照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.08.06
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カテゴリ: 思想・哲学

《夫人がたづさはつた婦人運動について流布された虛構を見て、それを捏造(ねつぞう)した1人の新聞記者を相手どつて憤然として訴訟をおこし、假借(かしゃく)なき勝利を戰ひとつた後、民族の指導者としてドイツの靑年たちから慕はれながら、冷然たる拒絕を以てそれに應(こた)へた彼、『職業としての政治』を講じて近代政治家に對(たい)する要請を揭げた彼――これらはカント主義的な倫理觀による實踐的な自己批判の明瞭なあらはれに他ならないであらう。また自己に對(たい)する批判は理論的には認識主觀の自覺(じかく)といふ形をとる。この自覺の要請は、あるひは『職業としての學問』を講ぜなくてならずまた請じえた彼において、科學認識の主觀から信仰と世界觀とを追放しようといふ彼の科學論において、同樣に歷然としてゐるであらう。

この2つの側面の要求の彼方に、魔術からの世界の解放といふ彼の生活目的はかかげられることができたのである。この目的がまた魔術からの自己の解放といふ意味をも有(も)たねばならなかつたことは、既(すで)に明かであらうと信ずる》(出口勇藏「マックス・ウェーバーにおける科學の槪念」:『社会科学研究 マックス・ウェーバー研究Ⅰ』(鎌倉文庫版)、 pp. 128f )

 ウェーバーは、合理化によって、魔術から世界を解放した。が、合理の前提となる理屈は唯一絶対的なものではない。詰まり、ある理屈では合理的であっても、違う理屈では不合理ということがあり得るということだ。

《ウェーバーはいくつかの個所で、「合理的なるもの」が、他の見地からは、全く「非合理的なるもの」のように思われると述べている…たとえば、「過去及び現在において、資本主義文化の最も特徴的な一要素をなしている――幸福主義的な立場からははなはだ非合理的な――職業労働への献身と、職業観念とを生ぜしめたあの特殊な形式における、合理的思惟(しい)と生活が、いかなる精神の子であったかが問題である。」かくて「われわれが興味をもつのは、この職業概念に存在する非合理的要素が、どこから来たかという問題であるとも言える。」(中略)

同じような例は、儒教を、その意図に従えば「世界に対する対立、世界の宗教的な無価値化、世界に対する実践的な拒否を最少限度に縮少した」合理的倫理と名づけているところにもあらわれる。それは一種の実践的合理主義、功利的目的合理主義である。そしてそれは実は「伝統主義」と密接に連関しているのである。これに対して、この伝統主義を打ちやぶるものとしてのピューリタンの倫理は、世界に対する「強力な、また熱情的な分裂関係」を経験している。それは、もちろん儒教的見地からは「非合理的なるもの」である》(日高六郎「マックス・ウェーバーの人間観」:『マックス・ウェーバーの思想像』(新泉社)、 p. 111 )






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Last updated  2024.08.06 20:00:12コメント(0) | コメントを書く


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