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エコジャパンカップ2010受賞商品!小浜温泉「塩の宝石...
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○ が彫ってあり、没年には天と彫ってあります。
この墓碑は、「○○史跡めぐりガイド」によると、薄井六郎左衛門氏の墓と紹介されていて、薄井氏は鉄砲の名人だったそうです。
薄井氏は、キリシタン側から加担するように脅された(断れば家に火をつけられたり殺されたりしたと書いてありました)そうですが、何とか逃げて、幕府方についた人だそうです。
乱後にはその地域の支配権を行賞されたとも書かれています。
しかし、その後の歴史には、その村の人達は、島原の乱に全員が参加して、全滅したように書き残されています。
幕府方について戦った人の墓碑が、これほど立派なキリシタン墓碑形式をしているとは、どの様に考えれば辻褄が合うのでしょうか。
没年の上の文字は分りずらいのですが、乱に関係した人ですから、おそらく没年は慶安元年だと思います。
それと、この地域の法花宗(法華宗ではありません)と書いてある、宗門改め帳が、昔この地域の庄屋さんだった家に残っている事も、記されていました。
この様な事から考えれば、この村はキリシタンの村だが、幕府に逆らわなかったので、キリシタンは全滅した事にして置こうと、報告書が書かれたのではないかとしか、考えようがありません。
幕府にしても、キリシタンとの関係を完全に断ってしまえば、貿易による利益が無くなってしまいます。
首なし地蔵 2012年08月04日
戒名の書いてない墓碑。 2011年12月07日