすぎ、樒をくわえ、なるべく白手袋をして、唱題のうちにお掛けします。 ◇ 納棺 ◇ 枕経から通夜の間に、遺体を棺に納めます。かつてはすぐに納棺せずに、家族が夜通しそばにいて別れを惜しんだものですが、最近では湯灌したあと、すぐ納棺するのが一般的です。棺には、底に一重衾(白い布団か、毛布など)が敷かれ、その上に安置します。 遺体を棺に移すときには唱題を以て行います。経帷子(木綿の白衣)または故人の愛用していた季節の着物を着せ、普段とは逆に左前に合わせます。手は胸の上で合掌の形にして、御念珠をかけさせます。 以上、いくつか通夜・葬儀までの準備を挙げましたが、最も大切なことは、表面上の形を整えることよりも、故人の遺徳を心から偲び、導師曼荼羅の御前において、導師の観念に心を合わせて共に成仏を祈念し、更なる信心倍増・法統相続を誓っていくことであります。 その心は自然に姿・形となって表れ、親戚・縁者・参列者等の眼に正宗葬儀の清々しさを残すことになるでしょう。(大白法第382号)
2008年09月15日
閲覧総数 2316


