照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.01.26
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テーマ: 大東亜戦争(220)
カテゴリ: 歴史

西尾幹二氏は言う。

《当時の国際情勢への危機感から日本の近代は出発していて、そのなかには中国・清が国家意思を備えていない老廃国だということが前提としてありました。それに唯々諾々(いいだくだく)と隷属している朝鮮半島が、南下するロシアの吹き抜けの通路にすぎないことにも、日本は脅威を感じていました。

 日清衝突の本当の原因は、清が日本の台頭を自らの中華秩序を乱すものとだけとらえて、近代化の成果、あるいは文明への努力とは見ずに、自国のみを文明とした大国中国の古い体質にありました。

 欧米の侵略には中国は寛大で、本来日本に対して優越意識を持っていたがゆえに、どうしても日本の中国への介入を冷静に考えられないのは、今日の日中関係にも継続する意識でしょう。ところが日本のほうは当初より、欧米の進出からどうやって自分の領土を保全し、生存を維持するかという、近代国家の目的をはっきり持っていたので、清が欧米にやられっ放しの脆弱(ぜいじゃく)な国家であることに、非常な危機感を抱いていました》(西尾幹二・藤岡信勝『国民の油断』(PHP文庫)、 pp. 102f )

 が、日清戦争の真因がシナの古い体質にあるなどというのは的外れだろう。日清戦争は、日本と清国の朝鮮を巡る主導権争いであった。歴史的に朝鮮を従えてきた清国と、朝鮮をロシアとの緩衝帯としたい日本では、そもそも意図目的が異なっていたのだ。

《われわれは朝鮮半島に出かけていって清国の権限を侵すというよりも、むしろそうではなくて、この頼りない清というものに喝を入れて目を覚まさせようとしたのでした。日本が侵略するなどという意識は皆無であり、日・韓・清、相携(たずさ)えてともかく西欧に当たるという考え方であって、これが幕末からずうっとあった思想です》(同、 p. 106 )

 何をもって清国に喝を入れるなどと傲慢なことが言えるのだろうか。そもそも日韓清が相携えて西欧列強と対峙しようと考えたところに間違いがあったということなのではないか。日韓清の連携など妄想だ。地理的に近隣だからといって連携できるような素地がない。ハンチントン『文明の衝突』も言うように、日本は、シナ・朝鮮とは文明を異(こと)にする。だから、連携しようとしてもうまく行くわけがないのだ。

 朝鮮を日本とロシアの緩衝帯にしなければ、日本の安全が脅かされることとなる。だから、日本は、朝鮮の支配権を握る必要がある。清国がそれを邪魔するのなら排除するしかないということで戦争となったのだ。

《ところが朝鮮半島はいつまで経っても目が覚めない。清国の属国であることをやめさせるためには、朝鮮の独立が必要だという考え方に立って、日清戦争の結果、実際に朝鮮は独立することとなります。つまり日本は2度の大戦、日清・日露を通じて、朝鮮半島を中国の手から、2度目にはロシアの手から独立させ、あるいは両国の勢力から切り離すように努め、その結実を得たといってもいいでしょう。

 これは裏返していえば、もし日本が手を出さなければ、頼りない中国が朝鮮半島を牛耳ったままであり、そこがやがて欧米の草刈り場になるのを黙って座視するか、あるいはまた日露戦争の時点では、満州まで下りてきたロシアはただちに朝鮮半島を奪取すると宣言しているのですから、これをまた座視するだけか、そのどちらかだったといえるでしょう》(同、 pp. 106f )






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Last updated  2024.01.26 20:00:10
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