
今回も「21世への対話」から安楽死や自殺についての対話を紹介します。
トインビー「寿命はまだあっても最早希望がない場合があります。当人が熟慮の上で死を願うという場合はそれを邪魔してはならないと考えます。安楽死を願うならその願いをかなえてやるべきだし、自殺を選ぶというなら引き留めるべきではないと断固主張したいのです。そういう状況にある人の要求を拒むことはその人の尊貴な権利である人間の尊厳性を冒すことになると信ずるのです」
池田「苦悶をとどめるために他人の死に手を貸したり、あるいは自ら死を選ぶ自由を認めることもヒューマニズムの一つの論理的帰結であることは私も認めます。しかしそれがエスカレートして、やがては生命軽視の方向へ堕落することを私は心配します。我々は他人の生命と同じく、自分自身の生命に対してもどこまでも畏敬の念を捨ててはならないと思います。才能の発揮が不可能になったからもはや生きる意味がないというのは生命をあまりにも狭く小さい枠に閉じ込めた考え方です。才能のない人間は生きる価値がないとでもいった風潮さえ生みかねません。」
トインビー、池田両氏は東西の知性として、人類の将来を見据えて建設的意見を交わし、意見が一致する
ことが多かったですが、唯一この安楽死、自殺に関しては意見が真っ向から対立しました。ギリシャ、ローマの文学や歴史に強い影響を受けたトインビー氏は死の瞬間まで人間の尊厳を尊重して安楽死や自殺を認めるべきだと主張し、池田氏は過去、現在、未来の三世の生命を説く仏教の考え方から、宇宙永劫の生命の尊さを述べて、安楽死、自殺は認められないと主張しました。私は池田氏の意見に賛同します。
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