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《「無法者」は特定の社会の反逆者であると同時に寄生者であるという二重性格をもっており、一方ではその育った環境や文化のちがい――国民間のちがいだけでなく、一国のなかでも都市と島村、「上流」の子弟か下層の出身かというような相異――によって、その生活態度や行動様式にはそれぞれ異った特性があるけれども、他方ではまたそれを超えた著しい共通性が見られる》(丸山眞男「軍国支配者の精神形態」補註:『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)、p. 510)
が、丸山が例に挙げた頭山満(とうやま・みつる)と森恪(もり・かく)を念頭に置き、このように「無法者」を定式化することに違和感を禁じ得ない。成程、頭山も森も<反逆者>ではあっただろう。が、在野の頭山と政治家の森を一緒くたにして<社会の寄生者>とするのは強引に過ぎやしないか。
丸山の目に在野の頭山が社会に寄生しているかのように映ったのだとしても、国会で堂々議論する森まで<社会の寄生者>としてしまってはとても分析とは言えないだろう。否、森は政治家であっても、<政治的足跡と機能の点ではむしろ無法者のそれに近い>などという話は、丸山の只の屁理屈に過ぎない。
《無法者の「理念型」を定義することは甚だ困難であるが、一応次のようなメルクマール〔=物事を判断する基準〕が挙げられよう。
(1) 一定の職業に持続的に従事する意志と能力の欠如 ―― つまり市民生活のルーティン(日常コース)に堪える力の著しい不足。
(2) もの( Sache )への没入よりも人的関係への関心。その意味で無法者は原則として専門家に向かない。向くとしても大抵はラスウェルのいわゆる『暴力のエキスパート』である。
(3) 右の2点の裏側として、不断に非日常的な冒険、破天荒の『仕事』を追い求める。
(4) しかもその『仕事』の目的や意味よりも、その過程で惹起(じゃっき)される紛争や波瀾それ自体に興奮と興味を感じる。
(5) 私生活と公生活の区別がない。とくに公的な(あるいはザバリヒな)責任意識が欠け、その代りに(!)私的な、あるいは特定の人的な義務感(仁義)が異常に発達している。
(6) 規則的な労働により定期的な収入をうることへの無関心もしくは軽蔑。その反面、生計を経済外的ルートからの不定期の収入によって維持する習慣。
(7) 非常もしくは最悪事態における思考様式やモラルが、ものごとを判断する日常的な規準になっている。ここから善悪正邪の二分法や『止めを刺す』表現法への嗜好(しこう)が生れる。
(8) 性生活の放縦。
(丸山眞男「軍国支配者の精神形態」補註:『増補版 現代政治の思想と行動』(未来社)、 pp. 510f )
「無法者」は、こんな悪しき人間だという只の「レッテル貼り」だ。例えば、<性生活の放縦>が何故(なにゆえ)「無法者」のメルクマールなのか。ここに挙げられた項目は、一見もっともらしいが、よくよく考えれば、丸山の只の「独断と偏見」と言うべきものであろうと思われる。
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