P-Blog アイデア&インプレッション

2004.01.01
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
2004年1月1日午前7時、この数年私の住んでいるアパートから、30メートル程離れた所にある、崖の上にある駐車場に行った。まだ、夜も明けていないのに、もう、十数人の人が集まっている。そう、そこは、初日の出を見る絶好のポイントなのだ。

夜明け前の寒さに震えながら、何人もが、携帯電話についたデジカメのレンズを、太陽の方に向け、手を伸ばして待っている。
午前7時5分ごろ。西台の天辺にある、武蔵野の名残の大きな木々の間から、太陽が現れた。天気にも恵まれ、見事な初日の出である。
あたりでは、カメラつき携帯電話のシャッターを切る事を知らせる、警告音が鳴り響く。NDフィルタなんてつけてないので、CCDもエラーを起しそうだなと思いつつ、軽く、初日の出を拝んで、その場を去った。
これが、私の2004年の初日の出であった。

実は、今年は、この土地から引っ越そうと考えている。
都内で働く身として、少し不便を感じているからである。
最寄り駅の東武東上線の東武練馬駅、都営三田線の高島平駅、西台駅から全て遠い。しかも、台地の上とはいえ、駅から家に向かうとき、かならず、きつい坂を登らないといけない。

幸い、ここは、東京23区内としては土地が安くしかも、駐車スペースがあるため、タクシー会社がたくさんある。おかげで、常にタクシーに乗れる。
そういや、私がここに住む事を決めたのは、愛車のプジョーがいたので、駐車場が安価で確保できるからであった。
アパートとは言え、東京23区内で、2Kで30平米の広さがあり、アパートの階段を下りた駐車場を借りることが出来て、家賃が月7万円は安い。
だが、先月、プジョーを手放したので、駐車場というメリットは、消滅した。それが、引っ越す理由である。
そういうことで、今年は、この場所での最後の年越しだと思い、こちらでの年越しを楽しむことにした。

私の住んでいる所は、「徳丸」と言われる地域である。
駅もないので、あまり知られていないが、実は、この辺りは、かなり古くから人が住んでいたようである。
隣の西台や赤塚には、古墳や住居後が残っている。
そして、徳丸の氏神さんである、北野神社は、千年を越える歴史を持っている。この神社は、北野神社であり、菅原道真を祀ってはいるが、もともとは、梅の木を祀った神社である。
なぜ、梅を祭っているかと言うと、ここにあった梅の木の下で、病人が癒されたという言い伝えがあり。そして、梅ノ木を祀るようになったという。そして、梅のマークは、菅原道真の天神さま=京都の北野神社という事で、ここも北野神社を名乗っている。
ちなみに、京都の北野神社は、白梅町に近いなど、白梅なのだが、徳丸の北の神社は、紅梅である。


神社の近くに行くと、車が道路に何台も止まっている。近くの、無形重要文化財に指定されている、田踊りの伝統芸能の保存施設の駐車場も車で満杯になっている。
そして、階段を登り、最初の鳥居をくぐったら、いきなり、何十メートルの長蛇の列にぶち当たった。
この地区の人の信心深さには驚いてしまった。
20-30分並んで、やっと、お参りを済まして、帰途に着いた。

しかし、これだけの文化をもっているのに「徳丸」という地名は、マイナーである。

まず、この神社と隣接しているお寺の境内に、明治4年に小学校が作られている。この小学校は、地域の人々がお金を出し合って作った、日本初の私学の小学校で「紅梅小学校」と名づけられている。もちろん、現存している。
由緒ある名前なのでこれでいいのだが、徳丸という名を冠してはしない。
また、徳丸の南側の練馬北町との境目にある、東武東上線には「東武練馬駅」がある。確かに、この近くに、練馬大根の発祥の地があるので、それでもいいと思うのだが、東上線の計画中は「徳丸駅」も、駅名の候補であったにも関わらず、採用されなかったそうだ。
そして、徳丸の北に位置する「高島平」は、200年前の江戸時代には、長崎にてオランダ人より砲術を学んだ高島秋帆により日本最初の西洋式砲術調練が行われた「徳丸ヶ原」という事で有名だった。しかし、1966年から1972年にかけて日本住宅公団により土地整理事業が行われ、そこは、高島秋帆の高島をとって「高島平」と呼ばれるようになった。
高島平の団地の中には、徳丸橋、徳丸ヶ原公園という地名は残っているが、知名度としては、マイナーである。やはり、高度成長期のピークを象徴する「高島平団地」の方が明らかに、知名度が高い。
さらに、徳丸の台地と、高島平との間に、未だに、わずかながらも、武蔵野の原生林を残している崖が東西に長く存在している。そこは、赤塚公園の一部になっている。ここでも、徳丸の名前が出てこない。
この赤塚公園のおかげでか、徳丸と西台の境目近くに、最近出来たマンションも「赤塚公園」を名乗っている。昭和7年に板橋区になる前は、北豊島郡赤塚村だったにしろ、いわゆる、赤塚と呼ばれる地域までは、1キロ以上離れているにも関わらず、赤塚を名乗っている。
このように、なぜか、歴史のある徳丸の地名は、あまり付けられていないのである。
高島平の開発により、板橋区最後の田園地帯がなくなり、田畑や、茶畑を宅地などに転用し、新しい住人を迎え入れた。
しかし、徳丸という、ネーミングが、都市生活とあまりマッチしなかったためだと思うが、歴史を持っている土地の名前が、時代の感覚にあわずに使われなくなった。
家賃が安いなど、東京での生活のエントリーするには、いい場所なのだが、逆に、それが、この土地のイメージを低くしているのかもしれない。
そういう、移り住んでいく人たちとは関係なく、自らの土地に誇りを持ち、地元の氏神の神社に、集まる人々がいる。
確かに、私は、よそ者ではあるが、この参拝者の列に混じりながら、この土地での人の営みと、その歴史と文化について、深く考えざるを得なかったのである。


北野神社


何十メートルにも及ぶ、参拝者の長蛇の列


元旦から咲く、北野神社の「紅梅」






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2004.01.03 22:38:30
コメント(5) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

お気に入りブログ

・・ 野山ですごす… りおじーにょさん
ゴーヤ泡盛の野毛日記 ゴーヤ泡盛さん
ヅ+の日記 art-labヅさん
アジアン雑貨屋店主… エナエナさん
しみずきみひとの楽… Shimmy0603さん
小島トモオス 小島トモオスさん
新・さすらいのもの… さすらいのもの書きさん
新川てるえの家族の… 新川てるえさん
繁盛請負人ばんたか… 繁盛請負人ばんたかおさん
ヘンかわおいしいお… artlabova-goodsさん

コメント新着

サイド自由欄

設定されていません。

バックナンバー

・2026.07
・2026.06
・2026.05
・2026.04
・2026.03
・2026.02
・2026.01
・2025.12
・2025.11
・2025.10

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: