今が生死

今が生死

2021.03.18
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カテゴリ: 生き方
今朝は医大から当直に来ている先生が朝7時には帰られるのでいつも7時からの早朝当番をしている先生が本日都合悪いとのことで私が代わりに当番をしている。朝早い出勤は道も空いていて気持ちよかった。医局に「抜粋のつづり」という小冊子があったのでぱらぱらと読んでみた。その中に禅の布教師福田宗伸さんが一休さんについて書かれた一文があったので紹介します。
「ある大金持ちに法事を頼まれた一休さん、最初に薄汚れたボロをまとって大金持ちの家に物乞いに行きます。大金持ちは「見苦しいものは追い出せ」と使用人達に叩き出させます。翌日金襴の袈裟と衣を着て一休さんがやってくると大歓迎されますが、屋敷には上がらず「あなたが待っていたのは私ではなく、この衣なのだからとその場で袈裟も衣も脱ぎ棄てて帰ってしまったとのことです」
一休さんはボロを着るのも金襴衣装を着るのも自由自在ですが私たちはボロを着るのははずかしいと思いますし、立派な高価なものを捨てたり手放すのは惜しいと思いますがそれは自分本位の心、自分の利益や価値観に頼り切った心があるからだと福田さんは述べています。それは自ら枠を作り出してその枠に収まるものしか受け入れられない。
大金持が貴賤で判断したように常に自分が決めた枠の中で自分と他人を分別しています。損得、美醜、好悪、貴賤、能力のあるなし、強い人弱い人、人気があるなし、権威があるなし等の分別に価値があると信じて人々は振り回されています。そこには安らぎの心はありません。その自分本位の枠組みを捨てて、自分も他人もない安心の姿を一休さんは袈裟を脱ぎ捨てて示し、私たちが本当に捨てなければならないものは自分本位の心なのだと福田さんは述べています。
最近断捨離という言葉が良く使われます。いらなくなったもの、使われなくなったものは気前よく捨てて身の回りをさっぱりするのがよいと言われています。しかし私もそうですがガラクタものでも中々捨てられません。一休さんの話を読んで捨てられない人は心に執着があるからかなと思いました。自分本位の心をまず捨てなければいけないことを教わりました。





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Last updated  2021.03.18 12:09:08
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