2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全6件 (6件中 1-6件目)
1
先日、強烈な夢を見た。私は、起きてもしっかりと頭の中にこびりついているように、しっかりと夢を見せてくれた。私が人に対して、思っていること、感じていることをそのまま正直に伝えることは、結局は相手の方のためにもなる(もちろん同時に自分のためにもなる)し、それは間違いなく愛であるという夢だった。これは、表現の部分に関する内容だ。私は長年、この表現の部分を大幅に抑え込んで来たために、相当苦労してしまった。表現とは、内側にあることをそのまま表に出すという行為で、それは口に出してしゃべることだったり、文章を書くことだったり、芸術の分野に関することだったり、いろいろある。そして、それは創造にもつながる大切な行為である。また、内側と外側のバランスを取る上でも、とても重要だと私は感じている。結局、私達は関係する人たちそれぞれの意識の鏡にならなければならない。とすると、本来、その人に対して感じたことをきちんと言ってあげることは、宇宙の自然の姿だろう。それを言って、相手が何か反応してくれた場合、またそれによって自分を知ることができる。最近、強く感じていることがある。例えば、同じような質問を受けた場合、その方によって返す内容が違うということだ。違う回答をしたくなる。もちろんポイントははずしていないし、ベストな回答だと感じるからそのまま枠にはめようとせず(いつものお決まりの回答にしようとせず)に、表現してみる。すると、そのうち、自動的にどんどんしゃべっているような感じになる。しゃべっているうちに、私にまで気づきが訪れたりして、なかなか面白い発見もある。私がしゃべっているのか、しゃべらされているのかわからない自動進行の不思議な感覚である。つまり、その人に合ったその時に必要な回答をしているのだろう。これだけ、一人一人違っているのだなあ、と思う。数年前から、のどを使うことがテーマとして浮上していた。そろそろ、フォーカスする時期なのかもしれない。以前から、流れ込んでくる内容について表現をしていたことは確かだが、最近のこの自動現象はなかなか私も興味深いので、カウセリングも積極的に行っていきたいと感じている。
2006.12.19
先ほど「区別をつけない」のブログを書き終わってアップした途端に、強烈な気付きが訪れ、興奮してまた書いてしまった!(^^♪このように意図通りに事が運ぶことは、結構多いものだ。私の今までの人生は、両親に端を発したの自らへのコントロール(結局は自分がしていたのだけれど)と条件に基づいた行動、つまり頭で考え判断した行動、そして自己批判が大半を占め、これで私は苦しんできたと思っていた。全ての元凶はこれらだったと…しかし、先ほどそれも区別するようなものではないと深いところで感じた。これらがあったお陰で、今、実は大きな気付きをたくさん得ている。変化のスピードがすごく速い。多分、普通に生活していたのでは気付かないようなことにもたくさん気付けていたのだ!ここに来て、これらの経験が私の中に区別なく溶けていく感覚がある。それらは、苦しい経験をするためにあったのではなく、今の悦びのために、それは必要な要素だったのだ。やはり、人生、終わってみないとわからない。全体として、その経験が喜ばしいものだったのか、または否かなんて、今判断することではないと思う。人生もその方なりの物語があり、全て物事はつながっているのだ。これが、今に存在する大きなポイントでもあるだろう… 例えば現在の経験をつらいと感じたとしても、それをそのような経験と決め付け、長々と引きずっていくと、結局過去に存在してしまい、幸せには生きられない。言葉にして書いてみると、なかなか平凡な内容だが、自分を「こうやって考えるんだよ!」と無理やり説得するんではなく、ああやっぱりあれは悦びのためにもあったんだとただ素直に感じられるところが、この興奮の原因らしい(^.^)苦しんだのと同じくらい悦びがあると思うと、やっぱり人生バランスがとれているなあ… (でも、これは本当に内側の世界に入らないとこうならないのがミソ(゜o゜)
2006.12.17
大分前にも書いたが、私は全てが一つであることを徹底的に知る運命らしい。何がどうであれ、それは全て私に帰する。あの夏の強烈な出来事から、事は大きく動いたが、その時はまだ何も知らず聞こえてきた声(音声ではない)は守護霊だと思っていた。そして、その声は過去の自分を語ったり、天使を語ったり、悪魔を語ったり、それは七変化を遂げた。声が聞こえるだけでは、私にはそれが何だか確認しようがない。結局はその声を信用させられて、その声の通りに私は動かされて、様々な経験をした。怖い思いもしたけれど、その結果徹底的にわからされたのは、自分自身(自身の経験や運命を含む)を信用するしかないということ、そしてそれらは皆どんな形であれ存在であれ、「私」に帰するということ。その声を信用してみてよかったと思う。様々な経験ができたから…だから、私の奥底までそれが染み付いた。そう、全て私なのだ。この世には究極の話「私」しかいない。一つである。龍神を語る声が聞こえても、大天使を語る声が聞こえても、それは結局のところ「私」だった。大天使が出てきた時は、わ~い、なんて小躍りしたものだけど… 私は散々人をその気にさせておいて、「結局は私なんだ」というタネ明かししかしなかった…何とつながって、何とコンタクトしていくかは、その方の意識次第である。意識になければ、その人の宇宙には存在できない。それでも、それらは全て「私」でしかないことを、私の場合は1年ほどのしつこいくらいの問答の末、やっとわかったのだった。聞こえる声はハイヤーセルフでも天使でも、竜神でもキリストでも、もうどうでも良くなった。結局必要な声しか聞こえてこないし、「私」としか教えてもらえないと本気で認識した頃から、次のステップにどうやら入ったようだ。とは言っても、どの声を信用して動くか、というのは正直考えるところではあった。でも、自然の流れでそれは教えられた。私の頭ではなく、やはりハートが感じていること、またはそれと同じ声で動けばいい。またまたアイリーン・キャディの話だ。啓示だけ信用し、それを当のご本人が納得していなかったら、葛藤だらけということである。私達は肉体をもってここにいるのだから…エゴを手放したい、という声もよく耳にする。このエゴも実は本当に大切な部分だと思う。これももちろん「私」に帰するものだ。エゴがあるからこそ、私達はいろいろな経験ができる。このエゴという存在の大切さに気付いてこそ、私達はエゴを手放せる道に入るのではないか…だから、私はあえてあまり区別しない。どれもこれも、大切な私の一部だから。それらは、それぞれ大切な役割を担っていて、これはいらなくて、これだけが絶対必要というものではない。区別、判断をつけることを私は殆どやめにしたらしい。どちらへどう行っても、「私」しかいないのだから…
2006.12.17
自分の中にある願望があってそれが実現しない時、人は苦しむ。何故だ、どうしてだ?と…長い間、私もそのように苦しんでいた一人である。最近はこのように考える。まだ、それが実現するタイミングが来ていないだけだ。ただ、タイミングの問題だけなんだ、と…すると、願望を持ちながらも、執着することからは離れられる。執着がなければ、楽である。宇宙が全てを与えてくれると信じられる幸せな生活に入ってから、未来に対する不安は払拭された。そこで、ある疑問が浮かぶ。何も能動的に動かずに、このままいくのか… しかし、答えはすぐにやってくる。やりたくなったら、それを楽しんでどんどんやればいい。タイミングが来たら、それはやりたくなる。それでは、願望の成就を信じて、そのまま何も考えずに暮すのか… 内側から答えがやってくる。「考えるから、私も考えられるんだ。つまり、問いがあるから、答えが与えられる。願望があるから、それに応じられる。原因と結果の法則だ。何かもとになるものがなければ、成り立たない。だから、時には未来のことを考えて、ちょっと不安になったりして、いろいろ考えをめぐらせても、それもいいだろう。私達が創造主と言われる所以だね…宇宙は、いろいろなものを与えてくれている。私は自分の中に流れ込んでくる、湧き出してくる、ただそこにあるものを発見する―さまざまな表現があるが―というやり方で、その手にしたものをブログに書いてきた。それは、惜しまず書いてきた。それは、ただ私の表現という喜びのためでもあったし、喜んでくれた方たちがいてくれたからだ。そして、私は書いてきた。そして、その結果、今宇宙が大きなギフトを私にくれた。今までもくれていたし、そして今この瞬間も与えてくれているが、本当に実感できる大きなギフトを手にしている。ところで、今日、この文章を読んで、どう感じるだろうか?もちろん、他の方の文章でも、今聞いた言葉でもいい…ここにも宇宙のギフトがある。自分を知るというギフトだ。ここで今感じたことでも、自分を知ることができる。今、自分自身に対して心の中でどう言っているか、それはいずれ大きな気付きにつながると思う。
2006.12.14
病気を克服するには、まず受け容れることが大切だと言われる。このことは大切なことだと思う。私は普段、鼻水が出たり、咳が出たり、かゆみがあったりなど何か症状が続くと、これは全て解放の過程で起きているものだと考えている。(これを浄化と表現する人もいるかもしれない。)実際に、そう考えようとしているのではなく、そのようにしか思えない。そう思うとつらくないし、症状がいつ治まるかということなどにはあまり考えが及ばない。何か、少々の痛みなら快く思ったりすることもある。鼻水がたくさん出たりすると、止まった後にどうなるのか、楽しみだったりもする…(ちょっと変わってるかなあ…)だから、基本的には薬は飲まない。どうしても、つらかったらセルフヒーリングやホメオパシー、フラワーエッセンスなどで解放!何だか気持いい… きっと、これらの症状全てに病名がつけられているんだろうな…このような症状ばかりでなく、日々の様々な出来事に対して、どのように受け止めるか、で人生が根本から変わってくるように感じる。喜びをもって受け容れるのか、恐れと共にそれを体験するのか、拒否反応を示すのか…この意識の持ち方が全てを左右している。私達には、必要なことしか起こらない。それは全て必然である。それとどう対するのか…その選択が次の物事を決めるのだと思う。
2006.12.10
急に出かけたくなって、那須に泊りがけで旅行に行った。何がしたかったわけでもない、ただ、自然の景色をたくさん見て、違う場所で美味しいものを食べたりしたかった。ただ、出かけたい、という衝動にそのまま従ってみた。どうやら満足したらしい。(人事のように書いてしまった…)枯葉や葉を落とした木々の寒々しい風景にも心ときめくものがあった。やはり、自然は私自身を自然にしてくれる。自分を喜ばせるために行動することは、とても大切なことだと感じる。そこには、費用が…とか疲れが出そう…とか大変そう…という条件付けから離れた、ただ喜びのために行動するということがあるだけだ。それが次の喜びを呼んでいるように思われる。あるメールをいただいた。そこには、嬉しいことが書かれていた。その方は、私のエネルギーと書いてくれていたが、リコネクティブ・ヒーリングの周波数を感じられたようだ。そこで、無限の豊かさを感じたという… 私達は何かを求めて、様々なものを買い込んだり、手にしたりする。それはいつかマイブームが去って、次の何かを今度は求めだす。それが連続する。ある意味、キリがなく、様々なものをどんどん求めるが、満足しきれない。その方の表現を借りれば、この周波数は「タダだし、場所を取らないし、無限だし、税金かからない!!」(ごめん、勝手に表現借りました)うん、確かにそうだ。場所をとらないのはいいなあ…(年末のこの時期には特にそう思う)「もっと」ではなく、「もう十分」という、これが心底からの満足だ。満足はそこにある。何か急に欲しくなったら、行動を起こせば、それはすぐに手に入る。その行動を起こし続けるモチベーション、正にそのものが無限とも言える。更に、最近リコネクティブ・ヒーリングについては面白いことがわかってきた。直接のヒーリング効果ももちろんあるけれど、その後更にヒーリングをおし進めるもの―今のその人の状態に合ったツールやワーク、人物など―に行動や思考を結びつけたり、行動のブロックになるものをはずすよう仕向けたり、と二次的な要素が大分あるように感じる。つまり、大きなおまけがついてくる…そんな実感がある。また、必要な物事にきちんと気付けるようになったり、直感を信じられるようになったり、と一見その恩恵とは気づかない、深い部分での恩恵が多々あるようだ。これは、私を含め、様々な方にヒーリングをさせていただいているうちに気付いたことだ。同じことをしていても、意識を変えるだけで、全く違う結果を生む。それが私達の住む宇宙の法則だ。次々に望ましくないことが起これば、このそのうちに、今度はどんな悪いことが起こってしまうのか、とビクビクするようになる。この世界に生きていることから逃げ出したいくらいになる。世の中は皆、敵に感じられる。(実際に私も経験したけれど…)これは、宇宙は私の敵くらいに感じている状態である。今、私はこの宇宙が私を育み、生かしてくれる父や母だと感じる。同じように生きていても、そのように感じることができる。そのように思っていると、本当に生かしてくれているのが、わかる。今の持ち物で考えるのではなく、ただそこに無限の豊かさが存在しているのがわかる。そして、それを人生の目的からはずれず、私にベストなタイミングで与えてくれている。任せようという気持になる。今起こっていることも、過去に起きたことも、全て最良の選択であり、必要なことしか起こらない、と思うと、本当にそのようになっていくこともわかる。ただ、私達はやりたいことをやり、喜びのために行動すればいい…すごくシンプルな生活がそこにはあると思う。年末に向けて、家もシンプルにするぞ~!!
2006.12.04
全6件 (6件中 1-6件目)
1