照千一隅(保守の精神)

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「照千一隅(しょうせんいちぐう)」(一隅を守り、千里を照らす)は伝教大師・最澄の言葉。本を読み、考えたことをこのブログに書いて参ります。ご意見、ご感想など御座いましたら是非お寄せください。

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2024.11.17
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テーマ: 教育問題(354)
カテゴリ: 教育について

《われわれの国では、ある程度の近代化の達成に、われわれがふと気がついたときには、国内の文化意識はすでにひどく均質化しており、あの微妙な差別とそれに基づく心理的安定や風俗の妙味を失って、国民こぞって気ぜわしい成金人間と無風流人士になり果てていたのである》(西尾幹二「『競争』概念の再考」:『日本の教育 智恵と矛盾』(中央公論社)、 p. 102

 〈あの微妙な差別〉とは、次のダ―レンドルフの著作に出てくる言葉である。

《アダム・スミスが表現した、いまでも記憶に新しい言葉である労働の微妙な差別は、それ以上に微妙な社会的地位や所属による差別となり、この差別プロセスから生じる身分の1つ1つは、それなりのシンポルやルール、そしてとりわけ他との境界線を持っているのである。他の国々が大きな重複したカテゴリーの社会となり、それが1つの中心的な価値観で支配されているとき、イギリスは微妙な差別の社会にとどまった》(ラルフ・ダーレンドルフ『なぜ英国は「失敗」したか?』(TBSブリタニカ)天野亮一訳、 p. 74

 道徳、慣習、礼儀作法といったものは、それに遵(したが)う人と遵わない人とを分け、区別する。当然、そのことで人は差異化される。これもまた「差別」であるが、平等主義はこのような差別をも攻撃することになるだろう。その攻撃は、道徳、慣習、礼儀作法にも及び、日本の文化が傷付けられることとなる。戦後日本が平等を絶対視することによって、文化破壊が進行したということだ。

《そして、じつはここからが私の今一番強調したい点なのだが、社会生活の中に微妙な差別が消えてなくなった結果、すなわち画一化が進行した結果――それがまた日本経済の成功や政治の無風状態の主たる原因となっているに相違ないのではあるが――代りに、教育意識の中に微妙な差別の構造が微妙なままに移し変えられたのである》(西尾、同)

 ダ―レンドルフの言う英国における階級に伴う「微妙な差別」は、差し詰め日本では、学歴に伴う「微妙な差別」ということになるという西尾氏の見立てなのであろう。成程(なるほど)、今や日本には「階級」というものは無い。代わりに、日本人を区別するものとして「学歴」というものが存在する。大卒、高卒、中卒という区別があり、さらに細かく、東大卒、法大卒といった区別がある。

 が、英国の階級には、歴史伝統的に育まれた規範があるのにたいし、日本の学歴にはそのようなものはない。英国には「高貴なる者の義務」(noblesse oblige)があるが、日本にはない。詰まり、日本の学歴は、優れて表層的なものだということだ。それが故、日本の学歴は、人の差別感情に結び付き易い性質のものではないかと推察される。

《近代日本は社会の中から人間を識別するあらゆる目じるしを追放しつづけてきた特異な平等国家ではあるが、究極的には区別とか差別とかなしでは、人間集団はまとまりを維持していくことが出来ないものとみえる…慶大経済学部と一橋大学との違いなどについて、一般の日本人は誰も説明が出来ないが、一方を好む人は他方に合格してもがっかりしたりするのである。そういう微妙な差別が上から下まで、大学から高校まで全国規模で張りめぐらされているのが「格差」という化物であり、それは人が言うほどに明確な序列を形成せず、専門ごとにあるいは地域ごとに、まさしく微妙に形づくられ、かつ運用されているとみていい》(同、 pp. 112f






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Last updated  2024.11.17 20:00:11コメント(0) | コメントを書く


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